スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タイムマシーン。

 僕は、その時、思いました。こいつは俺が思い違いをしていただけで、愚息は幼すぎるのではなくて、むしろひょっとしたら、大物かもしれないぞ、と。

 よくある命題、いやそんな大仰なもんではないかな、ええと、とにかく『もしタイムマシーンがとうとう発明されて、でも、一回だけ過去に行けるのなら、あなたはどこに戻りますか?』という問いをつきつけられた、あるいは自問したことのある人は多いと思います。この問いへの返答は、ときにその人間の性格であったり、トラウマであったり、あるいはもっと穿って原点であったり、などの存外重要な一面をえぐり出してくれたりします。

 先日、帰宅したら、さい君が留守で(なんか最近、頻繁に居ないです。なんでかな?)、愚息がひとりで留守番していました。
 「ただいま。あれ、フジひとりか?」
 「おかえりー、うん、ひとり。」
 という会話のあったあと、息子はいつものように間髪入れず他愛のないことを父親に浴びせかけました。
 「パパ、ライトセーバーってなんで、使える人と
  使えない人がいるの?あの黒いのを持ってさ、
  スイッチ入れたらさ、ぶーん、て出るんでしょ?」
 彼は最近、スター・ウォ―ズのゲームにご執心です。それにしてもスター・ウォーズってすごい息の長いビジネスモデルですよね。詳しくは把握していないけど、世の中に出てから40年近くたってるんじゃないでしょうか?
 「いや、あれはだな、フォースっていう
  力を持っている人だけが出現させられる
  もんで、あの黒い取っ手をもってスイッチ
  を入れたらでてくる、なんてもんじゃない
  んである。だからルーク・スカイウォ―カ―
  もヨ―ダのところで修業しただろ?」
 うまいことやりやがって、こうやって特に『スター・ウォ―ズ』フリークでもなんでもない僕の遥かかなたの記憶を呼び戻させて、日本人とその混血児の親子の会話にまで入りこむような息の長い商売を世界的に展開するなんざあ、『スター・ウォ―ズ』はやっぱりただものではないな、と思いながらも、僕は息子の子供らしい質問に適当に相手をしていました。
 「ふーん、そうなのか。」
 「そうなんである。」
 こいつ、もっと、こう、うまくいえないけど、精神的に成長を感じさせるような言動ができんのかな、俺でさえこいつの年齢のときはもっと自我の芽生えというか、それらしく深みがあったような気がするんだけど、今から将来が心配だなあ、という僕の親としての思いを知ってか知らずか、いや、知らずに、でしょう、彼はいつものようにたたみかけます。
 「あのね、パパ。」
 「うん?」
 息子は珍しく、親に促されることなしに風呂場に向かい、早い時間からひとりで自分からすすんで入浴しようとしています。珍しいです。
 「みくるくんてね、」
 「うん、」
 みくるくんは、よくうちに遊びにきてくれる息子のクラスメートです。息子は風呂場に向かいながら続けます。
 「自分のはなくそ食べるんだよ!すごいでしょ?」
 「がははは!うそつけ!」
 くだらん、ばっちい、と思いながらもまたしても思わず爆笑してしまう僕です。
 「そんな人いるわけないだろ。」
 「ほんとうなんだよ!それでね、フジがね『みくるくん、
  はなくそっておいしいの?』って聞いたら、なんにも
  言わないでこうやって手をふるんだよ!」
 「がはは、うそつけえ~」
 風呂場に向かいながら息子は、なにやら手をくにゃくにゃと左右にゆっくりふりながら、みくるくんの真似をしてみせてくれます。うちの子もうちの子です、はなくそなんておいしいわけないだろ、あほな質問しやがって。子供だなあ、と思いつつも、曲りなりにも勤労を終えて神経が弛緩しきっている僕は、まともに笑っちゃってます。
 「あとね、」
 「うん?」
 「フジね、」
 「うん。」
 「きょうね、フジね、がっこうで、うんちもらした。」
 「ええっ!?」
 おまえ、そういう大事なことを、小学校三年にもなってあるまじきことを、なぜ一番に報告しない!?なぜ、ライトセーバーについての疑問や、みくるくんのはなくそ疑惑を先にもってくるんだ!
 「それで、どうしたんだ!?」
 「え?『どうしたっ』て?」
 すでに全裸になって、風呂場に入りかけている息子の背中に僕は質問を浴びせかけました。
 この『どうした?』っていう日本語はものすごく汎用性のある日本語で頻繁に使用する半面、その実、具体性に欠けますよね。息子は、意図したわけではないでしょうけど、僕の発した日本語の後者のほうの性質を本旨と見做してか、そんな曖昧な質問には答えようがないだろ、って感じで、返答せずに風呂場に消えていってしまいました。
 
 う~~む、こいつ、学校の成績表でも『たいへんよい』がほとんどないし、言動も子供っぽいから心配していたが、ひょっとすると、とんでもない大物かもしれんぞ。と、同じ失敗、つまり、-恥をしのんで告白すると-、『がっこうで、うんちもらした』経験のある僕はかなり真剣に思いました。それは、僕にとっては、消してしまいたい、一生忘れられない恥ずかしい失敗で、もちろんそのことでクラスメートはおろか他のクラスの人間にまで少なからぬ期間苛められたし、小さからぬ心の傷になって未だに残っている出来事だったからです。

 『もしタイムマシーンが出来て一回だけ過去に行けるのなら、あなたはどこに戻りますか?』と問われたならば、僕はあの失敗の直前にもどってその日は学校を休んじゃうことを選ぶでしょう。なぜなら僕の人生にとっては悪夢であってほしい、最たる出来事だからです。ある意味では、自分史を語る上で(特に誰にも語るように言われたことはないです。)現象としても、精神的に与えられたインパクトとしても不可避なことだからです。

