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ささやかな生きがい。

  その日、実家に帰ったら、たまたま兄一家も来ていて、たいそう賑やかでした。

 『何々がないとわたしは生きていけない』って言う人がおります。僕はというと、今のところ幸か不幸か特にないです。あえていうと阪神タイガースと終身雇用制度くらいですかね。それじゃおまえ、なにか、明日から睡眠なし、食事なしで生きてもらおうじゃねえか、ええ、おうおう!!って言われても困りますけど、僕がここで言わんとしていることは、そういう生物学的にではなくて、いわば形而上のことです。以前僕はビール無しには絶対生きていけない、とうそぶいて毎日水の如くビールを飲んでましたが病気をきっかけに禁止になってから、拍子抜けするほどに簡単に生きてます。むしろ、どちらかというと、『たったいま何々が地球上から消滅しても一向にかまいません』ていうのもののほうがずっと多いです。例えば・・、たばこ、ゴルフ場、メイド喫茶、株、ゲームセンタ―、中日ドラゴンズ、マージャン、横にたいへんセクシーこのうえなく綺麗なお姉さんが頼みもしないの座ってくれていきなり『ふーん、そーなんだー、それでさー、最近なんか面白い話ない?』と人の話しもろくに聞かずに面白い話題の提供を強要された揚句たくさんお金をはらわなきゃいけない類の場所、トマト、パチンコ・・・並べているとあまりの自分の社会への関わりへの薄さに自分でも不安になってきたのでこの辺でやめときます。言うまでもなく、別にそういう業界に携わっている人たちには、『いきなり面白い話題提供を強要するお姉さん』以外には文句もうらみもないのであらかじめご了承ください(僕、面白い話題の提供とか苦手なんです。許してください。そういう人って多いと思いますよ。)。それから、僕はともかく、僕の数少ない友人の中には、上記のもののうち無くなったら生きていけそうもない暮らしむき、をしている人もいるのでその辺はお留起きください。加えて、『いやいや君、いい年をしてそんな狭量で馬鹿げたことを言っちゃいかん。世の中には経済循環というものがある。そもそも経済とは経世済民という文字の略語であって、人と物のつながりをマクロ経済とミクロ経済で考えるべきであり、その中において直接の決済に拘わらないからといっていかなる業態のレーゾン・デ―トルもミクロ経済の最小単位たる個人経済との関係において否定を免れうるものではない、しからずんば、あなたの主張は・・』というよくいる数字に強い頭の良い人、には即、降参しますので、怒らないでください。

 最近突如気付いたんです。僕の二つ上の兄、『みどりしょうごろう』は、『誰かをささやかにいじめることなしには生きていけない男だ』ということに。
 つい先日、実家に行く用事があったんですけど、偶然兄一家が泊まりに来ていてたいへん賑やかでした。兄には男の子が三人います。僕と兄はあまり仲のいい兄弟ではなく、ー男兄弟ってだいたいそういうもんだと思いますけどー大人になった今でもメールしたり、電話したりなんかもちろんしません。そもそも電話番号なんか知らないし。でも兄が結婚して数年たったころ兄嫁が、
 「ほんとに兄弟仲好いんですね。だって、しょう
  ごろうさん、ときどきわたしのことを、ケイタ!
  ってよぶんですよ。」
と言ってました。それを聞いたときは、なんとなく、しっくりこんなあと思ってましたが、それからしばらく経つと今度は遊びにくる兄嫁の言い分がかわってきました。曰く、
 「わたしを大人げなくいじめる。」
 だ、そうで、さらにしばらく経つと、
 「子供のからかい方が大人げない。」
 だ、そうなんです。まあ、兄といえども人の親、子供は男だし、可愛さあまっていじめるんだろう、と。でもそれが、
 「度を超えている。」
 そうなんです。どういうことかというと、例えば、子供の一番のお気にいりのおもちゃを、だしぬけにーつまり叱責や罰のためではなく、いわれもなくー隠しちゃうんですって。へえ、俺がされてた仕打ちと変わらんなあ、我が子にもそんなことしてるのか、と思いながら聞いてたら、
 「しかも、それが見つかるのが嫌だとか言って、
  そのおもちゃを翌日会社に持って行くんですよお。」
 はははは!そりゃあひでええなあ。息子のお気に入りのおもちゃと一緒に出勤までするこたあねえだろう。
 「どう思います?」
 そんなこと聞かれたって、兄の昔の行状を知っている僕は爆笑するだけ、母親は半分笑いながら、半分申し訳ないと謝ってます。今回の兄一家のある光景を見たときに、その『兄嫁をなぜケイタと呼ぶか』という疑問が『この男はそばにささやかにいじめる対象がいないと生きていけないんだ!!』という悟りとともに氷解いたしました。

