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花咲かじいさん。

 僕は、八歳になったばかりのわが子の答案用紙に思わず眉を顰めてしまいました。
 全問正解にもかかわらず、です。

もちろん、彼もそれなりに成長はしています。
 つい先日も帰宅後、いきなり、ポケモンの戦闘ごっこに付き合わされたときのことです。
 ポケモンのフィギュアを床にばらまいて、どれとどれを対戦させるか、だの、さあ、対戦です、どういう武器を選ぶ?、このポケモンは水タイプなのでそんな武器は使えないよ、だのという『戦闘ごっこ』に付き合うわけです。向こうはどう思っているかわかんないけど、僕は、ポケモンごっこには特に興味がありません。そのうえ、仕事帰りだし、疲れてるから勘弁してくんないかなあ、とかなりなげやりな気持ちでつきあいます。どういうわけか、この手の遊びは全く彼の母親であるさい君を誘うことはなく、きまって僕しか誘いません。興味がないのは俺もさい君と同じなんだけどなあ・・、たまには母親とも遊んでほしいなあ、なんて不平等感を抱きながら適当に相手をするわけです。
 (あ、それとここまで読ませといて申しわけありませんが、今回は若干尾籠な話なのでお食事時に読むのは避けていただいた方がいいと思います。前もって言わずにすみません。)
 こっちは中年の仕事帰りの男でやる気があるわけではないので、相手をしながらも無聊感はあって、ばらまかれたフィギュアのなかで現在の決闘に関係のない分解された『ジラ―チの島』をなんとなく組み立てて時間を潰しながらふにゃふにゃと片手間で参加しています。
「あっと!野性のフシギバナに出会いました。捕まえる、
 逃げる、自分のポケモンを交換する、どうする?」
「・・ん?うう、逃げる。」
(どうでもいいんだけど。そんなことよりこの『ジラ―チの島』意外に作るの難しいじゃねえか。)
「え?逃げるの?」
「え、ん?うん逃げる。」
「・・逃げないほうがいんじゃない?」
「いや、逃げる。」
(なんだこれ、部品が足りないんじゃねえか?)
「捕まえる、のほうがいいんじゃない?」
 彼の筋書きではここで『逃げる』を選択されるのはうまくないようです。
「・・ん?え?なんだって?」
「戦うほうがいいっていってるの!ちょっとパパ、ジラ―チの島
 は今かんけいないでしょ?」
 (・・・『戦う』ことに決めちゃってるんなら、俺はそもそも要らないじゃねえか、ん?このパーツはここに、あれ、おかしいなあ?)
「パパ!」
「ん?ああ、じゃあ戦う、戦う。」
 (こいつ『ジラ―チの島』のパーツをどっかに無くしてるから完成しないじゃねえか。)
「じゃあ、武器はどうする・・、ちょっとそれやめてよ!」
「・・・ん、んん?」
 生返事連発の父親。すると、フジは、しばし手をとめるとちいさいため息をついて教師然として、言いました。

「ふう。どうも一回言っただけではわからないようだね。」

 僕は、彼の大人びた発言と、状況(ポケモンごっこに中年がいやいやつきあってやっている)と息子の年齢との乖離に意表をつかれて笑ってしまいました。いつのまにやらこういう言葉使いを覚えていることに驚きながら。


 ただ、どうも総合的には幼いです。その一例が、この年齢の男の子によくある下ネタ好きです。それも、風呂に入るまえに裸になって、まだ蒙古斑の残る背中をみせお尻をふりふりして、
「パパ見てみて、お尻ふりふりい!」
 今度は前をみせて、
「ちんちんぶりぶりソーセージ!」
 ・・・・面白くも、なんとも、ありません。
 しかし、本人は自分でやっておいて、
「うえ、うえへへへへへっへ。」
 とよだれを流さんとばかりにバカ受けしています。ああ、くだらん、と思いながらも僕も少しは反応しているようで、下ネタの披露は父親に集中攻撃されます。言葉を費やすまでもなく、この手のことに対する年齢を問わない女性の冷徹なまでの黙殺ぶりは見事なもので、さい君も例外ではないです。こいつ、たぶん学校でも同じように、一部の男の子だけで異様に盛り上がって、同級生の女の子には『瞬殺』されてるんだろうなあ。馬鹿だよなあ。気の毒に。
 さい君は黙殺しながらも、
「なんで、フジはあんなに下品なことばかり言いだしたのか?」
 と不思議がってます。
「いや、まあ、男の子にはこういう糞尿関係に興味が集中する
 年代があるんである。あんたもお兄さんや弟がいたからわか
 るであろう。」
と言ったら、驚いたことに、さい君曰く、
「え、ほんとう?私の国では、兄弟にも学校にもそんな
 男の子はいなかった。」
 と言い張って心配してます。
「いやいや、心配ないんである、こういうもんである。」
「そうかなあ。」
「そうそう。」
 と僕は、女子生徒に瞬殺されているであろうわが子と、子供とは言え、こういうくだらないことにエネルギーを真剣に注いでいる人間を職業として相手にしなければいけない担任の先生、-杉田先生です。若くて、字と見た目が綺麗な、包容力のあるとってもいい女性の先生です-、を気の毒におもいこそすれ、全然心配していませんでした。まあ本人は面白いと思って『他人から笑いをとるツールのひとつ』として時期的に下ネタに走っているだけだで、そういう言動を自分のアイデンテティとして確立しようとしているわけでもあるまいに、と。

