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大豆(おおまめ)に隠された真実。

 『人に歴史あり』とよく聞きます。しかし、しばしばその歴史の中の出来事の軽重に拘わらず、真実は意外な事であったりするものです。

 僕は、ある事情があって、-本当に生きてるといろいろな事情があります。僕の人生年表なんか『成り行き』と『いろいろな事情』を並べて、その間を短い『はずみ』でつなげたら、ほとんどできあがっちゃいます。-、第一志望の高校に僕なりにたいへんな努力の結果、合格したにも関わらず、入学の1カ月前まで存在さえしらなかった高校に(今となっては僕の母校ですけど。)行くことになりました。それでもまあよかったのか、というと話はそう簡単に大団円とはならず、僕はすっかりぐれてしまって、駄目な高校生活をおくることになりました。でも、生来小心物なのでぐれる、といっても剃り込みをいれたり、喧嘩をしたり、というエネルギーに満ち満ちたぐれかたではなくて、『一所懸命さ』を失った、斜にかまえた高校生になってしまいました。もったいなかったです。そして、もったいないだけじゃなくて親をはじめ、たくさんの人を傷つけて申しわけなかったと思います。それから、もったいないけれども話しとしては面白くもなんともないので僕のぐれかた、についてはここでは触れません。とにかくも、僕は、ある事情から、山口県の中学を卒業して予想だにしなかった東京の高校に、いやいや通うことになりました。

 生まれて初めて東京にでてきたわけで、文字通り右も左もわからず、同じ中学の友人などいるはずもなく、周囲がみんな標準語でしゃべっていることがとてもくすぐったかった、のを覚えています。逆に周りからみても、山口弁丸出しの坊主頭で垢ぬけていない僕は、明らかに浮いていたようです。僕は、中学のときは柔道をやってました。そういうこともあってか、たちまちクラスメ―トの一人から、
 「みどり、おまえ、いなかっぺ大将みてえだな。」
 と東京に柔道の武者修行にでてくるアニメの主人公になぞらえられてしまいました。
 「いなかっぺ大将だ、ははは、風大左衛門、
  似てる~~、大左衛門、大左衛門!大ちゃん
  どばっとまるはだか~♪」
 とおもちゃにされて、すぐに仇名が定着してしまいました。
 すなわち、

 田舎から東京にでてきて、坊主頭で柔道やってた
 →風大左衛門→大ちゃんどばっと丸裸♪→大ちゃん

という、卵→幼虫→さなぎ→成虫、のように変態をとげたわけです。そして変態の最終形である『大ちゃん』は、あまねくクラスや僕が入っていたラグビー部の中に(僕の高校には柔道部がありませんでしたので、なんとなく『成り行き』でラグビー部に入りました)に定着しました。
 ところが、あることをきっかけに、いわばこの原型である仇名が活用変化をはじめました。その出来事は非常にとるに足らないことでしたが、今でもはっきり覚えていますし、とるに足らないこととはいえ、活用変化の説明上避けて通れないので記すことにします。(もっとも『とるにたらないことだから』という理由で削除しちゃうと、このブログ自体、徹頭徹尾全部削除、になってしまいます。)

 僕の高校は、最寄りの駅が三つもありました。そして、このことは逆に、どの駅からも遠い、ということを表します。自宅から直接自転車でくるか、最寄りの駅の駐輪場に自転車を置くかして、八割がたの生徒が自転車通学をしていました。僕も例外にもれず自転車通学でした。いわゆるママチャリに乗ってました。そして、なぜだかは覚えていないんですけど、荷物、-勉強道具だのラグビージャージだの-、を前の籠にいれずにいつも後の荷台にくくりつけてました。前の籠をこわしちゃったからかもしれません。理由は忘れました。
 ある日、練習後いつものようにみんなで連れだって帰ろうとしたとき、天候のせいで荷物を濡らさないようにするためだったと思うんですけど、同じクラスでラグビー部同期で一番のおしゃれを自任する№8(通称エイト)の藤代が、
 「ええ、ちくちょう、今日はしょうがない、大ちゃん
  みたいに荷台に荷物をくくっていくか。だせーけど
  しょうがない。大ちゃんと一緒だ。
  ダイチャンズホウシキだ!」
 と半ばやけになりながら、叫びました。ダイチャンズ、つまりエイト藤代は、大ちゃんという僕の仇名に『アポストロフィのエス』をつけて所有格にしたわけです。一応英語なので、いま初めてですが訳してみると、とこうなると思います。

 大ちゃんのやりかた → Dai-chan`s way

 そして、雨が続き、エイト藤代が、だせーけどしょうがない、と妥協していた大ちゃんズ方式を続けねばならない日が続いたある日、藤代は、舌打ちをしながら、
 「くそー、今日もか!今日も、大ちゃんズか?」
 と、『大ちゃんズ方式を短縮してよぶこと』でおおいにこの方式を貶しめました。『JAPAN→JAP』ていう類の短縮による侮蔑、ですね。ちゃんと書くとこうなると思われます。

 Dai-chan`s way→Dai-chan`s あるいは Dai-chans` 

 そのうち、エイト藤代以外の人間も『格好悪いけど、いたしかたなしに荷台に荷物を結ぶこと』を『大ちゃんズ』と呼ぶようになりました。そしてほどなくこの活用形は、さらにないがしろにされ、ある日とうとうエイト藤代によって、
 「ええい、今日も雨か!ちぇっ!大ズだ!」
 とドラスティックな活用をとげました。すなわち、

Dai-chan`s→Dai`s

です。そして、いつのまにやら藤代やほかの同期の部員が、この『方式の呼び方』を当の『本人の呼び方』にも敷衍させるようになったのです。つまり、僕は、ラグビー部内において、同期から、