 幼いころ、僕は正真正銘兄のおもちゃでした。とにかく、暇だなあ、弟でもいじめるかっ、てなもんですね。不思議なことに、二歳違いとはいえ、兄にはなかなか逆らえないもんでー体格や体力ではとうに大きくなった子供が親にはなかなか逆らえないのと似たようなもんでしょうかー兄はそれをいいことに、弟の僕をよくいたぶってました。そして、僕が当時この世で一番おそれたのが、兄の、
 「いいか、おまえ、いまから、XXしたら
『ビンタひゃあぱああつうっ!!』。」
 というご宣託です。子供の頃、頻繁にとはいえないですけど、僕らの母はよく僕らのほっぺたを張り付けました。もちろん、手加減していたはずですが、それはそれで子供心には十分痛く、かつ脅威であり、抑止力になっていました。そのびんたを『百発!!』。僕は、ビンタを百回もされる痛さを精いっぱい想像し、その恐怖はたいへんな抑止力になりました。兄のその決め台詞の言い方も独特で―みなさんに僕の肉声でそのイントネーションを伝えられないのが残念でしょうがないですが―真剣な顔、そして、『ビンタ』は低く抑揚がなくはじまり、最初の『百』の『あ』にアクセントをおいて大きく高く声が裏がえるまで発音し、そのあとの『発』の『あ』を不必要に長く伸ばして脅えを増長し、最後の『つ』もサイレントなどせず、はっきり発音し、恐怖を最高潮に高める言い方でした。僕が何か悪いことをしたわけでもないです。それに実際ビンタ100発なんて逃げればいいだけなのに、僕はとにかく、兄に
 『ビンタひゃあぱああつうっ!!』
と言われると、その恐ろしさに委縮してしまい、ビンタ百発怖さになにもできなくなってしまうんです。ある日、確か、あれはある事情から僕らが神戸に住んでいたときのことなので、僕が小学校の四年、兄が小学校六年ではなかったかと思います。母親が外出し、僕と兄はふたりきりでした。そのころ、そういうとき、僕は兄と遊ぶと碌なことがないので独りで遊ぶようになっていたようです。僕は、当時かろうじてまだ母が使用していた壁に向けておいてあった、足踏み式ミシンの足踏み(あれって動かすのにコツがいるんですよね。)をシーソ―代わりにして遊んでいました。しのびよる悪夢も知らずに。ふと気が付くと壁と逆のほうに兄がしゃがんでいます。
 「?」
 兄は唐突に言いました。
 「ええか、おまえ。いまから俺がええいうまでここにおれ。
もし俺の許可なしで出たら『ビンタひゃあぱああつうっ!!』
やからな!」
 ええ!僕はもう動けません。ただ足踏み式ミシンの足踏みの上で『見えないビンタ百発のカーテン』に幽閉され、悲愴にゆらゆらゆれているだけです。兄にしてみれば、この件にしてもあれにしてもこれにしても、全部暇つぶしだったんでしょう。しかし、僕はそれどころではないです。そのうち、僕は尿意を催してきました。
 「おにいちゃん、おしっこ。」
 「あかん!!『ビンタひゃあぱああつうっ!!』
  受けるんやったら許したる。」
 「・・・・・・。」
 僕は、おしっこのためにビンタ百発を食らう自分をまがまがしく想像し、暫時おしっこをあきらめます。しかし、生理的な欲求は、おさえがたく、みなさんの想像、あるいは期待するがごとく、僕は、とうとうビンタ百発の抑止力に負けて、足踏み式ミシンの下におしっこの海をつくるというたいへんな犠牲を払ってしまいました。
 「ひゃひゃひゃははははっは!こいつおしっこもらして
やんの。あした、みんなに 言うたろ!」
と、思わぬ大戦果におお喜びの兄。
 「だめ、あかん、言わんといてー。」
 と涙と尿で全身水浸しになりながら、それでも足踏みから出ずに兄に訴える弟。
もちろん母の帰宅後、兄は母親にこっぴどく怒られた、はず、です。はず、というのは、僕にとってその後兄が怒られたかどうかはどうでもいいことらしく全然覚えていないからです。斯様に、兄の弟をおもちゃ扱いする、兄にとってのささやかな暇つぶし、弟にとっての人生の煉獄の本当の収斂は、今思うと新山さんという兄が高校一年のときの同級生の出現を待つまで続いたように思います。

