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電車で万歳。

 つい先日、図らずも『普段何気なく起こっていることの実情をつぶさに知らされること』を経験しました。

 その日、僕は、朝、あらかじめ予約していた病院に行ってから出社することになっていたので、いつもの通勤時間より少し遅い時間の上り電車に乗りました。その電車は比較的乗降客の多い、JRの主要な線で、通勤ラッシュの時間をすでに過ぎているとはいえ、座席はほぼ埋まっていて、各車両には立っている乗客が数人ちらほらといる、という状況でした。
 僕は、ほどなくしなければならないJRから地下鉄への乗り換えの利便性のために、乗車してすぐにその電車の一番後ろを目指して、車両を移動していました。
 何両目かの車両に来たときのことです。
 「ん??」
 車両の真ん中あたり、進行方向に向かって左側の座席に、仰向けに寝ている、いや、倒れてるかな、女性が僕の視界に入りました。
 僕は、もとより、その車両を通過して最後尾の車両に行く予定だったので、おのずと、その女性を見ながら、彼女にだんだん近づいて行き、ついには、その横を通過しました。
 その方は、妙齢の女性で、白い服の上下という清潔な格好をしてました。
 見ると、膝下以外の体の四分の三は、完全に座席に仰向けに投げ出されていて、両手はだらりとシートに置かれており、そうですね、なんだか『全然覇気の無い万歳をしている』みたいな格好でした。茶色く染められた長い髪は後頭部を中心に放射状に座席に散らばっています。
 そして、何より、僕に、あれれ?、と思わせたのは、その眼です。彼女の眼は完全に閉じているかというとそうでもなく、では、開いているのかといえばそうでもなく、なんだかうつろに半眼を見開いて虚空を見つめています。
 時間帯からして夜通し遊んでの朝帰りには遅すぎます。
 その車両は他の車両と同じく、座席はほぼ埋まっていましたが、少なくとも僕が通っている間は、彼女に対して何かを働きかけている乗客は誰もいませんでした。
 これは傍観者心理、って奴ですね。これだけの人がいるんだから自分じゃない誰かが何かするだろう、というアレです。もちろん、僕に至っては、
 「俺はさ、見ての通り『この車両をたまたま通過する人』だもんね。だから、彼女と同じ車両に居合わせたあなたたちに比べて、より見てみぬふりをできる立場にあるんだよん。普通は、同じ車両にいる人の責任でげしょ。」
 という空気を体全体で精一杯放ちながら、歩く速度を緩める、などという下手は打たずに、全身これ傍観者心理という状態でそのままその車両を通過すると、一気に最後尾の車両にまで辿り着きました。

 でも、ちょっと気にはなる、じゃないですか。
 
 そういうときに限って、ふと最高尾車両の運転席を見ると、車掌さんが女性なんですよね、これが。
 こういうのって、強面で、ぶすりとした男性の車掌さんなんかだと、まず言いつけたりしない、と思われるんですけど。女性というのは、それはやはり、野郎に比べたらソフトで優しいし、倒れているのが車掌さんと同性というのもケアしやすいだろうなああ、きっと・・・。
 僕は、なんだか義務感を感じて、そうですね、大袈裟に言うと神様が境遇を用意して僕を試しているのかも、といった気分になり、少しばかり勇気を出して、それでも正直にいうと、あんまり、いや全く関わりたくないんだけどなあ、と思いつつも、運転席のガラスを、こんこんと叩き、愛想笑いなど浮かべつつ、車掌さんの気を惹きました。
 すると、それに気がついた小柄でいかにも実直そうなその女性の車掌さんが、ドアを開けて、
 「なにか?」
 と尋ねてくれたので、僕は、ここからそう遠くない車両の、こっちから見ると右側に若い女性がシートに仰向けに横たわっていて、表情がおかしい、と説明しました。
 すると、車掌さんの反応は僕の予想を遥かにこえて機敏なものでした。
 次の駅で停車すると、車掌さんは、猛烈な勢いで、運転席を出て車内を走り出しました。僕も、言った手前、気になるので、しかし、のろのろと彼女の後を追い、くだんの座席の手前の車両から様子を見守りました。
 この期に及んで、まだ僕は、あんまり関わりたくなんだけどなあ、などと勝手なことを思っていたので、無意識に『当事者エリアと推定される半径外にいること』によって、当該事件現場と距離を保っていた、と見受けられます。
 我ながら、せこいです。
 
