外国語での表現

 何度も言いますけど、僕は家では外国語生活者です。

 これから書く話は、『僕の記憶が間違えていなければ』という留保付きですが、本当に目撃した話です。
 いや、そんなに身構えるような話でもないです。
 あまりにも古い話だし、瞬間的な出来事だったので、ニュースソースが僕の記憶だけだ、ということです。

 その朝、-とにかくずいぶん前です。ー、僕はひとり漫然とテレビを見ていました。画面では、いわゆるワイドショーが放送されていて、司会者と何人かの文化人が、幾つかの話題について意見を述べ合っていました。何度かトピックの変遷があリ、話題が野球のことになります。日本の野球殿堂について、です。詳細は覚えていませんが、発表されたばかりの野球殿堂メンバー選出内容について、賛否両論があるよね、というような話でした。この元審判が今回選出されるのなら、なぜあの元選手はまだなのか、という類の議論だったと思います。内容は、しかし、野球好きを自認する僕にさえやや退屈なものでした。例によって例の如く、各人が妥当な意見を散漫に述べ、結論など見るわけもなく、波風も立たずに進行して行きます。そして、司会者が次の話題に移行しようとした、その時のことです。ゲストのひとりデーブ・スペクタ―さんが、『如何にも話題を結ぶような真顔』と、短い一言で『朝の平和なワイドショーという空気』を一掃したのです。
 「でんどーはこけしだけにしてほしいですね。」

 完全に油断していました。
 油断していいたのは、おそらく僕だけではなく、出演者も、他の視聴者もそうだと思います。
 あー、なんてくだらないんだ。
 しかし、人は、あまりに唐突に虚をつかれると笑ってしまうものと見え、僕は気がつくと爆笑していました。
 元来が、『くだらないもの好き』の僕は、その後何度もこのシーンを脳内で反芻して、にたにたと思い出し笑いを繰り返してきたので、このことは、未だに僕の記憶に残っています。僕もいい加減、しょうもない男です。
 けれども、です。最近、この発言に対する僕のスタンスに変化が見られるようになってきました。
 何度も言いますけど、僕は家では外国語生活者です。ちょっといろいろ事情があって(大した事情ではないです。)、さい君とは、もう何年間も99%彼女の母国語で会話しています。日常の意思疎通こそ、なんとか『こなして』いますが、そこはやはり外国語、なかなか難しいし、うん?なんだか通じてないなあ、と思われることも少なからずあります。そういう日々の中で、ある時、いつものように、上述のデーブ・スペクターさんの発言を反芻して思い出し笑いをしたとき、あれ?と思ったのです。そうなんです。当たり前ですけど、日本語は彼にとって外国語なのです。僕は、その時はからずも初めて自分の現在と彼の大昔のワイドショーでの発言を比較し、高慢ちきにも深く感心してしまいました。つまり、彼は外国語で、『単なる駄洒落ではなく、万人にくだらない!と思わせようと韜晦とウィットを持って発言して見事成功』したんですね。翻って僕の語学力で、さい君の国の人を相手に、こんなことが果たしてできるだろうか?いや、できないぞ。これは、事前に用意していたとしても、一般教養語彙も含めてかなりの語学知識、習慣風俗認識がないとできないことじゃないですか!
 それ以来、この『でんどー発言』は、僕の認知の中では、『思いだし笑いのネタ』だけではなく(いまだに、くだらないなあ、とにやにやはしてます)、『デーブ・スペクタ―さんの卓越した語学レベルを再確認する話』という二面性をもつようになりました。
 僕は、現在もさい君の母国語の勉強を意識して継続していますが、今や彼のこの秀逸なレトリックは、自分の語学レベル向上のひとつのメルクマールですらあります。
 目指せデンドー・スペクター、いや、デーブ・スペクターさん、であります。

