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痴漢。

 この間電車に乗っていたら、すごい意思の強い青年を目撃してしまいました。その強さがあんまりだったので未だに頭を離れません。
 
 それはある日の早朝の満員の通勤電車の中でのことです。すでに僕の乗車時には人口密度がかなり高くて、僕は『乗車されましたらできるだけ車両の中ほどまでお詰めください』という車掌のアナウンスには無条件に賛成なんですけど、残念ながらそんな余裕はなく、乗りこむのがやっとで、といってドア際を確保することもできず、僕のあとから押し込んでくる乗客のプッシュに無抵抗に押されるにまかせた結果、ドアとドアの中ほどに漂着し、手すりも確保できすに、しかし、ようやく自分の居場所を得て中吊り広告の下で四方を他人に囲まれて電車に揺られていました。

 ところで『自分の常識』っていい加減なもんですね。
 以前、僕は、僕を含めてある事情でお互い見知らぬ三人の男性で食事をすることになりました。別に怪しい会合ではありません。四人掛けのテーブルに案内されて、僕がまず座り、なんとなく立場上残りの二人が僕の対面に一緒に座る、っていうことになりました。その時に、その二人のうちひとりが『どうぞ、奥へ』というのをもうひとりがしきりに断って『いやいや、どうぞ奥へ』とやりあっています。最初は腰の低い人たちだなあ、と思ってみていたんですけど、その譲り合いが尋常じゃなく長くて『どうぞ』『いえ、あなたが・・』『いえ、僕は端でいいですから』『いや端は僕が』とちっとも落着しません。たかだかどっちに座るのになんでこんなに論争かの如く譲りあうんだろう、と僕が不思議に思って二人を見あげていたら、そのうち片方の人がややいらついた調子で、なんでこんなことを説明しなきゃいけないんだ、という口調で言いました。
 「僕、左利きなので奥だと肘がぶつかっちゃうんですよ。」
 つまり、彼が奥に入っちゃうと左で箸を持つので、左隣の箸を右で使うであろう相手の右肘と『喧嘩四つ』になってお互い窮屈な思いをすることになる、という実利的な問題が予想されたわけです。でも左利きの人はそんなことをいちいち説明する人生には飽き飽きしていて(たぶん。)、初対面であるという遠慮にのっかって実利を達成しようとしたのに、相手がくりかえす遠慮に、いらいらしちゃって、とうとう『俺は遠慮で言ってるんじゃあないんだよ、その方がお互い狭い思いをしないで飯が食えるんだ、そんなことまで説明させるんじゃないよ。まったく、だから右利きのやつらは困るんだよなあ』って(たぶん。)発言になったわけです。
 僕は、右利きです。その光景を見ながら『ふうむ、左利きのひとは右利きが多数派である日本社会においては、僕なんぞに必要のないことも考慮しながら生きることを強いられてるわけだ。』と感心してしまいました。
 昔、村上春樹さんの文章を読んでいたら-その文章は村上さんがまたどっかから引用されてきた文章だったと記憶してますけど-『拳銃をポケットに隠し持って町にでたみたらいつも見慣れている光景がすべて違って見える』という文があったことを思い出しました。きっと、左利きのひとは同じ風景でも僕とは違って見えてるんだろうなあ・・・自分の常識なんて意外に狭量なもんだな、それはそれとしてさて今日の本題に・・・。と、思っていたら、この話はそれだけでは終わりませんでした。そのとき、もう一人の顔がぱっと明るくなり、
 「ああ、そうですか!僕も左利きなんです!」
 と言い放ちました。ええ、そうか、ふたりとも相手を右利きであろう、とみなして、皆まで言わすな、と遠慮という形をとって実利を取ろうとしていたんじゃないですか!と僕は二度驚きました。
 僕も左利きなんです、といった方の表情が明るくなった原因は、相手が尋常じゃないまでに遠慮する今までの会話のぐるぐるまわりの原因が一気に氷解したすっきり感だけでなく、同じ左利き同士、という親近感も手伝っていたように思います。

 そして、こういう『常識の錯誤』は多数派 対 少数派、にはかぎらないんですね。
 先日、同年代、異業種の男女との明るい時間帯のある会合で(合コンじゃないです。それから別にスピリチュアル系の会合でもありません。)、話題がなぜだか『電車の中での痴漢』になりました。そしたら、みなさん魅力的な女性であったことに加えて、僕らは初対面ではなくある程度開襟して話せる距離感があったせいもあったと思うんですけど、女性陣が一躍雄弁になり痴漢についていやに熱心に各々の体験や意見を語り始めました。その話は僕にとって結構新鮮で、上述の左利きと右利きの如く『へえ、ただ電車に乗るのに女性はこんなことを考えているんだ。』とまた違う視野の存在を知らしめされました。僕は僕の数少ない女友達(独身のときも今もたいへんたいへん少ないです。でも関係は濃厚です。いえ、そういうやましい仲っていう意味ではなくて、その、友達としては大事な存在、っていうことです。)から聞いたその分野に関する乏しい知識で応戦しようとしました。なにしろさい君は、外人なので、満員電車乗車歴が非常に浅いので。
 「座席が空いてても簡単に座らないで隣の人が男性だったら
  必ず観察してから座るかどうか決めるんでしょ?」
 と僕が知ったかぶりをして、なんとはなしに発言したら、複数の女性から異口同音とばかりに猛烈な反応を食らいました。思わず『どうどう!どうどう!』と言いたくなるような勢いでした。
曰く「そんなの当たり前ですよ!」
曰く「隣だけじゃないですよ!」
曰く「だいたい乗った瞬間にですね!・・・」
という具合に。
 ちなみに僕のように痴漢方面情報に疎い方へのご参考まで、あるいは逆に痴漢ずばりその人への後学のために述べますと『隣だけじゃない』というのはどういうことかというと『座っているときに前にたつ男性も要注意』なんだそうです。どういうことかというと『ズボンを下ろしている人とかいるんですよ!』なんだそうです。本当でしょうか。僕はそんな大胆といおうか、脇の甘いといおうか、そういう『手法』はちょっと信じられません。どうかと思うんです(もちろん、オーソドックスな手法ならいいのか、というとそういわけでもない・・あれ?痴漢におけるオーソドックスな手法って・・ええと、僕は一体何を言ってるんでしたっけ?)。・・・・・たまにファスナーを閉め忘れる方、間違われないようにしましょう。そういう手法を用いている痴漢の方、すでに警戒されていますぞ。
 それから『だいたい乗った瞬間ですね!』云々というのは、なんと、女性は車両に乗った瞬間、さっとまず周りを見渡すんだそうです。そして、
 「痴漢はその時にだいたいわかりますよ。」
 なんですって!僕は、ただ電車に乗るだけでそういうことを習慣としている人種がいることを自分と比べて新鮮に思うと共に『だいたいわかりますよ』ということに驚愕してしまいました。僕は、たまたまその女性がそういう特殊能力を身につけるようになったのかと思ったので、
 「ええ!わかっちゃうんですか!?」
 って、思わず『反射』しちゃったら(今考えるとこの僕の反応と発言内容って、まるで僕が仮想痴漢、みたいですよね。)、その場にいた女性が、一様に、
 「うん、わかる、わかる!」
 って『ばれてないと思ってるだろう?でもばればれなんだよ!』みたいに(だから僕は、痴漢じゃないんですけどね。)間髪いれずに僕に向かって叫んできて二度びっくりしました。
 そのうち、電車の中での立つ位置の話になって、僕はまた自分の常識を疑うことになりました。なぜって、僕にとって電車にのるときの『位置の優先順位』は(でもそんなに拘っているわけではないです。もし無理に順位をつけるとしたら、ってことです。)、