 車掌さんは、猛烈なスピードで倒れている女性をみつけると、かがみこんでなにやら呼びかけています。と、外を見ると、一体いつ連絡したのか、駅の下から、男性の駅員さんがふたり上がってきて、ひとりはすでに車椅子を押しています。
 今や、多くの乗客の耳目を集める一大事であります。
 「やや、やはり、かなりの重症であったか・・・」
 予想を超える事態に、僕は、やや緊張しました。と、同時に、通報してよかったな、と少しほっとしました。
 ところが、車掌さんが、なにやら倒れている乗客とコミュニケーションを図ってしばらく、そう『しばらく』です、すぐに、ではないです、たつと、倒れていたはずの乗客がのっそりと置きあがり、面倒臭そうに座りなおすと、腕なんぞ組んで、また寝始めました・・・・。

 そうなんです。この若い女性は『ただシートを独占して仰向けになり、家にいるようなテンションで寝て、電車という交通手段をエンジョイしていた』だけだっんですね。
 彼女は『覇気の無い万歳をしていた』のではなく、その格好を強いて僕流に解釈すると、謂わば『空いている電車万歳!』をしておられた(聞いて見たわけはないので、実際の彼女の心持は知る術がありませんが。)わけです。
 一方、これは全く瑕疵などない車掌さんは、それでも、
 「大丈夫です、ただお休みされていただけのようです。ありがとうござました。」
 とわざわざ僕にお礼まで言ってくれました。さすが世界に冠たる日本の輸送サービス業です。

 駅員さんの持ってきた車椅子も幸か不幸か使用されずに、電車は、『万歳!』を中止しのろのろと座り直して寝始めた当該事件主要人物のひとりである彼女も乗せたまま、再び出発しました。
 なんだ、はた迷惑な、寝ていただけなのか、しかし、若い女の子が朝から大胆だ、これかどこに行くんだろう、デートかな、デートに行く途中で座席に仰向けに寝てしまう、というのも凄いなあ。
 と僕が思っていると、やにわに、女性車掌の声で車内アナウンスが聞こえて来ました。

 「ええ、この電車、具合の悪いお客さまがおられたため・・・4分の遅れがでております。お急ぎのところ、たいへん、申し訳ありません。」

 ええ!俺って、4分も電車を遅らせちゃったのか!なんか恐縮して、げっそりするぞ。なんで、俺が申し訳ない気持ちになるんだ?
 普段何気なく、電車が数分遅れることによく遭遇して、舌打ちなんぞをしていた僕は、『ははん、なるほど、こうやって、電車って遅れるんだな』と深く得心致し、図らずも『普段何気なく起こっていることの実情』の当事者になり、そういう現象の起承転結をつぶさに知ること、となったのであります。
 蛇足ながら、よく電車を止めてしまうと、膨大な損害賠償を請求される、という噂がありますが、今回の場合は電車を止めてしまった僕に対して、そういう類の請求は全くありませんでしたので、こちらのほうの真偽の程は定かではございません。

 それから、こういう経験はあまり気分のいいものでもないし、僕としてはもう勘弁していただきたいので『シートを独占して髪を振り乱し白目をむいて、電車万歳!』をしたい、という方は、是非僕が頻繁に乗るJR東日本のオレンジ色の車両の線と、黄色い車両の線と、それから地下鉄の青い車両の線、以外の車両の座席で『万歳!』をされますように、お願い致します。

===終わり===

 
 
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ライナスの毛布。

 心理学の分野で『安心毛布』あるいは、『ブランケット症候群』と呼ばれる現象があります。
 これは、人が物に執着していて、ときには、その物がないとパニックになるような状態を指し、別名『ライナスの毛布』とも言うそうです。
 ライナスとは、漫画『ピーナッツ』(スヌーピーが出てくる漫画ですね。)の中の登場人物の中のひとり、ライナス・ヴァン・ヘルトのことです。『いつも毛布を引きずっている男の子』といわれればおわかりになる方もいるのではないでしょうか。(参照WIKIPEIDA)