 兄一家の一番したの子、しょうまは小学一年生です。その日、しょうまはひとりっきりで一所懸命ダーツ投げに興じていました。そして横にいる兄に向かって、
 「おとうさん、おとうさん、真ん中にあたったら、
  真ん中にあたったら800円ちょうだい、ね?」
 って真剣に言いながら投げてます。当たったらお金頂戴なんてさすがに上に二人もいると言うことがしっかりしてるなあ、なんて思いながらみていると、しょうまに話しかけられるまで全然しょうまに構っていなかった兄は、何を思ったか、ダーツ盤には一瞥もくれずに、にやにやしながら、
 「だめー!」
といきなり却下します。
 「なんで、おとうさん今の真ん中にあたったでしょ?」
すると兄はにやにやも全開に、
 「だめー。ズボンがダサいからだめー。」
 とあさってのことを言います。
 「真ん中にあたっても、履いてるズボンが実は短パンなのに長ズボンのふりさせられているから、ダメー。」
 って重ねて言います。しょうまは、お兄ちゃんたちのお下がりの『短パン』をはかされてるんですね。でも長さがくるぶしのところくらいまであって、それでいて太さは脚の五倍くらいあります。暑いからだぶだぶのほうがいいし、蚊よけにもちょうどよいんでしょう。それをあろうまいことか一家の家長である兄がみんなに聞こえるように、にたにたしながらダメだしをしたわけです。するとしょうまは、いきなりしゃがんでズボンを脱いで、半そでTシャツと小柄の絵のブリーフになって、それでもダーツを続けます。
 「ほら、おとうさん真ん中!真ん中!」
 兄は、ダーツの結果など見ずに、
 「だめー、パンツでダーツなんかはずかしい
  からだめー。」
 と用意していたかのように言います。しょうまはしゃがむとブリーフをまさに脱ぎ捨て、半そでTシャツにフルチンで懸命に、ちいさな腕も折れよとばかりに、真ん中むけてダーツを投げ続けます。ちなみにしょうまは左利きです。
 兄は、かわいそうにお小遣い欲しさに半裸でダーツをする我が子をみて大喜びです。
 と、そこへ、この一連のやりとりのあいだ席をはずしていた兄嫁が―そもそも彼女が最初から居合わせたならかような暴挙は許されません―部屋に戻ってくる気配が。そこで兄は、
 「おい、しょうま、やばいぞ、チンチン出してダーツ
  してるとママに怒られるぞ!!やばい、やばい!!」
 といきなり豹変し、しょうまを煽ります。兄嫁は兄に似ずたいへんなしっかり者で、兄を含め、家の中で下着でうろうろしたりすることなど許しません。ましてや、ここは、兄の実家とはいえ他人の家です。さあ、たいへんです。しょうまは、父親に文句をいう暇もなく、あわててパンツと『長い短パン』をはこうとします。しかし、そこは、小学校一年生、プレッシャーにおされてなかなかうまく履けません。もたもたしてるうちに、ついに兄嫁が部屋に入ってきました。すると、しょうまは刹那に鋭い反応をみせ、ブリーフとズボンを鷲掴みにつかむと、せめて母親の視界から失せんとばかりに、ものすごい勢いで半裸のまま隣の部屋に疾走していきました。けれども、そこはさすがは山の神、一瞥ですべてを理解したようで、兄をすごい勢いで睨んでいます。兄は、妻が全てを理解していていまや非難のベクトルは自分にだけ向いていること、は承知しながら、しかし、しょうまはまだ母親をおそれていること、を前提にさらにしょうまを追い込みます。我が子を指さしながら、
 「ふるちんでダーツをしたおとこ。」
 と自分の妻に言い付けてます。しょうまはいまだに一秒でもはやくブリーフとズボンをはこうともがきながらも、
 「だって、おとうさんが、おとうさんが!!」
 と弁解を要すると勘違いして必死です。
 「おとうさんが、脱いだら、おとうさんが、
  800円くれるって・・」
 上目使いに、しかし緊張から言葉足らずになった弁解は、兄の格好の餌食です。無言で苛立つ兄嫁に向かって、しょうまを指さしながら、
 「お金のために裸を売ったおとこ。さいてー。
  ひゃははははは。さいてー。」
 「おとうさんが、おとうさんがダーツで、脱いだら、
  おとうさんが・・。」
 「ひゃひゃはははっはは!!!!」

 この男は全然変わっとらんなあ、と思いながらその光景を見ていた僕は、そのとき、頓悟したんです。
『そうか!この人は身近にささやかにいじめる対象がないと生きていけない男だったんだ』と。だから、結婚してから『大人げなくいじめるようになった自分の奥さんを大して仲好くもない弟の名前と間違えて呼んでしまった』のも『子供のおもちゃを会社まで持っていってしまう』のもそういう理由からだったんです!

 つい最近、もろもろの事情から単身赴任してしまった兄の、いや、兄の周りの中におとなしくて人のいい方がいやしまいか、と心配です。
 それと今思うと足踏みの上でのおしっこは、ひょっとしたらまだ我慢できたのに、『ビンタひゃあぱああつうっ!!』のカーテンを乱発するとこういうことになるぞ、という、身をもっての弟の計算された抗議だった、ような気もしますが、もう覚えてません。

 尚、兄は僕が斯様なブログを書いてることさえ知りません。知ったら、『ビンタひゃあぱああつうっ!!』されますかね?
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極まりない、でしょ?

