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桜田門外の変。

 他人の無知は、是非はともかくとして可笑しいものです。が、一般に無知を笑いの対象にするのは褒められた行為ではないです。なぜなら日本語はたいそう難しい言語であって、知っている、知っていない、は所詮『程度の問題』であるからです。
 恥ずかしながら、僕がそういうことに気付いたのはごく最近のことで、社会人になってかなりの年月がたっても『俺は常識のレベルが高い』と勘違いして、他人の無知をあげつらっては、しばしば呵々大笑しておりました。多くの人を傷付けたと思います。
 ごめんなさい。こころからお詫びします。

 僕自身の無知をいくつか披歴しますと、僕は、社会人になってからはじめて、自動車を押し上げる機械が『JACK(ジャッキ)』であることを知り驚愕しました。僕はそれまで、あの機械のことをずっと『蛇器』という漢字をあてる日本語だと思っていたんです。自動車作業員の方がレバーを馴れた手つきでくるくると回すと、『とぐろを巻いた蛇』がとぐろの原型を保ちつつ、くいくいと『鎌首をもたげる』光景をみては、
 「う~~む、『蛇器』とはよく言ったもんだなあ。巧みな表現だ。」
 と、自動車と共にその機械を始めて見た先人の『訳におけるセンス・オブ・ワンダー』にしきりと感心し、自分の知識への誤解の上書きを繰り返していました。だから、ジャッキは英語で、それをそのまま使っている、と知ったとき、『・・・!!!』と絶句し、
 「そうだったのか!じゃあ『蛇のように鎌首をもたげる』は?『訳に
  おける先人のセンス・オブ・ワンダー』は?ひええ両方とも立場も
  何もあったもんじゃない、ではないですか?」
 と俄かには信じられないくらいでした。なんてことはない、僕は自分の『センス』に自分で『ワンダーしていた』無知な男だったわけです。
 それから、『湯葉の材料が豆乳であること』も社会人になるまで知りませんでした。食べ物として敬遠していたからか、というとそうでもなく、むしろ好きな食べ物でした。某南半球の地に駐在をしたとき、-その国の方は豆腐をたくさん食する習慣があります-、一般のスーパーマケットにも湯葉がたくさん売られていて、
 「いや、すごいですねえ。この国の人は日本食好きなんですね。
  こんなとこまで来て湯葉を食べられるなんて思いもしません
  でした。いや、すごい。」
 と駐在歴の古い会社の先輩に言うと、
 「あほか、あんたは。あんだけ豆腐くうてるんやから湯葉もあるに
  きまってるやろ。日本食とは何にも関係あらへんがな。考えたら
  わかるがな、あほか、みどりは!」
 と罵倒され、『へ?どういうこと』と思って、その場ではむにゃむにゃいいながら巧みに話題を変えて、あとでこっそり調べて事実を知って仰天しました。じゃあ、なんだと思ってたんだ、といわれると、これが事実を知ってしまった今となっては、まことにあいまいで、『湯葉≒なんとなく京都』という印象で、それが『京都≒なんとなく日本固有のもの』と僕の頭のなかでデフォルメされて、『地理的にだいたい京都近辺でとれる海か山か川の有機物』くらいに思ってたみたいです。とても豆腐とは結びつきませんでした。
 それから、-実はいっぱいあるんですけど、僕の無知の例としてはこれで最後にします-、これもつい4,5年まえまで『SIMULATION』のことを『シュミレーション』だと思い続けていて、実際にそう発音し、記述してきました。ところが、ある本を読んでいるときに、その著者が他人の本を引用し批評している箇所で、『誤植らしきものもあるが、そのまま引用する』とあって、『シュミレーション(そのまま引用する)』と記述されているのに出会ったんです。
 「はて?どこか違うのかな」
 と僕は全然わからず、自分の数十年にわたる間違いに気付くのにたいへん長い時間がかかりました。たしかに、英語のスペルをよく見れば、『シ』と『ミ』の間に『ュ』の入り込む余地は完全にないですよね。『ひゃああ、あぶねえ。俺もシュミレーションで生きていたぞ。恥ずかしい!ほんとだ、どう読んでもシミュレーションではないですか!』と始めて学習したんです。今まで何十人ものまえで恥をかいてきたことになります。
 そういうわけで、僕は、遅まきながら『自分の常識の程度は常に疑うべきで正しいと思うなかれ』という大人としてあたりまえの境地にやっと最近になって、たどり着きました。
 