 ①座れる。楽ちんだ。
 ②ドアと座席で出来た隅に体を預ける。
  揺られて手すりを握るよりはまし。
 ③隅は無理でもドアに密接。体を預けられるし
  外の景色がみられて気がまぎれる。
 ④四方を他人に囲まれる。揺れにたえなきゃ
  いけないし、景色も見られない。最悪だ。

 であって、まあ他の人も似たようなもんだろう、と思っていたんです。でも女性は、特に満員電車の場合は、違うんだそうです。
 「ドアと座席のコーナーなんて最悪!」
 なんですって!ええ、なんで?楽だし、天気がよかったら富士山も見られるじゃないですか!ところが、満員電車の隅というのは『逃げられない』ので痴漢対策としては最悪の位置なんだそうです。なるほどそう言われてみたらそうですね。それから同様の理由でドアに密接、も優先順位は高くないそうです・・・・。

 僕の乗った電車は、停車を繰返しいつものように人口密度を増しながらオフィス街方面へ進んでいきます。数駅の後に、比較的大きな駅に停車しました。
 そこで、僕は『ものすごい屈強な意思を持つ青年』を目撃することになります。そのサラリーマンと思しき青年は満員電車にあってドアと座席のコーナーに立っていました。見た目は極普通のサラリーマンで、30代中頃、中肉、やや背が高いかな、というくらいのありふれた背格好です。彼の存在に僕が気付いたのはある駅に停車したときです。ドアが開き、ほとんど降車する乗客はなく、何人かが乗り込もうとしました。すでに一杯の車両ですから、乗車するひとたちはドア近辺の人を一列か二列分中に押し込んで乗りこむしかありません。ぎゅうぎゅうに見えても押し込まれてみるとはいれちゃうもんなんですね。見慣れた光景です。ドア近辺の人もおとなしく押されて中に詰め込まれるわけです。
 ところが、新しい乗客がほぼ乗り終えてドア近辺一列の顔ぶれが一新したとき、たまたまドアの左隅のまえのプラットホームで待っていた、これまた30代中頃とおぼしきサラリーマンが右手でドアの上の内側をおさえ、体を押し込んで乗車しようとしていました。のりこもうとしている彼にしてみれば、たまたま行列の右隅にいたのでみんなと同じよう目の前の乗客に少し中に入ってもらおう、としただけです。ところが、先に乗っていたコーナーの青年が、少し離れた僕の位置からもはっきりとわかるように、うんと胸を突き出し、足を踏ん張って、譲ろうとしません。『ははあ、こいつ俺と同じようにさてはコ―ナ―好きだな。コーナー青年だ。ぐふふ。でも他のドア側の人は素直に陣地を譲っているんだから、彼も頑張ったところで限界だろ。』と思いながら見ていました。乗ろうとする客は、ん?なんだかいやに頑固だな、と怪訝な顔をしながらもドアの内側においた手を離さずに体を入れこもうとしています。それはそうでしょう、彼にしてみれば毎朝の彼のそういう努力と他人の譲歩の結果、普通に電車に乗られてるわけですから。
 ところが、どうもコーナー青年の頑固さは尋常ではなく、仁王立ちになって一歩も動きません。乗ろうとした客は時間もないし、焦ってきて、
 「ちょっと、すみません。」
 と通勤電車ではあまりみかけない『乗車することへの仁義』まできってスペースを開けてもらおうとします。それで、普通さすがに仁義まで切ればあけるだろ、って表情で再び体を車両の範囲に入れこもうとしました。ところがコーナー青年は、ますますふんばり、今や自分の体ではなく乗ろうとしている相手を突き落とそうという意思のベクトルがはっきりみてとれるような動きになっています。若いくせにいやに頑固です。そもそも満員電車にのるだけでしっかり疲れるのだから、そのあとの勤労にそなえて余計なトラブルにエネルギーを使いたくない、と僕なんか思っちゃいますけどね。そこまでして隅が大事なのか、コーナー青年よ。
 ふたりは、無言でものすごい押しあいをしたあと、コーナー青年が何かを言ったようです。その発言の内容はわかりませんでしたが、コーナー青年は、目の前にある相手の顔をみながら顎を左に振ってました。おお、なんだなんだ、そんな横柄な態度までして隅を守りたいのか!?どうも、信じがたいことにコーナー青年は『譲らん。左のドアに行け。』と顎で指図したようなんです。ええ、すごいこと言うなあ。という僕の心の中のつぶやきとほぼ同時に、乗ろうとした人が―彼はさっきからイヤホンを両耳にあててました―あまりの信じ難い発言と態度に右耳のイヤホンを外しドアにかけていた右手でイヤホンを持ちながら、
 「ええ?いいじゃないですか!別に!」
 と声を荒げました。しかし、コーナー青年はこれを黙殺し、それどころか、乗ろうとした彼が右手をドアの内側から外したのを奇貨として、ぐんっ、とさらに体全体を押し出しました。乗ろうとしたサラリーマンは一旦ホームにもどされてしまい、なにやら口論がはじまったようですが、その時無常にも、
 「はい、ドアーしまりまーす!プシュー。」
 とドアが閉まってしまい、電車はイヤホンを右耳に持ちながら呆然とするサラリーマンをホームに残し、仁王立ちするコーナー青年と共に発車してしまいました。

