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ファミリーレストラン。

 僕は、なんでそんなことになったのか理解ができずに一瞬、きょとん、としてしまいました。

 2,3ヶ月前のことです。
 その日、確かある祭日だったと思います。
 僕は息子と二人で近所のファミリーレストランで食事をしておりました。
 といっても、僕はドリンクバーを注文しただけで、さい君の不在を守る一環で息子の食事につきあった、というのが実態です。僕は息子が彼の好物のイカリングとパンケーキを頬張りながらする、他愛のない発言に適当に付き合っていました。
 途中、かかってきたのか、息子がかけたのかは記憶にありませんが、彼の日本人の方の祖父(僕の父、みどりかずまさですね。)と彼が携帯電話で会話を始めます。
 どうやら、息子はなにか買ってもらいたいものがあるらしく、かずまさにおねだりを(しかし、かなり高圧的な態度で、です。そこは、孫可愛さに、孫のほうが無意識につけこんで横暴に振舞う、というのはどこの家族でもよくみられる光景でしょう。)しています。
 そして、買いに行くための予定の掏り合わせをかずまさとしているようです。

 顔の半分ほどもある携帯電話を(さすがにまだ10歳ですので)、しかし慣れた手つきで扱いつつ、午後の陽をレストランの窓越しに背中に受けながら息子は目の前のパンケーキには暫時手をつけずに熱心にかずまさと大きな声で議論しています。
 
 「え?じゃあさあ、じじは、いつだったらいいの?」
 「え??その日はフジはともだちとザリガニをとりにいくからだめなの。」

 どうも両者の日程の摺り合わせは難航してしているようであるな、思いつつも、僕は助け船を出すでもなく、むしろ息子の相手から暫時解放されたのをいいことに、ただ漫然と彼の発言に耳を傾けていました。
 「だから、だめだって!え?だからあ、じじはいつならいいの??え?・・・『今週の日曜日』???」
 息子は彼なりにかなり苛立ってきています。
 そして、やおら、
 「ふ~~~、」
 と大きくため息をつくと、小さい子に噛んで含めて言い聞かすように、しかし決然と言いました。

 「あのねえ、じじ。いい?じじはさ、さっきから『今週の日曜日』っていうけどね、いい?じじ、いっしゅうかんていうのはね、にちようびが、はまじまりなんだよ!だからさ、『今週の日曜日』っていうのはもうおわってるんだよ、わかる?」
 
 そのときです。僕の耳にさして大きい声でもない隣のテーブルの中年夫婦と思われるお客さんの、会話の断片が突然飛び込んできました。
 「確かに、そうだ。あはは。」
 「そうよねえ、正しいはよね。うふふ。」

 僕は、なんでそんなことになったのか理解ができずに一瞬、きょとん、としてしまいました。
 つまり、僕が全く関心も注意も払っていなかった隣のテーブルのお客さんの会話が、それもさして大きな声でもない会話の、しかも断片が、なんで唐突に僕の耳にすんなりと入ってきたのか判然とせず、困惑してしまったのです。
 僕が、はて?と、隣の席のほうに視線を遣ると、中年夫婦は、僕の息子のほうを見て笑っています。
 
 ん???
 ・・・・・ほう、そうか・・。

 数秒の時間を経て、僕は得心しました。

 世の中には『正論』というものがあります。
 しかし、その一方で正論に従うだけでは、得てしてことはうまく運びません。
 なぜなら『正論』が正論であるがゆえに、逆に習慣として立場を確立しているアンチテーゼというものもあるからです。
 息子は、まだ義務教育の真っ只中にいるわけなので、いわば、正論を100%学ぶこと、が彼のお仕事なわけです。これはこれで、まっとうな生業です。だって正論も学ばないのに、正論とは相反する習慣だけいきなり学んだら混乱しちゃうじゃないですか。
 一方で、齢70を過ぎ、未だに長きに亘ってサラリーマンとして働いているかずまさは(ありがたいことです。)、いわば正論に対するアンチテーゼの権化みたいなものです。サラリーマン生活が長いから、土曜日と日曜日は平日に働いたご褒美としての『週末の連休』として捉えているわけです。
 日曜日は、本来『週の初めである』にもかかわらず、です。
 そして、そういう宮仕えの権化達の間では、例えば、
 「おい、たまには飲みに行こう。」
 「おお、いいね、でも平日はちょっと。最近忙殺されていて。」
 「そうか、なら週末でもいいぞ。今週の日曜日はどうだ?」
 という会話に対して、
 「おい、おまえなあ、何をいってるんだ、一週間は日曜日から始まるから今週の日曜日はもう終わってるぞ。わかるか?」
 なあんていう『正論』を主張する人はまずいないです。
 そこは忖度して『今度の日曜日のことを言ってるんだな?』となるので、
 「おお、今度の日曜日ならあいてる、いいぞ、是非行こう。」
 となるわけです、たいていの場合は。
 世の中『正論』だけでないほうが潤滑にいくこと、が少なからずある、ということですね。