 而して他人の無知を笑う資格は僕にはありません、ということをここまで長々と例まで挙げて、述べてきたわけですが、なぜかというと以下の話は『無知による』ことではなくて『意表をつかれた』話として読んでいただきたいからなんです。

 僕がとある瀬戸内の地方都市の、僕にとっての四つめの小学校に通っていたときのことです。もう、数十年前のことですが、あまりの予想外の出来事に、今でも僕は思い出してにやにやしてしまいます。僕は、六年生で、社会の歴史の授業中でした。地方都市ということもあって、中学校を受験する人間など皆無で、のどかな教育環境でした。だから突出して歴史に詳しい子供がいるわけでもなく、しかし、一方で全く歴史に興味のない生徒もストレスを感じることなく毎日をすごしていました。そしてこの話の主人公、通称『おぷだーじ』こと小田君、もあまり歴史には興味がなかったようです。
 予習なんかだれもしてきませんから、先生は、まず全員が教科書に目を通すように、国語でもないのに教科書の音読から授業を開始することにしました。僕らにはよく慣れた光景でした。
 「はい。じゃあ・・小田君。35ページから次のページの段落の
  切れるところまで読んで。」
 「はい。」
 とおぷだーじは素直に立って音読しはじめました。もちろん、小学校の教科書なのでふり仮名がふってあります。だから、あんまり歴史に興味のないおぷだーじにも音読だけなら問題ないです。35ページは桜田門外の変、です。おぷだーじはときどき詰まりながらも大過なく音読を進めていきます。そして、場面はクライマックスである『安政7年(1860年)に水戸藩脱藩浪士らが彦根藩の行列を桜田門外で襲撃し、大老井伊直弼を暗殺しました。』という部分にさしかかりました。そこを読み終えたら、先生が、
 「はい、小田君ありがとう。えー、この事件は・・」
 と本格的な授業へはいっていくであろう、と誰もが思ったときです。
 「あんせいななねん、かっこせんはっぴゃくろくじゅうねん、に、
  みとはん、だっぱん・・・さくらだもんがいでしゅうげきし、」
 と、そこで突然、おぷだーじが無言になりました。繰り返しますが、漢字には全てふり仮名がふられています。だから、音読には知識の有無は関係ないし、教室全体がなぜおぷだーじが絶句したのか、訝しがったその次の瞬間、おぷだーじはあえて読む部分を少し戻してから、こう繋げたのです。

 「さくらだもんがいでしゅうげきし、たいろうい、いなおすけ、
  をあんさつしました。」
 
 教室は大爆笑に満ちました。なぜって、『大老井が名字で、伊直弼が名前ということをおぷだーじに強調して音読される』、なんて誰にも準備ができていなかったからです。いま思い出してもおかしいです。けれど、それはおぷだーじの名誉のためにも、僕の名誉のためにも言っておきますが、僕らは、おぷだーじが『大老という役職名を知らなかった』ことを笑ったのでもないし、『井伊直弼を知らないかもしれない』ことにも心の準備はあったんです。でもまさか、ひと呼吸おいたうえで、姓は『たいろうい』名は『いなおすけ』と、わざわざあいだをあけて読まれる、なんてまったく意表をつかれたわけです。

 『さくらだもんがいで、たいろうい、いなおすけ、が』
 いやああ、おかしいです。今でもにこにこしちゃいます。

 人は年齢や地位をかさねてくると、叱ってくれたり、間違いを指摘してくれる人が少なくなってきます。でもそれは、えらくなったから常識のレベルもあがったわけではないんですね。だから、湯葉に驚いていることを『あほか、おまえは!』と罵倒してくれた人がいた僕は幸せだったと思います。

