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痛い!!⑤

 そういうたぐいの傷は、当時僕が住んでいた地方では、『きっぽ』と呼ばれていました。たぶん方言だと思うので、何人の方が理解されるか、わかりません。『きっぽ』は僕の理解ではみみず腫れ状の、傷の痕跡、のことをいいます。
 今でも・・・、ええと、今測ってみます・・・だいたい横7センチ、太いところで幅1センチの大きな『きっぽ』が僕の右太ももの外側に横になって残っています。

 あれは、もう『むにゃ十むにゃ数年前』の中学生のときの、まだやや寒さの残る初春の晴れた午後のことでした。
 例によって僕らの家族は、転居を繰り返し、その地方都市にも、行きずりの者として四年間だけ住んでいたんですけど(といっても僕の経歴からいうと四年間も同じ場所に住む、というのは長いほうで、しかも幼稚園から数えて、生まれて初めて『入学と卒業が同じ学校だった、それも多感な中学生時代だった』ということである種僕にとっては特別な土地になりました。)、住んで四年目にあった出来事です。

 そこは、とある瀬戸内海に面した当時は人口10万人程度の地方都市で、空は青くて、高くて、自然が豊かなところでした。家の中にしかけたゴキブリホイホイには、たまにですけど、ねずみだの小さな蛇だのヤモリだのがひっかかっていたし、窓を開けるとその下のレールには巨大なムカデが鎮座していて、夏になると空気中の蝉の声は飽和に達し、庭を見るとトカゲだらけで、その庭(といっても半分藪と渾然一体としたようなもんです。)には美味しい(ただし、なぜか豊作と不作が一年おきでした。)実がなる枇杷の木がありました。

 僕の住んでいた家は、海沿いの繁華街(わずか1kmにも満たないくらいのもんですけど)から徒歩で10分くらい離れた、小高い丘の八合目くらいで(10分も繁華街からはなれたらほとんど何もないです)、丘を登りきった頂きには、僕の中学二年のときの担任の先生が(体育教師でした!)アキレス腱を切って入院し、それと母方の祖父が息をひきとった、そのあたりで一番大きな立派な構えの病院があって、その裏にはお墓がありました。今思うと病院のすぐ裏がお墓ってなんだか、コンビー二エンス、な気もしますけど、ちょっとぞっとしないです。・・そういえばあのお墓(もちろん通学路指定はされていなかったので通ってはいけない道だったんですけど)、僕らはそこを通らないと丘の麓まで舗装された道を一旦降りて大きく迂回して登下校するのが面倒で、いつも墓の横にあるほとんどけもの道みたいな道路を毎日往復していたわけですが、結構な広さにも拘わらず、お寺らしきものはおろか管理事務所みたいなものもなくて、あまり、いやほとんど墓参している人も見かけなかったように思うけど、どういうお墓だったのかしらん・・・。

 ともかくも、その日、僕らはある大きなイベントから解放された日で『帰宅したらみんなでマチに行こう』(田舎なのでたかだか数百メートルの繁華街に行くのをこういうふうに表現するわけです。)ということになりました。それで、じゃあ何時にどこそこに集合、うん、俺は、近所だからシンコウ、と一緒に行くよ、じゃ、後でね、といつもの繁華街に行くだけなのに、わくわくしながら一旦帰宅しました。帰宅した僕は、制服のズボンに(田舎なので学校以外でも制服の着用が義務づけられているんです。)ワイシャツをきて、当時僕にとって最高のお洒落だったadidasの左袖に緑色の三本線の入った白い裏毛のトレーナーを来て自転車にのって家をでました。

 僕の家から丘をいったん病院のほうへ登っていくと病院の手前で小さな十字路にぶつかります。まっすぐ登って行くと病院です。左折すると道はすぐに下っていき、当時その大きな目とかけている眼鏡が似ていることから『アラレ』って呼ばれていた同級生の女の子の家の方に行きます。右折していくとしばらく平坦な道があって、僕の家で飼っていた犬の母犬がいる、一学年下のやっちんの家があって、それをやりすぎると、急峻な下り坂になっていて、その坂を下りきった麓のすぐ右の角、にシンコウ、の家がありました。
 その坂はとても急峻な70~80メートルの坂で、どれくらいかというと、逆に登るとしたら、中学生の運動部で曲がりなりにも主将など務めていた僕の体力をもってして、尚かつ、五段変速の自転車で一番軽いギアで挑んだとしても、3回に1回くらいは頂上まで登りきれない、っていうくらい急な角度の坂でした。もちろん下るときにはものずごいスピードがでます。坂は下りきったところでT字路になっています。

 僕は、ある大きなイベントから解放された、これから仲のよいみんなと街にでて遊ぶんだ、という開放感も手伝って、ご機嫌にその坂を下り始めました。もちろん、先はT字路だし、かように急な坂なので、途中でブレーキをかけつつ速度を調節して麓につくころは右折できるようにするわけです。でも、その日は僕は高揚感からか、本来ブレーキをかける地点でもそのまま引力と慣性の法則にまかせ、ぐんぐんと速度ををあげていき、スピード感を楽しんでいました。海老一染之助・染太郎風に言うと『はい!今日はいつもより長く飛ばしております!でも、これ一緒!』ってとこですかね。
 20Mくらいをノ―ブレーキで飛ばして爽快な気分になったところで、相当スピードがあがってきたので、そろそろこの辺りでいいだろう、と僕は右手で自転車のブレーキを引きました。・・・右手で?そう、このとき、僕の自転車は左手のブレーキ、つまりは後輪のブレーキです、が壊れていたんですね。でも別に前輪だけのブレーキでも差支えないから、修理せずにほうっておいたんです。

 その時、風を切る音に満ちていた僕の耳に、おぞましい音が聞こえました。
 「ビチッ!」
 同時に、自転車は急激に加速していきます。あまりにスピードを上げてからブレーキをかけたので、前輪のブレーキのワイヤ―がその負担に耐えられずに切れてしまったのです。

 僕の生涯の中でこれを『最も予期せぬパニック』と呼ばずしてなんと呼べばいいでしょうか!つい1秒前の予定では、大きく減速し、T字路にむかって行くはずだった僕と自転車は、それとは真反対になすすべもなくものすごい勢いでスピードを増していきます。僕の生涯の中でこれを『最悪の加速度的恐怖体験のひとつ』と呼ばすにしてなんと呼べばいいでしょうか!僕は大袈裟でもなんでもなく、0.1秒単位での判断をせまられることになりました。男子中学生はたいていそうだと思うんですけど、僕も座って足が地面につかない高さの自転車に乗っていました。だから、足を道路につけて留める、ということは無理なんです。いや、もしそれができたとしてもすでに猛スピードで加速している自転車はまともには止まらなかったでしょう。先はT字路です。このままノ―ブレーキで60~70M加速していって右折か左折をすることは絶対にできません。といってT字路につっこめば、それこそ命の危険にかかわるでしょう。靴を車輪に突っ込んで止めるか?いや、そんなことをしたら自転車ごと飛び跳ねてたいへんなことになるに違いありません。無理だ!