 僕は息子の発言を心身共に頬杖をつきながら聞いていて、彼の祖父に対する『説教』を耳にし、父親の感覚も理解するも、内心苦笑いしつつも、
 「確かに!そら、そうだ。」
 と息子の吐いた『正論』に心の中で賛同していわけです。
 その声無き呟きと、それを心の中で僕が呟くタイミングが、声優が絵に声をかぶせるように、隣のお客さんが声にだした時とぴったり重なったんでね。
 その『共振』のせいで、耳をそばだてもいない隣の会話がするりと僕の耳に飛び込んできたわけです。
 ふむ、ふむ。
 隣のお客さんも、実はなんとはなしに、声を張り上げる息子と祖父の会話に耳を傾けていて、息子が真剣に吐いた『正論』におもわず、膝を叩いて、
 「確かに!それは正論!お孫さんよ、あんたが正しい!」
 となったわけです。

 息子と彼の祖父の日程は交渉の末、うまく調整がつきました。

 一方で、今回は『資本主義に揉まれとうの昔に自分を見失い、最早何が正論で何がアンチテーゼなのかも判然とせず、因習だの建前だの長いものだの上司の価値観だの、に散々まみれている父親』にとっては、

 『正しいことを頑迷に主張することは、時にたった一言で野次馬までをも頓悟させる説得力がある。』

ということを改めて息子から教わった日となったのであります。

===終わり===



 
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借屍還魂。

 言葉の学習というのは切りがありません。

 僕は、さい君とは普段さい君の母国語で話しているけれど、正直いってまだまだ勉強を要する身で、毎日のようにさい君との会話の中でも知らない単語に出会います。そのたびに、うわあ、また出た、とげっそりしつつもそれらを学習して語彙の厚みを増すことに努めています。
 でも、考えてみたら、日本で生まれ育った人で『日本語を100%会得しているぞ』という人も殆どいないんじゃないでしょうか。
 斯く言う僕も数日前のこと、新しい日本語を覚えました。
 その言葉とは『借屍還魂』という言葉です。
 忘れないようにこの場を借りてすぐ使っちゃうんであります。
 巷間よく言われているように『覚えた単語をすぐ使う』というのは言語をマスターするためには非常に有効な方法です。

 つい先日、会社からの帰宅中のことです。
 僕はいつものように最寄駅を降りて、自宅への道を歩いていました。
 その道は、駅舎と建物に挟まれた100メートル程度の長さのとても狭い、そうですね、人を自動車に例えると『2車線ぎりぎり』といった感じで、だいたい人間2人が横に並ぶと道が塞がれてしまうくらいの道幅です。そのうえに、場所柄もあって夜にはかなり暗くなります。しかし、抜け道になっていることもあって、時間帯によっては結構な量の人が行き交っています。
 そのときも、比較的通行人の多い時間帯で、僕の前を行く人たち、向こうからやってくる人達、が暗闇の中に何人もいる気配がしました。

 ちょうど僕が道の真ん中あたりに来た頃です。
 僕の数メートル前を歩いていた若い女性が、突然、物凄く切れのいい、なんの躊躇もない、一歩のみで完遂した美しいUターンをして、駅のほうに、つまりは僕のほうに向かってかなりのスピードで歩いてきました。
 なんだか、抗い難い力に道を塞がれてさっさと潔く引き返した、という感じです・・・。
 おや?この人、なんか忘れ物でもしたのかな・・・・、いや忘れ物にしたら、踵の返し方がシャープすぎるだろ・・とぼんやり思いつつも、僕は引き続き僕の進むべき道を歩いていました。
 くだんのUターンした若い女性は、僕とすれ違う形になり、駅のほうへと消えていきました。

