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痛い!!①

 まず、初めに断り申し上げますが、以下の話は僕の実体験です。『ほな、何かい、いままでのは事実とちゃう、いうんかい!?え~~、おい!』というのは、いちゃもんというものでありまして、僕が今回わざわざ実体験です、と断ったのは、他人の痛みを面白がっているわけではありません、ということと、よい子はまねをしないようにしましょう、ということを前もって言っておきたかったからです。

 今回の『痛い』話は、僕の体験の中で、かつ『人様に言える範囲』では(だれだって、人に言えないことはありますよね。僕にもたくさんあります。中学1年の技術の授業前に大便を漏らした、中学2年のとき夢精して寝ぼけてブリーフをはきかえたつもりで学校にいってどうも小用がうまくできないと思ったら母親のグンゼのパンツをはいていた、高校のとき中間テスト中におならをした、高校の数学の授業で問題が解けないならまだしも『log』関数を『ロジ』と発音した、高校3年の秋に模擬試験を受けたはいいけど『試験結果の見方』がわからず標準偏差を自分の偏差値だと思いこみあまりの低さにめまいがした、浪人中までのびのびジーンズをはいていた、かつて体脂肪率が三分の一以上だった、お尻が拭けないほどの肥満体になったことがある,・・・え?もう十分でありますか?と、まあ、そういう程度ならお話できますが―まだありますけど―こんなレベルではない、とてもお話できないことは、僕にもいっぱいあります。)、
 *痛さ度  2位
 *衝撃度  4位
 *不可解度 2位
 *不愉快度 1位
といったところです。