 自転車はどんどん加速していきます。最早僕がそれまで体験したことのあるスピード感はとうに超えていました。僕は咄嗟に左右を見渡しました。その時の僕の表情はおそらく恐怖のあまり凍りついて青ざめていたでしょう。つい数秒前高揚感を感じていた同じ人間とは思えないほど、対応策の見当たらない危険に心臓はばっくんばっくんしています。坂の左側は民家がつらなっています。ハンドルを左にきって民家に突っ込む?いや無理だ!民家の塀にこのままのスピードでぶつかったら死んでしまう。民家の先は・・民家のつらなりがきれた坂の麓に小さな公園がありました。あそこにつっこむか?ああ、なんとしたことでしょう、本当に小さな公園なのに、その公園は編状のフェンスで囲まれていて入口は人がひとり通れるくらいの幅しかありません。無理だ!公園までいくころには想像もできないスピードになっているだろうし、それにこんなに『入射角』の低い入口へ自転車で無傷で突入できるわけがない!・・・しかも奇跡的に入れたとして、どうする?公園はわずか15坪くらいしかなく、その中にさらにブランコだの滑り台があります。もし、猛スピードで角度のない入り口へはいりこんだとして、そのあとはブランコや鉄棒や滑り台を避けたとして、公園の突き当りまで行ったらどうなる?だめだ!・・・この間、わずか、2、3秒、しかし、ノーブレーキで急な坂を駆け下りる自転車は2,3秒前― その2,3秒前にしても『はい!今日はいつもより長く飛ばしています!でも・・』だったわけですから -に比べると体感では倍くらいの速度になっています。最早早すぎて自転車から身を投げ出すことも恐ろしくてできません。
 どうしよう、このままでは本当に死んでしまう!僕は確かにその時生命の危機を感じました。正面は無理、左も無理!自転車はすでに坂の中盤に差し掛かっています。1秒判断を検討している間に自転車は倍速でT字路にむかって突進し続けます。僕は左側をあきらめると坂の右側に目を転じました。坂の右側は左側とは違い、麓のほうは民家が連なっています。しかし、もとより、麓近辺でなんとかしよう、というのはすでに絶望的な速度です。僕は民家より上のほう、坂の右上半分に視線を転じました。どんどんと耳元で大きくなる風を切る音が僕の恐怖心を煽りに煽ります。『はい!今日はいつもより長く飛ばしております!でも、ブレーキなし!』です!これを暴走と言わずしてなんというのか僕は言葉を知りません。
 坂の右上部分は、雑木林の繁殖した緩やかな下り斜面になっています。ここに突っ込むしかない!体と自転車を雑木林の群れで止めるんだ。幸いそれほど大きな幹の木はなさそうだ、と判断した瞬間、僕の目に飛び込んできたものは、雑木林と坂道の間に張り巡らされた1.5Mくらいの高さまで、しかも御苦労にも数段に渡ってはりめぐらされた有刺鉄線たちでした。
 『!』
 万事休す、か?雑木林にとめてもらおうという僕の目論見は有刺鉄線の前に脆くも崩れ去ったのです。そこまで執拗に有刺鉄線をはりめぐらさなくても・・・、こんな雑木林の群れに誰がわざわざ入り込むっていうんだっ?俺ぐらいのもんだろう!・・・などと考える余裕はもちろんなく、このままさらに速度を上げて坂が終わってすぐ眼前にあるT字路に突っ込むわけにはいかず、そうかといって、同じく速度があがった状態で、角度のないところから幅の狭い公園の入り口に滑り込む、というのも現実問題としては不可能です。
 『ええい、南無三!』
 僕は、これ以上の速度には耐えきれない、と咄嗟に判断し、ハンドルを右に切り、目を瞑って有刺鉄線群に突っ込みました。
 
 ・・・・『その瞬間』のことは覚えていません。しかし、気がつくと僕は、スポークが折れ、車輪がぐにゃりとまがった完全に崩壊した自転車と共に、いったいどうやったのか、有刺鉄線を越えて、向う側の藪の中に倒れていました。
 『助かった!』
 さっきまで僕の恐怖心を激しく煽っていた風の轟音が嘘のような、初春の静寂の中で僕は自分の無事を知りました。そして次に僕は怪我をしていないか、を確認しました。
 怪我は・・・、盛大にしていました。どういうわけかわかりませんが、僕は右半身から有刺鉄線に突っ込んだらしく、右わき腹あたりから、右足のふくらはぎ部分まで、巨大な熊にでも引っ掻かれたかのように有刺鉄線による切り傷が複数個所ありました。上半身はお気に入りのadidasのトレーナーはもちろん、その下に来ていたワイシャツ、下着も貫通し、着用物全てが見るも無残にびりびりにやぶれ、わき腹のあちこちに傷がありました。さらに驚かされたのは下半身の方で、衣替え前の冬物の厚い生地の学生服のズボンもずたずたに切り裂かれ、太股やふくらはぎにも何か所も有刺鉄線が体に食い込んで、肌がぱっくりと裂けて盛大に出血していました。特に学生服のズボンの切り裂かれ方は何か所も豪快に穴があいていて、そのことは僕に有刺鉄線との衝突の大きさが尋常ならざるものであったことを痛感させました。
 幸いなことに、-本当に幸いに-、傷の高さはわき腹部分で止まっていて、首からうえは無傷でした。
 
 そのあと、これは、本当に若かったな、と思うんですけど、僕はぼろぼろになった自転車をひいて、服がずたずたになったその状態で一旦家に帰り、僕の姿をみて驚愕して声を失った母もものかわ、なんと応急処置をして服を着替えただけでそのまま『予定よりちょっと遅れて』シンコウの家に行き、『みんなで街に繰り出した』んです。

 傷たちの殆んどは、時間差こそあれ、その後いつのまにか癒えていき、無くなりました。しかし、そのうちの何か所かの傷はおそらくすぐ医者に行って縫ってもらわなければいけないような傷だったんだと思います。それが証拠に、有刺鉄線で一番ひどく裂かれた傷は、未だに横7センチ、太さ1センチの『きっぽ』になってくっきりと僕の太股に残っています。
たぶん、もう消えないでしょう。

 僕は、今でもたまにこの『きっぽ』を目にすると、無意識に触ってみながら、いろいろなことを思い出します。
 あのときの恐怖、だけではなく、僕の人生の中ではめずらしく何事にもけれん味もなく一所懸命だった日々、放課後に通った柔剣道場のすえたような汗の匂い、『自然公園』とは名ばかりの中に舗装道路を通しただけの近所の広大な森、丘の頂きの病院裏のお墓の外周を縫うようにはしっていたみんなで歩いた細い砂利道、突き抜けるような青い空、シンコウたちと一緒にいたある晩夜空に走った流れ星、その土地からもまた突然に去ることになりひとりわんわんと泣く僕を見送ってくれた友人たちが立っていた春の日のプラットホーム・・・・。

 親戚がいるでもなく、たった四年間住んだ町なので、その土地(市町村合併で今はもう地名も変わってしまい、当時よりも寂れているそうです。)には将来も行く予定はなく、ときは流れ、いつのまにやら妻子持ちの、日常をやりきるだけに汲汲とする一介のサラリーマンになった僕の記憶の中では、時間的にだけでなく、空間的にも、そこでの日々が、いつの頃からか、とおく、とおく、とてもとおく、感じるようになりました。
 でも、僕の太股に鉄の刺で深く刻印された『きっぽ』は、あの地での四年間は幻ではなかったことを、今でも寡黙に、しかし確かに、教えてくれています。

===終わり===
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5千円、って・・・・?