 ちなみに、最近知り得た『常識』の一例ですが、『ハイジャック』の『ハイ』は『HIGH』ではなく『HI』です。つまり『高い』ではなくて、『ハーイ!』と同じスペルで、高いという意味は無いんですね。ウソだと思う方は、辞書をひいてみてください。
 ハイジャックといえば、『よど号事件』のとき、まだこの英語が定着していなくて、犯人側もうまく人質に説明できずにいた時、人質の中でこの言葉を知っていて乗客に説明したのが、あの現在99歳の現役医師日野原重明さんだそうです。そして、日野原重明さんは犯人グループからの申し出に対して、機内で犯人達から本を借りて読んだ人でもあるそうです。
『ストックホルム症候群』という言葉を思い出させられる逸話です。
 え?ストックホルム症候群を知らない?それはないっしょう?

=========== 終わり ==========



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イポラタミン。

 科学の進歩というのは目覚ましいものがあります。最新仄聞したところによると新しい脳内伝達物質の存在の可能性があるそうです。脳内伝達物質というのは、従来判明しているものではドーパミン、アドレナリン、セロトニンなどの類です。各々役割を持ち、例えばドーパミンは神経細胞の興奮の伝達という機能を持つといわれています。新しい存在が確認されつつあるそれは『イポラタミン』といいます。

 その存在の詳細はまだ推測段階ですが、イポラタミンは、『疑似既視感を伴った鮮烈な衝撃』を伴って分泌され、その分泌の惹起する感情は、主に『驚き、感嘆、快感、敗北感』と言われています。そして、イポラタミンはごく稀な環境でしか分泌されず、人によっては生涯分泌が見られないこともある、とされています。少し複雑な感情ですが、噛み砕いていうと『うわあ、やられた!!』という感情に近いです。

 例を挙げて検証してみましょう。

 古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉

 この句を始めて聞いた芭蕉の同時代の人からは、大量のイポラタミンが分泌されていたのではないか、とされています。
 「うわあ!知らなかった!なんてこったい!かえるは古池に飛び込むことがあるのか!!」
 ・・・・もちろん間違ってもそういう『驚き』ではありません。
 蛙は芭蕉出現前はもちろん、父母未生から現在に至るまで、池に飛び込んでいます。しかし、その光景がわずか十七の文字のみ、と言う制限の中で写実的に簡潔に表現され、そして、それを読んだ同時代人の人たちは、蛙の躍動感、静寂を破る池に飛び込む音、水のしぶき、広がる波紋、そのしぶきと波紋がおさまり再び訪れる静寂、が一気に脳裏に投影され―おそらくはその十七文字を読み進めていくなかで順番に、しかし、刹那に― 文字のみにもかかわらず、その字間から『聞こえてくる』音、『浮き上がってくる』映像、に圧倒されたと共に、『ああ、その手があったか!!やられた!!』と強烈に感じたに違いありません。蛙にしてみれば芭蕉以前から現在まで池に、よいしょ、と飛び込み続けてるわけですが、この偉大な句によって『蛙が池に飛び込む光景方面』を俳句にすることは、芭蕉によって発見され、同時に芭蕉によって独占された、といっていいでしょう。従ってこの句が『名句』として後世に引き継がれていっているのは、芭蕉以前の人がこの芭蕉の俳句を聞いたときの『うわあ、やられた!!』という強烈なイポラタミンの分泌の疑似体験を伝承しているにすぎません。『どうだ、この句が存在しなかったときに聞かされたわれわれの驚きが想像できるか!!』と彼らが強烈に思い、また『蛙が池に飛び込むという風景』が芭蕉によって発句された時、題材として始めてとりあげられると同時にその描写を後世の人間が換骨奪胎することさえ許さない、という離れ業に、瞬時に『やられたああ!!』と先人が感嘆したんであります。残念なことに、僕らは、その体験を想像し、追認しているにすぎません。


