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イポラタミン。

 科学の進歩というのは目覚ましいものがあります。最新仄聞したところによると新しい脳内伝達物質の存在の可能性があるそうです。脳内伝達物質というのは、従来判明しているものではドーパミン、アドレナリン、セロトニンなどの類です。各々役割を持ち、例えばドーパミンは神経細胞の興奮の伝達という機能を持つといわれています。新しい存在が確認されつつあるそれは『イポラタミン』といいます。

 その存在の詳細はまだ推測段階ですが、イポラタミンは、『疑似既視感を伴った鮮烈な衝撃』を伴って分泌され、その分泌の惹起する感情は、主に『驚き、感嘆、快感、敗北感』と言われています。そして、イポラタミンはごく稀な環境でしか分泌されず、人によっては生涯分泌が見られないこともある、とされています。少し複雑な感情ですが、噛み砕いていうと『うわあ、やられた!!』という感情に近いです。

 例を挙げて検証してみましょう。

 古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉

 この句を始めて聞いた芭蕉の同時代の人からは、大量のイポラタミンが分泌されていたのではないか、とされています。
 「うわあ!知らなかった!なんてこったい!かえるは古池に飛び込むことがあるのか!!」
 ・・・・もちろん間違ってもそういう『驚き』ではありません。
 蛙は芭蕉出現前はもちろん、父母未生から現在に至るまで、池に飛び込んでいます。しかし、その光景がわずか十七の文字のみ、と言う制限の中で写実的に簡潔に表現され、そして、それを読んだ同時代人の人たちは、蛙の躍動感、静寂を破る池に飛び込む音、水のしぶき、広がる波紋、そのしぶきと波紋がおさまり再び訪れる静寂、が一気に脳裏に投影され―おそらくはその十七文字を読み進めていくなかで順番に、しかし、刹那に― 文字のみにもかかわらず、その字間から『聞こえてくる』音、『浮き上がってくる』映像、に圧倒されたと共に、『ああ、その手があったか!!やられた!!』と強烈に感じたに違いありません。蛙にしてみれば芭蕉以前から現在まで池に、よいしょ、と飛び込み続けてるわけですが、この偉大な句によって『蛙が池に飛び込む光景方面』を俳句にすることは、芭蕉によって発見され、同時に芭蕉によって独占された、といっていいでしょう。従ってこの句が『名句』として後世に引き継がれていっているのは、芭蕉以前の人がこの芭蕉の俳句を聞いたときの『うわあ、やられた!!』という強烈なイポラタミンの分泌の疑似体験を伝承しているにすぎません。『どうだ、この句が存在しなかったときに聞かされたわれわれの驚きが想像できるか!!』と彼らが強烈に思い、また『蛙が池に飛び込むという風景』が芭蕉によって発句された時、題材として始めてとりあげられると同時にその描写を後世の人間が換骨奪胎することさえ許さない、という離れ業に、瞬時に『やられたああ!!』と先人が感嘆したんであります。残念なことに、僕らは、その体験を想像し、追認しているにすぎません。


 菜の花や月は東に日は西に 蕪村

 この句に至っては、『やられたあ!なんてもんじゃあねえよ!』と瞠目した先人の感嘆の声が聞こえてくるようであります。こちらは色彩の妙です。わずか十七の文字が、あたかもゴッホの絵のごとく、鮮やかな色彩を脳裏に瞬間に投影させます。同じ色であるはずの菜の花が、夕陽に照らされた西側と陽が届かなくなりつつある東側で見せる色合いの違い、その背景には、夕焼けに染まる西から、白い月が顔をだす東にかけての、橙色から藍色までの空の壮大なグラデーション。『おれなんか、菜の花畑の前に住んでるのにいい!きしょう!!やられたああ!!』という忸怩たる思いで声をあげた人も少なからずいたでしょう。同時にそれまでそこらへんに転がっていた『菜の花畑における夕刻の風景方面』、は俳句の題材として蕪村以後『蕪村のもの』になってしまった、といえるでしょう。そして、その時、イポラタミンの分泌を経験した蕪村の同時代人たちが、『どうでい、この句を読まされたときの俺たちのやられた感は察するに余るだろう!』と言い伝えたんだと思います。

 だって、要は『池に蛙、ボチャンした。』『夕暮れの菜の花畑、きれいだ。』ってことですから。

 ところで、僕は、最近、貴重にも『おお、これは間違いなくイポラタミン分泌だ!』という経験をしました。といっても文学方面などという高尚なものではなく、それはひどく平凡な日常の中に唐突に現れました。それだけに驚きも大きかったです。
 