 (ええと、でも迷わず1回だけ戻られるなら、とはちょっと断言し難いような気もしてます。戻られるなら、あの時も捨て難いかな・・・・。
 即ち、学生のとき好きな女の子に思い切って告白したら『ええ・・・、ええと、ええと、正直に言うと、みどりくんは二番目に好きなの。私が一番目に好きなのは皆川くんで・・』と戸惑いながら返答されて『なんだあ?二番目に好き、って、全然だめじゃんか、あ~あ、気休めにもならん。要は、あと1点だけ足りなかったから、惜しくもあんたはこの受験は不合格です、お疲れ様でした、ってえのと一緒だよな、うん。1点だけ足りなかろうが、不合格は不合格なんだから、駄目だ、こら。』と思って、あっさりそれっきり引っ込んじゃったことがありました。今なら、おお皆川とも付き合ってるわけじゃなくて彼女の片思いみたいだから、-実際そうでした-、『第一回経営側回答』、じゃなかった『第一回告白された側回答』としては悪くないぞ、いやいや、むしろ、脈は大ありじゃん、と欣喜雀躍として押しまくるのに、そのときは『多少なりとも好意をもっている相手から予想もされずに告白されて、断るでもなし、いきなり受け止めるわけにもいかず、でそういう玉虫色の返答をすることで考える時間を与えてほしい、という彼女なりの、行間を読んでね?っていう誠実な対応なのかも』なんてことには毛の先も思いを至らすこともなしに、見事なまでにその子から、即日、全面的に、かつ全速力で撤収っ!、しちゃったんであります。もったいないことをしました。『一回だけ戻られるとしたら』、うんちを学校でもらした日、と迷うくらい惜しいことをしました。・・・・・
 うん?待てよ、そんな自分本位なだけではいかんな、そうそう、やっぱり主将として臨んだ高校三年生の秋に逆転負けを食らった全国大会地方予選の三回戦での、後半15分・敵陣10M付近でのマイボールスクラムの、あのスペシャルサインプレーを俺のせいで失敗したことも悔やんでも悔やみきれん、みんなに申し訳ない、あれが成功していれば試合展開は変わっていたはず・・・
 うんにゃ、ラグビーといえば、大学4年生のとき、某日本有数の強豪大学の体育会の下部チームと試合をしてトライ数4本-2本で負けたとき、もっとみんなで団結して事前の練習をしっかりやって、かつ就職関係の都合で出られなかった、グラウンド外ではいい加減極まりないけどグラウンドの中ではなぜか責任感溢れる同期のフルバックの野郎が、あの試合に出ていればひょっとしたら勝てたかも・・・。
 いや、中学三年の秋の柔道の県大会の一回戦も・・・・、なんだか湧き出るように、後悔ばかりの人生みたい、になってきて我ながら情けなくなってきたので、このへんでやめときます。)

 とにかく『学校でうんちもらした』ことは、僕にとっては大きな傷で、しかしそれは、トピック性はとてつもなく大きいけれど『飽くまで失敗』であって、『世間が、学年じゅうにわたって遍くスクープとして知り扱おうが、結局は失敗の域をでることではなく』、なにか『悪いことをしたわけではない』ので、堂々と生きていけばいいのだ、と自分なりにそのトラウマを払拭するのに成人になるまで時間が必要だった僕、に比べて(実はまだ100%克服できてませんけど)愚息のこの悠揚迫らざる態度は大したもんではないですか。『え?どうしたって?』の一言でさらりとすますなんざあ、こいつは『幼いし、たいへんよい、は三つしかないし、贔屓目に見てもこれといって光るものもなにもない。』という僕の目が狂っていて、存外、大した人物になる素地をもっているのかもしらんぞ・・・。

 と、僕が真剣に考え込んでいると、しばらくおとなしくしていた息子が風呂場から僕を呼びつけました。
 「パパ!ちょっと来て!」
 「なに?」
 「いいから、早く!こっちきてよ!」
 「なんだよ!フジが来いよ。」
 「だめ!パパが来て!早くこないと
  だめなの!」

 ・・こういうとき、僕はここだけの話しですよ、若干さい君を恨めしく思います。さい君は家の中で僕に用事があるとき、それが必ずしもさい君のいる場所でないと解決できないわけでもないのに、たいてい僕を呼び付けます。結婚当初は、その習性に気付かず、僕はさい君に呼ばれるがままに、腰を上げてさい君のところへ移動していましたが、なんだ、これって彼女が俺のところへ来ればいいんじゃんか、って悟ったときにはすでにとき遅く、用があらば僕が呼びつけられてさい君のところへ行く、というのが習慣化されていました。二人といえどもそこは組織、一旦習慣化されるとなかなか抗えないもので、こういうのって『優しい旦那』っていうんですかね『尻にしかれてる』っていうんですかね、まあ、形容する日本語はどうでもいいんですけど今に至るまでその習慣は継続しています。それどころか、あろうまいことか、息子まで用があるときは息子のいる場所でなくてもかまわないのに、僕を呼び付ける、ということを真似るようになりました。このヤロー、いやしくも世帯主が誰か、こいつ、わかっていないんじゃないか、これはさい君が夫を軽んじて扱っているせいで、俺は、さい君より家庭内順位が低くて呼びつけていい人間、って息子も思いこんでいるに違いない・・・。

 僕は、こころの中で、さい君に毒づきながら、それでも結局は、やれやれと、腰をあげて、呼びつけられるままに風呂場にいる息子のところへ向かいました。
 「なんだ、どうした?」
 こういうときも『どうした?』って言っちゃうんですよね。便利な言葉です。
 また風呂で遊んでて、大きな泡ができた、とか、どうでもいいことを見せたいだけなんだろ・・・。と風呂を覗きこむと、しかし、息子は、今度は『どうした?』という言葉の持つ汎用性のほうに阿ることなく、具体的、かつ雄弁に僕の問いかけへの返答を用意しておりました。
 即ち、満面笑みをたたえ、目をまん丸に見開いた息子が指さすその先には、洗いかけの、しかしまだしっかりと汚物にまみれた彼のパンツが・・・。
 「パパ、これ!見て見て!カレーそっくり!?」
 「・・・・・・・」
 「ね、でしょ?」
 
 ・・・また『カレーとうんこ』かよ・・。『なんとかと天才は紙一重』なんて言いますけど、どうもこの小さい人間は『鈍感極まりない男』なのか『小さいことには動じない男』なのか判断がつきかねます。

 パンツを洗っている途中で、水分をやや含んだ汚物を見て、これはしたり!と閃いて、僕を呼び付けた模様です。つまり、早くしないともっと水分を含んで、あるいは汚物が流されちゃって『いいころあいのカレーみたいじゃなくなる』ので『すぐ来い!』ってことだったようなんです。そして、その光景の『しょうもなさ』に言葉を失い立ちつくす僕を見て、その状態を『モノがカレーに似ている』ことに合点がいかないからだ、と判断して、にこにこしながら『ね、でしょ?』と『念を押したつもり』だったわけです。

 これは、一度真剣にさい君を問責して先述の慣習を改める必要があります。なぜなら、家庭内順位として息子が僕をさい君以下って見做している可能性がある、のみならず『自分と同じ精神年齢』と無意識のうちにとらまえている可能性も否定できないからです。
 ・・・まったく、どいつも、こいつも。

 まあ、確かに『似てる』っちゃあ、似てましたけど。

===終わり===
スポンサーサイト

1997年。

 是非はともかくとして、重要なことなのに本人の意思に関係なく『見た瞬間に簡単にわかっちゃう』ってことが世の中にはありますよね。
 いや、あるんです。

 例えば先日、僕の知り合いの女の子(といっても僕と同じ年頃ですけど、僕にとってのありようは、まだ『女の子』なので。)の息子さんの受験番号がたまたま『1』だったそうです。こういう場合、本人がいくらどきどきして合格発表に望んでも自分の番号を探す手間はほぼ必要はないから、合否がすぐわかっちゃいますよね。望んでも、なかなかできない奇特な体験といえるでしょう。僕なんか、今でも昨日のことのように覚えるけど『とても無理だろうな』って自分で思っていて、『とても、とは言わんがまあ無理ですな』って模擬試験の合格判定パーセントに知らしめられていた、僕の出身大学の合格発表のとき、4桁の自分の受験番号を合格番号の掲示板にしばらく探してからみつけたとき、とても信じられなくて、そばに立っていた案内のお姉さん(おそらくはその大学のアルバイトの学生さん)に『あの、すみません・・・』って確認してもらったけれど(どうもそういう輩は僕だけではなかったらしく、そのお姉さんは僕が皆まで言う前に、苦笑いしながら『はい、確認ですか?』って対応してくれました。)、受験場号『1』の人の場合、そういうことはあり得ないですよね。ちなみに、知り合いの女の子のご子息はめでたく合格されたそうです。
 おめでとうございます。