 大ちゃん→(大ちゃんズ方式、大ちゃんズ、をとばして)Dai`s

 と呼ばれるようになったわけです。

 ところで、ラグビーというスポーツは練習中、試合中のコミュニケ―ション、意思統一が非常に大事なスポーツです。ひとりひとりがいくら頑健でも、コミュニケーションをとれないチームは画竜点睛を欠く、といっても過言ではないです。一方、攻守の交代や敵味方の陣形の変化が非常に激しいスポーツでもあります。従って、大きく、短く、的確に、お互いのコミュニケーションをとる必要性がでてきます。僕はそういう経験はないですが、チームによってはコミュニケーションを少しでも迅速にするために、試合中に限っては先輩後輩なしに全員呼び捨て、というチームもあります。
 そうです。この活用は、いみじくも、
「大ちゃん、右にいるぞ!」
 よりも
「Dai`s、右!」
 を当然優先したくなるラグビーというスポーツにおける声かけ、にぴったりはまってしまったわけです。というわけで、たちまち僕のラグビー部内における仇名は『Dai`s』になりました。そして、クラスのみんなも、特に男子生徒はほぼ八割が僕のことを『ダイズ!』と呼ぶようになりました。しかし、ここまで歴史を辿っていただければわかるようにエイト藤代にしても、呼ばれている僕にしても、飽くまで成り立ちから見ると発音はともかく、『Dai`s』が『正当性を担保している表記』であるはずでした。

 やがて、2年生になり、クラス替えがありました。ところが、アタックはいいがタックルをあまりしないエイト藤代をはじめ、男女あわせて十数名が同じクラスになってました。なんだってあんないい加減なクラス替えをしたのかいまもって不思議です。加えて僕の母校は、よくいうとおおらか、悪くいうとほったらかしで、2年生から3年生はクラス替えすらなかったのです。面倒だったんでしょうね。だから、エイト藤代をはじめ、1年のとき、同じクラスだった十数名は2年の新しいクラスに入った瞬間、『あいやー、こいつらと3年間同じクラスだ!』って悟るわけです。そしてそのことは、『1年生のときの僕のクラスの習慣』が広まることにも大いに貢献し、2年になって『はじめましてのほかの20数名』もあっというまに、成り立ち、活用を理解しないままに、僕を『大ちゃん』か『ダイズ』と呼ぶようになりました。傾向として、女子生徒や比較的性格の温厚な男子は『大ちゃん』派、運動部系や粗暴な男子生徒は『ダイズ』派でした。

 なぜこういうふうに分かれたか、最近クラスメ―トの顔を思い浮かべながら分析してみたんですけど、ある共通点を見出しました。それは、

 :『大ちゃん』派は、
   ①僕をリスペクトしていてくれたヒト群、あるいは
   ②僕とある程度の距離を保っていたいヒト群
いっぽう、
 :『ダイズ』派はラグビー部員以外は、
   ①比較的に僕にかなり近いヒト群、あるいは
   ②僕を見下しているヒト群

 であることです。なぜか。察するに、大勢を占める上記のような『Dai`s』の歴史と正当性に無知なラグビー部員以外の人たち、が、僕の仇名は『大豆(=だいず)』であり、そして、それは、『大豆(だいず)のような体型というある種ネガティブな特徴由来の仇名』だと思っていた、のではないだろうか、という推測に辿りついたのです。

 僕の体の特徴は、まず末端のパーツが小さくて太いです。指は以前にもふれたように、遺伝的に恒常的しもやけにかかった小学生みたいですし、足のサイズは、24.75センチです。え?いや、そうなんです。今でもありますけど、スズキスポーツというラグビー専門ブランドがあって、そこの靴はなんと0.25センチ刻みでサイズがあったんです(今はサイズについてはわかりません)。それで、僕は、24.5を使ってみたりしたんですけど、最終的に24.75センチが一番相性がよかったんです。でも24.5だろうが、25.75だろうが小さいですよね。いまどき、小学生でも25センチ以上の子はいるでしょう。一方ポジション柄ということもあるんですけど、どう見ても太ってました。僕は、ついにいままでラグビーの試合で、フロントローと呼ばれるスクラムの最前線の3つのポジション以外経験したことがありません。そしてこのポジションは上背はともかく太っている新入部員にあてがわれやすく、なおかつ、あてがわれた後には、『もっと太れ』と命令されるポジションなんですね。それにくわえて、体型が丸っこいらしく、同期の山案山子からも、
 「Dai`sにタックルされると低いから倒れちゃうん
  だけど体が丸いから痛くない。」
と褒めてるんだか、けなしているんだかわかんないことをよく言われました。だから、ラグビー部以外のクラスメートやほかの運動部の同学年の友人たちは、『あいつは体が小さくまとまってまるっこいから、大豆』だと思っていたに違いありません。そして、女子生徒や温厚な男子は、『みどりくんの体型のネガティブな部分を強調した名前で呼ぶのは失礼』だと思っていたんでしょう。これは大変な誤解です。むしろ失礼なくらいです。

 やがて、3年生が引退し、僕は、ラグビー部の新チームの主将になりました。ラグビーにおけるキャプテンシーはたいへん重要なものです。なぜなら他の団体球技と違って、ラグビーでは一度選手がグラウンドに出たら、監督が指示をできるのはハーフタイムしかないからです。
 では、僕がそれにふさわしい男だったか?いえ、ちがうんです。これは、悲しい消去法の結果だったんです。僕らは決して強くないクラブでしたが、述べ15~16人いた同級生たちが、練習と勉強の両立ができないといって櫛の歯が抜けるように退部していき、主将をきめるときには、なんと6人しかいませんでした。しかも主将を決めなければいけない時期に、僕の学校では珍しいことに、英語の点数の悪い生徒への補習授業が放課後に行われていて、それに僕ら6人のうち、なんと4人が『選抜』されていたんです。残っていた2人は、僕と豊田だけです。この二人しか『なんとなく選択肢がなかった』んですね。そして僕と豊田ではどっちが、『威勢がいいか』っていう、なんだかわけのからない議論になって、二人のうち『どっちかつうと威勢がよさげ』という薄弱極まりないプロセスを経て、僕が、主将になっちゃったんです。
 『しがない高校で、指導者のいないラグビ―部の主将に消去法でなってしまった』経験のある方にはご理解できるかと思いますが、これはせつないもんです。だいたいみんなに担がれてなったわけでもないし、練習方法も主将が指示するので、同学年ともぶつかることがあるんです。そのうえ、僕の代は部員だけでなく、女子マネージャーもいなくて、マネージャー業も僕がやってました。そうするとなんだか、同学年からみると『民意の総意によってではなく、消去法で選ばれた雑用もこなす主将』なので、リスペクトを得るのが難しいんですよね。その証拠に、同学年で一番力持ちの大林(高校2年でベンチプレス90キロ以上あげてました)やエイト藤代が、僕をよくからかっていて、ついには、僕の仇名の正当性を打ち消すようなことを言いだしました。
 すなわち、仇名が『Dai`s』であることを知っている数少ない証人であるはずの彼らが、世の中の空気に迎合して、あろうまいことかキャプテンの僕を捕まえて、
 「おい、おおまめ!」
 と呼び出したんです。つまり、あやまった歴史の理解に、もっとも正しい歴史に近い立場の人間が偽の仇名を訓読みにすることによって、曲がった正当性を付与してしまったのです。曲学阿世とはまさにこういうことを指すのではないでししょうか!『おおまめ』と呼ばれる僕をみて、歴史をしっているラグビー部員同期5人だけはその『諧謔のうまさ』に喜んでましたけど、部の後輩やクラスのみんなは別の意味で、つまり、体型が『大豆』のようだということを訓読みにすることで強調している、と思いこんで、これまた笑ってました。

