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ホ―レ―ショ―の転換点。

 僕は、ごくたまにですが、つつましくも愚直に生きて来たつもりなのに、なんでこんな信じられない状況の中に俺はいるんだろう、って不可思議に思うことがあります。

 どうも、親として真剣に対応しなければいけないようです。
 息子のことです。数年前までは『こいつ我が子ながら光るものが皆無だ。でも、隣の組の担任の先生とか妙に他人に好かれてるみたいだから、まあよしとするか』っていう感じであんまり気にしてなかったんです。が、さすがに息子が年齢を経てくるにつれて、僕自身の息子と同年齢の頃の記憶、がだんだん具体性をもって彼の言動と比較できるようになってから、なにやら心中穏やかならぬ気分なんです。
 
 まず、性格です。
 がさつ、なんです。だれに似たのかな、と思うくらいがさつです。ええと、たしか中学のときの理科の授業でメンデルの法則を習ったときに『獲得形質は遺伝しない』と教わった覚えがあって(親や先祖が努力して得たものは遺伝しない、っていうことですね。)そのひとつに『性格』も入っていたような気はしますが。嫌いな食べ物は必ず最後まで食べないでなんとか免除のチャンスをうかがっているし、いやなことはいつも後回しなんです。宿題も、歯磨きも、毎日必ずやらなければいけないことが明らかなことさえ、母親にうるさくいわれるまでやりません。
 それに子供のくせに『功利主義色が濃い』んです。ふと気がついて僕が息子の筆箱をみると、必ず、芯の先のちびて、持ち手の木目の部分が手垢で黒く変色した、悉く短い鉛筆が5,6本並んでいます。『あれまあ、こんなに短い鉛筆、大人の手ではまず握れないな。しかし、芯もほとんど扁平しきっているし、こいつ不便を感じないのかなあ』と不思議に思います。彼の筆箱には小さな鉛筆削りが入っているにもかかわらず、です。明らかにその内容は『書けりゃあいんだよ』と暗黙裡に息子の性格を具現化しています。
 プリント類もまともにたたんで持って帰ってきたことがないです。いや、そもそもがその日に渡してくれればまだましなほうで、本来なら2,3日前に親にわたさなければいけない学校からのお便りを、遅れて、斜めにおられたり、ランドセルのそこでぐしゃぐしゃにされた状態で持ってきたりするんです。
 ちびた鉛筆といい、ぐしゃぐしゃのプリントといい、僕が彼の性格において気になってるのは、そのがさつさそのもの、ももちろんそうですが『それでよしとしている』本人の目に余る無頓着ぶり、なんです。

 息子は毎日、他の生徒さんと同じように、翌日に用意するものを『れんらくちょう』に先生のご指示で書かされて帰ってきます。れんらくちょうは、うえに「つき」「ひ」「ようび」の欄があって、その下に時間割と持ってくるものを書くわけです。6月20日の月曜日に帰るときは、

6 21 火 国語、算数、体育、図工、ストロー、牛乳パック。

 ていう感じになるわけです。ところが、ある日、ふと息子の連絡帳をみたら、あまりの適当さに脱力してしまいました。それは、すでに数日前から続いていましたが、息子は枠からはみ出した、お世辞にもきれいとは言えない字で、「つき」の欄に「あ」を、「ひ」の欄に「し」を、「ようび」の欄に「た」、を書いてるんです。