 あれは、1997年のことです。僕にしてはめずらしく、はっきりと西暦を断言できるのには後述するような背景があったからです。
 そのころ、僕は、このブログに何度も書いているように南半球赤道直下の某都市に駐在しておりました。そして、その年、1997年に、久しぶりに日本に出張だったか、休暇だったかで、帰国した帰りのことです。
 日本とその都市の空港には直行便がありましたが、もう経緯は忘れちゃいましたけど、そのとき僕の帰国便は、なぜか香港経由でのトランジット便でした。久方ぶりに日本食を堪能し、当時まだ赤道を挟む、というスケールの大きいと言うべきか、無謀と形容すべきか、という遠距離恋愛中だった三宅奈美さんとのデートも果たし、大いに故国での日々を満喫した僕は(しかし、実はそのときすでに三宅奈美さんの心は僕から離れていたんであります。今思うと、三宅さんはその時のデート中にも、いろんな方策でそのことをちらつかせて僕に気づかせようとしていたんですけど、鈍感な僕はまっっったく、気がつきませんでした。間抜けです。三宅さんにおかれては、きっと歯がゆい思いをされたでありましょう。悪いことをしました。まあ、そもそもインターネット普及前夜などという環境を鑑みるまでもなく、赤道を挟んだ北半球と南半球での遠距離恋愛、なんてうまくいくはずがないです。)、勤務している工場のみんなへのお土産だの、本だのCDだのを書い込み、成田空港で、ぱんぱんに膨れ上がった旅行鞄を預けて、鼻歌なんぞうたいながら飛行機への搭乗手続きをすませ機上の人となりました。

 飛行機は順調に飛んでいます。僕は、ミックスナッツをつまみにビールなんぞを飲み、日本で買った文庫本を読みながらつつましくも至福な時間をすごしていました。
 しかし・・・、好事魔多し、とは良く言ったものです。機上の人は突然ある重大なことに気づき、あたかも手塚治虫の漫画の登場人物が驚愕した際にコマの天井に頭をぶつけるかのように、飛行機の座席から跳ね上がらんばかりに驚きました。
 「しまった!」
 僕は、そのとき、どういうわけか少なからぬ日本円を現金で持ち歩いていました。それを全部財布に入れてしまうと僕の赴任地の現地通貨だの、僕が立替払いした会社に請求できる経費の領収証の束だの、で二つ折りの財布が膨れ上がって折り曲げられないくらいになってしまうので、-これが僕の間抜けさの面目躍如たるところですが-、どうせすぐ必要になるから、と日本滞在中も一枚あたりの価値のはるかに低い駐在地の現地通貨を面倒くさがって財布から抜かずにそのままにして、あとはその日に必要分の日本円だけを財布に入れて、残りの大量な日本円の現金と、領収証の束は持ち歩かずに過ごしていました。当然、それらは駐在地に帰任する際もって帰るつもりのものでした。ところが、僕はそれらを旅行鞄の外側についているファスナーで開け閉めをする鍵のかからない大きなポケットの中にいれたまま搭乗荷物として預けてしまったんです。かさばるからとりあえずここに入れておいて、成田で出して身につけておこう、と思ったらしいんです。そのことに、離陸してから30分くらいして、出しぬけに気づいた僕は、大いにうちおののきました。
 「うああ、しまった!・・どうしよう!」
 しかし、どうしようたって、どうしようもありません。僕は、飛行機の座席で挙動不審なまでにおろおろしました。
 「成田、香港、現地の空港・・・うわあ、
  何箇所も他人の目につくぞ。悪意があったら
  まず探る場所だよな・・。なにしろ外側につ
  いている大きなポケットだからな・・」
 僕は、小心翼翼として、しかし、ただ飛ぶにまかせて時間をやり過ごすことしか手の打ちようがない状態でした。ふむ、こうなったら開き直るしかなかろう。渡る世間に鬼はなし、捨てる神あれば拾う神あり、というではないか。ここは、成田、香港、現地の空港労働者諸君の盗っ人こころを僕の鞄の大きなポケットが刺激しないことを、或いは、仮に刺激しても彼らの良心を信じようではないか、と僕は腹を据えました。

 ・・・長い旅でした。香港でのトランジットを経て、成田空港を出てからおよそ10時間以上の後、僕の姿は、現地の空港のバゲッジクレームの荷物口近辺を、あきらかに他の乗客とは違う空気を醸し出して、即ち凶荒といえるまでの荷物を睨む鬼気迫る表情と共に、ありました。
 僕は、エコノミークラスに乗ってました。まずはビジネスクラスの乗客の荷物が出てきます。しかし、僕は、ここで油断してはいかん、気合で盗難を阻止してしまうのだ、といわんばかりの表情で僕とは全く関係のないはずのビジネスクラスの乗客の荷物がでてくる度に凶悪なまでの視線を荷物ひとつひとつに浴びせかけます。と、どうやらエコノミークラスのステッカーがついているらしき荷物が出てき始めました。僕の緊張度はいやがうえにも高まります。呼吸すら止めています。大丈夫さ、『大金を鞄の外のファスナーで開け閉めするポケットに入れたから抜かれていた。』なんてまるで絵に描いたような話しじゃないか、そういうことは逆に得てして起こり得ないものなのである、うん。・・・。
 やや、ややや、あれは、うん間違いない俺の鞄だ!このままで推移せんか、自分の荷物を確認する前に呼吸を止めたために鞄どころか我が身体のほうが、あわれバゲッジクレームで先に卒倒して果てむ、という寸前に僕の鞄が出てきました!
 