 「今から家族会議を開きます!
  フジも参加しなさい!」
 「なに、パパ、どうしたの?」
 「たいへん、重要なことであります。」
 つい先日、帰宅するなり、僕の招集により『臨時家族会議』を開きました。

 僕は、その時、明らかに違和感を感じました。仕事を終えて、一旦帰宅して外出し、財布の中味を確かめる機会があったときです。
 「・・・千円札がいちまいって・・?」
 その見た目も実態もうすい財布の中身は僕には唐突感があって、納得しかねるものでした。もちろん、僕は妻子ある普通の会社員なので(じゃーん、初めてはっきりと筆者の正体の一部を告白してしまったんであります。・・ま、わざわざもったいぶるような身分でもないです。)、ときにはその経済状態、特に格好良くいうとキャッシュフローにおいて、財布の中味が心もとない状態になることはあり得るわけです。
 でも、その時はあきらかに見た瞬間その千円札一枚のみ、というミゼラブルなキャッシュフローに僕の直観が得心しかねたんです。
 僕は、あれ?と思いながら、しかし、我ながら信頼できるとは言いかねる自分の記憶を頼りに、その日一日の僕のキャッシュフローの動きを頭の中で追跡してみました。
 まず、家を出るときの朝の財布の中のキャッシュは・・。残念、確かな記憶がないです。こういうところは実は僕の欠点で、良くいうと鷹揚、なんですけど、悪く言うと、自分の金銭管理に杜撰、なんです。

 ここだけの話ですよ、ここだけの。(といってもこのブログは全部『ここだけの話』以上の価値はないですけど。)僕は、入社して数年、かなりの年月が経つまで、自分の会社の給料日を正確に知りませんでした。これは、別に僕がお金持ちの子供で『今の給料なんて、僕の学生時代のお小遣いの半分だから、どうでもいいんだよねえ。いやあ照れるなあ、ははは。』なんていうことではなくて、今思うに、精神的に幼なすぎてお金の価値がよくわかっていなっかった、からなんですね。それに、-これは全然言い訳にはならないんですけど。―、給料日はちゃんと決まっているんですけど、そこに土日が絡むと前倒しになったりするわけです。それで実際に振り込まれるのは、毎月同じ日とは限りません。さらにさらに、-これも恥をしのんで告白します、-僕は結婚してさい君に教えてもらうまで、『クレジットカード』というものは一括払いでも手数料がかかるもの、と思い込んでいて、要は現金で買い物するよりも必ず高くつく、と思いこんでいて、殆んど使ったことがなかったんです。それでカードでの買掛金と振りこまれる給料を考慮して自分の経済状態を管理する、なんていう必要も僕には無かったんです。そんなこともあって、なんとなく、毎月だいたい25日近辺に給料がはいっているんだな、って漠然と捉えていて、そのうち、入社二、三年目のある時、キャッシュフローが困窮したわけでもなんでもないけど、純粋な疑問として『あれ?俺の会社の給料日って正確には何日なんだろう?』って、『ふと思った』んですけど、入社して二、三年もたっているのに、そんなことも知らないのはさすがに恥ずかしいな、まあいいや、というわけで周りには聞くことができずに、そのまま数年たっちゃったんです。
 
 『ふむ、キャッシュのスタート金額は・・・わからん。でも、千円札一枚っていう寂しさ、は無かったような・・・』、ということで、恥ずかしながらキャッシュフローを計算しようというのに、『今朝どれくらい財布が寂しかったか』というまことに心許ない『感覚』が根拠になって収支計算をスタートせざるを得ませんでした。
 次に、その日のキャッシュインについて顧みてみました。今日は、給料日でもないし、間違いなくATMで降ろした記憶もないです。そうか、ふむ、スタートの状態は『そんなに寂しくなかった』としかわからんが、キャッシュインは無い、よな。

 そうなると、問題はキャッシュアウトです。

 出勤の電車代は定期でしょ。昼飯は、社員食堂で、プリペイドカードで払ったから、インもアウトも関係ないな、うん。会社が終わったあとについては、まだ記憶が新しいし、今日は寄り道せずに帰ったから帰りの電車代は定期だし、勤務後の支出はないのは間違いない。ふーむ。
 ということは、今朝『そうでもなかった』のに、今見た千円札一枚に『新鮮に寂しさを感じる』この僕の直観が正しければは、やはり『昼食を除く勤務中の支出』を精査すべきでしょう。
 うーむ。むむむむむむ・・・。お、そうだ、そう言えば今日は社内にはいっているコンビニに二回言ったぞ。朝いちで『脂肪燃焼を助けるというお茶』と、それからあんまり眠いので11時くらいにブラックの缶コーヒーを買ったな。あまり脂肪は燃焼できているかどうかわかんないけど、それはともかくとして『脂肪燃焼を助けるというお茶』は確かに普通のお茶よりも高い。さい君には秘密ですけど、その効能を期待してほぼ毎日買っているのでそういう知識は確かなわけです。
 『いや、でも、お茶もコーヒーも社食で使った
  のと同じ、プリペイドカードで購入したはず
  ・・・。あ、そうか!』
 僕には珍しく、思い出しました。そうです。たしか11時にコーヒーを買ったとき、支払前に、そのコンビニのレジでプリペイドカードに入金したじゃないですか!・・・・入金したのは確か、五千円。それで入直後金にコーヒーをそのカードで購入したはず・・・。ということは、朝はすくなくとも六千円は財布の中にはいっていた、ということか・・・。でもなんかおかしいなあ・・。
 僕は、一日の自分のキャッシュのイン・アウトを全部洗いだした後にも、この千円札一枚、という『寂しい~~~感じ』には違和感がありました。なぜなら、その寂しさは妙に新鮮だったからです。いくらお金の管理に杜撰と言っても、もし、五千円を入金してそのとき、財布の中が千円札一枚になったのであれば僕は、そのキャッシュフローの頼りなさと共にコンビニを後にしたと思うんです。でも、そういう記憶はなく、今『新鮮に寂しい』わけです。
 『ふーーむ・・・・・・・。・・!!
  あ、ひょっとして!?』
 僕には珍しいことに、あることが閃きました。
 僕の記憶によると、僕は、5千円をカードの入金したとき、1万円を出して、それで5千円のボタンを押して、そのあと、そのカードでコーヒーを購入して、コーヒーとレシートだけを持って職場に戻ったんです。つまり、僕のこの推理があっているとしたら、僕は5千円の『お釣り』をもらい忘れてコンビニを後にしたことになります。そして、この5千円という差額は、僕の『1千円札しかない財布に感じる寂しさ』とほぼ釣り合っていました。
 
 『う~~~む・・・。』
 しかし。しかし、僕は考え込んでしまいました。まず、僕にはこの推理が100%合っている、という自信がなかったからです。実は、僕はすごく前、新入社員の頃、なんですけど、逆の立場になって苦い思いをしたことがあるんです。おそらく、そのことに関係した人達はみんなそのことは覚えておられないような些細なことですけど、僕にとってはなぜか忘れ難い出来事としていまでも鮮明に記憶に留まっています。