  僕のさい君は、南半球生まれ育ちの、モンゴロイドです。つまり、デオキシリボ核酸方面からの説明でいうと、彼女の生まれ育った国の大多数を占める人種とさい君の人種は全く違う―要は移民の子、ですね。さい君の生まれ育った国は良く言えば『おおらか極まりない国』で悪くいうと『いい加減極まりない国』、どちらにしても極まりない国です。そしてさい君の性格や属性にもその『極まりなさ』が見え隠れして僕を驚かせることがしばしばあります。
 僕が、さい君に初めて会ったのは、たぶん、僕が日本からその国へ出張に行ったときだと思います。思います、というくらいだから正確にはよく覚えてません。それから、僕は、なんだか流れとしてはいやだなあ、と思っていたら、その流れのとおりに、20代でその国に転勤になりました。そして、三宅奈美さんと赤道を隔てて壮大な遠距離恋愛を余儀なくされましたが、そんなものはうまくいくはずもなく、振られてしまいました。その件は今回は関係ないです。また、話としても、『要はそんな遠いのにうまくいくわけがない』というだけで説明が足る面白くもなんともない話なのでこれからも触れません。・・三宅さん、どうしてるかな?
 さい君は僕の所属する会社の『極まりない国の首都の支店』の社員でしたが、僕は、現地にある合弁工場への直接出向だったので、僕の職場は首都から30キロくらい離れてました。僕は、週に1回早朝、現地語の学習のために支店に通うか、今考えても意味のない支店の会議に呼び出されるくらいで、とくに接点はありませんでした。でも、そのうち、なんだか、支店の同じ所属営業部門の現地人スタッフ達(15人くらいいましたかね)と仲好くなって、日本人は僕だけ、あとは支店の現地人スタッフ、なんていうメンバーで食事にいったりするようになりました。今思うとお財布かわりだったような気もします、いや、そうに違いないですけど。それで、みんなでわいわい話していたら、そのうちのひとりであった、さい君が、ある時、
 「今度の水曜は私の誕生日である。」
 と言いだしました。もちろんその時点では、さい君と僕は、特別な関係にあったわけではなく、ましてや恋愛関係などとはほど遠い関係でした。でも、話しの流れで『普通なんか祝うだろう?』という空気になって、たしか彼女の誕生日と称する日に、食事をおごったか、なんかあげたかした、と思います。
 それはいいんです。経済的なインパクトとしても、僕とさい君とのなれそめの一部としても大したことじゃないですから。
 ところで、彼の国では、日本と違って―そういう習慣の国は多いらしいですが―誕生日の場合、周りがプレゼントをあげたりするんじゃなくて、誕生日の当人がみんなにお菓子を配るとか、食事を奢るとか、というのが通常です。余談ながら(そんなこと言いだしたらこのブログ自体が徹頭徹尾、余談じゃないのか、っていうことになっちゃいますが)、僕はこの習慣は合理的でいいなあ、と思いました。なぜって、誕生日の当人がみずから行動を起こさなきゃいけないので、周りは誰の誕生日がいついつで、なんて覚えておく必要はないし、当人がふるまうのがいやなら自分の誕生日をあまり開示しなきゃいいわけですからね。

 以前、僕は妙ちくりんだなあ、という性格の課長補佐の部下になって、それがどうも僕にとってだけではなくて、客観的にも変な人らしく、僕以外の課員もみんな閉口してました。何しろ自分の価値観を押し付ける人で、僕は昼ごはんを課員と一緒に食べないのはけしからん、と説教もされましたし、その頃僕は営業でしたが、20時に事務所を出てお客さんのところに行くのに、
 「今から外出しますが、もう事務所には戻り
  ませんので直帰します。」
 て言わないといけないような人でした。20時に1時間以上かかるところに外出するのに会社に戻るわけないですよね。だって、行って取引先の事務所にタッチして戻ってくるだけでも、22時すぎちゃうじゃないですか?でも言わないと怒るんです。それで、その人が、課長になった年に、唐突に課員全員の誕生日に家にお花を送りつけ始め、誕生日がまだの人間をして恐慌をきたす、ようになりました。しかもその課長の誕生日は、年度末に近く、
 「こりゃあ、出口課長の誕生日にはなんかやらん
  わけにはいかんなあ・・・。」
 と、花が家に予想どおり届く度に課員はおのがじし深く溜息をついていました。

 そういう経験があったせいもあって、その国の『誕生日に当人がふるまう』という習慣には痛く感心していました。もちろん、さい君の誕生日には、上記のような経緯もあって、僕が個人的にお祝いをしたわけですが。
 ところが、です。お祝いをした2日後の金曜日、たまたま用あり、夕方支店に寄りました。すると妙に賑やかで、現地社員のひとりが僕をみつけると、
 「ミドリサン、今日は、ユウ(僕のさい君)とヘルマンの
  誕生日だから、ケーキもらって行きなさいよ。」
 って嬉しそうにいいます。へえ、誕生日が近いから一緒にケーキを購入したんだ、なるほどこれも合理的だな。 と感心して、
 「でも、ユウの誕生日は一昨日っしょ?」
 とその現地社員にいうと、
 「違うよ、あのふたりはね、誕生日が一緒なんだよ!
だからみんな覚えてるから損だよね、へへ。」
 へへ、って?だっておとといユウさんには俺は個人的にはお祝いしたよ。なんか変だなあ。と、そこへちょうど 帰宅しようとするユウさん、現さい君とばったり。
 「あ、ミドリサン、お菓子もらった?じゃあねえ。」
 「おいおい、誕生日今日じゃないでしょ?」
 「ああ、う~~んと、今日!今説明するとややこしいから、
  じゃあねえ。」
 じゃあねえ、ってすでにややこしいではないですか!その時は釈然としないままなんとなく、過ぎました。
 それから、しばらくたって、さい君と頻繁に会ったり電話するようになって、ある時、電話で、
 「そういえば、去年のユウの自称誕生日のとき、ユウの
  誕生日の2日後にユウの誕生日と称して事務所でお菓子
  を配っておったが、あれはどういうことであるか?どっ
  ちが正しいんであろう。説明したまい。」
 と質問したら、
 「ああ、あれね。そか。あれはね、両方。」
 長い釈明を待っていた僕は、『両方正しい、以上。』で返答されて、ますます納得がいきません。
 「いや、あのね、両方って、誕生日っていうのは生まれた
  日なんだから・・」
 とやや気色ばんで妥当としか言いようのない説明を試みる僕を、あくび半分で制して、
 「両方正しいよ。原因は男の子を重んじるうちの
  親にあるけどね。」
 と面倒くさそうに説明を始めました。曰く、ミドリサンにはひとつしか教えるつもりはなかったけど、知っちゃったからには、説明するか、みたいに密約がばれた官僚みたいに悪ぶれるふうもなく、しかし、官僚のように面倒くさそうに、さらっと説明してくれた経緯は以下のとおりです。
 実は、『生まれた日』は、ミドリさんにお祝いしもらった日で正しい。でも、親が、その『私の生まれた日』を20年以上間違えて記憶していて(!!)、あるとき家の中で、昔の記録がでてきて、『あら、あんたが生まれたのは【あんたの誕生日】の二日前だ。ママ記憶違いしてたみたいね。』ってことが判明したそうです。機密文書並みの事実隠蔽、ではなく、年金管理並みのいい加減極まりない話しですよね。それで、それまでの友達には、生まれた日でもなんでもない『記憶違い』の誕生日がIN PUTされていて(もちろん自分自身や家族にも)、変更して歩くのも面倒だから、間違いで通す、でも正しい日が判明して以降に出会った人には『本当にうまれた日を誕生日ということにする』ことに決めたんだそうです。そのいい加減極まりない記憶の仕方の理由がさい君にいわせると、女の子が生まれた、という事実が、男子を熱望する家族の文化をして落胆せしめ、 
 「女の子か。誕生日なんかどうでもいいや、と、
  『誕生自体が歓迎されなかった』結果ね。」
 だそうです。だから、未だに学生時代の友人は『生まれた日じゃない誕生日』にお祝いを言ってくれて、会社の同僚にも『生まれた日じゃない誕生日』にお菓子をくばっている、そうです。でも、ミドリさんは、『本当に生まれた日』が判明したあとに出会ったから、『本当に生まれた日を誕生日として』教えたのに、あなたは『生まれた日じゃない誕生日』も知ってしまったわね、面倒くさいなあ、ってことらしいです。
 なんだか、この国らしい、おおらかな話しだなあ、と思って、そういや日本でも昔はそういう話しがあったって聞いたな、って思いました。でも、それだけではすまなかったのです。