 是非はともかくとして、重要なことなのに本人の意思に関係なく『見た瞬間に簡単にわかっちゃう』ってことが世の中にはあります。
 だめでした。見た瞬間、だめでした。
 僕の前に現れた旅行鞄の大金を入れたポケットは、バゲッジクレームのベルトコンベアの上に流れてきた時点ですでに『半開き』でした。
 なにが『良心を信じよう』だ、彼は、あるいは彼らは盗みを働いたあとに開けたファスナーを閉じる、というお行儀さえ持ち合わせておりませんじゃないですか・・・・。
 僕は、先ほどまでの凶悪な表情とは一転、その持ち主の尋常ならざる緊張感をあざ笑うかのように半開きになっているポケットの中身を、泣きそうな表情で、半ば投げやりに確認しました。見事に、いや、見事以上に、やられていました。
 現金はもちろん、全て、なんでも8万円くらいあったと思います、ありませんでした。そのほかに、そんなもん盗んでなんになる!と腹が立ちましたが、経費の領収証の束すらありませんでした。というわけで僕の実害は、10万円相当に上りました。ごっそり持っていきやがって・・・。ポケットの中には、あまり音楽など聞かない僕が、なぜだか自分で購入したシングルCD1枚が、ぺろん、と軽々しい存在感を伴って残っていただけでした。なんだ、そら、どっちかつうと領収証の束はせめて残して、このシングルCDを持っていってくれたほうがよかったんだけどな・・、ふん!物の価値観のわからん奴らだ。結構いい歌だぞ、このCDは。領収証の束より価値無しと判断する根拠が理解できん!・・・とほほほ。

 僕は、半分は自分の愚かさを、半分はどこの国の輩だかわからない窃盗犯を恨みながら、とぼとぼと現地の自宅へ夜遅く帰りつきました。
 今思うと、わずかな救いは僕が独身だった、ということくらいですね。自分の心で消化して整理さえできれば、『がっかりしたうえに、さらに家人に報告をして怒られる。』という作業をしなくてすみますから。しかし、失った財産の大きさのショックにそのときは、心の整理がつかず、後悔と怒りと悲しみに占有された気持ちをどう扱っていいやら、服もそのままベッドに倒れこむと、途方にくれました。
 ・・・・、せっかくだから、買ってきたCDでも聞いて気を紛らわすか・・・。

 ところで、是非はともかくとして、作者の意思に関係なく『しっくりと駄目押しをされる』ことが世の中にはあります。
 さっき、このブログを書くにあたって確認したら1997年の発売でした。僕が、のろのろとかけたCDプレーヤーからは、ポケットに唯一残された僕の財産が、まるで僕の心に駄目をおすように、イントロも無く、いきなりシャウトし始めました。
 
 『く~~だらねえとお~~!
  つ~~ぶやいてえ~~~!
  さめた、つらあして~
  あるうくう~~う!
  い~、つのひかあ~~~
  かがやくだろおおおお、
  あふれるあついなみだあああ!』

 ・・・いい歌、なんですけどね。窃盗犯が『こんなもんいらん』と(たぶん)唯一ポケットから抜き出さなかったのは、エレファントカシマシのCD『今宵の月のように』(作詞・作曲 宮本浩次)だったんです。だからこの窃盗事件が起きたのはほぼ1997年だろう、と推測できるわけです。
 
 エレファントカシマシさんと、宮本浩次さんには何も瑕疵はないのはわかっているんですけど、そのときの僕には、このシャウトが『僕の気持ちを代弁して、やけくそにがなっている』としか、-しかし絶妙にその時の僕の心情に、笑っちゃうくらいにしっくりとして-、聞こえませんでした。

 のちになって、そのときすでに三宅奈美さんに実質ふられていた、ということがわかったこともあり、この歌は僕にとって、かえって思い出深い歌になりました。

 ♪い~つのひかあ、かがやくだろお、あふれるあついなみだあ~
 
 ・・うん、いい歌です。
 
=== 終わり ====

ぎりぞう。

 それはまあ、彼女の持っているDNAにおける情報方面はともかくとして、僕のさい君は、生まれも育ちも赤道直下南半球なのである程度『大らか』なのはしょうがない、とは思います。それに、そんなの自分で選んだ結婚相手だろ、って言われれば二の句は告げませんけど(実はあんまり『選んだ』って実感はいまだにないんですけど。)、『大らかさ』にも程度ってもんがあるだろう、って日本人の僕としては思うんです。
 