 あれは、たしか高校1年生の真冬のことです。僕はラグビー部員で、練習中でした。ラグビーをやったり、見たことのある方ならご存じと思いますが、ラグビーのスパイクの裏の『ポイント』はだいたい金属製です。そういう猛々しいものでヒトの肉体を踏むと、相当痛いです。もちろんわざと踏むのは反則ですし、それは最近以前ほど見なくなりましたが『ストンピンッッッッッッ!』と男子中学生がよく教室のうしろや、体育館のマットのうえでまねしていた別種のスポーツの『ある定番の技』でありまして、ましてや練習中にチームメートをわざとふんづけるなんてことはあり得ません。が、敵との接触性・格闘性の高いスポーツだけに、試合はもちろん練習中でも、足だけでなく、立ってようが寝てようが、体のありとあらゆるところにその金属がとんでくる可能性はあります。しかし一方、慣れとはすばらしいもので、新入部員のときは、いちいち激痛がはしり、足なんか踏まれた日には、痛さをこらえようとして、真夏のプールサイドにはだしで降り立った人のような奇妙な仕草になっていたのに、そのうち、足をふまれるとか、顔以外を(露出しているふとももとかも)少々踏まれたり蹴られたりしても、痛痒を感じなくなってくるんです。たくましいですねえ。
 ただ、僕は、今『少々』踏まれたり蹴られたりしても、と書きました。そうです。その日、僕は、『少々』でない衝撃をうけたんです。詳細は省きますが、突進してきた同級生の山案山子くんが―そうです。「みぢかえない話①」の特段に称賛に値するわけでもない男、山案山子くん、その人です。僕は交友関係は広いほうではありません。が、もちろん友人は山案山子(面倒なので以下呼び捨て)しかいないわけではなく、また『たった2人のラグビー部』などというせつない話でもなく、たまたまこの事故相手が彼だったんです―、僕の持っているダミーにぶつかって、『うん!』と踏ん張ったとき、彼の右足が僕の右足の真上に乗りました。しかし、そういうこともよくあることで、先述のように、『少々』なら日常の出来事ですんだんです。想像していただきたい非日常性をこれから述べます。すなわち、そのとき、山案山子が重心をのせて『うん!』と踏ん張ったスパイクのポイントの一つが、僕のスパイクの皮の上から、ちょうど右足の親指のつめにまさに寸分の狂いもなくつきささったんです。痛い。これは痛かった。ひさしぶりに真夏のプールサイドステップになった僕は、しかし、その程度で練習を休む身分でもなければ、つもりもなく、プールサイドステップのままその日は練習を切りぬけました。しかしながら、僕のいう痛さ度2位はこの『真冬にポイントが爪にピンポイントでささった』こと、ではなく―もちろん、そのことも十分痛かったですけど―後述する別の状況での痛さについてです。
 さて、くだんの右足の親指の爪はその日以後時間がたつにつれ、紫と、赤紫と、どす黒い赤、とのグラデーションで染まってきました。どうも爪の下でかなりの内出血があるようです。しかし、僕は、ほっとけば治るだろうと、たかをくくって処置をせず、その後も普通に練習にも参加してました。ところが、そのグラデーションは日を追うごとに面積を増し、ついには爪全体が白い部分がないくらいに染まっていきました。のみならず、走るたびに脳天まで突きぬけてくるような『鈍いけれど深くて重い痛み』を感じはじめました。こりゃ治らんかなあ、練習に集中できんなあ、という不安にさらに追い打ちをかけるように、こんどは爪の先端部分が剥離してドアノブが壊れた扉のように、走るたびに剥離した爪の先端がパカパカと踊るようになり、痛みに拍車がかかってきました。ことここに至って、このままで推移せんか練習に支障が出て、レギュラーーポジションを失わん、という危惧をいだいた僕は(といっても15人でやるスポーツで、部員は16人しかいませんでしたけど)、意を決して、先端がパカパカで付け根がグラデーションの爪を近所の外科医にみてもらいにいきました。実は僕のいう痛さ度というのは、ここの診察で経験したことです。
 医者に行って、丸椅子にすわって、爪を見せると、医者は無造作に、『パカパカ』を上下に動かし(う!痛いじぇねえかよ!!)
 「ああ、こりゃもう爪が壊死してるな。
  取っちゃったほうがいいな。」
と僕にいうでもなくつぶやくでもなく言いました。(え、「取る」?どうやって?)と僕の頭が不安につつまれるよりも早く、医者はいきなりペンチ状の器具を手に持つと、あ、と僕が思う間もなく、『パカパカ』をペンチではさむと力ずくで爪を上方にはがしにかかりました。
 「!!!!!!!!ッッテエッ!」
と心の準備もないところに突発した、爪の付け根からの経験のない全身をはしる激痛に耐えがたく、思わず大きな悲鳴を発しました。すると医者は
 「痛い、痛い言うな!もう壊死してるんだから
  痛いわけがなあい!!」
 と僕に言わせると知ったような―いやしくも国の認めた医師免許保持者に対して『知ったような』というのは言いがかりというものでしょうが、国家が認めても、全身を走り脳天を貫ぬかんというこの激痛が、その軽はずみな発言をゆるさん、ということであります―ことを言いながら、盛んにぐいぐいとペンチを持つ手に力を加えて上に引っ張ります。痛あい!、とにかく、痛い!またしても僕が、
 「いっっつう!!!!!!!」
 と、悶絶すると、医者は、なかなかとれない爪と僕のうめき声にいらいらしてか、
 「うるさい!男の子がこれしきで、痛いっ、
  て言うな。」
 と感情的に言いながら、一方で、
