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絶滅危惧種。

認知』と『事実』は違います。
 何をいまさらわかりきったことを、お思いでしょうが、これが僕の場合意外に思い当たることがあるんです。例えば、ブルマー(そう最近絶滅危惧種とされているあのブルマーです)は、僕にとっての『認知』は長らく、『日本において思春期の女性が特に体育のときに着用を義務付けられていた僕をしてむずむずとさせる衣料』でしたが、たまたま知ってびっくりしたことに、もともとは『さる女性の名前』(Amelia Jenks Bloomerさん)なんだそうです。『事実』はブルーマーさんというアメリカ人の女性がありき、でそれから僕の認知するところの『衣料の名前』になったんです。ですからブルーマーさんにとっては、僕が見聞きするたびにいちいち『むずむず』しているという『認知』はたいへんな人権蹂躙です。ブルーマーさんにしてみれば、毎回、単なる自分の名前、でむずむずされては、『ちがう~~!!』って言いたいでしょう。でも、ブルマ―ときいて、『あるアニメにでてくる登場人物の名前(すなわち、ブルマ)』という認知しかない人にとっては、この事実はあまり違和感はないかもしれません。あのアニメは世界中で売れていますから、僕の認知する『むずむずする衣料』の存在を知らずして、そもそもブルマーというのが実在する人の名前である、という『事実』に『あ、そう』と思う方も世界には少なからずいると類推されます。(ただし、嗜好の問題で、このケースでもむずむずする人はいるかもしれません。蛇足ながら。)

 数年まえ(何年まえかよく覚えてません)、僕は京都に日帰りで遊びに行きました。女性とです。相手は、今のさい君です。よかったです。さい君じゃなかったら何かと面倒なので書きにくいです。

 京都に行った方はご存じだと思いますが、京都市内は交通の便としてバスがよく整備されています。そして、親切なことに駅でバスの路線図、それも日本語以外に英文のものなどもくれます。残念ながらさい君の母国語の路線図はなかったので、僕らは英文の路線図を手に観光を始めました。二人で情報を共有しあったほうが探し当てるのも早いだろう、ということで日本人の僕も英文の路線図使用です。ところで、これまた首肯される方もあると思いますが、京都市内のバスは整備はされているものの、色んな会社、路線があって初心者にはやや複雑です。
 それでも、僕とさい君は、二人で路線図を睨んで、清水寺に行くにはこの路線でここで乗り換えだ、いや、この路線のほうが近いんじゃないか、と議論しては乗り、観光しては、路線図を睨み、しつつ時間を重ねていきました。
 そしてもう夕方近くになって、最後に金閣寺を観て帰ろう、ということになったと思います。僕たちは、あせってました。なぜって、確か金閣寺には観光時間に限りがあって、その時間に間に合うか、ぎりぎりだったんです。あるバス停で、バス待ちの列に並びながら僕らは、さい君の母国語(某南半球に首都のある国)でまだ盛んに議論をしていました。
 「今ここで、ここに行くんである。」
 「じゃあ、ここであってるじゃない。」
 「しかし、来たバスに闇雲に乗ってはいかんのである。」
 「じゃあ、何番ならいいのよ。」
 「だから、今それを調べているのだ。あんたも確認したまい。」
 「・・・まあ来たのに乗ればだいたい、いいんじゃないの?」
 「この国はそういう、だいたい、という基準でものごとは決められて
  おらんですぞ。」
 「あれ?わたしの国が、だいたい、な国だっていうわけ?」
 「だいたい、じゃないですか。」
 僕らの後ろには、若い男性の二人組が、並んでいます。彼らの世間話からはバスへの迷いなど微塵も感じられないので、きっと地元の人たちでしょう。僕らはというと、バスへの迷いにくわえて、些細なことから外交問題までに発展し、悟りの地にありながら、煩悩にあふれた会話の応酬に夢中です。
 「ええ、ひどい。」
 「え、いや、そんなことより何番のバスに・・。」
 「わたしのくにのどこがだいたいなのよ!!」
 「ええと、今度くるのに乗ったら・・・。」
 「ちょっと、わたしのしつもんにこたえなさいよ!」
 その時、うしろの二人組の会話がしばらく途切れていたとに、僕は、二人組の次のような会話が耳に入ってきたことで、初めて気が付きました。
 「英語ちゃうしな・・。中国でもないな。どこやろ?」
 「ほんまやな。けったいな言葉やなあ。どこの言葉や。」
 二人は、50センチまえで、英文の路線図を手にバスを待っているだけにしては、いやに熱く議論する僕らをーそら、まあ微妙とはいえ、お互いの国の文化摩擦まで起こしてるわけですからー完全に『観光にきたマイナーな国の二人の外国人』と『認知』して、しばらく世間話をやめて、僕らの会話に聞き耳をたてていたのです。
 「全然わからんなあ。」
 「こんな言葉あんねんなあ。」
 地元二人組は、目の前のあやしい外国人が日本語を理解しない、という『認知』を幸いに、大きな声で、しゃべりつづけます。さい君は、もちろん地元二人組の会話の意味は全然わかりません。でも『事実は日本人』である僕は、50センチうしろで、しかも自分たちのことを話題にされたら否応なくその内容が耳にはいってきちゃいます。一方で、さい君との議論はむなしく、しかし、熱く堂々巡りを繰り返します。
 「いや、だから、それはもういいであろう。今は金閣寺に行くため
  にですな・・。」
 「だから、来たのに乗ればいいじゃない。」
 「そんな、だいたい、なことしてあさってのところに連れていかれた
  ら金閣寺の観光時間に間に合わなくなってしまいますぞ。」
 「それなら、それでいいじゃない。」
 「いや、金閣はいい、ぜひ近くで見せてあげたいんである。」
背後からは、合いの手のように大きな声、
 「はは、さっきから、なんやキンカク、キンカク言うてへんか?」
 「せやなあ。ははは、キンカクしかわからんな。とにかく、キンカク
  行かはりたいんやろ。キンカク、キンカク、ひゃはははあ。」
僕は、鷹揚なさい君、せまる観光時間、はっきりわからないバス、に加えて真後ろの二人組の会話にも気が散らされて、いらいらしてきました。そこへさらに二人の地元民、
 「おい!ひょっとして!」
 「なに、なんや?」
 「これ、『ドッキリ』ちゃうか?」
 ちがう~~~!!
何言ってんだあんたたち!
 「それって、俺らがはめられてるっ、ゆうことかいな?」
 「せやねん。そのうちそのへんから『ドッキリでしたぁ』ゆうて
  プラカードもった野呂圭介が出てきはんねん。」
 「ははは!あほな!」
 「ははは!そんなわけないわな。」
 そんわけない~~~~!!
 僕は、そのとき、にわかに後ろを振りむいて、
 「ご多忙中大変申し訳ございません。次に来るバスに乗車すれば金閣寺前に行けますか?実は、先刻より精神一到何事か成さざらん、と路線図を解読しておりましたが、どうも疑念が氷解した境地に至らず、しかるに一方で、艱難汝を玉にす、という言の葉もあるとおり、自分たちで解決してこその成果・成長と思っておりましたが、はたして我々の選択は正しいでしょうか?ご教示を願えれば誠に幸甚に思います。」
 と故事成語などをふんだんに盛り込んで、『流暢な日本語』でそれこそ、ふたりを『どっきり』させてやろうかと、よっぽど思いましたが、目の前のバスルート問題と外交問題に忙しく、結局、そのままになってしまいました。

