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大人であること。2

 僕は、このブログの中では意識してプライバシーを露出することは避けているんですけど(ええ、これで?って思われるかもしれませんが、実は、そうなんです。『書けないこと』或いは、『書きたくないこと』が結構な量であります。本当です。そっちの部分のほうが他人様には興をそそられるかもしれないですが、そこは別問題ですから。)、今回の出来事を説明するために、述べておかねならないことがあります。

 それは、僕が、『大人で、かつ、こきちゃない中年男性であること』です。
 なんだ、そんなことか、と思われるむきもあるかもしれませんが、今日は僕が、こきちゃない中年男性である、という事実そのものではなくて、そのことに基づいたある出来事について、の話です。

 実は、先日電車の中で、痴漢と間違えられました。

 ええ!
 そうですよね、『ええ!』ですよね。
 正確にいうと、ちょっと違うかもしれないけど、でも、振り返ると、あれは『彼女は程度の差はあれど、僕を痴漢扱いした』んじゃないだろうか、と思われるんです。

 その日、確か帰宅途中の電車だったと思います。車内は比較的空いてました。
 僕は、地下鉄の座席のドア横に席を得て、体の左側を仕切りにもたせて寝ておりました。なんでもない状況ですよね。と、途中で、いきなり、夢心地ながら、右太股にごくごく軽い違和感を感じました。
 うん?
 目を空けて、なんだろう、と確認する間もなく、僕の右太股は、今度は激しく『バシン!』と叩かれました。
 え?
 一体何がおこったんだろう、と呆然としながら右隣を見ると、そこには30代と思しき女性が座っていて、僕を睨めつけています。
 はあ・・・・?

 どうやら、こういうことだったようです。
 
 僕は、自分で気がつかないうちに、リラックスするあまり、寝ながら足を広げて、それで、僕の右側の太股が右側に座っていた女性の太股に密着していて、それを不快に思った彼女は、彼女の左手を二人の太股の間にこじ入れて、『ここをあなたはさっきから密着させているのよ!』という具合に『線引き』をするように『ずりずり』と掌を-足の付け根あたりから、膝くらいまでです。-ずらし(ここで、寝ている僕が、軽い違和感を感じたわけです。)、さらにダメ押しで、『くっつくんじゃないわよ!てええい!』と僕の足にご打擲を-激しいチョップですね-『バチン』と喰らわした、ということだったんです。

 唖然としました。

 彼女の(僕より先に座っていたのか、僕のあとに座ったのか、それすら知りませんでした。そんなこと『痴漢ではない通常の乗客』にはどうでもいいことですよね。)態度は、今思うと-今、思うと、です。その時は、あまりことに判断能力が働きませんでした。-『うしろめたい欲望を持って、寝たふりをしながら太股をすりすりと密着させてきた奴』に対するそれ、じゃないですか。
 なんだって彼女がそういう行動に及んだのか、その瞬間は全く理解できなかったんです。
 たまたま密着した隣人にチョップなんか喰らわせないと思うんです、普通は。
 『ずりずり、てえい!バチン!』ですから。
 これは、ドラマなんかで見る『典型的な痴漢扱い』と程度の差こそあれ、立派に僕を痴漢扱いしてますよね。

 幸い(だから、僕が『幸い』とか言う次元のことかな?)その件は、おおごとになりませんでした。
 でも、本稿を書くにあたって、いやあ、ひでえ目に遭ったな、世の中には変わったひともいるもんだ、ふうむ、あれは痴漢扱いからきたチョップだったんだな、と振り返りながら、その時、僕がとった行動をつらつら考えると、ちょっと背筋が寒くなりました。
 なんとなれば、唖然としながらも、彼女の『無言の主張』を『これは、故意ではないにしろ、太股が密着していることに対する強い懸念』とそれに伴う『やや常軌は逸してるものの外交的な、武力を伴った強い抗議である』と、それなりに解読した僕は、なんだこの女は、と思いつつも、面倒だな、と
 「・・・すみません。」
 と言って反射的に謝ってしまったんです。
 ただし、それは『痴漢として謝った』のではなくて、『故意じゃないながらも、足を密着させてしまっていたようで、どうも』と、(あたり前です、僕、痴漢じゃないので)、『やや常軌を逸していると思われる強い抗議』に気押されて、『半ば条件反射的に呼応』した、だけだったんですけどね。
 そして、なんなんだ、と思いつつも、必要以上に太股同士の距離を離し、再び寝入ってしまったんです。
 つまり、その時は、うわ!痴漢扱いされた!!という感覚は薄くて、『ほう、このひとは隣席の人との体の接触に神経質な人なんだな、だからってチョップすることはないけどさ、ああ、災難だ。』という程度でした。

