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有体に言ってよくある話。②

 ええと、今日はあんまりやる気がないので(だいたい、いつもない。)事実の羅列が大部分を占める(実はだいたいどれもそう、ですけど。)『有体に言っちゃうとよく聞くような話なんだけど、自分に起こったもんだから驚いた』話、即ち、2011年12月11日に続いての『有体に言ってよくある話。』ですましちゃうんであります。

 僕は以前にも執拗に書いたように(つまり、未だに納得していないんであります。)、自分の第一志望校の第一志望クラス、に合格したにも関わらず、事情があって、入学試験を受けるまでは『その存在すら知らなかった』高校(今となっては僕の母校ということになります。)に嫌々行くことになりました。まあ、そのことは今回は触れないでおきます。それで、その高校で、僕はたまたまラグビー部にはいったんですけど、1年生のとき、同じクラスにハンドボール部員が何人かいました。

 本題とはちょっとそれますけど(いつもそれてます。)、僕の学年のハンドボール部は特筆すべき集団で、結構な強豪であったうえに、男女ともに秀才揃いでした。男子は旧テ―ダイだの一流私大だの、にばんばん進学しましたし、女子部員も才色兼備で、綺麗な子が山盛りのうえに、これがそろいもそろってみなさんご才媛でした。社会人になった今もこの集団のオーラは健在のようで、そのうちの何人かはフルネームをネットで検索するとお仕事でのそのご活躍ぶりを見ることができるくらいです。夏休みの英語の補習に6人のうち4人が出ていた(なかんずくその補習組のうちのひとりの誰あろう山案山子君、そのひとなんぞは、理系の大学を経てコンピューターシステム営業の管理職という重責ある立場もものかわ『最近Googleの画面でよく目にするチョロメっていうブラウザさ・・』と『Chrome』のことを『強引にローマ字読み』して職場で失笑を買う、という英語補習組における大立者ぶりを、未だ実社会においても惜し気なく発揮しています。それにしてもちょっとひどいです。英語的センスがなさすぎます。同じ間違うにしても『チロム』くらいならまだしも『チョロメ』って・・。どう解釈したら『チョ』って読みが出てくるんでしょうか?)同じ学年のラグビー部とはえらい違いです。実はラグビー部とハンドボール部とは毎日隣合って練習していたんですけど、僕に関していうと、まっことに残念なことに、ハンドボール部の女子部員とは会話をした記憶が全くありません。それは、僕がたまたま女子ハンドボール部員とはどなたとも同じクラスになったこともないから、というだけではなくて、やっぱりラグビー部員が豊田1名を除いて、なんだかばっちくて、知性に欠けて、粗暴さを衒う、ような、特筆すべきところは何もない、ええと、まあ、簡単にいうと愚連隊みたいな集団ですね、だったという、言ってしまえば『大人のハンドボール部と子供のラグビー部』という精神面においてのいくばくかのレベルの差があったから(除く、豊田)、という面も否定できない、と思います。

 本題に戻します。
 1年生のとき、中間試験や期末試験が終わるたびに隣のクラスから僕らのクラスに駆けこんできて、僕らのクラスのハンドボール部員を捕まえては、
 「数学、100点!」
 と大きな声で自己採点を宣言するハンドボール部員の山田君、という男がおりました。入学のいきさつを引きずって1秒も勉強をしなくなり100点満点で『7点』だの『0点』だのというテスト結果を乱発していた僕は、いや、僕でなくても思いますよね、『なんだあ、こいつ?』って思っていました。しかもあろうまいことかその『100点!』男は宣言の通り、実際100点満点をとっちゃうんですね。ますます、なんだかなあ、って感じです。僕のクラスのハンドボール部員もたいそう勉強が出来る男たちだったので、いわば山田君にはライバルだったわけで、言わずもがな、1秒も勉強しない汚くて粗暴なラグビー部員の僕になんか用はないわけですけど、山田君の声はでかいから、こっちは聞くとはなしに、聞こえちゃうんです。

