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有体に言ってよくある話。①

 これからみなさんが読まれることは、本当に僕の身に起きたことです。いや、そんなに身構えて読んでいただくような重たい話でも、幽霊を見た,とかいう系統の話(僕は、この類の話は怖くてまるでだめです。幸い向うでも僕には興味がない、と見えて、僕は俗に言う霊感の類が全然なくて未だに幽霊を拝顔したことはないです。)でもないし、読んだが最後、あなたはこの話を最低でも五人以上に言わなければ・・・なんていう話でもないです(でも、そういうことにしちゃったら読者が増えるからうれしいな。)。
 まあ『有体に言っちゃうとよく聞くような話なんだけど、自分に起こったもんだから驚いた』っていう挿話です。おっと『じゃあいいや』とか言って読むのをやめたりしてはいけません。

 今回この話を書くにあたって、さっき改めて『ええと、生まれたのはあそこで、それから幼稚園に入る前にあそこに越して・・』って声に出しつつ、指を折りつつ数えたら、僕は、生まれてから18回引っ越しをして、19か所に住んでいました。この数字には海外駐在したときにその市内で引っ越した回数は含んでいないので、それも含むと20回を超えちゃいますね。その頻度を皮膚感覚でわかっていただくために、定量的に例証すると、今もし僕が20歳だったら、毎年引っ越していた、という頻度になるわけです。
 ・・もちろん、20歳ではないですけど。単なる例証です、例証。
 その20回前後の引っ越しは、それぞれが大なり小なり僕という些細な個人の歩みに陰翳を織りなしていまして、中には甚大な影響を与えたものもあれば(例えば、海外駐在、とか)、さしたる影響を与えていないものもあります。
 その甚大な影響を与えた引っ越しのひとつは、僕の進学する高校をあっ、という間に変えてしまうというやくざなものでした。以前にも書いたけど、僕は、僕の第一志望の高校の、その高校のまた第一志望のクラス、に合格したにもかかわらず、今となっては僕の母校ですが、入学の数週間前までその存在さえ知らなかった(もちろん行く気なんてまるでないです。だって知らない高校なんだから。)高校に行くはめになりました。まあ、しょうがないです。個人的にはたいへんな精神的軋轢を被ったけれど『有体に言ってよくある話』です。

 僕は、中学のときは柔道部に入っていました。その実力はというとあんまり威張れたもんではないですけど、一応有段者だったし、某柔道強豪私立高校から柔道で進学しないか、という誘いもあったらしい、くらいですね。たいしたことはないです。当時住んでいた瀬戸内の地方都市市内では優勝するけど、県大会レベルだとまさに文字通り鎧袖一触で負けてきちゃう、っていう程度です。(強豪高校から誘いがあった『らしい』というのは判然としませんが、、実は部の顧問の先生から三年生になって練習していたある日、ついで話のように『ああ、そうそう、みどりと、誰と誰と、誰に某高校からうちで柔道やらないか、って話しがあったけど、断っておいたから。』って言われたからなんです。これは一見、顧問の先生が本人に意思確認もしないで断っちゃった、という暴挙にみえますけど、実はそうでもないんです。僕は、毎日真面目に部活動には出ていたものの、だからと言って特に柔道が好きでもなかったので、先生はこいつ柔道で高校に行く根性なんかある玉じゃないな、って推し量ってくれたわけです。29.5CMのオニツカタイガ―の靴を踵をふんづけて履くような巨大な体躯で某柔道強豪大学柔道部OBと言われていたその先生の気持ちを大人になった今思うと、ありがたいやら、申し訳ないやら、で複雑な気持ちです。)
 話が脇にそれました。