 ところで、そのワイドショー番組の終了間際、司会の美里美寿々さんが、
 「尚、本日番組中で不適切な発言がありましたことをお詫び致します。」
と謝罪していました。
 ・・あれって『不適切』な『グッズ』だったんですか?こういう日本語での形容でいいのかな・・。
 いやあ、言葉は難しいです。

=== 終わり ===


花は枯れる

 改めて、女性というのはまことに賢い生き物です。

恥ずかしながら、最近あることがきっかけで(その詳細については今回は書きませんが)わかったことがあります。
 それは、『他人同志の愛情は、そもそも枯渇してしまうものだ』ということです。
 なんだそら、面白くもなんともない、そんなこと、だいずは今まで知らなかったのか、と言われると、まさにその通りで二の句も告げられません。どういうことかと申しますと、要は『愛情にはメンテナンスが絶対不可欠だ』と漸く気がついた、という次第です。ええと、ふん、永遠の愛情なんかあり得ないのだ、と虚無的に構えようというものではなくて、どうもほうっておいてはいけないらしいと頓悟した、ということですね。
 ある人に言わせると、その有様は、
「咲いてる花も常に水をあげないと枯れてしまうのだ。」
という言葉になります。

 そんなの当たり前じゃないか? そうなんですけどね、まあ聞いてください。
 
一般に男性、それも日本人男性は特に、その伴侶に対する愛情表現が下手、しない、あるいは時間と共に頻度が激減する、と言われています。
 曰く、照れくさい、曰く、面倒臭い、曰く、そんなこといまさら口にしなくてもわかるだろう…。これには、僕もニッポン男児として多いに共感するものであります。そんな歯が浮くようなことを、しかも頻繁に言ってられるか、夫婦なら以心伝心であろう、ってね。
 しかし、実はそういう愛情表現という行為は、基本的に放っておくと枯れる原理にあるものに水や滋養を与える行為なのです。つまり、愛情表現という水遣りを怠ると花は枯れてしまい、そして枯れてから慌てて水をあげても、もう花は咲かない(らしい)のです。しかも、水遣りだけに、『毎日のように頻繁に』しなければいけないのだそうです。
 なんて面倒臭いんでしょう!!
 ・・・・と、そこで、ふと考えます。
 女性というのは誠に賢いです。
 彼女達は、愛情は基本的に継続しないものだ、という万物創造以来の原理を本能的に知っていて、だから、なるほど飽きもせず愛情表現を求めてくるわけです。いやいや、そんな面倒なことを、いまさら私とあんたの間でやる必要なんかなかろう、皆まで言わせるんでない、というようなそういう行為への怠慢は、実は、ああ咲いた咲いた、と満足してしまって花に水を遣らないことに等しいぞ、と訴えているのです。
 さらに、その水遣りの頻度が高くなければいけない、ということの警告として、やれ誕生日だ、結婚記念日だ、出会った日だ、付き合い始めた日だ、天気がいい、便秘が解消しただの、と『うっかり水がなくならないようにリマインド日を設定している』んですね、頭いいです。男はまぬけなので、そういうリマンドの意義が全然わからないから、平気ですっぽかすこととなります。
 ただ、僕の観察によると、男性はその『愛情は枯れるもの』という認識においては、彼女達の想像を遥かに超えて馬鹿なので、そもそもそういう大前提からして男性には説明してあげねばならないのだ、ということにまで女性は考えが及ばないみたいです。
だから、その前提の説明を端折って、愛情表現や、記念日のお祝いを求めてしまう、と見られます。智慧のレベルとして女性のほうが圧倒的に上がゆえのボタンのかけ違いです。
 そして、この法則は実は、『友情』においても同じようです。
 去る者日々に疎し、僕の場合に限って言えば、頻繁に連絡を取り合ったり、会ったりしないと(つまり友情という花を咲かせ続けるためのメンテナンスをするということを何年もしていないと)、友人から忘れられてしまいます。
 じゃあ、今の僕は、どうなのか、と申しますと、例えばさい君には、それはそれは頻繁に、彼女の要望もあって(いや、強要かな)、『愛してるよ』だの『結婚してくれてありがとう』だの、毎日のように連発しています。
 ええ!大丈夫か聞いているほうが鳥肌が立つぞ!と思われるかもしれませんが、そこは、実は僕にとってはなんでもないんです。どういうことかというと、試しに外国語で『結婚してくれてありがとう』って口にしてもらえばお分かりになると思います。即ち、『外国語に訳す』という過程が冷却装置になってくれるおかげで、恥ずかしくもなんともないんですよね。そうなんです、我が家の公用語はさい君の母国語なので、僕は外国語で愛情表現を乱発していることになり、羞恥心を感じる余裕がありません。とらえようによっては、心がこもっていないと言えなくもないです。
 ・・・幸運です。