 最近、あることで『ああ、俺も年をとった!』と激しく痛感させられました。しかもそれが、予想していなかったことが原因だったので、衝撃はより大きかったです。
 例えば、白髪が増えただの、体力が落ちただの、いろんな欲求の勢いがそがれている、だのは、それはそれで残念なことであるけれど『ある程度予期していた、年をとったことによる兆候や現象』です。
 しかし、今回のは全く意外なことで、ああいうことになろうとは予期していませんでした。もっと正確にいうと、ぼんやりと、もっと先の話しだろう、あるいは俺はそうはならないだろうな、と思っていたので、今の僕がそういうことになっている、とは驚きでした。

 ある日、僕が寝そべっていると、息子が僕の左側の傍らにやってきて、同じように寝そべりました。
 父親にくっつくとは、まだ、子供です。
 お互い寝そべりながら他愛のない会話をしていました。僕は、確か仰向けになって天井に視線を泳がせながら息子のおしゃべりに付き合っていたと記憶しています。
 その時、話しながら、息子が僕の顔のすぐそばでなにやらもぞもぞしてました。僕は、彼の行動を全く不審にも思わず、特に疑問ももたず、依然仰向けのまま寝そべって息子の話し相手をしていました。
 
 ふと、会話が一段落したとき、まだ僕の左顔近辺でもぞもぞしながら息子が言いました。

 「ねえ、パパ。」
 「うん?」
 「あのさあ、」
 「うん、どうした?」
 「パパのさ、」
 「うん。」
 「ここにい、」
 「うん?」
 「毛がはえてるって、しってた?」
 「え?」

 僕は瞬間、息子が何を言ってるのかわかりませんでした。

 「どこに?」
 「ここだよ、ここ。しらなかったでしょ?」

 と、息子は、僕のその『毛』をやや強く引っ張りました。最前から息子がおしゃべりをしながら僕の顔付近でもぞももぞしていたのは、その毛を触っていた、ということだったんです。
 全然気が付きませんでした。
 息子は、僕に気がつかせようと、その毛を強弱をつけて引っ張る、という動作を2,3度繰り返しました。
 すると、どうでしょう、全く予期しなかった僕の体の一部分から、何やら刺激を受けておるぞ、という感覚が脳に送られてきました。
 僕は、驚いて、
 「え?本当か?」
 と息子に尋ねると、息子は、
 「うん、けっこう、まえからあるよ、ほら。」
 と応えながら、また強弱をつけて引っ張りました。
 「ちょっ、ちょっと!」、
 言いながら僕は、刺激を受けた部分を自分で触って確かめてみました。
 すると、どうでしょう、確かに、息子の言うように、なにやら一本だけではあるけれど、ひょろひょろとした、しかし、確かな太さの1センチ以上の長さのある毛が、僕の指先でもはっきりと確認されました。
 
 「うわ、まじかよ!」

 僕は、驚愕しました。
 それは僕の左耳の『耳毛』だったのです。
 正確にいうと生えていたのは耳たぶ側とか穴近辺ではなく、耳の穴のすぐ外の、顔側に小さく山型に突起した部分(『耳珠』、じじゅ、というそうです。以下そう呼びます。)のてっぺんから、縮れた、しかし、それなりの剛毛が、一本生えていたんです。
 よく、電車の中なんかで耳から毛を生やしている年配の方をお見かけしますが、一本とはいえ、自分がそういう状態になっていたとは!

 ああ、俺も年をとった!
 いつのまにこんなことに!
 しかし、息子は本人でも知らなかったことをいつから知っていたんだろう?
 僕は、しばし愕然とした後、知らなかったこととはいえ『いままでこんなところに毛を、それも一本とはいえ、それなりの剛毛をしたためているのを世間様に晒して生きていた』という事実に、強烈な恥ずかしさを覚え、大逆上しました。
 息子は、自分の指摘に対する父親の過剰な反応が予想外だったのか、一瞬ぽかんとしていましたが、すぐに、父親の言動を先周りすると、こう叫びました。
 「あ、だめっ!パパぬかないで!」
 え??
 「なんでえっ!?」
 「いいから、ぬかないでっ!」
 「だって、恥ずかしいじゃないか!」
 「でもぬかないで!」
 「だから、なんでだ?」
 続いて息子が言ったことは、これまた僕を驚かせるのには、十分に奇天烈でした。
 「フジはね、パパのこの毛をさわっていると、なんていうかね、とってもあんしんするんだよ。おちつくんだよ。だからおねがい、ぬかないで!」
 「え・・・安心するって・・・・」
 ・・・・。どうやら息子は、かなり前から彼の父親の耳珠にある『耳毛』を発見し、いつも、しかし密かに、その『耳毛』を触っていたようなんです。しかもそのことが習慣化して、僕の『耳毛』に触れること、は彼にとっては、精神状態を良好に維持することに大いに功績があったもの、と見受けられます。