 2年になって、クラス替えがありました。僕の高校は-今は当時とは比較にならないほど進学指導に力を入れているらしいですけど-まことに生徒指導において進学面も含めてやくざな高校で、そのせいか、2年から3年にはクラス替えすらありませんでした。だから一旦2年生で同じクラスになると、ああ、この人達と残りの2年間を過ごすんだな、って判明するわけです。その中に上述の『数学、100点』の山田君その人がおりました。同じクラスになってみるとなるほど、100点を連呼するだけあって、授業中の集中力の高さといい、成績といい、群を抜いた秀才でした。また、人物もたまに『おいおい、あのなあ』というようなことを言う面こそあれ(彼は、その志望通り、予想に反して浪人こそしましたが、某最高学府に合格し国家公務員になられました。それはいいんですけど、大学四年のとき、お互い就職が決まってから話しをしていて、下記のような会話がありました。
 「俺の行く会社にもお前の大学の人間が何人かいるぞ。」
 「へ?ふ~~ん、その人達はきっとどこにも行くところが
  なかったんだろうねえ。」
 「いや、あのな、お前そういうことは俺には言ってもいいけど
  他人の前では言うなよ。」
 「なんで?うちの大学だったらさ、普通大ちゃん(僕の仇名です)
  の行く会社が第一志望なんて人いるわけないじゃん?」
 「いや、だから、そういうことではなくて・・」
 あんまりだな、このヤローと思ったので、上記の会話は山田【以下呼び捨て。ふん!】の結婚式での僕のスピーチの中で事実に忠実に再現して満場の笑いを誘い、公衆の面前で溜飲を下げました。悪気が全くないぶん、聞かされる方は相当気分を害します。僕にスピーチを頼む山田が悪いです。)、案外とわかりやすい男で、すぐに打ち解けました。
 
 あれは2年生になって、かなり日も経った夏頃だと記憶しています。休み時間に僕と山田が何とはなしに雑談をしていたとき、あることがきっかけで、突然、本当にまるでそれまで距離によって辛うじてひきあっていなかった磁石のN極とS極が1ミリ動いただけで盤石にくっつくように、僕と山田が同じ小学校に在籍していた、ということが判明しました。その小学校は何回も転校をかさねた僕にとっては一つ目の小学校で、甲子園球場のすぐそばにある兵庫県西宮市立の小学校でした。僕らの高校は、兵庫県から数百KM離れているので、僕らはその奇偶に目を合わせて驚愕しました。それで、もっといろいろと深堀りしていくと、どうやら同じように転校を繰り返していた山田とは在籍期間は重なっていない、ということ、しかし、共通のクラスメートがいること、などが判明しました。へえ、数奇なこともあるもんだな、まあ、俺はそのあとも何個も小学校にいくことになったんだけど、最初の小学校だから懐かしいな、って思っていました。
 それから、数か月のちのある休み時間、山田がすごい勢いでクラスに駆けこんできました。なんだなんだこのヤロー期末試験の数学100点宣言ならもう聞いたぞ、しかも今や同じクラスじゃないか、と思っていると、今回は山田は一目散に僕に突進してきました。おいおい、俺はおまえとテストの点数を競うような男じゃないことくらいわかってるだろ、って不審に思っていたら、
 「大ちゃん、大ニュース!」
 と叫びました。何事ならんと呆然とする僕に、
 「もうひとりいた!」
 と山田は興奮気味に言います。え、もうひとり、って・・・。
 「ソフトボール部の栃野さん!」
 「へ・・?」
 「同じ小学校なんだよ、俺たち!」
 「え、えええ!」
 これもまたどういうはずみか、他のクラスにいたソフトボール部の栃野さん(この件で、始めて面識ができたんですけど、わりと、いえ、かなり可愛い子でした。参考迄。)も僕と山田が通っていた西宮市立の小学校に在籍していたことが判明したそうなんです。そして、僕と山田と違い、栃野さんはやはりその小学校に転入したものの、卒業まで在籍していた、とかで、後日、卒業アルバムを学校に持ってきてくれました。かくして、お互い、高校で初めて知り合ったはずの三人はその小学校から何百KMも離れた一介の高校の教室で卒業アルバムを見ながら頭を寄せ合い『ああ、この人俺同じクラスだった!』『ええ、私も一緒のクラスになったことある!』などと他人を寄せ付けない異常な盛り上がりを見せました。