 あの若い二人は覚えてないでしょうが、彼らにとってのその際の『認知』は『なんやしらん、けったいな言葉を大声でしゃべる、外国からきはった男女』をバス停で目撃した、っていうことで終結してしまってるわけです。
 もちろん、『認知』と『事実』の齟齬からは、僕も逃れられるものではないはずですから、彼らのようなことが日常で僕にも起きている、と思うとなんだか、少し楽しいです。

 ところで、なにゆえに、ブルマー(人の名前じゃないほうです)は絶滅しちゃったんでしょう。絶滅後に、ものごころついた年代の方からしたら、逆になんて破廉恥な服装だ、と思われるんでしょうか?

======= 終わり =======
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痛い!!③

 なんでみどりくんはそんなに痛いめにしょっちゅうあうの?って言う人がいるけど、知らないです。僕は、別に普通にすごしてきました。思うにみなさんも痛い思いをしているのに、忘れているだけじゃないんでしょうか?

 と、いうわけで(どういうわけだ)、『痛い!!③』です。今回は、

 *痛さ度      5位
 *衝撃度      3位
 *不可解度     1位
 *スプラッター度  1位

といったところです。

 数年まえ、僕は、とある事情で、二十数年ぶり二回目の兵庫県の西宮での生活をおくっていました(なんでおまえはそういろんなところに住んだことがあるんだ、っていう人がいますが、好んで転々としたわけじゃなくて、それぞれ理由があるんです。だから、不思議がられても困るんですけど。)。
 僕は、さる病にかかっていて仕事もすることができずに、家でぶらぶらしていました。もちろん本意じゃなかったけど、病気だからしょうがないです。そんなある朝、さい君が、自分の体調が悪くて、子供を幼稚園に私の替わりに送って行け、って言いだしました。そんなこと言ったって、俺だって病気なんだけど、と思いつつ、夫婦で体調の悪さを自慢しあっている暇もないし、しょうがないので僕が送っていくことになりました。さい君は、いつも子供にヘルメットをかぶらせて自転車ーいわゆるママチャリですねーで送っています。僕はさい君に、
 「やむをえまい。自転車の鍵を貸したまい。」
と手を差し出しました。しかし、さい君は、送って行けと言いつつ、
 「いや、だめ。タクシーでいけ。」
 と言います。
 「なんで。」
 「だって、危ないから。」
 とさい君。
 後日、僕は、さい君に、
 「ユウの第六感はたいしたものだ、あの時、ちゃん
とタクシーで行くべきでしたな。」
 と言うと、さい君は、たいそうあきれた顔をして、
「何いってんの。そういう問題ではない。だってふらふら
してたもの。」
 って言います。そうなんです。その時、僕は、飲みはじめた薬のせいで、まっすぐ歩けずにふらふらしてた、らしいです。それで、まっすぐ歩けない人間がましてや自転車なんて、とさい君は夫のことではなく、子供のことを心配してタクシーでいくことを命じたわけです。ところが僕は、自分がふらふらしている自覚がないし、そう遠くない、しかも閑散とした道をわざわざタクシーで行くことに、むしろ面倒くささを感じて、大丈夫だ、と言い張って、子供をうしろに乗せて自転車で出発しました。
 そして、幼稚園のすぐそばまで、つつがなく―結果的には。事実は危ない場面もあったのかもしれませんけど―行き着きました。僕は、子供を乗せていることもあり、特にスピードを出しすぎていたわけでもなく、ごく普通に幼稚園にむかって進んで行きました。そして、最後のT字路です。ここを左折して道なりにいくと幼稚園です。自転車はT字路にむかってまっすぐ進んでいきます。T字路の手前には幅50センチくらいのどぶが口を開けていて、その先は、コンクリートブロックの壁です。初夏の、日本晴れ、風の気持ちいい陽気でした。さあ、左折、左折と僕は思いました。思いながらT字路に近づいていきます。さあ左折左折、ここで軽くブレーキをかけてハンドルを左に切って、その結果、左折という現象が完成するわけです。僕の記憶はここで一旦切れます。

