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スパゲティミートボール。

 愚息は11歳なんですけど、心配になるくらい精神的な成長が遅いです。

 まだ、毎晩僕と母親と好んで川の字になって寝てるし、言うことも、だいじょうぶかなあ、と思わせることがしばしばです。『スパゲテイの好みについて』という、大人にとってはほぼどうでもいい議題での議論をもち掛けてくるのはいいとして、『スパゲティミートボール』って言うんです、なんですかね?不審に思って詰問したら、
 「ほら、あれだよ、よくあるじゃん。」
 「・・・?」
 「いちばん、ふつうのやつ!」
 「・・・ミートソースか?」
 「そう、それだ、それ。」
 だそうです。とほほ。11歳にもなって『ミートソース』と『ミートボール』を間違えますかね?

 そんな息子が、先日、学校でのことを話題に僕に話しかけてきました。僕は、携帯電話でネットサーフィンしながらいい加減に付き合います。
 「パパ今日さあ、学校でじしょのひきかたを勉強するじゅぎょうがあってさ、」
 「ふむ。」
 なるほど、そういうことを習っても遅くは無い年齢です。
 「それでね、」
 「うん。」
 「実際にやってみるときに」
 「うう。」
 僕は適当に生返事を打ちます。
 「フジはね、『おなら』って調べることにしたんだけど、」
 こいつ、本当にだいじょうぶかなあ・・・。
 なんだか、情景が目に浮かびます。

 かとう先生「・・・というのが辞書の引きかたです。では、みんな、やってみましょう。」
 生徒A「どういう言葉をひくんですか?」
 かとう先生「なんでも、自分の好きなことばでいいです。」
 なあんて会話があって、喜び勇んで『おなら』を探そうと辞書と格闘するわが子・・・・。ああ、情けない。
 話は横にそれますが、こういう『超無価値的なくだらなさに満ちた行動』にでるのは、大抵男の子ですよね、なんでだろう。女の子ってまずこんなことしないですよねえ。やっぱり男って幼いです。

 それで、どうしたんだよ、まったく。
 「それでさ、『おなら』をさがしんたんだけど・・」
 「うん。」
 そもそも、調べなくてもおならの意味くらい知ってるだろ。
 「そしたらさ、」
 「うう。」
 「パパおなにーってなに?」
 「    」
 「『おなら』を探したら『オナニー』ってできちゃったんだよね。」
 「    」
 まだ日の高いさなかから、息子は母親と父親を前に大声で『オナニー』連発です。

 僕は、このとき、あることを学習しました。
 すなわち、『人間というのは、本当に虚を衝かれたとき、完璧な無表情になる』ということです。知りませんでした。
 僕は、昼下がりに愚息のまったくくだらない『おならネタ』につきあっていたはずなのに、急転直下、『性教育の現場』での父親としての実力を試されることになったのです。
 『おなら』から『オナニー』へ・・・・・。
 これを『虚をつかれた』と言わずして、何を『虚をつかれた』と言おうか、というくらい真に僕にとっては予想外の展開でした。しかし、その結果、幸か不幸か、父親の頭はまったくの虚空となり、その表情は完璧な無表情となったのであります。その有り様は、よく言う『固まってしまった』というのとも違い、本当にポジテイブな反応も、ネガテイブな反応も、寸分も見せない『無表情』そのもの、でありました。
 かえって動揺を子供に見せることにならず、幸いでした。
 僕は、無表情をいいことに、次の段階として、あたかもネットサーフィンに夢中になっていて質問が邪魔臭いんである、といわんばかりに、眉間に皺を寄せて、
 「うん?なんだって?」
 と、その実、脳天に突き刺さった質問を聞こえなかった振りなどしてみました。
 「おなにーってなに?」
 またしても、連呼する息子です。
 「うん?ああ、それはさ、自分で自分の象さんをいじって喜ぶことだな、うん。」
 うひゃあ、これで切り抜けられるかな・・・。
 「へえ、そう。」
 「う、うん、そうそう。」
 息子は暫し考え込みました。どうも、僕の返答を彼の11年間の見聞で計ろうとしていると見受けられます・・・。
 「じゃあ、へんたい、ってこと?」
 「えっ?」
 いや、へ、変態というわけでは・・・。
 「う、う、へんたいというわけじゃないかな・・・」
 「じゃあ、えすえむ?」
 えす・・、あれ、こいつスパゲティミートソースも知らないくせに、なんで『SM』を自家薬籠中の物にしてるんだね?
 「いや、そういうわけじゃ・・・」
 ちょっと父親劣勢でしたが、携帯をいじるのに忙しい、というふりが功を奏したか、そのうち、うやむやなまま息子のほうで、ひきさがってくれました。
 くわばら、くわばら。