 さて、経緯はともかく僕は高校に進学しました。さしたる根拠もなく高校でも運動部に入らなければいけない、と義務感を感じていた僕ですが、上記のような経緯で高校に入学したこともあって、新しい生活の選択肢を考えることも面倒になってました。それで、もう活動も『・・柔道でいいか。ま、せっかく段も取ったし。』と好きでもない柔道を続けることを半ば投げやりに決めていました。ところが日本の高校としてあろうまいことか、僕の高校には柔道部が無かったんです。これは予想外でした。
 僕は、野球やサッカーなどには興味はあったものの、今さら昨日まで住んでいたところから1,000KM以上も離れたひとりの知り合いもいない未知の土地で、経験者に混じって新しいスポーツをやるような覇気は残っておらず、はて・・と困惑しました。そして、経験者の割合がたぶん比較的に少なさそうなこと、加えてその当時好きだった小林まことさんの『一二の三四郎』という漫画の主人公が、ラグビー→柔道→プロレスと歩んでいたことが頭を掠めたこと、もあって、じゃあ、ラグビー部にでも入るか、と向うからは勧誘もされないのに、安易にラグビー部にはいることにしました。実はこの安易な選択が僕のその後の人生を殆んど決定づけてしまう大きな要因になるんですけど、それは今回の本題ではないのでやる気がでたら、また別の機会に書きます。面倒だったら書かないかもしれません。ま、これもそれも大した話ではないですから。

 兎も角も、そういう安直な動機でラグビー部に入ってみると、果たして僕の目論見通り、新入部員全員がラグビーの未経験者でした。そのうえ、時あたかもラグビーブームでさして大きくない普通の男女共学の公立校でありながら、確か、全部で16人の入部者がいたように記憶しています。
 しかし『練習がきつい』『勉強と両立ができない』という理由から(僕の高校のラグビー部は決して強くなかったんですけど、そもそもラグビーというスポーツ自体がきついスポーツなので、たぶんどんな弱小のラグビー部でも高校からラグビーを始めた少年たちは程度の差こそあれ、しんどい思いをするんじゃないか、と思います。)何回かの『集団退部ブーム』が起こり、二年生になる頃にはたったの六人しか残っていませんでした。僕もしんどいなあ、と思いながら、加えてラグビーに特に面白みを感じるでもなく、ただ、なんとなく『部活動というものは休んだり途中でやめてはいけないもの』という偏見を持っていたために、第一次集団退部ブームにも第二次集団退部ブームにも淘汰されず、いや僕の場合はどちらかというとブームにも乗りきれず、ってほうですかね、気がついたらその残った六人の中にはいっていました。

 結局、この六人が僕らの学年ではラグビー部員として卒業写真に収まることになりました。僕以外の五人を簡単に紹介すると(全員無断で書いちゃいます、ごめんなさい。)、

 山案山子・・副将で、僕のブログにもこれまで何回も登場した
       男です。これまで散々登場しているので参照する
       過去の文章は多すぎるので書きません。
       すみません。

 藤代・・・・存在事態が、ラグビー部の不徳、
       『天性の憎めるいたずら者』です。
       2011年5月28日『板ばさみ。』
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-51.html
       2011年8月13日『パレットナイフ。』
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-62.html
       2011年8月21日『パレットナイフ。外伝。』
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-63.html
       ご参照ください。

 大林・・・・体は大きくないけど、一番の怪力でした。70㎏に満
       たない体重でありながら、高校二年のときベンチプ
       レスで110㎏を持ち上げてました!僕は彼とはしてな
       いけれど、たぶん喧嘩は一番強かったでしょう。
        とにかく肝の据わった男で、ある数学の新婚の先
       生が、休み時間に僕と大林で、筋トレをしている所
       へ、『おお、ちょっと俺にもやらしてみてくれ。・
       ・・おお結構おまえら力あるんだなあ・・案外重い
       じゃないか、ううう』と真っ赤になって、唸りなが
       らバーベルを上げている真っ最中に、いきなり先生
       の耳元で『先生、新婚って週に何回くらいHやるん
       ですか?』って囁く、というように、見ているこっ
       ちが、はらはらするような言動をとる男でした。
       ちなみに僕も大林も数学はよくぞ進級できた、とい
       う成績でしたので、どっちかというと僕なんか数学
       の教師と廊下ですれ違うのもいやだったんですけどね。
       2010年12月25日『大豆(おおまめ)に隠された真実。』
       ご参照ください。
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-33.html
       ついでに言うと、僕は、大林とは幸いにして一回も
       喧嘩をしませんでしたけど、藤代とはよく喧嘩をしま
       した。『よく』とはどれくらいかの頻度かというと、
       取っ組み合いの喧嘩、レベルの低い罵りあい、を含め
       て僕の記憶にあるのは5,6回程度、なんですけど、卒
       業して数年たったあと、これもすでに卒業していた僕
       らの2期下のスクラムハーフに『いやあ、僕ラグビー部
       に入部した初日の練習中に、みどりさんと藤代さんが、
       すんげえ勢いで喧嘩していて、この部はいったい大丈
       夫なのか、と不安になりましたよおお。』って言われ
       たその『練習中のすごい勢いの喧嘩』が『僕の記憶の
       中の5,6回には、実は含まれてはいない』っていう
       くらいの頻度ですかね。       