 ところで、理詰めな方(特に男性に多いですけど)は、これこれ、そうやって愛情だの友情だの、のメンテナンスに貴重な人生の一部を割いて、その先には、いったいどういうフルーツがあるというんだね、と問われるかもしれません。
 そういう疑問はごもっとも、僕も若い頃なら少なからぬ時間を要する行為に意義を求めたところです。しかし、大人の暫定的な答えとしては『そういう探究は斯様なブログをしたためるという行為の目的を追い求めるに等しいんである』です。
 すなわち、

「うん、ま、野暮は抜きにして、『やる』のがいいじゃない?」

ってところですかね。

===終わり===


安売り王ドン・キホーテ

 それは、あまりにも唐突な咆哮でした。

 先日、とある春の日の午後、さい君と、息子と三人で自転車で外出しました。
 どんな理由で外出したのかは、『そのこと』の衝撃のせいで全く覚えていません。
 なにしろ用事を終えて帰宅し、各々の自転車をマンションの駐輪場においていたときのことです。

 「あ、おならといっしょにちょっと出たかも!」

 前後の会話との脈略も何もありませんでした。
 さい君がいきなり、そう叫んだのです。『叫んだ』という日本語は、かなりの大きさの音声で発言された、ということを示します。
もちろん、-こういうの場合の接続詞は『もちろん』でいいのか、逡巡するところですが-、その言は、外国籍である、さい君の母国語でなされました。
 そして、外国語で言った、ということは、とりあえず、その周囲で、それを理解したのは、僕と愚息だけである、ということを意味します。

 筆者は、いろんな意味で、呆然としました。

すなわち、ほう、そういう現象って男性である僕には、もちろん-こういうのも、『もちろん』でいいのかな?-経験が、それも少なからず、ありますが、女性でもありうるのか、ほほう。まてよ?
ありうるとかあり得ないとかいう以前に、世間一般の主婦は、だんなさんや子供の前で、そういう事実を、それも実況として、大きな声で伝えたりするのかしらん?外国語で報告するのならいい、のか?という、やや複雑な感情が入り混じった結果の戸惑いであったわけです。

 この女には、恥じらいとか、いう感情とか、プライドとか無いのか、そもそも黙っていれば、夫も、子供にもわからないんじゃ
・・・・・。
 ところが、次の瞬間、僕の戸惑いはさらに深度を増しました。

 「ぎゃはははは!!!」

 息子の無邪気な呵々大笑の声が僕の背後から聞こえてきたんです。
 ・・・・・あんた、ものの本によれば、あんたもそろそろ『思春期』といわれる年齢になっているはずでは。
 それが、そういう母親の失敗、いわば『下の粗相』に遭遇して(だから、そういうことを、外国語とはいえ、家族全員に審らかにする母親の、心理状態がまずもって、僕の常識の埒外ではありますけど、。)、もやもやするとか、顔を顰める、とか、そうだな、あるいは、聞かなかったふりをする、とか、そういうのが、思春期の男子の有様なのではないかね?
 この母親にして、この子あり、大丈夫なのか、ふたりは。
 家長が、戸惑いと驚きで、悶々としているのも、ものかわ、息子は笑い続けています。

 「うわはははっはは!」

 いや、あのなあ・・・。

 「げへへ、ママ、また!?」

 え?『また』って何?