 後で、手元にあった辞書(三省堂国語辞典第六版)を息子に隠れて引いてみたら(逆ですよね、なんだって、いい大人の僕が息子に隠れて『オナニー』って辞書で調べなきゃいけないんですかね?)、なるほど『オナニー』は『おなら』と同じページの同じ段、それも四つだけ隣でした。
 辞書編纂者も少しは配慮してくれないかな・・・。無理か。

 ちなみに『オナニー』の語源は、聖書の中の登場人物『オナン』ですね。
 有名な話です。
 本当です。

==== 終わり ===

リスクマネジメント。

 食事中の方は読まないでください。

 大学生の頃のことです。
 僕と山案山子は、だい繁華街の、おお通りに面した、ある居酒屋のカウンター席で、酒を酌み交わしておりました。その居酒屋は、今でもはっきり覚えていますが、さる大規模なチェーン店のひとつでした(いろいろな意味で屋号を記す勇気がありません。その理由は以降を読んでいただければわかると思います。)。
 その日、ビールの大ジョッキを口切りとし、僕らは、いつものようにとりとめの無い話題で飲み交わしました。
 最初に、しかし、あとでなんとなくそういえば、と思ったくらいなので、そんなに激しく思ったわけではないですが、ビールを一口を含んだとき、『あれ、あんまりうまくないな・・・。まあ、こういうこともある。最近飲酒が続いたから、胃腸が疲弊しているんだ、きっと。ビールの味って結構体調で左右されるからな。』という感覚が、軽く僕の頭を掠めました。
 なんか微かに『妙な風味』がしたんです。
 構わずいつものように噛み合わない会話も、呑み食いも、進めます。 
 以前にも書いたけど、人のことは言えませんが山案山子という男はあまり他人の話を聞かずに、ずんずん自分の話を進めます。
 「こないだ、K大学のGっていうサークルと試合したんだけど、」
 「ああ、あそこね、あそこは伝統も実力もある有名なサークルだ。」
 (けど、その話は先週聞いたばっかりだぞ。)
 「それが、全然たいしたことなくてさ、なんとか県代表とかが何人かいるって聞いたんだけど、どこにいるんだよって・・・・」
 「そら、山案山子は体育会なんだから、勝ってあたりまえだろ。」
 (だから、ラグビーサークルの人間を前にしてサークルを馬鹿にするなっちゅうの。適当に相槌しとこ。・・・揚げ出し豆腐、頼もうかな。)
 ・・・と、およそ価値ゼロの話をしていたときです。
 僕は、どうも美味くないな、と思いつつも、酒豪山案山子に遅れること数分、最初の大ジョッキを飲み干しました。そして、なんとはなしにジョッキの底に沈殿している泡の残滓にぼうっと目を遣りました。
 「俺さ、その試合さロックで出たんだけどさ、」
 「ふん。」
 (それも聞いたぞ、敵のパックが甘かったんだろ。)
 「ラインアウトのパックが無茶苦茶甘くてさ、」
 「?」
 僕の視線の先、白い泡に一点の小さな黒点が・・・。
 「甘いから敵ボールなんか割り放題でさ、」
 「!」
  あ、これは??まさか・・・。
 「まったく、これで強豪サークルかよって・・」
 俺、このビールを飲み干したっってこと?
 「それでバックスもさあ・・・」
 「おい、これ」
 「ぜ~んぜ~ん、大したことなくてさ、」
 「おい、山案山子、ちょっと、これ」
 「ていうかさ、なんとか県代表とかがバックスにもいるとか聞いてたんだけどさ、」
 「これ、これってさ」
 「そんな奴、どこに・・、へ?」
 さしもの山案山子も、僕が会話を強引に泡の中に黒点のあるジョッキを彼の眼前に突き出すことで遮ると、しゃべるのをやめます。
 二人して暫し、無言で泡の中の黒点を見つめます。
 僕が言いました。
 「・・・小さいけど・」
 「うん、小さいけど・・」
 と、山案山子。
 「これって・・」
 「あれだよな・・」
 「うん、やっぱりそうかな?」
 「うん、あれだろう・・・飲んじゃったの?」
 「うん飲んじゃった・・」
 そこには、小さいけれど誰がどう見ても紛う事なき『あるもの』が、その形態を毀損することなく保たれて沈殿しておりました。
 ふうむ、『微かに妙な風味』がしたのはこの出汁が出ていたからなのだな。どうせ現れるのなら口をつける前に出てきてくれたらよかったのに。
 とにかく、店員さんを呼ぼう。
 あまりの事態にやや動揺しながら呼びかけると、ひとりの男性店員さんが元気よくやってきました。
 「はい!」
 「あの・・・」
 「あ、おかわりですね!」
 店員さんは空のジョッキを虚空に持つ僕を見て、合点承知とばかりに、最前の元気のまま言いました。いや、そう断言されたら、それもそうだ、という気がしないわけでもないけど、もっと重要なことが・・。
 「いや、あの・・これ」
 「え?」
 「ここに・・・」
 僕が指差すと、ようやく店員さんは事態を、-ゴキブリが混入したビールを客に飲ませてしまった、という飲食店にあるまじき事実を、-把握したようです。なにしろ、繰り返しますが『小さいけれど誰が見ても紛う事なきゴキブリの死体』なのですから(この稿を書くにあたり改めて記憶と照らし合わせて調べてみましたが、どうも『クロゴキブリの幼生』のようでした。)。
 ところが、その後の店員さんの直後の対応は、全く僕らが予期しないものでした。
 店員さんはゴキブリを一瞬無言で認知したあと、その元気はまったく失わないまま変わらぬテンションで、やや笑みさえ浮かべて、こう言い放ったのです。
 「あ、虫ですねっ!」
 まるで、公園でバーベキューをしているときに、端の草むらに飛ぶバッタを見たひとのように。
 え?虫?むし??
 いや、それは虫であることには変わりは無いんだけど、虫は虫でもゴキブリですけど。それに、虫ならいいんですかね?なんか、素直に認めているのか、あるいは他ならぬ『ゴキブリ』が混入したこと、については認めていないのか、わかんないじゃないですか。
 「すみません、でしたああっ!」
 予想だにしなかった店員さんの対応(といっても僕には経験がなかったことですので、-あまり経験がある人もいないかとは思います。-、店員さんがどういう反応を示すのか、ということに具体的な構図があったわけではないですけど。とにかく、あまりのことにただただ驚いていました。)にさらに虚を突かれて唖然とする僕の手から、店員さんは奪うように件のジョッキを持ち去ると、すぐに新しいビールの入ったジョッキを『注文されたビール大ジョッキのおかわり』として持ってきました。
 その直後のことについてはちょっと具体的な記憶が薄いんですけど、・・・・こういう結末でいいの?とふわふわした気持ちで、-なんだってこっちが動揺しなければいけないんですかね。-、僕らは、およそ低いテンションで呑み食いを続けたように思います。
 それから、数分後、いきなり、
 「これは店からのサービスでええす!」
 と一杯のビール大ジョッキが持ってこられました・・・。
 結局、僕と山案山子は、その対応と、ビール大ジョッキ一杯を(僕の記憶によると、サービスしてくれたのは、僕にだけ、です。山案山子には無かったと思います。)無料にしてもらうこと、を容認する形で、その店を後にしたように思います。

