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みぢかえない話③

「ま、そういう時代だった、てことだな。」

 今日は、『普段法螺など全く言いそうもない身近な人間が真剣に主張する、ありえない話』略して『みぢかえない話』、その③です。
 
 以前本シリーズ(シリーズになっていたのか!)の①で書いたように、この手の話は、送り手(それに関わる目撃者や書き手)が『心底信じ切って』情報を伝えようとする、ということに対しての話の受け手(=僕)の反作用がなんともいえない『現実をわすれさせてくれる感』を生むことにある。だから、その話の送り手の真剣度や、思い入れ度の深さが心地よくて、かつ、その反発心を最高に引き出してくれるのは、
 ①意表をつかれる。
 ②真剣な情報の送り手が目の前にいる。
というのが条件になるのでは、と分析してみました。その見地からすると、今回は上質の素材です。なぜなら、その送り手が、実の親、しかも二人揃って、なのです。
 
 僕の両親、つまり、みどりかずまさとみどりひろこ、は僕の両親歴は数十年におよびます。にもかかわらず、たまに実家に帰ってゆっくり話をしていると、いまだに唐突に、しかし、そこは年の功か、あるいは、そもそもそういう二人なのか、淡々と、みぢかえない話、が飛び出してきます。自分自身を、みぢかえない話の権威と以って任ずる僕としては、『うわ、この人たちまだこんな話があったのか!』と、灯台もと暗し、と驚愕すると共に、勢い、先駆者として沽券に関わらん、という意気ごみで聞き入るとになります。
 