 「んんっ!! お? ふんっ!! あれ? 
  ふんんっ!!」
 と予想以上に頑固な僕のつめに戸惑いも感じはじめ、さらに力を加え、もう『めりめりめり!!』という感じで爪と格闘しています。その間、僕は、背もたれもない椅子の上で膝をかかえて、うしろにのけぞり、体を固くして痛さに耐え、しかし『痛いはずはない』という医者が言うんだから、と声を噛み殺し、目をぎゅっとつぶって、立ち泳ぎしてる人みたく上を向いてただただ口をぱくぱくさせていました。
 そのうち、ある時点で、医者の態度に「何やら突破した雰囲気」が見られたと思った次の瞬間、めりめりという今までの感覚ではなく『べりべりべりべり』という感覚とともに、最高潮の激痛が走り、最後に『びちっ!!』という感覚と共に頭が真っ白になった、と思ったら、次第に痛みがじんじんじんと微減していくのに気づき、ふと目をあけて顔を正面にもどしました。眼前には、ペンチにはさまれた収穫物をプロらしからぬ表情で興味深げに見入る医者が。荒療治が終了したことを自覚した僕も、すこしづつ、しかし、確実に減っていく痛みをこらえながら、おなじく獲物に目を凝らしました。そこには確かに、親指の爪がまるまる一枚、裏側の一部に赤紫と肌色が混ざった肉片をつけたまま、ペンチの先に寡黙におさまっていました。え?『肉片』?そうなんです。医者が『壊死している』と断言した爪は完全に壊死していたわけではなく、一部はまだ体とつながっていたわけです。医者は、満足気に獲物を凝視しながら、
 「ああ、『肉』ついてんな。こりゃ痛いわ。」
となぜだか、獲物に話しかけてました。いや、それは僕にいうべきじゃ・・。そうなんです。全部ではありませんが、これはいわゆる『生爪をはがす痛さ』てやつですなんです。男の子でも痛いんじゃないかと今でも思っています。
 その後、爪こそゼロになり、もっていかれた肉片のあとには小さからぬ傷が残りましたが、練習はずっと楽になりました。ところがこの件は、後日談があって、僕が、不可解度2位と不愉快度1位とした理由は、その後日談にあります。当然、なくなったあとはつめが生えてくるわけですが、これが異常な形をしていて、小さな波状の爪が、まず生えてきました。すこし凸面があるんです。あれ、変だなと思っているとそのあとまた、小さな凸面をもった爪がはえてきて、1,2カ月してようやく先端まで爪がはえそろったころには、生え際から先端まで本来平らなはずなのに、2,3ミリ単位で先端に向かって、凹凸ができていて『波』みたいな見た目になってます。『波』というと聞こえはいいですが、ようはでこぼこで、あきらかにグロテスクで、異常です。まあ、最初だからこいつらもこういう登場の仕方しかできんのだろう、と大目にみてほったらかしてましたが、そのあともずーっとこの状態で『波だけに』というわけでもないと思いますが、止まりません。ありゃあ、この調子じゃ一生このままだな、と諦めてしまいました。まあ、そこは、それこそ男の子ですから、本来の機能さえ果たしてくれれば、爪のかたちくらい、といつのまにか忘れてました。ところが、これは本当に不可思議なことなんですけど、数年後のある日、右足の親指の爪に覚えのある『ぱかぱか』感が・・・。え?まさか。僕はそのときもラグビ―を続けていたので、『あれ、最近踏まれた覚えなんかないぞ』と『生爪はがしの悪夢再びか』という恐怖心とともに、おそるおそる足を見てみると、確かに、例のでこぼこ爪が浮いています。でも痛みは全く無く、何事ならん、とそろりとそのでこぼこ爪をはがしにかかってみると、痛みどころか、ほぼ感覚もなくでこぼこ君ははがれ、その下になんと通常の爪が、きれいに生えていました。僕は脱皮したてのカブトムシ(写真でしか見たことないですけど)か、切られたとかげのしっぽ(こちらは実物を1、2回見たことがあります。切られてしばらくは暴れまわるんですよね。不思議です。それから、会社では、1、2回どころじゃなく見たことがあります。こちらは切られても、なぜか暴れないタイプがほとんどです。)でも見るように、しばし呆然と、はがされた、でこぼこ爪と新しい爪を見比べて感慨にひたりました。人間にも再生能力があって、本人の意思とは関係ないところで、少しづつ再生作業を積み重ねて、完成を待ってでてきたんでしょうか?その歳月が、踏まれて以来、数週間、数か月などというものではないだけに、自分の体とはいえ、ヒトの再生能力の逞しさに驚きを禁じ得ませんでした。そして、僕は、この感動を誰かに伝えたい、共有したい、と思いました。親か?兄弟か?くだんの医者か?・・・・、いや、ちがう、これは、原因も、荒療治も、爪なしでの練習も、でこぼこ爪で過ごす覚悟も、すべての歴史を共有できる男がいるじゃないですか?しかも親友に。そう、山案山子だ!そこで、僕は、その直後、彼と飲みにいった際に、今回のヒトの再生能力にいかに感動したか、について熱弁をふるい、山案山子の熱い共感を期待しました。にもかかわらず、山案山子の反応は、あろうまいことか、次のようなものでした。
 「ん?そんなことあったっけ?それ、俺じゃない
  んじゃないの?  ・・・・あ!知ってる?本
  山と平田さん、つきあってるらしいよ。意外じゃ
  ない?それで、笑えるのがさあ、平田さんの親が
  反対してて、その理由がさあ、へへ、『本山がバ
  ンドやってるから』なんだって!!じゃあ、バン
  ドやめればいいのかよって、今どき、笑えるよっ
  なあ、はははは。」
 「・・・・・・・・・。」