 でも、この構図って、危なっかしいです。
 なぜなら、単純に、

 『太股すりすり、やめて!』 → てえい!チョップ!→ 『はあ、ごめんなさい』

 って、これは今思うと、もし、彼女の行動が『痴漢扱い』だったら(そして、どうも痴漢扱い、の可能性は否定できかねますよね。)、なんだか僕が『痴漢として全面的に然も間髪入れずに非を認めてる』みたいに見えるじゃないですか。
 以前、冤罪で痴漢扱いされて人生を台無しにされた、と主張する人の話を読んだことがあるんですけど、確か『指摘されて咄嗟に謝ったことで、逆に痴漢行為を認めたとみなされてしまった』とあったと思います。

 う~~ぶるぶるる、あぶないあぶない。

 さらに、僕は、思うんです。
 『痴漢扱い』だったのか『単なる強い抗議だったのか』否かに限らず、太股が密着しても、これがひょっとして女性同士だったら、彼女はチョップなんかしなかったんじゃないか、と。
 女性同士だって、太股くらいくっつくじゃないですか?けれども、『女性が女性に打擲にまで及ぶ』っていう光景はなかなか想像しづらいです。
 いや、待て待て、仮に男性でも、これが『清潔感あふれる、若者』でも冤罪は免れていたのでは????
 つまり、僕が『脂ぎったこきちゃない中年男性』だったから、そういうバイアスのかかった見方をされたに違いなんです、きっと。
 
 大人でいること、もなかなか切ないです。

 というわけで、大人が地下鉄の中での隣席の乗客と太股を密着させても(だから、そんなことをした覚えはないんですけどね。そういう技巧を操る本物の痴漢て、いるのかしらん?)、ブログに書くことがひとつ増えるくらい、でいいことはありません。
 みなさんも、特に、体の大きな、こきちゃない中年男性の読者の方、気をつけましょう。
 ふんっ、失敬な!

===終わり===

 
 
 
 
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大人であること。1

 先日、不覚にも、息子の発言を聞いて大笑いしてしまいました。

 息子がお世話になっていた小学校では、一年生が入学してくると、最上級生である六年生が指名されて入学のときに学校でのお兄さん役をやります。
 息子が入学式のときも、担当の六年生が教室までやってきて、息子の手を引いて連れていってくれたことを記憶しています。
 「パパ、こないださ、フジが一年生の子とペアになってさ・・」
 ほう、いつのまにかわが子もそういう年齢になったか、早いものだなあ。
 僕は多少の感慨をもちつつ、息子の言うことを聞いていました。
 「うん。」
 「それでね、その子にね、」
 「ふむ。」
 「俺さ、外国語しゃべれるんだぜ、ほら!ってね、しゃべってみせたの。」
 何度も書いてますが、彼の母親は外国人で日本語があまりうまくないので、息子と僕のさい君との会話は、ほとんどさい君の母国語です。
 「へえ。一年生驚いただろ?」
 「それがさ、全然なんだよね。」
 「へえ、なんで?」
 「『そんなの、ろくねんせいなんだから、あたりまえじゃん』だって!」
 !!!
 「ハハハ、そうか『ろくねんせいだからあたりまえ』か、ガハハハハ!」
 「おかしい子だよね、パパ、ハハハハ!」
 「いや、まったくおかしい、ハハハ!」
 僕は、心ひそかに、いや、息子よ、俺が虚をつかれて笑ってしまったのは、その一年生の子がおかしい、のではなくて、あんたとは違う次元で感情移入して笑っているしまっているのであるぞよ、と思いつつも二人でしばし笑い合いました。