 今でも、高校の同期の何人かとは親交がありますが、彼らはいまだに僕の仇名の歴史・由来は知らないでしょう。しかし真実は、下記のような歴史を経ており、本来は『 Dai`s』という表記に正当性が付与されるべきなのです。なんだか海外にわたったスポーツ選手みたいで格好いいじゃないですか?
 
 田舎から東京にでてきて、坊主頭で柔道やってた
 →風大左衛門→大ちゃんどばっと丸裸♪→大ちゃん
 →大ちゃんのやりかた → Dai-chan`s way 
 →Dai-chan`s→『Dai`s』

 それが、大林やエイト藤代のために、『おおまめ』に対しいつのまにか正当性が付与され、今でも、あの時期僕のまわりにいたみんなは、『みどりは大豆(=おおまめ!)に体型が似てるから、だいず、という仇名がついた』だ思ってるし、そのまま人生を終えてしまう可能性が大きいと思います。人に歴史あり、しかし、こうやって真実は埋もれていってしまうのです!

 それから、社会にでてみたら、予想外に多くの『未だに同学年にリスペクトされていないラグビー部の元主将』と言う人を見聞きします。こちらのほうは、みんながみんな『英語の補習授業と威勢のよさ、による消去法』で選ばれたわけではないと思うので、これから研究してみたいと思います。
==========おわり===========

 
 
 
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尖端恐怖症。

 僕の学生時代のひとつ後輩の太一が、
 「俺、センタンキョウフショウなんっすよ。」
 と言ったとき、僕は、何のことやらまるでわからず、太一の説明を聞いたあとも、
 「へえ、ほんと。じゃあ、こういうのは?」
 と言って、持っていたボールペンを太一の眉間あたりにいきなり突きつけて、彼をしてパニックに陥れてしまいました。今思うと、たいへんいけないことをしてしまった、と猛省してます。太一くん、申し訳ありませんでした。

 尖端恐怖症の人は、『バーベルセット』を家の中にはおけないと思います。なぜって、『バーベルセット』を家の中において暮らしたことのある人、-とりわけ家族のいる人で-、はお分かりと思いますがは、あれは総体積こそ小さいものの、もんのすごく場所をとるうえに、バ―ベルの棒の先端だの、台の棒をおくブイ字型の部分だの、『鋭利な尖端』に満ち満ちていて、尖端恐怖症でない人でも、そばを通るときは、少し距離をおいて動かないと危ないんです。ましてや家族に尖端恐怖症の人がいたりしたら何をかいわんや、って感じです。ことほど左様に、『バーベルセット』は、繰返しますけど、その総体積に反して、まことに家庭内では場所をとるんです。

 我が家に、なんだか妙な形の段ボールが何個も届いたとき、僕ら子供や母は、一体何がとどいたのか、誰が何を送りつけてきたのか、驚くやら、訝るやら、ひと騒動でした。しかし、家の奥から、父、みどりかずまさが現れて、嬉しそうに、
 「お?おお?来たか、来たか。」
 と言ったことで、犯人がかずまさであることと、不審物の中身がバーベルセットであることがほどなくして判明しました。
 かずまさは、よく言うと『行動力のある男』で、悪くいうと『直情径行型の男』です。驚いたことに、かずまさは、妻子持ち社宅住まい、という一介の宮仕えであるという身上をまるで意に介せず、数日前のある日、テレビショッピングでたまたま見た『バーベルセットと筋肉むきむきの男性』に『反応』し、その場で電話して『バーベルセット』を購入していたんです。それも、おそらくは、『さらにいまなら!』とか言われたに違いない『ダンベルセット』も一緒に!しかも、電話して購入手続きをしたあと、本人も忘れていたらしく、注文したことすら家族の誰にも告げていなかったのです。
 かくて、『いまならダンベルセットを2セットおつけします!さあ、あなたも突き出たおなかとさよならです!』という謡い文句と数日の時差をおいて届けられた『バーベルセットとダンベルセット』は、みどりかずまさ、と表札のかかった社宅内におかれることになりました。母親は、安からぬ突然の支出にはもちろん、そして、なによりも共同生活する人間の暮らしの空間を著しく浸食するこのバ―ベルセットとその購入者かずまさの身勝手ぶりに怒り心頭でした。僕と兄はというと、たしかまだ中学生で、ふたりとも運動部には所属していたものの、学校での毎日の部活のあとにわざわざバーベルを持ち上げるほどのモチベーションもなく、やっぱり『邪魔だ、剣呑だ』と思ってました。