 その頃、僕は、ある商品を扱う営業に配属になって、しかし、そこは新人ですから個人的な予算もなく、先輩達の手伝いを、―しかし、とても忙しい日々でした。― していました。ある時、お客さんには売れないいわゆる『少々難あり』商品を社内販売で売ることになり、僕と二人の入社2年目の先輩女性社員が、本社の(そのころ僕は
本社勤務ではなかったので。)購買コ―ナ―の一角を1日借りて社員に現金限りの決済で販売していました。なにしろ、新人と入社2年目の三人ですし、もともと対面販売など本業じゃないし、売る相手は顔見知りとはいわねど、全員社内の人間なわけですから遊び気分半分で気軽に応対していました。と、ある若い女性客に商品とお釣りを渡すと、ものすごい怒気をはらんだ声でこう言われたんです。
 「ちょっと!今、1万円渡したんだけどっ!」
 僕は、5千円を受け取って、それで商品とお釣りを渡したつもりだったんですね。え?と思って、先輩女性社員の顔を見ると、その二人も、
 「いえ、いただいたのは5千円です。」
 と直接、僕を援護してくれました。断っておきますが、そもそも僕は新人で予算ももっていないし、商品も少々難有り、を廉価でさばいているので、利益なんかもともと期待していなし、僕ら三人には沢山売れたところで個人的にもいいことは何にもないわけです。だから、釣りを胡麻化そうという動機なんかないんですね。しかし、その女性の態度はすごく高圧的で、どうも、僕らを、女性二人が制服を着用していないことも手伝ってか、『出入りの難あり商品販売を本業としている業者』(もちろん、そうならいいのか、って思いますけど。)とみなして、すごく剣のある態度と言い方で、全く譲りません。
 「いえ、でも僕らは三人とも5千円いただ
  いたことを確認しているので・・・」
 「1万円よ!お釣りたりないんだけど!」
 しょうがないです。別にそこで喧嘩するほどのことではないですから。少しの押し問答のあと、僕は黙って、彼女の主張する残りのお釣りを追加して差出しました。すると彼女は商品とお釣りを鷲掴みすると『失礼しちゃうわね!』(もちろん今時実際に、こんな話言葉を使う人はいないです。そういう感じでっていう比喩です。)と言わんばかりの剣幕で、鼻息荒く立ち去っていきました。あとに残ったのは5千円の損、となんともいえない苦い気分でした。
 そのことがあって、僕は初めてスーパーやコンビニのレジ、駅の窓口の人達がいちいち『1万円お預かりします。』と言って、しかも、ときにはそのままレジにすぐに入れずに、磁石でレジの上にパチン、と紙幣を止めておく意味を実感しました。

 そもそも、自分の金銭感覚に自信がない上に、そういうほろ苦い思いがあったたために、今度は自分が『払ったのは1万円であるぞ』とあの時の鼻息荒く立ち去った女性社員の立場になるんだな、しかも、言いに行けるとしたら明日になっちゃうわけですから時間も経ってしまっているな、と思うと言いに行くのはあまり気が乗りません。
 これが独身の頃だったら、僕はまず100%放っておいたでしょう。
 その理由は『独身にとっての5千円と妻帯者にとっての5千円とはお小遣いとして価値が違うから』、ということとは微妙に意図を異にしていまして、僕の場合、金額の多寡云々というより恥ずかしながら『独身の頃はお金の価値が全く分かっていなかったけど、結婚して、子供もできて、いろいろあって、ようやくお金の価値を正しく理解し始めたから』というべきだったからです。簡単にいうと独身の頃は、お金というものに対して、例えば仮に100円として、その手元にある100円で『今何が買えるか』という『交換性』のみにしか認識が無かった、けれど、今は遅ればせながら手元にある100円が『100円であろうと、未来とは無縁ではない』という『生きていくうえでの時間軸』を伴っていることの価値に覚醒した、ってことですかね。だから、もし、本当に、僕が5千円のお釣りをもらい忘れているのなら、これはやはり取りに行くべきだな、と思うんです。でも、新入社員の頃の苦い思い出の掣肘もまた、拒みきれませんでした。なんつっても向うは、そういう大枚のやり取りのプロなわけですから・・。それに結果的に5千円を取り戻すことができても店側が納得しないで、店長さんなんか現れる事態になって、あの時の僕のように渋渋返金なんかされたら、ほぼ毎日行くコンビニだから、『あ、あのいちゃもんつけのおっさん』なんてことで顔なんか覚えられたら嫌だな・・・。

 というわけで、臨時家族会議を開催することになりました。
 「今から家族会議を開きます!
  フジも参加しなさい!」
 「なに、パパ、どうしたの?」
 「たいへん、重要なことであります。」
 
 僕は、食卓に座るさい君と、僕の呼びかけにも拘わらず、テレビの前を離れない息子にも経緯を説明し、意見を求めました。
 他人様はわかりませんが、僕にとって『結婚して、子供が生まれてきてくれたことで変わったこと』のひとつは、是非の程はともかくとして、息子を含めて、僕とは違う二人の人格がいつもそばにいる、っていうことですね。その違いはもちろん、人格の間に軋轢を生むこともあれば、ときには『ほう、そういう考えもあるのか』と僕に違う物差しでの指針の例示もしてくれます。
 僕は、さい君の母国語で上記のいきさつを説明しました。
 「・・というわけだ。どうするべきだと思う?」
 「レシートはどうしたの?」
 さい君、さすがに鋭いです。
 「・・いや、あの、すぐ捨てた・・。」
 果たして、さい君、身ぶり手ぶりを交えながらまったくぶれない主張をしました。
 「明日の朝、即、行くべし!戻って財布を見たら千円
  しかなかった、そんなのあり得ない、五千円返して
  ください、っていいなさい。」
 「でもさ、俺間違ってるのかもしれないよ。」
 「行きなさい!話を聞く限りでは、ケイタが
  間違っている可能性のほうが少ない!」
 「・・・・。」
 すると、それまでテレビの前から離れず、だまって聞いていた息子が反対意見を具申しました。確か、そのときは日本語で答えてくれた、と思います。
 「だめだよ。パパ。」
 え?
 「そんなことしたら、ごうとうはんざい、だと
  おもわれちゃうよ!」
 おー、なるほど。ごうとうはんざい、か・・・。そういう意見もあるわけだ。
 「・・そうか?」
 「そうだよ。パパ。そういうときはね、ください、
  じゃなくて、ちゃんと、せつめい、をしなきゃだめ
  なんだよ。ください、っていうのは、ごうとうはん
  ざい、のときにいうんだよ。」
 「・・ほう。」

 運悪く、翌日は体調を崩して欠勤した僕は、時間はさらに経ってしまったものの、翌々日の朝一番に、さい君の意見に背中をおされつつ、息子の主張も斟酌して、ものすごく卑屈なまでに丁寧に、なにしろ、ごうとう、と思われては五千円どころか人生の終わりですから、微笑みなど浮かべつつ、
 「あのーお忙しいところ(朝いちのコンビニは
  本当に忙しそうです。)申し訳ありません。
  ええと、僕も自信があるわけではないんです
  けど、おとといの11時ごろに、・・・・・・
  としたら、お分かりになるもんでしょうか?」
 と家族の思いを背負って決死の交渉に打ってでました。
 すると、僕の『せつめい』を聞いていたレジの女性は、途中から硬い表情でメモななんぞ取り始めました。とりあえずごうとうはんざい、とは思われていないようですが、『うわあ、こりゃ、やっぱり店長なんか出てきて・・納得はいかないけど・・なんて苦い結末になるんでは・・』と僕が危惧したその時です。
 突然、隣のレジにいた女性がてきぱきとした動作で僕の前に現れ、対応をし始めました。そして、
 「はい、一昨日、5千円ちょうどですね。 
  確かに。5千円、レジがあっていませんでした。」
 というや否や、さっと、5千円を渡してくれました。

 おー、すごい!僕は日本企業の良心に触れた思いがして、あきらかに5千円のお釣りの受け取り間違いには釣り合わない深々としたお礼をし、何度も『ありがとうございました。』と言って、その場を去りました。