 そして、僕は後から思ったんですけど、この店員さんは、ある意味瞬間的に高度な交渉術を発揮して被害を最小限に食い止めることに成功したんだと思います。
 昨今のサラリーマンの好きな言葉でいうと『リスクマネジメント』ですかね。
 つまり、彼はジョッキを見た瞬間『事実を認めないことはできない、これはゴキブリだ、飲食店としては最悪の事態である』と認識したはずです。しかし、そこであえて、爽やかに大きな声で『あ、虫ですねっ!』と強引に、事実誤認とは言い難いものの生物学的に大きな母集合の名称を叫ぶことで『なんか混入しているのは認めるが、誰もまだその虫の正確な名称は言及していないですよね!まあ言えば、虫ですよね!』と非は素直に認めつつも、事実認定をうやむやにすることで同時に『でも、たいしたことではない!』というコンセンサスを場に力づくで醸造し、さらに相手に反論の機会を与えることなく素早くジョッキという『動かぬ証拠』を回収することで議論の蒸し返しを回避、加えて、無料ジョッキ一杯のサービスという具体的経済的賠償額を先手を打って一方的に提案すること、で『事件』自体に強引に幕を引いた、わけです。
 考えてみたら、僕らは、それがゴキブリかどうか、を『議論するつもり』はなかったし(そんなわけないです。誰が見てもゴキブリなんだから。)、ましてや、事実認定としてそれをまさか『虫呼ばわり』されるなんて想像もしてませんでした。そして、ただただ、あまりのことに、経済的な面も含めて店側になにか賠償をしてもらうべきか、という具体的なアイデアなど思いもつかなかったので、そういうことを『交渉するつもり』もまた、無かったわけです。
 それで、あれよあれよという間に、結果としてビール大ジョッキという店側にとっては最小限の損失、-今思えば、このケースの最大のリスクは『ゴキブリ入りビール』が然るべき当局に露見しての営業停止、ですよね。-、で懐柔されちゃたんですね。
 うまいよなあ。
 何がうまいって、一言目の『あ、虫ですねっ!』という強引極まりない断言だと思います。まるで『いやあ、まいったなあ、たまにあるんすよね、こういうこと居酒屋では、ねえ?お客さん!isn`t it?』というような表現が行間に滲む、他人事のような口調でしたから。でも、僕がいうのも何だけど、これは対応の第一歩としては、リスクもあります。だって、たまたま僕らのような小心者相手でよかったけれど、よくいる『サービス業に異常に厳しい人』が相手だったら『あ、虫ですねっ!』の一言目から客の心をして火を噴かせる可能性がありますから。『虫だとおお、これはゴキブリじゃないか!ええ、いい加減なこと言うな!don't you!?』ってね。