 つい先日のことです。たまたま実家で、僕と両親、三人、という状況になりました。のどかな、緊張感のない時間に満ちています。かずまさはテレビの前で寝ころんで、テレビには彼曰くの『レッドセックス戦』が映ってますが、たまに彼を見るとほとんどうたた寝をしていて、『テレビを見ながらうたた寝をしているのか、うたた寝の間にレッドセックス戦をみているのか』判然としない様子です。僕は、その横のテーブルに座っていて、母親が、僕の無聊の相手をしてくれていました。
 「ほんとにお父さんはよくこの年までいきてるわよねえ。」
 「いやあ、それは俺も子供こころにこの人は長生きできん、
  と思ってたけど。」
 かずまさ、視線はテレビのまま、
 「なにや?言いたいこというなあ。」
 「悪いこと、いっぱいやってねえ。」
 「・・・・・。」
 「ほんとに、たくさん。あ、そういえば覚えてる?あのとき、ほら豊中でおまわりさんが家に来て・・」
(!!お、おまわりさんが家にい~~!なんだなんだ、いきなり、しかも淡々と?そんなの知らんぞ。豊中といえば俺は小学生・・・お父さん逮捕でもされのか?何をやったんだ?)
まずまさ、視線そのまま、一向に動じず、
 「ん?ポリ公がうちに?なんだそら?」
 僕は、すでにいろんな意味でどきどきものです。
 「ほら、酔っ払い運転で捕まって、ご主人をひきとりにこいって
  警察署から電話があって、それから・・」
 「おお、おお、あれか!うん来た来た、うちにな、おまわりがな。
  ・・・あれ?それでうちで飯食ってたんじゃないか?」
(ええ~!!! 話が全然見えんが、とりあえずおまわりさんが、うちで飯を食うって、あり得ないんじゃ・・????)
 「そうそう。ご飯でもっ、ていうことになって三人で警察から
  帰ってきたのよねえ。ほんとにめちゃくちゃなお父さんだっ
  ただったから、いつ死んでおかしくないって、お母さんは
  はらはらしてたわよ。」
 かずまさ、軽く、
 「ばかやろ。」
 と、僕を置いてけぼりにして、二人の会話は暫時完結してしまいました。僕としては、この時点ですでに反発心に満ち溢れ、あきらかに、このみぢかえない話、を掘り下げないわけにはいきません。
 「あの、それってどういうこと?」
 「だからねえ、お父さんは無茶ばっかりでね。いい年して
  『そのへんのあんちゃん』よ。お辞儀の仕方ひとつから、
  お母さんが教えたんだから。家で何回も練習させてね。
  それからあんたも知ってるでしょ、家のトイレで急性
  アルコール中毒で倒れたの、あの時はね、」
 「いや、それは覚えてるけど、さっきの話ってどういうこと?
  まず、お父さんが酔っ払い運転でつかまったんでしょ?」
 「そうそう、よく捕まってたけど、その時は、警察から電話
  で、とにかく引き取りに来なさいっていうからお母さんが
  行ったのよ。」
 「うん、それで?」
 「そしたら、酔っ払ったお父さんが、若いおまわりさんの前に
  座らされていて、お母さんを見るなり『ひろこ、俺は飲んで
  ないよな?酔っ払ってないよな?』ていきなり与太をまいてね。」
 (うん、うん、でも一向に、『警官が家で飯』に結びつかんなあ。)
 「そしたら、その若いおまわりさんが『なら、あんた、ちょっと立っ
  てまっすぐ歩いてみなさい。』って言いだして、おとうさん、まっ
  すぐどころか、ふらふら。」
 かずまさ、
 「は、はははは。」
 「それでね、お母さんがとにかく謝って、それからここの警察
  にはうちの子どもたちもよく届け出ものをして、それをいた
  だいたりしてお世話になってるんです、て、」
 確かにその頃、僕や兄が、腕時計などを拾って届けて、拾得物として半年すぎても持ち主が判明しない、ということで警察からそれらのものをもらったりしたことが2,3回ありました。いま思えば高価なものでもなく、おもちゃに近いような腕時計を原っぱで拾ったりしただけで、警察にとってはむしろ仕事がふえてありがた迷惑なだけだっただろうけど、僕らにとっては、腕時計なんて踏み入れたことのない分野のモノだったし、なにより『いいことをした結果得たものという達成感』にあふれていて、兄や僕にとっては大きな出来事です。母親は子供たちのその喜びようを覚えていて、おまわりさんの機嫌を損ねないように、謝罪する過程で言及したようです。
 「そしたら、話が盛りあがちゃって、」
(んん?盛り上がる?ってのは解せんなあ。)
 「うむ、そうそう。」
 「それで、許してくれたのよね。」
(!!!!!へ???)
 かずまさ、淡々と、
 「そうそう、『よし、そんな素晴らしい息子さんのお父さんなら、
  今回は無罪放免だ!』つってな。」
(あり得えええん!!!!!)
 「え?無罪放免て、言葉で言っただけじゃなくて、本当に許して
  くれたってこと?違うでしょ?」
 かずまさ、あくびをしながら、
 「まあ、そういう時代だったんだな、うむ。」
 答えになってません。
 「お母さん、どういうこと、本当に許してくれたの?」
 「うん。立派な息子さんだっていうことで。」
(えええ~~~?)
 「それでね、ますます盛り上がってね、世間話しなんかしてたら
  今日は、これで勤務は終了だ、て言うから、」
 「言うから?」
 「じゃあ、まだならうちでお食事でもいかがですかってね、」
(ええええ!)
 「そしたら着替えて、三人で一緒に社宅に帰ってきて、ご飯食
  べてったのよね?パパ?」
 「うん、そうそう、『それじゃあ』、とか言って飯食ってったな、
  あのおまわり。」
 「嘘だろう!」
 「ん?ほんとだ、ほんと。まあ、あの頃は、そういう時代だったっ
  てことだよ、けいた。」
 「ほんとにお父さんには手を焼いたわよ。」
 「ばかやろ。」

 僕の限りなく深い懐疑心を置き去りにしたまま、両親は趣旨は飽くまで『やんちゃな父のエピソードの一例』ということで淡々とこの件についての話を終えてしまいました。
 『そういう時代だった』んではなく、本件のあきらかにみぢかえない部分を『時代のせいにしてしまう両親』のほうに、我が子ながら驚いてしまいます。
 この二人にはまだまだ、みぢかえない話が、ありそうです。今後も気が抜けません。

 ところで、これって、数十年前の話とはいえ、とりようによっては、『違法行為』じゃないですかね。 

 終わり
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母は強し。

『男は一度は東京で暮さなければならない』
『男は息をするのもつらいくらいの失恋をしなければいかん』

 お陰様で、母親は健在です。普通の母親です。母親みどりひろこは、先に紹介申し上げた『父親みどりかずまさ』―声が常に大きい、のと、人の話を最後まで聞かない、そして、負けず嫌い、という悪癖を有する以外は、知る範囲では、大過なく人生を送ってきました。 加えて、一般の家庭人に比すと、少しだけ、『飲む』のが好きで、少しだけ『搏つ』が過ぎて、そして― 息子として知る範囲ですが―すこうしだけ『浮気』が多い、というだけの、いち市民―、の妻としてその生涯の大半を過ごしてきました。