 つい先日、ある休みの日の午後、さい君がひとりで買い物に出かけて、僕と息子で留守番をしておりました。息子はなんなんとするところ9歳になろうというのに、相変わらず『嫌なことは能う限り後回しにしてあわよくば特赦をとりつけん』というその場凌ぎを良しとする性格はなかなか改善されません。風呂ひとつとってもさい君に何回も言われてようやく入る、という毎日です。その日、僕は特にやることもなく、ふと無聊にかまけて早めにシャワーでも浴びておくか、と思い付きました。そして、どうせなら息子も誘うか、と思い、
 「おい、フジ、パパは今からシャワー浴びるぞ。
  一緒に浴びるか?」
 というと、そこはやはり子供、目をまん丸にして、
 「うん、浴びる!」
 と喜々として服を脱ぎ始めました。これで暇もつぶれたし、なにより今日のところは、とりあえずさい君と息子の、風呂へはいれだの、あとで入るだの、という不毛な会話を聞かずにすんだな、と思いながら、息子と一緒にシャワーを浴びました。
 それで、風呂場から出て、せまい脱衣所で、お互いに『パパ、邪魔だよ!』『ええい、ちょっと待て、今すぐ出るから!』などと縄張り争いをしつつバスタオルで体を拭い終えました。そして、パジャマ変わりにしているユニクロの長袖Tシャツを着たところで、
 「ん??」
 と、予想外の事態に、気持ちが思わず声に出ました。
 「どうしたのパパ?」
 すでに、いい加減に体を拭い、先を越してウルトラマンのプリントがされたパジャマの上下を身につけて、濡れ髪のまま脱衣所から出ようとする息子が、尋ねます。
 「いや、パンツがさ・・・」
 脱衣所の『会社で不遇をかこつ身なれど、いやしくも一家の世帯主たる僕』のいつものパンツ置場、にパンツがないんです。僕は、ユニクロの長袖Tシャツを着たまま、-ええと、たいていの読者はご存じと思いますが、筆者は長身とは言い難い体躯なうえに、遠目にぱっと見はデブ、近づいて見てもデブ、しかしてそのBMI指数は、遺憾ながらまがうことなきデブ、なので必然的に体に比し、相対的に服を選ぶ基準が身幅になり、そのために『犠牲になった身丈』の長すぎる服を着用するようになります。-、下半身、ええと生物学的に言うと『ヒトのオスの持つ通常の男子生殖器、ワンセット』、我が家での術語としていうと『象さん』ですね、がちょうどそのユニクロのTシャツの長すぎる着丈のために、幸せか不幸か、ぎりぎり見え隠れするような態勢で再度パンツを探しました。ユニクロさんにおかれましては何の瑕疵もないでのすが、しばらくそのTシャツの前身頃の裾部分は、僕の動きに伴い、僕の象さんと『つかず離れず』という微妙な関係を継続してもらっています。
 ありません。しかし、僕は動じませんでした。たまにあること、だからです。こんなことでいちいち感情を乱していては、南半球人とは暮らしていけません。
 ほう、左様か・・。と、いうことは・・・、僕は、その態勢すなわち『会社で不遇をかこつ身なれど、いやしくも一家の世帯主が、ぎりぎりその象さんを露出している状態』で脱衣所にある洗濯機の上にぶら下がっているタコ足ハンガーに目をうつしました。さい君は、どういうわけかわかんないんですけど、僕のパンツだけベランダに干さずにここに干しておくことが良くあるからです。
 ありません。ほう、左様か・・・。僕は若干、まだ若干です、心に乱れを感じながらも、それなら止むなし、といつの間にやら、すでにリビングの床に座りこんでゲームにいそしんでいる息子の前を、『会社で不遇をかこつ身なれど、いやしくも一家の世帯主が、ぎりぎりその象さんを・・』(以下、『ぎりぞう』と略します。)、ぎりぞうのまんま横断し、思いきってベランダに向かいます。他の洗濯物と一緒にベランダに干されているものの中にパンツを見つけ、その乾き具合を確認して急場をしのいだ、ということもこれまで何回かあったからです。
 ただ、今回は、ちょっと勇気が要りました。なぜって、そのときはまだ日が高い時間で、しかも僕のうちは、マンションの一階だったからです。僕は別にいいんです、僕は。いや、その、僕の象さんのルックスのレベル云々ではなくて、ちらりと見られるくらいいいんですけど、だしぬけに他人のぎりぞうを見せられるご近所さんのほうは大抵、否、100%いやだろう、と簡単に推測できるじゃないですか。だから、かなり慎重にそろそろと、しかし、そのためだけにパジャマ替わりにしているスエットパンツをはくもの面倒なので、窓を開けて半身だけベランダに出て、干されている洗濯物の中に、僕のパンツがないか、確認しました。
 無いんです。幸い、あられもない姿をご近所さんに見られることは避けられましたが(はず、です。)、無いんです。
 「パパ、何うろうろしてるの?象さん見えてるよ。」
 わかってるよ!と誠に適確かつ妥当な息子の指摘も刺激になって、僕は多少苛ついてきました。いつもは、ここまで探せば見つかるものを・・・。
 察するに、『家事をまめにこなす習慣がない』さい君は、どうも洗濯物をため込んで10日間くらい分を一編にしちゃったようなんです。それで、僕のパンツは残念なことに全部『洗濯中の仕掛品』になってしまっていた、ようなんですね。
 ええい、仕方ない、僕は、依然ぎりぞうのまんま、ベランダから戻り、再度息子の前を通ると、最後の砦、新しいパンツの買い置き場所に行くために寝室にはいりました。全く、帰ったら今回はひとこと言ってやらねばならんな、あろうまいことか自分の夫をこんな間抜けな姿でうろうろとさせるたうえに、下ろす必要もない新しいパンツを着用しなければいかんとは・・・、とさすがの僕も苦言の用意などしつつ、ごそごそと箪笥の引き出しを探りました。
 無い・・・。僕は、さすがに憮然としました。買い置きも無いじゃないか。どういうこったい!なんで家長の俺様がぎりぞうのまんま息子の前を何回もうろうろしなければいけないんだ。
 と、その時、インターホンが鳴りました。僕はそれどころではないわい、と千千に掻き乱された気持ちのまま、反射的に、しかし多少不機嫌に受話器をとりました。
 「はい。」
 「重たい!両手がふさがってるからドア開けて!」
 「・・・・・。」
 僕は、一瞬迷いました。皆さんならどうしますか?僕は、まだぎりぞうです。ドアを開けに行って、なにかの拍子に、僕の象さんが『ちょっと、失敬!』なんて姿を現して、ご近所さんに挨拶なんかすることになったら恥ずかしいだけじゃなくて、下手をすると『普段からそういう格好をしている人』という評判になってしまうかもしれません。
 「早く!」
 ドアの向こうで、さい君が叫んでいます。僕はすでに大いに不機嫌でした。なんだ!旦那のパンツも用意していないくせに、助けを求められる立場か!
 「・・・・。」
 しょうがないです。僕は、感情を害していることを隠そうともせず、眉間に皺を寄せたシリアスな表情で、しかし、もちろん、ぎりぞうのままドアを開けました。
 「ああ、重かった・・・。ちょっと、見てないで荷物 
  持ってよ!」
 と、両手に荷物を抱えた、しかし僕の窮状を知らないさい君は、さらに荷物を持つことを要求してきました。
 「・・・・」
 僕は、無言のまま、さい君から荷物を奪いとるように持って家の中にはいりました。
 「ああ、疲れた。」
 と、荷物から解放されて床に座り込んで一息つくさい君に、正対する形で、僕は憮然と、しかしやり場の無さもあって、どっかん、とソファに座りこみました。座りこんじゃうとぎりぞう、じゃなくて丸出しになります。期せずして、南半球人VSユニクロ、と両者が対峙する構図になってしまったではないですか。その横で、ウルトラマンは専心、ゲームに没頭しています。
 「・・・あのさ・・」
 「なに?」
 南半球人は、どうやらまだ家長たる権威を地に貶められた、悲哀さえ漂させている僕の惨状には、まるで気付いていないようです。
 「無いんだけど。」
 「へ?何が?」
 「だ・か・ら、フジとシャワーしてから、着替えようとした
  んだけど、パンツがどこにも無いからこういうことになっ
  てるんだけど!」
 さい君は、僕のこの発言を聞いて、しばし無言で、ソファに開き直ったように座る僕を上から下まで見ると、ようやくユニクロの長袖Tシャツのみしか身につけていない、という自分の夫のあられもない姿を認識したようですが、その結果、なんとあろうまいことか、いきなり、呵々大笑し始めました。
 「ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
 僕は苛立ちだけじゃなくて、怒りすらこみ上げてきました。何が可笑しい!たしかに間抜けな格好ではあるが、誰のせいでこんな格好になっているか自覚しておるのかね!
 「ふへへ!そんな、へへへ、まさか、ちゃんと探して
  ないんでしょ?へっへへ。」
 さい君が笑いながら取り始めた行動は僕の感情をさらに掻き乱すものでした。なぜなら、さい君は笑いながら、僕の前を鷹揚に行き来して、パンツ置場を探り、タコ足ハンガーを確認し、ベランダを見に行ったんです。だから、そこはもちろん探したうえで無いっていってるにきまってんだろ!と、僕は、-もちろんぎりぞうのまんまですけど。-すでに凶悪な表情を浮かべていました。
 「あれ、ほんとね、無いなあ・・・じゃあ・・」
 と、依然のんびりと、さして罪悪感もなさそうに言うと、さい君は、おもむろに買い置きパンツを探しに寝室の箪笥の引き出しをごそごそと探りはじめました。
 「あれ?無いなあ・・・」
 無いなあ、じゃねえだろ!僕の怒りはが沸点に達しようとしたその時、『ドアを開けろ』から始まってそれまで全て彼女の母国語でしゃべっていたさい君が、満面に笑みを浮かべながら、何を思ったか、急に平坦な、アクセントの全く無い日本語で、言いました。
 「ジャ-、カイ二イク、ダ!・・カ?」
 さい君は半分本気です。無いんなら買ってくることで責任を果たそう、というまことに安易で反省の色も見られない、-僕に言わせると-、方法で緊急避難を講じん、という魂胆のようです。
 カイ二イク、ダ、カって・・なんだっ!そら、あんた、その間だんなを下半身丸出しのまんまにしておくってことかいっ!?・・・。どこに行くつもりか知らんけど、ジャ-カイ二イクダ!してるあいだ、俺にこのまんまの、ユニクロ一丁の状態で待て、というのかい!それでは、推移せんか、我が家は、ウルトラマンVSぎりぞう・東大立目昼下がりの決戦、の場、トナルダ、カ?になってしまいやしませんか?