 さとる・・・山案山子に家の前に眼鏡をおいていかれた男。
       2011年5月21日『定量的と定性的。』ご参照下さい。
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-50.html
        この男は、当時は無かった言葉ですが、今でいう
       『空気を読めない』男の典型で、だ~~れにも聞かれ
       もしないのになんなんとするところ高校三年生の某日
       に『俺は現役で早稲田に受からなかったら、いのかし
       ら公園の池を泳いで渡って見せる!』と宣言して周囲
       を唖然とさせてました。結果は本人の名誉のためにこ
       こでは触れませんが、その後彼がいのかしら公園の池
       を泳いだ、という話は寡聞にして今に至るまで聞きま
       せん、とだけ記しておきます。

 豊田・・・ 同期の良心。温厚篤実、唯一の文武両道、の男でした。
       大方の予想に反して一浪はしたものの、見事に某旧帝
       大へ進学し、そこの相撲部の主将もつとめあげました。
        ただし!これは僕だけが知ってることかもしれませ
       んが、まがうことなき『学校いち上履きの汚い男』
       でした。
        どれくらい汚いかというと彼のそれは上履き、とい
       うよりも『元上履き』と呼んであげる方が適切ともい
       えるもので、上の部分が尖端のゴムの部分を除いて殆
       んど疲労除去されてしまい、『汚い』を通り越して
       原型をとどめておらず、かろうじて靴底と残った尖端
       のゴム部分で『スリッパ』のように履物としての機能
       をこなしている、にすぎませんでした。いつ買い替え
       るんだろう、とその崩れゆく元上履きに注目していま
       したが、とうとう一緒に卒業してしまいました。

 すみません、これでも簡単に説明したつもりです。
 こういう5人と僕、が当初の16人から残ったわけです。その後、僕らは高校を卒業し、それぞれの人生を歩んでいるわけですが、ラグビー部は同期のみならず、上下を含めて今でも交流があります。
 
 そんな交流のあるひとつの機会に、いつだったか正確には覚えていないんですけど、もう僕らが社会人になってかなりの年数がたっていたある時だったと思います、僕が顔を出したら、そこにきていた大林が、僕の顔を見るや否や、噴き出しながら、
 「だいず(しつこいですが僕の仇名です)、おまえ、
  おおひがし、さんって知ってるだろ?」
 って言いだしました。
 「・・・え?・・・」
 僕の、この時の『え?』はちょっと複雑で、知っているかいないか、と言うと、間違いなく『知っている』んです。でもその僕の知っている大東さんと、いきなり大林の口からでてきた大東さんは99%違うひとのはず、と思われたんです。それで、なんて返答していいかわからなくて『・・・え?・・・』になっちゃったわけです。

 僕の知っている大東さんは、父親の友人です。もっというと父親の会社の同期入社の方だそうです。だから父親とはわりと近い関係であろう、と『推測』されます。僕と大東さんは今に至るまで全く面識がありません。じゃあ、なんで僕が大東さんのを知っているんだ、というとこれがまことに些細なことで、父宛に来る年賀状がきっかけなんです。