 ところが、ある日帰宅後、いつものように床にばらまかれている、-フジはものすごくがさつな男で、帰宅したらまるでそれが儀式のひとつでもあるかのように、上着やランドセル、およびランドセルの中身を花咲かじいさんかのごとく不必要に盛大に床にぶちまけます。親としては多少心配です。-、斜めに折られたプリント、-彼はまた、ものすごくいい加減な男で、プリントの端をそろえてふたつに折る、ことができません。そういうことの達成に興味がないみたいです、親としては、かなり心配です‐、のひとつを何の気なしに拾ってみたら、算数のテストの答案用紙でした。
 我が家では、さい君は外人で日本語の読み書きが不自由なこともあって、この種のものについては、『できているか、いないか』ということには気を払っているようですが、詳細までは見ていません。僕はといえば、ごくたまに見る程度です。
 その日はなぜかたまたま花咲かじいさんの一枚を何気なく床から手にしました。それは、算数のテストの答案用紙でした。僕は、一瞥して、我が子の答案用紙に思わず眉を顰めてしまいました。全問正解にもかかわらず、です。
 それは計算の応用問題で、『答えが24になるようなもんだいをつくりましょう。』というものでした。それに対して、
 :もんだい
 :しき
 :こたえ
 を書く、という手順がもとめられています。フジは大きな丸をもらっています。つまり『あっている』わけです。問題はその中身です。そこには、均衡を欠いたばらばらの字で、-なにしろがさつな男ですから-、こうありました。
「うんちが8こあります。うんちには3つずつ
 きずがあります。きずはぜんぶでなんこでしょう。」
 ・・・ガチンコです。アイデンティティとせん、としているではないですか!
 今回は『笑いをとるツール』ではありません。なぜって、この文章は、フジ本人と杉田先生しか見ない確率が高いのは本人もわかっているはずだからです。しき 8X3 こたえ 24。あってます。
 しかし、その欄外に要求されていない絵までかかれています。
 なにやらゾウリムシ型の物体が8個書かれており、それぞれに傷が3つついています。やや短くて太い『いっぽん糞系統』の排泄物の絵です。繰り返しますがフジは丸をもらっています。僕は、こんな答案に時間を割いて丸までくださる杉田先生の寛大さに感謝するやら、時間をうばってしまったことに申し訳ないやら、という気持ちになり、さすがに我が子を呼び付けました。
「フジ、これさ・・」
「ああ、それね。うん。全部できてるでしょ?」
 とにこにこする暴君。
「うん、でもこの答え、杉田先生なんか言ってなかったか?」
「なんにも。なんで?」
「いや、なんでって、これ、うんちだろ?」
 と絵を指していいました。
「うん、そうだよ、フジうんちってせつめいしてあるでしょ?
 だから絵もうんち。」
「・・・・いや、でも別にうんちでなくても、いいんじゃ・・」
 ここでフジがにこにこしながら言葉を遮り、
「パパ、フジうんちの絵うまいでしょ?なんで普通のうんちの
 絵ってみんなソフトクリームの形なんだろうねえ。こういう
 かたちのほうが似てるよねえ。ねえ、ねえ、パパはさ、ソフ
 トクリームみたいなうんちしたことある?」
「え、いや、そういえばああいうきれいな巻き糞は確かにあり
 得ないな、パパはたいてい『いっぽん系』で、ん??・・・」
 と僕は、あろうまいことか花咲かじいさんの話術に巻き込まれそうになりました。
「いや、あのな、そういうことじゃなくて、テストには
 うんちとかは書いちゃいけないんである。」
「ええ、いいんだよ。せんせいも何にもいわなかったし。
 でも、うんちの絵はにてるでしょ?」
「・・・・・・。」
 ・・・こいつ大丈夫かなあ、と心配になりました。

 それから2カ月後のある日、またしても花咲かじいさんのしわくちゃの一部をひろうと、また算数の応用問題です。中身はまえより難しくなっています。曰く、
 『たし算・ひき算(3)
  下の図を見て、もんだいをつくりましょう。
  ①ぜんぶの数15本、あげた数( )本、のこりの数9本』
 とあり、それを表した簡単な図が書かれています。
 そして以前のように、
 :もんだい
 :しき(今度は穴埋めも必要です。)
 :こたえ
 を要求されています。これに対するフジの答えを見て、僕は額に手をあててしまいました。前回と同じく、杉田先生は丸をくれています。ありがたいことです。
 そこには例によって、猛烈な金釘流で、
『ゴリラマウンテンは、バナナを15本もっていました。
 おならゴリラに何本かあげたので、9本のこりました。
 バナナは今、何本でしょう。
 しき 15-9=6 A.6本」
 ・・・・またガチンコ勝負です。丸をもらっているうえに、この問題は『あげた数』を求めるのであって、『今何本か』を求めるのではないので、『今、何本でしょう。』の部分は、杉田先生がわざわざ『のこっているでしょう。』と赤字で添削してくれています。でも、おならゴリラはそのままです。
 「おい、フジ。」
 「なに?」
 「この答え見て杉田先生に注意されなかったか?」
 「なんで?」
 と、またしてもにこにこする愚息。
 「おならとか書いちゃだめじゃないか。
  それにゴリラマウンテンじゃなくて
  マウンテンゴリラじゃないのか?」
 「ちがうよ。がくめいは、ゴリラマウンテンゴリラ、っ
  て言うんだよ。」
 いきなり、おならゴリラを考案した同じ人間からとは思えない『学名』という難易度の高い日本語が飛び出し、もしや、こっちの常識の方が間違っていたりして、と思ってわざわざ調べたら、やっぱり適当なことを言ってました。
 「誰が、そんなこといったんだよ。」
 「たつろう。だってたつろうはさんねいせいだよ!」
 ・・・いや、父は社会人XX年目なんだけど。
 あきれつつ②番の問題を見てみました。今度は、コメントなしで、丸をもらってます。
 『②ぜんぶの数18こ あったかず8こ 
  かってきた数( )こ』
 これに対する花咲かじいさんの答えは、
 「目ん玉を・・」
 書けません。これ以上は、親の恥というより公序良俗に反するので書けません。
丸はもらってますけど・・・。

 先日杉田先生にお会いする機会があったので、
 「本当に躾がなってなくて、下品なことばっかし
  言ってるみたいでご面倒おかけします。」
 と謝罪したら、そこはさすがに先生だけあって、あとで考えたら、阿らず、しかし、否定せず、という修辞で応対してくれました。
 「そうですね、ほかの生徒さんよりフジちゃんはまだ、幼い
  ところがあります。けど、発想のユニークさはクラスで一番
  ですよ。いつも何を言いだすのか楽しみでしょうがないです。」
 そのときは、うっかり機嫌よく帰宅してしまいましたが、今思うと、僕の言った『躾がなってなくて、下品である』っていうことは先生は打ち消されていませんよね。

 どうも心配です。

 ところで、あのよくあるソフトクリームみたいな巻きぐそうんちって『一般的』なんでしょうか?僕とフジは、『いっぽん系』なんですけど、僕ら親子の方が『排泄物における遺伝的マイノリティ-』なんでしょうか?
=====終わり=====
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ラグビー部。

 『常識』とは時に便利ではありますが、時には把握しづらいものです。

 ご多聞に洩れず、僕の会社でも、ここ10年くらい、瘧に取りつかれたように社長以下管理職の方が、ことあるごとに『コンプライアンスだ、遵法精神だ!』と叫んでおられます。その内容は、全く妥当、かつ正義感に満ち満ちていて、僕のようなひねくれたパラサイト従業員でもいちゃもんのつけようがない、しごく全うで堅牢な言葉で語られています。
 いえ、じゃあ何か、『法を守りましょう』と会社が言う前の時代は守らなくてもよかったのか、というつもりもありません。

