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午後18時。

「ケイタ、ケイタの好きな看板なくなっちゃうよ。きっと。」
 三ヶ月ほど前、留守番をしていた僕に外出先から帰ったさい君が報告してくれました。

 僕が今住んでいる郊外の駅は、有体に言って『なあんにもない駅』です。

 (『住んでいる駅』といっても別に僕は『プラットホームで寝起きしてる』わけではありません。念の為。実は、今の僕の上司が『書類への執着が尋常でない方』で細かい日本語に異常に拘泥されるので、ここでもつい先手を打ってしまうんであります。彼がどういうふうに尋常でないかというと、さる日、彼も僕もたまたま出席していた比較的大きな会議で、そろそろ終わろうかというときに、やおら口を開かれたかと思うと、
 「浅田課長、『午後18時』という日本語は存在し
  ません。『午後6時』か『18時』と訂正してください。」
 と、配布されたその会議のためだけの資料の中味について、大人数の前でわずかな齟齬を指摘し、まじめな浅田課長はかしこまって恐縮しておりました。確かにまともな指摘かと言えばまことに無瑕疵、しかし、経費対効果としては如何なものかと。僕としては『午後18時』でも通じればいいんじゃないの、と思うんです。-もちろん、口にする勇気などあるわけもなく『思う』だけですけど。-ことほど左様に、微に入り細を穿つまで書類の添削に注力される方で、僕のような素直な会社員など『いったい営利追求業務の為に書類を作っているのか、はたまた、書類をつくるために生きているのか』と度々錯覚してしまうくらいであります。)

 それで、駅近辺がどれくらい寂しい駅かというと、だいたいが高い建物が全然ないです。駅舎が一番高いかな。南口はそれでも小さな漫画喫茶が一軒、これまた小規模なパチンコ屋が一軒、あとは本屋さんとか、クリーニング屋さんとか、ハンバーガー屋さんとかカレー屋さんとか、弁当屋さんとか、よくある小じんまりした商店街をかろうじて形成してますけど、僕の利用している北口にいたっては、いきなり小さな交番があって-僕はいわれなきことでこの交番で夜の2時まで、いや早朝2時って言わないと今の上司には怒られちゃうな、犯罪者あつかいされて尋問されたことがありますけど、その話は気分が悪くなるのでしません。話としては面白いんですけど。いえ、こらからさきもしません!ふん!-いきなり駐車場があって、コンビニと百円ショップと小さな食堂が数件あって、いつも老いた柴犬が店先で日向ぼっこをしている焼鳥屋があって、薬局があって、おしまい、っていう感じのさみしい駅です。おまけに、どういうわけだかこの駅の西隣り、東隣りの駅が、盛んに開発を繰り返し、巨大なショッピングモールだの高層マンションだのがどんどん建てられ、ますます、この駅の寂しさが際だってきていて、住んでいる人や(もちろん、しつこいですが『駅舎』にではなく、駅付近に、です。)通学以外の人がわざわざ降り立つことがあるような駅ではありません。それで、じゃあなんか不満でもあるのかというとそういうわけでもなく、僕はわりと気にいっています。緑が多いし、オフィス街との落差が激しいので、気分のオンとオフの切り替えを助けてくれます。まあ、オンつったって、大したことやってませんけど。これ、本当です。自分の作った書類に誤字脱字やへんな日本語がないか、推敲するのに二時間かけてたりしますので。

 ある日、いつもように駅をおりて家へ歩いていたときのことです。ふと、何とはなしに、駅のまん前にある青空駐車場の看板が僕の目に止まりました。その駐車場は結構、いや、かなりがらがらで、金網に張り付いているぺコンぺコンのベニヤ板の看板に書かれたペンキの文字も所々古ぼけてかすれています。ふつう、ですね。でも、僕はその内容をその日はじめて熟読して、とても気に入ってしまいました。

 僕はいつも思うんですけど、自分はどうしてこういうくだらない-といってはペンキ屋さんや駐車場の持ち主に失礼だけど-ことに気がついてしまうのか、不思議です。そして、その特異な能力-否、間違えても能力などと呼べるほどのもんではないです、ええと、いわば注意力が常にそういう状態で保たれている『散漫性』とでもいいましょうか-が、21世紀のビジネスシーンにおいて、経済効果に反映される分野が存在しないのはまことに遺憾です。あたかも、野球の存在しない国うまれてきたイチロ-選手かの如く、いやそういうほどのことは間違ってもないです、とにかく僕のそういう『特異な恒常的散漫性』が何かしら生産的なことに寄与したことが一度もないのは残念です。