 これは、つまり『ライナスの毛布』と同じです。
 『ライナスの毛布』、ならぬ『父の耳毛』です。
 
 というわけで、思わぬことから、ああ俺も年をとったのだ、と感じさせられた、と共に、これまた偶然にも『ライナスの毛布』という心理学上の理論を実践で追実験する運び、となったのであります。

 尚、僕の耳毛は、息子があまりに全身全霊を込めてお願いするので、その時は抜くのを暫時断念されました。
 しかし、このブログを書くにあたって鏡をみながら耳珠を再確認したら、いつの間にやら抜けておりました。ただし、こういう部分の毛は、いったん抜けてもまた同様の毛が生えてくる、と推測されるので、-それが証拠に、もともと毛が生えていた部分には肉眼ではわからないものの、手で確かめると、髭剃りあとの毛根のように明らかに痕跡が感じられます。-、そのとき、息子の精神衛生面を優先して放置しておくか、己が世間体を優先して抜いてしまうべきか、ちょっと結論を出しあぐねています。

 実に悩ましいです。

 それにしても、変な子だなあ・・・。

===終わり===

 

Baskin Robbins.

 巷間よく言われることのひとつに、
 『男女は結婚して夫婦になってみて初めてわかることがある。』
 という言葉があります。

 僕のうちは国際結婚進行中なんですけど、その事実を知っている他人様から、
 「おまえは一体、うちでは晩御飯には何料理を食しておるのか?」
 というご質問を頻繁にいただきます。
 そういうときの僕の返答は、
 『食卓についてみないとわかんないです。』
 で、あります。
 つまり、原則『多国籍』です。

 僕も、その種の質問を受けるたびに、改めて反芻してみるんですけど、さい君の国の料理のことも多々あるし、彼女は国籍はともかく人種的には中国系なので『南半球風中華料理』のこともあるし、さい君が日本にきてから覚えた一般的な日本料理のこともあるし、例えば、蕎麦とか、そうめんとか、カレーライスとか、ですね、日本のカレーはよその国では食べられないですから、そういう意味では日本料理の範疇にある、と僕は思います。実際、さい君の国にもカレーはありますけど、かなり料理方法も味も違いますから。もちろん、さい君の国のカレーが食卓に上ることもあります。あるいは、稀に、彼女が日本語学校の友人からもらってきた第三国の料理がおかずになることもあります。
 思うに、僕が、その種の質問をうけるたびに、言われて見ると何かな?と自問する、というところを見ると、これは、『外国人が奥さんになってくれたけど、普段食生活では特にストレスは感じていない』ということの裏返しだと思います。だって、もし、普段そのことで不満を感じていれば、『おまえ家では何食ってるんだ?』といわれたら、『聞いてくださいよ、それがですね!・・・』という反応になるからだと思うからです。質問を受けて、そういえば俺って何を食べているんだろう?とわざわざ考える、ということはありがたいことに、食生活においては支障なく毎日を過ごしていることの証左でしょう。これは、僕が『わりと(わりとです、わりと。)何でも食べる人である』ということと、さい君の料理が僕の口にあっている、ということが、主な理由だと思われます。

 ただし、そこは、やはり、国際結婚なので『それなりの事情』はあったし、今でもあります。
 例えば、さい君が日本料理を覚える過程では、やっぱり『失敗作』もあったし、-初めてさい君が肉じゃがを作って食卓に持ってきたときには、それこそカレーに似た、違う料理かと思いました。だって、お椀から溢れんばかりの『スープ』の中にじゃがいもだの、にんじんだのが入っていたからです。-、一方さい君の国の料理でもまれに僕の口に合わないわものもありました。
 そういう試行錯誤を経て、混血児の息子を含めて、現在の円満な我が家の食卓があるわけです。でも、僕は、想像でしか言えないけれど、そういう『一緒に住んでみてからの、お互いの食文化の摺り合わせ』というのは、たとえ日本文化共有者同士の結婚でも大なり小なりあるのではないでしょうか?
 ただし、我が家の場合、僕らにとっては全然問題はないけれど、これは普通の日本人同士の家庭ではまずないだろうな、もし、あっても人によってはちょっと諍いの元になったりするんじゃないかしらん?という献立が稀にあります。