 しかし、すごい意思の強さです。これは認めざるを得ません。これから勤労が始まろうというのに、見知らぬ人とのトラブルをも厭わず『向こうのドアに行け』なんて顎で指示してまで自分の立ち位置を変えようとしない、なんて。

 でも、思い出すたびに考えちゃんです。
 そこまでして守る程の価値がありますか、『電車のコーナー』って。
 そして、あのトラブルを恐れない頑健な意思の力を、毎朝のコーナー死守ではなく、もっと有用なことに、日本の未来のために使ってくれているのか『コーナー青年よ』って。

 それから、右利き 対 左利き、満員電車にのる時に男性が注意すること 対 女性が注意すること、以外にも僕とは違う風景を見ている社会的集合体(除『ズボンを下げる痴漢の集合体』です。この集合に属する方はあきらかに僕とは違う視野をお持ちになってるとは思いますけど。)がいないかは、これからも観察していきたいと思います。ただし、それを報告するときの題名は『痴漢。②』ではあんまりなので他の題名にしようと思います。
 
 でも、もし、『痴漢。②』でも読んでください。


===終わり===
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銭形平次。

 随分昔のことなんですけど、テレビである学園ドラマを見ていたら、こういう場面がありました。
 
 主人公の先生が東京から九州に出張に行ったんです。そこでかつての問題児で今はすっかり立派な青年になった教え子に再会するわけです。そして、大いに語り明かすわけですが、そのとき青年は『今の僕は先生が言ってくださったあのときの言葉なくしてはあり得ません。』と涙ながらに感謝します。ところが、先生は、青年が彼の手をてこずらせた生徒であったこともちゃんと記憶しているし、その問題児が見違えるように立派な社会人になって酒を酌みかわせるようになったことも心から喜んでいるのは間違いないんですが、自分が発言して彼の支えになってきたという『あのときの言葉』がどうしても思い出せません。しかし、いまさら本人に聞くわけにもいかず、かと言って『覚えていない』と水を差すようなことも言えずに苦悶したまま彼と別れてしまいます。

 学生から社会人になったとき、何が違ったかといって『とても御しがたい人』を避けては通れなくなった、ってことが一番大きかったことのひとつのように思います。『とても御しがたい人』というのは別の言い方をすれば、『うわあ、つきあってられん!』っていうことですね。学生の時は、価値観や趣味、そして行動範囲などが同じような人だけ相手にしていればよかったわけです。今から思うと、とてもとても居心地のいい環境でした。しかし、つきあう相手を選り好みして糊口出来るほどの特殊技能を持たない僕は、社会に出たらそういうわけにはいきませんでした。
 是非はともかくとして『うわあ、こんな人、俺の理解の範囲を超えてるぞ』とか『たまらん!きつっ!二度と会いたくない!』なんていう御仁との接触も不可避となったわけです。それは時に、会社の上司や同僚であり、時には社外の取引先の人であり、あるいはお医者さんや行政側の人、であったりさまざまでした。
 そして、その環境は今も基本的には変わっていません。なにしろ僕はその後も特殊技能は得てませんから。
 先日新聞を読んでいたら、敗戦後に『投手の継投策を誤ったのでは?』と新聞記者に聞かれた某プロ野球球団の監督が、これに対し、
 「だったら、おまえがやれ。」
 と不機嫌に答えた、という記事を読んで、その監督には申し訳ないですけど、笑っちゃいました。と、同時に『どんなに立場上の強弱がはっきりしていても宮仕えの身分同士では許されざる言い回しだ。一度でいいから言ってみたいな。』と思ってしまいました。
 これはプロ野球というごくごく限られた人だけの特殊技能集団への所属、ということが相手や会話の内容を選ばないことを許容しているわけです。羨ましい限りです。

 本部長 「みどり君、あなたね、決算をこんなに狂わせて
      おいて、理由が『クレーム損のためです』
      ってね、そういう不測の事態も加味して
      だな、予算を死守してこその、担当者という
      クラスタ―としての、機能発揮とだな、そう
      いうもんじゃないのかね?」
 僕(即答)「だったら、おまえがやれ。」

 ・・これは言ってみたい!現実に僕がこんな言動をしたら、ちょっとした『舌禍事件』です。いや、それではすまないです、きっと。でも言って見たいなあ。

 ただ、年齢を重ねるにつれて『御しがたい人』をどう扱うか、あるいはそういう人との接触によって感じるストレスをどう発散するのかという経験値、いや、諦念値かな、のレベルは上がってきたようで、若い頃よりも『たまらん!』という頻度は少なくなったような気はします。
 しかし、それでもなお、宮仕えを続けるかぎり-僕自身が誰かにとって御しがたい人になる可能性も含めて-この問題が僕の周りから根絶されることはありえないでしょう。

 もちろん今も例外ではありません。いえ、例外どころか、特筆すべきとも言えるでしょう、現在僕にとってもっとも『御しがたい人』は、不可避どころかたいへん身近にいるんであります。
 それこそ、まさに幸か不幸か、その人物は誰あろう実の父、みどりかずまさ、その人なのであります。(ええ、毎度申し訳ありませんが、かずまさは今まで何回も登場していますので、例によって、先にそちらの方を読まれることをお勧め、いや強制します。10年4月24日『父親みどりかずまさ。』、5月16日『母は強し。』、5月23日『みぢかえない話③。』、9月5日『にちつかしょくの法則。』、10月2日『科学的追認実験。』、12月18日『尖端恐怖症。』、11年1月18日『みぢかえる父かずまさ』、3月5日『応援。』、3月21日『デオキシリボ核酸に含有されたる逸脱性についての考察。』をご参照ください。)
 我が父ながら、今さら『ええ、こんな人いないぞ!』っていうことをしでかして、かつ親子であるがゆえに、僕がしばし巻き添えを食らうんであります。

 つい先日、僕は、父とふたりである事情から公務員のソーシャルワーカーの女性ひとりと面談をしていました。実は詳細の記述はしませんが、この面談はその必要性や目的からいうと比較的に僕よりも父親に必要な面談だったんです。でも、全然自分で動こうとしないかずまさに痺れを切らして、僕が強引にソーシャルワーカーのところに仕事を半休までして彼を連れていったんです。面談迄の手続きと同じく、面談中もかずまさは、まるで当事者意識がなくて会話にほとんど参加しません。ほぼ全部が僕とソーシャルワーカーの方との会話で面談は進行しています。まあ、こういう男だからしょうがないや、と思いながら話しを進めていたとき、ごく自然な流れで、彼女が僕の母親、即ち、かずまさの妻、について質問を始め、会話の中心が、しばし母に関しての情報提供となりました。