 しかし、かずまさは、そんなことで肩身のせまい思いをするような繊細な男ではありません。そして、『直情径行』タイプによくあるように、彼は『すぐ結果を求める』タイプでした。
 届いたバ―ベルセットを嬉々として組み立て、いきなり台に座って、何回かバーベルを上げ下げし、台から降りるとダンベルを左右の手にとって数回振り回しました。そして、あろうまいことか、直後いきなり上半身裸になって姿見で自分の肉体の変化を確認し始めます。何やってんだ?1日やっただけでむきむきになんかなるわけないじゃねえか、と思いながら見ていましたが、かずまさは、それでもまるで変化していない体で気持ち悪いポ―ジングを何回かして満足そうに去っていきます。そういう日が何日か、そう、『何日か』です、決して『数週間』ではないです、何日か続きました。
なぜなら、ご存じのように『すぐ結果を求める』タイプの類型に違わず、彼は同時に『すぐ結果が出ないと、放り出してしまう』男でもあったのです。最初の1,2日こそ満足気に姿見に向かっていたかずまさですが、数日しても変化が無いことに(そら代謝の鈍り始めた中年が数日間バーベルを持ち上げたところで変化はないです)痛く立腹してしまい、たちまちバーベルセットに触ることさえやめてしまいました。こうして、みどり家のバーベルセットとダンベルセットは、テレビ通販のよくある帰結、『誰も触らない場所だけを主張する、間違えても素敵とは言い難い、邪魔なオブジェ』となってしまいました。
 言わずもがな、結構な値段で購入したうえに、捨てるにもお金がかかるので、使用しなければ当然そういうことになってしまうわけです。
 ところが、『慣れ』とは不思議なもので、かずまさを含めて僕らはほどなくして、その鋭利な尖端に満ち溢れたオブジェとの共存を受け入れて生活するようになりました。

 それから、数か月たったある日、突然家の中で、かずまさの怒号が響きわたりました。何事ならん、と僕が、怒号のほうへ駆けつけてみると、そこには、かずまさが両手で確か20キロの一枚のバーベルの赤黒い錘をおなかあたりに掲げながら、対峙している母親を罵倒しています。
 「なんだと思ってるんだ!俺はこんなことのためにこれを買った
  んじゃないぞ!」
 それに対して母親はしごく冷静に、
 「はいはい。どうぞ。お返しいたしますよ。」
 と対応しています。かずまさは、未だ怒りおさまらずといったものすごい形相で、母親の悪口を言っては舌打ちし、舌打ちしては、罵倒しながら、錘を手にバーベルのある部屋にはいっていきました。どうも、ボクシングの世界戦をテレビで見たかずまさの心に、突如『むきむき志向』が惹起し、数か月ぶりにバーベルをあげようとしたようです。ところが、バーベルの左右の重さが釣り合わず、錘が一枚なくなっていることに気付き、家中を錘を探して歩いた結果、錘がかずまさの領域から略奪されたのみならず、本来の目的と違い、はるかに遠い手段として、しかも、長きにわたって使用されていた現状に遭遇し、かずまさ激怒、というのが、上記の咆哮の顛末だったのです。

 僕は、ボクシングに刺激をうけて錘を取り返し、数か月ぶりに、バーベルを数回だけ挙げて姿見の前で上半身裸になるかずまさをよそに、母親のその錘の使用目的を知ったうえで、さらに取材をこころみました。
 「へえ、いつから?」 
 「いつって、いつからかしら?もう何か月もよ。」
 「え、じゃあ、それで作ったあれを俺らは・・。」
 「当たり前でしょ。」
 「へえ、なんでまた?」
 「だってね、あれ、ちょうどいいの。あら、まるでこのために作
  られたんじゃないか、っていうくらいしっくりするんだもの。」
 「そうなの?」
 「そうよ。だってね、大きさはお母さんが使っている入れ物の
  ふたの大きさよりほんの少し小さいだけだし、」
 「ふんふん。」
 「それに、均等に重さがかかるでしょ?」
 「たしかに。」
 「そのうえに、普通のにくらべて薄くて場所をとらない。
  もう最適よ。」
 「おー、なるほど、そういうもんかね。」
 「そうよ、しかも、使わないで置いとくよりいいでしょ?」
 「うん、まあ。」
 「ま、どうせ、2,3日したらとり返すからいいのよ。」

 錘はオブジェ化したあと、しばらくして母親の天才的なひらめきによって、『つけものいし』に使われていたんです。
 そして、母親にいわせるとこれが上記のごとく『べストマッチ』で、このオブジェによって漬けられた漬物をかずまさを含めて僕らは毎日のように食していたんであります。
 かずまさにとっては、勝手に使われた、ということ以上に、『むきむきマンへのツール』という彼の理想と『漬物石』という事実のあまりといえばあまりのギャップに、-しかもボクシングの世界戦観戦直後、血沸き肉躍る気分でいたときに-、遭遇したことで痛くプライドを傷つけられたんです。それで、
 「漬物石にするためにかったんじゃねえ!」
 という、かずまさ、魂の叫び、となったわけです(もっとも、もとより、漬物石にするために買ったんじゃない、っていうのは説明されるまでもなくみんなわかってます。むしろ、その発言によって、じゃあ、オブジェにするために買ったのか、という反論を母親の心に顕在化させてしまうわけです。)。
 母親としては、そんなかずまさの大人げないプライドなどは『瑣末なこと』だし、あと2,3日もすれば再び理想の漬物石を手中にできることは火を見るよりも明らかなので、真剣に相手をすることすらあほらしい、ということのようだったわけです。

 その後、母親の目論見どおり、世界戦の数日後から、錘は再び、母親にいわせれば『本来あるべき』、かずまさに言わせれば、『こんなことにために買ったんじゃねえ!』、という漬物石に戻りました。そして、父親は、ごくたまにそのことに気付いては真剣に怒り、翌日には漬物石にということがくりかえされたのち、数年後にセット丸ごと、運動少年を息子に持つ父親の友人にもらわれていきました。

 母親も年をとり、もう自分で漬物はつくらなくなったけど、かずまさは、今でも突如腕立て伏せをしては裸で鏡を見ているみたいです。

======終わり======

 
 