 気がついたら、僕は、アスファルトに倒れていました。前輪をどぶに食い込ませたまま横に倒れている自転車と共に。どうやら、曲がり切れずに壁に突っ込んだらしい、と気付いた僕は、はっと息子を探しました。息子は、僕から1メートルくらい離れたところで、しゃがみこんで目の焦点の定まらない顔で道路を見つめながら、ヘルメットの上から頭を掻いてます。幸い息子は全くの無傷です。自転車から放り出されたものの、どうやってか、うまく道路に軟着陸したようです。繰り返すけど、気持ちのいい初夏の朝でした。
 僕は、腑に落ちないなー今でも理屈は理解できませんけどーと思いながらも、『ブレーキをかけずにハンドルも切らずにそのまま壁に直進した』という結果を受け入れ始めました。そして、『体脂肪率30%を超えようかという肥満した小男が、慣性の法則=質量×速さ、にもとることなく、自転車のサドルから前に投げ出されて』しかも『防御の体勢すらとらずに大の字になって』壁にぶつかったこと、も推測でき始めていました。なぜなら、両方の前腕と顎が『激しく痛かった』からです。
 僕は、はて、なんでこんなことに、と思いつつも、本来の目的である子供を幼稚園までおくり届けるために、起き上がります。時を同じくして、ちょうど、お子さんを送って幼稚園から出てきたと思われる女性が、道にひっくりかえる親子と自転車をみて、一瞬無言で驚愕したあと、
 「フジちゃん!大丈夫?」
 と言ってくれました。どうやらたまたま息子と同じクラスのお子さんのお母様のようです。そして、ヘルメットの上から頭を掻きながら無言で頷いた息子の手を取ると、
 「私が送っていきます。大丈夫ですから!」
 と、その方には悪いですが、拉致せんばかりの勢いで息子の手を握ってくれました。息子はおとなしく連れていかれています。僕は、粗相があってはならん、と精いっぱいの笑顔をつくり、
 「申し訳ありません。あの失礼ですが・・・。」
 とお名前を伺おうとしました。するとその方は、まるで見てはいけないものをみてしまったー真夏に突如大雪に出会ったかのーように、僕のせっかくの笑顔をないがしろにしつつ、
 「いえ、フジちゃんのことは知ってますから、
いいですから、いいですから!!」
 とやや狼狽気味にフェードアウトして行ってしまいました。

 僕は、それから、自転車を起こして家に帰ったらしくー自分のことのくせに『らしく』というのは、その記憶もないんですー玄関をあけて、ぽかんとするさい君に、とにかく息子は無傷だから、と何度も報告しながら、保険証と診察券をもって、近くの外科医に行きました。その待ち合い室の鏡で初めて自分の姿を見ました。
 鏡には、両方の前腕が擦り傷で血だらけになり、かつ顎の先端から肉片をだらりと垂らし、そこからぼたりぼたりと血を流す肥満男の姿が。(うへえ、思ったよりひでえなあ。あんなにゆるくてもブレーキをかけないで突っ込むとこんなになっちゃうんだ。)と我ながら驚愕しました。
 そして、さらに、『日本晴れを背景に、顎から肉片をぶら下げつつ、顎と両方の前腕から流血しながら、精一杯の作り笑顔のひと、に「お名前は?」と聞かれた』女性の気持ちを思い、彼女のおののいた表情と、追い払わん、というまでの口調、の理由を理解しました。
 だって、晴れやかな朝、通りに出たら突然、
 『流血男に、作り笑顔で「お名前は?」と聞かれた』
 という状況で、
「いつも、うちの子がお世話に・・、ああ、すずらん組で
 ごいっしょのおきもとこうたの母です。いつも、フジ
 ちゃんのことはうちでもよく話題に・・・」
 なんて肝の据わった応対をする人がいたら、かえって不気味です。

 幸い、傷は、顎を六針縫うだけでした。僕の顎には今でもその傷が残っていて、子供に
 「おい、フジ、この傷、覚えてるか?」
 っていうと、えらいもので、子供は、にこにこしながら、大の字になってジャンプして見せます。でも、なんであの時、視界でとらえていることと、頭で考えていることが一致してるのに、体だけ動かなかったのか、不可解でしょうがないです。
 どうもいまだにわかんないです。
 ブレーキは早めにかけましょう。

=====終わり========

 

新聞におけるテレビ欄に関する考察。

 僕は、比較的テレビを観ない方だと思います。別に嫌いなわけじゃなくて、それどころか、ある時期、テレビを観るのが大好きでした。日がな一日中寝転がってテレビを制限なく見られることに幸せを感じていて、飽きずにテレビ観賞に時間を費やしてました。不幸なことに―と今になって思います―その時期はいわゆる人生における『青春期』というやつでした。ものの本によれば、『青春期』というのは、『真剣に内面を見つめ』たり、『溢れんばかりのエネルギーに満ち満ち』て、『行動的』で、いろんな『他の年代とは比較できない濃縮な、かけがえなく、しかも戻れない』時期なんだそうです。僕は、その、曰くたいへん貴重な人生のある時期のかなりの部分を『ブラウン管を受動的に見つめる』ということに費やしてしまいました。

 これは、思うに、僕のテレビとインスタントラーメンに対するある種のトラウマのためではないか、と思っています。僕の母親は、たいへん教育に熱心で、テレビを観る時間も厳しく管理されていました。たしか高校生くらいまで管理されていたように思います。それと、『体に良くないから』と言って、インスタント食品や、冷凍食品を一切、それこそ、かけらも食卓に載せませんでした。(ただし、健康面、という事情以外に、父親かずまさの『放蕩による浪費』という大人の事情があって爪に火をともすような生活であったために食費もぎりぎりまで節約しなければならなかった、という背景があったことも後日明らかになりましたけど。)
 インスタントラーメンは、年に一度だけ、年越し蕎麦変わりに食べさせてくれました。『子供には健康のため、と半分偽り、その実、お金がないので年に一度だけインスタントラーメンを食べさせる、放蕩者の夫を持つ母親』というと何やら、はらはらと落涙を誘うような状況です。が、実態は僕ら子供たちには、たいへんな楽しみで、数日まえから、購入されたインスタントラーメンだのそばだのストックを見ては微笑みなど浮かべておりました。長じて、今でも、インスタントラーメン類を食べるときは、独りひそかに妙な高揚感に包まれます。それにテレビCMで『インスタントなのにこんなにおいしい』なんて言ってると、そもそもが、健康には悪いが年に一度しか食べられない素敵にうまいもの、と刷り込まれている僕は、
 「インスタントなのにうまくなくてどーする。存在価値がないではないか。」
 と悲憤慷慨してしまいます。
 それと同じ理屈で、テレビに関しても長い間に心の中で養われた枯渇感が、一気に、いうところの『青春時代』に爆発し、親のかたきでもとるように、テレビを見まくるようになってしまいました。あの時期の膨大な時間をほかの能動的な何かに向けていれば、今頃、
 「好きな四字熟語は『終身雇用です』。」
 などと嘯くペーソスたっぷりの男、で終わらなかったものを、などと思うこともあります。それでも年を重ねるにつれて、恋愛だの、営利追求だの、失恋だの、左遷だの、と忙しくなり―でも、そういうことの善し悪しはいまだに分別がつかないです。なんだか、疲れるだけでぜ~~んぶ非生産的だったような気もするし。―だんだんテレビに縛られる時間が減ってきました。そして、結婚してからは―これも現在進行中ですが、その契約関係の中身の善し悪しだの、生産性だのを評価することは故意に停止しています。そのほうが『当面うまくいく』ことが多いからです。―劇的にテレビを見なくなりました。
 なぜなら、テレビを観ていると、さい君が―外人です―が横に座って、なんで今ケイタは笑ったんだだの、ドラマの登場人物の相関図を説明しろだの、と彼女からの詰問攻めにあうで、面倒臭くなって、あまり見なくなっちゃいました。だって、漫才の『間の妙でふっと笑ってしまった』ことや、まさしく『ドラマのよう』と言われる如く、そもそもが意図的にあり得ない人間関係を提供している番組の内容だの、を『外国語で説明』なんか仕事の後でやってられないです。それで、観るとしても『映像でわかるでしょ』というたぐいの番組の割合が圧倒的に増えてきました。
 例えば野球です。(それでも、野球は実は国際的にはマイナーなスポーツで、さい君は全く観たこともないらしく、始めのうちは横で『打ったあとに走る方向は決まってるのか』だの、『この人は構えて打つときになんでいちいち尻を微妙に振るんだ』などと、脱力型の質問攻めをしてきました。でもルールという武器を持つスポーツのシンプルさは、ニュース、ドラマ、バラエティなどど比すと『テレビ番組』としては卓越した普遍性があり、すぐにさい君も反復することで大筋を理解しました。それどころか、結婚して一年くらいたつと、
「おーー。そか。松井がアメリカにいっちゃうと原もこまるな。」
 などと、いっぱしのことをいうようになりました。)