許せませんな。不愉快極まりません。
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「みぢかえない話」①

 僕は、生来、小心者のくせに「あやしげな話」の類は大好きです。思うに、この手の類の話の妙は「あり得ねえ~!」と全員が思うのではなくて、送り手(それに関わる目撃者や書き手)が「心底信じ切って」情報を伝えようとする、ということに対しての話の受け手(=僕)の反作用がなんともいえない「現実をわすれさせてくれる感」を生むことにあるんじゃないか、と思います。だから、その話の送り手の真剣度や、思い入れ度が深ければ深いほど、心地いいです。
 なかんずく、僕の反発心を最高に引き出してくれるのは「普段法螺など全く言いそうもない身近な人間が真剣に主張する、ありえない話」略して「みぢかえない話」です。
 普段から「かっぱを見た」とか法螺を連発してる人も「法螺吹き」ってわかってるだけに期待をたがえない、という点では楽しいけど、反発心はなかなかおきませんよね。それから嘉門龍夫さんの唄じゃないですけど「おれのつれがイチローのマブだ」とかいう「見栄法螺」にいたっては、「違う方面の反発心」なんかが出てきちゃって楽しめません。
 それにくらべて、「みぢかえない話」は、

 ①意表をつかれる。
 ②真剣な情報の送り手が目の前にいる。

という面で、僕のもっとも愛するジャンルであります。

 高校時代のクラブからの友人で、山案山子くんという男がおり、僕の親友のひとりです。親友といっても特段に称賛に値する男かというとそうでもなく、似たような性格かというとそういうわけでもなく、気がついたら、すごく仲がいい、というだけです。おうおうにして親友やさい君は、そういうもんだったりします。
 山案山子くんは、お酒が大好きで、僕も嫌いなほうじゃないので、学生時代や独身のころは、毎週のように飲みにいってました。山案山子くんは飲むとよくしゃべるし、僕も飲むと饒舌になって、「すんげえくだらない冗談」-取引先の社長が僕には、普段ふんぞりかえっているのに新規開拓営業に部下の担当と一緒に行ったものの、社長がガチガチに緊張して、ほとんど担当が販促しゃべりをして、最後に担当が、ひとりで対応してくれた新規先の客に「と、いうわけで今後弊社をよろしくお願い申しあげます。」と礼しながら締めたら、反射的に横の社長も客に頭をさげながら「いえ、こちらこそよろしくお願いもうしあげます。」と間髪いれずに発言した、-というような類の罪もない最近入手した小話を持ち寄って爆笑する、あるいは、相手の話は全然きかずにお互い自分の言いたいことだけを一方的にしゃべって散会、という具合でした。

 山案山子くんは、いろんな貸し借りにはルーズな男で、おまけに「在原業平」を「ざいはらごうすけ」と高校の授業中に読みあげたほど国語力が未熟ですが(注、「ざいはらごうへい」ではなく、「ざいはらごうすけ」と読んだんです。「平」の立場がありません。)、法螺吹きでもないし、見栄はりでもないです。

 そんな彼が、まだ僕らが大学生のある日、水泳の話を始めました。
「こないだ遠泳の授業があってさあ。」
 僕は水泳なんてまるで興味がないので、例によって、ほとんど山案山子くんの話はきかずに生返事をしつつ、次にしゃべることをかんがえてました。僕らは大学は同じではなく、山案山子は(面倒なので以下呼び捨て)、ああ見えて、某国立大学旧一期校、OBには総理大臣も少数ながらいる、という伝統ある大学に通ってました。そしてそこは、大学なのに、「遠泳」が「必須科目」で、海岸から沖合の島まで、数キロ泳ぐ、というものがあるそうです。山案山子は国語力だけでなく根性もないですが、幸い彼は、小中学校のとき、水泳を「習わされていた」ので、その「必須科目」に関して別に苦にはならなかったようです。僕はというと、もちろんそういう授業のある大学に通っていたわけではないですが、クロールで25M泳ぐだけで大失恋直後のような顔でプールサイドにあがり、呼吸すること以外世の中に興味がない、という状態になるくらい水泳が苦手なので、もし、そういう授業の存在を知らずして山案山子の大学に入学してしまった僕のような学生がいたら、えんえい、どころか、えいきゅう、に卒業できないんじゃないかしらん、とだんだん感情移入しはじめました。