 両親が教師という環境で生まれ育った母親曰く『お手伝いさんもいて、なんにもできないお嬢さんだった』のに、『国際結婚くらい』育ちも価値観も違う、父親かずまさに『鍛えられて今日のお母さんがあるのよ』、だそうです。ただ、そもそも論として『今日のお母さん』にならなかったほうがよかったんじゃないかしらん、と思うことがあります。結婚するときは、両方の親ともに猛反対で、それについては母親自身が今だに『なるほど親の言うことは正しい』としきりに感心しているので、父親かずまさには相当手を焼いたようですし。

 挙句に、『なんにもできないお嬢さん』から『お父さんのおかげで今日あるお母さん』になったわけですが、その苛烈な人生経験のためか、僕ら子供に向かって、突如警句を吐くことがあります。警句を吐くのはある種親の仕事なので結構ですが、たまに、そんな言葉はとくに親の口から聞きたくないなあ、とか、いや、それはちょっとTPOが違うのでは、というたぐいのことを決然と言うことがあります。それらの警句のうち、僕らが幼少のころから頻繁に言われていた、まともな類の言葉の例が冒頭の言葉です。『男は一度は東京で暮らさなければならない』。母親は四国の出身で、大人になってから銀行をやめて家出同然に上京してかずまさと同棲していたらしいですが―この時点で、すでに『なんにも出来ないお嬢さん』という自称を逸脱してるようですけど―まあ、この言葉の趣旨は、なんとなく幼心にもわからんでもなかったです。ただ、そんなに力んで言う程のことでもないような気もします。『男は息をするのもつらいくらいの失恋をしなければいかん』、これは子供にはわかんないです。はあ、って感じですかね。

 そうこうしているうちに、僕は、それこそ本当に『息をするのもつらい』失恋をしました。それまでも自分で、『やや、振られたああ!失恋!』ということは一度ならずありましたが、今回のそれは、今までの経験など失恋と定義するのも憚れるくらいの大失恋でした。『へえ、つらくて一睡もできない、ってこういうことなんだ』、『え!俺って、こんなに自分のことだけが可愛い人間だったんだ』と、いろいろと気付かされる失恋でした。万事に晩生であった僕は―自慰を始めたのも、童貞を失ったのも、両方とも他人には言えないくらい遅かったです。いえ、恥ずかしくて言えません。どうしてもどっちか言え、というのなら、童貞を失ったのは、23歳です。―、その失恋の悲しみをどうやって消していいのかわからず(消せる、と思ってたんですね。若いです。)、意図せずとも親しい友人など周りを巻きこんでいました。一方、概して、男性はこの種の話は親兄弟には悟られたくないし、助けも求めないもので、僕も例外にもれず、家では平静を装ってました。しかし、どうも、そういう状態にあるのは一目瞭然であったようで、あるとき、みどりひろこに捕まってしまいました。我が息子が、経験せねばならぬ、という信念上の状態にあるのを観て、いままで切歯扼腕していた分、かなり鼻息があらいです。こっちは、それこそ郵便ポストを観ても涙がでそうな日々に耐えているのに、母親の説教なんか聞いてられません。ただ黙って、せめてはやく終わってくれ、と無気力に願うだけです。

