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引き出し。

 「国際結婚は、そうじゃないひとと比べて、
 『喜び二倍、悲しみも二倍』なんだって。」

 ほら、僕って、国際結婚じゃないですか?
(ええと、以前、こういうふうに『そんなことあり得ないのに、如何にも客観的かつ普遍的な前提であるかのように自分のことを半分疑問形でしゃべる』若者が現れたとき、ある著名な文化人―たしか天野祐吉さんだったと記憶しているんですけど-が、
 「先日、初対面の若者に『ほら、僕って遠距離恋愛じゃ
  ないですかあ?』て言われて、『知るかそんなの!』
  って腹が立った。」
といった趣旨のことを言われていて、思わず噴き出しちゃったことがあります。僕はそういうものの言い方はしないんですけれど、しないだけに、笑っちゃったことをふと思い出した事も手伝って、今回、ちょっと真似してみました。だって、今はこのブログの読者って94.3%が僕の身内じゃないですか?でも、将来このブログが大ブレークしたときに、ほら、今回の文から読む方もいるかもしれないじゃないですかあ?ん?そんなことあり得ない?あ、そうすか。)
 それで、あんまりまだ今のさい君との結婚を真剣に考えていないときに、たまたま日本で働いているナンシ―さんという、香港人にして日本の男性と結婚された女性と業務上接触する機会があったので、(ナンシ―さんの日本語は読み書きも含めてたいへん流暢です。)深い考えもなく、唐突に彼女に聞いてみたことがあります。
 「ねえ、ナンシ―さん、国際結婚って、やっぱり、
  いろいろとたいへんなの?」
 すると、僕の放った質問の不躾さにも、ナンシ―さんは嫌な顔ひとつせず(今思うとかなり失礼だったと、猛省しています。)その流暢な日本語で、
 「国際結婚は、そうじゃないひとと比べて、
 『喜び二倍、悲しみも二倍』なんだって。」
 と、しかし伝聞の形をもって、返答してくれました。

 僕は、『へえ、根拠はわかんないけど、なんとなくうまいこというなあ・・・。でも悲しみ二倍ってなんだかた面倒くさそうだな。』と漠然と思いました。けしからんことに、自分の感想は覚えているくせに、その時、ちゃんとナンシ―さんにお礼を言ったかどうか、は記憶にありません。記憶にないくらいだから、たぶんまともにお礼していないんだと思います。無礼にも程がありますね。

 その後、とどのつまり、僕はさい君と国際結婚をしてしまって、しちゃっただけじゃなくて、現在進行形なわけですが、結論から言うと『日本人の奥さんをもらった場合に比べて喜び二倍、悲しみ二倍』の真偽はというと、皆目わかりません。
 なぜって、僕は日本人と結婚したことがないので、比較のしようがないんですよね。
 友人や同僚の結婚生活の話を窺って『ほう、そういう嫁さんもいるのか』と、『その日本人女性と、もし俺が結婚していたら・・・』なんて、あらぬ想像を逞しくしてみても(いや、もちろんそんな微に入り細に穿って仮定上の結婚生活を『全方位的に妄想している』わけではないので変な誤解はしないでください。)、あんまり意味がないし、それに何より-愚かなことにこれは結婚してみてから気付いたんですけど、-当たり前といえば当たり前ですが、僕は『国際結婚を完遂したことがある』わけではなくて現在進行形なんですよね。
 だから『喜び二倍、悲しみ二倍』なんて含蓄のある警句を吐ける境地にはとても到達していないわけです。