 と、数メートル先の様子がどうもおかしいです。暗闇ではっきりは見えませんが、なんだか『バタバタ』していて、視覚的には全然わかんないんですけど、なんとなく『ただ事ではない何物か』が伝わってきます。
 おかしいなあ、この道は、だいたい細い道で、車はもちろん、自転車ですら通ったのを見たことが無いから通行人はその主たる目的である通行を粛々と行うだけのはずなんだけどな、と僕は思いながらも、行き先上のその『バタバタ』におのずと近づいていきました。

 ようやく、視界にその『バタバタ』を捕らえる距離まできて、つまりかなり接近してみて、驚愕しました。
 なんとそこでは『凄いストリートファイト』が行われていたのです。

 片や、学生風の黒いフード付きのパーカを着た若い男性、片や、青いジャケットにノータイの40歳絡みのサラリーマン風の男性です。
 ストリートファイトはサラリーマンが優勢に見えました。
 「くうおのお、くそがきいいっ!」
 と罵倒しながら、一発、二発、とパンチを頭部にヒットさせています。
 黒いパーカのほうは、手数では、負けながらも、
 「どっちが、おかしいんだよ!」
 「警察いこうぜっ、警察によおお!」
 とパンチを食らいつつ、よけつつ、青ジャケットを口で盛んに非難して応酬しています。
 どうも、すれ違い様に、肩が触れたかなんかで、そのときのサラリーマンの態度が気に入らなくて、学生がひとことふたこと(あるいはもっと)非難をして、それに青ジャケット逆上、ストリートファイト、ゴング!となったようなんです。

 僕の前を歩いていた若い女性は忘れ物をしたわけでもなんでもなく、おそらくは、このファイトの開始前から場面になんとなく立ち会ってしまい、ゴングが鳴るや否や『まずい』と瞬間的、かつ本能的に判断し、通過するわけにもいかず、もと来た道を引き返した、ということだったんですね。
 夜道をひとり歩きしている女性の立場からすれば当然です。
 それと、ストリートファイトを目撃したことがある方、あるいはしたことがある方はおわかりになると思いますが、ストリートファイトには、ボクシングや映画などの喧嘩のシーンとは違った、独特の緊張に包まれた『バタバタ感』があります。ストリートファイトは、ボクシングと違ってスポーツではないのでフットワークなんて無いし、映画と違って脚本も無いので『リズム感』が全くないからです。でも憎悪はすごいから、いや、憎悪のみが動機になっていたりするので、それだけにその『バタバタ感』には真に迫った緊張感があるんですね。このバタバタが先程まだ視界で捕らえられなかった僕にも『ただ事ならん何物か』を感じさせた所以です。
 
 僕は、なんとなく歩いてきて、なんとはなく接近した結果、眼前に迫ってしまった喧嘩に大いに戸惑ってしまいました。なにせ『2車線でぎりぎり』の道なので、2台の車にめちゃくちゃに走り回られたら、ほぼ道が塞がれちゃうんであります。
 青ジャケットと黒パーカは依然、バタバタと、しかし猛烈な鼻息でやりあっております。

 「おいおい。勘弁してくれよおお。なんだって俺のまん前で、なんだ?」

 はて、どうしたものかな・・・。
 先程の女性のように駅に戻って、別のルートで家に帰るか?それもなんだか面倒だな。
 ではお二人には申し訳ないが、陣中を邪魔して強硬突破するか?でも巻き添えを食う危険がある、それは小心者の僕としては避けたい。
 じゃあ、どうする・・・。

 僕は、その凄いストリートファイトを、-それも意図せずに『砂かぶり』において、-、眺めながらほとんど思考停止した状態にありました。
 周りには数人の人がいましたが、先刻の踵を返した若い女性以外は、皆だいたい僕と同じような感じで、懐手をして少し離れて見守っています。

 と、そのとき、青ジャケットがさらに攻勢に出て、黒パーカをロープ際、じゃなかった、道の片側、駅舎と反対の塀側に大きく追い込み、僕の前に一人分くらいが歩けるスペースの余裕ができました。
 しめしめ。
 僕は、今を逃すものかと、ストリートファイトに巻き込まれないように、横をするりとやり過ごし、喧嘩の裏側に出ました。
 ふう、と安堵の息をついた僕は、余裕からか、後ろを振り返り、ストリートファイトの現状にちらりと眼を遣りました。青ジャケットの攻勢は以前続いており、黒パーカのガードの上から、パンチを激しく当てています。依然としてだれも関わっていません。