 尚、ゴキブリ入りのビールを飲まれたことにない方のために、その『妙な風味』を具体的に描写すると、
 『しじみの味噌汁』
みたいな味です。
 だから、そういう味のビールに遭遇されたら、ちょっと疑ってみて泡の中身なんぞを凝視されることをお勧め致します。

===終わり===

糖尿病。

 糖尿病になりました。

 と、言っても昨日や今日のことではなくて、発病したのはもう一年前くらい前ですかね。推測ですが、僕の場合は、生活習慣に遺伝も手伝ってのことだと思います。
 あれれ、暫くしたら別の理由から今控えている暴飲暴食生活を再開しようと思ってたのに、ちょっと残念だなあ、なんて思ってます。いやいや、暴飲暴食どころか、『インポテンツ』とか『足切断』とかになるのかしらん。
 う~~ん。

 ところで、この病気について、結果として今僕がどういう治療を受けているか、というと、実は何も受けていません。ええ、どういうこと?と訝しく思われる向きもあるでしょうが、インシュリンの注射などはしていないし、投薬もないです。
 行われているのは、ただ、食事に注意して、適度に運動をして痩せなさい、という指導と、それ以外は、健常な方より高い頻度で血液検査と尿検査(だいたい三ヶ月毎です。)をしてその結果を経過観察する、ということだけ、です。
 なんでその程度ですんでいるのか、というと、僕の病状が、病名で言うところの『境界型糖尿病』だからなのです。
 ・・・お分かりになりますか?え?よくわからない?そうですよね、なんだか曖昧模糊とした名前です。
 いったい病気なのか、病気じゃないのか、判然としません。
 実は、この病名の意味するところは『血液検査と尿検査の数値が正常値は超えているが、治療を施すほどのものではない。』っていうこと、だそうなんです。
 それでも、まだよくわかんないです。
 僕も言われたときはなんだかもやもやしたし、おそらくは自分が糖尿病であることを認めたくない気持ちも手伝って、そういう説明ではわからん、はっきりしたまい、と医師に食い下がりました。
 それに対し、そのお医者さんは、決然と、
 「境界型と呼ばれるだけで、あなたは、はっきりとした糖尿病です。そして、糖尿病は一度発病したら治りません。」
 と僕の淡い期待と、深い疑問、を木っ端微塵にするような明確な言い方をしてくださいました。
 『治りません。』・・・じゃあ、なんで境界型だなんで名乗るんだ、と、僕はそれでもしつこくも、診断の後、いろいろと調べてみました。
 すると、例えばインターネット上にある情報は定義がさまざまで、大方が『境界型といってもれっきとした糖尿病』というものではあったものの、中には『放っておくと糖尿病になる』という、解釈によれば、まだ病気とはいえないと思われるような表現もありました。どうも国の定める検査方法や基準が昨今変更になったこと、などもこの病名を世の中に産出した一因となっているようです。
 ややこしい。
 なんだそら、病気か病気じゃないのか、お役人が決めるって、ちょっとおかしくないか?
 僕は、さらに調べました。それから、かなりいろいろと読んだ後、肚にすっぽりとはまり全てを氷解させてくれる、ある表現に遭遇しました。
 曰く、
 『【境界型糖尿病】という言い方が存在するが、これは病理の判断としては患者に誤解を与えるのでよろしくない。【境界型】であろうが、そうでなかろうが糖尿病は糖尿病である。別の表現に置き換えてみればよろしい。例えば【境界型妊娠】といわれたらピンとくるか、否か?【妊娠しているか、していないかの境界線である】など医学的にあり得ない、それと同じである。従って【境界型糖尿病】も糖尿病である。』・・・・。
 おお、なるほど!確かにその通りです。『境界型妊娠』なんて理解でき難いです。目から鱗とはまさにこのこと、ほう、俺はやはり糖尿病を発病しているのであったか、とすとんと頓悟しました。
 ちなみに、実は僕はその後の検査で数値が正常値に戻るときもありますが、お医者さんに言わせると、そういうのは『治った』とは言わない、なぜって糖尿病は治らないことになっているから、だそうです。
 ・・・この辺りの隔靴掻痒感が『境界型』を標榜する病気の面目躍如といったところであります。