 ある日の午後、その日は朝から雨でしたが、昼前には雨が止み、僕は、比較的空いた電車に揺られていました。座席の端に座っていました。対面にはベビーカーに赤ちゃんを乗せた、僕よりもうんと若いと思われる女性が同じく座席の端に座っています。と、ある駅で、その母子がやおら立ち上がると下車しようと僕の座っている隣のドアにむかってきました。見ると手すりに傘が掛けられています。僕は、とっさに中腰になり、
 「あの、傘お忘れですよ!!」
 と手すりの傘を指さしながらあわてて叫びました。それを聞いた若いお母さんは、振り返ってかさを一瞥し、それから僕の方をむくと笑顔で、まるでセリフでも読むように自然に、
 「ありがとうございます・・」
 と、言われました。いやあ、今日もいいことをしたなあ、と僕は刹那に満足しました。それにしてもなんで会社での仕事は、どれもこれもくそ面倒なだけで『人の役に立ったなあ』って思えないんだろう、こういうときのほうが何倍も充実感があるなあ、と座りかけました。しかし、彼女は笑顔でさらに言葉をつづけました。
 「でも、わたくしのではないんです。」
 そして、中腰で傘を指さす男、にかるく会釈をすると電車を降りていきました。

 そのとき、僕は、『うわ、やられたああ!!!』と強烈に思いました。その思いは、会話の相手を突如失ったうえに、中腰で傘をひとり指さす、という『所在なさ』や『宙ぶらりんになってしまった僕の自己満足』を一掃してあまりある衝撃でした。そして『これがイポラタミン分泌だ!』と実感したんです。

 僕は、どういうわけか、頻繁に人に道を聞かれます。いま住んでいる街でもそうですし、仕事で外出していて一応忙しそうにしているときにも突然他人に道を聞かれます。ならまだしも、京都の観光スポットのど真ん中で白人にいきなり道を聞かれたこともあるし、大阪の心斎橋の商店街でさい君の買い物につきあってぼーっと立っていたら、いきなり関西弁で心斎橋のどこそこへいきたいんやけど、と聞かれたこともあります。どうも『人のよさそうな地元民顔』らしいです。まだあります。飛行機の中で、-日本の航空会社の国際線でかなりの乗客が乗っていたにもかかわらず-、いきなりスチュワーデスに、
 「お客様、実は今日のお食事のメニューは新メニューだったんですが、ご感想はいかがですか?」
 と聞かれて面食らったことがあります。
 「え、ああ、はいおいしかったです・・・」
 と反射的に答えてから、でもそういやあ、やけに塩辛かったなあ、と思い、
 「でも、少し、しおか・・」
 とまで言ったら、聞かれもしない横の初老の男性が、いやに力強く、けしからん、という勢いで、
 「んん!!塩辛かった!」
 と力説を始め、あとはスチュワーデスとそのおじさんの会話になってしまいました。スチュワーデスは特にメモをとるでもなくとなりのおじさんの力説に相槌をうってました。それから、これも飛行機の中のことなんですけど、食事が配られ始めて、僕の番になったときに、これも日本人のスチュワーデスが、いきなり、
 「お客様、たいへん申しわけありません。」
 と言いだしてびっくりしたことがあります。何事ならんと思ったら、
 「本日メインディッシュにお肉とお魚をお選びいただくことになっ
  ていますが、当方の手違いでお肉を切らしてしまいまして、たい
  へん申し訳ありませんが・・・。」
 と要は、魚しかないよん、って言われました。無いならしょうがないです。おとなしくお魚を頂戴しました。でも食事を配るのって、何人かで配るから僕のところで『ちょうど切れた』わけでもないような・・、と思ってました。
 後日スチュワーデスの皆さんと合コンする機会がありまして(もちろん独身のころです!)、あんまり話すこともないので、上記のことを話したら、
 「あるある。そういうのはね、小心そうな顔の人を選ぶの。
  あ!でも、みどりさんの顔交渉したくなるかも。」
 「私もそう思う!」
 「私も交渉しちゃうかも!」
 「・・・・・・・・・。」
 と妙に彼女たちは僕の顔を議題にひとしきり盛り上がってました。
 それから、もっとひどいことに、ビュッフェスタイルのレストランで自分の料理をとって席にもどろうとしたら、いかにも社会的地位の高そうなおじさんが、えらそうに、僕に、
 「トイレ。どこ。」
 と聞いてきたことがあります。僕はきょとんとしてしまいましたが、おじさんは僕を店員と間違えたことに気付き、
 「なあんだ。店員じゃねえのか。」
 と自己完結して去っていきました。断っておきますが、僕はそのとき、別に蝶ネクタイをしていたわけでもなく、会社帰りの無難なスーツ姿でした。(余談ですけど、ああいう、『サービス業にぞんざいな態度をとる人』って、なんで間違えたあともぞんざいなんでしょうね。『なあんだ、店員じゃねえのか。』ってなんだか僕が悪いみたいです。)どうも僕は、『小心で地元民系店員風』の顔みたいです。
 さらに、これも不思議なことに、よく、駅構内で
 「あのー、これ落とされましたよ。」
と、不意打ちを食らいます。そんな時、僕は驚きながらも反射的に
 「あ、いえ、僕のではないです。」
 と言っちゃいます。驚くとはいっても一応敬語で返答できます。
 「はあん?俺んじゃねえよ。」
 なんていいません。小心者なので。どうも『小心で迂闊な地元民で店員風』の顔みたいです(ここまでくるとなんのことやら意味不明な顔です。)。
 ただ、そう返答すると、落し物を拾われた方の好意と物を差し出している所作が相手をうしなって宙ぶらりんになり、やや気まずい雰囲気になります。僕はいつもそういうとき(俺としたことが!次回こういうことがあったら『ありがとうございます!いや助かった、これは江戸時代から我が家に伝わる一子相伝の定期入れで、これを失うと僕は勘当されるところでした!貴方様に主のお恵みをア―メン!』とでも言って、落し物をうけとって駅の忘れもの係にとどけよう。よし!)と次回に備えますが、そういうときに限って声はかけられず、切歯扼腕し、忘れた頃に、『あのー…』『え、違います。』『・・・・・・。』を繰り返していました。
 だから、その若いお母さんが、僕の指摘に対して、まるで用意されていたかのようにごく自然に笑顔で、開口一番、
 「ありがとうございます。」
 と返答され、
 「でも、わたくしのではないんです。」
 と申しわけなさそうに会釈をしてベビーカーを押しながら下車していく、悠揚迫らぬその態度を見たとき、
『うわああ!やられたああ!俺がやりたかったのはこういう言動だったのだ!!』
とイポラタミンの分泌を感じたのです。明らかに僕より若い彼女は、僕の唐突な指摘に、本当にごく自然に、お礼の言葉を述べて去っていきました。ひょっとして僕と同じ、『自分のものではない忘れ物を指摘されてア―メンする機会』を狙っていた数奇な方なんでしょうか。
 その後も残念ながら、僕自身が落とし主に間違われる機会には恵まれていません。