ウケッケ。

 もちろん、逆の立場になれば、-特に僕は英語が苦手だから、アメリカ人なんかに聞かれたら-、同じようなんだろうな、と思いながらも、なんだか楽しくて、忘れるのがもったいないので、備忘を兼ねて書いちゃいます。
 僕のさい君(某南半球で生まれ育った外人です)が、日本に来たばかりの頃、外人向けの日本語学校に通っていました(日本語学校が外人向けなのは当たり前ですね)。さい君は全くといっていいほど日本語ができなかったので、さすがに暮らすのに不便だろうということでわざわざ学校に通ったわけです。正確な金額は失念してしまいましたが、べらぼうに高かったのを覚えています。(正確な金額を覚えていないのは、僕が経済的に余剰資金を持っていて、よきにせい、と意に介さなかったわけではなくて、『絶望的に数字に弱い』という僕の弱点のためです。当然、資本主義社会における会社員としては苦労してます。それもたいへんに。)
 さい君は、土日以外は毎日電車で10分くらいの日本語学校に通い、その頃は、まだ子供もいなかったこともあると思うんですけど、僕がうちに帰ると、彼女が日本語の復習や宿題をしている毎日でした。ちなみに、僕と、さい君の会話は結婚前から今に至るまで、ほとんどさい君の母国語です。

 「ウケッケハドコデスカ? ウケッケハニカイデス。」
 さい君は、満悦しつつそのまま次に進もうとするので、『うけっけ』って?と教材を僕が覗くと、案内の女性とサラリーマンの絵があって、『うけつけはどこですか?』『うけつけはにかいです。』とあります。
 「ユウ、これは、『ウケッケ』じゃなくて『ウケツケ』である。」
 「ええ、なんで!日本語の『つ』は読まないんじゃないの?」
 「それは、小さい『っ』。大きい『つ』はそのまま発音するの。
  だから、それは、『ウケッケ』でなくて『ウケツケ』。」
 「ああ!もう!難しい!!」
 と机に突っ伏すさい君。気持ちはわかります。外国語の習得は理屈を超えた、ある種我を忘れた集中と勢いがいりますよね。(ん?理屈を超えた集中と勢い・・、これは『結婚への踏み出し』にも言えるなあ。)
 
 そういう日が続いて、少し、さい君も余裕が出始めた頃、僕が帰宅すると、よく学校の話をしてくれるようになりました。曰く、少人数のクラスで、アメリカ人と、イタリア人と韓国人と中国人と・・がいる、曰く、アメリカ人の名前は誰それでご主人もアメリカ人らしい、曰く、だんだん仲良くなってきたけど、全員に共通の言語は習いたての日本語のみである・・・などなど。
 みんな初歩から日本語を始めているクラスなので、彼女たちの会話や行動を細かく聞いてみると、僭越ながら、なかなか看過できない楽しい話もあります。
 たとえば、
 「今日はね、帰りにイタリア人の子とお茶したの。」
 「へえ、よかったではないか。で、英語で話したの?」
 「いや、せっかくだから最初はなるべく日本語で。」
 「へえ!どんな感じ?」
 「えとね、私がひとりで帰りに駅まで歩いていたら、
  イタリア人の娘が追いついてきてね、」 
 「ふむふむ。」
 「それでね、
  『ユウサン、アナタハ、イマカエルトコロデスカ?』って。」
 「ほうほう、それで?」
 僕は、経験から、彼女の学校での楽しい話しを聞き出そうとするならば、ここで、『そんなのいちいち確認しなくても帰るところにきまってんだろ』なんて、間違っても言ってはいけない、ということを学びつつあったので、短い合いの手をいれつつ、寡黙に聞き入ります。
 「それで
  『ハイ、ワタシハ、イマカエルトコロデス。』
  『ソウデスカ。カエルトコロデスカ。』
  『ハイ。ワタシハ、カエルトコロデス。』
  『ヨカッタラ、ワタシタチハ、イッショニ、コーヒーヲ、
   ノミマセンカ?』
  『イイデスネ。ワタシタチハ、イッショニ、コーヒーヲ、
   ノミマショウ。』
 って。」
 日本語としては問題ないんですけど、なんだか想像するとにやにやしちゃいます。

 かようにレッスンが続いていくうちに、話題がだんだん同じクラスの、ソンさんという中国人の女性に集中していきました。さい君とソンさんは今でもたまに連絡を取り合っているようですが、僕は面識がありません。ただ、さい君から受ける報告のおかげで、僕の頭の中で形成されたユニークなソンさん像は、時に僕をしてにこにこさせてしまうんであります。

 「クラスにひとり中国人がいてね。だんなさんは日本人でね。
  瀋陽の方からきてね、わたしより少し若くてね、ソンさんっ
  ていうんだけど。」
 「うん。」
 「いっつも一番声が大きいの。」
 「ほう。」
 「それでね、すごく集中しててね、間違えても全然気にしないの。」
 「ほう、それはなかなかえらいではないですか。」

 さい君に言わすと、例えば名詞を学ぶレッスンで、先生が絵を見せて
 「はい、みなさん、これは何ですか?」
 と生徒全員に一斉に答えるように尋ね、その絵が、郵便局だったとき、自信なさげに小さい声で
 「ソレハ、ユウビンキョク、デス。」
と答える韓国人やさい君をよそに、ソンさんは、ひときわ早く、それも大きな大きな声で、
 「ソレハ、コウバン、デス!!」
 と言うんだそうです。それでみんなの視線がソンさんの声の大きさと、あさっての返答に圧倒されて彼女に集中してもまるで気にしないそうです。これは、なかなかえらいです。

