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痛い!!⑥ 後日談。

 僕は鼻骨陥没骨折の荒療治を受けたあと、顔面テープだらけで、大きなマスクをして(マスクは腫れ上がっている鼻と膨らみきっている鼻の穴を皆さんの耳目にさらさないための配慮、なのか、それとも周囲に骨がつながっていないので触ると危険と知らしめるため、なのか未だに判然としませんが、とにかく医者の指示でした。)二週間ほどすごしました。遠目には顔中包帯男に見えたと思います。
 治療後に登校して教室に入ったとき、同じクラスの女の子が、
 「ひ、ひひやはあああ、み、みどりくん・・・」
 と息を飲んだことを今でも覚えています。しかも、骨折と両方の鼻の穴に入れられた20センチに及ぶ長さの脱脂綿のおかげで、顔が全体的に腫れ上がってしまい、唯一露出している目も細く僅かにに開いているだけで、どこを見ているのか、もわからず無感情に見えたようです。
 表情のない顔面真っ白な男・・・いやあ見られましたね、とくに酷かったのは電車の中です。僕は電車で高校に通っていたので、その二週間の間というもの電車の中ではたくさんの好奇の目にさらされました。実はそのときの体験の顛末は2011年1月24日の『セコムしてますか?』で書いています。
 その間、痛み止めが切れたので一度母親が僕の代わりに薬を病院に取りに行ってくれたんですけど、僕の名前が薬局で呼ばれたら、どこからか僕を処置した医者が現れて、
 「あなた、あの子のお母様ですか?いや、彼は我慢強い!」
 とわざわざ話しかけてきて母親をびっくりさせたりしたこともありました。

 二週間ののち、血止めを取る、ということで予定通り再び某大学病院の耳鼻科を訪れました。そして脱脂綿がそろりそろりと抜かれました。
 あろうまいことか直前に医者が、
 「血止め取ってみるけどさ、まだ血が止まってなかったら、血止め入れ直しね。」
 と聞き捨てならないことを言っていたので(前回書いたように、木槌でかんかん、に比べたら『まし』でしたが、20センチの脱脂綿を鼻にぎゅうづめにする作業は十分に痛かったんです。)かなり緊張する儀式でした。のみならず、まだ鼻の中のあちこちに傷があるようで、脱脂綿をゆっくりと抜いていく過程で、その傷に脱脂綿が触れるためか予期しない痛みが何回も襲来しました。しかし、結果として、脱脂綿を抜いても両方の鼻の穴ともに鼻血を出さず、僕は晴れて顔面真っ白男を卒業することができました。膨らみきって上を向いていた鼻の穴も元に戻り、これで普通の人間生活に戻られました。ただ、血止めを抜いてからも数週間は鼻をかむとかなりの量の血がでていましたが、これは小さな傷が塞がっていないからと思われ、それ以外に突如鼻血を出すこともなく、親にもらった元通りの鼻ではないとはいえ、大過なくすごし、ラグビーの練習にも復帰しました。

 しかし・・・、その不安は、血止めを抜いてから一ヶ月後くらいのあるとき、不意に僕の心に小さく浮かんできました。
 どうもおかしんいんです。なにがおかしいって、なんだか片一方の鼻しか空気が通っていないみたいなんです。見た目にはわからないけれど気になって触って確かめてみると、鼻骨もやや、しかし、あきらかに、右のほうが膨らんでいて左のほうが、凹んでいます。これは、まさか・・・・あの荒療治がうまくいかなくて鼻の穴の中が曲がっていて、片方だけ空気が通っていないのでは・・・・・。
 始めは小さな不安でしたが、だんだんと気になってしょうがなくなり、それは心の中で大きくなっていきました。そして、こういうのは気になりだすと悪いほうにしか思えないもので、ふと片方の穴ずつを抑えて鼻の通りを確認すると、いつも左右で違うようにしか思えなくなってきました。
 どうしよう・・・・、もう一度病院に行こうか・・・・、いやもし行ってまたぐいぐい、かんかん、をやられてはたまらん、あれはもう耐えられない、それに鼻が片一方通っていないくらい、生きていくには支障がないだろう、と思ってみたり、いやせっかくあれ程の試練を耐え忍んだのに、治療が未完成なんてあんまりだ、それに鼻が片一方しか通ってないんじゃ、これからラグビーを続けるうえでもしんどいじゃないか・・・・と思ってみたりしました。
 僕は葛藤しました。それからの毎日は葛藤しては鼻の通りを確認し、確認しては葛藤し、という日々でした。しかし、いくら葛藤を繰り返しても僕の鼻骨の凹凸は変わらないし、鼻の通りもどうもおかしいのは変わりません。

 ついに僕は悲壮なまでに決心を固め、みたび某大学病院を訪れました。その日は僕の手術をしてくれた先生が不在で、別のお医者さんが診察してくれました。僕は、これまでの経緯となぜ今日自分がここにいるのか、を説明しました。心の中では、それを聞いた医者が、
 「ああ、それだったら心配ないですよ。」
 と僕の不安を一蹴してくれることを期待しながら。が、医者はほぼ無言で僕の説明を聞くと、
 「レントゲンをとりましょう。レントゲンとったらそれを持ってここへ戻ってきて下さい。」
 と即答し、僕にファイルを渡し、レントゲン室への行き方を淡々と指示しました。僕の心は千々に乱れ、どうしようもない不安で一杯になりました。ああ、話だけでは医者も判断できないのだ、しかもレントゲンをとる、ということは鼻の中が曲がっているかもしれない、ってことじゃないか、もし曲がっていたら・・・。
 大きな大学病院なので診療室からレントゲン室まではかなりの距離がありました。70~80Mくらいはあったように思います。レントゲンを取り、その結果を持って再び診察室に戻りました。
 果たして医者は僕からレントゲン写真を受け取り、黙ってそれに電気を投影して見ていましたが、僕を振り返って見るとあっさりとこう言いました。

 「大丈夫ですね。問題ないでしょう。」

 そんなわけで、僕の鼻骨は今でも右のほうが膨らんでいて、左のほうが凹んだまま、です。ささやかな後日談ですが、あのとき、古い大学病院の薄暗い廊下をレントゲン写真を持って診療室に戻るときの心持ちは今でも忘れられません。一度『木槌でかんかん』の壮絶な痛さを経験しているだけに、不安感だけでなく形容のしようのない恐怖感もありました。『金属棒でぐいぐい、木槌でかんかん再びか・・』などと思いつつ、ここで、全部を投げ捨てて行方をくらまして診療室には戻らないという手もあるんじゃないか、などと真剣に考えながら歩いた、長い長い、70~80Mでした。

 ・・・と、ここまで書いて、この話、なああんかに似てるな、と思っていたら、母親が僕によく話してきかせてくれた(そんな話、子供にするもんじゃない、と思いますけど。)『今ここでこれを放り投げて逃げてしまえばこの件は反故にできる!と何度思ったことか。』と形容した、僕の父親と彼女の結婚式での『三々九度の盃の話』にそっくりでした。
 僕の場合のレントゲン写真も、母親の場合の三々九度の盃も『投げ出して逃げ出したくなったのを踏みとどまった』わけです。
 僕の場合に関しては、結果として『踏みとどまって良かった』んですけどね・・・。

===終わり===

 
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緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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