 「はい。ええと、お母様のお住まいは?
  ご一緒で?」
 「いえ、母親はこの父と二人暮らしで
  かくかくしかじか市に住んでます。」
 「はあ、なるほど。では最寄り駅は・・」
 「はい、JRの東かくかくしかじか駅です。」
 「ああ、そうですか。で、お母様のお年を
  伺ってもよろしいですか?」
 そのときです。それまであたかも『込んでいるレストランで相席になった人』かのごとく、発言どころか反応の兆しすら示さなかったかずまさが急に僕の機先を制し、僕が、
 「はい、ななじゅ・・・」
 と言いかけたのを遮り、
 「71歳です。ことしの8月で72歳になりますが、
  見かけは年齢より若く見えます!」
 と大きな声で宣言しました。どうも面談の本旨はともかく、自分の妻は見た目より若い、ということを強調したかったようで、それゆえ強引に会話のターンオーバーに及んだわけです。
 僕は、
 「いや、あのね、お父さん、見た目が若いとかは
  別にどうでもいんだよ。年齢をお尋ねになっている
  だけなんだから。」
 と諭しました。まったくそれまで一切会話には入ってこなかったくせに。
 幸いそこはさすがにソーシャルワーカーだけあって、彼女は笑いをかみ殺しつつも、
 「いえいえ。大事なことです。ご主人様から
  見た目より若いなんていわれるなんてお母様は
  お幸せな方ですよ。」
 と受けとめてくださいました。僕は、何だかなあ、わが父ながら珍しい人間だな、と恐縮しきりでした。

 さらにこれもまたそう遠からぬ過日、父親と二人でタクシーの後部座席に揺られていときのことです。僕らは、あるシリアスな問題で意見が対立していて道すがら激しく議論をしていました。ふたりとも熱くなっていたのでタクシーの運転手さんには迷惑だったと思います。
 それはなんの前兆もなく発せられました。頭に血が上った二人の議論は妥結を見るには遠く、束の間に落ち着いたわけでもなく、場面は今まさに僕の主張に対しての父親の反論がなされん、というときでした。
 「・・なわけだよ。俺は最初からそう言ってるだろ!
  お父さんの選択の根拠が俺には理解できない!」
 「ええと!いくらですか!?」
 ・・この会話おわかりになりますか?無理ですよね?だって、当事者の僕もその瞬間理解できませんでしたから。
 かずまさは、あたかも初めからひとりであった乗客かのように一瞬にして僕の存在をなきものにして、突如運転手さんに言い放ったんです。

 びっくりです!

 高速道路に乗ったわけでもないのに、まだ走行中のタクシーの運転手に料金を尋ねる人間なんか初めてみました。
 まったくもって僕自身このとき、瞬間何が起きたのか理解ができませんでした。だって、
 ①そもそも、僕とかずまさは白熱した議論の最中である。
 ②タクシーはまだ走行中である。
 ③かずまさは『今いくらか』にはどうも興味がない。
 ④なぜなら、『今いくらか』は目の前のメーターを
  見れば明々白々としてる。
 ⑤それゆえ、どうもかずまさは議論は議論として、
  『最終的にいくら払えばいいのか』を突如として 
   知りたくなり、いきなり運転手に詰問をした。
 ということになるわけですから。
 もちろん、この『寿司屋でお勘定を頼む』みたいな客の行動に虚をつかれた運転手さんは大いに動揺して、
 「え?は?いや・・」
 と、しどろもどろになってます。
 ようやくかろうじて事態を把握した僕が、
 「いや、お父さん、いくらですかって、まだ着いて
  ないんだから、メーターを倒すまでわかんない
  でしょ?」
 としごくまっとうに(ですよね?)諌めると、
 「ばかやろ。もうすぐそこだから、メーター
  なんか変わるわけないだろ!」
 ときわめて理不尽に(ですよね?)僕を罵倒しました。
 「いや、お父さん、すぐそこ、つったって、メーターは
  距離と時間の併用なんだから。それに今いくらか知りたい
  んだったら、メーターを見りゃいいじゃねえか。」
 と言う僕の反論を、かずまさは、
 「やかましい!」
 と勝手極まりない日本語で一喝すると、またぞろ、
 「いくらっすか?」
 と、僕らの間に急に挟まれて、
 「・・・・・・。」
 という感じで、無言で運転し続けるかわいそうな運転手さんに『お勘定』を迫るんであります。
 幸い、このときは終始無言の運転手、父を諭す僕、息子を罵倒しては運転手に勘定を迫るかずまさ、という三者での不毛な会話をふたまわりくらい続けているうちに目的地に到着してしまい、到着したところでおろしたメーターの金額を支払う、という常識的な売買契約の終結で事なきをえました。

 ところが、その三時間後、帰路またしても尋常ならざるかずまさの『御しがたい行動』に遭遇することになりました。ここでも、タクシーに乗りました。
 僕はともかく、かずまさはどうも先を急いでいるらしく、タクシーに乗るなり、
 「運転手さん、JRの駅まで、ひとっぱしり!」
 と今時あんまり聞かない大時代的な、銭形平次が駕籠かきに頼むみたいな言葉を発しました。僕らの議論はまだ平行線をたどっていて、また車内で激しい口論が始まりました。すると、またしても議論の方向性を無視して、かずまさが、
 「おい、降りろ。」
 と唐突に言いました。僕は、へ?今乗ったばかりじゃないか、と呆然としていましたが、父はそんな息子に構わず、助手席のうしろにいた僕を車から押し出し、ついさっき『ひとっぱしり』なんて言った相手に、
 「おります!」
 と言ってお金を払って降車してしまいました。
 「だめだ。道が混んでるから歩く方が早い、歩くぞ。」
 降りろ、って言う前にそういう方針の説明の方が先だろ、まあ、いいか、と思いながら口論の続きをしながらほんの2,3ブロック歩き、僕が、
 「そもそもだな、お父さんはいい年して決断力がだな・・」
 と力説しているとき、かずまさは今度はだしぬけに通りに向かって手を挙げました。え、ちょっと、あんた何を、と自分の言葉と思考の行く先を見失った僕の目の前で、かずまさは止まったタクシーに乗りこみ、まさかと疑う隙もなく、
 「運転手さん、JRの駅まで、ひとっぱしり!
  おい、ケイタ乗れ!」
 「・・・・・・」
 どうも歩いているうちに、渋滞をぬけたのを感じてタクシーの方がやっぱり早い、と判断したようなんです。でも、ということは俺の言ったことを彼は全然聞いてなかったってことじゃんか・・・と、僕は最早憮然と車中の人になります。『駅までひとっぱしり』ってデジャヴかよ、なんて思っていたら、それだけではすみませんでした。いったい、この男はよくもまあ、社会人としてまともにやってこられたな、と呆れてしまいます。かずまさはごく普通の会社で終身雇用を全うさせていただいたんですけど、そのことが僕には不思議でしょうがないです。そうです。現在のところ僕にとって不可避なんだけどもっとも『御しがたい人』かずまさは、また『寿司屋でお勘定』を敢行したんです。