あ し た 国語、社会、理科、音楽 ふえ。

 ・・・。そら確かに必ず翌日のことを書くわけだから、「あ し た」には違いないですけど・・。これこそ行きすぎた功利主義です。

 『加本法』という言葉はご存じですか?
 これはあるリスクに目をつぶればある種の性格をもつ人間にとってはたいへんすぐれた手法です。
 息子の場合を例にとってみましょう。宿題や、歯磨きと同じく、彼は『次の日の授業の用意』にもなかなか手をつけません。母親に何回か怒られて、やっと重い腰をあげて用意をします。ところが、ある時を境にして、用意にしかかるのは遅いものの、用意そのものにかかる時間が妙に早くなりました。
 「フジ!明日の用意!」
 と、さい君がさい君の母国語で言うと、息子は、のそりと自分の部屋に入っていきます。で、すぐ出てきちゃうんですね。
 「フジ!明日の・・」
 「うん、もうできた。」
 と、これまたさい君の母国語で返答する息子。おう、最近、いやに素早いなあ、要領を得てきたのか、と感心していました。
 ところがそうではなかったのです。息子は、翌日の用意に『功利主義に基づいた加本法』を実践していたんです。どういうことかというと、例えば、今日の授業が、
『国語、算数、図工、図工、音楽、持ってくる物、新聞紙、ふえ。』
 で、翌日が、
『あ し た 国語、理科、算数、体育、社会』
だったとします。ここで『図工、音楽の教科書や材料をランドセルから取り出して、理科、体育、社会に必要な教材を入れる』のが一般的にとられる手法です。ところが、どれくらいの期間、さい君や僕が気付かなかったのかはわかりませんが、息子はこの場合に『理科、体育、社会に必要な教材をいれる。以上』という『加本法』を無意識のうちに採用していたのです。学校の準備において、この手法を用いた場合に秀でているところは、およそ一週間続けると何も『加える必要がなくなる』という点です。足していっているあいだにある時、あら不思議、ランドセルの中味がすべての科目に必要な教材を網羅してしまうわけです。
 この『ある時』を、それを提案した社会学者の名前から『加本法におけるホ―レ―ショ―の絶対充足転換点』あるいは単に『ホ―レ―ショ―の転換点』と呼びます。自分でも気付かないうちに、その転換点を越えて以来、息子は、一応中味を部屋に確認しには行きますが『ふむ、特に足すものはないな』という結論ですぐに戻ってきちゃうわけです。しかし、この手法には大きなリスクがあります。即ち『ホ―レ―ショ―の転換点』を超えて以後、その手法の実行者は『不必要なものの負担も継続しなければならない』ことにあります。つまり息子の場合は、ある日を境に『毎日全科目の教材をランドセルに入れて登下校』していた、ことになるんであります。これでは『明日の用意』がどうりではやいはずです。
 ここにも『授業を受けることに支障がなきゃいいんだろ』という息子の性格の杜撰さが垣間見られます。
 あきれます。

 次に、学力です。とくに、国語です。
 どうもあまりよろしくないんです。幼稚園や、一年生のころは『まあ、男の子は言葉が遅いっていうしな』とか『まあ、こいつは早生まれだからな、低学年の頃は差が出やすいとかいうしな』、その次には『ええと、たしか混血は発育が遅いって、誰かが言ってたしな』と、色んな理屈をつけて目をそむけていましたが、冒頭に述べたように自分の過去との比較の精度が否応なく上がってくるにしたがって『・・・俺、三年生のとき、いくらなんでもこんなんじゃなかったよな・・』と思うようになり、これは、ひょっとしてこの男はいわゆる『頭の出来の悪い人間』ではないか、という不安が頭をもたげてきているのです。

 息子の宿題のひとつに、音読があります。課題文を親の前で音読し『音読カード』に親がサインをすることになっているんですけど、だんだん内容がさい君では手に負えなくなってきて、勢い、
 「フジ!オンドク!パパに聞いてもらいなさい!」
 と『まあ、ここは日本人同士で・・』ということが多くなります。僕もさい君の立場もわからないではないので、息子の音読につきあって一緒に文章を目で追って正確に読めているかチェックするわけです。でもたまに、面倒だなあ、と思うときは、文章を目で追うのをさぼって聞くだけ、のときもあります。
 つい先日も、いろんなことで悩んでいたので―僕は悩みが本当に多いです。それでたいていは解決しないので、どんどん増えていきます。加本法みたいです。でも加本法と違って、僕の悩みの場合は増えたからといっていいことはあんまりありません。―その日は、目で文章を追わずに寝転がって天井を見ながら、僕のおなかを枕にしての息子の音読につきあってました。と、突如、日本人の大人である僕にも聞きなれない言葉が飛び出しました。
 「・・・へいきました。そこには刷毛が耐えていました。
  そこをすぎると・・」
 え、刷毛が耐えるって、何?何かの比喩か?だとしたらなにやら哲学的とすらいえるぞ、大江健三郎を音読しているわけじゃああるまいに、三年生にはあり得ないのでは?
 「おい、ちょっとまて。『そこには刷毛が耐えていました。』
  ってなんだ??」
 「・・??、おお!そこにはたけがはえていました、だね。」
『おお』ではない、息子よ。確か俺が三年生のころには冗談で言うならともかく、『竹が生えていました』を『はけがたえていました』なんて読み間違いしてたかなあ。