 やがて、僕らは高校を卒業し、僕は両親には申し訳ないですが『順当に』、山田は『大方の予想に反して』浪人することになりました。僕と山田は同じ予備校に行きましたけど、当然、所属するレベルが違うので、同じ名前の冠された予備校でも違う校舎に通っていたので、顔を合わせることは殆んどありませんでした。

 ところが、です。
 僕と山田と高校時代同じクラスを過ごした人間に(すなわち、高校2年、3年と同じクラスだったということです。)バレーボール部の足利君という男がおりました。彼も浪人し、やはり僕と山田と同じ予備校、しかし、これもまた違う建物(山田と僕の中間のレベルくらいですかね。)に通っておりました。足利君そのひとの人物については、今回はあんまり関係ないです。その予備校は、よくあるレベル別クラス編集で、クラス内ではあいうえお順に座席を決めていました。それで当然隣には同じ人間が毎日座るわけですが、足利君はその『毎日隣に座る、あ行で始まる苗字の浪人生』と仲好くなったそうです。よくある話しです。それで、-当時は勿論携帯もネットもないから、そういう行為がお互いを友人と認めるファーストステップだったんですけど-、足利君は、『君の家の電話番号を教えてよ』と言いながら自分のアドレス帳を開いたんだそうです。そしたら、その隣の人、有村君といいます、が、

 「うん、いいよ。・・・・あれ?」
 「どうしたの?」
 「この、君のアドレス帳にある、この人、みどりけいた、
  って俺、同姓同名の奴が小学校の同級生に、いたんだ
  けどなあ・・」
 「え?これ高校の同級生でそこの校舎に今通ってるけど。」

 そうなんです。なんと『たまたま足利君の隣に座った有村君』は、僕が通った二つ目の幼稚園と一つ目の小学校のクラスメート、すなわち、山田と栃野さんと同じ小学校の同級生だったのです。有村君もいつのまにか、僕らと同じ生活圏に住んでいたんです。しかも、有村君は僕と同じクラスになったこともあるし、山田とも同じクラスになったことがあったんです!栃野さんとも面識がありました。この知らせは、電光の如く、山田、みどり、と走り、足利君と4人で会いました。不思議な気分でした。僕と有村君、山田と有村君は十数年ぶりの再会、しかし、僕と山田とは同じ小学校に在籍していながら面識はなかった。3人の共通の知り合いは予備校で有村君の隣になったバレーボール部の足利君だけ、っていうまことに奇妙な面会風景でした。

 その後、僕らは、それぞれの道を歩み、大学生を経て、社会人になりました。山田とはその後も昵懇にしていて、先に述べたように彼は初志貫徹を果たし、順当に国家公務員、それもいわゆる『キャリア―』になり某省庁にはいられました。これはキャリア―だろうが、キャスタ―であろうがなりたければいくらでもなっていただければいいのであって、僕の関知するところではないです。そのうち、山田はその某省庁から出しぬけに外務省に出向になりました。そんなのあるんだ、と僕は思いましたけど、これも出向したければいくらでも出向してくれればいいので驚きはするものの、僕の関知するところではありません。

