スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

リスクマネジメント。

 食事中の方は読まないでください。

 大学生の頃のことです。
 僕と山案山子は、だい繁華街の、おお通りに面した、ある居酒屋のカウンター席で、酒を酌み交わしておりました。その居酒屋は、今でもはっきり覚えていますが、さる大規模なチェーン店のひとつでした(いろいろな意味で屋号を記す勇気がありません。その理由は以降を読んでいただければわかると思います。)。
 その日、ビールの大ジョッキを口切りとし、僕らは、いつものようにとりとめの無い話題で飲み交わしました。
 最初に、しかし、あとでなんとなくそういえば、と思ったくらいなので、そんなに激しく思ったわけではないですが、ビールを一口を含んだとき、『あれ、あんまりうまくないな・・・。まあ、こういうこともある。最近飲酒が続いたから、胃腸が疲弊しているんだ、きっと。ビールの味って結構体調で左右されるからな。』という感覚が、軽く僕の頭を掠めました。
 なんか微かに『妙な風味』がしたんです。
 構わずいつものように噛み合わない会話も、呑み食いも、進めます。 
 以前にも書いたけど、人のことは言えませんが山案山子という男はあまり他人の話を聞かずに、ずんずん自分の話を進めます。
 「こないだ、K大学のGっていうサークルと試合したんだけど、」
 「ああ、あそこね、あそこは伝統も実力もある有名なサークルだ。」
 (けど、その話は先週聞いたばっかりだぞ。)
 「それが、全然たいしたことなくてさ、なんとか県代表とかが何人かいるって聞いたんだけど、どこにいるんだよって・・・・」
 「そら、山案山子は体育会なんだから、勝ってあたりまえだろ。」
 (だから、ラグビーサークルの人間を前にしてサークルを馬鹿にするなっちゅうの。適当に相槌しとこ。・・・揚げ出し豆腐、頼もうかな。)
 ・・・と、およそ価値ゼロの話をしていたときです。
 僕は、どうも美味くないな、と思いつつも、酒豪山案山子に遅れること数分、最初の大ジョッキを飲み干しました。そして、なんとはなしにジョッキの底に沈殿している泡の残滓にぼうっと目を遣りました。
 「俺さ、その試合さロックで出たんだけどさ、」
 「ふん。」
 (それも聞いたぞ、敵のパックが甘かったんだろ。)
 「ラインアウトのパックが無茶苦茶甘くてさ、」
 「?」
 僕の視線の先、白い泡に一点の小さな黒点が・・・。
 「甘いから敵ボールなんか割り放題でさ、」
 「!」
  あ、これは??まさか・・・。
 「まったく、これで強豪サークルかよって・・」
 俺、このビールを飲み干したっってこと?
 「それでバックスもさあ・・・」
 「おい、これ」
 「ぜ~んぜ~ん、大したことなくてさ、」
 「おい、山案山子、ちょっと、これ」
 「ていうかさ、なんとか県代表とかがバックスにもいるとか聞いてたんだけどさ、」
 「これ、これってさ」
 「そんな奴、どこに・・、へ?」
 さしもの山案山子も、僕が会話を強引に泡の中に黒点のあるジョッキを彼の眼前に突き出すことで遮ると、しゃべるのをやめます。
 二人して暫し、無言で泡の中の黒点を見つめます。
 僕が言いました。
 「・・・小さいけど・」
 「うん、小さいけど・・」
 と、山案山子。
 「これって・・」
 「あれだよな・・」
 「うん、やっぱりそうかな?」
 「うん、あれだろう・・・飲んじゃったの?」
 「うん飲んじゃった・・」
 そこには、小さいけれど誰がどう見ても紛う事なき『あるもの』が、その形態を毀損することなく保たれて沈殿しておりました。
 ふうむ、『微かに妙な風味』がしたのはこの出汁が出ていたからなのだな。どうせ現れるのなら口をつける前に出てきてくれたらよかったのに。
 とにかく、店員さんを呼ぼう。
 あまりの事態にやや動揺しながら呼びかけると、ひとりの男性店員さんが元気よくやってきました。
 「はい!」
 「あの・・・」
 「あ、おかわりですね!」
 店員さんは空のジョッキを虚空に持つ僕を見て、合点承知とばかりに、最前の元気のまま言いました。いや、そう断言されたら、それもそうだ、という気がしないわけでもないけど、もっと重要なことが・・。
 「いや、あの・・これ」
 「え?」
 「ここに・・・」
 僕が指差すと、ようやく店員さんは事態を、-ゴキブリが混入したビールを客に飲ませてしまった、という飲食店にあるまじき事実を、-把握したようです。なにしろ、繰り返しますが『小さいけれど誰が見ても紛う事なきゴキブリの死体』なのですから(この稿を書くにあたり改めて記憶と照らし合わせて調べてみましたが、どうも『クロゴキブリの幼生』のようでした。)。
 ところが、その後の店員さんの直後の対応は、全く僕らが予期しないものでした。
 店員さんはゴキブリを一瞬無言で認知したあと、その元気はまったく失わないまま変わらぬテンションで、やや笑みさえ浮かべて、こう言い放ったのです。
 「あ、虫ですねっ!」
 まるで、公園でバーベキューをしているときに、端の草むらに飛ぶバッタを見たひとのように。
 え?虫?むし??
 いや、それは虫であることには変わりは無いんだけど、虫は虫でもゴキブリですけど。それに、虫ならいいんですかね?なんか、素直に認めているのか、あるいは他ならぬ『ゴキブリ』が混入したこと、については認めていないのか、わかんないじゃないですか。
 「すみません、でしたああっ!」
 予想だにしなかった店員さんの対応(といっても僕には経験がなかったことですので、-あまり経験がある人もいないかとは思います。-、店員さんがどういう反応を示すのか、ということに具体的な構図があったわけではないですけど。とにかく、あまりのことにただただ驚いていました。)にさらに虚を突かれて唖然とする僕の手から、店員さんは奪うように件のジョッキを持ち去ると、すぐに新しいビールの入ったジョッキを『注文されたビール大ジョッキのおかわり』として持ってきました。
 その直後のことについてはちょっと具体的な記憶が薄いんですけど、・・・・こういう結末でいいの?とふわふわした気持ちで、-なんだってこっちが動揺しなければいけないんですかね。-、僕らは、およそ低いテンションで呑み食いを続けたように思います。
 それから、数分後、いきなり、
 「これは店からのサービスでええす!」
 と一杯のビール大ジョッキが持ってこられました・・・。
 結局、僕と山案山子は、その対応と、ビール大ジョッキ一杯を(僕の記憶によると、サービスしてくれたのは、僕にだけ、です。山案山子には無かったと思います。)無料にしてもらうこと、を容認する形で、その店を後にしたように思います。