 その後も、ソンさんは大活躍を続けました。
 その日は、
 『知っています。』
 『知りません。』
 を学ぶ授業でした。先生は、生徒たちが誰も知らないであろう一般の人の写真と、有名な映画俳優などの写真を用意していたそうです。先生のシナリオでは、まずそれらの日本語を理詰めで学習したあと、用意した写真を続けざまに見せて、生徒たちが、『知っています』と『知りません』を反復して発言することで、肯定形・否定形を頭に刷り込ませる、ということだったようです。
 授業は予定どおり進み、先生による写真の提示に進みます。まず、一般の人の写真を見せて、先生が尋ねます。
 「あなたは、この人を知っていますか?」
 すると、全員元気よく、
 「イイエ、シリマセン!」
 と返答しました。もちろん、ソンさんは例のようにひと際大きく、
 「イイエ、シ―リ―マ―セン!!」
 と返答します。さらに先生は反復のために次の写真を見せます。
 「あなたは、この人を知っていますか?」
 「イイエ、シリマセン!」
 何回か否定形を反復したあと、先生はあきらかに写真の形状からしてそれとわかる雑誌からの切り抜きのような、ブラッド・ピットの写真を出して聞きました。
 肯定形の反復発言練習の始まりです。
 「あなたは、この人を知っていますか?」
そのとき、ソンさん以外全員の、
 「ハイ、シッテイマス。」
 という声を完全にかき消して、ソンさんが、
 「イイエ、シ―リ―マ―セン!!」
 と叫びました。先生はあてが外れて、しかし、ソンさんはどうも日本語の使い方を間違えているようではないので、あらためて、今度は、レオナルド・ディカプリオの写真を出しました。
 「あなたは、この人を知っていますか?」
 「イイエ、シ―リ―マ―セン!!」
 再び、ソンさんの生真面目で大きな声が教室に響き渡ります。
 その後も、先生の繰り出す、デビット・べッカムだの、ブッシュ大統領だの、をことごとく、ソンさんは
 「イイエ、シ―リ―マ―セン!!」
 と粉砕し、ソンさんは結局、その日は一度も、『ハイ、シッテイマス。』という発言を『できなかった』そうです。
 僕は、ソンさんには悪いとは思いながらも戸惑う先生やほかの生徒や教室内の雰囲気をまるで無視して、ひたすらに我が道をいくソンさんを思い浮かべ、さい君の話を聞きながら大笑いしてしまいました。

 そんな、ある日、僕が帰宅すると、さい君は、待ち構えていたように、いきなり、
 「日本語で、丁寧に許諾を得るときは何て言うの?」
と聞いてきました。僕は、虚を突かれました。
 「へ?」 
 「だから、『シツレイシマス』は間違ってる?」
 「おお、そういうことか。うん、その通り、失礼します、である。」
 「やっぱり!!」
 と、さい君の表情から明らかにある疑念を払拭した雰囲気が感じとられます。おお、これは、なんか、おいしそうな兆しだぞ、と僕は思い、そこで話しを終わらせまいと、ひとり得心するさい君からさらに聞き出そうと試みました。
 「ねえねえ、なんで?」 
 「あのね、今日ね、学校の帰りにね、四人で
  イトーサンのフードコートでお茶を飲んだの。」
(『イト―サン』というのは他ならぬ、『イト-ヨーカド-』のことです。さい君が日本にきたばかりの頃、イト-ヨーカド-の名前の意味を突然きかれて、
 「え?いや、イト―は人の名字だと思うけど・・。」
 「おおー、イト―サンか。おおーなるほど。」
 という会話があって、イト―ヨ―カドーと呼ぶのが面倒に思ったさい君は、それ以来、今にいたるまでイト-ヨ-カド-のことを『イト―サン』って呼んでます。)
 「四人って、誰と?」
 期待に胸が高まります。
 「えっと、シンシアと、イタリア人と・・」
 「と?」
 「あと、ソンさん。」
ビンゴ!!
 「それで?」
 「うん、それで、ソンさんは英語ができないから、日本語で
  会話したんだけど、そのとき、日本語で、丁寧に許可を求
  めるのは何て言うんだっけ、っていう話題になって・・」
 イタリア人と、アメリカ人とさい君とソンさんが、イト―サンのフードコートで日本語について、日本語で議論したわけです。四人には悪いですが、隣のテーブルにいた人が羨ましいです。
 「それでね、シンシアとわたしとイタリアの娘はね、
 『シツレイシマス』じゃないかっていったんだけど。」
 「けど?」
 「ソンさんが、」
 「うんうん、ソンさんが?」
 「ソンさんがね、『チガイマス!ワタシ、オボエマスヨ!』」
  って言って、譲らないの。」
 「へえ、『失礼します』じゃなくて何だって?」
 「それはね、『ソレハ、シツレンシマス、デス!ワタシ
  オボエマスヨ!』って」
 「ええ!それは全然ちがうよ。」
 「でしょ。わたしたちもおかしいと思ったんだけど、ソンさん
  の自信がすごいから・・」
 「から?」
 「結局、その場では、日本語で許可を求める丁寧な言い方は、
 『シツレンシマス』が正しい、ということになって解散した。」
 「え?」

 なんだか後になってみると内容も根拠も薄弱なことを言っているのに、声の大きい者の主張が通る、というのは、僕の会社でもよく見かける光景ですが(あれってどういうことなんですかね。)、まさか、イト―サンのフードコートで、ソンさんの声の大きさゆえに、毎日、日本人が『お先に失恋します。』と言って職場から『うけっけ』を経由して帰宅していること、と決議されている、なんて世界はまだまだ広いです。
 それから、イト―ヨカード―ではよく買い物もしますし、お世話になってます。イト―サンと呼んでいるのはさい君と僕の間だけですし、他意はありませんので関係者の方はシツレイをお許しください。

=======終わり=======

 

 
 

痛い!!④

 もうずいぶん以前、前すぎて何年まえかも記憶にないですが、ある日の新聞の社会面の、さして大きくない記事に惹きつけられて、熟読してしまったことがあります。それどころか、関係者、特に、被害にあった方には申し訳ないですけど、未だに頭から離れないです。
 それは、刑事事件(恐喝罪だったと思います)を報じる記事で、被害者は、中古車販売業者、容疑者は、えーと、『反社会的方面組織所属の方』、でした。結論からいうと、『反社会的方面組織所属の方』(以下、面倒なのと、あまり触れたくないので、『所属の方』と略しちゃいます。)、が中古車販売業者を脅して、115万円の自動車を115円で買った、というものです。どうしてそういうことが起きちゃったのかというと、中古車販売業者が、ある日、新聞にちらし広告を入れたんです。そして、その広告には、各商品(中古車ですね)の写真と値段が表示されていて、よくあるように、安いという『値ごろ感』を強調するために、価格の数字だけを大きく表示したんだそうです。例えば、『カローラ、99年型、40万円!!』、『シルビア、走行距離500km、75万円!!』というところの価格の数字部分だけほかの表示よりも何倍も大きく表示したんです。これだけなら特に問題はないです。ところが、これは誰の、-つまり中古車販売業者なのか、印刷業者なのか-、ミスなのか記事からはわかりませんでしたけど、なんと価格表示全部に『万』を印字し忘れたのです。新聞にはそのちらしの写真も載ってました。すなわち、『シビック、最新型、90円!!』っていうことになってしまったんです。そしてこの広告を見た『所属の方』が、店に訪れ、『おう景気のよろしい話やなあ、きょうび、あんたらみたいな善良な業者はめずらしいで。わしらあ庶民の味方やなあ。このカローラとシルビアもらうわ。115円やろ、115円、な、そう書いたるわな!』と(言い方は僕の推定です。)その『まんぬき』価格で買って行った、ということなんですね。僕は、この記事を読んだ時、二つの事に考えを巡らせました。