僕「へえ、体育系の大学でもないのになあ。で全員泳ぎきれるの?」
山「うん、なんだかんだいってみんな完泳するみたい。」
僕「信じられん。俺だったら絶対無理だ。だって、女子学生も
  いるんでしょ。」
山「うん、いる、すごく少ないけど。」
僕「かわいそうだなああ。なんか前時代的だ。女子も同じ距離なの?」
山「うん、そう・・・あ、そういえば、泳いでるとき俺の真後ろにも
  一人いたなあ。」
僕「ほう・・・ん?うしろなのになんでわかったの。」
山「ほら、遠泳中って、泳ぎながらおしっことかするじゃん?」
   (じゃん、って知らないよ、そんなの。)
山「それでさあ、俺がおしっこしてたらさあ、うしろから
  女の子の声で、『前のひとおしっこするのやめて。』って
  いわれて、それで、ああ、うしろに・・・」
僕「!!!!????」
  (突如「みぢかえない話」に転回!『おしっこやめて』??)
僕「山案山子、うそつけ! そんなこというわけねえだろ!」
山「え?本当だよ、本当!俺、おしっこしてたのばれちゃっ
  たんだ、しかもおしっこを浴びせてたのは女の子だった
  のか、って思ったもん!!」
僕「お、おまえ、遠泳中、おしっこ飲まされて、そんなに冷静に
  お願いする余裕なんかあるのかよ。うそだろ?」
山「ほんとだって。」
僕「それで!山案山子はどうしたの?!」
山「うん、何にも言わないでおしっこだけやめた。」
   (反発心60%!)
僕「!! やめたああ??」
   (途中で簡単にやめられるか!?)
山「うん、そしたら、その子が、
  『やめてくれてありがとう。』って言った。」
   (反発心 最高値!!!!!!!!!)
※僕「うそつけ~~~~~~~~~~~~~!!
   ははっは、なんで黙ってるのに、ぶわはははあ、
   やめたことがわかるんだよ、だははは作ってるな!」
 山「いや、ほんとだよ、ほんと!!
   『やめてくれてありがとう。』って!!」

※以下、5回繰り返し。
 

 山案山子は、真剣に主張してました。
 僕はこの話への反発心はいまだにおさめられていないので突如、
電車乗車中に頭にうかんだりするとニタニタしてしまいます。
 山案山子は、いまだにこの話題を振ると「本当である。」といって
ひきません。

 本当ですかね。『やめてくれてありがとう。』ですって。それに、あ、前に泳いでる人がおしっこした、あ、いまやめた、なんてわかるんでしょうか。くわえて、泳ぎながら「途中で放尿をやめる」っていう山案山子の芸当もかなりのもんです。あやしさ満点の話でした。

============終わり============

ドライヤー貸してください!!

 子供の面白さ、というのは、大人の常識の意表をつくところに真骨頂がある、というべきでしょう。大人の世間を知りつくしたつもりの言葉でいうと、本末転倒、であったり、木を見て森を見ず、であったりという言動にあると思います。いい大人の勤労者であったら、それこそ「おまえ、常識っていうものがあるだろう!!」と課長に書類なんか投げつけられて罵倒されるような言動が、その年齢ゆえに許される、ということですね。特に成長の遅い男の子の、本質を理解しない言動は、ときに僕らの想像の埒外にあります。

 僕の息子は、混血児ということと、前回の日記にあるようにドッグフードをむさぼり食べてカルシウムを補給した経験のあること、以外は、ありがたいことに「そのへんのありふれた小学一年生男子」です。
 え~と、「混血」に関して説明しますと、北半球の人と南半球の人の間の子で、でも南半球人のさい君の国籍とさい君の体に保たれている血はちがう国の民族で、と、この件について触れていると本題とずれてしまう上にあくびを誘うような話題なので、詳細は省きますが、とにかく、さい君の家族の伝承と、うちの家族の、我が家は日本人である、といういい加減な伝承を信じれば「モンゴロイドXモンゴロイド」のハーフのはずで、本当かいな、と思っていたら、息子は、見事な全身コレ蒙古班で生まれてきて、伝承による血が確かであったことにおどろくとともに、思えずメンデルの法則に思いを馳せてしまいました。