 菜の花や月は東に日は西に 蕪村

 この句に至っては、『やられたあ!なんてもんじゃあねえよ!』と瞠目した先人の感嘆の声が聞こえてくるようであります。こちらは色彩の妙です。わずか十七の文字が、あたかもゴッホの絵のごとく、鮮やかな色彩を脳裏に瞬間に投影させます。同じ色であるはずの菜の花が、夕陽に照らされた西側と陽が届かなくなりつつある東側で見せる色合いの違い、その背景には、夕焼けに染まる西から、白い月が顔をだす東にかけての、橙色から藍色までの空の壮大なグラデーション。『おれなんか、菜の花畑の前に住んでるのにいい!きしょう!!やられたああ!!』という忸怩たる思いで声をあげた人も少なからずいたでしょう。同時にそれまでそこらへんに転がっていた『菜の花畑における夕刻の風景方面』、は俳句の題材として蕪村以後『蕪村のもの』になってしまった、といえるでしょう。そして、その時、イポラタミンの分泌を経験した蕪村の同時代人たちが、『どうでい、この句を読まされたときの俺たちのやられた感は察するに余るだろう!』と言い伝えたんだと思います。

 だって、要は『池に蛙、ボチャンした。』『夕暮れの菜の花畑、きれいだ。』ってことですから。

 ところで、僕は、最近、貴重にも『おお、これは間違いなくイポラタミン分泌だ!』という経験をしました。といっても文学方面などという高尚なものではなく、それはひどく平凡な日常の中に唐突に現れました。それだけに驚きも大きかったです。
 
 ある日の午後、その日は朝から雨でしたが、昼前には雨が止み、僕は、比較的空いた電車に揺られていました。座席の端に座っていました。対面にはベビーカーに赤ちゃんを乗せた、僕よりもうんと若いと思われる女性が同じく座席の端に座っています。と、ある駅で、その母子がやおら立ち上がると下車しようと僕の座っている隣のドアにむかってきました。見ると手すりに傘が掛けられています。僕は、とっさに中腰になり、
 「あの、傘お忘れですよ!!」
 と手すりの傘を指さしながらあわてて叫びました。それを聞いた若いお母さんは、振り返ってかさを一瞥し、それから僕の方をむくと笑顔で、まるでセリフでも読むように自然に、
 「ありがとうございます・・」
 と、言われました。いやあ、今日もいいことをしたなあ、と僕は刹那に満足しました。それにしてもなんで会社での仕事は、どれもこれもくそ面倒なだけで『人の役に立ったなあ』って思えないんだろう、こういうときのほうが何倍も充実感があるなあ、と座りかけました。しかし、彼女は笑顔でさらに言葉をつづけました。
 「でも、わたくしのではないんです。」
 そして、中腰で傘を指さす男、にかるく会釈をすると電車を降りていきました。

 そのとき、僕は、『うわ、やられたああ!!!』と強烈に思いました。その思いは、会話の相手を突如失ったうえに、中腰で傘をひとり指さす、という『所在なさ』や『宙ぶらりんになってしまった僕の自己満足』を一掃してあまりある衝撃でした。そして『これがイポラタミン分泌だ!』と実感したんです。