 漢字も苦手です。
 「パパ!漢字教えてよ!」
 と半分怒りながら宿題を持って僕のところにきます。漢字になるともう、さい君ではどうしようもないので当然日本人のところにくるわけです。(以前にも書きましたけど、さい君は北京語が少しできますが、耳で覚えた『獲得形質』なので、漢字は全然知らないんです。)
 「フジ、わかんない漢字はフジの漢字辞典で
  しらべなきゃだめだじゃないか。」
 「辞典にもないから、聞いてるんでしょ!」
 辞典にもない?どれどれ、なんだ、ちゃんと載っているじゃないか。
 「ほら、あいうえお順の目次でさがしたらここに
  あるじゃないか。」
 どうも、辞典をひくのも苦手みたいなんです。50問くらいある漢字の宿題のうち、7、8問が『辞典にもない』とかで空欄になってます。僕は、息子に安易に父親に聞けばわかる、と思わせないように、空欄になっている漢字を全部彼の前で辞典でひいてみせることにしました。
 「いいか、この字もあいうえお順の目次のここに、
  な、192頁って書いてあるだろ、それから、・・ん?」
 ふと、すでに埋められている字が僕の目にとまりました。それは、『のうぎょう』という問題で『のう』のところを埋めるように要求されています。それで息子がすでに埋めていました。しかし、なんか違和感、があるんです。でも既視感、もあるんです。だから一瞬、誤字なのか、字が下手なので間違って見えるのか、わからずに僕は思考停止してしまいました。しかし、そこはさすがに大人の日本人、すぐに誤字であることがわかりました。それは完全に息子の創作した架空の漢字だったんですけど『妙に説得力のある創作字』だったので一瞬わかんなかったんですね。息子の字は、上の部分、つまり『曲』はあってます。問題は下の部分で『辰』と書くべきところを、『岸』の下の部分を書いてたんです。ちょっと書いてみてください。なんかありそうな字でしょ。しかも人類の歴史を考えると、海や川に近いところで農耕と魚介類の狩猟をしてました、っていう『雰囲気』も持ってます。でも間違いは間違いです。
 「おい、フジ、これ違うぞ。」
 「・・・ちがう??」
 「うん。こうだ。」
 「ああ、そうか、そうか。」
 と書きなおす息子。ところが書き順はおろか、画数まで出鱈目です。『雁だれ』を一画で一気に書いてます。
 「おい、そこは先に『一』を書いてだな・・」
 「いいの!見た目が同じで、通じればいいの!」
 いや、そういうのはいかんです。それは、よくサラリーマンが自己保身を担保するためにどっちに結果が転んでもいいときに使う『総論賛成、各論反対』っていうやつで、そんなことをいまから覚えては・・。どうも杜撰な男です。

 つい先日の日曜日、息子に電話がありました。『しょうせい』君というお友達からです。どうもその日に遊ぶ約束をしていたみたいなんです。それはいいんです。でもしょうせい君、一年生なんですよね。いや、べつに一年生を批判しているわけじゃないんです。でも、その子に、
 「おい、みどり!」
 なんて呼び捨てされたうえに、すごく楽しそうに遊んでいる息子をみると『いや、おれが三年生の頃、一年生と遊んで楽しかったかなあ?』ってなんだか複雑になります。
 「フジ、電話だよ。」
 たまたま僕が電話をとったので、受話器をフジにわたします。彼は言いました。
 「おい、しょうせい、よく聞けよ。おれのおばあちゃんが、
  すいぞうがわるくてにんしんしてるから、えるびーえっくす
  をかってもらえなかったんだよ。わかるか?」
 全然わかりません。おまえのおばあちゃんは検査入院しただけで、もう退院して家にいるし、ましてや『にんしん』なんかしていないんであります。ところが、不思議なもので、それでフジとしょうせい君の会話は成り立ったみたいで、ほどなく電話を終えていました。この時も僕は思ったんです。へんてこな日本語で一年生と通じ合ってるっていうのもなんだかなあ。それに、いくらなんでも俺が三年生のとき、自分の祖母を妊娠したことにしたりしなかったと思うけどなあ・・・。