 ところで、つれづれとこの僕を暫時悩ませた『境界型』という表現について考えていたんですけど、この言葉はいろんな場面で使えそうです。
 結構便利かもしれません。
 この『微妙さはそれはそれで留保しつつ妙に権威もある表現』が多方面で市民権を得たら、実態は曖昧なことをいやに堂々と主張できるようになりやしませんかね。
  例えば、そうだな、出会った相手とその日のうちに、勢いだけで抜き差しならない関係になったりして(例えばです。例えば。)、
 「みどりさん、こないだのこと、どういうおつもりなの?」
 「いや、僕はええと『境界型恋愛』のつもりだったので。」
 「あら『境界型恋愛』だったの、そう、じゃあしょうがないわ。」
 ってするりと収まったりしてね。
 さらに、すでに曖昧さ方面においては権威と言ってもいい世界に冠たる日本資本主義社会でも使用頻度は高そうです。今でさえ、言語明瞭意味不明瞭な会話が横行しているのに、それに拍車がかかるわけです。
 「おい、みどり、今日の6時に会議をするぞ。」
 「いや、ちょっと都合が・・・」
 「なんでだ。おまえ、山々物産さんと2時の約束で外出で、その後は予定が無いはずじゃないか。会社には5時には戻られるだろ?」
 「いや、その山々物産さんの後は『境界型直帰』の予定ですので。」
 「おうそうか、境界型直帰か、じゃあ会議は明日にしよう。」
 とか、納得してもらえちゃうわけです。
 実はしょうがなくないです。要は外出をいいことにひょっとすると勤務時間内にも関わらずいなくなるぞ、ということですから。
 それで、今度はその翌日の会議で、
 「おい、みどり、お前の意見はどうだ。」
 「はい、私は、課長の意見に、総論賛成、各論反対、そして・・・」
 「うむ、そして?」
 「・・・そして、最終的には『境界型保留』です。」
 などどもっともらしい修辞を隠れ蓑に、徹頭徹尾、判断を逃げます。
 加えて、核心に触れてほしくないことに、屋上屋を重ねて、箔をつけて表現するのにも使われるんであります。
 「おい、みどり、おまえ、売り上げが芳しくないようだけど、今期の予算は達成できるのか。」
 「はい、断言はできませんが『境界型達成見込み』です!」
 「うむ、そうか。」
 なんて、それだけでもはっきりしない『見込み』という言葉をさらに『境界型』と修飾して、挙句肝心なことは言及しないで詰問をかわしちゃいます。
 待てよ、良いことばかりじゃないかもしれないな。
 「おい、このクレームはなんだ!部長からいきなり怒られたぞ。ホウレンソウはどうしたっ!」
 「え・・それは、もう課長にお話したじゃないですか。あの、先週残業中にお時間をいただいて、ほら、この資料を見せながら・・・」
 「うん?おう・・そういえば、そうだな、でもあれは、俺としては『キョウカイガタホウコク』としか受け止めてないから。」
 「・・・・。」
 なあんて、逃げられちゃったりしてね。

 ところで、最後に肝心なことですが、足切断だのインポテンツだのの心配もさることながら、かく言う僕自身の会社での有様が、よく考えるといつどこへ追いやられるのかわからない、『境界型会社員』といえますので、本当は上述のようなあらぬ妄想を逞しくしている場合ではないです。