 ひとつは、
「実際に、『所属の方』は、115円を置いていったのか?」
ということです。車を買うとなると、それはやっぱりおにぎりをコンビ二で買うようにはいかないので、いろいろと手続きがあって、それでローンを組んだりなんかして、というわけで普通は、その店のデスクに店員さんと相対して座って、ある程度の時間を書類の記入や会話なんかに割かざるをえないです。それで、僕は頭の中で、脅しに屈した店員さんと『所属の方』が少なくない時間を一緒に過ごしたあと、机のうえに115円を置いていく光景を想像してみるんですけど、『う~~んあり得ん』となかなかしっくりこないんです。『おう、ありがとな、えっと、5円玉あらへんなあ、ええわ、釣りはいらんで』って120円を机のうえに『所属の方』が置いていったんでしょうか。それとも5円のお釣りを渡したのかなあ。ご両名には悪いですが、想像するだに、今でも喜劇にしか見えません。

 もうひとつは、
「確かにミスはミスだけど、『所属の方』がおそらく主張したであろう、『広告通りの値段で買っただけやないかい!』(言い方は僕の推定です)という主張は、『一般的に考えて中古車が35円のはずがない』という常識の前に敗れ去ったんだな・・。新聞で読む限り、この場合はそうあるべきだし、警察の判断や法律解釈にも一般常識的『値ごろ感』を考慮する、という柔軟性は担保されていたわけだ。」
 ということです。

 つまり、この事件の場合、『自動車』の値段のうち、タイヤや車体の原料代がいくらで、組み立てる人件費がいくらで、自動車工場の設備の減価償却費がいくらで、自動車メーカーの利益がいくらで、輸送費がいくらで、なんてほとんどの人は知らないのに、『中身は知らんが、中古自動車が35万円、ならなんとなくあり得て、35円、ならあきらかにおかしい』という『値ごろ感』の市民権が尊重されたわけです。
 一方、全ての『値ごろ感』、いや『値段』だけじゃくてこの『何々ごろ感』が市民権やコンセンサスを得ているわけではなく、ときにはそのことで日常生活に支障をきたすことがあります。
 たとえば、『靴のサイズごろ感』において、『僕の靴のサイズは40センチです。』っていう人がいたら、僕は『えーー、うそだあ!』って思います。たぶん多くの人がそう思われるでしょう。つまり『大人のヒトの足の長さ』には『なんとなくこれくらいだろうというサイズごろ感』が世の中で形成されているわけです。でも、例えば『コーヒー豆の値段が1ポンド5ドル』って言われても、僕には高いんだか安いんだか、さっぱりわかりません。つまりこの場合、僕には『コーヒー豆の値ごろ感』は無いわけです。そして、コーヒー豆の値ごろ感がないからといって日常生活に支障をきたすことはないです。

 しかし、あの時は、まさにこの、さる『ごろ感』の無さ、から僕の日常生活に流血の惨事を招いたのです。
 以前にも何度か紹介もうしあげたように、僕の伴侶は外国人です。結婚式は、さい君の国でやって、日本では面倒なのでしませんでした。(今思うとやっとけばよかったです。なぜって、『公の場で寄ってたかって褒められる(はず)』という経験は凡百の宮仕えの身にはそうあることではないからです。まあ、それはしょうがないです。)さい君の国での結婚式の段取りやなんかは全部さい君がやってくれました。感謝してます。それに結婚指輪もさい君が二人分を一緒に買ってくれました。僕は、結婚式も指輪もお金を送金しただけです。結婚式は滞りなく終わりました。
 問題は指輪でした。僕は、自分で指輪をする習慣も全くなく、女性に指輪をプレゼントしたこともないので、一度も指輪を購入したことがありませんでした。(断っておきますが、リターンの多寡はともかく、女性に貢ぐのはむしろ得意とするほうです。が、どういうわけか指輪には縁がありませんでした)。結婚指輪は、さい君が香港で買ってくれることになりました。さい君のお姉さんも香港の人と国際結婚をして香港に住んでいるので、そこへ遊びに行ったついでに、結婚指輪を買うことにしたんです。