 それから、あれよあれよという間に、僕はさい君と結婚するようになり―いまだに『あれよあれよ感』は払拭できませんが。結婚に関してはそういう人って結構いますよね。何を隠そう僕の父も『結婚なんていい加減よ。おらあ、今だにたまになんでこの女が俺の横に寝てるんだろう?って思うことがあるもんなあ。』と例によって選りに選って息子の僕に太平楽をつぶやいたりしてます―、いろいろとややこしい書類を提出するようになりました。国際結婚をしたことがある方はお分かりになると思いますが、国際結婚の手続きは複雑です。『外国人登録証』と『婚姻届け』の管轄は市役所ですが、この二つは別の窓口で、市役所での婚姻届けの受理までにまず証明しなけれないけないことがあって、やっと市役所が婚姻届を受理してくれても、そのことと『配偶者ビザ』とは殆んど関係がなく、こちらは法務局の入国管理局の管轄で、ここにまた膨大な書類や写真を提出して数か月の審査を待たなければいけません。詳細は別の機会にまた書くとして(でもあんまりおもしろくないです。)、もちろん、婚姻ビザ取得と永住権と、日本国籍取得、とはまた別の手続きが必要になります。
 ともあれ、僕はさい君と何度も、市役所や、さい君の国の在日本大使館や、入国管理局にそれぞれある時は一緒に、ある時は手分けして、仕事の合間をみながら(これは簡単でした。仕事はできない奴と思われているので、なんとなく行方不明になっても差し支えなかったです)、複数回通い、何種類もの書類を作成しました。
 日本で結婚するので、英文と併記されている書類が殆んどとはいえ、勢い僕が書くことが多くなります。結婚式をおえて、さあ、その手続きをはじめよう、とパスポートやら、源泉徴収書のコピーやら、親類の住所に電話番号やら、大使館からのコピーやら、2人で映っているスナップ写真やら、会社の人事部に依頼してもらった在職証明やら(本当にこれら、いえこれ以上のものがいるんです)で机の上がいっぱいになったとき、さい君から、妥当極まりない、しかし、やや不可解な発言がありました。
 「あ、そうそう、私の誕生日はパスポートどおりに
  してね。気をつけてね。」
 「???うん、だから、『本当にうまれた日』でしょ?」
 『我が目を疑う』という手垢のついた表現がありますが、この言葉は、彼女のパスポートをめくった時の僕のためになくして一体、だれのためにあるんでしょう。
 そこには、『本当に生まれた誕生日』でもなく、その2日後の『記憶違いによって20年間信じられていた誕生日』でもなく、その2日から3カ月以上遅い日付がパスポートに誕生日として印字されてるじゃないですか!これは確かに、注意を必要とすることだけど、『気をつけてね』っていうのはやや気軽すぎやしませんか?
 「!??? これってどういう・・・」
 と質問も途切れがちな夫に対して、さい君は、
 「とにかく書類上はその日ね。」
 て『ハンカチ忘れてるよ』くらいの軽いテンションで念押しします。でもこれじゃあ、納得いきません。いきませんよね。いかないのが普通のニンジョーってもんですよね。
 「・・あのね、ユウ。ユウはじゃあさ、誕生日はさ・・」
 「うん、みっつ。」
 気軽極まりない、です!うん、みっつって、普通ホモ・サピエンスのみならず、たいていの動物はひとつじゃないですか!!
 それでまた、かつてのように真相究明に燃える男と、溜息まじりに面倒くさそうに、かつ官僚答弁調に説明する女の問答がはじまります。結果は・・・、
 なんでも、簡潔に言うと、