 ところで、テレビ番組を見なくなったことで新しい小さな楽しみができました。それが、今日の本題の、『新聞におけるテレビ欄についての考察』です。
 テレビはあまり観ないんですけど、なんとなく習慣でテレビ欄には毎日目を通しちゃうんですね。
 思うに、新聞のテレビ欄の機能というのは、本来、テレビをその日の今朝以降、という未来に観ようとしている人間に向かって発信されているはずです。そして、その役割としては大きく二つあり、

 * 情報―内容を示す。
 * 武器―興味を惹起して視聴者を増やす。

となると思います。ところが、よく読んでいると、あきらかに、その本来の目的から逸脱したもの、あるいは、本末を転倒して機能をはたしていないもの、があるんです。
 僕の分析によれば、そのー誤発信言語とでも言いましょうか―には、いくつか類型があります。

 ①勝たんとするあまり意味不明。
 ②テレビ欄の余白優先に負けた投げやりな情報。
 ③余白を許さないゆえの過多な情報。

 です。僕は、観たことのない番組が増えたがために、いつのまにか、テレビ欄をその本来の機能のためにではなく『テレビ欄の奇妙な日本語』を見つけては、感心したり、行間を読んでみたり、するようになりました。

 実践してみましょう。
 標本は2010年10月15日金曜日の朝日新聞(僕の住んでいる地域版)です。時系列にいってみましょう。早朝、5時25分、早くもあります。フジテレビです。改行やGコードも含めてできるだけ標本を忠実に引用します。

5.25 めざましテレビN天
  チリ落盤33人奇跡生還
  感動22時間ドラマ分析
  ▽化学賞弟サカナ人生
  ▽松雪小出相武生出演
  ▽パ頂上戦 46226738

『▽化学賞弟サカナ人生』・・・・・、わからん、わくわくするではないですか!これは、上記でいうと①ですね。朝の情報戦を制したいがあまり、内容を詰め込みすぎたために、意味のわからない日本語になってます。もちろん、行間は素直に読んであげましょう。『サカナくんがなにか関係があるってのか、ええ、おい?』などという無粋な言いがかりをしていては面白くありません。時節柄『日本人のノーベル化学賞受賞関連のニュース』であることまでは容易に推測できます。そのあとがいいですねえ。『弟サカナ人生』・・・いや、見事です。なにかを伝えたいのでしょうが、この『弟』の一文字の挿入で一気になんのことやらわからなくなってます。しかも、この見出しによって『おお、観なければ!!』とは全然なりません。出だし好調です。
 
 日本テレビ行ってみましょう。10時25分、

10.25 PON!  144日目
   佐藤健ゼロスタ生登場
   鳥居がライオン食べた
   智とカツオ  2855399

好いです。『144日目』からして唐突で、やや意味が不明です。二行目はおそらく番組宣伝のための俳優の生出演でしょう。秀逸なのは、三行目以降です。鳥居、とあるのはおそらくお笑い芸人の鳥居みゆきさんと推測されますが『ライオン食べた』ときて、さらに改行されての『智とカツオ』・・・うん、いい、行間を読もうという隙すら与えてくれません。もしかしたら、いつもこの番組を観てる方なら、すとんと理解できるのかもしれませんが、それなら、視聴者増を狙う武器としては本末転倒です。佳作といえましょう。

 つぎ、テレビ朝日。11時ちょうど、

00 おかず土井 524270

どーですか!!これはいいですよね。一見し、かつ発音してみると、妙に懐かしい感じがして『なんでだろう?』と思ったら、このセンスは、たけし軍団の命名の仕方にそっくりです。『サード長嶋』『大阪百万円』『だれなんだ吉武』・・・。しかし、これは番組名です。しかも時間帯からしておそらく、あの親子二代にわたって高名な料理家が、おかずを紹介する番組であろう、と容易に推測できます。典型的な②の余白優先タイプです。25分もある番組なのに、このないがしろ感溢れる日本語、いや、いい。テレビ朝日はこのあとも、②タイプを乱発です。13時5分、