 そのうちのひとつの晩御飯のメニューが、

 ・ごはん。
 ・おかず
  『ケンタッキーフライドチキン』。
 ・以上。

 というものです。
 我が家においては、この献立は問題がないので、そういうときがあっても、僕も息子も、
 「いっただきゃあーす。」
 といつものように食していますが、こういうのはちょっと普通の日本の家庭ではみられないんじゃないでしょうか?
 もちろん、かくいう僕も結婚するまでは、こういう晩御飯に遭遇したことは一度もありません。だから、僕にとっても最初から、全く抵抗がなかったわけではありません。
 普通の日本の家庭にとっては、これはある種の暴挙ともいえるでしょう。こんなメニューが何の前ぶれもなく供されたらご主人やお子さんから、『手抜きだ』とか『ケンタッキーフライドチキンで、しろめしを食えっていうのかよ!』なあんて文句が噴出して、ひどいときは家庭内争議の原因になるではないかしらん?
 なんで斯様なある種面妖とも言える献立が、我が家ではすんなり許容されるのか、というと、これは、さい君のためにやや弁護が必要になります。

 恥かしながら僕は、ある時期まで日本人は世界で一番、米好きな民族だと思っていました。
 しかし、世界は広いです。さい君の国に駐在した僕は、その考えを改めざるを得ませんでした。
 実は、彼女の国のひとたちには、『ものすごく米に執着する国民性』があり、その証拠に少なくとも僕が住んでいたときには、いわゆるファストフードのチェーン店にも『ライス』というメニューがあったんです。そうしないと客が確保できないんですね。マクドナルドにも、ウエンディ-ズにも、ケンタッキーフライドチキンにも、『白い飯』があるんです。
 本当です。
 ちなみに、僕は、その事実を知った当時、心底驚いて、
 「日本人もいい加減米好きだけど、日本のケンタッキーではご飯は売ってないよ。」
 と現地の知人に話したら、逆に、日本を含めての海外渡航経験豊富なその人に(さい君ではないです)、
 「ええっ?本当!?」
 と驚愕されてしまいました。
 だから、さい君にとっては、『ケンタッキーフライドチキンをおかずに、しろめしを食べる』というのは当たり前のことなんです。
 まあ、言ってみれば『晩御飯のおかずに、鳥のから揚げをお惣菜として調達した先が、今日はケンタッキーフライドチキンだった。』というくらいの感触です。(真剣に問い詰めてみたことはないけど、たぶん、あってます。)
 つまり、唐突に僕のさい君が生きることに自暴自棄になった、とか、ひどい夫婦喧嘩の挙句の報復に出て、ケンタッキーフライドチキンにしろめしで、晩御飯をすませた、とかいうことではないんですね。
 それなりの、『文化的背景』があるわけです。

 尚、この、
 ・ごはん。
 ・おかず
  『ケンタッキーフライドチキン』。
 ・以上。

 という献立が、我が家の食卓にのぼる危険性、もとい、可能性、が高いのは、毎月28日の日です。なぜなら、日本のケンタッキーフライドチキンでは、毎月28日を『にわとりの日』としていて、なんとかパックを安売りしているからです(ケンタッキーフライドチキンの関係者の方へ、いい加減な言い方でごめんなさい。)。
 蛇足ながら(というのはちょっと失礼ですが)、サーティワンアイスクリームというアイスクリームのチェーン店では、毎月31日を『サーティワンの日』として、これも詳細は知りませんが(Baskin Robbins関係者の方、これまた、すみません。)、特典があります。
 日本人の旦那は、ケンタッキーフライドチキンの『にわとりの日』も、アイスクリームの『サーティワンの日』も、さい君と結婚するまで、全く知りませんでした。
 自称『けち』、その正体たるや実は『けち』、な外国人妻が、日本に住み始めて開拓し、日本人の夫に提供してくれた情報なんであります。

 この28日にケンタッキーフライドチキンでなんたらが安い(ますます言い方がぞんざいになり、失敬します。)、31日はサーティワンがお得だ、という事実は、僕にとっては、

 『男女は結婚して夫婦になってみて初めてわかることがある。』

 ということの一例でありました。
 ちょっと『一般的な例』ではないかもしれませんけど・・。

===終わり===
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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