 僕は、どういうわけか、頻繁に人に道を聞かれます。いま住んでいる街でもそうですし、仕事で外出していて一応忙しそうにしているときにも突然他人に道を聞かれます。ならまだしも、京都の観光スポットのど真ん中で白人にいきなり道を聞かれたこともあるし、大阪の心斎橋の商店街でさい君の買い物につきあってぼーっと立っていたら、いきなり関西弁で心斎橋のどこそこへいきたいんやけど、と聞かれたこともあります。どうも『人のよさそうな地元民顔』らしいです。まだあります。飛行機の中で、-日本の航空会社の国際線でかなりの乗客が乗っていたにもかかわらず-、いきなりスチュワーデスに、
 「お客様、実は今日のお食事のメニューは新メニューだったんですが、ご感想はいかがですか?」
 と聞かれて面食らったことがあります。
 「え、ああ、はいおいしかったです・・・」
 と反射的に答えてから、でもそういやあ、やけに塩辛かったなあ、と思い、
 「でも、少し、しおか・・」
 とまで言ったら、聞かれもしない横の初老の男性が、いやに力強く、けしからん、という勢いで、
 「んん!!塩辛かった!」
 と力説を始め、あとはスチュワーデスとそのおじさんの会話になってしまいました。スチュワーデスは特にメモをとるでもなくとなりのおじさんの力説に相槌をうってました。それから、これも飛行機の中のことなんですけど、食事が配られ始めて、僕の番になったときに、これも日本人のスチュワーデスが、いきなり、
 「お客様、たいへん申しわけありません。」
 と言いだしてびっくりしたことがあります。何事ならんと思ったら、
 「本日メインディッシュにお肉とお魚をお選びいただくことになっ
  ていますが、当方の手違いでお肉を切らしてしまいまして、たい
  へん申し訳ありませんが・・・。」
 と要は、魚しかないよん、って言われました。無いならしょうがないです。おとなしくお魚を頂戴しました。でも食事を配るのって、何人かで配るから僕のところで『ちょうど切れた』わけでもないような・・、と思ってました。
 後日スチュワーデスの皆さんと合コンする機会がありまして(もちろん独身のころです!)、あんまり話すこともないので、上記のことを話したら、
 「あるある。そういうのはね、小心そうな顔の人を選ぶの。
  あ!でも、みどりさんの顔交渉したくなるかも。」
 「私もそう思う!」
 「私も交渉しちゃうかも!」
 「・・・・・・・・・。」
 と妙に彼女たちは僕の顔を議題にひとしきり盛り上がってました。
 それから、もっとひどいことに、ビュッフェスタイルのレストランで自分の料理をとって席にもどろうとしたら、いかにも社会的地位の高そうなおじさんが、えらそうに、僕に、
 「トイレ。どこ。」
 と聞いてきたことがあります。僕はきょとんとしてしまいましたが、おじさんは僕を店員と間違えたことに気付き、
 「なあんだ。店員じゃねえのか。」
 と自己完結して去っていきました。断っておきますが、僕はそのとき、別に蝶ネクタイをしていたわけでもなく、会社帰りの無難なスーツ姿でした。(余談ですけど、ああいう、『サービス業にぞんざいな態度をとる人』って、なんで間違えたあともぞんざいなんでしょうね。『なあんだ、店員じゃねえのか。』ってなんだか僕が悪いみたいです。)どうも僕は、『小心で地元民系店員風』の顔みたいです。
 さらに、これも不思議なことに、よく、駅構内で
 「あのー、これ落とされましたよ。」
と、不意打ちを食らいます。そんな時、僕は驚きながらも反射的に
 「あ、いえ、僕のではないです。」
 と言っちゃいます。驚くとはいっても一応敬語で返答できます。
 「はあん?俺んじゃねえよ。」
 なんていいません。小心者なので。どうも『小心で迂闊な地元民で店員風』の顔みたいです(ここまでくるとなんのことやら意味不明な顔です。)。
 ただ、そう返答すると、落し物を拾われた方の好意と物を差し出している所作が相手をうしなって宙ぶらりんになり、やや気まずい雰囲気になります。僕はいつもそういうとき(俺としたことが!次回こういうことがあったら『ありがとうございます!いや助かった、これは江戸時代から我が家に伝わる一子相伝の定期入れで、これを失うと僕は勘当されるところでした!貴方様に主のお恵みをア―メン!』とでも言って、落し物をうけとって駅の忘れもの係にとどけよう。よし!)と次回に備えますが、そういうときに限って声はかけられず、切歯扼腕し、忘れた頃に、『あのー…』『え、違います。』『・・・・・・。』を繰り返していました。
 だから、その若いお母さんが、僕の指摘に対して、まるで用意されていたかのようにごく自然に笑顔で、開口一番、
 「ありがとうございます。」
 と返答され、
 「でも、わたくしのではないんです。」
 と申しわけなさそうに会釈をしてベビーカーを押しながら下車していく、悠揚迫らぬその態度を見たとき、
『うわああ!やられたああ!俺がやりたかったのはこういう言動だったのだ!!』
とイポラタミンの分泌を感じたのです。明らかに僕より若い彼女は、僕の唐突な指摘に、本当にごく自然に、お礼の言葉を述べて去っていきました。ひょっとして僕と同じ、『自分のものではない忘れ物を指摘されてア―メンする機会』を狙っていた数奇な方なんでしょうか。
 その後も残念ながら、僕自身が落とし主に間違われる機会には恵まれていません。