 たまに、その手の研修を受けたときに、具体例を出して、
 「こういう場合はどうすればいいのでしょうか?」
 とまじめに質問をする人がいます。
 そうすると会社のコンプライアンス担当者側と難しいサラリーマン用語を交えた(『可及的速やかに』-要は急いでってことです-、とか『深耕して』とか-要は深く-ってことです、『屋上屋を重ねる』とか-要は無駄なくらい、ってことですけど。)真剣で、インテリジェンスにあふれた問答がなされて、かくて『おお、わが社も個々での遵法精神の意識のレベルが向上してきているな。』という全体的な空気をもって研修は散会するわけです。
 でも、僕は、その問答をあとで振り返って、散りばめられていたサラリーマン用語を排除して、自分なりに要旨を咀嚼してみると、-僕は、他人にくらべて事象を把握するのに時間がかかるんです。本当です。その証拠に、中学二年になんなんとするころ、理科の授業で先生の説明が皆目わからなくて質問をしたら岡本先生が、『おお、そうか、そうか。緑は理解がいつも遅いから、緑がわかったらみんながわかったと判断できるな。』と嬉しそうに言ってました-、なんだか本当のグレーゾーンの稜線に立った時は、『そこは個々の常識でご判断ください。わが社のみなさんの常識レベルは公序良俗をわきまえているのはもちろん、一般のレベルに比肩しても決して低くはないと信じています。』っていう会話で、即ち元も子もない言い方をすると、『自分で考えろ。』で終わっているように感じていました。
 つまり、接待ゴルフで『握ったり』することなんかには、会社としての公式なスタンスはあるはずがないから、皆までいうな、『皆さまの常識を信じていますので』各自で判断しなさい、ってことでいつもおわっちゃうんです。

 これは、『勢いで世を謳歌している人への人生相談』に似てますね。
 以前、不良あがりであることを売りにしたあるバンドが一世を風靡して、中高生男子のカリスマ的な存在になったことがありました。そのバンドが持っているラジオ番組の中にリスナーからの人生相談に応えるコーナーがあって、僕の兄が聞いていたんですけど、
 「おい、ケイタ、このコーナー面白いぞ。」
 というので聞いてみたけど、これが、全く面白くないんです。その旨を兄に伝えると、
 「馬鹿、まじめに聞いてどーする、ほんとにおまえは堅物だなあ。
  よく聞いてみろ、『相談になってない』から。」
 と言われて、それを踏まえて聞いてみました。

 なるほど、そのバンドの人は中高生の真剣な悩みに対し、

 ①まず、耳をかたむける(ような姿勢をみせる)。
 ②次にそのことに関係のありそうな自分たちの『不良時代の
  凄い経験』を売れてる勢いそのままに口角泡を飛ばさん、
  と喋りまくる。
  (もちろん、これは『回答』じゃないです。)
 ③それで、当の質問者が、遠慮しつつ「・・・それで僕はどうす
  ればいいんでしょうか?」ってなる。(・・なりますね。)
 ④すると、カリスマバンドの人は、必ず間髪を入れずに声の大きさ
  を説得力として、
  「そこはよお、一番大事なところなんだからよお、オメ―がよう、
   自分で答えをみつけるんだろがあ!」と『喝を入れる。』
 ⑤リスナーは、かわいそうにあきらかに行間に納得のいかない
  空気をただよわせながら、そのバンドのカリスマ性と、対して
  いる媒体の巨大さ、に負けて、「・・・はい、ありがとうござ
  いした。」と小声で言う。
 ⑥最後に、またバンドの人が「わかったろう!おう、気合いだぜ!
  応援してっからよう!」と、もう真剣に聞いていないと思われる
  相談者に高らかに叫ぶ。

 と同じパターンで終わっていました。兄はその『相談といいつつ、自分らの体験を自慢して、肝心なところは、本人にそっくり返しちゃう』というところを面白がって、毎回その筋書きどおりになる予定調和を斜に構えて楽しんでいたんです。なんだか、僕の会社の『コンプライアンス研修』もそれに似ていて、そのことに気付いてから、密かに僕は、まじめな質問者が出ると、『おお、でた。あのラジオの人生相談!』とみなし、予定調和で終わるかどうかを熱心に観察するようになりました。それで、結論が、修辞方法はともかく、『そこはみなさんの常識で』と終わると、『おお、でた、ラジオの人生相談技法!』とひとり静かに小さなガッツポーズなどしています。
 ことほど左様に『常識』というのはときに『普遍性の代名詞』のように見えて、しかし、実は『判断を他人にまる投げしちゃう最適の道具』でもあるわけです。

 そして、今、僕は、このことを承知していながら皆さんに問います。本件に関しては、僕は『常識の範囲で』間違っていない、と思うんです。
 これは、ブログという一方的な媒体での、いわば彼にとっては欠席裁判なので、問題の会話は固有名詞以外はほぼ100%引用します。皆さん、僕は間違っているでしょうか?
 それは、ことしの年明けの僕と山案山子、-え?いや、まあそう言わずに。僕は友人が少ないって前から言ってるでしょ?-、とのメールでのやりとりです。

 以前にも書きましたが、僕と山案山子は、高校のラグビー部仲間です。そして、これはどこの高校、大学でもそうだと思うんですけど、なぜかラグビーというスポーツはOB・OGになってからの繋がりを大切にする風潮があります。僕の高校も、もう、20年以上まえから、公式に決めたわけではないのに、毎年12月の30日の夕方に、高校の最寄りのJRの駅にどこからともなくみんなが集まってくる風習になっていて、いまだに続いています。ただ、僕は、昨年は体調を壊して欠席でした。毎年、一年に一回、親戚に会うような会なので、欠席したことはとても残念で、その会の様子を僕から山案山子にメールで尋ねたのがこのやりとりのきっかけです。
 僕は、山案山子のある返事に大いに意表をつかれ、しかし、『いやいや自分の常識=世間の常識とは限らない』と一旦はメールを初めから読み返してみたんですけど、『やっぱりおかしい』と思って、それを彼に指摘したわけです。それに対しての山案山子の弁解が、これも不可解な・・・、まあ、引用します。以下、1月4日の僕から始まった、全てメールでのやりとりです。