 「けいた、あんた、失恋したでしょ。」
 「・・・・・・。」
 「もしお母さんが今のあなたに言葉をかけるなら、」
(そんなこと頼んでないよ。)
 「ただ『おめでとう』、このひとことよ!」
と何やら、今から初めてオツトメにいく若い衆に任侠者が言葉を贈る、みたく、語るは意気軒昂に、聞くは大いに落ち込んでという風情です。
 「男はね、そうやって、学んでいくのよ。それでいいの。」
(なんだか自分に酔ってる。いいから早くやめてくんないかな。)
 「男と女なんてね所詮、からだの相性なのよ。」
(!な、なに? あんまり親の口からそういうことは・・)
 「大いに傷つきなさい。男はね、何回も恋愛できるんだから。
これからもあんたにはたっくさんチャンスがあるんだから。
  男はね、女と違って、何歳になっても恋愛のチャンスはいく
  らでもあるの。女なんてひとりじゃないんだから。」
(まあそれは理屈だけどさ。)
 「あんたも知ってるでしょ、出雲のたかぎさん。」
 「え?誰?知らないよ。」
(なんだよ、唐突に。)
 「知らないの。たかぎやすこさんよ。」
(だからフルネームで言われても知らないものは知らないよ。)
 「ほら、出雲から大阪に転勤したとき、お父さんを
  おいかけて大阪まできた女のひと。」
(!!!俺は幼稚園だっただろう!うすうすはもの心ついてからそういう気配を感じていたものの、俺がフルネームまで知ってるわけないじゃないか!しかも、大阪まで追いかけて来たんだ!!初耳だ。)
 「お母さんはね、あのとき、たかぎやすこさんを憎んだし、
  お父さんともうまくいかなかったの。」
(そらそうだろう。でも、話の方向がなんかおかしいのでは..。)
 「でもね。お父さんはね、浮気じゃなくてね、恋愛をしちゃっ
  たのよ。あれはね、お父さんとたかぎさんの恋愛だったの。」
 「・・・・・。」
(あのう、母上、完全に違う話しになってません?その暴露ばなしと我が子の失恋を昇華せしめん、というご趣旨にいかなる因果関係が?)
 「その時はね、お母さんは二人を憎んだけど、今思うとね、
  お母さんよりも、お父さんとたかぎやすこさんのほうが、
  もっとつらかったのよ。たいへんだったよねえ、二人は。」
(!!!!!!なんでそうなる?)
 「なぜならね、二人はね恋愛をしちゃったのよ。」
(いや、それは聞いたけど。)
 「だからね、わかるでしょ?あんたも。」
(全然わかりません。)
 「つまり、男は何歳になっても恋愛はいくらでもできるから、
  一度や二度の息のできないくらいの大失恋は、いい経験に
  なるのよ。これから、いっくらでも恋愛はできるんだから。
  わかった?わかったら、今度のことは十分悲しんで、次の
  恋愛にそなえなさい!!」
 「・・・・・・・・。」
母親は、ひと仕事終えた、という充足感に満ちた表情をしていました。

 最終的に母親の言いたいことはわかったような気がするし、年月がたった今振り返ってみると、それなりに含蓄を感じないでもないです。でも、『父親かずまさの浮気をたかぎやすこさんのフルネームまで言及して実例として引用』したこと、それを『浮気じゃなくて恋愛だったから、あの二人もたいへんだったわよねえ。』って息子に『他人事のように総括して見せた』ことも、特にあのとき必要なことではなかったんではないか、と今でも思います。
 こういうのって、『母は強し』っていうことわざの一例かなあ?
 違いますよね。

 
終わり

いちゃもん!!

  いまから十数前、僕は、とある事情から、4年半ほど、南半球のある工場で働いていました。その工場は、首都から西に30キロくらい離れています。30キロというと大阪の梅田から神戸元町、新宿から八王子、宇部から小倉、つまるところ車で、日本なら1時間前後の距離です。「首都圏郊外」というとなにやら中産階級ベッドタウン的な響きがありますが、大阪や東京と違って、そこは草原の中を地面と同じ高さに造られた、まっすぐにのびた高速道路の先にある、よく言えば「緑ゆたかな開発途上の工業団地」、悪く言うと「無計画につくられた工場のかたまりが、森林の中に点在している」という感じで、その国の首都とは、およそ環境も住民もかなり違います。
 
 実際、朝出社して従業員が原材料倉庫を開けて、材料を持ち上げたら毒蛇がとぐろを巻いていた、とか、窓際の席で僕が忙しく仕事をしていると、ナリッシュ女史(僕の部下、といっても若干年上)が、『うしろ、うしろ!』というので窓の後ろを見たら、いつもの塀があるだけで、『なんだ、こっちは忙しいのに』とぶつぶつ言いながら視線を机に戻すと、諦めないナリッシュが『ほら、塀の上!!え、まだわかんない?ふん!!もういいや、せっかく日本では見られないから、と人が見つけてあげたのに!!』としつこいので、『んだよ。』と振り返ったら、ほほう、そこには30㎝大の立派なカメレオンが、悠然と体の色を変えながら佇んでいた、とか、南半球赤道近くならではの自然に囲まれていました。従業員は約350人、それと工場の玄関を主な居場所にして住み着いているノワーリーという名のオスの野良犬一匹、です。従業員の殆どは、工場の近辺から徒歩や、バスでビーチサンダルをはいてゆるりと通ってくる人たちで、もちろん現地の言葉しか通用しません。僕は、日本でかの国の言葉を勉強する機会も無かったため、通勤初日から、現地語社会の中に放り込まれたわけです。しかし、僕が、着任した当時、ひとりだけ現地人と結婚された日本人の女性が勤務されていたので、その方に通訳していただくのと、スタッフに二人だけ英語のできる従業員がいたので、その二人と、僕の『掛け値なしに怪しげな英語』(浪人中の模試で長文にでてくる関係詞『nowhere』を全て『nowとhere』に分解して『今、ここで』と訳した男ですから)での会話で、蛇やカメレオンやオオトカゲに囲まれて、まさに悪戦苦闘の日々を送っていました。ところが、勤務しだしてちょうど一年くらいたった頃、その日本人女性がある日突然辞めてしまいました。
 