===終わり===

ショッピングモール

 事情は覚えていませんが、とにかくその時、僕とさい君はふたりで、ショッピングモールのベンチである程度の時間を過ごさねばなりませんでした。

 このブログでも何回も書いてきましたが、さい君の話はとても長いです。御自分でも自覚はあるそうです。どういうふうに長いのか、というと、だいたい大別して二種類に分かれます。

 ①『何を言いたいのか』が全然伝わらず、話が延々と続く。
 ②『言いたいこと』は話の当初から伝わっているけど、付随したどうでもいい天麩羅のころものような話が延々と続く。

 どちらにせよ、『延々と続く』んですけど、割合からいうと①タイプが8割、②タイプが2割ですかね。

 ショッピングモールのベンチに座って、ふたりで時間を過ごさねばならなくなったその時も、さい君と会話をするうちに、いつもの陥穽にはまり、上述で言えばタイプ①の、何を言いたいのかわからない長い、長い話に付き合うことになりました。
 ああ、また始まった、結論は何なんだろう、早く終わんないかなあ、と思いながら、僕は半分聞いている振りをしつつ、極めていい加減に相槌を打っておりました。
 さい君の話は、ぐるぐる回るばかりで、止め処なく続きます。

 話の途中で、ふと、さい君がトイレに立ちました。
 「いやあ、これで小休止できるぞ。」
 トイレは、僕らの座っているベンチのすぐ近く、視線の方向にありました。距離にして10メートルに満たないくらいです。僕は、まっすぐに歩いて行きトイレの入り口に消えて行くさい君のうしろ姿を見るともなしに見ながら、すでにかなり長くしゃべっているのに、未だに言いたいことがさっぱり分からないさい君の話から暫時、-飽くまで暫時ですが-、解放されたことを内心喜びました。
 数分後、用を足し終えたさい君がトイレから姿を現し、再び横に戻ってきました。あたりまえですね。
 はあ、試合再開か・・・・と僕はひそかに身構えました。もっとも、真剣に聞く気持ちはあんまりないです。
 と、さい君が言葉に詰まりました。おや、珍しい・・・と思っていたら、出し抜けにこう問いかけます。

 「ええと・・・、で?どこまで話した?」

 さい君はトイレに立ったことで、話の尻尾を失念してしまったようなんです。
 僕は、僕で多少狼狽しました。なぜって、あまり集中して聞いていなかったので、斯様な突然の口頭試問に全く対応できなかったからです。いや、まずい、聞くふりをしていたことがばれてしまう・・・・、あたふた、あたふた。
 しかし、さい君は幸いにも、僕にはあまり期待していなかったようで、虚空を見つめながら、どこまで話したかを自分で思い出そうとしているようです。
 懸命に話の末尾を思い出そうとする妻と、一緒に思い出すふりをしながらただただ妻が自分で思い出してくれることを心中願う夫、による沈黙がしばらく続きました。

 その時です。無言のままのさい君が表情を変えずに、いきなり立ち上がりました。
 「?」
 どこに行くんだろう・・?
 このときのさい君の行動を見た僕は、実際この女は頭がどうかしたのか、と思いました。
 さい君は、訝しがる僕をよそに、立ち上がると迷いもない様子でまっすぐに歩き出します。そして、そのまま、たった今行ったばかりのトイレに消えていきました。
 はあ、またトイレ??
 と僕が心の中で呟いたのと、ほぼ時を違わずして、トイレからさい君がまた現れました。つまり、さい君は『トイレにほんの一瞬入っただけ』ですぐさま踵を返したわけです。あれれ、と思う間もなくさい君はそのまま表情を変えずに再びこちらのほうにまっすぐに歩いてきて、澱みない動作で、しかし無言のまま僕の隣に座りました。
 やや、奇怪な・・・。
 呆然とする僕に構わず、さい君は、まるで何事もなかったかのような口調で、僕の顔を見つめながら、再びこう言いました。
 「ええと、で?どこまで話した?」
 えっ!なんだそら?
 そうです。さい君は、一連のこの無言での不可解な行動を全く同じ台詞で括弧閉じしちゃったんです。これじゃあ夫は戸惑うじゃないですか。
 だって、

 『どこまで話した?』 → 不可解な行動 → 『どこまで話した?』

 ってことになるので、この『一連の不可解な行動』の意義が不明な上に、ふたりの時間とやりとりの狭間に強引に葬られてしまい、そうですね、まるで『なかったことにされた』みたいです。
 「どこまで話したっけ?」
 さい君は唖然とする僕に頓着せず、問いかけ続けます。
 僕は僕で、この伴侶の不可解な行動を、とても無かったことにすることができず、
 「あの、あのさ、いまなんでトイレに行ったの?」
 と問いただして見ました。
 これに対するさい君の返答は要約すると、
 「トイレに行く前に考えていたことをトイレに行ったことで忘れたので、その行動を時間的に逆行して体験すれば、その時に考えていたことが行動や光景と共に巻き戻されて、考えが途切れたところまで繋がるかもしれない、と思ったから。」
 なんだそうです。