僕「謹賀新年 30日どうだった?つっても山案山子は、
  今日(4日)からじゃないかな?みどり」
山「明けましておめでとうございます。
  今年も宜しくお願いします。
  30日ですが、矢野とかも来てくれました。
  だいずのおかげだね。
  山根さん(旧姓塚本さん)も最後まで居てくれて、
  近くだ、ということで一緒に帰りました。
  拓也さんは、自転車にかなりはまってくれて、
  甲府で飲み会があったときに自転車で行ったそうだよ。
  二宮さんの二次会が30日にあるけど、
  そのころ調子がよかったらどうですか?
  大田さん(9期)、岩倉さん(10期)まできてくれていたけど、
  笠田さんが風邪でこれなかったので、だいずのSNS脱会の件は
  伝えてないです。
  塚本さんには言ったけどね。
  今年もブログ楽しみにしていますね。」

 僕や山案山子と、高校在籍期間がかさなっていない先輩や後輩も集まってくれたようです。嬉しいです。それに、三つうえ(やはり高校在籍期間は重なってません。)の二宮さんが結婚される、という吉報も飛び出たようです。そうか、二宮さんもとうとう独身生活をタイムアップするのか・・。行きたかったなあ。

僕「ありがとう。そうか、矢野もきたか。よかったね。
  二宮さんの2次会は無理だな。残念だけど。
  30日って今月の??」

 僕は、1月30日にしろ、3月30日にしろ二宮さんの2次会にはとても行きたいんですけど、病気療養中なのでちょっと無理そうです。

山「そう、1/30(日)です。」

 そうか。せめてお祝いを送ろう、と僕は思いました。

僕「新居の住所知ってる?」

 ・・・・ここまでの会話でなんか『僕の方に常識的でない表現とか、相手の誤解をまねくような発言』がありますか?
 僕は、無いと思うんです。いや、無いです。
 にも拘わらず、山案山子の返事はこうでした。

山「新居ってだれだっけ?」

 実は、この会話は勤務時間中になされたものだったので(だから短いセンテンスでの応酬になってます。)、僕は、山案山子の異常な回答に、いきなり大爆笑してしまい、そのあまりの唐突ぶりに僕の隣に座っている先輩の『な、なになに!なんか俺、へんなこと頼んだか?』という真剣な動揺を引き起こしてしまいました。
 僕は、それでも会社の研修で連発される『そこは各人の常識の範囲内で』ということもあるし、僕がなにか非常識な日本語でメールを送ってしまったかと、一応会話を最初からできるだけ客観的に読み返して、-しかし、にやにやしながら-、みました。
 でも、『新居ってだれだっけ?』という発言を導き出した原因は僕の方にあるとはとても思えず、返答しました。

僕「あのね、新居っていうのは、『新しいすまい』のことです。
  二宮さんの結婚の話してるのに、『新居ってだれ?』って
  ねたにしてほしいのか?」

 すると、山案山子の答えは、またしても僕の想像の埒を超えていました。

山「ごめんごめん。大学の先輩に新居さんっていたからさぁ。」

 ・・・・僕と山案山子は違う大学です。『新居ってだれだっけ?』に対して、たとえ彼の大学の先輩にそういう名字の人がいたとして(それでも、僕は当然そんな山案山子の人生の細部まで関知してるわけないです。知りません、そんな人。)『大学の先輩に新居さんっていたからさぁ。』って『言い訳として正しく呼応』してますか??彼の『個人的な先輩の新居さん』は関係ないです。弁解になってないと思うんです。それこそ、会話の流れから『常識で考えれば』わかりそうなもんじゃないですか。

 ちなみに山案山子の職種は『営業』です。そして、どうも本人から伺うには、良い成績を収めているようです。営業から落第し、左遷を幾度となく経験している僕としては、どうも納得がいきません。
 なんだよ、『先輩の新居さん』って。先輩だろうが従兄だろうが、ご近所だろうが、『新居さん』っていう知人がいたにしても、どう読んでいったら、こういう返答になるんですかね。ううむ、いやひょっとすると、そもそも、『新居さんっていう先輩がいてさぁ』ってでまかせでは・・・。
 いずれにせよ僕のほうに『非常識な瑕疵』がありますかね?

  ・・いえいえ、そうではなくて、ここは、
 「そこはよお、一番大事なところなんだからよお、オメ―がよう、
  自分で答えをみつけるんだろがあ!」
  ってところですね。はい。

=====終わり====






アーノルド・シュワルツェネッガー。

 その日、僕は貴重な休みを職場で過ごさざるを得ない状況でした。出勤しているのは警備員2,3名と、僕と、僕のために同じく働かざるを得なくなった僕の運転手のサス、それと工場の建物の入り口を縄張りに棲みついている野良犬のノワ―リ―だけです。職場といっても工場なので、事務所内でも、その静かさは通常の日の喧騒ぶりのおかげで際だっていました。

 僕が、ある赤道に近い南半球の工場で、日本人は僕だけ、あと三百数十人が全員現地人という職場での、―僕を送りこんだ日本の本社も、いわんや僕も、日本人がひとりだけになっちゃう、なんて、そんなことは想定外のことだったんですけど。普通に生きているつもりでも、何があるかわかりません。―、ことです。(ええと、暇と忍耐力があって、まだお読みでない方、このブログの『いちゃもん!!』2010年5月2日、『さかな』2010年6月20日、をご参照ください。それから、一回読んだぞ、でも記憶力に自信がなく、かつ暇と忍耐力はあるぞ、という奇特な方がいれば再読してお楽しみください。)
 僕は、以前にも書きましたけど、泳げない人間がいきなり海にほうりこまれたようなもんで、必要にせまられて現地語を習得せざるを得ませんでした。なにしろ、日本人は僕だけですから。その国の現地語は誰が決めたか知りませんけど(本当にこれは個人的には不満です。サラリーマンの得意用語『根拠をしめせ』と叫びたいですね。)、『世界で一番簡単な言語のひとつ』なんだそうです。確かに日常会話レベルにまで達するのは比較的簡単かもしれないです。文字はアルファベットですし。ただ、そんなに支障はきたさないものの日本人がなかなかできないのは、やはり微妙な発音です。アルファベットなのに、英語とは違います。オランダ語系なんです。カタカナで無理やり表示すると、英語がエイ、ビー、シ―、ディ-、イ―、エフ、ジ-・・・、なのに対し、現地語は、基本は、ア―、べ―、ツェ-、デ―、エ-、エフ、ゲ―、・・・となるわけです。僕は、工場勤務だったので、ライン長を呼んだりするとき最初はやや混乱しました。だって、『Aライン』は、『ライン・ア―』って言わないといけないんです。うっかり『エ―ライン』なんていうと『Eライン』のリーダーがやってきたりするわけです。さらに、これは英語でもそうですけど、『L』と『R』の発音ですね。これが厄介なことに、英語では『エル』と『アール』ですけど、現地語は両方ともカタカナでは『エル』になっちゃうんです。説明で区別するとしたら、『R』の『エル』は日本人にとっての限界の巻き舌で、って感じです。英語でいう『あいまい母音』もありますし、それと、これも日本人の不得手な『無破裂音』てやつもあります。たとえば『SET』という英語を僕は、ロ―マ字でいうと『SETTO』と最後の『T』を『ト』とちゃんと言っちゃいますけど、現地の人は英語圏の人のように『セッ』、と微妙に消します。だから、英語を話せる人の割合は日本よりはずっと低いんですけど、ちゃんと英語を勉強した現地の人は、概ね日本人よりも英語の発音がきれいです。