 さあ、困りました。周辺には、同系列の工場があり、そこに勤務する日本人の上司たちと昼食は一緒にたべますが、職場では、突然350人の現地人に、日本人ひとり、になってしまったんです。しかも、僕は、一応社長含め七人いる役員のひとりなんですけど、このうち四人は名前だけ、あとの社長を含む二人も、気が向いたときにたまに来るだけで、「常勤」している役員は僕だけです。くわえて、仕事は、対日、対フランスの相手デザインによる下請け製造(いわゆるOEMってやつですね。)で、それこそ一日に何回も日本やフランスのお客さんと常に数十型に及ぶ製品のデザインや値段や納期などの重要な情報をやりとりし、それをさらに製造現場に遅滞なく正確に伝えなければなりません。これをピンチと言わずしてなんと言いましょう。例えて言うなら、泳げない人間が、ある日突然海に放り込まれた、みたいなもんです。当時はまだ、携帯電話は出始めたばかりで、いわんやメールなどなく、殆どのやり取りがFAXです。僕は、nowhereを今ここで、と訳した英語力をフルに駆使し、フランス人とFAXでやり取りし、どうしても表現できないときは、絵を二つ書いて、『ドッチ?』とだけ英語で添えてFAXしました。向こうも心得たもので、僕の絵に、大きく○とXをつけてコメント無しでその絵を返送してくれます。その紙をそのまんま、スタッフ経由で、現場に投げるわけです。一方、対日については、これがまた意外に面倒で、お客さんは『日本人同士ならわかるだろうよ日本語』で返事してこられたりします。まあ、あたりまえです。例えば、なんだか、課長だの部長だのの判子がこれ見よがしに、べたべたと押された書類がFAXされてきて、さあ明日から量産、という商品について、『サンプルのこの部分のしわがひどい。構造上しわがある程度できるのはしょうがないですが、あきらかにマーケットで消費者にわかるようなしわが量産で出てきたら、最悪の場合、本意ではないですが、全品返品させてもらうようなことになりますよ。もちろん、その場合の返品の値段には、本来なら得かるべし機会損失も上乗せせざるを得ない可能性もありますので、この部分のしわには十分留意される条件で量産開始を許可、とします。』・・・・。玄関に真っ赤なブ―ゲンビリア咲く工場で、このFAXを受けとった時の、現地語の出来ないMr.『今ここで』が抱いた『赤道近くのある午後の絶望感』は、容易にご理解頂けると思います。こういうときは、日本語の『言語明瞭、意味不明瞭』という特性が発揮されて『まあ、行間を読んでよ』という状況に―先様が意図する、しないは別として―落としいれられ易いな、と痛感させられます。
 