1.05 上沼◇20 徹子
 西本智美  1054370

人名の羅列連発、です。常連だけ見てくれればそれでいいや、という惰性に満ち溢れています。
 
 一方、日本語の番人たれと期待されるNHKもテレビ欄での乱れ方は負けていません。16時、

00 Eテレキッズ ばあっ
  ▽20お母さんといっしょ
  ▽つくって▽みいつけた
  ▽5.05日本語▽えいご
  ▽30アニメはなかっぱ
  ▽40クッキンまいん!
  ▽50クイン  159467

投げやり感は見事ですが、残念なのは、かつて息子が幼いころここらあたりの番組の視聴者であった僕は、おおよそ番組内容がわかってしまう、ということです。『ばあっ』や『クイン』なんてなかなかいい素材なんですけど。ちなみに、『ばあっ』と同じ内容の番組と思われるものが朝にも放送されていてそこでの表示は『▽いないばあ』です。先にすすみましょう。同じくNHK,18時ちょうど、

00 おじゃる丸  5250318

惜しい!これは、Gコードの関係なのか日によって違いまして稀に、

00 おじゃる

と表示されていることがあり、
 「おお、今日も、『丸』のみ省略か。完全に視聴率アップなど考えていないな。うん、よし。」
 とこの番組に限っては、分かっているくせに運勢占いのようについしょっちゅう確認してしまいます。残念、今日は、ちゃんと表示されている・・・、うお、しかし、なかなかいいのを発見しました。すなわち、19時55分、

55 みんなうた    33196

よくやりました。NHKという矜持をかなぐり捨て、日本語のアイデンテティともいえる『てにをは』を省くとは!これは、ある意味『おじゃる』よりも勇気のいることです。しかも、この番組はGコードが5桁しかないので、『の』くらいいれてやっても問題なさそうなものを。
 下って、いわゆるゴールデンタイムになると、『バラエティ番組』も多く、しかも、番組の変遷のスピードも速いので、タイプ複合型が見受けられます。『テレビではなく、テレビ欄ウオッチャー』にはよい勉強標本の宝庫です。テレビ朝日、22時54分、

54 Mステーション 話題
  韓流アイドル来日カラ
  ニュース&NYC新曲
  平井堅15周年&グレイ
  JUJU▽2000年特集
  ビーズSMAP浜崎も

最後の『も』に気持ちがこもってます。ここは別に余白でもよさそうなのに、『一字もむだにしたくない、余白を許さない』精神が伝わってきます。この最後を『も』で終える手法は昨今、頻繁に見られます。個人的には、ひと文字で、盛り沢山感を出そうとしていることが姑息に感じられ、あまり好きではないですが。二行目から三行目の『来日カラ(改行)ニュース』もこの番組を観ない僕には、意味不明です。『来日カラ』で切っていいのか、『カラニュース』なのかわかんないです。もっともそれが判明したところで僕にはなんのことかさっぱり理解できません。有名な韓流アイドル名の略でしょうか?それとも番組内に『カラニュース』っていう人気コーナーがあるのでしょうか。『カラ』はカタカナです。僕の転記ミスではありません(念の為)。①と③の複合タイプといえます。同じく21時テレビ朝日、

00 今夜限り!極限バトル
  ブラマヨ次課チュー爆
  VS.石原さとみ!大食い
  100万円争奪バンジー
  超衝撃SP    52991

もはや日本語の域を大きく逸脱しています。内容がよくわからないだけでなく、出だしからしていきなり『今夜限り!』とあり、突き抜けたやけくそ感、まで漂ってます。僕は、そうはいいつつお笑いはわりと好きなので、ブラマヨ、がブラックマヨネーズ、次課が次長課長、まではすぐにわかりましたが、『チュー爆』は判然とせずにわくわくしました。
(普通、爆といえば爆笑問題だろう。でも、並列に並べるにはなんか『格』が違うし・・・。)
・・・わかりました。この番組は、テレビ欄の下に特別に広告を出しているんです。なんと、『チュー爆』は、『チュートリアル』と『野性爆弾』の略でした。たいへん高度な略表示です。いったいこの表示を読んだ何割の人が、『ああ、チュートリアルと野性爆弾か。』ってわかるはず、と想定してこういう記述にしているんでしょう。謎です。そして、広告には『戦え!極限バトルSP アイツに勝てば100万円』とあります。なんとなくお笑い芸人に酷な競争を強いて、『VS.石原さとみ』だからといって、石原さとみが大食いに挑むのではなく、勝ったほうに100万円で、そのことについて石原さとみがコメントをするんだろうなあ、っていう推測はできますが、といって、全然観たいと思わせないところが玄人うけする表示です。これも①と③の複合型としてしまいます。

 以上、駆け足で観てきましたが、やはり今日の最高の番組表示は、

00 おかず土井 524270

です。こういうのって、テレビ局の担当者と新聞社の担当者が会話して決めるんでしょうか?

新聞社担当者「えと、御社の金曜の11時まるまるちょうどは、土井
       先生の今日のおかず一品、ですね。すこし長いです
       ねえ。」
テレビ担当者「ああ、11時まるまるちょうどは、おかずどい、で
       いいですよ。」
新聞社担当者「はい、『どいおかず」ではなく『おかずどい』です
       ね・・・っとそのあとの13時まる5分からは『上沼』
       『徹子』でよろしいですか?」
テレビ担当者「はいそのへんは、それでいきましょう。その日は、
       21時まるまるちょうどに特番がありますので、そちらは
       気をつけてお願いしたいんです。この件は、さきほど
       の、おかず・かみぬま・てつこの漢字表示とあわせて
       確認のためにメールさせていただきます。Gコードは
       何桁でしたっけ?」
新聞社担当者「はい・・・。5,2、9、9、1・・5桁ですね。では
       ご面倒おかけしますがメールお待ち申し上げます。」

 かくて、テレビ側担当者から、

『お世話になります。先ほどの電話の件、

 ①かな漢字表示確認
  おかず土井、上沼、徹子

 ②特番、下記でお願いします。

  今夜限り!極限バトル
  ブラマヨ次課チュー爆
  VS.石原さとみ!大食い
  100万円争奪バンジー
  超衝撃SP    

以上。テレビ朝日 新聞対応 山本』

というメールが送られるに違いありません。苦労がしのばれます。

 と、僕のテレビ欄ウオッチの妄想の世界はどんどん広がっていきます。電車の中で、いやにテレビ欄ばかり熟読して、かつ、にやにやしている人がいたら『考察中の僕』かもしれないので、放っておいてやってください。