 尚、イポラタミンは僕の考えた仮称です。しかし、十分研究対象になると思うので、専門家の方は研究してみてください。名前を考えるのに、この文章を書く20倍くらいの時間をかけました。仕事中も眉間に皺を寄せて懸命に考えました。

 ヤラレタミン
 ザブトンイチマイニン
 イッポントラレタミン

など候補にあがりましたが、最終的にイッポントラレタミンを略して、イポラタミンとしました。自分でもいまひとつのネーミングだと思いますので、ネーミングの権利も最終的に研究した方に譲り申し上げます。

============おわり===========
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こちらこそはじめまして。

ルビャンカ様 はじめてお読みいただいたうえにご丁寧なコメントをありがとうございます。ルビャンカ様のその無意識のべストプレーのときこそ、相手は「うわあ、さすが!イッポンとられた!」と思っているに違いありません。是非今後も意識して観察していただきイポラタミンを具現化していただきたいと思います!!

No title

はじめまして。楽しく読ませていただきました。
なんと!某製薬会社から健康ドリンクとして発売されそうなネーミングだな、、、と思いつつ読み進めていくとみどり氏の創作だったとは、、、。力作ですね。
僕は中学生時代から、下手したら40台を過ぎたいまでもやってしまうあるスポーツをしていた(いる)のですが、上記のみどりさんのように「こういう場面になったらこういう風にしよう、、、」といつも心に描いて試合に臨むものの、頭に文章として残っているようなレベルのことは中々再現することはできませんでした。代わりに殆ど無意識の中で選択したプレーが、あとからビデオなど反芻してみると諸条件を考慮にいれてもベストチョイス、しかも勝敗上結構大きなポイントとなった、なんで出来たんだろ、、、ということが良くありました。別に自慢している訳ではありません。何でだろう、、、と純粋に疑問に思うわけです。
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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