 ①生まれた日は、確かに記録がある。
 ②しかし、母親のせいで2日違いに記録していた。
 ③一方、日本でいう出生届は、3か月ほったらかしにされてた。

 と、いうことなんだそうです。だから、『学生時代の友達が知っている誕生日』と『家族が祝ってくれる本当にうまれた日』と『公式の記録上の誕生日』で、
 「うん、みっつ。」
 になるそうです。いい加減極まりないですよね。書類を埋めるこっちはたまったもんじゃないです。それで、なんで出生届けを3カ月もおくらせていたかというと、これもまた、
 「女の子か。誕生日なんかどうでもいいや、と
  『誕生自体が歓迎されなかった』結果ね。」
 だそうで、赤ちゃんが女の子であったことが『出生届を提出にいく両親のモチベーションでさえ下げた』んだそうです。いや、それとこれとは違うんじゃ、と訝る僕に、
 「そうよ。だから、わたしはみっつだけど、お姉
  さんはふたりとも誕生日はふたつ。でもお兄ち
  ゃんと弟はいっこだけなんだなあ。」
 と平然と言ってます。いや、いまどきほとんどの人が『いっこだけなんだなあ』ではないですか?

 晴れて夫婦となった僕らの間では、『本当にうまれた日』をお祝いすることにしてます。でも『記憶違いの日』には、友人からいっぱいお祝いのメールがくるし、『うまれて3カ月後のパスポート上の誕生日』にはいろんなダイレクトメールがきます。

 男子尊重、はいいけど、『あら、記憶違い』、いわんや『女か。あああ。出生届はまだいいや。』って、いろんな意味で『極まりない』ですよね。
 ええと、それと、課長から誕生日に家に黙って花束を送られても『困惑極まりない』です。

痛い!!②

 『事実に目をそむけたい時』という時が僕は、しばしばあります。いや、そういうことの方が多かったりします。
 思春期には『考えてることの95%がエッチなこと』という事実に目をつぶっていました。現日常においても頻繁に事実から目をそむけてます。今、僕は、相対的に、いえ、『絶対的に』、出世の遅れた会社員です(そういうことはなぜか敢然と直視してます)。会社員ならよくある風景ですが、先日、エレベーターの中で10数年ぶりに特に昵魂でもないが、確実にお互いに知っている、という同期と一緒になりましたけど、その事実に目をそむけて、挨拶をしませんでした。それから、そもそも論として『実はいま勤務している会社にむいていない』という事実からも目をそむけ続けているらしい、です。僕の兄のしょうごろうは、『結構な中年ぶとり』であることに目をつぶって、休日タンクトップで電車に乗るので一家総意で気持ち悪がられていますが、意に介しません。
 今回の『痛い!!②』はそういうことの連続といってもいい話しです。尚、尾籠な話ですので、お食事中の方はあとで読んでいただいたほうがいいです。それから、この話しをすると、まわりの何人かから―特に女性が―「みどりちゃん、そんなに大声で話してるけど恥ずかしくないの?」って言われますが、それは逆に蹂躙というもので、なんで恥ずかしく思わなければいけないのか、全然理解できません。