 しかし、その時の僕は、『若さ』という人類最高の武器をもっていました。そして、開きなおりや、慣れ、とは恐ろしいもので、片言ながら現地語を習得しつつ、FAXだけでなく、年に4,5回出張にくるフランス人の相手もいい加減な英語と絵でやりすごし、なんとか毎日をやりくりしていました。あまつさえ、自分しか日本人がいないのをいいことに、『怪しげな日本語をそのまま用語として工場内に浸透させてしまう』という強引なことを始めました。侍は、サムライだよ、訳なんてできないよ!!っていう感じです。ある日、ナリッシュ女史が―彼女は、350人のうち英語のできる一人です―質問します。
 「ミドリサン、ところで、日本ではボスのことをなんて
  よぶんだ?我々は、これかれもミドリサンって呼ぶか?
  『ボス』か?」 
 「ボスのこと?・・・・。うーー、そういえば上長を
  『上司!』なんて呼ばないなあ。なるほど日本語には、
  会社社会では、上司を呼ぶ時の普遍的な単語ってないんだ。
  肩書きで呼ぶもんなあ。ん?まてよ、会社社会にはないけど、
  別の方面にはあるな!」
 ということで、翌日から、工場内では『OYABUN』という言葉が定着しました。僕を呼ぶ時は、みんな真顔で『オヤブン!!』ですし、第三者の会話の中でも、例えば現場のライン長が事務所にやってきて、
ライン長「ここさ、A工程は時間ロスなのでB工程でいい?」
リフィ 「うん、わかるけどオヤブンがどうしてもBって言うから。」
ライン長「オヤブンは、お客さんと交渉したのか?」
リフィ 「うん、オヤブンは頼んだけどだめだったんだって。」
ライン長「オヤブンが交渉した結果じゃ、しょうがないなあ。」
という感じで、僕がその場にいるいないに拘わらず、工場内言語として完全に認知されました。もちろん、シリアスな問題でも会議中でも、
 「オヤブン、たいへんです!!納期が間に合いません!!」
 「オヤブン、それは無理です。僕らには宗教上の習慣があります。」
 といったように、普通に使われるようになっていきました。
 
 さらにある時、日本の客から、例の如く『BUYER IS KING!』調の理不尽なFAXがきて、僕が眉間に皺を寄せつつ、担当のナリッシュ女史にとりあえず、まずは腐心して訳しました。案の定、ナリッシュは、
 「アンフェアだ!!」
 と聞いた瞬間、ぶつぶつ言ってます。僕も訳して部下に伝えたものの『こりゃあ、たしかに理不尽だなあ。交渉し直すか、俺が決断するかしないと生産が前に進まんなあ。んだよ、読めば読むほど、いちゃもんじゃねえかよ、これは。ふーー。』と思っていました。すると黙って僕とFAXを交互に見つめていたナリッシュが、
 「イチャモン。」
 と小さくつぶやきました。僕は、心の中でおもっていることをいつのまにか途中で独りごちていたようで(もちろん、日本語で。)、何回もでてくる『イチャモン』という言葉の語感が、ナリッシュは妙に気になっていたらしく、意味もなく復唱してみたみたいです。
 「ああ、いちゃもん、ね。いちゃもんとは、このFAXの如く、
  相手を困らせるのが目的で、立場にモノを言わせて、問題
  を針小棒大に扱うことである。これこそ、いちゃもんの
  いい例である。」
 と、気付けば僕の周りでのぞきこんでいた、ナリッシュを含む事務所スタッフ、3,4人が、
 「おおおおおお、それが、イチャモン!!」
 と至極納得しました(この国の人は、納得したときに『おおおお』と声に出して表現する傾向が顕著です。)。それからは、僕が意図していないにもかかわらず、この言葉も一部の人間の間で、共通語化してしまい、かつ、かなり難しい日本語のはずなのに、くだんのお客さんのFAXが、『いちゃもん』の例として素晴らしかったためか、彼らは、『イチャモン』を的確に使い始めました。
僕、「おい、フランスから、こないだ工程Aっていったのに、
   今頃工程Bって言ってきたぞ。しかも値段は上げてくれ
   ないそうだ。」
事務所スタッフ数名、異口同音に、
 「オヤブン、イチャモンか!」
 「うむ、イチャモンである。」
 さらに、僕の運転手にいたっては、(車は僕が着任した時点ですでに、23万キロ走行済のカローラです。)
 「オヤブン、日本人がアメリカ兵のYES SIR!!みたいに上長に返事するとき何て言うんだ?」
 と聞くので、そこでまた調子にのって、
 「それはなあ・・・・・。うん、『合点だ親分!!』
  だな!」
 と教えたら、
 「なに、なに???」
 「ガッ・テン・ダ、だ、ガッテンダ。」
 「おおおおおおお!」
 ということでそれ以来、たとえば、たまたま朝めちゃくちゃ早い時の出勤時に、僕が眠くてテンション低く
 「おはよ。サス。今朝はまず空港ね。」
 運転手サス、車で仮眠してたらしく、全く抑揚のない寝起き声で、
 「ガッテンダオヤブン。」
 