 その、「ありふれた子供」であるがゆえに、彼もしばしば「大人から見ると見当違いな言動」をしてます。たとえば先日、運動会の徒競争で、彼は早生まれということもあってか、背が低いので一番最初のスタートだったんですけど、父である僕は自分がかつて泣きながら走るようなやや繊細な子供であったので、奴は果たして如何、と思いながら多少の緊張と感慨を持って見ていたら、スタート時点でまるで緊張感のない満面の笑み、結果もこれをダントツと表現せずしてなんと言う、というくらい美しいまでの最下位でしたが、最後まで満面の笑みでゴールしました。かつ、順位別に座るときになると6位のくせに、いきなり4位のところに座り、かかりの上級生に襟のうしろをつかまれて6位の旗のところにずるずるとひきづられていきました。そのあとも、ほかの生徒が、あとから続く友達に声援をおくったり、注視しているのをよそに、祖母に手を振ったかと思うと、地面になにやら一心不乱に落書きをしたり、しまいには「6位」の旗をいじくって、鉄の台座から引っこ抜いてしまい、はめられなくなって、広いグラウンド、大きな歓声をよそに、ひとり旗と格闘してました。まさに「運動会における徒競争とは何たるか」を理解せず、「旗との格闘」という独自の空間・時間を創造した「本質がわかってない」典型例であると言えましょう。

 のち昼食時、
 「フジ、おまえ、これからはしるのに、にこにこしてちゃ、力はいらんと父は思うが如何?それに最下位についての釈明も報告したまい。」
と、といつめたところ、
 「よーし、これから走るぞ、と思うと思わず笑顔になった。」
 「なんだ、そら?」
 「それから、まあ・・・、靴だな。パパが『adidas』をはかせるか
らである。『瞬足』をはいていたら4位になったであろう。」
と、いいわけだけは、仕事のできないサラリーマンみたいなことをいいながら弁当をたべて、それで終わり。あとは友達と遊んでいました。我が子ながら、これといって光るものがなにもないんであります。

 そんなある日、外出から帰ってくると、台所のドアに、べたべたと張り紙がしてあって稚拙な文字でなにやら書いてあります。何事ならんと、苦労して解読してみると、
 「フジはきょうとてもかんどうしていますなぜでしょう」
ですと。台所にはいって「ただいま」と言うと、破顔一笑する息子と、たいへん複雑な表情のさい君が、待っていました。
 「パパ、メモ読んだ?? なぜかんどうでしょう!?」
もう、息子は、話したくてしょうがない、と興奮してます。一方、さい君は、ドッグフードを息子に食べさせたときを彷彿とさせる、まあ、きいてよ、という複雑な表情で黙ってます。この陰影を織りなす親子の表情に、僕は、困惑していたら、
 「なぜでしょう!!!?」
と息子が、体ごとたたみかけてきます。
 「えっと、新しいポケモンを買ってもらった。」
と最初は適当に対応していたら、
 「ちがう!!」
と鬼気迫る返答がくるので、こちらもだんだん考え出して、
 「え・・・・えっと、こいけりょうとに喧嘩でかった。」
 「全然ちがうよ、なんでわかんないの!」(そんなのわかるかよ。)
 「え、え、え・・・えっと なかもりあきな ちゃんと,らぶらぶだった!!」(しんじがたいことに字は違いながら、往年のアイドルと同姓同名の同級生がいて、クラスのませた親分格の女の子によれば、だれそれとだれそれはラブラブ、それで、フジとあきなちゃんはラブラブ、と宣言されているそうです。)
 「もう!!そんなことでかんげきするわけないでしょ!!もう!」
え、いや、あの、『そんなことで』って、父としてみれば、だれとでもなく『らぶらぶ』な状況というのは、人生においてさえそう何回もない貴重な朗報であることは知ってるんだが、と思いながら、息子の剣幕におされて、
 「降参である。教えてくれ。」
と言うと、息子が説明するまえに、それまで黙って暗い顔で聞いていたさい君が、なげやりな口調で、
 「今日ね、全然知らない人の車に乗って帰宅したの。その親切に『かんどう』してるんだって。」
とためいきまじりに結果を教えてくれました。