 かずまさ「運転手さん、いくらっすか?」
 って、やっぱりデジャヴ???
 運転手 「へ?あの、その・・・・・」
 僕   「いや、お父さんね、まだ着いてないんだから・・」
 かずまさ「ばかやろ!もうそこだから変わるわきゃねえだろ!」
 運転手 「・・・・・」
 僕   「いや・・だから距離じゃなくて時間で上がるかも・・」
 かずまさ「やかましい!もう上がらねえから聞いてるんだあ!」
 運転手 「・・・・・」

 気の毒に、今回の運転手さんは気の弱い方と見えて『ひとっぱしり!』と言ったかと思うと『もうメーターは上がらないんだあ!』っと決めつけ、メーターに料金が表示されているにもかかわらず『いくらだ?』と迫る今世紀最初の銭形平次との遭遇-おそらくは、間違いなく-に周章狼狽し、まだ目的地に到着していないにもかかわらず、
 「・・あ、は、はい。」
 と唸ったかと思うとなんとメーターをがちゃん、とおろして金額を確定してしまいました。僕はいつのまにか自分が、平次に諫言を試みるも一顧だにされない岡っ引き、という望まざる役柄になっていることに大いに困惑と不満を抱き体を小さくしました・・・。

 冒頭の学園ドラマはこう続きます。
 主人公の先生は、釈然としないまま、翌朝東京に戻るため博多駅のプラットホームで新幹線に乗ろうとします。その時、突然、教え子に自分が何を言ったのか、そして、ああ、あのときのあの言葉が彼の心に響いていたのか、と改めて知り、躊躇なくきびすを返すと、博多駅の改札を強引に出て、まっしぐらにふたたび教え子に会いに行きます。そして、忘却を白状し謝罪するとともに、その言葉で教え子が『僕は今日ある』と言ってくれたことに、俺こそお礼をいう方だと先生が、頭を下げるのであります。
 その言葉とはこうです。

 「いいか!地球はなっ、地球は、お前のために
  回ってるんじゃあ、ないんだっ!!」
 
 かずまさにぴったりの言葉です。

===終わり===

 

午後18時。

「ケイタ、ケイタの好きな看板なくなっちゃうよ。きっと。」
 三ヶ月ほど前、留守番をしていた僕に外出先から帰ったさい君が報告してくれました。

 僕が今住んでいる郊外の駅は、有体に言って『なあんにもない駅』です。

 (『住んでいる駅』といっても別に僕は『プラットホームで寝起きしてる』わけではありません。念の為。実は、今の僕の上司が『書類への執着が尋常でない方』で細かい日本語に異常に拘泥されるので、ここでもつい先手を打ってしまうんであります。彼がどういうふうに尋常でないかというと、さる日、彼も僕もたまたま出席していた比較的大きな会議で、そろそろ終わろうかというときに、やおら口を開かれたかと思うと、
 「浅田課長、『午後18時』という日本語は存在し
  ません。『午後6時』か『18時』と訂正してください。」
 と、配布されたその会議のためだけの資料の中味について、大人数の前でわずかな齟齬を指摘し、まじめな浅田課長はかしこまって恐縮しておりました。確かにまともな指摘かと言えばまことに無瑕疵、しかし、経費対効果としては如何なものかと。僕としては『午後18時』でも通じればいいんじゃないの、と思うんです。-もちろん、口にする勇気などあるわけもなく『思う』だけですけど。-ことほど左様に、微に入り細を穿つまで書類の添削に注力される方で、僕のような素直な会社員など『いったい営利追求業務の為に書類を作っているのか、はたまた、書類をつくるために生きているのか』と度々錯覚してしまうくらいであります。)

 それで、駅近辺がどれくらい寂しい駅かというと、だいたいが高い建物が全然ないです。駅舎が一番高いかな。南口はそれでも小さな漫画喫茶が一軒、これまた小規模なパチンコ屋が一軒、あとは本屋さんとか、クリーニング屋さんとか、ハンバーガー屋さんとかカレー屋さんとか、弁当屋さんとか、よくある小じんまりした商店街をかろうじて形成してますけど、僕の利用している北口にいたっては、いきなり小さな交番があって-僕はいわれなきことでこの交番で夜の2時まで、いや早朝2時って言わないと今の上司には怒られちゃうな、犯罪者あつかいされて尋問されたことがありますけど、その話は気分が悪くなるのでしません。話としては面白いんですけど。いえ、こらからさきもしません!ふん!-いきなり駐車場があって、コンビニと百円ショップと小さな食堂が数件あって、いつも老いた柴犬が店先で日向ぼっこをしている焼鳥屋があって、薬局があって、おしまい、っていう感じのさみしい駅です。おまけに、どういうわけだかこの駅の西隣り、東隣りの駅が、盛んに開発を繰り返し、巨大なショッピングモールだの高層マンションだのがどんどん建てられ、ますます、この駅の寂しさが際だってきていて、住んでいる人や(もちろん、しつこいですが『駅舎』にではなく、駅付近に、です。)通学以外の人がわざわざ降り立つことがあるような駅ではありません。それで、じゃあなんか不満でもあるのかというとそういうわけでもなく、僕はわりと気にいっています。緑が多いし、オフィス街との落差が激しいので、気分のオンとオフの切り替えを助けてくれます。まあ、オンつったって、大したことやってませんけど。これ、本当です。自分の作った書類に誤字脱字やへんな日本語がないか、推敲するのに二時間かけてたりしますので。