 さい君は、念入りに購入場所、商品にあたりをつけ、僕に電話をしてきました。
 「あのさ、決めたから。金額はかくかくしかじかよ。」
 「うん、ありがとう。異存なしである。」
 「それでサイズは?」
 「へ?」
 「だから、ケイタの指輪のサイズは何号かって聞いてるの!」
 「おー、なるほど、しらないんである。」
 「え?自分の指のサイズ知らないの?」
 「うん、知らない。」
 僕は、『指輪のサイズごろ感』がゼロだったんです。今でもほぼ無いです。というわけで、さい君の驚きをよそに、僕は、会社帰りに貴金属店によって、サイズを測ってもらいました。こういうとき、日本のサービス業の方はサイズを測るだけでも、内心はともかく、嫌な顔ひとつしないので助かります。
 ところで、これは『うすうす』気付いてはいましたが、僕は指が『他人に比して短くて太い』んです。これは遺伝です。父も兄も、指が短くて太いです。自分の指なので自分ではあまり違和感は感じたことはありませんが、たまに無遠慮な人にまじまじと見られたり、『しもやけでまん丸になった小学生の手みたい』と言われたりしたことがあるので、まあ、『普通ではないんだろう』とは思ってました。
 「あの、指のサイズ知りたいんですけど。」
 というと貴金属店の女性店員さんは、愛想よく、
 「はい、少々おまちください。」
 というと、いろんなサイズのサンプル指輪がかかっているすりこぎの孫みたいな円錐状の木型をもってきてくれました。そして、もちろん『しもやけ』呼ばわりなど間違ってもせず、
 「お客様ですと、このあたりかと・・」
 と、彼女の経験から目星をつけたサンプルの指輪を木型からとって僕の薬指にはめてくれようとしましたが、最初の指輪は彼女の経験値を大きく裏切り、僕の指の第一関節を通るのがやっとで、すぐに小さすぎることが判明しました。しかし、そこは、世界に冠たる日本のサービス業です。特に動揺する様子もなく、
 「すみません。ちょっと小さかったですね。では、こちらを・・」
 と彼女は、最初のサンプルより2段階くらい大きな指輪を取り出しました。
 だめです。指輪はまだ指の下まで到達しません。さすがに、少し店員さんの顔に驚きがみられます。
 「では、これを・・」
 と店員さんは、その木型の一番下にある、つまり一番大きな指輪を、半信半疑な表情で試してくれました。
 だめです。
 僕としては、さっきから、
 「・・・・・」
 って言う感じで、なすがままなんですけど、まさか一番大きいのがはまんないなんて。店員さんは苦笑いとも、愛想笑いとも、驚きによる笑いともとれそうな複雑な笑みを浮かべながら、
 「少々お待ちください。」
 と言ってなにやら棚の下のほうを探しはじめました。僕としては、『お待ちください』って言われなくても待つしかないです。すると再び僕に正対した彼女の手には、先ほどより一回り大きな木型が。つまり、これは、『特大サイズ用のサイズサンプル』なわけです。その後、その特大木型にはめられているサンプルを2,3個ためした結果、ようやく僕の指のサイズが判明しました。僕は、買いもしないのにサイズを測るだけで店員さんの手間を予想外にとらせてしまった罪悪感と、特大規格の指の応対をした彼女が内心どう思ってるんだろう、という恥ずかしさをいだきつつその場を後にしました。参考までに、僕は身長はどちらかというと低い方で、体型はあきらかに肥満体ですが、それでも例えばTシャツは既製品でまにあう範囲です。

 ともかくも、目的を達成した僕は香港にいるさい君に連絡しました。
 「あのね、僕の指のサイズは00号である。」
 「うん、わかった。」
 これで僕のミッションは終了、のはずでした。
 ところが、それから2,3日たってさい君から電話があり、
 「ちょっと、指輪のサイズ、まちがえてない?」
 「へ?どういうこと?買ってないの?」
 「うん。」
 「なんで?」
 「だって、指輪屋さんがね、『これは何かの間違いだ』って。」
 「なに、それ。そんなことないよ。特大木型まで出してもらって、
  何回も試した結果なんである。さっさと購入したまい。」
 「でも、指輪屋さんがね『この地で指輪を売って30有余年、
  こんなサイズの人間には出会ったことがない。』って
  いうんだけど。」
 「いや、そういわれても・・。いいからこのあいだ連絡したサイズで
  書いたまえ。」
 「・・うん。」
 どんな指輪屋のおやじか知らんが、自分の『サイズごろ感』によっぽど自信のあるおっさんなんだな、黙って言われた通りの指輪を売ってくれればいいのに、自分の経験値にあぐらをかきゃあがって、夜郎自大も猛々しい、と僕は、さい君との会話を終えました。
 翌日、さい君から電話があり、
 「あのさ、今指輪屋さんにいるんだけど・・・」
 「へ?まだ買ってないの?」
 「うん。」
 「なんで?」
 「いや、それが買おうとしてるんだけど、指輪屋さんが『指輪を
  売って30有余年、こんなサイズの人間には出会ったことがない』
  ってまだ頑張るんだもの。」
 「・・・・。」
 そもそも『指輪のサイズごろ感』を持ち合わせていない僕は、そこまでいわれると、自信が揺らいできました。
 「それでね、『悪いことは言わないから、言ってるサイズより
  ひとつだけ小さいのにしろ』っていうんだけど。」
 「・・・ふ~~む・・。」
 「でもね、そのひとつだけ小さいサイズでさえ『指輪を売って
  30有余年、これがおいらの経験では一番大きい』って。」
 「・・・・。」
 「どうする?」
 
 結局、僕らは、指輪屋の自信にまけて僕の申告より一回り小さいサイズの結婚指輪を購入しました。そして、届いた指輪をはめてみました。
 「どう?」
 と不安げに見守るさい君。
 「うん。なんとかはいった。でもなんかきつい気がする。」
 「ケイタは指輪をしたことがないからそう思うだけよ。
  きついんじゃなくて違和感があるだけなんじゃない?」
 「そうか、そうだよね。」
 ということで、半分無理やりはめた結婚指輪について、半分無理やり自分たちを納得させました。

 しかし。指輪をはめはじめて、1日たち2日たち、して時間を重ねてくると、やっぱり指輪の近辺が、
 「痛い。」
 「慣れてないからじゃない?」
 「そうかなあ。」
 ところが、痛さは一向におさまらず、ある日仕事中にふと薬指を見ると、なんと指輪近辺から血が滲んでいました。その傷は時間をおいてかさぶたになり、さらにかさぶた部分とは別に新たな流血が・・。
 「痛い!!毎日出血してる。」
 「・・・」
 「とりあえず外してもいいかな。血だらけの指でお客さんの
  ところに行くわけにはいかまい。」
 「しょうがないなあ。」
 「やっぱり連絡したサイズで買っておけばよかったのに。」
 「だって、指輪屋さんが『指輪を売って30有余年、
  こんなサイズの・・」
 「いや、だからそれは前にも聞いたんである。」

 というわけで、『指輪サイズごろ感』の無さゆえに、現在に
至っても僕の指には結婚指輪はありません。他意はないです。
 それから、今になってやっぱり正確だったと思われる自分の指輪のサイズも連絡したあとできれいに忘れてしまったし、その後も指輪を買う機会がないので、いまだに『ヒトの指輪のサイズごろ感』は僕にはないです。
 ただ、いつか香港に行って、くだんの『ここで、指輪を売って30有余年っ!、こんな・・・・』と言い切った指輪屋のおやじに僕の指を見せてやりたい、と思っています。
 でも、会ってみたら、そのおやじが『香港における所属の方』
だったりしたら、もの凄くいやだなあ・・・。

=========終わり=========
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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