 ところが僕は、僕としたことが、なんだか『巻き込まれたくない』という気持ちより(それはかなり大きな気持ちでしたけど)より大きな罪悪感に苛まれて、なんとあろうまいことか振り返って喧嘩に正対すると仲裁を試み始めました!
 及び腰で(巻き添えを食らったらいつでも逃げられるように)、ふたりを刺激しないように、アクセントを全く殺した小さな声、-スターウオーズの登場人物で言うとC3POのようにおろおろと平坦な口調でー、で、
 「ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ。」
 と、言いつつ、極力柔らかく両手を出し、駄目だったら、駅を挟んで反対側に交番があるからおまわりさんに丸投げしちゃえばいいや、と黒パーカと、青ジャケットを制してみました。
 すると、ああいうのって、やっぱり熱くなって自分では止めどころがわからない、というものなのか、意外や意外、豈図らんや僕の『ソフトな仲裁』が功を奏し、青ジャケットが口ではまだ、
 「この、くそガキ!」
 なんて言いながらも、まず攻撃を収め、黒パーカと距離を取り始めました。
 そして、黒パーカも、自分がしていたイヤホンが、
 「お前のせいでどっかにいっちまったじゃないか、ええ、おい!」
 とか言いながらも、手を引きかけました。
 
 その上に、一旦仲裁がはいると応援が入るものと見えて、いつのまにか分別のありそうな40代後半と思しきネクタイをした紳士が僕の真後ろに立ってくれていて、穏やかな声で、
 「もうやめましょう。やめましょう。やめましょう、これで。」
 と仲裁を応援してくれました。
 青ジャケットは、道に落ちていた自分の鞄をひったくるように掴むと、
 「ばーか、このくそがき!」
 と捨て台詞を残して、興奮さめやらぬ風情で足早に駅と反対の方向に去っていきました(もちろん、僕らには挨拶などないです。まあ、興奮してるから無理ですよね。流れ弾が飛んでこなかっただけ良しとします)。
 僕も、うむ、よかった(その80%は『自分に流れ弾が飛んでこなくてよかった』の『よかった』ですけど。)と思いつつ、黒パーカを残して帰宅の途につきました。

 ああ、怖かった。くわばら、くわばら。
 今回はたまたまうまくいったけど、次回はどうしようかな。

 ・・・・ええと、僕は、何の話を・・・。
 おおお!そうそう、そうです!

 帰宅してすぐ、さい君に顛末を報告しました。
 「いやあ、たった今そこで、喧嘩に道をふさがれちゃってさ・・」
 「へえ、それでどうしたの?」
 「うん、それで、俺には珍しくさ、」
 と、そこで、僕は、あれ?そういえば、さい君の国の言葉で『仲裁する』ってたまたま今日、眼に触れたばっかりだったよな、でもなんていうんだっけ?と固まってしまいました。
 「ええと、ほら『けんかはやめろやめろ』っていうの、ユウの国の言葉でなんていうんだっけ?」
 「え?仲裁?」
 「そう!それ、仲裁したんである!」
 「へえ、ケイタにしては珍しいんじゃない?いつも遠巻きによけるのに。」
 「そうそう、それでさ、ええ?なんだって?やっぱりそうか?」
 「そうよ。いつも逃げてるじゃない。」
 「・・・うん、まあ、とにかく、今日はその・・・なんだっけ?」
 「仲裁」
 「そう!あんたのだんなさんは、仲裁に成功したんであるぞよ。」

 そういうことがあったおかげで、さい君の母国語で『仲裁する』という言葉をその日僕はすっかり、自家薬籠中の物にしたのであります。

 というわけで、巷間よく言われているように『覚えた単語をすぐ使う』というのは言語をマスターするためには非常に有効な方法である、ということを身をもって実感した日でありました、という話でした。

 尚、借屍還魂(しゃくしかんこん、屍を借りて魂を還す)というのは、Wikipediaによれば(広辞苑には載ってませんでした。)、
 『兵法三十六計の第十四計にあたる戦術。亡国の復興などすでに「死んでいるもの」を持ち出して大義名分にする計略。または、他人の大義名分に便乗して自らの目的を達成する計略。さらに、敵を滅ぼして我が物としたものを大いに活用してゆく計略も指す。』
 ということが出自だそうです。
 難しいです。
 日本語でさえこれですから(厳密に言うと借屍還魂の出典は中国ですけど)ましてや外国の言葉の学習って、ほんとうに、切りがないです。

=== 終わり ===
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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