 ある日、いつもように駅をおりて家へ歩いていたときのことです。ふと、何とはなしに、駅のまん前にある青空駐車場の看板が僕の目に止まりました。その駐車場は結構、いや、かなりがらがらで、金網に張り付いているぺコンぺコンのベニヤ板の看板に書かれたペンキの文字も所々古ぼけてかすれています。ふつう、ですね。でも、僕はその内容をその日はじめて熟読して、とても気に入ってしまいました。

 僕はいつも思うんですけど、自分はどうしてこういうくだらない-といってはペンキ屋さんや駐車場の持ち主に失礼だけど-ことに気がついてしまうのか、不思議です。そして、その特異な能力-否、間違えても能力などと呼べるほどのもんではないです、ええと、いわば注意力が常にそういう状態で保たれている『散漫性』とでもいいましょうか-が、21世紀のビジネスシーンにおいて、経済効果に反映される分野が存在しないのはまことに遺憾です。あたかも、野球の存在しない国うまれてきたイチロ-選手かの如く、いやそういうほどのことは間違ってもないです、とにかく僕のそういう『特異な恒常的散漫性』が何かしら生産的なことに寄与したことが一度もないのは残念です。

 その看板は、先述のように一見するとしごくありふれた物です。だいたい縦一メートル弱、横三、四メートルくらいの大きさで、左右上下に四等分して描写すると、まず左上部分に『山川モータープール』とその存在意義が主張されており、その隣、右上部分に『有料駐車場 管理 西本不動産』と窓口になっている会社の名前があります。右下部分には、西本不動産様(以下敬称略)の電話番号とFAX番号があります。看板の昭和的な容貌を裏切らず、メールアドレスなどという今世紀的なものは書いてありません。そして、左下部分です。そこには『注意』とあり、改行された三行にまとめてやや小さい字で何やら書かれています。すなわち、ここは、がらがらで屋根もないけど駐車場ですよ、がらがらだけど(がらがらだから、かな?)連絡先はここですよ、と宣伝もかねていてちゃんと看板の機能は果たしています。
 しかし。ある尋常でない表現がその中に何気なく隠れていることは、僕の『特異な散漫性』からは逃れられなかったのです。問題の部分は左下部分の『注意』の下の三行にありました。句読点も含めて、忠実に再現してみましょう。

 一行目「ここは自転車置場ではありません」
 ふむ、なるほど、わかります。これほどがらがらで、屋根もなく、ただ舗装しただけでは『山川モータープール』と威張られても、つい自転車を止めたくなるのも人情ですが、西本不動産としては許し難い、当然です。ここまでは特に問題ありません。
 二行目と三行目を続けて転記します。

 二行目「あと自転車は、不要物として処分します」

 三行目「あと責任は負いません」

 ・・・・・・なんともいえないです。すごく気持ちは伝わってくるんですけど、この『あと』って必要でしょうか。だって、
  「自転車は、不要物として処分します。
   責任は負いかねます。」
 でも十分に言いたいことは伝わると思うんです。

 この違和感が僕の恒常的散漫性という特異な性質によって発見された時、僕は、思わず西本不動産から受注した看板屋さんの気持ちに思いを馳せ、想像を具体的に逞しくして、違和感を脳内満杯に感じてにやにやしてしまいました。そして『こういうのにきづく人ってあんまりいないだろう、看板は普通だけど、この二行は社会通念からすると普通じゃないよなあ。』と自分の希有な才能に酔いしれると共に、この看板を作成したときの看板屋さんの困惑に感情移入したんであります。

 当然看板屋さんは、西本不動産から指示された通りのことを書くことで報酬をもらっているし、それ以上のことをする必要は無いんであります。しかし、この場合、看板屋さんは戸惑いのあまり報酬の範囲の業務を逸脱して余計なことに悩んだに違いない、と想像がかきたてられるのを抑えきれません。

 看板屋さん「ええと、レイアウトができました、
       これでよろしいでしょうか?」
 西本不動産「ああ、御苦労、御苦労、ちょっと拝見。
       ふん、色はこれでいいね、ええと、電話
       番号はと・・あってる、これで、いいか
       ・・・んん!?」
 看板屋さん「え、あのなにか?」
 西本不動産「きみ、何度も言っただろ、
       わしの言ったとおりに書いてくれって。」
 看板屋さん「は・・はい、そのように書かせていただき
       ましたけど・・」
 西本不動産「ここの注意書きのところ、
       ここは自転車置場ではありません、
       あと自転車は処分します、
       あと責任は負いません
       って言ったのにそうなってないじゃないか!」  
 看板屋さん「え、いやですから、そのとおりに、
       三行にわけて・・」
 西本不動産「なってないじゃないか!」
 看板屋さん「・・は?いやどこが?」
 西本不動産「いいかね。わしは、ここは自転車置場では
       ありません、あと見つけ次第処分します、あと
       責任はおいません、と言ったんじゃぞ。」
 看板屋さん「え、ですから・・・そのとおりに・・」
 西本不動産「『あと』がないだろう『あと』が!」
 看板屋さん「へ?『あと』って・・『あと』も記載
       するんですか?」
 西本不動産「だからさっきからそういってるだろ。」
 看板屋さん「いや、でも・・」
 と看板屋さんは、言われたことだけをやればいい、という看板屋さんとしての仕事上の責任の範囲と、『あと』が無くても十分に意図は通じるし、だいたいそういう看板はすこしおかしいのでは、という看板屋さんとして、というよりは一般人としての『社会通念との矛盾』を感じ苦悶するわけです。

 西本不動産「困るなあ。頼むよ。」
 看板屋さん「・・あ、はい。わかりました。」
 でやりなおすわけです。
 できました。もう看板屋さんは個人的な社会常識を捨てて、唯唯諾諾とレイアウトを作り直します。

 西本不動産「どれどれ・・おい!また違う!」
 看板屋さん「は?でもあの『あと』は入れましたけど・・」
 西本不動産「だれが『あと』の次に『、』をいれろといったん
       だね。『、』はいらん。一字分コストがかかる
       じゃないか。そのまま続けて書いてくれればよ
       ろしい。ええと、それから『。』は余計なコスト
       がかかるから削ろう。うん。『。』なんぞ無く
       とも意図は伝わるからな、うん。」
 看板屋さん「・・・・・」
 コストを云々するならば『あと』という口語を連発するほうが無駄では、という疑問を看板屋さんは、飲みこんでしまうんであります。

 かくて、この『よく見ると微妙に話しかけてるような看板』は誕生しました。そして、しかし、おそらく僕以外の誰にもこの妙味を発見されることもなく、十年一日の如く『あと自転車は不要物として処分します』『あと責任は負いません』と、なんとなく話しかけ続けていたわけです。それで話しかけられていることに気付いた僕としては、にこにこしちゃうんであります。