 ただ、ははん、これは伴侶が日本人ではあり得んな、っていうことには当然頻繁に出くわします。

 これも以前に説明したと思うんですけど、我が家の公用語は、さい君の母国語である南半球に首都のある某国の言葉です。
 さい君は、彼女のマザー・タンであるところの母国語と、後天的に会得した僕よりずっと流暢な英語と、これも後天的に留学で習得した北京語と、片言の日本語をしゃべります。僕はというと、日本語と、後天的に膨大な時間をかけたはずなのにとても習得したとは言い難いブロークンな英語と、日常会話レベルのさい君の母国語をしゃべります。そういうお互いの語学力レベル妥協点模索の帰結として、さい君の母国語が家庭内公用語になってしまっているわけです。
 息子は、両方 ― 僕に言わせると、ブロークンな日本語と、ブロークンなさい君の母国語、なので、こいつ、よく考えたらまともにしゃべられる言語はひとつも持ち合わせてねえじゃんかよ、って危惧されるべき状態なんですけどね。たまに妙な日本語をしゃべっていて『ははん、こいつあっちの言葉で考えてから日本語に訳したな』と推測するとうまく理解できたりします。-、を一応しゃべります。僕は負けていないつもりなんですけど、ことこの家庭内口語の発音に限っては、さい君曰く、あきらかに僕よりも息子のほうが優れているそうです。

 要は、僕が一歩家に入ったら、頭の中にある『言語の箪笥』の『日本語って書いてる引き出し』をぱしゃん、と閉めて、『さい君の母国語名がタイトルになっている引き出し』をガタゴトと開けて、ネイティブのさい君と『ネイティブっぽい』息子に合わせるわけです。

 それで、まあ、なんとか日常生活の中では特に言語が原因で『悲しみ二倍』なんてことには今のところはならずにすんでいます。でも、たまに勘弁してほしいなあ、これはちょっと『二倍』と言わないまでも、少し悲しいんではないかしらん、と心から思うのは『僕がテレビを熱心に見ているときに、さい君が猛烈な勢いで話しかけてくる』ことです。(しかし、なんで女性というのは本人ですら論点が何かわかっていないんじゃないか、というくらい、どうでもいいことを口角泡を飛ばす勢いで自らの伴侶に毎日毎日浴びせかけることができるんですかね。)
 なぜかと言うと『両方一遍に聞けない、だけではなくて、どちらか片一方を聞くこともできないから』なんです。
 少し詳しく説明すると、まず、そもそもさい君の母国語は、僕にとってはあくまで『外国語』であってそれなりのエネルギーを注がないと理解できない言語なわけです。だから、テレビから出てくる日本語に集中しつつの『ながら聞き』はできないんです。じゃあ、引き出しを変えて、さい君の機関銃のようなおしゃべりに集中してあげればいいだろう、と思われるでしょうが、これも無理なんです。試みてはみるんですけど、できません。
 ほうなるほど、と僕自身感心しちゃうんですけど、テレビをつけたままさい君のおしゃべりに集中しようとしても、僕の母国語であるテレビから発せられる日本語は『勝手に頭にはいってきちゃう』んですね、これが。
 どんぴしゃり、の表現じゃないかもしれないけれど、僕という日本人にとって日本語は『失礼します』と生物学的理論に悖らずに耳から礼儀正しく入ってくる律義者じゃなくて、それに触れた海綿が一気に水を吸うように(注:かいめん、です。かいめん。かいめんxxではなく!)、自然と耳以外の体のあちこちから、非生物学的にやくざに、ばしゃばしゃと浸透してくる言葉、なんです。
 すなわち、斯様な状況になると僕はリモコンを手にしたまま、テレビにも集中できず、かと言って、さい君のいうことも全然理解できず、という隔靴掻痒な心境に陥ります。そして結局のところは、さい君のおしゃべりに付き合うために一部のスポーツ放送のように『音がなくても、かろうじて視覚だけでなんとか判断できる番組』以外を(例えばお笑い番組とか、ニュース番組とか、ですね。)見ているときには、『くそう、いいところなのにな』と思いつつテレビの電源を落として、さい君の『きょうだれがどうして、こうして、それで、こうなって、ああなって・・・・』という、起承転結の全く把握できない長い長い外国語、につきあうはめになるんであります。

 先日も、やはり『これから面白くなりそうなのに』というときに、さい君の機関銃連射が始まったので、おとなしくテレビの電源を落とし、おもむろに頭の中の引き出しを替えて、これも夫婦の会話のひとつってやつなんだろうからなあ、とさい君の話しを聞いていました。その日は、息子の寝言について、でした。