 その看板は、先述のように一見するとしごくありふれた物です。だいたい縦一メートル弱、横三、四メートルくらいの大きさで、左右上下に四等分して描写すると、まず左上部分に『山川モータープール』とその存在意義が主張されており、その隣、右上部分に『有料駐車場 管理 西本不動産』と窓口になっている会社の名前があります。右下部分には、西本不動産様(以下敬称略)の電話番号とFAX番号があります。看板の昭和的な容貌を裏切らず、メールアドレスなどという今世紀的なものは書いてありません。そして、左下部分です。そこには『注意』とあり、改行された三行にまとめてやや小さい字で何やら書かれています。すなわち、ここは、がらがらで屋根もないけど駐車場ですよ、がらがらだけど(がらがらだから、かな?)連絡先はここですよ、と宣伝もかねていてちゃんと看板の機能は果たしています。
 しかし。ある尋常でない表現がその中に何気なく隠れていることは、僕の『特異な散漫性』からは逃れられなかったのです。問題の部分は左下部分の『注意』の下の三行にありました。句読点も含めて、忠実に再現してみましょう。

 一行目「ここは自転車置場ではありません」
 ふむ、なるほど、わかります。これほどがらがらで、屋根もなく、ただ舗装しただけでは『山川モータープール』と威張られても、つい自転車を止めたくなるのも人情ですが、西本不動産としては許し難い、当然です。ここまでは特に問題ありません。
 二行目と三行目を続けて転記します。

 二行目「あと自転車は、不要物として処分します」

 三行目「あと責任は負いません」

 ・・・・・・なんともいえないです。すごく気持ちは伝わってくるんですけど、この『あと』って必要でしょうか。だって、
  「自転車は、不要物として処分します。
   責任は負いかねます。」
 でも十分に言いたいことは伝わると思うんです。

 この違和感が僕の恒常的散漫性という特異な性質によって発見された時、僕は、思わず西本不動産から受注した看板屋さんの気持ちに思いを馳せ、想像を具体的に逞しくして、違和感を脳内満杯に感じてにやにやしてしまいました。そして『こういうのにきづく人ってあんまりいないだろう、看板は普通だけど、この二行は社会通念からすると普通じゃないよなあ。』と自分の希有な才能に酔いしれると共に、この看板を作成したときの看板屋さんの困惑に感情移入したんであります。

 当然看板屋さんは、西本不動産から指示された通りのことを書くことで報酬をもらっているし、それ以上のことをする必要は無いんであります。しかし、この場合、看板屋さんは戸惑いのあまり報酬の範囲の業務を逸脱して余計なことに悩んだに違いない、と想像がかきたてられるのを抑えきれません。

 看板屋さん「ええと、レイアウトができました、
       これでよろしいでしょうか?」
 西本不動産「ああ、御苦労、御苦労、ちょっと拝見。
       ふん、色はこれでいいね、ええと、電話
       番号はと・・あってる、これで、いいか
       ・・・んん!?」
 看板屋さん「え、あのなにか?」
 西本不動産「きみ、何度も言っただろ、
       わしの言ったとおりに書いてくれって。」
 看板屋さん「は・・はい、そのように書かせていただき
       ましたけど・・」
 西本不動産「ここの注意書きのところ、
       ここは自転車置場ではありません、
       あと自転車は処分します、
       あと責任は負いません
       って言ったのにそうなってないじゃないか!」  
 看板屋さん「え、いやですから、そのとおりに、
       三行にわけて・・」
 西本不動産「なってないじゃないか!」
 看板屋さん「・・は?いやどこが?」
 西本不動産「いいかね。わしは、ここは自転車置場では
       ありません、あと見つけ次第処分します、あと
       責任はおいません、と言ったんじゃぞ。」
 看板屋さん「え、ですから・・・そのとおりに・・」
 西本不動産「『あと』がないだろう『あと』が!」
 看板屋さん「へ?『あと』って・・『あと』も記載
       するんですか?」
 西本不動産「だからさっきからそういってるだろ。」
 看板屋さん「いや、でも・・」
 と看板屋さんは、言われたことだけをやればいい、という看板屋さんとしての仕事上の責任の範囲と、『あと』が無くても十分に意図は通じるし、だいたいそういう看板はすこしおかしいのでは、という看板屋さんとして、というよりは一般人としての『社会通念との矛盾』を感じ苦悶するわけです。