 でも、ちょっと苦労しました。
 日本人でないさい君への説明にです。
 いつもここを通る度、にやにやする僕に、何がおかしいのかと訝るさい君に、彼女の母国語でこの微妙なおかしさを表現するのはたいへんでした。なんだか面倒だなあ、と思いつつも気付かれてしまっては説明せざるを得ず、適当に話したものの-もちろん、想像上の西本不動産と看板屋さんとの会話なんか端折って、です。そんなことし出したら自分の説明に自分で収拾がつけられなくなっちゃいますから。-彼女が僕のにやにやの真意を理解したかどうかは不明です。でも、どうやら『ケイタはこの看板にご執心である』ということはわかってくれたみたいです。

 そんなある日、寂寥としたわが駅にもついに、開発の波がおしよせ、どうも市の方針で駅前を-しかし、こじんまりと-区画整理する動きが見られ始めました。そして、意図は全然読めないんですけど、なんだか、あちこち掘り返したり、せっかくのしだれ桜を引っこ抜いたり、数件の小さな店舗が廃業したり、しはじめました。その開発の波は規模を拡大していき、ある日、さい君が、くだんの看板近辺まで、工事がせまっているのを目撃したわけです。それで、
 「ケイタ、ケイタの好きな看板なくなっちゃうよ。きっと。」
 と、三ヶ月ほど前、留守番をしていた僕に外出先から帰った彼女が報告してくれました。
 その後、駅を通るときに注意してみると、なるほど、掘ったり抜いたり、は『山川モータープール』の寸前に迫っています。
 これはしたり!このままで推移せんか、僕の心の癒し、いわば『緑遺産一号』たる看板も、開発の波に抗いきれずその姿を消滅せん、と危惧されました。
 
 その心配は、しかし、杞憂に終わりました。実際、看板はある日金網ごと取っ払われてしまい、忽然、いや必然かな、と姿を消してしまいました。が、数日ののち、もとの場所から20メートルほど駅から遠ざかった真新しいアスファルトを背景に臆面もなく『山川モータープール』の看板、それも元の昭和的に話しかける看板そのものが再利用されておりました。西本不動産は区画整理でなにがしかのモノを市から得たはずですが、場所を移し、その容貌も舗装を新しくしただけで、看板は再利用したとみられます。なかなか吝嗇、いや倹約家であります。

 と、いうわけで、僕は、今日においても駅の行き帰りにこの看板を熟読してはにやにやしておるわけです。不可能とは思いますが、いちど今の上司をつれてきて、添削してもらうのもいいように思います。誤字脱字があれば部下と書類のやりとりを何往復もして時間と人件費を使い果たすことを厭わない方なので、どういう反応をしめすか、見てみたい気がします。

 僕は、通じればいいんじゃないの、って思いますけどね。
 なんだか楽しいし。
 
 注意
  駅近辺には何もありません
  あとその場合交通費は、自己負担してください
  あとトラブルがあっても責任は負いません

 。

===終わり===

ゴムの時計。

 100%です、100%。

 僕のさい君の国-南半球に首都のある某国-の母国語には、逐語訳をすると『ゴムの時計』という言葉があります。すなわち、ゴムの如く、決めた時間が伸び縮みする、という意味です。そういう言葉がある、ということはつまり、時間が厳守されないこと、あるいは人、がある程度許容されている社会である、ということの裏返しでもあります。もちろん、全ての人が時間にいい加減な国なのかというとそういうわけでもないです。中にはきちんとしている人や行事もあります。僕のさい君は、その『幸いにしてきちんとしている少数派』だったかというと、これは違っておりました。まがうことなき『ゴムの時計』とともに嫁入りしてきたんであります。

 100%です、100%。何をそんなにいばっておるのか、と思われるでしょうが、別にいばっているわけではなく、客観的に100%なんです。
 『僕が朝出社するときに、さい君がまだ布団の中にいる確率』が、です。僕が朝ごはんを食べて、いろんな薬を飲んで-僕はいろんな持病があります。-髭をそって、服を替えて、ズボンに合う色の靴下を選んで履いて、さい君と息子に、
 「いってきます!」
 と言い寝室を覗くとき、100%さい君と息子は川の字ならぬ『二の字になって』布団の中にいます。中にいるどころか、まだ両人ともに熟睡中のときもあります。
 ただ、どういうわけか、僕は『どんなことがあろうともだんなと子供に朝食だけは必ず食べさせる』ことを妻や母親の最重要課題と標榜し、それを続けてきたことに誇りを持っている女性-さい君の姑、僕の母親ですね。-に育てられたにも拘わらず、『どんなことがあろうともだんなが朝会社に行く時間には必ず布団の中にいる』ことを結婚以来、標榜・・はしてないですね、さすがに、でも、実行し続けているさい君に、別段立腹することもなく、いまのところつつがなく結婚生活を継続しています。
 これはたぶん-ここで、僕の秘密のひとつを暴露しちゃうと、僕はまだ一回しか結婚したことがありません。つまり日本人とは結婚したことがないんであります。-日本人同士の結婚とは比較のしようがなくて、初めから『なにしろ南半球生まれ育ちの外国人相手だから、たぶんいろんなことで違いがあるんだろうなあ』って覚悟しながら結婚したので、僕の育った家庭と180度違うことがあったとしても『まあまあ、そこは、さ、その、あれよ、国際結婚っつう奴だからさ。』という一言に自分から逃げ込むことでほとんど理由づけができて、そのうえ即諦念できちゃってる、ということなんだと思います。
 
 それでも『ええ、ちょっとそれは、ひでえなあ。』って思うことはあります。
 ある朝、いつものように、おしまいにズボンと色の合う靴下を探して履いて、寝室を覗きこんだら、さい君も息子も熟睡中で、ニッポンの空気をしきりに吸ったり吐いたりすることを満喫しておりました。御満悦のところ、誠にかたじけのうござるが、拙者、一家の主としてお金を稼ぎにいってくるぞよ、ということで、
 「いってきます!」
 と言ったら、さい君が、はっと眼を開け、咄嗟にこう言いました。
 「あれ?もう帰ったの?」
 ・・・ひでえなあ。僕の思考は、ほんとにそうだったらどんなにいいか、と予想外の陥穽にはまってしまい、あろうまいことか、仕事を終えて帰ってきた時の気分と、今から臨む満員電車、仕事のストレスとを比較してしまい、著しく脱力してしまいました。うああ、会社行きたくないなあ。あれ?もう帰ったの?はないでしょ・・、ひでえなあ。