 尚、イポラタミンは僕の考えた仮称です。しかし、十分研究対象になると思うので、専門家の方は研究してみてください。名前を考えるのに、この文章を書く20倍くらいの時間をかけました。仕事中も眉間に皺を寄せて懸命に考えました。

 ヤラレタミン
 ザブトンイチマイニン
 イッポントラレタミン

など候補にあがりましたが、最終的にイッポントラレタミンを略して、イポラタミンとしました。自分でもいまひとつのネーミングだと思いますので、ネーミングの権利も最終的に研究した方に譲り申し上げます。

============おわり===========

みぢかえない話④

 巷間話題沸騰の、『普段法螺など全く言いそうもない身近な人間が真剣に主張する、ありえない話』略して『みぢかえない話』ファン各位、今日は、その④です。

 再三紹介申し上げているように、僕のさい君は、外人です。そして、僕と、結婚という近現代を跋扈するある種の契約をしてしまったがゆえに、生まれ育った南半球を離れ、日本に住む運命となりました。人生何がおきるかわかりません。気の毒です。当然、あまたの『文化的摩擦』がそこには生じます。
 そのうち容易に予期できることにして、しかし、最も重要なことのひとつは『食文化』です。さい君の故郷には少なからぬと言ってもいい日本料理屋がありましたので、さい君が日本料理に馴染もうと思えばできないことはない環境ではありました。けれども、どちらかというとさい君は『日本料理というものはまずいもんである』という偏見をもっていました。
曰く、「『焼き肉』は食べてみたが、むかむかする
     だけでうまくない。」
曰く、「『そば』とかいう冷たい麺も食べてみたが
    まずい。」
曰く、「生さかなに至っては、挑んでみたが、吐き
    出した。」
そうです。『はて、これはいかがなものか?』と未熟な二人の前途に早くも暗雲が、と思われました。しかし、幸いにも、それは杞憂に終わり、もちろん全部ではないですが、結婚後日本で暮らすようになってから、いくつかの日本料理に対するさい君の評価が、コペルニクス的転回を見せ始めました。
曰く、
 「おおー、『焼き肉』ってこんなにうまいのか!」
 よくよく聞いてみるとさい君が結婚前に食した焼き肉は、おしなべて『焼き肉屋』というより『焼き肉と称する焼き肉屋』において、らしく、
 「ぜーんぶ、ホットプレートで焼かれていた。」
そうです。それで、日本で、
 「まあまあ、そう言わんと。」
 と連れていった、『炭火で、かつ網焼き』の焼き肉を食べて、その違いに慄然としたようです。そばも『そば』というより『そばと称する麺』を食べていたらしく、いわゆる『こし』を舌で理解して、驚いたようです。同じく、たこ焼き、お好み焼き、寿司、キムチ(これは日本料理といえないかもしれませんけど)・・・、など、
 僕  「まあまあ、そう言わんと。」と誘い、
 さい君「おおー!」と頓悟。
 を連発し、すっかり日本食になじんでくれました。
 それどころか、一年もたたないうちに、
 「焼き肉なら、00園だな。え?今日は、違うの?ええ、あそこはチェーン店だし、肉の仕入れが甘い。どうもしっくりこないなあ。まあ、今日のところはいいか。」
 といっぱしの評価やら、妥協やら、までしてくれるようになり、さらに、
 「ケイタは回転寿司ってどこでも同じだと思ってるん
  じゃない。わかってないなあ。」
 と『旦那の嗜好のレベル』を批判するようになりました。
 あまつさえ、―その時、僕は大阪市内で働いてました―仕事中に電話してきて、何事かと思ったら、
 「帰りに鶴橋によってキムチ買ってこい。今日、
  どうしても、どうしてもキムチが食べたい。」
 と言いだすようになりました。
 「ええ、鶴橋(関西の方にはお分かりになると思います)
  じゃなきゃだめなの?会社から鶴橋って帰宅方向と違
  うんだけど。うちの横のダイエーじゃだめ?」
 「だめ。それも鶴橋のわたしがいつも買う店でちゃんと
  買いなさい。改札出てすぐに買えばいいってもんじゃ
  ないからね。」
  と、『ケイタはキムチの微妙な違いが分からないから』と店の指定さえするようになりました。それで僕は、何度か仕事のあとわざわざ鶴橋まで行ってキムチを外人のさい君に買って帰りました。人生、何が起きるかわかりません。がまんです。