 僕は、あまりと言えばあまりの南半球人のいきあたりばったりさ、に脱力してしまい、怒るのも忘れて、しおしおと一旦脱いだパンツを履くことで、ぎりぞう状態を脱出しました。これが夏だったりしたら、どーしてくれるんだ、いや、冬ならいいのか、などと心のなかで呟きながら。

 『大らか』というと聞こえは良いみたいですけど、こういうのは『過ぎたるは及ばざるが如し』って日本語ではいうんだと思います。・・ちょっと違うかな。とにかく!・・まったく!・・笑いごとじゃないですっ!ふんっ!

===終わり===

有体に言ってよくある話。②

 ええと、今日はあんまりやる気がないので(だいたい、いつもない。)事実の羅列が大部分を占める(実はだいたいどれもそう、ですけど。)『有体に言っちゃうとよく聞くような話なんだけど、自分に起こったもんだから驚いた』話、即ち、2011年12月11日に続いての『有体に言ってよくある話。』ですましちゃうんであります。

 僕は以前にも執拗に書いたように(つまり、未だに納得していないんであります。)、自分の第一志望校の第一志望クラス、に合格したにも関わらず、事情があって、入学試験を受けるまでは『その存在すら知らなかった』高校(今となっては僕の母校ということになります。)に嫌々行くことになりました。まあ、そのことは今回は触れないでおきます。それで、その高校で、僕はたまたまラグビー部にはいったんですけど、1年生のとき、同じクラスにハンドボール部員が何人かいました。

 本題とはちょっとそれますけど(いつもそれてます。)、僕の学年のハンドボール部は特筆すべき集団で、結構な強豪であったうえに、男女ともに秀才揃いでした。男子は旧テ―ダイだの一流私大だの、にばんばん進学しましたし、女子部員も才色兼備で、綺麗な子が山盛りのうえに、これがそろいもそろってみなさんご才媛でした。社会人になった今もこの集団のオーラは健在のようで、そのうちの何人かはフルネームをネットで検索するとお仕事でのそのご活躍ぶりを見ることができるくらいです。夏休みの英語の補習に6人のうち4人が出ていた(なかんずくその補習組のうちのひとりの誰あろう山案山子君、そのひとなんぞは、理系の大学を経てコンピューターシステム営業の管理職という重責ある立場もものかわ『最近Googleの画面でよく目にするチョロメっていうブラウザさ・・』と『Chrome』のことを『強引にローマ字読み』して職場で失笑を買う、という英語補習組における大立者ぶりを、未だ実社会においても惜し気なく発揮しています。それにしてもちょっとひどいです。英語的センスがなさすぎます。同じ間違うにしても『チロム』くらいならまだしも『チョロメ』って・・。どう解釈したら『チョ』って読みが出てくるんでしょうか?)同じ学年のラグビー部とはえらい違いです。実はラグビー部とハンドボール部とは毎日隣合って練習していたんですけど、僕に関していうと、まっことに残念なことに、ハンドボール部の女子部員とは会話をした記憶が全くありません。それは、僕がたまたま女子ハンドボール部員とはどなたとも同じクラスになったこともないから、というだけではなくて、やっぱりラグビー部員が豊田1名を除いて、なんだかばっちくて、知性に欠けて、粗暴さを衒う、ような、特筆すべきところは何もない、ええと、まあ、簡単にいうと愚連隊みたいな集団ですね、だったという、言ってしまえば『大人のハンドボール部と子供のラグビー部』という精神面においてのいくばくかのレベルの差があったから(除く、豊田)、という面も否定できない、と思います。

 本題に戻します。
 1年生のとき、中間試験や期末試験が終わるたびに隣のクラスから僕らのクラスに駆けこんできて、僕らのクラスのハンドボール部員を捕まえては、
 「数学、100点!」
 と大きな声で自己採点を宣言するハンドボール部員の山田君、という男がおりました。入学のいきさつを引きずって1秒も勉強をしなくなり100点満点で『7点』だの『0点』だのというテスト結果を乱発していた僕は、いや、僕でなくても思いますよね、『なんだあ、こいつ?』って思っていました。しかもあろうまいことかその『100点!』男は宣言の通り、実際100点満点をとっちゃうんですね。ますます、なんだかなあ、って感じです。僕のクラスのハンドボール部員もたいそう勉強が出来る男たちだったので、いわば山田君にはライバルだったわけで、言わずもがな、1秒も勉強しない汚くて粗暴なラグビー部員の僕になんか用はないわけですけど、山田君の声はでかいから、こっちは聞くとはなしに、聞こえちゃうんです。

 2年になって、クラス替えがありました。僕の高校は-今は当時とは比較にならないほど進学指導に力を入れているらしいですけど-まことに生徒指導において進学面も含めてやくざな高校で、そのせいか、2年から3年にはクラス替えすらありませんでした。だから一旦2年生で同じクラスになると、ああ、この人達と残りの2年間を過ごすんだな、って判明するわけです。その中に上述の『数学、100点』の山田君その人がおりました。同じクラスになってみるとなるほど、100点を連呼するだけあって、授業中の集中力の高さといい、成績といい、群を抜いた秀才でした。また、人物もたまに『おいおい、あのなあ』というようなことを言う面こそあれ(彼は、その志望通り、予想に反して浪人こそしましたが、某最高学府に合格し国家公務員になられました。それはいいんですけど、大学四年のとき、お互い就職が決まってから話しをしていて、下記のような会話がありました。
 「俺の行く会社にもお前の大学の人間が何人かいるぞ。」
 「へ?ふ~~ん、その人達はきっとどこにも行くところが
  なかったんだろうねえ。」
 「いや、あのな、お前そういうことは俺には言ってもいいけど
  他人の前では言うなよ。」
 「なんで?うちの大学だったらさ、普通大ちゃん(僕の仇名です)
  の行く会社が第一志望なんて人いるわけないじゃん?」
 「いや、だから、そういうことではなくて・・」
 あんまりだな、このヤローと思ったので、上記の会話は山田【以下呼び捨て。ふん!】の結婚式での僕のスピーチの中で事実に忠実に再現して満場の笑いを誘い、公衆の面前で溜飲を下げました。悪気が全くないぶん、聞かされる方は相当気分を害します。僕にスピーチを頼む山田が悪いです。)、案外とわかりやすい男で、すぐに打ち解けました。
 