 なんだ、そういうことか、ああ、びっくりした。
 そういうことなら、言われてみたら自分もやらないでもないですが、会話の途中で何の前触れもなしに配偶者の前から姿を消してトイレに入って出てきてみる、まで大掛かりにはやらないので、ちょっとびっくりしました。

 ちなみに、この『行動逆行覚醒法』(そんな名前はないと思います。今僕が名づけました。)が効を奏して、その時、さい君が『どこまで話したか』を思い出したかどうか、については全然覚えていません。まあ、せっかくトイレに行きなおしたのに、僕にどこまで話したか訊ねたくらいだから、たぶん奏功しなかったんでしょう。

=== 終わり ===

IOC会長。

 息子のいつもの宿題のひとつに『音読』があります。
 週ごとに先生から配付されるプリントを親の前で毎日音読して、毎回親のサインをもらってくることになっています。そのメンバーの国籍からして言を待たず、我が家の場合、これを息子に聞かされる、いや、聞いてあげるのは、日本語を十分に理解しないさい君ではなく、僕の担当になります。そして、我が子のがさつな性格からして、これまた言を待たず、毎日読むことなどせず、大抵木曜日か金曜日の晩に、それまでサボった月曜からのものを『一気に4、5日分を親の前で音読する』ことになります。
 困ったもんです。

 先日も、寝そべっていたら(肥満体で動くのが億劫なので、家ではだいたい寝そべってます。)息子の急襲に遭いました。
 「パパ、おんどく!」
 「また、溜めてたやつか?うん、わかった、わかった、読みたまい。」
 こいつには、どうやったら、先生の指示通り毎日ちゃんと読むような丁寧さを身につけさせることができるんだろう、といつもながら親として暗澹たる気持ちなど抱きながら、付き合います。
 「いくよパパ、とうすとのやきあがりよくわがへやのくうきよう、」
 「え?なんだって?」
 「もう、ちゃんと聞いてよ!!とうすとのやきあがりよくわがへやのくうきよう・・」
 息子はかまわず、強引に読み進めます。けれども、何を言っているのか全然わかんないじゃないですか。
 こいつ、また与えられた文章を理解せずに、いい加減に読んでるな、全く、いつになったら物事を几帳面にこなそうという自覚ができるんだろう、と依然と寝そべったまま、父は改めてアンタンたる気分を感じながら言いました。
 「おい、フジ、おまえ、またちゃんと読んでないだろ?」
 「ちゃんと読んでるよ!」
 息子は決然と反論しました。
 え、でも『とうすとのやきあがりよくわがへやのくうきよう』ってなんですかね?おかしいです。
 「ちょっと、見せろ。」
 僕は身を起こすと彼の手元を乱暴に覗きこみました。そこにはこうありました。
 『トーストの焼きあがりよく我が部屋の』
 ふむ・・・。
 『空気ようよう夏になりゆく』
 ほう。
 息子の『音読そのもの』は別に間違っていなかったんですね。ただ、彼が抑揚もつけず、一気呵成に読んだことと、まさか短歌で来られるとはと、こちら側に心の準備がなかったこと、からうまく父子の間で通じなかったものと見えます。
 「ははは、おい、これは『短歌』だな。」
 「そうだよ。なんで?」
 息子は一応、短歌ということは理解していたようです。だったら、合成音声みたく棒読みするんじゃないよ。
 「つぎね、さむいねとはなしかければさいむねと・・」
 ふむ。
 「こたえるひとのいるあたたかさ」
 あれ?この短歌なんか聞いたことがあるような・・・
 「このあじがいいねときみがいったからしちがつむいかはさらだきねんび」
 おお、この短歌たちは、あの『サラダ記念日』からの抜粋であったのか!道理でなんか聞き覚えがあると思いました。
 「おお、フジ、これは有名な本だぞ。『サラダ記念日』っつってな、昔、めちゃくちゃ売れた本なのだ。パパは出版された頃を覚えておるぞ。」

 ちなみにこの稿を書くにあたって、改めて調べて見たら『サラダ記念日』は1987年の出版でした。随分前なんですね。息子の担任の先生は若い方で、もちろん出版されて暫くたってからこの本の存在を知られたんでしょう。現在に至っても教材に取り上げられるなんて、さすがベストセラーです。