 ある時、そんな『味にうるさい嫁』が僕の母親を誘って、『さい君おすすめの近所の回転寿司』に行くことになりました。
 行ったのは、さい君と僕の母、と僕の息子、の三人です。僕の母、みどりひろこは、その伴侶の(僕の父かずまさ、です)放蕩がゆえ、赤貧洗うが如し、の生活を強いられたおかげで、いまだに『外食』を贅沢な行事ととらまえていて、たいてい何を食べても美味そうで、嬉しそうです。その時も嬉々として、三人で出かけていきました。
 三人が、帰宅しました。なんか様子がいつもと違います。さい君と息子は、お気にいりに行っただけのことはあってか、にこにこしてます。ところが、母親の表情が晴れません。
(あれ、まずかったのかなあ。まあ、偉そうにいっても所詮さい君は外人だからなあ。)
とすこし心配になって、でも直接母親に聞く勇気もなく、と言って、さい君に聞いても返答はきまってるし、と思い、僕は、息子に、しかも、さい君の母国語で探りを入れる、という姑息な手段にでました。
 「フジ、今日、寿司食べにいったろ?」
 「うん、マミとバ―バと三人で行った。」
 「うん、美味しかったか?」
 「うん、美味しかった。まぐろのかたきもあった。」
とにこにこする息子。
 「まぐろのかたき、じゃなくて、たたき、だ。そうか・・・。
  あのー、マミとバーバはいっぱい食べてたか?」
 「うん。」
とにこにこする息子。その横で、
 「あそこは美味しいなあ。」
と余韻に浸ってこれまたにこにこするさい君。
(・・・。どうも味は確かなようだな。でも、なんでお母さんの機嫌が悪いんだろ・・・。まさか!?)
まさか、結婚という近現代の社会に跋扈する契約制度の開闢以来、子子孫孫まで、解決不可能といわれているあの難題、そう、『嫁と姑摩擦』を起こしたんじゃ・・・。いや、それは困る。こっちはただでさえ資本主義にうまく洗脳されきれずにいつもおんぶバッタのようにストレスをおぶっているのに、そのうえに『嫁と姑摩擦』などがかぶさってきたら、それこそ身動きもとれないではないですか。
(むむ。南無三!ここは藪蛇を承知で、母親のストレスを早いうちに吐き出させるしかない。)
 僕は悲愴な覚悟を決めて、しかし、びくびくと切り出しました。
 「お母さん、寿司・・」
 「もう、だめ。お母さん、あんなとこ二度と行けない!」
 ええ!
 「まずかったの?」
 「もう、いまでも、心臓が・・」
 えええ!やっぱり!さい君いったい何をやらかしたんだろう。『心臓が』って、寿司の味どころじゃないじゃないですか!
 「いや、その、そんなにまずかったの?」
 「それどころじゃないわよ!」
 うわああ、間違いない!しかもさい君はにこにこしてる!これはたいへんな、深い溝が、回転すし屋内でふたりの間に・・・。
 「まずいの?」
 早くも打つ矢の尽きた僕は、愚問と自覚しながら、むなしく繰り返します。それに対する、母親の返答の『字面』と怒気と言ってもいい『口調』の矛盾、に僕はさらに困惑してしまいました。
 すなわち、母親の返答はこうです。
 「美味しかったわよ!!」
 へ?すると、問題は寿司屋にはなく、やはり両者の間に何かが・・。
 「美味しかったの?」
 「もう、あんなとこお母さん行けない!」
 「いや、あの、でも美味しかったんでしょ?」
 「美味しかったわよ!でもねえ、ユウ!」
 といきなりさい君に賛同を求める母親。
 「うん、美味しかった。」
 とにこにこするさい君。
 「でも、ねえ!?」
 「ああ、アレか?」
 「そうよ、お母さん、寿司どころじゃなかったわよ。
  ああ、まだどきどきする。」
 「ああ、アレね。」
 とにこにこするさい君。
(ほろ??両者の関係は良好のようである。しかも二度と行かない、などといいつつ母親も味の良さは認めている。態度の悪い店員でもいたかな・・?でも、そういうことには、母親のほうがさい君より寛大なんだけどな。)
とひとまず嫁姑問題を回避できて安堵すると同時に、僕の心にはなんだか隔靴掻痒感が。
 「あれって?」
 「あんなの見たのはじめてよ。もう、どきどきして。」
 「いやだから、さ、何を見たの?」
 母親は、とにかく興奮さめやらない様子です。
 「うまくいったからよかったものの。」
 「??」
『うまく』って。
 「あんなことしてまで。」
 「??」
 「何枚かしら?」
 「??」
 全然わかりません。
 「あのさ、ユウ、何があったの?」
 と僕は、さい君に打つ矢の方向を変えました。
 彼女からの返答は、僕をして思わず言わしめました。
 「うそだろ?」
 さい君は、母親と違って平然と言い放ちました。
 「うん、隣に座ってたグループがね、」
 「うん。」
 「若い男女四人でね、」
 とさい君は、淡々と続けます。
 「うん。」
 「かばんにお皿を入れて帰ったの。」
 「!!!!!!!! うそだろ!」
 「全部じゃないよ。」
 「あ、いや、そういうことではなくて・・。」