 そして、僕は後から思ったんですけど、この店員さんは、ある意味瞬間的に高度な交渉術を発揮して被害を最小限に食い止めることに成功したんだと思います。
 昨今のサラリーマンの好きな言葉でいうと『リスクマネジメント』ですかね。
 つまり、彼はジョッキを見た瞬間『事実を認めないことはできない、これはゴキブリだ、飲食店としては最悪の事態である』と認識したはずです。しかし、そこであえて、爽やかに大きな声で『あ、虫ですねっ!』と強引に、事実誤認とは言い難いものの生物学的に大きな母集合の名称を叫ぶことで『なんか混入しているのは認めるが、誰もまだその虫の正確な名称は言及していないですよね!まあ言えば、虫ですよね!』と非は素直に認めつつも、事実認定をうやむやにすることで同時に『でも、たいしたことではない!』というコンセンサスを場に力づくで醸造し、さらに相手に反論の機会を与えることなく素早くジョッキという『動かぬ証拠』を回収することで議論の蒸し返しを回避、加えて、無料ジョッキ一杯のサービスという具体的経済的賠償額を先手を打って一方的に提案すること、で『事件』自体に強引に幕を引いた、わけです。
 考えてみたら、僕らは、それがゴキブリかどうか、を『議論するつもり』はなかったし(そんなわけないです。誰が見てもゴキブリなんだから。)、ましてや、事実認定としてそれをまさか『虫呼ばわり』されるなんて想像もしてませんでした。そして、ただただ、あまりのことに、経済的な面も含めて店側になにか賠償をしてもらうべきか、という具体的なアイデアなど思いもつかなかったので、そういうことを『交渉するつもり』もまた、無かったわけです。
 それで、あれよあれよという間に、結果としてビール大ジョッキという店側にとっては最小限の損失、-今思えば、このケースの最大のリスクは『ゴキブリ入りビール』が然るべき当局に露見しての営業停止、ですよね。-、で懐柔されちゃたんですね。
 うまいよなあ。
 何がうまいって、一言目の『あ、虫ですねっ!』という強引極まりない断言だと思います。まるで『いやあ、まいったなあ、たまにあるんすよね、こういうこと居酒屋では、ねえ?お客さん!isn`t it?』というような表現が行間に滲む、他人事のような口調でしたから。でも、僕がいうのも何だけど、これは対応の第一歩としては、リスクもあります。だって、たまたま僕らのような小心者相手でよかったけれど、よくいる『サービス業に異常に厳しい人』が相手だったら『あ、虫ですねっ!』の一言目から客の心をして火を噴かせる可能性がありますから。『虫だとおお、これはゴキブリじゃないか!ええ、いい加減なこと言うな!don't you!?』ってね。

 尚、ゴキブリ入りのビールを飲まれたことにない方のために、その『妙な風味』を具体的に描写すると、
 『しじみの味噌汁』
みたいな味です。
 だから、そういう味のビールに遭遇されたら、ちょっと疑ってみて泡の中身なんぞを凝視されることをお勧め致します。

===終わり===
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

そうですね。

> う〜む、今から読むと時代先取り。。
いや、今から思うとよくおとなしく引き下がったな、と思います。今度のどこのお店かこっそり教えます。

No title

う〜む、今から読むと時代先取り。。
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
フリーエリア
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村
フリーエリア
フリーエリア

人気ブログランキングへ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。