 臨時家族会議をした甲斐がありました。
 ええと、『臨時というからには定例家族会議があるのか?』って思われるでしょうが、そいうのは別にないです。

===終わり===

有体に言ってよくある話。①

 これからみなさんが読まれることは、本当に僕の身に起きたことです。いや、そんなに身構えて読んでいただくような重たい話でも、幽霊を見た,とかいう系統の話(僕は、この類の話は怖くてまるでだめです。幸い向うでも僕には興味がない、と見えて、僕は俗に言う霊感の類が全然なくて未だに幽霊を拝顔したことはないです。)でもないし、読んだが最後、あなたはこの話を最低でも五人以上に言わなければ・・・なんていう話でもないです(でも、そういうことにしちゃったら読者が増えるからうれしいな。)。
 まあ『有体に言っちゃうとよく聞くような話なんだけど、自分に起こったもんだから驚いた』っていう挿話です。おっと『じゃあいいや』とか言って読むのをやめたりしてはいけません。

 今回この話を書くにあたって、さっき改めて『ええと、生まれたのはあそこで、それから幼稚園に入る前にあそこに越して・・』って声に出しつつ、指を折りつつ数えたら、僕は、生まれてから18回引っ越しをして、19か所に住んでいました。この数字には海外駐在したときにその市内で引っ越した回数は含んでいないので、それも含むと20回を超えちゃいますね。その頻度を皮膚感覚でわかっていただくために、定量的に例証すると、今もし僕が20歳だったら、毎年引っ越していた、という頻度になるわけです。
 ・・もちろん、20歳ではないですけど。単なる例証です、例証。
 その20回前後の引っ越しは、それぞれが大なり小なり僕という些細な個人の歩みに陰翳を織りなしていまして、中には甚大な影響を与えたものもあれば(例えば、海外駐在、とか)、さしたる影響を与えていないものもあります。
 その甚大な影響を与えた引っ越しのひとつは、僕の進学する高校をあっ、という間に変えてしまうというやくざなものでした。以前にも書いたけど、僕は、僕の第一志望の高校の、その高校のまた第一志望のクラス、に合格したにもかかわらず、今となっては僕の母校ですが、入学の数週間前までその存在さえ知らなかった(もちろん行く気なんてまるでないです。だって知らない高校なんだから。)高校に行くはめになりました。まあ、しょうがないです。個人的にはたいへんな精神的軋轢を被ったけれど『有体に言ってよくある話』です。

 僕は、中学のときは柔道部に入っていました。その実力はというとあんまり威張れたもんではないですけど、一応有段者だったし、某柔道強豪私立高校から柔道で進学しないか、という誘いもあったらしい、くらいですね。たいしたことはないです。当時住んでいた瀬戸内の地方都市市内では優勝するけど、県大会レベルだとまさに文字通り鎧袖一触で負けてきちゃう、っていう程度です。(強豪高校から誘いがあった『らしい』というのは判然としませんが、、実は部の顧問の先生から三年生になって練習していたある日、ついで話のように『ああ、そうそう、みどりと、誰と誰と、誰に某高校からうちで柔道やらないか、って話しがあったけど、断っておいたから。』って言われたからなんです。これは一見、顧問の先生が本人に意思確認もしないで断っちゃった、という暴挙にみえますけど、実はそうでもないんです。僕は、毎日真面目に部活動には出ていたものの、だからと言って特に柔道が好きでもなかったので、先生はこいつ柔道で高校に行く根性なんかある玉じゃないな、って推し量ってくれたわけです。29.5CMのオニツカタイガ―の靴を踵をふんづけて履くような巨大な体躯で某柔道強豪大学柔道部OBと言われていたその先生の気持ちを大人になった今思うと、ありがたいやら、申し訳ないやら、で複雑な気持ちです。)
 話が脇にそれました。

 さて、経緯はともかく僕は高校に進学しました。さしたる根拠もなく高校でも運動部に入らなければいけない、と義務感を感じていた僕ですが、上記のような経緯で高校に入学したこともあって、新しい生活の選択肢を考えることも面倒になってました。それで、もう活動も『・・柔道でいいか。ま、せっかく段も取ったし。』と好きでもない柔道を続けることを半ば投げやりに決めていました。ところが日本の高校としてあろうまいことか、僕の高校には柔道部が無かったんです。これは予想外でした。
 僕は、野球やサッカーなどには興味はあったものの、今さら昨日まで住んでいたところから1,000KM以上も離れたひとりの知り合いもいない未知の土地で、経験者に混じって新しいスポーツをやるような覇気は残っておらず、はて・・と困惑しました。そして、経験者の割合がたぶん比較的に少なさそうなこと、加えてその当時好きだった小林まことさんの『一二の三四郎』という漫画の主人公が、ラグビー→柔道→プロレスと歩んでいたことが頭を掠めたこと、もあって、じゃあ、ラグビー部にでも入るか、と向うからは勧誘もされないのに、安易にラグビー部にはいることにしました。実はこの安易な選択が僕のその後の人生を殆んど決定づけてしまう大きな要因になるんですけど、それは今回の本題ではないのでやる気がでたら、また別の機会に書きます。面倒だったら書かないかもしれません。ま、これもそれも大した話ではないですから。

 兎も角も、そういう安直な動機でラグビー部に入ってみると、果たして僕の目論見通り、新入部員全員がラグビーの未経験者でした。そのうえ、時あたかもラグビーブームでさして大きくない普通の男女共学の公立校でありながら、確か、全部で16人の入部者がいたように記憶しています。
 しかし『練習がきつい』『勉強と両立ができない』という理由から(僕の高校のラグビー部は決して強くなかったんですけど、そもそもラグビーというスポーツ自体がきついスポーツなので、たぶんどんな弱小のラグビー部でも高校からラグビーを始めた少年たちは程度の差こそあれ、しんどい思いをするんじゃないか、と思います。)何回かの『集団退部ブーム』が起こり、二年生になる頃にはたったの六人しか残っていませんでした。僕もしんどいなあ、と思いながら、加えてラグビーに特に面白みを感じるでもなく、ただ、なんとなく『部活動というものは休んだり途中でやめてはいけないもの』という偏見を持っていたために、第一次集団退部ブームにも第二次集団退部ブームにも淘汰されず、いや僕の場合はどちらかというとブームにも乗りきれず、ってほうですかね、気がついたらその残った六人の中にはいっていました。

 結局、この六人が僕らの学年ではラグビー部員として卒業写真に収まることになりました。僕以外の五人を簡単に紹介すると(全員無断で書いちゃいます、ごめんなさい。)、

 山案山子・・副将で、僕のブログにもこれまで何回も登場した
       男です。これまで散々登場しているので参照する
       過去の文章は多すぎるので書きません。
       すみません。

 藤代・・・・存在事態が、ラグビー部の不徳、
       『天性の憎めるいたずら者』です。
       2011年5月28日『板ばさみ。』
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-51.html
       2011年8月13日『パレットナイフ。』
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-62.html
       2011年8月21日『パレットナイフ。外伝。』
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-63.html
       ご参照ください。