 あれは2年生になって、かなり日も経った夏頃だと記憶しています。休み時間に僕と山田が何とはなしに雑談をしていたとき、あることがきっかけで、突然、本当にまるでそれまで距離によって辛うじてひきあっていなかった磁石のN極とS極が1ミリ動いただけで盤石にくっつくように、僕と山田が同じ小学校に在籍していた、ということが判明しました。その小学校は何回も転校をかさねた僕にとっては一つ目の小学校で、甲子園球場のすぐそばにある兵庫県西宮市立の小学校でした。僕らの高校は、兵庫県から数百KM離れているので、僕らはその奇偶に目を合わせて驚愕しました。それで、もっといろいろと深堀りしていくと、どうやら同じように転校を繰り返していた山田とは在籍期間は重なっていない、ということ、しかし、共通のクラスメートがいること、などが判明しました。へえ、数奇なこともあるもんだな、まあ、俺はそのあとも何個も小学校にいくことになったんだけど、最初の小学校だから懐かしいな、って思っていました。
 それから、数か月のちのある休み時間、山田がすごい勢いでクラスに駆けこんできました。なんだなんだこのヤロー期末試験の数学100点宣言ならもう聞いたぞ、しかも今や同じクラスじゃないか、と思っていると、今回は山田は一目散に僕に突進してきました。おいおい、俺はおまえとテストの点数を競うような男じゃないことくらいわかってるだろ、って不審に思っていたら、
 「大ちゃん、大ニュース!」
 と叫びました。何事ならんと呆然とする僕に、
 「もうひとりいた!」
 と山田は興奮気味に言います。え、もうひとり、って・・・。
 「ソフトボール部の栃野さん!」
 「へ・・?」
 「同じ小学校なんだよ、俺たち!」
 「え、えええ!」
 これもまたどういうはずみか、他のクラスにいたソフトボール部の栃野さん(この件で、始めて面識ができたんですけど、わりと、いえ、かなり可愛い子でした。参考迄。)も僕と山田が通っていた西宮市立の小学校に在籍していたことが判明したそうなんです。そして、僕と山田と違い、栃野さんはやはりその小学校に転入したものの、卒業まで在籍していた、とかで、後日、卒業アルバムを学校に持ってきてくれました。かくして、お互い、高校で初めて知り合ったはずの三人はその小学校から何百KMも離れた一介の高校の教室で卒業アルバムを見ながら頭を寄せ合い『ああ、この人俺同じクラスだった!』『ええ、私も一緒のクラスになったことある!』などと他人を寄せ付けない異常な盛り上がりを見せました。

 やがて、僕らは高校を卒業し、僕は両親には申し訳ないですが『順当に』、山田は『大方の予想に反して』浪人することになりました。僕と山田は同じ予備校に行きましたけど、当然、所属するレベルが違うので、同じ名前の冠された予備校でも違う校舎に通っていたので、顔を合わせることは殆んどありませんでした。

 ところが、です。
 僕と山田と高校時代同じクラスを過ごした人間に(すなわち、高校2年、3年と同じクラスだったということです。)バレーボール部の足利君という男がおりました。彼も浪人し、やはり僕と山田と同じ予備校、しかし、これもまた違う建物(山田と僕の中間のレベルくらいですかね。)に通っておりました。足利君そのひとの人物については、今回はあんまり関係ないです。その予備校は、よくあるレベル別クラス編集で、クラス内ではあいうえお順に座席を決めていました。それで当然隣には同じ人間が毎日座るわけですが、足利君はその『毎日隣に座る、あ行で始まる苗字の浪人生』と仲好くなったそうです。よくある話しです。それで、-当時は勿論携帯もネットもないから、そういう行為がお互いを友人と認めるファーストステップだったんですけど-、足利君は、『君の家の電話番号を教えてよ』と言いながら自分のアドレス帳を開いたんだそうです。そしたら、その隣の人、有村君といいます、が、

 「うん、いいよ。・・・・あれ?」
 「どうしたの?」
 「この、君のアドレス帳にある、この人、みどりけいた、
  って俺、同姓同名の奴が小学校の同級生に、いたんだ
  けどなあ・・」
 「え?これ高校の同級生でそこの校舎に今通ってるけど。」

 そうなんです。なんと『たまたま足利君の隣に座った有村君』は、僕が通った二つ目の幼稚園と一つ目の小学校のクラスメート、すなわち、山田と栃野さんと同じ小学校の同級生だったのです。有村君もいつのまにか、僕らと同じ生活圏に住んでいたんです。しかも、有村君は僕と同じクラスになったこともあるし、山田とも同じクラスになったことがあったんです!栃野さんとも面識がありました。この知らせは、電光の如く、山田、みどり、と走り、足利君と4人で会いました。不思議な気分でした。僕と有村君、山田と有村君は十数年ぶりの再会、しかし、僕と山田とは同じ小学校に在籍していながら面識はなかった。3人の共通の知り合いは予備校で有村君の隣になったバレーボール部の足利君だけ、っていうまことに奇妙な面会風景でした。

 その後、僕らは、それぞれの道を歩み、大学生を経て、社会人になりました。山田とはその後も昵懇にしていて、先に述べたように彼は初志貫徹を果たし、順当に国家公務員、それもいわゆる『キャリア―』になり某省庁にはいられました。これはキャリア―だろうが、キャスタ―であろうがなりたければいくらでもなっていただければいいのであって、僕の関知するところではないです。そのうち、山田はその某省庁から出しぬけに外務省に出向になりました。そんなのあるんだ、と僕は思いましたけど、これも出向したければいくらでも出向してくれればいいので驚きはするものの、僕の関知するところではありません。

 ・・・その間、僕は、山田曰く『自分の大学の同窓ならどこにも行くところがなかった人間がいくだろう』会社に、僕の能力からすると明らかに運よく、しかし、実態は、恥ずかしながら大人としての自分の物差しなどまったく持ち得ないまま、いわば『バブル景気』という大海原に羅針盤も無線も持ちえないで船出したポンポン船が、ほうほうの態でどういう島かもよく知らないまま辿りついて、まあ、よしとするか、という誠に恥ずべき過程、傲岸不遜な感想、と共に就職しました。それは、まあいいです。それで、入社して、大きな不安と『ああ、俺の就職先の第一志望は一生学生なんだけどなあ』と見事なまでのうしう向きな気持ちで研修なんぞをうけ、配属先が決まりました。
 人事部の説明だと確か6~7部門かの配属希望を各自に書いてもらうから、全員第一希望というのは無理だけど、記入先のひとつには引っ掛かるようにするから、っていうことでしたけど、僕の配属先は、『第一希望、一生学生。からスタートした消去法』という曲がりなりにも自分の物差しで選別して記入した希望部門にまるで引っかかりませんでした。のみならず、もし書けることなら『第一億番目希望』としたかった、消去法なりに『ここだけは俺は行きたくないぞ』という部門、に配属になってしまいました。これもまあ、あり得ることです。それで、配属されてしばらく『なんだかなあ・・』なんて思いつつ、その業界の問屋街にある『分館』と称される小さな事務所に通っていました。
 ある年、なんだってそういうことになったのか、もう詳細は記憶にはないですけど(たしか当時の社長の気紛れ、くらいの些細な理由だったと思います。まあ、社長ですから気紛れでそういうことをするくらい、許されるでしょう。)年末に、突如僕ら『分館部隊』に『東京本社への引っ越し命令』が下されました。東京本社はなかなかの大きさで、16階建てです。それで、僕らは、どういう理由か知りませんけど東京本社の『2階』に引っ越しました。