 このブログを書く前に、モンゴロイド系現地人のさい君、-もう10年近くたつのに未だに日本語がいい加減極まりないです。つい昨日も、帰宅したら、さい君に『タダイマー』って迎えられました。でも、僕も嫌いじゃないから敢えてこういうのは訂正はしないんであります。―に、アメリカの有名な俳優にして前カリフォルニア州知事(Arnold・Schwarzeneggerさんです、日本語のカタカナでは一般に、『アーノルド・シュワルツェネッガー』って表示されますよね。)をわざわざ発音してもらいました。だんなの数次にわたる要請に対して、さい君が、鶏肉を手でむしりながら、もんのずごくアンニュイに口にしてくれた発音を無理やりカタカナに直すと(つまり、さい君の母国の人達が、『Arnold・Schwarzenegger』さんをどう読むかというと)、こうなります。
  『アルノルド・スワ―ルスネッジャー(ル)』
 もちろん、『アルノルド』の『ル』の一番目と『スワ―ルス』の『ル』は、『R』なので日本人限界の巻き舌で、『アルノルド』二番目の『ル』は『L』ですから、英語と同じく、舌を前歯の裏と歯茎の間につける『ル』です。最後の『ル』は『Rなので舌は巻かれているけれど殆んど発音されていないように』僕には聞こえるので、括弧をつけました。三つとも、日本語の『る』、ええと、例えば、『昔うちの部門にいて、会社をやめて蕎麦屋をやって畳んで、カラオケボックスをやって畳んで、IT系の会社をやってやめて、今はサーフィンとバイトの毎日のあの超イケ面の元同期の、なるさこくん』の『る』とは違います。この辺は、いくら簡単な言語といっても一朝一夕にはいかないです。
 
 工場は、よくいうと緑豊かな、悪くいうと開発途上の工業地帯の片隅にありました。実際、出勤してみたら、工場内の原材料の下で毒蛇がとぐろを巻いていた、なんてこともありました。また、ある時、僕が帰宅しようとしたら、得意げな顔をした警備員に呼び止められて(もちろんみんな顔見知りです)、
 「生きたラコステを見せてやる。見たくないか?」
 ってなんだかわけのわからないことを言われて、工場の裏手に連れていかれたら、太さは大人の男性の腕くらい、長さは体長20CM以上、尾まで入れたら40CMほどの大きなトカゲが小さな鳥かごの中に、なぜか首部分にピンクのリボン(紐とか縄じゃないです。リボンです。しかもどこかに繋げられているわけじゃないです。)を蝶々結びに巻かれて、工員食堂ででたおかずの目玉焼きと一緒に窮屈そうに入れられていました。
 「どうだ、オヤブン、生きたラコステだぞ。
  裏の森で捕まえたんだ。」
 と警備員はにこにこしました。いや、確かにこんな大きなトカゲは日本ではお目にかかれんなあ、でもちょっと窮屈そうで気の毒だな・・・、それに目玉焼きなんか食うのかなあ、と思いました。
 その出来事は『そういう職場にいる自分』という非日常性の認識として僕の頭に弱からぬ印象を残したらしく、数日後、僕らの大口の客であるフランス人(年に4~5回フランスから来てくれました。いい人でした。彼はもう定年退職してしまったけれど、『おい、ケイタ、俺は、いま中南米に旅行にきてるぞ、気持ちいいぜ』なんて、たまにメールでリタイア生活の楽しさを自慢してくれます。)と商談中に、なんの気なくその話題が僕の口からでてきました。(商談は英語です。きつかったです。)そしたら、彼も何やら野趣を感じたらしく、見たい、と言いだし、まだいるかな、と思ってくだんの警備員に聞いたら、
 「おお、ラコステか!いるいる!」
 と得意げに案内してくれて、ムッシュは、ばちばちとピンクのリボンをつけられた大トカゲを写真におさめていました。

 そういう自然環境の中で、普段の工場の喧騒もなく、一人で事務所でいると、そうでなくても週に一日しかない(工場は週休一日でした。)休日を仕事に費やしているという事実が気持ちを後ろ向きに引っ張り、なかなか今日中にしておかなければならない業務がはかどりません。『ここは、なんか景気づけに元気のでるものでも飲むか。』と、僕は、サスを呼んで、お金を渡して現地語で言いました。
 「サス、ダイエットコーラ買ってきてくれ。
  いいかダイエットコーラだぞ。普通のコカ
  コーラじゃないぞ。」
 「ガッテンダ、オヤブン。」
 といつものようにその字面とは裏腹に、僕の教えたいい加減な日本語でやる気のないアクセントで応えるサス。僕は、そのときダイエット中だったので(だいたい僕は人生の大部分がダイエット中です。今日もそうです。なんでこうなるんですか。僕だけですか?)、当時海外で販売され始めていたカロリーゼロのコーラで空腹感を胡麻化して、かつ、コーラに含まれているカフェインでやる気を喚起しよう、という狙いです。