 大林・・・・体は大きくないけど、一番の怪力でした。70㎏に満
       たない体重でありながら、高校二年のときベンチプ
       レスで110㎏を持ち上げてました!僕は彼とはしてな
       いけれど、たぶん喧嘩は一番強かったでしょう。
        とにかく肝の据わった男で、ある数学の新婚の先
       生が、休み時間に僕と大林で、筋トレをしている所
       へ、『おお、ちょっと俺にもやらしてみてくれ。・
       ・・おお結構おまえら力あるんだなあ・・案外重い
       じゃないか、ううう』と真っ赤になって、唸りなが
       らバーベルを上げている真っ最中に、いきなり先生
       の耳元で『先生、新婚って週に何回くらいHやるん
       ですか?』って囁く、というように、見ているこっ
       ちが、はらはらするような言動をとる男でした。
       ちなみに僕も大林も数学はよくぞ進級できた、とい
       う成績でしたので、どっちかというと僕なんか数学
       の教師と廊下ですれ違うのもいやだったんですけどね。
       2010年12月25日『大豆(おおまめ)に隠された真実。』
       ご参照ください。
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-33.html
       ついでに言うと、僕は、大林とは幸いにして一回も
       喧嘩をしませんでしたけど、藤代とはよく喧嘩をしま
       した。『よく』とはどれくらいかの頻度かというと、
       取っ組み合いの喧嘩、レベルの低い罵りあい、を含め
       て僕の記憶にあるのは5,6回程度、なんですけど、卒
       業して数年たったあと、これもすでに卒業していた僕
       らの2期下のスクラムハーフに『いやあ、僕ラグビー部
       に入部した初日の練習中に、みどりさんと藤代さんが、
       すんげえ勢いで喧嘩していて、この部はいったい大丈
       夫なのか、と不安になりましたよおお。』って言われ
       たその『練習中のすごい勢いの喧嘩』が『僕の記憶の
       中の5,6回には、実は含まれてはいない』っていう
       くらいの頻度ですかね。       

 さとる・・・山案山子に家の前に眼鏡をおいていかれた男。
       2011年5月21日『定量的と定性的。』ご参照下さい。
   http://heiseiasahi.blog129.fc2.com/blog-entry-50.html
        この男は、当時は無かった言葉ですが、今でいう
       『空気を読めない』男の典型で、だ~~れにも聞かれ
       もしないのになんなんとするところ高校三年生の某日
       に『俺は現役で早稲田に受からなかったら、いのかし
       ら公園の池を泳いで渡って見せる!』と宣言して周囲
       を唖然とさせてました。結果は本人の名誉のためにこ
       こでは触れませんが、その後彼がいのかしら公園の池
       を泳いだ、という話は寡聞にして今に至るまで聞きま
       せん、とだけ記しておきます。

 豊田・・・ 同期の良心。温厚篤実、唯一の文武両道、の男でした。
       大方の予想に反して一浪はしたものの、見事に某旧帝
       大へ進学し、そこの相撲部の主将もつとめあげました。
        ただし!これは僕だけが知ってることかもしれませ
       んが、まがうことなき『学校いち上履きの汚い男』
       でした。
        どれくらい汚いかというと彼のそれは上履き、とい
       うよりも『元上履き』と呼んであげる方が適切ともい
       えるもので、上の部分が尖端のゴムの部分を除いて殆
       んど疲労除去されてしまい、『汚い』を通り越して
       原型をとどめておらず、かろうじて靴底と残った尖端
       のゴム部分で『スリッパ』のように履物としての機能
       をこなしている、にすぎませんでした。いつ買い替え
       るんだろう、とその崩れゆく元上履きに注目していま
       したが、とうとう一緒に卒業してしまいました。

 すみません、これでも簡単に説明したつもりです。
 こういう5人と僕、が当初の16人から残ったわけです。その後、僕らは高校を卒業し、それぞれの人生を歩んでいるわけですが、ラグビー部は同期のみならず、上下を含めて今でも交流があります。
 
 そんな交流のあるひとつの機会に、いつだったか正確には覚えていないんですけど、もう僕らが社会人になってかなりの年数がたっていたある時だったと思います、僕が顔を出したら、そこにきていた大林が、僕の顔を見るや否や、噴き出しながら、
 「だいず(しつこいですが僕の仇名です)、おまえ、
  おおひがし、さんって知ってるだろ?」
 って言いだしました。
 「・・・え?・・・」
 僕の、この時の『え?』はちょっと複雑で、知っているかいないか、と言うと、間違いなく『知っている』んです。でもその僕の知っている大東さんと、いきなり大林の口からでてきた大東さんは99%違うひとのはず、と思われたんです。それで、なんて返答していいかわからなくて『・・・え?・・・』になっちゃったわけです。

 僕の知っている大東さんは、父親の友人です。もっというと父親の会社の同期入社の方だそうです。だから父親とはわりと近い関係であろう、と『推測』されます。僕と大東さんは今に至るまで全く面識がありません。じゃあ、なんで僕が大東さんのを知っているんだ、というとこれがまことに些細なことで、父宛に来る年賀状がきっかけなんです。

 父親には毎年数百通という尋常でない数の年賀状がきます。その量の多さは僕の推測によれば父親の人望、というよりもどうも『父親の勤務先の虚礼好きな会社文化』に拠るところも少なくないようです。とにかくたくさん来ます。
 ある年、まだ僕が中学生くらいだったと記憶しています(つまり上記の5人に出会う前のことです)。見るとはなしに、父親に来た年賀状を眺めていたら、珍しい名前の差出人に出くわしました。その名前は中学生の僕をしても思わず、
 「ねえ、お父さん、これ誰?本名なの?」
 と質問をさせるようなものでした。
 「うん?おう、会社の同期だ。変わった名前
  だろう。本名だ、本名。」
 「へえーー。」
 その差出人こそ誰あろう、大東さんだったんですね。もともとやや(やや、です。)珍しい名字をお持ちですが、中学生の僕が興味を惹かれたのは、そのフルネームです。名字と名前を続けて読むとまるでどこぞの国粋主義団体代表、みたいないかつい名前になるんです。
 「大東 亜共栄」(もちろん仮名です。)
 っていう感じですかね。
 「へえーー、インパクトあるねえ。
  一回名刺交換したら忘れられないね、こら。」
 と中学生の僕は偉そうに、しかし、心底からその名づけの背景をあれこれと想像して、感心しました。
 父親は同期のうちでも、比較的大東さんとは昵懇と見えて、毎年年賀状を頂いています。それで、僕は、毎年とはいわずともしょっちゅうその名前をちらりと拝見しては、おう、またきてるぞ、武骨だけど、インパクトがある名前だよなあ、一体誰がどういう思いで名づけたんだろう、なんて失敬な感心を勝手に繰返していたわけです。

・・・だから、大東さんを知ってるか、って言われても僕が思い浮かぶのは『父親のところに年賀状を送ってくるフルネームがいかつい大東さん』だけで、それ以外にはそういう名字の人は知らないし、その大東さんにしても会ったことはないから、もちろん向うは僕を『知人』とはみなしていないでしょうから、大林の質問にはつまってしまったわけです。知ってるかといわれると知らんでもないけど、俺の知ってる大東さんは父親に来る数百枚の年賀状の中で勝手に僕に注目されている一人、にすぎないので、珍しい名字とはいえ、その『大東さん』と、僕がひょんなアクシデントから行かされた高校で安直に選んだ運動部で得た生涯の友人の口から出てきた『大東さん』、は99%別の人だと思われたからです。だって、仮に父親の同期つったって何人もいるわけですから父親の同期の方の名前を全部僕が知っているなんてことはありえない訳で、たまたまその年賀状にあるお名前に僕が中学生のある正月にインスパイアーされただけなんですから。