 本件は、僕の人生の中では、

 *痛さ度   3位
 *衝撃度   3位
 *現実無視度 1位
 *不愉快度  2位

といったところです。

 10数年まえ、あるときから、大便がなんだかいつも細くなっているのに気付きました。従来、僕は、しばしば自分の収穫物にみとれて『う~~ん、太さといい、連続性といい、密度といい、流すのがもったいない』と思うことが頻繁にあるくらい『快便な男』、でした。しかし、その頃は、毎日出るものの、初心者の打ったうどんみたいに、太さも頼りなく、ぶつ切りで連続性に欠け、密度もばらけていて、収穫物がその主人を満足させることには程遠い、という日々が続きました。もちろん、そのことが何かの病気の前兆であろうという線香花火のような小さな不安には目をそむけていました。ところが、一向に改善されないばかりか、臭いまでもおかしくなってきました。『へい、いつものやつ』っていう感じの主人には違和感がなく他人様にはそれなりに迷惑な、という臭気ではなく、主人にもなにやら不可解な臭いになってきました。もちろん、僕は『トイレより外の人生の多忙さ』―携わっている仕事上のプロジェクトでの多忙さ、合コンという頻繁にある夜のプロジェクトでの多忙さ、プロジェクト社内恋愛での多忙さ―を理由にその事実には目をそむけてました。
 そういう日々が続くうちに、なんだか、出口付近に違和感を感じ、すでにお馴染みになった『うどん』排出のあと、その感じた部分を触ってみるとなにやら腫れています。蚊にさされたあとに『+』をつけたくなるように『腫れてると押したくなる』のが人情というものでしょう。押しました。すると『ぺしょん。』と情けない音がしたと思うと、なにやら膿み状の悪臭を放つものが手につきました。
 「・・・・・?」
 と個室で思考停止する、しがない会社員。この時点で、すでに、視覚、嗅覚、触感で異常を認知しているはずの僕は、しかし、またもトイレの中での人生には目をつぶっていました。が、事実は事実です。しかもその『腫れ』は日増しに大きくなり、今や普段でも痛むまでになって、椅子に座っているときなど『ゴルフボールの上にすわっているような感触』を常に意識せざるをえない状態にまでなっていました。そうです。事実はとうとう僕の『トイレの外の人生』においても姿を現していたのです。いま思うと、ここはひとつのポイントでした。でも、結局、目をつぶります。あいかわらず、仕事上のプロジェクトではいかに仕事をしているように見せるか苦労し、合コンプロジェクトでは、ビールをがぶがぶ飲みながら敵チームを物色するのに腐心し、プロジェクト社内恋愛では、狙いをさだめてデートに誘ったが断られたやりとりのメール、を上司に熟読されて、その言い訳に奔走し、と多忙さを理由に(ぜ~~んぶ実を結んでませんでしたが)、事実に目をそむけつづけました。けれども、腫れと痛みは激しさを増し、トイレ外での僕の人生の邪魔になってきたため、とうとう僕は―なんだってあんなものが家にあったのか今でも不思議ですが―母親が通販で買ったと思われる『ムートンのドーナツ座布団二個セット』のうちのひとつを地味な座布団カバーにいれて、会社の椅子に置くようになりました。しかし、痛みはますます激しくなり、ついに、その『ムートンのドーナツ座布団』をもって営業にもでかけるようになり、お客さんに毎回笑われる、という招かれざる事態にまで逼迫していきました。
 そこへ、とどめの海外出張がふってきて、僕は取引先の社長様とムートンとつかず離れず、で海外にいきました。その出張中、痛みは頂点に達し、僕もついに観念し、
 「これはどうみても病気だなあ。」
 と、ガリレオへのローマ法王の名誉回復か、僕の病気への事実認定か、というくらい遅きに失したとは思いつつも、降参しました。そして、彼の地から、課長へ、土日に日本へ予定通り帰国するが、月曜日は病院へ行ってから出社します、と承認を乞い、きわめてご機嫌悪く課長からは許しをもらいました。そして、飛行機の中で悶絶しつつ帰国、家では兄しょうごろうに爆笑されつつも(ひどい男ですよね)ご飯とトイレ以外は下半身を上向きにして壁にもたれさせかけ―うっ血すると患部が痛いので―て、もう事実を認めたからには、月曜を恋焦がれて壁に貼りついて週末をすごしました。そして月曜の早朝、逆立ち世界から暫時現実の世界にもどり、自宅近くの『大きくて有名な総合病院』に駆け込みました。はたして、医者は、軽く、
 「ああ、こりゃ切ろう。今日入院できる?肛門周囲膿瘍だな。」
 と言われました。そもそも忙しいだけで俺なんかいなくてもいいのに、とひそかに、しかし確実に認識していた僕は、プロジェクト社内恋愛のことだけが一瞬頭をよぎっただけで、
 「できます!!」
 と即答し、会社へ連絡しました。
 「いまから入院して明日手術です。」
 と報告したら、
 「そんなに悪かったのか、たいへんだっただろう。」
 と課長の態度も豹変し、僕は『入院』だの『手術』だのという言葉の威力を知りました。翌日、手術です。手術前の説明らしい説明も特になく、
 「患部に膿がたまってるからそれを取り出す手術すっからさ。」
 って言われたくらいです。僕もなにしろ『有名な総合病院』なので信頼しきってて何も恐れてませんでした。とにかく、手術すればこの痛みから解放される、という希望に、ただすがっておりました。
 「下半身麻酔すっから。」
 って言われたときはもうすでに全裸で、
 「へえ、全身麻酔じゃないんだ。」
 って思ったくらいで特に何も感じませんでした。
「え、と、えび、みたいに丸くなって。そうそう。動くと危ないからちょっとおさえるからね。」
 と全裸でえびみたいに背中をつき出した僕の手足と頭を看護士さんが、かなりの力でおさえつけます。なにごとならんと思っているまもなく、背中に、唐突に、もんの凄い激痛が!!そう、これが脊髄麻酔注射ってやつなんですよね。これが痛い!!しかもその『有名な総合病院』のお医者さんは、
 「ほろ?、間違えた。も一回ね。」
 ええ~~~~!もはや、一回痛さを知ってしまっている僕は、悲壮な覚悟をしました。どうりで体の両端をおさえるわけです。痛さと大事なところへの刺激で体が意に反してびくんと反応しては危ないんですね。で、2回目。痛い~~~~~~~!! そのあと、表現のしようのない気持ち悪い鈍い痛さが下半身全体にひろがって、やがて、麻痺していきました。手術中は、痛さもなにもなく、終了しました。
 その後も数日入院しました。その間、シャワーや風呂などはなし、患部のケアも自分でトイレのウオシュレットで、ということだったんですが、初めてトイレにいったとき、当時まだウオシュレットの強弱が調整できることを知らなかった僕は、いきなり『強MAX』を患部に放射し、その激痛に驚愕し、
 「ぎえ~~~!!」
 という大音声、と『MAXの勢いのまま放射しっぱなしのウオシュレット』による大量の水、とで病院のトイレを満たしてしまいました。
 そんな入院中のある日、近くに住む叔母が見舞いにきてくれて、いろいろと差し入れてくれた中に『週刊朝日』がありました。今でもあるのかどうか知りませんが、その頃『週刊朝日』には『現代の名医』というコーナーがあり、病気ごとに絞って、その病気に関してはここへ行くべし、と個別に断定し、その病院へのインタビューや所在地、連絡場所、病気の説明、などを載せている見開き2ページくらいのコーナーだったと思います。無聊にまかせてページをめくっていた僕は、驚天動地の記事にでくわし、その奇縁にたまげました。なんと、その週の『現代の名医』のコーナーは、『肛門周囲膿瘍』ではないですか!! そうです。『痔』でもなく『肛門系』でもなく、そのものずばり、まがうことなき、コーモン・シューイ・ノーヨー、なんです! 読みますよね?それが人情ってもんでしょう。そしてその記事の内容はまるで、僕に語りかけているかのようです。
 曰く、『この病気ははじめは膿や血をともなった便がではじめ・・』僕は読むたびに自分の鼻を自分で指差し、
 「俺そうだよな。」
 と目を進めます。『そのうち、患部がおおきく腫れはじめ激しい痛みをともないます。』・・・・確かに。『これは、大腸の内壁がストレスなどなんらかの原因で化膿し、この膿が出ていくところがないために肛門のほうではなく、大腸の壁を侵食して皮膚の表面まで到達し、出口がないためにその到達部分が次第に腫れてくるためです』おお、なんと明快な解説!『従って、根治には、膿の出発点である大腸の内側部分を除去しなければなりません』????な、なんですかあ、それ?『この病気でよくあるパターンは、肛門周囲膿瘍から手術を経て痔ろうになるケースです。つまり、痛さにこらえられず専門性のうすい、近くの外科医あるいは総合病院に駆け込み、』おれ??『膿の出口である患部の膿を取り出す手術をしてしまうことです。』先ほどから指差したまま硬直する入院患者。『そうすると、一時的には膿も痛みも腫れもなくなります』じゃあ、いいじゃん。『しかし、原因である大腸の内壁の膿は出続けますので、いわば、膿にとっては先ほどの手術によって【トンネルの出口を得た】という状態になり、術後しばらくすると膿がこの入り口から、手術でつくられた出口に慢性的に出始めます。これを『痔ろう』といいます。治すには、出口だけではなく、一度に膿の出所とトンネル部分を全て切除すること、が必要です』
 ・・・・・・・・・。う・・・・・・。僕は、一字一句が自分にあてはまっていることに恐怖さえ覚え、
 「もう一回手術って、あのイタイイタイ麻酔をやるのか・・・?」
 と受験に失敗した直後の受験生のごとく目は宙を舞い、思考は停止してしまいました。そこでだした僕の結論は、そうです、
 「こんな偶然はできすぎている、読まなかったことにしよう。」
であります。できすぎているから無視って、根拠になっているんだかなっていないんだかわかんないですが。
 それから、何日かして、退院後、僕は再び普段の生活に戻り、今回の手術話を自虐的に話したりしながら、また公私共にプロジェクトの毎日に埋もれていきました。ところが、好事魔多し、悪夢再び。ある日、トイレで収穫物を『現認』したところ、忘れていた嫌なあの臭いが・・・。無視。しかし、現実は、まるであの『週刊朝日』がシナリオであるかのように忠実に『現代の名医』の言うとおり進んでいきます。そして、無視できない膿みと痛みがふたたびあらわれ、僕は、くだんの近所の『有名で大きな総合病院』にいきました。
 「ああ、これは飲み薬で治そう。」
 などという週刊朝日のシナリオを覆すような乾坤一擲の一言を期待していった僕でしたが、あにはからんや医者はこう言いました。
 「ああ、こりゃあ、もう一回切らなきゃだめだな。
痔ろうになっちゃたな。」
 なっちゃたなって、脊髄麻酔注射の痛みを思い出し、おもわず、
 「ええええ!」
 と言った僕に医者が返答した答えが僕をついに現実に目をあてさせるきっかけになりました。すなわち、その『近所の有名な総合病院』の医者はこう言ったのです。
 「前回のはあんなもなあ、手術のうちになんか
  はいらないよ。」