 ・・・その間、僕は、山田曰く『自分の大学の同窓ならどこにも行くところがなかった人間がいくだろう』会社に、僕の能力からすると明らかに運よく、しかし、実態は、恥ずかしながら大人としての自分の物差しなどまったく持ち得ないまま、いわば『バブル景気』という大海原に羅針盤も無線も持ちえないで船出したポンポン船が、ほうほうの態でどういう島かもよく知らないまま辿りついて、まあ、よしとするか、という誠に恥ずべき過程、傲岸不遜な感想、と共に就職しました。それは、まあいいです。それで、入社して、大きな不安と『ああ、俺の就職先の第一志望は一生学生なんだけどなあ』と見事なまでのうしう向きな気持ちで研修なんぞをうけ、配属先が決まりました。
 人事部の説明だと確か6~7部門かの配属希望を各自に書いてもらうから、全員第一希望というのは無理だけど、記入先のひとつには引っ掛かるようにするから、っていうことでしたけど、僕の配属先は、『第一希望、一生学生。からスタートした消去法』という曲がりなりにも自分の物差しで選別して記入した希望部門にまるで引っかかりませんでした。のみならず、もし書けることなら『第一億番目希望』としたかった、消去法なりに『ここだけは俺は行きたくないぞ』という部門、に配属になってしまいました。これもまあ、あり得ることです。それで、配属されてしばらく『なんだかなあ・・』なんて思いつつ、その業界の問屋街にある『分館』と称される小さな事務所に通っていました。
 ある年、なんだってそういうことになったのか、もう詳細は記憶にはないですけど(たしか当時の社長の気紛れ、くらいの些細な理由だったと思います。まあ、社長ですから気紛れでそういうことをするくらい、許されるでしょう。)年末に、突如僕ら『分館部隊』に『東京本社への引っ越し命令』が下されました。東京本社はなかなかの大きさで、16階建てです。それで、僕らは、どういう理由か知りませんけど東京本社の『2階』に引っ越しました。

 そして、引っ越してから1年くらいたった、すなわち社会人になってすでに4~5年が経過した、ある日の午前のことです。僕は是非はともかくとして、まだ『第一億番目希望』だった部門にいて、営業をしていました(実は今でも第一億番目希望のその部署にいます。いまだに自分なりの羅針盤が完成していないんですなあ。)。営業なので、朝一番から外出したりすることもあるんですけど、その時はたまたま、そう、ここ重要です、たまたま、デスクワークをしていました。そして、たまたま、そう、たまたま、です、離席して(トイレに行ったのか、仕事をさぼろうとしたのか、どっちかでしょう。いずれにせよ『たまたま』離席したんです。)エレベーターホールの前を通過せんとしたとき、エレベーターの扉が開きました。これは、エレベーターの本業ですから、開きたければいくらでも開いてくれればよろしいわけで、2階だからエレベーターになんか乗らないで歩いてこいよ、なんて野暮なことはいちいち思う必要はないわけです。すると、2人の社外の人間と思しき人が降りてきました。それは開くからには人が降りてくるのは道理です。そのうちの背の低いほうの1人が、目の前を通過した僕にむかって、
 「すみません。XXと申しますが、大山さんに御会いしたいん
  ですが、どちらに行けばいいですか?」
 と某一流企業の会社名を名乗って尋ねられました。大山くんは僕らの部門のシステム担当で、入社年次は僕の一つ下で、僕はよく知っています。これは社外の方だな、と粗相のないようにその方に大山くんのデスクの場所を説明し、一方で、大山くんのところへいき、来客だよ、って教えました。
 しかし、説明しながら、
 「・・・・・??」
 とある疑問が小さな波紋としてながら、じわりと自分の海馬の中で拡大していくのを僕は感じていました。それで、僕はそのお客さんと商談に入ろうとする大山くんに、
 「あのさ、さっきのお客さんのさ、背の低いほうの人に、
  帰るときでいいから、これ渡してみてくんない?」
 と僕の名刺を1枚渡しました。大山くんは、訝しながらも受け取ってくれました。
 ・・・約2時間後、商談を終えた大山くんは、果たして、今度は僕のではない1枚の名刺を手ににこにこしながら僕のところに報告にきてくれました。
 「みどりさん、幼稚園と小学校の同級生やそうです。」
 そう、なんです。大山くんの手にしている名刺には有村君の名前が。僕の第一億番目希望の部門のシステム担当の大山くんのところにやってきて、エレベーターホールをたまたま通りすがった僕をつかまえたのは有村君だったんです。
 浪人のとき予備校で出会って以来ですから、約10年ぶりくらいになりますね。それで、お互いひさしぶりだなあ、と立ち話をしました。
 「それで、あれからどうしたの?」
 「ああ、俺はね、XX大学にいって。」
 「へ?」
 あらまあ、有村君と僕は、同じ大学、同じキャンパスでした!学部は違うし、少人数の大学ではないので学内で遭遇しない、ってことは充分あり得るんですけど、これまた奇偶です。有村君は某大企業に就職し、僕の会社の僕の所属している部門とのシステム連結、を担当されていたんです。その後、有村君とは会っていませんが、有村君の会社とはその後も取引があり、僕との取引の窓口の方が有村君の同期だったりして、消息をうかがったりしています。