 大林は僕が返事を保留しているのに、完全に僕が知っている人という前提で半ば爆笑しながら続けます。
 「ぐふふ、俺、その日さ、拓也さんと遊ぶ約束しててさ」
 これまた、たまたまその日、大林は僕らの高校のラグビー部の3つ上の先輩、すなわち僕らが入学したとき入れ替わりに卒業している代の先輩です、と遊ぶ約束をしていたらしいです。ラグビー部にとってはこういう在学期間の重なっていないOBが親しくする、ということはよくあることなんですね。でもその日、その時大林が他ならぬ高校のラグビー部のOBとそういう約束をしていた、というのもあとで考えると不思議なことです。
 「したっけよお、おれ、人身事故おこしちまってよ!」
 「ええ!」
 笑ってる場合じゃないでしょう!僕は最早大東さんなんてどうでもよくて、そっちのほうに驚いてしまいました。しかし、大林は逆に事故そのものなんかどうでもいい、って感じで、たまたまその場にいた拓也さんにも、
 「ほら、こないだ、僕が事故したからって
  ドタキャンした時あったじゃないすか?」
 って、にたにたしながら続けてます。
 「お、おい人身事故っておまえ大丈夫だった
  のか???」
 真面目に彼と彼に起こったことを案ずる僕に構わず、大林は僕と拓也さんの両方にむかって続けます。
 「そしたら、そのぶつけちゃった相手がみどりの
  知ってる・・」
 「え????」
 そうか、訝しながらもそれ以外はあり得んとはおもったけど、大林が起こした事故の相手が父親の同期の『大東 亜共栄』だったんだ!なんていう偶然!と僕は驚きました。
 「それで『そのこ』のお見舞いに言ってよお、」
 ???『そのこ』?どういうことだ?やっぱり大林が『大東亜共栄さん』と事故を起こすなんて偶然すぎるよな。でも『そのこ』って・・、
 「あのさ、よくわかんないんだけど、
  俺の知ってる大東さんんてのは・・」
 「いや、そうなんだよ。その女の子が入院
  しちゃって・・」
 「いや、だから女の子じゃなくて・・」
 こら『おおひがし違い』だろう。だって、僕と、父親と、大東亜共栄さん、と大林、の関係には『女の子』という登場人物はあり得ないんですぞ。そうじゃなかったら、『みどり違い』とかさ。
 「違うんだって。俺が怪我させちゃったのは
  若い女の子なんだけど、その人のお見舞いに
  行ってさ、でも話すことないから、どこの
  出身ですか、なんて話しをしてたらさ、」
 「・・ふん。」
 「いえ、転勤族でいろんなところをうろうろ
  していて、どことか、そことか、あとxx市
  とかって言われて。」
 !!xx市というと僕がかつて住んでいた20か所のうちのひとつです。なんだかよくわからんけど、僕には馴染みのある言葉が出て来たぞ・・・。
 「それでさ、俺が、ええとxxって確か僕の親しい
  友人も住んでいたって聞いたような・・、ええと
  父親の会社はたしか・・で、なまえは、みどり・・」
 と大林が、場を持たせるためにその地名にかこつけて、以前聞かされた話を記憶を頼りに、なんとはなしに僕の名前まで口にしたところ、
 「その子がよ、いきなり携帯を取り出して、すんげえ
  興奮して嬉しそうに電話をはじめて」
 「うれしそうに?」  
 「そうなんだよ、それでさ、でっかい声で、
 『パパ、パパ、聞いて、聞いて!私に怪我させた
  人ってみどりさんの息子さんの親友なんだって!!
  すごくない!?すごいよね!』って言うわけよ!」

 ・・え?え?!ええ~~~~!
 
 みなさん、この時の僕の驚きがじわりと、しかしとても高くなっていった様子、おわかりになりますか?
 まず、もちろん、僕が僕なりの紆余曲折を得て出会った友達が、父親の同期の娘さんを相手に人身事故を起こしてしまった、という偶然にも充分驚きですが、それ以外に、

 *そもそも、大東さんに娘さんがおられたことを
  僕はその時、大林から聞くまでしらなかった。
 *大東さん一家は、僕が把握していないうちに
  僕らがかつて住んだ瀬戸内のある地方都市に
  転居をされていて、僕が住んだ丘の中腹に
  ある全く同じ社宅(それも平屋の一軒家です)
  に住んでいた。
 *どういう経緯かわからないけれど、僕がそうで
  あったように、大東さんの娘さんも彼女の父親
  の何人もいる同期の中で『みどり』という名前
  を知っていた。

 ということが一挙に判明したからです。
 仮に大林がお見舞いにいって、それで、出身地の話をして、かつ、xx市という地名が会話の中で言及されても、もし、大林がその場でその地名にかこつけて僕の名前を言いださなかったら、あるいはもし、そうなったとしても大東さんの娘さんが自分の父親の同期として僕の父親の名前を記憶していなかったら、この事故の偶然性が日の目をみることはなかったでしょう。

 数百枚のうちの一枚の年賀状という偶然と、僕一家と大東亜共栄さん一家が同じ社宅に前後して住んでいたという偶然と、大東さんの娘さんが僕の父親の存在をどういうわけか知っていたという偶然と、大東さん一家がその後いつのまにか僕らと同じ地域に住んでいたという偶然と、最後に怪力大林が事故を起こした相手がたまたま大東さんの娘さんであった、という偶然、が一気通観に合致した出来事でした。

 『有体にいって、よくありがちな話』ですけど、僕には本当に驚きでした。

 ちなみに、大東さんの怪我は大事に至らず、そのあと、大林は被害者である大東さんの娘さんと大いに打ち解けあって、あろうまいことか、なんとその後その二人が幹事になって『合コン』までしちゃったそうです!!
 断っておきますが、僕はその合コンには参加してません。・・別に参加していないからえらい、ってことはないんですけど。
 
 お互い交通安全には、くれぐれも気をつけましょう。
 
 ・・・それにしても、豊田の上履き・・凄かったなあ・・・。

===終わり===

森永ホモ牛乳。

「そっこのメンバーがゲイだらけでさあ。」
 おいおい、昼間っから大きな声でそんなことを言ってよいのか、若者よ。

 別にきめつけるわけではないですけど、『驚き』という感情とはときには、『ある人には必然だけれど、自分には偶然であること』と定義できる、と思います。

 たとえば僕が自分のボーナスの低さに驚くのは(たいてい毎年驚いてます。)、単純に上司の僕に対する評価が低いから、です。この場合、上司にとっては『みどりの評価が低くて、したがってボーナスが低い』のは『必然』なので、いささかも彼の感情は刺激を受けないわけですが、僕は『ありえん!』とその額面に必然性を認め難いので、おおいに驚愕するわけです。ついさっきも今年の冬のボーナスの明細をみて懲りずにのけぞったところです。我ながらタイムリーですなあ。

 先日、― 晴れて気持ちのいい平日の昼間でした ―、僕がわりと空いた電車のドア近辺に立って窓外の景色をぼうっと眺めていたときのことです。とある駅で、僕がもたれているドアとは反対側のドアが空き、4,5人の集団が乗ってきました。集団は、ドアとドアの間に居場所を得て、丸くなって話しを始めました。僕は彼らに背中をむけている格好になります。特に興味を惹かれたわけではないですが、彼らが、学生とまではいかないまでも、僕よりは、うんと若くて男女混合の集団であることが聞くとはなしに聞こえてくる声の勢いのよさや、言葉使いから伺い知れました。
 僕は、依然として窓外を駆け抜ける景色をぼうっと見ています。
 と、その時、若者たちのひとりの男性が、言い放った言葉に、僕としたことが、つい、聞き耳をたててしまいました。
 「僕さあ、どこそこのジムに通ってたんだけどさあ、
  そっこのメンバーがゲイだらけでさあ。」
 おいおい、昼間っから大きな声でそんなことを言ってよいのか!若者よ。いまどき、そういう偏見に満ちた口調で他人の性的嗜好を電車の中、という公の場で言ってどーする。この車両の中にもそういう嗜好の人がいるかもしれないじゃないか、最近の若者よ!と、さっきまで空っぽだった僕の頭はこの偶然の遭遇に刺激を受けました。
 昭和の時代ならともかく、ジェンダーフリーが叫ばれてすでにひさしい21世紀にあって、あんまり、そういう人は見かけないですよね。これはある意味希有な光景に出合ったぞ。
 すると、若者は、まるで僕の心の声が聞こえたかのように続けました。
 「別にゲイはいいんだけど。ナンパされちゃうんだよね。
  ゲイがどうのじゃなくて、しょっちゅう食事行こうとか
  言われてさ」
 ほう、一応他人の価値観は認めているわけだ。うん、それでよい。
 「だから、そのジムやめたよ。」
 えー、本当かよ。それが理由でジムをやめるまでってことは相当ゲイにもてたんだな。それにそんなことを大きな声でいう輩って,どれどれいったいどんな見かけの・・、と僕はよせばいいのに好奇心のおもむくままに、さりげなく発言者の現認を図りました。
 
 ええ!