 さらに、過日、普段全然落ち着きのないこの男がめずらしく自分の部屋で、机にむかって微動だにせず集中しています。おお、ようやく集中して宿題をできるようになったか、そうだよな、いくら出来が悪いっつってもこいつも伊達に年齢は重ねてないんだよな、どれどれ、どんな宿題をしてるのかな・・・、と僕が息子の背後から、邪魔をしないように静かに机の上のものを覗きこんだ、そのときです。僕の存在にきづいた息子が、いきなり、
 「パパ!浜投げって妖怪じゃないよね?」
 と言いました。
 残念ながら息子は宿題をしていたわけではなく、椅子に座って、なにやら深く考えごとをしてたようです。そこへ入ってきた父親に渡りに船とばかりに考え事をぶつけたようです。
 僕は、てっきり宿題をしているものと思っていた息子にふいをつかれ、一瞬呆然としてしまいました。浜投げ???・・・妖怪??・・・。
 その時、-たぶん、その数日まえにたまたまテレビで見た陸上の日本選手権の映像のせいだと思うんですけど。たぶん。―僕の頭の中では、砂浜で海に向かってハンマーを投げようとぶんぶんと豪快に旋回運動をする室伏選手の姿が頭に浮かびました。しかもネット無し、です。僕はぶるり、と武者震いをしました。なんて剣呑な光景でしょうか。いかな室伏選手といえどもそこは人間ですから、もし間違えてあのハンマーが意図した海に投げられずに『浜投げ』だけに浜の方に飛んできたら・・・。いかん、いかんですぞ、室伏選手の自己ベストはたしか80M台だったから『浜投げ』をする室伏選手を中心に半径90M以内には立ち入ってはいけない。しかし、人間はいいとして、半径90M以内にある簡素なつくりの『海の家』はどうなる、近くに繋留してしまった小型の漁船はどうなる、あんなものの直撃をうけたら破壊されてしまうのでは!それに室伏選手はすごい体格をしているし、あの方はたしか、西洋人と日本人のハーフだから、それはまあ、日本人離れした顔つきはされているが、どちらかというとりりしい顔で、すごい体でかつ混血のために日本人離れしたお顔だから、といって『妖怪』呼ばわりなど失礼な、混血といえばあんたも混血なんですぞ、わかってるのか、息子よ・・・。
 「ねえ、はまなげ、ってようかいじゃないでしょ?」
 再度問い詰められた僕は、暫時室伏選手のネットなしの砂浜でのハンマー投げ、から離れて、息子の言葉を口の中で転がしてみました。
 「浜投げ、はまなげ、はまな・・!!
  なまはげ、のことか?」
 「おお、そうそう、はまなげじゃなくて、
  なまはげって妖怪?」
 「うう、妖怪、じゃあないな。」
 「だよね。」
 いや、だよね、じゃなくてだな、俺が三年生のとき、なまはげのことをはまなげ、なんていう幼稚な言い間違いをしてたかしらん・・・、それに三年性が机に座って集中してまで考え込むようなことか???

 そういうわけで、僕の家では、刷毛が耐えていて、おばあちゃんがにんしんしてて、それで室伏選手が砂浜でハンマーをぶんぶん振り回しているんであります。僕自身は、つつましくも愚直に生きて来たつもりなのに、なんでこんな信じられない状況の中に俺はいるんだろう、って不可思議です。

 尚、『加本法』はもちろん僕が息子をみていて思い付いた創作です。もちろん、『ホ―レ―ショ―の転換点』もさっき成り行きで書いちゃいました。
 『妙に説得力があった』でしょ?
 え・・・・?愚直じゃない・・・ですか?

=== 終わり ===

  


 
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緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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