 すみません。この話はまだ終わらないんです。
 この『エレベーターホール遭遇事件』の1,2年後、僕は、南半球に首都のある某国に駐在になりました。そこで、4年半ほどいて、さい君と出会うことになるわけですが、僕の駐在している4年半の間に、某省庁から外務省に出向いていた山田が外務省から辞令を受けて外交官という身分で日本大使館に駐在してきました。僕は、小学校と高校を同じくした男とその国で過ごすことになったわけです。おかげで、僕の結婚式(日本ではせず、さい君の国だけでやりました。)には、僕はすでに日本に帰任していたにも関わらず、まだ駐在中であった山田夫妻にも出席していただけたんであります。

 ・・・その後、山田家も日本に帰任されました。が、すみません、もう少し続きがあります。

 僕と山田と2,3年のときに同じクラスであった、中里くんという優秀な男がおりまして、僕とは今でも親交があります。彼は、僕と違ってしっかりした価値観をもった男で、日本の某一流私大へ現役で進学し、大学を出たあと海外に留学して、某社に就職し、その後転職をしました。そして、これまた数奇なことに、僕と山田が帰任後、同じく、その転職先からの辞令で、さい君の国に駐在になりました。つまり僕の高校のクラスから少なくとも3人は同じ南半球のその都市に駐在者がでて、そのうち山田と僕は、時期も重なっていた、ということになります。

 僕は日本から出張して中里君と彼の地で夕食を共にしたことがあったんですけど、なんと彼の事務所は僕の会社の支店(つまり僕のさい君の元の職場ですね。)と同じビルのフロア違い、でした。中里君という高校の同級生が、彼の帰任後うちに電話してきてくれたとき電話にでたさい君と、さい君の母国語で会話していて、とても不思議な感じがしました。

 今回は以上です。事実の羅列で済ませるはずだったんですけど、思えず長くなりました。

 ええと、参考までに、これはわりと有名な理論なのでご存じの方も多いかと思いますけど『ミルグラムの六次の隔たり理論』というのがあります。
 ミルグラムというのはアメリカの高名な心理学者のお名前です。『いつもの伝で、筆者がでっちあげた』とか『筆者がミリグラムをミスタイプした』のでは、ないです(本当です)。この理論の言わんとしていることは、簡単にいうと(たぶん)地球上の人間は実は誰でもさ、だいたい6人の人間を介すれば繋がってしまうわけよ、というものです。僕と、山田、栃野さん、足利君、有村君、中里君、さい君、の話もこの理論が本当だとすればわからんでもないですね。

 いやいや、僕は『ミルグラムの六次の隔たり理論』は『日経新聞でない一般紙』(会社では言えないけど、僕、日経新聞とってないんです。スポーツ欄が小さいからね。)の日曜版かなんかで『たまたま簡単な要旨を読んだ』だけでそっちの専門というわけではないので、その方面に詳しい方、は僕に論争をふっかけよう、なんてことはご遠慮ください。そんなことを論争できるくらいの博識なら『ふ~~ん、その人達はきっとどこにも行くところがなかったんだろうねえ』なんていう会社にはいません、ので!
===終わり===
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緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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