 父親には毎年数百通という尋常でない数の年賀状がきます。その量の多さは僕の推測によれば父親の人望、というよりもどうも『父親の勤務先の虚礼好きな会社文化』に拠るところも少なくないようです。とにかくたくさん来ます。
 ある年、まだ僕が中学生くらいだったと記憶しています(つまり上記の5人に出会う前のことです)。見るとはなしに、父親に来た年賀状を眺めていたら、珍しい名前の差出人に出くわしました。その名前は中学生の僕をしても思わず、
 「ねえ、お父さん、これ誰?本名なの?」
 と質問をさせるようなものでした。
 「うん?おう、会社の同期だ。変わった名前
  だろう。本名だ、本名。」
 「へえーー。」
 その差出人こそ誰あろう、大東さんだったんですね。もともとやや(やや、です。)珍しい名字をお持ちですが、中学生の僕が興味を惹かれたのは、そのフルネームです。名字と名前を続けて読むとまるでどこぞの国粋主義団体代表、みたいないかつい名前になるんです。
 「大東 亜共栄」(もちろん仮名です。)
 っていう感じですかね。
 「へえーー、インパクトあるねえ。
  一回名刺交換したら忘れられないね、こら。」
 と中学生の僕は偉そうに、しかし、心底からその名づけの背景をあれこれと想像して、感心しました。
 父親は同期のうちでも、比較的大東さんとは昵懇と見えて、毎年年賀状を頂いています。それで、僕は、毎年とはいわずともしょっちゅうその名前をちらりと拝見しては、おう、またきてるぞ、武骨だけど、インパクトがある名前だよなあ、一体誰がどういう思いで名づけたんだろう、なんて失敬な感心を勝手に繰返していたわけです。

・・・だから、大東さんを知ってるか、って言われても僕が思い浮かぶのは『父親のところに年賀状を送ってくるフルネームがいかつい大東さん』だけで、それ以外にはそういう名字の人は知らないし、その大東さんにしても会ったことはないから、もちろん向うは僕を『知人』とはみなしていないでしょうから、大林の質問にはつまってしまったわけです。知ってるかといわれると知らんでもないけど、俺の知ってる大東さんは父親に来る数百枚の年賀状の中で勝手に僕に注目されている一人、にすぎないので、珍しい名字とはいえ、その『大東さん』と、僕がひょんなアクシデントから行かされた高校で安直に選んだ運動部で得た生涯の友人の口から出てきた『大東さん』、は99%別の人だと思われたからです。だって、仮に父親の同期つったって何人もいるわけですから父親の同期の方の名前を全部僕が知っているなんてことはありえない訳で、たまたまその年賀状にあるお名前に僕が中学生のある正月にインスパイアーされただけなんですから。

 大林は僕が返事を保留しているのに、完全に僕が知っている人という前提で半ば爆笑しながら続けます。
 「ぐふふ、俺、その日さ、拓也さんと遊ぶ約束しててさ」
 これまた、たまたまその日、大林は僕らの高校のラグビー部の3つ上の先輩、すなわち僕らが入学したとき入れ替わりに卒業している代の先輩です、と遊ぶ約束をしていたらしいです。ラグビー部にとってはこういう在学期間の重なっていないOBが親しくする、ということはよくあることなんですね。でもその日、その時大林が他ならぬ高校のラグビー部のOBとそういう約束をしていた、というのもあとで考えると不思議なことです。
 「したっけよお、おれ、人身事故おこしちまってよ!」
 「ええ!」
 笑ってる場合じゃないでしょう!僕は最早大東さんなんてどうでもよくて、そっちのほうに驚いてしまいました。しかし、大林は逆に事故そのものなんかどうでもいい、って感じで、たまたまその場にいた拓也さんにも、
 「ほら、こないだ、僕が事故したからって
  ドタキャンした時あったじゃないすか?」
 って、にたにたしながら続けてます。
 「お、おい人身事故っておまえ大丈夫だった
  のか???」
 真面目に彼と彼に起こったことを案ずる僕に構わず、大林は僕と拓也さんの両方にむかって続けます。
 「そしたら、そのぶつけちゃった相手がみどりの
  知ってる・・」
 「え????」
 そうか、訝しながらもそれ以外はあり得んとはおもったけど、大林が起こした事故の相手が父親の同期の『大東 亜共栄』だったんだ!なんていう偶然!と僕は驚きました。
 「それで『そのこ』のお見舞いに言ってよお、」
 ???『そのこ』?どういうことだ?やっぱり大林が『大東亜共栄さん』と事故を起こすなんて偶然すぎるよな。でも『そのこ』って・・、
 「あのさ、よくわかんないんだけど、
  俺の知ってる大東さんんてのは・・」
 「いや、そうなんだよ。その女の子が入院
  しちゃって・・」
 「いや、だから女の子じゃなくて・・」
 こら『おおひがし違い』だろう。だって、僕と、父親と、大東亜共栄さん、と大林、の関係には『女の子』という登場人物はあり得ないんですぞ。そうじゃなかったら、『みどり違い』とかさ。
 「違うんだって。俺が怪我させちゃったのは
  若い女の子なんだけど、その人のお見舞いに
  行ってさ、でも話すことないから、どこの
  出身ですか、なんて話しをしてたらさ、」
 「・・ふん。」
 「いえ、転勤族でいろんなところをうろうろ
  していて、どことか、そことか、あとxx市
  とかって言われて。」
 !!xx市というと僕がかつて住んでいた20か所のうちのひとつです。なんだかよくわからんけど、僕には馴染みのある言葉が出て来たぞ・・・。
 「それでさ、俺が、ええとxxって確か僕の親しい
  友人も住んでいたって聞いたような・・、ええと
  父親の会社はたしか・・で、なまえは、みどり・・」
 と大林が、場を持たせるためにその地名にかこつけて、以前聞かされた話を記憶を頼りに、なんとはなしに僕の名前まで口にしたところ、
 「その子がよ、いきなり携帯を取り出して、すんげえ
  興奮して嬉しそうに電話をはじめて」
 「うれしそうに?」  
 「そうなんだよ、それでさ、でっかい声で、
 『パパ、パパ、聞いて、聞いて!私に怪我させた
  人ってみどりさんの息子さんの親友なんだって!!
  すごくない!?すごいよね!』って言うわけよ!」