 (ところで、サスは工場の社員ですが、基本的には僕専属の運転手です。僕とほぼ同年代です。現地の治安、インフラの不整備を理由に外人駐在員にはだいたい運転手がつくのが普通です。そして、こうやって、休日出勤につきあってもらったり、お遣いをしてもらったりします。こういう関係に眉を顰める方もおられるでしょう。その疑問は間違ってはいません。でも、『そういう場所』なんですね。僕も最初は遠慮がちでしたが割り切るようにしました。サスも別に『運転手だからって送り迎えはするけど、コーラを買ってこいなんて人権蹂躙だ。』なんて言いません。日本人の運転手をする、ということは現地では、そういうことなんです。だから僕とサスの関係は円滑でした。その国で運転手とうまくいかない、と仕事以外で大きなストレスを抱えることになるので僕は恵まれていたといえるでしょう。仲良くなればいい、というものでもなく、さりとて錯覚して傲岸不遜に構えるのでもなく、運転手とはつかず離れず、が肝要なんです。ただ、最終的には、-これもこの国の駐在員の典型的な要注意点として駐在してすぐ必ず教わることですが-、僕は、サスにとってはもちろん、僕自身にとっても少なからぬお金を彼に貸して踏み倒されちゃいましたけど。『あほな日本人駐在員のやらかすサンプル』の典型です。でも、まあ、これも僕に言わせると『そういう場所』なんです。しょうがないです。さい君はこの件で、いまだに僕のひとの良さを責めてます。でも当時は独身だったし、さい君とも顔見知り程度の関係でしたからいまさら怒られても知りません。)

 サスは車に乗って、-工場はスーパーマーケットなどから少し離れた場所にあるので-、出かけて行きました。ところが、なかなか帰ってきません。僕は、ダイエット・コーラをまだ体に入れていないことを自分への言い訳に、だらだらと仕事をこなしています。20分、30分・・・1時間、帰ってきません。たかだか缶ジュース買うのになんでこんなに時間がかかってるんだろう、渋滞にでも巻き込まれたかな?と思いつつ、いい加減、頼んだこと自体を忘れそうになった頃、サスが事務所に現れました。
 「おお、サス!遅かったな、ん、あれ??」
 彼の手には、あるはずのダイエットコーラはなく、僕の渡した紙幣が。そして、彼は、冷房のきいた車で買いにいったはずなのに、汗だくです。
 「オヤブン、なかった。」
 「へ?うそだろ?だって、すごそこに大きい
  スーパーがあるではないか?」
 「そこも行った。そこだけじゃなくて、この工場の
  周囲で考えられる店はすべて聞いて回った。」
 と、汗だくのみならず、やや憔悴してます。僕は、なんだか、自分がものすごい重たいミッションを託したかのような錯覚に陥りそうになるのを振り払いつつ言います。
 「それで、どこにも無かったていうわけ?」
 「うん、似たようなのはどこの店にも同じのがあった
  けど、オヤブンがダイエットコーラだぞ、って何回
  も念押ししたから間違えるといけないから、それ
  はあえて買わなかった。はい、これお金。」
 「・・・いや、あの、サス、似たようなのって?」
 「ああ、それ?どこにでも売ってたのは、」
 「うん、売ってたのは?」
 その時、サスが口髭まで汗まみれになりながら言った言葉をカタカナでそのまま、できるだけ忠実に再現して記載します。
 「ディエッチョケ。」
 「・・ディエッチョケ???」
 「うん。」
 「・・・?ちょっと、それスペルは?」
 「『デ-、イ-、エ-、テ-』と、」
 「・・???」
 「『チェ-、オ-、カ-、エ-』。」
 「・・『D、I、E、T』、・『C、O、K、E』・・?!」

 僕は、自分がサスに馬鹿にされているのではない前提を(一応あり得るかも、と)瞬時に確認しておいて、紙幣を握りしめて、唖然とするサスの前でひとりで大爆笑しました。そして、この可笑しさをリアルタイムで共有できる人がどこにもいない状況をたいへん残念に思いました。
  
 「はあはあはあ、そうか、そうか、いや、
  いいの、いいの、はあはあ、そのさ、いひひ、
  ディエッチョケ、買ってきてくれる?」
 サスは、事態を把握したのかわかりませんが、憮然と、抑揚のない声で、
 「ガッテンダ、オヤブン。」
 というと再び外出し、今度はものの10分もかからずに戻ってきました。実物を見るとなるほど、白地に赤い字で『DIET COKE』とでかでかと印字されていて、一方細かい文字まで熟読してみましたが、どこにも僕の言ったた『DIET COLA』などという単語はありません。それどころか、なぜだかわかりませんけど『COLA』という文字すら見つけることができませんでした。
 
 その後、日本に帰任した僕は、カロリーゼロのコーラには出会いましたが、あの白地に赤い文字の『ディエッチョケ』には再会できませんでした。もともと日本では発売されなかったのか、それとも僕が海外にいる間に廃番になってしまったのか、真相はわかりません。でも、今でも、カロリーゼロのコーラを飲む時(未だにダイエット中で、しかも仕事をする気がおきないんであります。)、思い出し笑いをこらえきれないことがあって困ります。それと、あの時もし僕が、『ダイエッ・コ-ク』と正しく、しかし、英語読みで言ったらサスはすんなり買ってこられたのかなあ、なんて工場勤務の日々を思い出しながら仕事をするふりをしつつ、ぼんやり考えたりしています。

===========終わり===========

報・連・相。

 「じょみょお、なしてええ!」
 「どうしたんじゃあ?」
 何が起きたのかまるで理解できずに問いかける声を浴びながら、しかし、その声には何も応えることはなく、じょみょの背中の黒いランドセルは僕らの視界の中でどんどん小さくなっていきます。

 じょみょ(もちろん、仇名です。どうしてこんな仇名になったかという経緯は、説明可能ですがここでは省きます。)と僕は、同じ町内に住んでいました。小高い丘の八合目あたりに僕の家があって、じょみょの家はその丘のたいらないただき部分の一角にありました。じょみょの家と僕の家の間に、ひと学年したの『やっちん』が住んでいて、そこにいる『ジュンコ』が生んだ、-犬です-、子供がじょみょの家と僕の家にもらわれて飼われていました。斑の出方が違うだけで見かけはそっくりでした。
 犬は関係ないです。ごめんなさい。じょみょとは、僕にとっての四つめの小学校で-(僕が一体いくつの小学校に通ったのかは言いません。僕は平凡を絵に書いたような男で『実は、県議会議長の孫』とか『実は有名歌手の妹』とか『実は普通のサラリーマンではない』という『特別な属性』が何もないんです。そういう密かな属性にはカリスマ性があります。憧れです。だから、せめて何個の小学校に通ったのか、を秘密にして謎の部分を演出しちゃうんであります。ちなみに『転園』も経験していて、幼稚園は二つ行きました。)-、僕が編入されたクラスで出会いました。その小学校は西日本の海沿いの温暖で空の青さの透明感が深い、ある地方都市にあって、-と言っても今では市町村合併で僕がいたころの地名はもうないそうです-、それまで神戸の小学生だった僕にはいろんなことが新鮮でした。そこに住む人たちの朴訥さもそのうちのひとつです。じょみょも、とても柔和な男で、同じクラス、同じ町内の僕に最初からとても親切に接してくれました。学校の成績が良くて、おまけにお父さんがその町にある、大きな(と地元民の間では言われてました。)動物園で働いていてました。『お父さんが動物園で働いている』っていうのは男子小学生の間においてはちょっとしたステータスです。