 そして、帰宅した僕は、とっておいた『週刊朝日』(このへんが僕のずるさの面目躍如たるところで、無視しているくせに、本は捨てていません。)を、男子中学生がエロ本と二人きりになったかのように荒々しくめくり、幸いにも電車で30分の距離にあった、その記事中の『現代の名医』をたずねていきました。結論からいうと、素晴らしかったです。手術前のオリエンテーション(ちゃんとビデオがあって、順番や何をするかを見せてくれます。しかも看護士さんつきのビデオ鑑賞なので質問もできます)、術後のケア(患部を洗う洗面器状の専用器具があり、これを洋式トイレにセットすることで、お湯がゆっくりと丸く流れながら患部を洗ってくれます)、シャワー(2日に一回)、そしてなにより僕が一番おののいていた、脊髄麻酔注射がとても、とても、とても上手で、もちろん一回ですんなりいきましたし、痛みの程度も違いました。
 その後、まったく再発はしてません。ただ、
 「かなり深かったので大きく切りましたよ。」
 と言われたように、僕のお尻には肛門以外にもう一箇所、いまでも凹んでいる部分があります。

 『事実から目をそらす』のも考え物ですね。
でも『いまの仕事にむいてないこと』に向き合うのはちょっと伸ばそうと思います。

 え、と、そうそう、原因はストレスであって、お尻が不潔だったからなどというわけではない、し、別に人様に後ろ指さされるようなことをしたわけではないので、『みどりちゃんの恥知らず』発言をした、僕の入社年次ひとつうえの、法務部の高村さん(女性)は猛省してください。
 それから、『週刊朝日』さん、ありがとうございました。
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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