 うちの息子は、寝言はもちろん、とうに熟睡しているはずなのに夜中に唐突に、がばりと半身を起し左右を見渡して、またばたりと寝てしまう、など、少し睡眠中の寄行が散見されます。だからといって僕もさい君もあまり心配などしてません。むしろ、可笑しな奴、と笑ってたりします。
 どうも昨晩もその奇行癖が出現したらしく、それをさい君は僕に詳細に報告しはじめました。
 「昨日夜中にね、フジが大声で寝言を言って・・」
 「ふむ。」
 なんだいつものことじゃんかよ、テレビを止めて聞くことの程でもないんじゃないのか・・・。
 「突然ね、日本語でね。」
 ほう、昨日は日本語の寝言か・・
 「うん。」
 「こうやってね、」
 とさい君は、息子の動作を真似て、やにわに下腹部を抑えました。
 「・・??」
 「こうやってね、日本語でね、」
 「・・・」
 「すごい大きな真剣な声でね、」
 「・・」
 「ね、『な、なんだ!なんだこりゃ?な、なんだこりゃ?
  なんだこりゃ?』」
 「・・・そ、それは!」
 僕は、あっけにとられて、やがてケタケタと笑いだしちゃいました。

 信じがたいことに、その動作、そのセリフ、それは『太陽にほえろ!』の、あの名シーン『ジーパン刑事・殉職』そのものだったからです!なんで、さい君がジーパン刑事の殉職シーンを僕の前で演じているんでしょうか!?僕は、別に『太陽にほえろ!』や松田優作の熱狂的なファンでもなんでもないので、あのシーンはなんとなく知っている程度のはずなんですけど、さい君の名演技は即座にその名シーンを僕に想起させる程の見事なまでに、まるで模倣したとしか思えない出来栄えでした。
 しかし、外人であってジーパン刑事など100%知らないはずのさい君が、突然憑かれたように僕の眼前で、『息子の寝言』として名演しはじめたのはどういうことなんだ?
 僕は笑いつつも、まだ半ば呆然としています。
 「それでね、またいつものことだと思って、
  相手にしたなかったんだけど・・」
 「・・けど?」
 「ず~~っと、『な、なんだこりゃ!なんだこりゃ!』
  てやめないの」
 とまだ演じ続けるさい君です。
 「それでね、あんまりやめないから、
  フジ、何、どうしたの、って聞いたら、」
 「うん。」
 すると、ジーパン刑事、いや、息子を演じ続けるさい君は、いきなり、僕の手をとって、
 「フジがこうやってね、私の手をとってね、」
 「手をとって・・?」
 「こうやって『なんだこりゃ!』って言いながら
  私の手をフジのアソコに・・」
 「!」
 僕は今度は慄然としてしまいました。我が家の二十一世紀を担おうかという息子は、8歳にして性的倒錯者になってしまったのでは!これはジーパン刑事どころの騒ぎではないですぞ!
 「どういうことですか!?」
 「・・おねしょ、してた。
  それも、たくさん。」

 なんじゃ、そりゃあああ!

 結局、単なる寝小便を『ジーパン刑事・殉職』にまで昇華せんとした(?)息子は、その場でさい君に起こされただけではなく『オネショ小僧・叱責』となり、叱り飛ばされて風呂場で局部を洗って下着を替えることを強要されたそうです。

 ええと、この場合、伴侶が日本人なら、息子が『なんだこりゃ!なんだこりゃ!』ってやってた、というところで、すかさず、
 「松田優作かよ!」
 なんて言って、大笑いして、感情を共有しあえるところですが、さい君は『太陽にほえろ!』はもちろん、松田優作も知らないようなので-僕も説明するのは面倒なので今に至るまで説明してません。―そういうわけにはいかず、強いていうと-それでも『よそ様の二倍』ってことはないです。-、『国際結婚ゆえの悲しさ』といえば言えないことはないですかね。

 でも『外人の奥さんが息子の真似と称して突然始めたジーパン刑事のまねと、その原因になった息子の間抜けぶりに、意表をつかれて笑ってしまった。』うえに、いまだに思い出し笑いをすることができる、のは確かに他人様の二倍はゆうに越えて嬉しいです。この意表のつかれ方は、日本人同士の結婚ではあり得ないです。うん。

 ・・・大量のおねしょしといて、「な、なんだこりゃ?」だもんなあ。それに、ほら、僕の父方の従兄弟と松田優作って同じ高校じゃないですかあ。え、そんなこと知らない?・・そうすよね。


===終わり===
 


 
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緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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