========= 終わり =======

 

オプショナルなプレイ。

「ご不幸のあった方になんてことを言うのだ。」

 電話を終えた僕に向かって、さい君が彼女の母国語で言いました。僕は、彼女の言わんとしていることが一瞬理解できず、なんか責めに負うような失礼なことを言ったかな?と自分の電話での発言を反芻しみて、(ほう、なるほど。)と思い、電話の相手ー親友山案山子くん(たまたまなんですけど、これも相手は山案山子くんだったんですね。)ーには悪いけど、笑ってしまいました。
 その電話は、山案山子家にご不幸があって、僕と山案山子との間で交わされた電話でした。親しき仲にも礼儀あり、当時すでに社会人になっていた僕は、いかな20数年来の友人といえども、礼を失しないように厳かに会話をし、
 「ご愁傷さまでした。」
 という言葉を最後に電話を切りました。そこへ電話を横で聞いていたさい君の冒頭の発言です。
 「・・・?・・・!!!だはは!!」
 さい君は、ご不幸のあった山案山子に僕が、
 「この度は、ゴチソウサマでした。」
 と言って電話を切ったと思い、ついでになにかのお礼をいうのもいいが、機会がそぐわんであろう、と僕を責めたわけです。
 「いや、これは、ゴチソウサマではなくゴシュウショウサマ
という悼む気持ちを表す、発音は似ているが、別の日本語
である。」
 と僕が説明すると、
 「おーー。そか。わたしはてっきりけいたが、なんか奢っ
  てもらったことを、ついでにお礼したのかと思って、失
  礼なおとこだなあ、と。そか。」
 と納得していました。さい君は『そうか』の発音が日本人よりすこし短いうえに、使用頻度が多いです。
 何度か触れているように、僕のさい君は、モンゴロイド系某南半球の国パスポート保持者です。その国の母国語、と英語、それと留学して覚えた北京語、それから僕と結婚してから学習しはじめた日本語が少し、できます。だから、上記のような誤解はままあることです。ゴチソウサマの件は、僕の説明で落着しました。ただし、さい君は、『ご愁傷様』は学習できてないと思います。それはそうですよね。自分の立場にあてはめてみても『外国語で電話でお悔やみを申し上げる』って、かなり親しんだ外国語でも簡単に出てこないです。
 
 お悔やみ事件のように、『一件落着』する誤解がある一方で、『誤解のまま定着しちゃう』こともあります。つまり、間違いっていう理解はありつつも、そのほうが便利だから、という空気でずるずると間違いが『家庭内用語として定着』してしまう、という事例です。

 ある日、さい君は、外出する僕についでに買い物をしてきたまえ、と言いだしました。よくあることです。
 「ええと、フジ用の牛乳と、けいた用の無脂肪乳と、
  バナナと、バナナは余計に買わないでね、けいたは
  頼んだ以上の数をよく買ってくるから・・」
 「うん、うん、わかってるよ、それから?」
 「それと、りんごと、ねぎと、レタスと、あ、ねぎは
  あれね、長いほうでチンネギのほうね、それと・・
  ・・」
 「うん、うん、うん、、え?え?ちょっと。」
 「なによ。メモしてあるから大丈夫。余計なもの買わな
  いでよ。はい、メモ。」
 「いや、そうじゃなくて、チンネギ、って・・何?」
 なんか、『チンネギ』っていきなりそれだけ聞くと、『バター犬』のようで、あやしげなオプショナルなプレイ、のような音感ではありませんか!?
 「チンネギよ。たまねぎじゃなくて長いねぎだけど、
チンネギのほう、みればわかるでしょ?」
 いや、そのようなオプショナルな、見ればわかるネギって???
 「それに包装にも書いてあるし。」
 ええ、書いてある!いったいどんなオプショナルな絵のパッケージがスーパーに並べてあるのだ、と僕の『チンネギ』に対する疑問と期待はますます膨らみます。専業主婦の行動範囲には、われわれ凡百のサラリーマンには知り得ない未知の分野がまだまだあるのか、チンネギ。
 「もう、日本人のくせになんでわかんないの?」
 おお、チンネギは日本人主婦にはノーマルな存在なのか!わくわくさせるではないか、チンネギ。
 「漢字で書くと、こうっ!」
 なんで私が、と苛立ちながらさい君が書いた字を見て、僕は大きく納得するとともに、怪しげな妄想も瞬時にして雲散霧消してしまいました。すなわち、さい君の書いた字は、
 「青」
 以上。
 『青』は、北京語では『QIN』と発音します。身近なところでは、青島とかいて『QINDAO』チンタオ、ですね。あのチンタオビールで有名なチンタオです。さい君は、
 ・仮名は読める。
 ・漢字はほとんど読めない。
 (北京語は主に耳とアルファベットで習得したらしいので。)
 ・でも簡単な漢字は覚えている。例えば、『小』『大』『北』『青』・・・。
 それで、さい君の心の中では、すでに、『青ねぎ』と書いて『QIN-NEGI』と読むことが学習・反復かつ熟成されていたんです。
 「これは、日本語では『あおネギ』である。」
 「おーー。そか。」
 と一応誤解を解いた上で、なあんだ、と思いつつ、無事にチンネギを購入して帰宅しました。

 しかし、それ以来、我が家では違和感もなく、この言葉が定着して今にいたっています。
 だから、もし、『路上で帰宅途中に買い物を依頼されたふうのサラリーマン』が、携帯電話に向かって、いきなり、
 「はい、チンネギのほうね!」
と言っているのを目撃しても、どうか不審者扱いはしないでください。

終わり


 
 