 僕は大人です。かつ、大人として年齢を重ねている最中であります。
 そして、このことは、いろんな人がいろんな場面で言われているので、おそらく多くの方が実感されていることだと思うんですけど、僕は、大人になってみて、自分が子供の頃抱いていた、あるいは実際にそうだったかもしれない、大人達との程度の差に頻繁に愕然とします。
 ええ?子供のときの、だいがくせいって知能の塊に感じたけど、大学生になった俺って、この程度?中学のときの、柔道部の顧問の先生と同じ年齢になったのに、この未熟さはどういうこと?はあ?高校のときの、担任の先生ってひょっとして当時まだ40代なの、めちゃくちゃ分別があったじゃん?うお、俺が新入社員のときの、田中さんって、当時入社5年目かよ、俺の5年目はこんな若輩者ぶりなのに、田中さんは課長くらいの貫録があったな・・・・。
 というように、年齢を重ねるたびに、かつて自分の周りにいた人たちの、『大人ぶりの正しさ』と、わが身を比べて驚愕するわけです。
 『大人ぶりの正しさ』というのは、僕が子供のころ、あるいは、若かった頃に抱いていた、『大人とはこうあるべき』或いは、『大人とはこういうふうに見えた』という姿です。

 ええと、そうですね、個人的かつ卑近な例でいうと、大人は些細なことで感情的にならない、パンツは汚さない、電車でお年寄りが前に立っても寝たふりはしない、高校球児は子供に見える、自慢しない、マスターベーションはしない、やることは概ね正しい、ガンはつけない、陰口は言わない・聞かない、人によって接する態度は変えない、諺は全部知ってる、弱音は吐かない、白人に遭遇してしまっても狼狽えない、休みは土日だけで充分、人に言えない秘密は無い、ランチは普通盛り、夢や目標からちゃんと逆算して毎日を生きている、セックスの技巧はバラエティ豊かだ、他人の嫌がることはしない、漫画には興味がない、自分の評判は全然気にならない、拾った一万円は交番へ、投票所で刹那的に候補者を選ばない、くさやがうまい、酒盗もうまい、終身雇用年功序列、就職や結婚を勢いで決めない、北の湖の現役時代が若者に思える、『同期の江島の昇進は運がよかっただけだ』などとは思わない・言わない・・・・・・・まだいっぱいあります。

 逆にいうと、僕は上述のことと全く逆であるわけでして、いちいち驚愕するわけです。
 「ええ、俺が抱いていたXX歳はこんなんじゃないはず!俺の周りには『進撃の巨人』17巻の発行日をチェックしているうような大人なんかいなかったぞ。」
 ってね。

 一年生のお子さんからしたら、六年生っていうのはものすごく大人に見えるんでしょうね、きっと。それで『ろくねんせいなんだから、がいこくごがしゃべられるくらいでいばるんじゃないよ、そんなのあたりまえじゃん!』って彼は思ったんでしょう。
 僕は、日頃自分が思っていること、つまり、『自分が接してきた大人にくらべて、自分はあまりに未熟だ』、あるいは『おう、そうか、あのとき、本田先生もひょっとしたら、職員室の中で、そりがあわない先生がいたりしたのかもしれないな』という感覚を、思わず、その一年生の発言に重ねてしまい、
 「いや、ある意味、ごもっとも。でもぼくちゃんもいまにわかるよ。」
 と瞬間的に思って笑ってしまったわけです。
 別に『変な子だなあ』と思ったわけじゃないです。
 「おかしいよねえ!」
 いや、だから、パパは『大人』だから、そういう単純なことで笑っているのでなくて・・・・、ま、いいか、そのうち息子もわかるでしょう。
 === 終わり ===

 

プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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