 西本不動産「困るなあ。頼むよ。」
 看板屋さん「・・あ、はい。わかりました。」
 でやりなおすわけです。
 できました。もう看板屋さんは個人的な社会常識を捨てて、唯唯諾諾とレイアウトを作り直します。

 西本不動産「どれどれ・・おい!また違う!」
 看板屋さん「は?でもあの『あと』は入れましたけど・・」
 西本不動産「だれが『あと』の次に『、』をいれろといったん
       だね。『、』はいらん。一字分コストがかかる
       じゃないか。そのまま続けて書いてくれればよ
       ろしい。ええと、それから『。』は余計なコスト
       がかかるから削ろう。うん。『。』なんぞ無く
       とも意図は伝わるからな、うん。」
 看板屋さん「・・・・・」
 コストを云々するならば『あと』という口語を連発するほうが無駄では、という疑問を看板屋さんは、飲みこんでしまうんであります。

 かくて、この『よく見ると微妙に話しかけてるような看板』は誕生しました。そして、しかし、おそらく僕以外の誰にもこの妙味を発見されることもなく、十年一日の如く『あと自転車は不要物として処分します』『あと責任は負いません』と、なんとなく話しかけ続けていたわけです。それで話しかけられていることに気付いた僕としては、にこにこしちゃうんであります。

 でも、ちょっと苦労しました。
 日本人でないさい君への説明にです。
 いつもここを通る度、にやにやする僕に、何がおかしいのかと訝るさい君に、彼女の母国語でこの微妙なおかしさを表現するのはたいへんでした。なんだか面倒だなあ、と思いつつも気付かれてしまっては説明せざるを得ず、適当に話したものの-もちろん、想像上の西本不動産と看板屋さんとの会話なんか端折って、です。そんなことし出したら自分の説明に自分で収拾がつけられなくなっちゃいますから。-彼女が僕のにやにやの真意を理解したかどうかは不明です。でも、どうやら『ケイタはこの看板にご執心である』ということはわかってくれたみたいです。

 そんなある日、寂寥としたわが駅にもついに、開発の波がおしよせ、どうも市の方針で駅前を-しかし、こじんまりと-区画整理する動きが見られ始めました。そして、意図は全然読めないんですけど、なんだか、あちこち掘り返したり、せっかくのしだれ桜を引っこ抜いたり、数件の小さな店舗が廃業したり、しはじめました。その開発の波は規模を拡大していき、ある日、さい君が、くだんの看板近辺まで、工事がせまっているのを目撃したわけです。それで、
 「ケイタ、ケイタの好きな看板なくなっちゃうよ。きっと。」
 と、三ヶ月ほど前、留守番をしていた僕に外出先から帰った彼女が報告してくれました。
 その後、駅を通るときに注意してみると、なるほど、掘ったり抜いたり、は『山川モータープール』の寸前に迫っています。
 これはしたり!このままで推移せんか、僕の心の癒し、いわば『緑遺産一号』たる看板も、開発の波に抗いきれずその姿を消滅せん、と危惧されました。
 
 その心配は、しかし、杞憂に終わりました。実際、看板はある日金網ごと取っ払われてしまい、忽然、いや必然かな、と姿を消してしまいました。が、数日ののち、もとの場所から20メートルほど駅から遠ざかった真新しいアスファルトを背景に臆面もなく『山川モータープール』の看板、それも元の昭和的に話しかける看板そのものが再利用されておりました。西本不動産は区画整理でなにがしかのモノを市から得たはずですが、場所を移し、その容貌も舗装を新しくしただけで、看板は再利用したとみられます。なかなか吝嗇、いや倹約家であります。

 と、いうわけで、僕は、今日においても駅の行き帰りにこの看板を熟読してはにやにやしておるわけです。不可能とは思いますが、いちど今の上司をつれてきて、添削してもらうのもいいように思います。誤字脱字があれば部下と書類のやりとりを何往復もして時間と人件費を使い果たすことを厭わない方なので、どういう反応をしめすか、見てみたい気がします。

 僕は、通じればいいんじゃないの、って思いますけどね。
 なんだか楽しいし。
 
 注意
  駅近辺には何もありません
  あとその場合交通費は、自己負担してください
  あとトラブルがあっても責任は負いません

 。

===終わり===
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緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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