科学的追認実験。

尾廔な話なので、お食事中の方は後でお読みください。

 「おーい!!おーい!!」
父親かずまさが、やや苛ついた声で、トイレから誰ともなしに呼びつけてます。洋式トイレをつまらせてしまったんです。そもそも『切れた電球のひとつ変えられない男』かずまさですから、詰まったトイレになど対処のできようがありません。そこで家族に応援を依頼したわけですが、自分でやらかしておいて苛ついた雰囲気を『おーい。』などという単純かつ天動説的な語彙で家人にまで苛々感を伝播するところがこの男の面目躍如たるところです。
 有体に言うと、『いつものこと』なので僕は、ほうっておきましたが、トイレに駆け付けた母親がなかなか戻ってこないので、つい僕もトイレに見に行き、そのときに家にいた家族三人がトイレに全員集合し、便器と対峙する、という構図になりました。見ると、洋式便器の中が七割がたの高さまで、『ことのすんだ後』のかずまさの排出物と流れない水と散り散りになったトイレットペーパーで満たされています。かずまさは、
 「流しただけなんだよ、ちぇっ、ちくしょ、
  おかしいな、ばかやろ、ええい・・・」
 とこのうえなくわがままな悪態を小声で吐きながら苛々してるだけで何もせず、一所懸命なんとかしようとしている母親のとなりで、手持ち無沙汰に傍観してます。(おお、これはいつものより激しくおいでになってるなあ。)と思いながら、僕も台所から割り箸を持ってきて、つまりの原因になっていそうなブツを取り除いてみたり、つついてみたり、母親と奮闘しました。しかし、今回は難敵です。モノだけに、というわけでもないでしょうが、それこそ『ウンとも、すんとも』いいません。七割の水位は依然として保たれたままです。それから数分、母親と僕は、考えられる手管手練を駆使し、一方かずまさは、全く責任を感じるふうもなく、かといって、立ち去るでもなく、なにやら憔然と立ちつくしています。
 「これは、なんともならんねえ。」
 「うん。」
 「どうしよう。」
 「ちょっとこのままで様子をみてみない?だってさ、
詰まってるっていっても、中身は水に溶けるモノ
なんだから、すこしづつ水位が下がっていって、
そのうちいっぺんに流れるかもよ。」
 僕の提案に、母親も、
 「そうねえ・・。少し待ってみようか。」
 と便器を前にした実務者レべルでの会議で、『持久戦』が採択されんとした、その時です。
 唐突に、腕組をしている僕の隣から、すばやく、でもなく、かといって、ゆっくりと、でもなく、『ごく自然に、あやつり人形のように』ある腕が『・・・・・・・』と伸びてきました。そして、
 「?????」
 と僕と母親が思ったその瞬間、あろうまいことかその腕ーかずまさの右腕ーが、便器のレバーに触れたのです!!
 「ちょっと、パパ!」
 「おとうさん、な、なにを・・」
 止める間もなく、父親は無言で、ごく自然にレバーを押し上げました。その後の『最悪な惨状』に逆上した僕たちの罵声を浴びた父親は、
 「うるさい。しょうがないだろ。ばかやろ。」
とぶつぶつと悪態をつきながら、トイレから退場してしまいました。
 僕は、その時『自分でトイレを詰まらせたうえに、事態の収拾すらできず、挙句の果てに泥棒に追い銭のようなことをして、なおかつ、謝罪するどころか舌打ちなどしながら去っていった父親』を見て(なんちゅう我ままな。しかも家庭人としては完全に失格だ。最悪だな。)と深く悲憤慷慨しました。

 しかし、のちになって、僕は、ある重要なことに気付いたんです。そのことは、かずまさのその利己的な言動をゆるす、いや、どうでもいいこととして片付けてしまうくらいに、僕をして大興奮させました。
 
 そうです、僕は、期せずして、あの偉業『パブロフの犬』の『科学的追認実験』に立ち会ったのです。

 ご存じのように『パブロフの犬』は、日常会話でも条件反射の代名詞のように使われている、ノーベル賞受賞者のイワン・パブロフの実験です。餌を与えるときに、ベルを鳴らしながら、餌を与え続けると、そのうち、餌はないのにベルを聞くだけで犬が唾液を分泌しはじめる、っていうあれですね。飼いならされた池の鯉が手を鳴らすと寄ってきたりするのも同じだと思います。
 通常の犬は、餌が口の中にはいると、『餌』という『条件』に『反応』して『生理的・本能的に』唾液がでるという『結果』がでてくるわけです。しかし、『パブロフの犬』は餌という条件がなくても、本人の意図にーえーっと、この場合は犬ですから、本犬(ほんけん)ですかねーかかわらず『生理的・本能的に』ベルによって、唾液が分泌されるわけです。
 少し、整理してみましょう。

 *通常の登場人物と唾液反応
  ・犬
  ・餌
  ・唾液分泌

 *『パブロフの犬』の条件反射
  ・犬
  ・ベル
  ・餌 有→無
  ・唾液分泌
  ・観察者 パブロフ博士(さっきまで呼び捨ててました。)

 これを僕は、『追認実験』したんです!!そうなんです。つまり、あのときかずまさの右腕は本犬、いや、本人の意図にかかわらず、『反射』としてレバーをひいたんです!!おそらく、かずまさはその時、自分でもなんでレバーをひいたのかわからず悪気はないのに、大惨事を招いてしまい、そのことに気付かずに(おそらくはいまだに気付かずに)苛々してしまったんです。
 本事件を『パブロフの犬』にあてはめてみましょう。

 *通常の反応と、かずまさの通常行動の比較

  ・犬    →ヒト(かずまさ)
  ・餌    →レバーを引くこと
  ・唾液分泌 →とにかくぜんぶながれちゃうはず

 つまり、かずまさは『なぜレバーを引くと元のきれいな水の水位に戻るのか』という理屈・構造は理解していないんです!彼は、『条件反射』として、その行動をその時まで、そして現在にいたるまで黙々と排泄後にレバーを引くわけです。

 *『パブロフの犬』の唾液反応との比較

   ・犬          →かずまさ
   ・ベル         →レバーをひくこと
   ・餌 有→無      →詰まりの無→有
   ・唾液分泌       →とにかくぜんぶながれちゃうはず
   ・観察者 パブロフ博士 →・・・・・僕!!
   