 もちろん、僕のさい君が、だんなさんの毎朝の出陣を布団の中から送っていることなど、間違えても僕の母親の耳にいれるわけにはいきません。そんなことしたら余計な摩擦を惹起するだけです。ひらたく言えば僕が我慢できればそれでいいわけです。
 ところが、あろうまいことか、そういう推測にわざわざ母親をいざなうような情報の端緒を、なんと、さい君から母親に直接発信する、という事件がおこりました。

 ある日、会社から帰ると(その朝ももちろん、僕が出かけるときは、さい君も息子も布団の中でした。100%ですから、はい。)さい君が、いきなり猛烈な勢いで-その日に限りませんけど、その日は猛烈さに磨きがかかってました。でも、なんだって女の人はしゃべることに関してのスタミナがあんなに強いんですかね。かないません。-しゃべりだしました。
 「今日ね、たいへんだったの!」
 「なんで。」
 「朝ね、電話があったの!誰だと思う?」
 「ん?わからないんである。」
 「すぎたせんせい!」
 「へ?」
 杉田先生は、愚息フジの担任です。何回かお目にかかりました。扱いにくいに違いない息子にも寛容に接してくれる、その華奢な体躯に反して包容力のある方です。フジ曰く、25歳、だそうです。若いのにたいしたものです。
 「・・へ?なんで杉田先生から電話が??」
 「せんせいがね、『フジくんががっこうにきてませんけど。』
  って。」
 「え!?なんで!」
 これはいかんですぞ。前から明らかによそ様の子に比べて落ち着きがない、とさい君ともども心配しておったが、子供の足でも10分もあれば優に足る学校までの登校途上にとうとう寄り道などするようになったか!
 「それでね、どうしたらいいかわかんないから、オカサンに
  電話で相談したら・・・」
 うむむ?なんか事態が飲み込めませんぞ。
 「あのさ、すぎたせんせいから電話があったんでしょ?」
 「うん。」
 「それで『フジくんが学校に来てない』っていわれたん
  だよね?」
 「うん。」
 「それで、フジがどこにいるかわかんなくてお母さんに
  電話したわけだ。」
 「ちがう。」
 「え?どういうこと?」
 「とにかく、オカサンに相談したら、オカサンは笑いながら
  『いいからすぐひとりで行かせない』って。」
 え・・。全然わかりません。
 「ユウ、あのさ。」
 「うん。」
 「ぜーんぜん、わかんないんだけど。」
 「だから、すぎたせんせいからでんわがあって!」
 事態を把握できない僕に対して『ゴムの時計』をもつ女、さい君は少しいらついてます。
 「ふむ。」
 「『フジくんがああ・・』」
 「いや、だからそれはさっき聞いたんである。」
 「そのときにい!」
 もはやさい君は、苛々を通過して、なんだか威張ってます。
 「わたしはああ!」
 「ほう。」
 「起きたの!! それでえ・・」
 「ちょ、ちょっと、待って!」
 「それでえ、フジはまだ寝てるから、オカサンに電話して
  『どうすればいいかって』・・」
 「つまり、まさか、杉田先生から電話があるまでユウも
  フジも寝てたってこと??」
 「そう!!目覚まし時計が壊れてたから!」
 威張ってます。ひどいです。しかもお母さんに電話して相談してもしょうがないじゃないですか。

 そのあと、僕はさすがに息子を捕まえて-大遅刻して心細かったりしなかったかな、と彼の年齢の頃の自分を思い出してみたりしながら-確認しました。
 「おい、フジ、今日学校に行くの遅れたんだって?」
 「うん。」
 「杉田先生からの電話でフジは起きたんだろ?」
 すると、息子は僕の問いには答えずに、こう言いました。
 「パパ!すごいんだよ!きょうね、いえからがっこうに
  いくのにね、ふつうにいったのに、にじかんもかかっ
  たんだよ!ふしぎだよねえ?」
 「・・・・・。」
 心細かったのでは、など全くの杞憂です。それどころか、どうも『ゴムの時計』をしっかりと母親から体内時計として受け継いでいるようで、父親としてはこの男の将来について別の心配をしなければならないようです。

 さすがに申し訳なかったので、日本語の読み書きのできないさい君にかわって『れんらくちょう』に下記のように、謝罪を記入して後日持たせました。

 2がつ20にち 日ようび
 「18日は、時計が壊れており、母子共にきずかなかった
  そうです。わざわざお電話まで頂き申しわけありません
  でした。本人は、家から学校まで何故か2時間もかかった、
  不思議だ、とまぬけなことを言ってますので理由はともか
  く遅刻がいけないことであることは言い聞かせます。」

 すると、さすが杉田先生、お心の広い返事を『れんらくちょう』にご記入くださいました。

 2がつ21にち月ようび
  「連絡帳を読んで大笑いしてしまいました。
   フジくんにしたら不思議だったんでしょうね。
   9時過ぎに教室に入ってきて、『みんなどうし
   たの?』みたいな顔をしていました。杉田』

 ・・・。ちょっと複雑な心境です。『どうしたの?』はみんな、じゃなくて、あんたなんである、息子よ。

 尚、たいへん残念なことに、杉田先生は、フジが進級したこの春、フジの学校を離任されました。

 そして、数週間前。帰宅後、いつものように、フジが部屋にばらまいた学校から持って帰ったプリント類に目を通しながら、さい君に指示をしておりました。
 「これはあんたは知らなくてよい。ええと、これは俺が
  記入するから書いたらフジにもたせて。・・これは、
  ユウには関係ない・・んん?」
 と、あるプリントで僕の作業が停止してしまいました。
 「どうしたの?」
 「いや、これは、この春転勤していった先生方全員
  の短い挨拶が・・」
 「ほう、じゃあ、わたしは何もしなくていいんでしょ?」
 「うん、そうなんだけど・・・」

 そこには、十名前後の離任された先生や事務員からの短いお別れの言葉が載せられていたんですが・・・。

 「九年間もお世話になって、本当に楽しい思い出ばかりです。
  (中略)みんなのことは忘れません。杉田」

 ・・・・・『九年間』って・・・。
 やるなあ、杉田先生!フジによると『25歳』のはずなんですけど!
 この種の『ゴムの時計』なら本邦の女性においてもお持ちの方をたまに見聞しますよね。

===終わり===


  
 
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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