 そして、引っ越してから1年くらいたった、すなわち社会人になってすでに4~5年が経過した、ある日の午前のことです。僕は是非はともかくとして、まだ『第一億番目希望』だった部門にいて、営業をしていました(実は今でも第一億番目希望のその部署にいます。いまだに自分なりの羅針盤が完成していないんですなあ。)。営業なので、朝一番から外出したりすることもあるんですけど、その時はたまたま、そう、ここ重要です、たまたま、デスクワークをしていました。そして、たまたま、そう、たまたま、です、離席して(トイレに行ったのか、仕事をさぼろうとしたのか、どっちかでしょう。いずれにせよ『たまたま』離席したんです。)エレベーターホールの前を通過せんとしたとき、エレベーターの扉が開きました。これは、エレベーターの本業ですから、開きたければいくらでも開いてくれればよろしいわけで、2階だからエレベーターになんか乗らないで歩いてこいよ、なんて野暮なことはいちいち思う必要はないわけです。すると、2人の社外の人間と思しき人が降りてきました。それは開くからには人が降りてくるのは道理です。そのうちの背の低いほうの1人が、目の前を通過した僕にむかって、
 「すみません。XXと申しますが、大山さんに御会いしたいん
  ですが、どちらに行けばいいですか?」
 と某一流企業の会社名を名乗って尋ねられました。大山くんは僕らの部門のシステム担当で、入社年次は僕の一つ下で、僕はよく知っています。これは社外の方だな、と粗相のないようにその方に大山くんのデスクの場所を説明し、一方で、大山くんのところへいき、来客だよ、って教えました。
 しかし、説明しながら、
 「・・・・・??」
 とある疑問が小さな波紋としてながら、じわりと自分の海馬の中で拡大していくのを僕は感じていました。それで、僕はそのお客さんと商談に入ろうとする大山くんに、
 「あのさ、さっきのお客さんのさ、背の低いほうの人に、
  帰るときでいいから、これ渡してみてくんない?」
 と僕の名刺を1枚渡しました。大山くんは、訝しながらも受け取ってくれました。
 ・・・約2時間後、商談を終えた大山くんは、果たして、今度は僕のではない1枚の名刺を手ににこにこしながら僕のところに報告にきてくれました。
 「みどりさん、幼稚園と小学校の同級生やそうです。」
 そう、なんです。大山くんの手にしている名刺には有村君の名前が。僕の第一億番目希望の部門のシステム担当の大山くんのところにやってきて、エレベーターホールをたまたま通りすがった僕をつかまえたのは有村君だったんです。
 浪人のとき予備校で出会って以来ですから、約10年ぶりくらいになりますね。それで、お互いひさしぶりだなあ、と立ち話をしました。
 「それで、あれからどうしたの?」
 「ああ、俺はね、XX大学にいって。」
 「へ?」
 あらまあ、有村君と僕は、同じ大学、同じキャンパスでした!学部は違うし、少人数の大学ではないので学内で遭遇しない、ってことは充分あり得るんですけど、これまた奇偶です。有村君は某大企業に就職し、僕の会社の僕の所属している部門とのシステム連結、を担当されていたんです。その後、有村君とは会っていませんが、有村君の会社とはその後も取引があり、僕との取引の窓口の方が有村君の同期だったりして、消息をうかがったりしています。

 すみません。この話はまだ終わらないんです。
 この『エレベーターホール遭遇事件』の1,2年後、僕は、南半球に首都のある某国に駐在になりました。そこで、4年半ほどいて、さい君と出会うことになるわけですが、僕の駐在している4年半の間に、某省庁から外務省に出向いていた山田が外務省から辞令を受けて外交官という身分で日本大使館に駐在してきました。僕は、小学校と高校を同じくした男とその国で過ごすことになったわけです。おかげで、僕の結婚式(日本ではせず、さい君の国だけでやりました。)には、僕はすでに日本に帰任していたにも関わらず、まだ駐在中であった山田夫妻にも出席していただけたんであります。

 ・・・その後、山田家も日本に帰任されました。が、すみません、もう少し続きがあります。

 僕と山田と2,3年のときに同じクラスであった、中里くんという優秀な男がおりまして、僕とは今でも親交があります。彼は、僕と違ってしっかりした価値観をもった男で、日本の某一流私大へ現役で進学し、大学を出たあと海外に留学して、某社に就職し、その後転職をしました。そして、これまた数奇なことに、僕と山田が帰任後、同じく、その転職先からの辞令で、さい君の国に駐在になりました。つまり僕の高校のクラスから少なくとも3人は同じ南半球のその都市に駐在者がでて、そのうち山田と僕は、時期も重なっていた、ということになります。

 僕は日本から出張して中里君と彼の地で夕食を共にしたことがあったんですけど、なんと彼の事務所は僕の会社の支店(つまり僕のさい君の元の職場ですね。)と同じビルのフロア違い、でした。中里君という高校の同級生が、彼の帰任後うちに電話してきてくれたとき電話にでたさい君と、さい君の母国語で会話していて、とても不思議な感じがしました。

 今回は以上です。事実の羅列で済ませるはずだったんですけど、思えず長くなりました。

 ええと、参考までに、これはわりと有名な理論なのでご存じの方も多いかと思いますけど『ミルグラムの六次の隔たり理論』というのがあります。
 ミルグラムというのはアメリカの高名な心理学者のお名前です。『いつもの伝で、筆者がでっちあげた』とか『筆者がミリグラムをミスタイプした』のでは、ないです(本当です)。この理論の言わんとしていることは、簡単にいうと(たぶん)地球上の人間は実は誰でもさ、だいたい6人の人間を介すれば繋がってしまうわけよ、というものです。僕と、山田、栃野さん、足利君、有村君、中里君、さい君、の話もこの理論が本当だとすればわからんでもないですね。

 いやいや、僕は『ミルグラムの六次の隔たり理論』は『日経新聞でない一般紙』(会社では言えないけど、僕、日経新聞とってないんです。スポーツ欄が小さいからね。)の日曜版かなんかで『たまたま簡単な要旨を読んだ』だけでそっちの専門というわけではないので、その方面に詳しい方、は僕に論争をふっかけよう、なんてことはご遠慮ください。そんなことを論争できるくらいの博識なら『ふ~~ん、その人達はきっとどこにも行くところがなかったんだろうねえ』なんていう会社にはいません、ので!
===終わり===
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
フリーエリア
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村
フリーエリア
フリーエリア

人気ブログランキングへ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。