 そんな語るも涙、のある日、日本からお客さんが出張で来られました。担当はナリッシュです。
 「ナリッシュ、神戸さんが来て、今シーズンの納期と来期の
  サンプルの打ち合わせするから、今から同席して。」 
 「はい、オヤブン。」
 ということで、神戸さんと商談が始まりました。神戸さんは、僕と同年代で日本にいたときからのお客さんで、とてもまじめで謙虚な方です。ただ、彼にも売り先があって、その売り先からいわれたことを突き返せずに僕ら生産場に頼ってくることがままあります。基本的には、僕と神戸さんが話し、それを僕がナリッシュに現地語で訳します(英語が苦手なのが幸いし、そのころにはかなり現地語ができるようになっていました。もし英語が得意だったら、ナリッシュとジェフとしか会話せずに現地語をなかなか覚えなかったでしょう)。それを興味深げに聞いていた神戸さんが、唐突に、
 「緑さん、この国にオヤブンっていう単語があるの?」
 と聞くので、一瞬、へっ?と思いましたが、次の瞬間、笑いながら、
 「いや、すみません。そんな言葉つかってましたか?」
 と聞くと、
 「うん、さっきからナリッシュさんが何回もオヤブン、
  オヤブンって言ってるから聞き間違いかな、と思いな
  がらきいてたんですけど。」
 「いや、すみません。ちょっとふざけてそういうふうに
  日本語で読んでもらうようにしてるんです。あの、なん
  ですかね、現地のひととの親密度を増すというか、上司
  としての節度を保つためというか、異文化の交流といい
  ますか・・・。」
 僕は、多少動揺しながら、言えばいうほど、訳がわからなくなっていく釈明で、その場はのがれました。僕らにとってはすでに日常語と化しているので現地語の中に混じっても違和感がないんですけど、神戸さんから見たら、全体是違和感だったらしく(当たり前です)、訝しさを察知したらしいナリッシュが、
 「オヤブン、なんか問題でも?」
 と聞くので、
 「いや大丈夫。大丈夫。あとで説明するから。」
 とさらに商談は続きます。順調にきていた商談ですが、次のシーズンのサンプルの話になり、神戸さんが、サンプルから量産への変更点や、改善希望を述べ出したとき、例によって少し、無理な注文がありました。(これは、簡単に受けられないなあ、すこし、神戸さんにも生産側の事情を説明して妥協してもらわねば・・)と、
 「う~ん、それは、ちょっと現場が・・・、
  できるかなあ。」
とやんわりと否定的に受け止めておいて、とりあえずナリッシュに訳しました。案の定、ナリッシュは、
 「ええ、そんなあ!」
 そして、わざわざ一呼吸おいて、やってしまいました。
 「オヤブン、それは、イチャモンってえもんでしょう!?」
 『ひえ、しまった』と肝を冷やしながら神戸さんを見るまでもなく、神戸さんは驚き、怪しみながらも、すでに真顔で反応してました。
 「緑さん、今,僕の依頼に彼女が、『いちゃもん!』って・・。」
 「え?い、いや、そ、そんなこと言ってないですよ。だいたい
  そんな微妙なニュアンスの日本語なんか使えるわけないじゃ
  ないですか。」
 「そうかなあ、たしかに聞こえたんだけどなあ?」
 さすがに空気を察したナリッシュに今度はその場で、
 「その言葉は客のまえでつかっちゃだめじゃないか。」
 すると、『いちゃもん』を完全に使い切っているナリッシュは、
 「おおおお、そうね。ごめん、ごめん。」
 と深く納得してました。

 その日は暗くなるまで工場で商談をし、車に乗り工場から晩御飯に行こうという段取りになりました。
 「神戸さん、中華でもいきませんか?」
 「いいですね。」
 「サス、XXホテル。」
 今日は休憩十分、寝起きでもない、サスはハイテンションで、
 「ガッテンダアアオヤブン!!!」
 ・・・・・・・・。そのあと、神戸さんとどいう会話をしたかは、全く覚えていません。覚えていないくらいだから、なんか気まずいことになったんだと思います。

 もうずいぶん前の話です。ジェフもサスもリフィも今はもう退社してしまい、野良犬のノワ―リ―も去っていったそうです。が、ナリッシュは、今もその工場にいて、老眼鏡をかけながら仕事をしてます。仕事では関係なくなって久しいですが、年に一回くらい電話で話すと今でも、
 「おおおおおお、オヤブン!! 元気!?」
と言ってくれます。        

   終わり
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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