 僕らは、毎日放課後、小学校から見て西にあたる丘方面の住人で固まって帰りました。丘のてっぺんに住むじょみょ、中腹に住む、だいじん、僕、うーさん、ぶんじ、裾野近辺のまめさん、けんたろう、丘と小学校の中間に住む、ちゅう、しんこう、あぐー、などが主なメンバーでした。ところで、殆んどの年代において、男は女性よりも『馬鹿』ですけど、男子小学生の同年代の女子に比べての『馬鹿さ加減』には特筆すべきものがあります。首肯される人も多いと思います。そのうえのこれだけの人数が集まるとなかなかまともには帰りません。電信柱ごとにじゃんけんで一番負けた子が全員のランドセルを持つことを繰り返して帰ったり、たまたま見つけたとかげの尻尾をふんづけて切らせて、あるじを失った尻尾が別の動物のようにじたばたと動く様子を動き終わるまで見続けたかと思うと、テレビアニメについて熱心に話し込んだり、で大人なら10分くらいで帰れそうなところを毎日30分くらいかけて帰ります。
 
 そんなある日、いつものように、だらだらと集団で歩道一杯に広がって、-といっても人通りも交差点も車の量も少ないので特に危険でもないです-、夕刻の道を丘にむかって歩いていた時です。それまでの集団のおしゃべりの議題とは何の脈略もなく、突然、まるで雷に打たれたかのように、ひとりの友達が猛然と全速力で走りだしました。じょみょです。
 「じょみょお、なしてええ!」
 「どうしたんじゃあ?」
 何が起きたのかまるで理解できずに問いかける僕らの声を浴びながら、しかし、その声には何も応えることはなく、じょみょの背中の黒いランドセルは僕らの視界の中でどんどん小さくなっていきます。
 やがて、50Mくらい先で、急にランドセルはしゃがみ込みます。僕らは、ますます事態がのみこめず、
 「なんじゃ、なんじゃ。」
 とまさに異口同音に疑問を奏でながら、しゃがみ込んだランドセルに速足で近づき、ようやく追い付きました。
 と、唐突にじょみょは立ち上がり、息を切らせながら、しかし、得意満面の顔つきで、右足の靴を僕らに突き出してこう言いました。
 「ぴったりじゃ!見んしゃい!?」
 そこには、全く変哲のない運動靴があるだけです。
 「????」
 僕らは、まだ事の次第が飲み込めません。
 
 じょみょの勝利宣言の理屈はこうです。(じょみょは、学校の成績はいいけど、今思うと、みょうなところに独自の価値感を見出す男の子でした。)
 すなわち、みんなで下校している途中に、片方の足の靴紐が解けた。ほどけたからには結び直さなければいけない。しかし、自分の靴紐ごときのために止まってくれるような素直な集団ではない。そうなると、
『(自分が靴紐を結ぶにかかるであろう時間)x(集団の速度)』
ぶんの距離を集団においていかれ、後から集団にすばやく追いつくためには、
『(靴紐を結んでいる間において行かれた距離)÷(じょみょが追いかける速度-集団の速度)』
ぶんの時間をひとりでみんなを追いかけなければいけない。あたりまえです。しかし、じょみょにとっては『どうしてもこれは許容しがたいこと』だったんです。なぜだかわかんないです。だから、みんなに気付かれずにいきなり全速力で走ることで、この式を、
『(じょみょのいきなりのダッシュ-集団の速度)x(じょみょが靴紐を結ぶ時間)=先に集団に差をつけておかなければいけない距離』
という式にしておいて頭の中で逆算し、ちょうど集団がおいついた頃にじょみょは靴紐を結び終わっている、としたかったんですね。それがうまくいったもんだから、息を切らしながらもきちんと結び直された靴紐をみんなに見せて、『出し抜いた感』と『計算があっていたという達成感』を得意満面に強調したわけです。
 その後も、じょみょは、靴紐がほどけると、それまでの集団の意思や雰囲気を無視して憑かれたように唐突にロケットスタートを敢行し、息を切らしながら、集団の到着を待っては満足していました。 

 『そんなの要は先に走るか、あとに走るかの問題だけではないか、くだらん。つきあっておられん。先に走りたい奴には走らせておけ。』と僕らは思ってじょみょをほうっておきました。なあんて、そんなはずはありません。世に冠たる『男子小学生』の馬鹿さはここからが本領発揮です。
 ある日、またしても、とりとめない話をしているときに、じょみょが急に無言になり、スタートを切りました。
 「でた!じょみょダッシュ!」
 「うおお!」
と喚きながら、僕らは、全員で猛追を始めました。この『全員で猛追』というところが味噌です。一部だけじょみょについていっても、集団全体としては、じょみょの目論見を成功させてしまい、じょみょを追いかけた人間の行動は徒労に終わってしまいます。つまり、僕らには、いつのまにやら、『先に走りたい奴には走らせておけ。』どころか、『いつまでもじょみょに得意な顔をみせつけられてたまるか』という空気がなんとなく無言のうちに醸しだされていたんです。じょみょダッシュ(誰ともなくそう呼ぶようになってました。)に遭遇する機会はそうは頻繁にはありません。しかし、実は熟したり、時は来たり。見えないけれども、その『たまるか』空気が実は完全に熟成しきっていたある日、紐がほどけて『密かに』スタートをきったはずのじょみょに呼応し、じょみょに距離をとらせまいと10個前後のランドセルが猛烈な勢いで走り出しました。じょみょもあきらめません。
 「なにかあ、おまえらあ、ついてくるないやあ!」
 「だはは、じょみょ、またひもがほどけんたんじゃろがあ!」
 「ついてくるなあ!」
 「だはははあ!」
 こうして、この集団は、真剣に引き離そうとするじょみょを先頭に、彼があきらめて走るのをやめるまで、200Mくらいを全力疾走しました。全員疲れきって、はあはあ息をきらしながら立ち止まり、結局、その『休憩』のついでにじょみょがひもを結びつけるのを待って、まただらだらと歩きだしました。
 傍から見ると、いままで和やかにおしゃべりをしていたのに、
『会話をいきなり中断し、何かに憑依されたように夕焼けを
 背景に突然全員が歩道を全力疾走する男子小学生の集団』
としか見えなかったでしょう。僕がこのことを今でもおぼえているのは、じょみょと僕らがこの行動をその後も複数回やっていた、というあほらしさのせいです。あるときは、じょみょダッシュのスタートのタイミングが遅くて、『全員疾走』の挙句、みんな走るのをやめたのが丘のほぼふもとで、何人かとはそこでお別れ、なんて無意味なこともありました。さすが男子小学生、生産性ゼロです。