 そこには、間違いなく如何にも『ゲイにナンパされて本当に嫌な思いをしたぜ』という渋面をした若い男性が立っていましたけれど、その髪は金髪、そして眼は碧眼、の、まがうことなき『白人』じゃないですか・・・。そういう絵を頭の中に全く用意していなかった僕は、面喰ってしまいました。
 あんた、日本語、しかも若者言葉が、うますぎるでしょ!全然予想外ですぞ!
 
 虚をつかれてしばし呆然とする僕のことなど構わず、彼は平然と、彼にとっては日本人と話すために駆使することが必然であろう、しかし僕には結果として大いに意外だった、その流暢な日本語で会話を続けます。
 少し、落ち着いて観察してみたところ、そのグループは彼以外にも外人がいて、白人と日本人の集団だったんです。
 電車のドアとドアの中で、内側に各々が顔を向けて、円をなすように立ち話をしてる彼らの中で、ふりかえった僕(いつのまにか僕は振り返って彼らに正対していました。)から見ると、そのジムをやめた白人さんは時計でいうと10時の方向にいます。彼は、僕からみて3時の位置にいる日本人女性にジムをやめた経緯を一所懸命話していたようです。
 話しかけられている3時に位置する女性は、僕に横顔をむけている格好になりますが、よくよくみると、横顔だけでもそれとわかる、小顔の、『一般的に判断』して、たいそうな美人、です。

 おお、美人だ。こんな美人にあんな『ゲイ』連発の話題を大声で振ることはないだろう・・。余計なお世話か・・。ま、それくらい仲が良いということだよな・・。それにしても美人だな。俺の好み、かと聞かれると違うけど・・・、そもそも、聞かれてねえな・・・。(ええ、参考までに、ここでは深くは掘り下げませんが、僕の女性の好みは非常にシンプルです。ごく短い言葉で言い終えちゃいます。特にアブノーマルでもない、と思っています。ただし、かつて、こもりめいこちゃん― 僕の数少ない、ほんと~~~に少ない、かつての女友達のひとりです。― に、みどりさんってどういう人が好きなんですか、って聞かれたので、素直に僕のそのシンプルなタイプを『ええと、xxでxxな人。』って答えたら、『うわ、さいってい!さいっあく!いいですか?それは私だからいいけど、他の女性にの前ではぜったいに言っちゃいけませんよ。みどりさんのためです!わかりましたかっ!』って言われて唖然としたことがあります。その時は若かったから正直にいって何がそんなに悪いんだろう、って思ったうえに『え、なんで?めいこちゃんがそうじゃないから?』なんて駄目を押して、さらに『もう、軽蔑しますよ!』なんて言われて、本心から不思議だったけど、今思うとなんとなくわかる気がします。このへんでやめときますが、わかる気がする、というのは、どういうことかというと、まあ逆の立場にすると、当時は『金持ちの男は本当にもてる』というある種残念な事実を、理屈で解明せんとして、しかも『好きなタイプはお金持ち』と公言する女性が実際には世に殆んどいないじゃないでじゃないか、ということを拠りどころに、ひょっとしたらそれを否定できるんじゃないか、と真剣に思う青さ、を当時は持っていた、ってことですかね。めいこちゃんは実はたいそうな美人で、僕と映画も見に行ってくれたし、アメフトの試合も、野球も二人で見に行ってくれたし、何度も食事にもつきあってくれたし、僕の両親にも紹介したけど、それ以上発展しなくて、ちょっと、惜しいことしちゃったな、とも思わないでもないです。でも、それ以上発展しなかったからめいこちゃんとは、まだ友達でいられる、という・・・いや、いや、いつものようにこのへんにしときます。)とにかく、3時の位置にいる日本人女性は整った顔立ちでスタイルもよかったんです。

 『ゲイ』連発白人はその美人にしきりに話しかけています。
 「へえ、そうなんだ。え?上智?そうなの。
  僕も上智だよ。学部は?」
 ・・あれ、なんか妙だな?
 「ふ~~ん、そうなんだ。ええと、ごめん、
  名前なんていったっけ?」
 
 えええ!あんたら初対面かよ!

 初対面で、ゲイゲイいってたのか。それはいかんだろう。だって、相手が女性だからといって、それは可能性としては低いけれど、でも、彼女がヘテロとは限らんではないか!いい度胸してるなあ。
 どうも、その男女は、なにかの理由で、今日知りあった、というのが何人かいるみたいなんです。それで、10時のゲイゲイ白人と3時の美人はどうも今日初めまして、らしいんですね。小顔美人は、しかし、ゲイゲイ白人の饒舌な攻撃にもさしたる動揺も見せず、大人びた対応をしつつ、改めて、という感じで自己紹介を始めました。
 「わたし?まき。」
 「まき?」
 「そう、My name is Maki Ishizaki.」
 とても綺麗な発音です。どうやら、3時の小顔美人は英語がかなり堪能なようで、彼女の英語での自己紹介がきっかけになり、その集団の会話は英語と日本語が入り混じりはじめました。英語交じりの会話になって僕が話題についていけなくなったことも手伝ってか、「いしざきまき」という言葉はなんとなく僕の頭の中で転がされていました。
 そして、突然に、その転がされた彼女の名前が、ジクゾーパズルの一片であったかのように、僕の頭の中で、薄い記憶に、ぽんっ!とはまりした。
 「??!・・い・し・ざ・き・ま・き!」(注:もちろん仮名です。)

 ええええ!あんた!売り出し中の某テレビ局の有名女子アナではありませんか!

 どうりで綺麗なはずです。
 しかし、あんたこんなところで何をしている!平日の昼間に電車の中で3時の位置で初対面の白人さんにゲイゲイ言われている場合じゃないでしょ、あなたはテレビの中でそれこそ3時に映っているべき人で・・・、いや、しかし、その『偶然』は僕にのみであって、おそらくはその日休みであった、いしざきまきさんにとっては、予定どおり何かの会合に出て、想定内に白人に知りあって、それで、別に芸能人じゃないから、ごく当たり前に本名で自己紹介をした、までだったはずです。(ゲイゲイ言われることまではさずがに必然性はなかったと思いますけど。)

 いやあ、改めて僕にはどれもこれも必然性がなくて、驚きの連続でした。

 ・・え?『ヘテロ』の意味がわからない?またまたあ、中学一年のとき理科で習ったじゃないですか?ほら、『ひゃあ、森永ホモ牛乳ってそういう意味だったのか?』ってみんなで騒いだでしょ?ほろ!?覚えてない!?知らない?なに?『森永ホモ牛乳』は、『森永男子同性愛牛乳』だと今まで思っていた??

 いやあ、それはびっくりです!!!
 そこがわからないと斯様な駄文を書くこと自体の必然性が、無くなる、とはいわずともかなり危うくなっちゃうんですけど・・・。

===終わり===


プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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