 僕は、そのとき、『ヒトという生物』のトイレにおける『条件反射の追認実験』に立ち会ったのです!そう考えれば、あの何かに操られたように行われたかずまさの右腕の動きも理解できます。

 ところで、卑しくも観察者として追認したのであらば、結論を報告しなければ『科学実験』とは言えないでしょう。
 もちろん、詰まっている便器は『僕のかずまさ』によって流された水によって、あたかも『パブロフの犬』の唾液のごとく、盛んに洪水を引き起こしました、盛んに。すなわちこうです。

 ・ベルだけで犬が唾液を盛大に分泌する。
   →パブロフ博士は快哉を叫んだ。

 ・レバーを引くだけなので盛大に汚水の洪水を惹起。
   →トイレに母親と僕の阿鼻叫喚が満ちた・・。

終わり

まぐろのかたき。

 僕の息子は、『イナズマイレブン』という、名前はシンプルですが内容はたいへん奇天烈な(誉めてます!)サッカーアニメのファンです。それで、僕もたまに見るとは無しに、息子の『イナズマイレブン』のテレビ鑑賞につきあうことがあります。
 この番組では最後に『今日の格言!!』っていうコーナーがあって、静止画像で主人公の雷門中学(らいもんちゅうがく)の円堂守(えんどうまもる)君が、それを力強く読みあげます。

 ある日、いつものように、漫然と息子の横で、俺がいくら仕事できないからって、『リポビタンDの蓋をねじって開けてくれ』っていう『谷原さんから指示された今日の業務』は(嫌がってません!)人件費の無駄使いだよなあ、なんてことを考えながら『イナズマイレブン』を観ていました。すると、いつの間にやら番組は終了し、円堂くんの『今日の格言』です。

 『あきらめないこころは、でっかいみをむすぶ!!』

・・・ほう、なるほどなあ・・・。
 『でっかい実を結ぶ』か・・・。確かに諦めちゃいかんよな、少年たちには良い言葉だ。でもなあ、世の中そう簡単じゃないんだよなあ、諦めも時には肝心なんだぜ、まあ、それを息子の年代に教えるのはまだ早いだろうけど。んん?、まてよ、翻ってみると俺の自分史の各章は、『成り行き』と『諦め』抜きで起承転結が成り立っている章はないぞ、今日も素直に谷原さんのリポビタンDの蓋を開けてあげたしなあ、『諦めも肝心』といいながら『諦めに満ち満ちた人生』も考えものだ・・・・ふうむ、そう考えると大人にもなかなか含蓄のある『格言』だな・・。でも『好きな四字熟語は終身雇用です』などと真顔で公言している今の俺にとっての『でっかいみ』は定年退職ってことになるのか・・、いかにもロマンがない。むむ、『あきらめないこころは、でっかいみをむすぶ!!』か、あきらめちゃいかんよなあ、ふうむ・・確かに、いかん。

 「そうだよ!!パパ!あきらめちゃいけないんだよっ!!!」
 どうわああっっ!???唐突に肩越しから、息子に叫ばれた僕は、おおいに周章狼狽してしまいました。
 こいつ、義務教育課程にはいってまだ日も浅かりし年齢で、
 「パパ、すしで何が好き?フジのね、ね、すし屋で好きなのは、
  『まぐろのかたき』。」
 「うん、パパはおしんこ巻である。それから『かたき』じゃな
  くて、まぐろの『たたき』であるぞ。かたきとは、敵という
  意味である。ポケモンで言えばロケット団だ、わかるか?」
 などという知的年齢の低さのくせに、いつのまに他人の心を読みとる能力を身につけたのだ、しかも俺が思っていた通りのことに駄目を押している。眼光紙背に徹す、とはまさにこのこと、身長120センチになんなんとする幼さで斯様に異常な眼力を持ってしまうと、このままで推移せんか、わが息子は、マッドサイエンティストにでもなってしまうのではないか!?と驚愕かつ心配してしまいました。
 けれでも、それはあっさり杞憂であることがわかりました。なんていうことはない、僕は、円堂くんの『今日の格言』にあまりに深く薫陶を受けたために、いつのまにやら円堂くんの格言を口に出して繰り返していたんです。
 「あきらないこころは、でっかいみをむすぶ、ふうむ・・・
  あきらめないこころか・・。でっかいみをむすぶ・・・。
  なるほどなあ。あきらめないこころはでっかい・・・。」
 ていう感じで。そして、父親の独り言を聞いていた息子が、上記の発言をしたまで、だったんです。
 僕は、ほっ、としつつも、一方で得心しかねて、間をおいて、父親の威厳を保たん、と息子に反論しました。
 「おいおい、フジよ。パパがいつ諦めたというんだね。」
 実態はともかく、今のうちは『タフな父親』像を示さねば。
 「だって、パパ、いつも『うわああ!もうだめだああ』っ
  ていってるじゃん。」
 ええ!ほんとかよ。確かに外ではよく言いますが、家庭内でそんなネガティブな言動をしているかしらん?さい君には『面従腹背』をモットーとしているし、はて、思い当たらんなあ。
 「そんなこと、いつパパが言った。述べてみたまい。」
と詰問したところ、
 「いっつもだよ!!まいにち!!はんしんがてんとられると、
  『うわああ、もうだめだああ!!』って怒って、てれびけ
  しちゃうでしょ?ねえ、ママ?あきらめちゃいけないんだ
  よねえ?」
  ・・・・・・・・得心しました。おっしゃる通り。野球観戦中の僕は、阪神の敗戦が濃厚になってくると、
 「もうだめだ。今日は!」
 と喚きながら、たいそう絶望し、テレビを消してしまい応援自体をやめちゃいます。だけでなく、時には、あわよくば大逆転してたりして・・、と、またぞろテレビをつけ、でもたいてい望みは、はかなくついえて、一日に複数回の、
 「もうだめだ!今日は!ちくしょっ!」
 という、まがうことなき『あきらめるこころの具現化』たる言動をすることもあるんです。
 でも、その、なんと申しましょうか、円堂くんが『格言』において言わんとしている『あきらめ』、と父が阪神タイガースの応援において、たたきに大差を、もとい、かたきに大差をつけられたときに、口走る『あきらめ』は、時間軸や次元が違うんである、と思いつつ『すぐあきらめる父親』という指摘は正鵠を射ている、ような気もして、結局、
 「うん、そうだよな。あきらめちゃいけないよな。」
 「そうだよ、パパ。ねえ、ママ?」
 という会話で降参してしまいました。

 今日の格言。
『親の言動は、子供は全部お見通しだぜ!!』BY みどりふじ


 でも、リポビタンDの蓋でも、デカビタの蓋でも嫌な顔ひとつせず開けますので、僕の終身雇用は全うしてほしいなあ。

終わり
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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