 でも、『じょみょダッシュ』の条件だけなら、大人にも揃ってますよね。即ち、靴紐、同じ方向へ歩く集団、これだけでいいんですから。

 ある日の午後、高層ビルに囲まれたオフィス街を、取引先にむかって歩きながら、会話をする法人営業第二部の三名。
中島部長「で、今日は、先方はどなたが出てこられるんや。
     うん?」
鴨下係長「はい、安田チーフバイヤーと、尾形バイヤーです。
     ここ半年、小林君と私で、伸びしろのある先と睨
     んで通ってるんですが、やはり丸友商事との関係
     が深くて、現場では密接になっても、なかなか数
     字に結びつかないので、今日は部長の顔を拝借し
     てトップセールスでやってみようと。な、小林君。」
小林課員「はい。ご多忙中、部長には申しわけありません。」
中島部長「いや、かまへん、かまへん。そういう口実でもな
     いと、なかなか、わしが現場の人間に会える機会は
     あらへんからな。こういう使われ方はウエルカム
     やで。小林君もまだ若いのにようやっとるみたい
     やないか。うん?」
 三人の関係は、しごく円滑で、かつ、まじめなひとたちです。
小林課員「ありがとうございます。」
中島部長「こないだの部長会でも君の大阪むけ販促の
     出張報告が話題になっ・・!?」
 突然、走り出す鴨下係長!!実は先ほどから皮靴の解けた靴紐が気になっていたんであります。営業マンとしては、身だしなみの一つとして解けた靴紐でお客様に会うなど許されません。そこへ、部長と入社三年目小林課員のふたりの会話がはじまり、隙をみつけたんであります。
小林課員「あああ、『カモシタダッシュ』です!ぶちょう!
     どうしますかあ!?」
 と緊急事態にあってもここは男子小学生と違い、ニッポンサラリーマンの憲法たる『報・連・相』を忠実に実行する小林課員。
中島部長「うむ、行くぞ、こばやしくん!許すな!」
小林課員「はい!かかりちょう!待ってください!」
鴨下係長「こら!こばやし!失敬な、ついてくるな!無礼者!」
 いつのまにか今日のプレゼン資料を入れた鞄を掌でもたず、ラグビーボールのように脇に抱え込み、午後のオフィス街を懸命に疾走する鴨下係長。
小林課員「しかし、かかりちょお!部長があああ!」
 小林課員は、若さにまかせて、一緒にスタートをきったはずの部長をいつのまにか従えて、係長に追いつきそうになりながらも、部長と係長の文字通り『間にはいって』困惑しつつ、走りつつ、大声で釈明しつつ、します。
中島部長「かまわん!行かせるな、こばやしくん!
     かもしたくん、君!非常識だぞお!」
鴨下係長「しかし、ぶちょう、ここは僭越ながら
     行かせてください!」
中島部長「はあはあ、ならん!はあ、いけえ、こばやしくん!」
小林課員「かかりちょう!止まってください!
     カモシタダッシュは先日も失敗した・・」
鴨下係長「はあ、ええい!だまれえ~!はあはあ、
     ついてくるなあこばやしい、はあはあ、
     お止まりになってください、ぶちょおお」
 かくて、三名は、全力疾走のままで、取引先の受付にまで辿りついてしまうんであります。三人は、何しろ競争を伴う全力疾走の直後ですから、息も絶え絶えです。鴨下係長は、目的を果たせなかった悔しさを一杯にあらわした表情で、取引先の受付嬢の前で、
 「うう、今度こそ!リベンジだ!」
と唸ります。
中島部長は、疲労困憊しつつもカモシタダッシュを防いだ満足感を漂わせて、
 「鴨下君、若い者はいつも君の背中を見ていると思って
  油断したらあかんで。油断したからこうなるんや!
  今日のところはええから、はよ、ひも結べ。」
 と命令します。
 しかし、鴨下係長はこんなことではあきらめません。何度もカモシタダッシュを繰り返すんであります。一方、中島部長と小林課員もそう簡単には許しません。そのうち、この取引先で話題になります。
 「おい、タケシマコーポレーションのあの・・」
 「ああ、あの三人だろ?俺も不思議だったんだよ。」
 「商談してるとすごく紳士的でまじめなんだけど・・、」
 「そうそう、でもいつも受付ではすごい怖い形相で。」
 「そう、それも『リベンジだ』とか物騒なこと言ったり。」
 「あとさ、『若いもんはおまえの背中を見てるんや』って
  受付で説教したりしてるらしいぞ。」
 「それで必ず、アポイントよりも5分くらい早くくるんだよな」
 「うん、なんか鬼気迫る表情らしいぞ。」
 「よっぽどうちとの取引増やしたいんだろうなあ。」
 「うん、まじめな人達だからな。」
 なんてことになり、『オフィス街でのカモシタダッシュ』とそれを阻止せん、とする中島部長と小林課員の大人げの無さのおかげで、人々はこれをみて微笑みなど浮かべ世の中は明るくなり、中島部長以下三名の所属するタケシマコーポレーション法人営業部第二部はこの取引先との実績が、自分たちは理由はわかんないけど増えていき、これが大きな循環につながり、日本経済全体も上向くんであります・・・。

 ところで、僕とじょみょは中学は一緒でしたけど、高校からは違う進路でした。僕がその土地を離れたので。そして、その間に『じょみょ』という仇名は絶滅してしまったそうです。でも、僕にとっては今でも『じょみょ』です。風のうわさでは、じょみょは元気にしていて、転勤で東京にいるそうです。いつの日か再会できたら、なんだってじょみょだけ、あんなにしょっちゅう靴紐が解けたのか、聞いてみたいと思っています。

======= 終わり ========
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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