 訝しがる中年に、思春期の男子は、それはそれは嬉しそうに教えてくれました。

 「ええとさ、こないだ、ママと一緒に、ドン・キホーテに行った時、店員さんに、ママが『すみません、ごじゅうえんのマフラーはドコデスカ?』って聞いて、店員さんが案内してくれてさ、その後ろにママとフジでくっついていっていたとき、いきなりママが『あ、今おならをしたんだけど、ちょっとうんちでたかも!』って言って、おお笑いしたんだよ。」

 ・・・。さようか。お二人にとっては『初めてのことではなかった』わけですな。

 駐輪場から帰宅したら、さい君は、平然と、トイレと風呂場の往来を繰り返していたので、おそらく、彼女の『推測』はあたっていたものと思われます。
 
 あ、それとこれは、何度も確認したんですけど、その日は本当にドン・キホーテで『50円のマフラー』が販売されていたんだそうです。

 すべて破格です。

===終わり===
 

カプセルホテル

 先日、さい君が、ひとりでカプセルホテルに泊まってきました。

 ええと、なんでさい君がカプセルホテルなんかに泊まったのか、という理由はここでは関係ないことなので記しませんが(別に夫婦喧嘩の結果『実家に帰らせてもらいます!!』のかわりにプチ家出をなした、とか、そういうネガティブな理由からではありません。そういえば、彼女は外国人なので、簡単に『実家に帰らせてもらいます!』っていうのができないのは、ちょっと気の毒ではあります。なにしろ彼女の実家は南半球なので、気軽に帰るというわけにはいかないです。別の角度から言えば、実際喧嘩が原因で、さい君が飛行機に乗って南半球の実家まで帰ったりするような事態になったら、それは我が家にとっては、かなり重篤な事態、ということになります。・・・・閑話休題。)、ちょっとしたことからです。
 とにかくも、家から電車で1時間程度のところに、一泊しました。もちろん、さい君にとっては初めての経験です。
 僕は、彼女に頼まれて、いろいろとインターネットで検索した結果、当該のカプセルホテルを予約したんですけど、探す過程で、なかなか新鮮な感覚を得ました。それというのも、筆者も実はかなり以前に一回のみ利用したことがあるだけで、そのわずかな経験と自身が勝手に抱いているイメージと現実の隔離、に勝手に驚いた、と言ってしまえばそれまでですが、カプセルホテル業界もなかなか競争が激しいようで、ただ安くて気軽にとまれるというだけではなく、皆さんいろいろと差別化を図られているようだと分かったからです。例えば、『飛行機のファーストクラスをイメージした』という狭さを逆手にとった豪奢感が溢れるものだの、外国人観光客を強く意識したものだの、女性専用フロアのあるものだの、 多様化しています。僕は、さい君の要望を伺って、その中で、 女性専用フロアがあるカプセルホテルを予約しました。
 宿泊翌日、帰宅したさい君に、どうであったか?と、早速カプセルホテルの感想を聞きました。

 「隣からものすごく大きなおならがきこえた。」

 そういうことじゃくて!
 従業員が英語べらべらだった、とか、アメネティが充実していた、とか、十分熟睡できた、とか、普通ホテルについてと言えば、その類でしょう?だいたい、『隣の客のおならの音が大きかった。』というのは、ホテルの感想じゃないです。
 なんだこの女は、と思いながら、しかし、唐突とはいえ妙に雄弁な事実の報告に、僕は笑ってしまいました。

