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糖尿病。

 糖尿病になりました。

 と、言っても昨日や今日のことではなくて、発病したのはもう一年前くらい前ですかね。推測ですが、僕の場合は、生活習慣に遺伝も手伝ってのことだと思います。
 あれれ、暫くしたら別の理由から今控えている暴飲暴食生活を再開しようと思ってたのに、ちょっと残念だなあ、なんて思ってます。いやいや、暴飲暴食どころか、『インポテンツ』とか『足切断』とかになるのかしらん。
 う~~ん。

 ところで、この病気について、結果として今僕がどういう治療を受けているか、というと、実は何も受けていません。ええ、どういうこと?と訝しく思われる向きもあるでしょうが、インシュリンの注射などはしていないし、投薬もないです。
 行われているのは、ただ、食事に注意して、適度に運動をして痩せなさい、という指導と、それ以外は、健常な方より高い頻度で血液検査と尿検査(だいたい三ヶ月毎です。)をしてその結果を経過観察する、ということだけ、です。
 なんでその程度ですんでいるのか、というと、僕の病状が、病名で言うところの『境界型糖尿病』だからなのです。
 ・・・お分かりになりますか?え?よくわからない?そうですよね、なんだか曖昧模糊とした名前です。
 いったい病気なのか、病気じゃないのか、判然としません。
 実は、この病名の意味するところは『血液検査と尿検査の数値が正常値は超えているが、治療を施すほどのものではない。』っていうこと、だそうなんです。
 それでも、まだよくわかんないです。
 僕も言われたときはなんだかもやもやしたし、おそらくは自分が糖尿病であることを認めたくない気持ちも手伝って、そういう説明ではわからん、はっきりしたまい、と医師に食い下がりました。
 それに対し、そのお医者さんは、決然と、
 「境界型と呼ばれるだけで、あなたは、はっきりとした糖尿病です。そして、糖尿病は一度発病したら治りません。」
 と僕の淡い期待と、深い疑問、を木っ端微塵にするような明確な言い方をしてくださいました。
 『治りません。』・・・じゃあ、なんで境界型だなんで名乗るんだ、と、僕はそれでもしつこくも、診断の後、いろいろと調べてみました。
 すると、例えばインターネット上にある情報は定義がさまざまで、大方が『境界型といってもれっきとした糖尿病』というものではあったものの、中には『放っておくと糖尿病になる』という、解釈によれば、まだ病気とはいえないと思われるような表現もありました。どうも国の定める検査方法や基準が昨今変更になったこと、などもこの病名を世の中に産出した一因となっているようです。
 ややこしい。
 なんだそら、病気か病気じゃないのか、お役人が決めるって、ちょっとおかしくないか?
 僕は、さらに調べました。それから、かなりいろいろと読んだ後、肚にすっぽりとはまり全てを氷解させてくれる、ある表現に遭遇しました。
 曰く、
 『【境界型糖尿病】という言い方が存在するが、これは病理の判断としては患者に誤解を与えるのでよろしくない。【境界型】であろうが、そうでなかろうが糖尿病は糖尿病である。別の表現に置き換えてみればよろしい。例えば【境界型妊娠】といわれたらピンとくるか、否か?【妊娠しているか、していないかの境界線である】など医学的にあり得ない、それと同じである。従って【境界型糖尿病】も糖尿病である。』・・・・。
 おお、なるほど!確かにその通りです。『境界型妊娠』なんて理解でき難いです。目から鱗とはまさにこのこと、ほう、俺はやはり糖尿病を発病しているのであったか、とすとんと頓悟しました。
 ちなみに、実は僕はその後の検査で数値が正常値に戻るときもありますが、お医者さんに言わせると、そういうのは『治った』とは言わない、なぜって糖尿病は治らないことになっているから、だそうです。
 ・・・この辺りの隔靴掻痒感が『境界型』を標榜する病気の面目躍如といったところであります。

 ところで、つれづれとこの僕を暫時悩ませた『境界型』という表現について考えていたんですけど、この言葉はいろんな場面で使えそうです。
 結構便利かもしれません。
 この『微妙さはそれはそれで留保しつつ妙に権威もある表現』が多方面で市民権を得たら、実態は曖昧なことをいやに堂々と主張できるようになりやしませんかね。
  例えば、そうだな、出会った相手とその日のうちに、勢いだけで抜き差しならない関係になったりして(例えばです。例えば。)、
 「みどりさん、こないだのこと、どういうおつもりなの?」
 「いや、僕はええと『境界型恋愛』のつもりだったので。」
 「あら『境界型恋愛』だったの、そう、じゃあしょうがないわ。」
 ってするりと収まったりしてね。
 さらに、すでに曖昧さ方面においては権威と言ってもいい世界に冠たる日本資本主義社会でも使用頻度は高そうです。今でさえ、言語明瞭意味不明瞭な会話が横行しているのに、それに拍車がかかるわけです。
 「おい、みどり、今日の6時に会議をするぞ。」
 「いや、ちょっと都合が・・・」
 「なんでだ。おまえ、山々物産さんと2時の約束で外出で、その後は予定が無いはずじゃないか。会社には5時には戻られるだろ?」
 「いや、その山々物産さんの後は『境界型直帰』の予定ですので。」
 「おうそうか、境界型直帰か、じゃあ会議は明日にしよう。」
 とか、納得してもらえちゃうわけです。
 実はしょうがなくないです。要は外出をいいことにひょっとすると勤務時間内にも関わらずいなくなるぞ、ということですから。
 それで、今度はその翌日の会議で、
 「おい、みどり、お前の意見はどうだ。」
 「はい、私は、課長の意見に、総論賛成、各論反対、そして・・・」
 「うむ、そして?」
 「・・・そして、最終的には『境界型保留』です。」
 などどもっともらしい修辞を隠れ蓑に、徹頭徹尾、判断を逃げます。
 加えて、核心に触れてほしくないことに、屋上屋を重ねて、箔をつけて表現するのにも使われるんであります。
 「おい、みどり、おまえ、売り上げが芳しくないようだけど、今期の予算は達成できるのか。」
 「はい、断言はできませんが『境界型達成見込み』です!」
 「うむ、そうか。」
 なんて、それだけでもはっきりしない『見込み』という言葉をさらに『境界型』と修飾して、挙句肝心なことは言及しないで詰問をかわしちゃいます。
 待てよ、良いことばかりじゃないかもしれないな。
 「おい、このクレームはなんだ!部長からいきなり怒られたぞ。ホウレンソウはどうしたっ!」
 「え・・それは、もう課長にお話したじゃないですか。あの、先週残業中にお時間をいただいて、ほら、この資料を見せながら・・・」
 「うん?おう・・そういえば、そうだな、でもあれは、俺としては『キョウカイガタホウコク』としか受け止めてないから。」
 「・・・・。」
 なあんて、逃げられちゃったりしてね。

 ところで、最後に肝心なことですが、足切断だのインポテンツだのの心配もさることながら、かく言う僕自身の会社での有様が、よく考えるといつどこへ追いやられるのかわからない、『境界型会社員』といえますので、本当は上述のようなあらぬ妄想を逞しくしている場合ではないです。

===終わり===
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緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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