 「へえ、そう。パパ知ってるの・・、あ、ほんとだ、ここに『サラダ記念日』ってかいてある。じゃあさ、このタワラマンチってゆうひとは、まだいきてるの?」
 「いや、生きてるなんてもんじゃないよ、まだ50歳くらいじゃないか。それと『タワラマンチ』じゃなくて、『たわらまち』さんである。」
 「ふううん。ちょっと、かわった短歌を作るひとだね、タワラマンチって。」
 「そう!そうなんだよね、発表されたときも、それで話題になったんだよね。あと、『タワラマンチ』じゃなくて『たわらまち』さんなんだけどね。」
 僕は、短歌への造詣はゼロに等しいですが、久しぶりに耳にした俵万智さんの短歌の色褪せない斬新さに感心してしまいました。それだけではなく、なけなしの記憶中枢が鋭く刺激されたようです。
 「ええとな、パパが覚えているので、こういうのがあったぞ、ええと・・ちょっと待てよ、今ネットで・・、おお、これだこれ、『まちちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校』ってな。珍しいだろ?」
 「ハシモトコーコーって何?」 
 「うん、この人はさ、神奈川県立橋本高校ってところで先生をしていたんだよね。目新しいだろ、結びを『神奈川県立橋本高校』で終わる短歌って。」
 「うん、珍しいねえ、すごいねえ、タワラマンチ。」
 「うん、今でも珍しく感じるよな。それとさ『タワラマンチ』じゃなくて『たわらまち』だけどさ。」
 息子は、誤った認識を徹底したまま音読を終えてしまい、翌日平然と学校に行ってしまいました。
 かあいそうに、何の罪もない俵万智さんは『サラダ記念日』出版から幾星霜、一介の小学生に『タワラマンチ』として記憶されることになってしまったのでありました。
 そもそも、作者の名前が『タワラマンチ』さんだったら、推測せんか、
 『マンチちゃんを先生と呼ぶ子ら』
 がいるハシモトコーコー、となりはしますまいか。(神奈川県立橋本高校の関係者の皆さん、ごめんなさい。他意はないです。)
 全く、この男は大丈夫かなあ。

 ・・・・と、このブログを結ぼうと思っていたんですが、はっとあることが頭をよぎりました。

 まさかとは思いますが、愚息は短歌に区切りをつけずに棒読みしたように、誤読しただけではなく、たわらまんちさん、否、たわらまちさんの名前も変なところで区切ってしまってないかな、という疑問です。
 「あいつ、『タワラ・マンチ』さんではなく『タワラマン・チ』さんだと思っているじゃ・・・。」
 可能性は低いですが、彼ならあり得ます。
 僕は、不安にかられながら『タワラマチ、タワラマンチ、タワラマン・チ・・・』と、なんとなくそれらを口の中で転がしました。
 「うん?なんか聞いたことがある名前だな・・・・、なんか似たような人がいたような・・・」
 誰だろう・・・・?
 「タワラマンチ・・・・、おう、『サラマンチ会長』だ!」
 そう、以前 IOCの会長だったはず。歴代のIOC会長の中でも露出の高い会長だったので、御存じの方も多いと思います。
 そもそも、サラマンチさんは何人だったんだろう、と僕はインターネットでサラマンチ会長のことを調べてみました。
 「ほう、サラマンチさん、スペイン人か、まさかフジはタワラマンチさんを外人だと思ってないだろうな、いや、いくらなんでもそれはないか、漢字で書いてあったからな、ははは・・、ほう、もともとはスポーツジャーナリストなのか・・、お、もうお亡くなりになっている、ふむ、1980年から2001年にかけてIOC会長か、すごい長期政権だな、どうりで記憶に残るわけだ、ふうむ、ええと、フルネームは、まさか、ナントカ・カントカ・サラマン・チ、なあんてことはないよな、はは、あるわけないか、ええと、フルネームはと・・・」
 瞬間、僕は驚愕しました。

 「『ファン・アントニオ・サマランチ』 ・・・???え?え、えええ!」
 
 ・・・・そうです。僕は、おそらくは彼の在任中から今に至るまで、その名前を間違えて記憶していたんです。
 『サラマンチ』ではなく、『サマランチ』じゃないですか!!
 
 ・・・・あながち、愚息の『タワラマンチ』さん、を心配している場合ではないかもしれません。

=== 終わり ===
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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