 どうなんでしょう?
 その女性(当然女性専用フロアなので、隣人も女性のはずです。)は、隣には聞こえないと踏んで、自分の家にいるような感覚で渾身の一発を放ったのか(ええと、一般に女性がご自宅でお一人のときに、音の制御から完全に自分を解き放っておならをされるのか?という点については、僕はあまり知悉していません。実際、どうなんだろう?)、それとも、聞こえたって構いやしない、旅の恥はかき捨てだ、と大放屁をつかまつったのか、或いは、その方も外国の方で(さい君は、観光地の近くに泊りました。)、そういう状況でおならを聞かれることにはあまり関知しない文化や価値観の持ち主だったのか、と僕はいろいろと思いを巡らしました。

 ところで、この一件から、実はかくいう筆者も一度だけのカプセルホテルの宿泊の時、似たような経験をしたことを思い出しました。

 いやあ、飲んだ、酔った、どれどれ、おお、なんだ結構快適じゃないか、さあ、寝よう寝ようと僕はカプセルの中で横になります。と、横を見ると壁に、5センチx10センチくらいの小さい嵌め込み画面があり『よい子は見てはいかん』映像が見られるじゃありませんか。早速『心身ともに本気で』鑑賞を始めたら、突然、僕のカプセルのカーテンが開きました。なにごとならん、と振り向くとそこには、さっきまで一緒に呑んでいて、今は、僕のカプセルのすぐ下いるはずの田淵くんがおりました(彼は下の部屋から梯子で登ってきたんです。) 。
 そして、あられもない姿、かつ、人様には見せられない体勢をしている筆者にむかい、
 「もっと音量下げなさいよ!!」
 (本当にこう言ったんです。田淵くんは会社の後輩なんですけど、一緒に過ごした時間が長すぎて、たまに斯様な年上に対してとは思えない口の利き方をします。) と叱りつけました。そして、それだけ言い放つと、カーテンをしめて梯子を降りて行きました・・・。
あまりと言えば、あまりのことながら、一瞬呆気に取られた後、僕は恥ずかしく思ったり、おこったりする以前に、いやあ、そうかそうか聞こえておったのか、これは失敬、と一人カーテンの閉じられたカプセル空間の中で、だはははは!と呵々大笑しました。

 というわけで、老婆心ながら申し上げますが、これからカプセルホテルに泊まる予定があって、且つそういうのを隣人に聞かれたらちょっと恥ずかしいわ、という方は、おならと、『よい子は見てはいかん』番組、の音量にはくれぐれもご留意下さい。
===終わり===

光陰矢の如し。

 Time flies like an arrow.
 光陰矢の如し。
 むすこにいんもうがはえました。

 先日、部屋でくつろいでいたら、唐突にトイレから、息子の咆哮が聞こえてきました。

 「パパっ!!たいへんだああ!」
 「え?」
 「すぐ来て!早く!!」

 僕は、息子ももう中学生だし、トイレからほかならぬ男親を呼び立てるとは、なにごとならん、もしや・・・と、咄嗟に『いろいろな思いや覚悟』を胸に、シリアスに立ち上がりました。
 「早く、早くこっち来て!」
 「どうしたっ!?」
 僕がトイレに向かいながら緊迫しつつ叫ぶように尋ねると、息子は我慢しかねたか、僕の到達を待たずに報告しました。

 「かつおぶしがうんちにそのままでてる!!」

 申し訳ないが、僕にだっていろいろあります。
 それは息子から見たら、いつもいつも、所在無げにごろごろしているだけの、こぎちゃない中年かもしれないけど、父親にだって考えなきゃいけないこととか、対処しなければいけない公私にわたる問題とか、あるんです。あんたも、そのうちわかると思います。すまんことですが、いかな息子とはいえ、ご自分の排泄物の上で、ほかほかと煽られて、ふらふらとニョロニョロの如しに踊る、鰹節につきあってる暇はないです。