 ・・え?え?!ええ~~~~!
 
 みなさん、この時の僕の驚きがじわりと、しかしとても高くなっていった様子、おわかりになりますか?
 まず、もちろん、僕が僕なりの紆余曲折を得て出会った友達が、父親の同期の娘さんを相手に人身事故を起こしてしまった、という偶然にも充分驚きですが、それ以外に、

 *そもそも、大東さんに娘さんがおられたことを
  僕はその時、大林から聞くまでしらなかった。
 *大東さん一家は、僕が把握していないうちに
  僕らがかつて住んだ瀬戸内のある地方都市に
  転居をされていて、僕が住んだ丘の中腹に
  ある全く同じ社宅(それも平屋の一軒家です)
  に住んでいた。
 *どういう経緯かわからないけれど、僕がそうで
  あったように、大東さんの娘さんも彼女の父親
  の何人もいる同期の中で『みどり』という名前
  を知っていた。

 ということが一挙に判明したからです。
 仮に大林がお見舞いにいって、それで、出身地の話をして、かつ、xx市という地名が会話の中で言及されても、もし、大林がその場でその地名にかこつけて僕の名前を言いださなかったら、あるいはもし、そうなったとしても大東さんの娘さんが自分の父親の同期として僕の父親の名前を記憶していなかったら、この事故の偶然性が日の目をみることはなかったでしょう。

 数百枚のうちの一枚の年賀状という偶然と、僕一家と大東亜共栄さん一家が同じ社宅に前後して住んでいたという偶然と、大東さんの娘さんが僕の父親の存在をどういうわけか知っていたという偶然と、大東さん一家がその後いつのまにか僕らと同じ地域に住んでいたという偶然と、最後に怪力大林が事故を起こした相手がたまたま大東さんの娘さんであった、という偶然、が一気通観に合致した出来事でした。

 『有体にいって、よくありがちな話』ですけど、僕には本当に驚きでした。

 ちなみに、大東さんの怪我は大事に至らず、そのあと、大林は被害者である大東さんの娘さんと大いに打ち解けあって、あろうまいことか、なんとその後その二人が幹事になって『合コン』までしちゃったそうです!!
 断っておきますが、僕はその合コンには参加してません。・・別に参加していないからえらい、ってことはないんですけど。
 
 お互い交通安全には、くれぐれも気をつけましょう。
 
 ・・・それにしても、豊田の上履き・・凄かったなあ・・・。

===終わり===
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プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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