 さい君たちは、テーブル席について寿司を食べはじめ、隣にもテーブル席があったそうです。そこには若い男女の四人組がいて、ふと、母親が気がつくと、

『食べたはしから空の皿を持参の大きなかばんに入れていた』

のだそうです。

 「うそだろ?」
 「もう、それで、お母さん、ばれたらどうしようと思って!」
 「へ?」
 「それでどきどきして、寿司どころじゃなくて。」
 「いや、『ばれたらっ』って」
 「でも、うまくお皿持って帰れたのよねえ。ああ、よかった。」
 「よかったあ??」

 母親は、いつのまにかその男女に感情移入して、ことが露見しないようにーつまり食い逃げの成功を祈ってーその男女の一部始終を応援していたので、寿司どころじゃなかったんだそうです。

 信じられません。でも僕の母親は、『法螺吹き』じゃないんです。

 *そもそも、リスクが大きすぎる。
 *一方、リターン(=食い逃げで得る利益)は小さい。なにしろ
  『回転すし』ですから。
 *しかも、『おおきなかばん』を用意して、グループ内にも
  意思疎通がある、周到な確信犯である。

と、そういう現場に居合わせる確率ってすごく低いと思うんです。

 それから、肝心なことですが、店員に言いつけろ、とまではいいませんけど、
・『特に驚かない嫁』も、
・『ばれないように心ひそかに応援した母親』も、
少しずれているような気がします。

 ご参考までに、その後、僕もその回転すしに連れていってもらいました。美味しかったです。当然ですが、『目の前で皿をかばんに詰め込んで帰ってしまう男女』も目撃できませんでした。
 どうもいまだに、身内ながら、この話は信じられません。

========終わり===========


プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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