 阿呆らしい。

 僕は踵を返すと、息子の大発見を拝見することなく、部屋に戻りました。
 もっと他に興味が喚起させられることないのか、この男は、全く。
  最前の覚悟と比べて、結果のあまりのしょうもなさに気が抜けると同時に、彼はまだ勘違いしているな、と僕は鬱々となりました。
 なんとなれば、僕は息子の『友達』じゃないんです。憚りながら、その経験浅からぬ父親です。それなのに、彼が自分の収穫物に驚いて、咄嗟に他ならぬ母親ではなく、僕を呼びつけたのは、『踊る鰹節発見』をパパなら自分と同じ感動を持って迎えてくれるはず、と思いこんでいる、と推測されたからです。
 ありゃまあ、こいつまだ子供だなあ。

 ところがです。
 それは、僕にとって全く、意外なきっかけからでした。

 ある日、のどかな家族の会話中のこと、
 「あのさうちの子は、もう、いんもうがはえてる、ってしってる?」
 と、さいくんがなんの脈略もなく、大暴露を為しました。
 「・・・え?」
 本当なの?とか、もう長く一緒に入浴もしていないはずなのに、何故さいくんは知ってるんだ?とか、そういうのは、普通は、なんか前振りがあってからでは・・・と複数の理由から僕は呆然としました。
 すると、さいくんは、さらなる暴挙に出ました。
 「ほら」
 と軽く言うと、その時、ちょうど僕とさいくんの間に仰向けに寝転がって携帯ゲーム機で遊ぶことに熱中していた、息子のズボンと下着を一気に、強引にずり下ろしました。
 息子の股間が露わになり、さいくんが指さします。

 本当だ!!

 数えられるくらいの僅かな本数の、数ミリの毛達が、背の低いニョロニョロの如しにさわさわと、しかし確かにあるではないですか!
 「おおおお!」
 「ね?」
 おい、あんたなんてことをするんだ、というさいくんの行為への驚きも、息子の股間の、その雄弁な事実が追いやってしまい、かくて我が家では父親と母親が、ゲームをする我が子の股間に左右から顔を近づけて『息子の陰毛発見』、-なにしろ、まだ黒々としているわけでないので、近くに行かないと見えないんです。-、という異様な光景が展開されました。
 息子は、その時、
 「やめてよー」
 と、-しかしあからさまに緊張感に欠ける口調で-、『息子の陰毛発見』を拒んでいましたが、仕掛中のゲームの方が大事と見えて、両手はゲーム機を握ったまま、視線もゲーム機に向けたまま、でむなしく腰をくねらせるだけでした。
 僕は、驚きと共に、再び、なんだこいつは、下半身をのぞかれることより、今やっているゲームの状況を維持することのほうが大事だっていうのか、と呆れました。
 ふうむ、ともかくも、知らぬ間に我が子も確実に『思春期』という時期にさしかかってきたんだなあ、これは、あっという間に心も大人になってしまい、踊る鰹節に驚くような言動も早晩なくなっていくに違いないです。
 父親としては深い感慨に浸ります。

 ・・あれ、そういえば、今日は、さっきから息子の姿をみかけないぞ?
 「あ、おとうさん?うん、いま、いないよ。」
 ちょうど、僕の父から電話があり、孫を探しているようで、さいくんが片言の日本語で対応しています。
 そうか、あいつ、家にいないのか。
 「うん、でかけた、こーえんいったよ・・ううん、ちがう、ひとり。・・かえるの、たべものさがすって。」
 その股間に陰毛をしたためもって、蛙の餌探しに公園へっ、て・・なんかやっぱり幼稚です。。
 こういうメンタルとフィジカルのアンバランスな同居こそが思春期っていうものなのかしらん。

 いずれにせよ、時間は静かに、しかし確実に息子を大人にしていくんですね。

 Time flies like an arrow.  
 光陰矢の如し。
 むすこの陰もうニョロニョロの如し。

 筆者が色々なところに、しらがをしたためているのも宜なるかな、ってところです。


===終わり===

 
 
 
 
プロフィール

                   香川だいズ

Author:  香川だいズ
好きな言葉:終身雇用 年功序列
座右の銘 :負けるが勝ち

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