 いやあ、これは、親としては驚愕しますよね。ちなみに、息子の学校と家の距離は、大人で歩いて3分程度ーなぜか息子は、いつも20分以上かかってますけどーの近距離です。
 「なにゆえだ。いつも『知らないひとについていってはいかん』と父も母も言っているであろう!」
とかなりシリアスに詰問したところ、そこは、子供、人の話は全然きかずに、彼の「ハートウオーミングストーリー」を一気にかたりだしました。曰く、
 「今日ね、フジはね帰りね、秘密の通学路をとおってかえったの。パパ、秘密の通学路はしってるよね?」
 『秘密の通学路』つったって、家からでて、はじめにあるワンブロックを内側からはいって、大通りにでるか、そのままブロックの端まで言って、大通りにぶちあたるか、の差しかないです。ただ、内側からいくと交通量はすくないんですけど、人通りが少ないので学校指定の通学路は内側から入らないようになっています。だいたい、内側からブロックを抜けると距離的にも若干遠いんですよね。でも、そこは幼い男の子、その「禁止されているひとどおりの少ない道」になにやら物語性と、タブーをおかす刺激を感じているらしく「秘密の通学路」と「みんなで名付けて」たまにそこを通って帰ってきます。僕にも「ここが秘密の通学路である」と何回もささやいて教えてくれました。秘密でもなんでもないです。
 「うん、知っておる。それで?」
 「今日ね、フジはね、ひとりで秘密の通学路をかえってきたの。
  それで、途中でおしっこをもらして」
 「なんだって?」
 「おしっこをもらしたの!!もう最後までききなさい!」
いばっていうことではない。
 「それで、そこから家まで、あう人におしっこをもらして
  いることを知られたらはずかしいから、どうしようとおも
  ってたら、ひみつの通学路に公園、あるでしょ?そこの前
  にいたおじさんに『ぼく、しょうがっこういちねんせいで
  すけど、おしっこをもらしたのでドライヤ―かしてくださ
  い』っていったの。」
 「????? じゃあ、フジからしらないおじさんにはなし
  かけたのか!!」
 「だって、ズボンがぬれてるのを人にみられたら、フジいち
  ねんせいなのにはずかしいでしょ。」
答えになってません。
 「それで?」
もう、僕はすっかり、結果が心配になって先をせかしました。息子は父親の共感を得た、と勘違いしてますます熱く語ります。
 「それで、ドライヤーで乾かして、帰ろうとおもったの。
  そしたら、そのおじさんが、『う~~ん、ドライヤ―はない
  けど、車でおうちまでおくてってあげるよ。』ってうちまで
  送ってくれたんだ!!すごいでしょう!?かんどう!」

「すごいでしょう?」ではない。

 送ってもらったつたって、その距離はーつまり彼が、ひとに見られたらイカン!!とプライドをたもとうとした距離はー実は「70M」です。それで、さい君と息子の表情の陰影のわけがはっきりしたわけです。「知らないひとについてはいかなかったけれど、自分からはなしかけた」んであります。
 「あのなあ、フジ、おしっこをもらして恥ずかしいなら、
  すぐ帰ってくればいいじゃないか。」
 「だって、その間に人にあったら、はすかしいでしょ?」
 「はずかしいたって、しらないひとに『いちねんせいなん
  ですけど、おしっこ漏らしたので』って自分から言った
  んだろ?」
 「うん。」
 「それで、その人がロケット団みたいな悪いひとで、フジが
  どっかにつれていかれたら、どーする?たまたまとても
  いい人だったけど、悪いひとだったらうちに送ってくれないぞ。」
 「だいじょうぶ!車に乗る前に、神様にお祈りしたから!!!」
 「・・・・・・・。」
 この辺は、プロテスタントのさい君の洗脳が効いているようですが、まさか
 「知らないひとについていってはいけない」だけではなくて、
 「しらないひとにやたらと話しかけたり、ましてやドライヤーを貸してください、などと言ってはいけない」
と注意しなけれならない、とは大きな落とし穴でした。
 くだんの男性には、さい君が、後日温泉まんじゅうをもって、息子とお礼にいきました。とってもいい人だったそうです。ありがとうございました。
 70Mをおしっこもらした状態で歩きたくない、というのは小心なように思いますが、その一方で、いきなりしらないひとに名前も名乗らずに「しょうがっこういちねんせい」であることをカミングアウトして、ドライヤーを貸せ、というのも大胆すぎるようです。しかも、「かんどうした!」っていう「本質を理解してないこと」が、どうも今後も心配です。
============== 終わり =============
 

ドッグフードもういっちょう!!

「これ、何!!?」

 前回、「大陸的」と表現した性格のさい君が、4,5年前になんなんとするころ、帰宅してまだくつぬぎに佇む僕に突進してきて、眼前にいろどり鮮やかな20CM大・細長の箱を突きつけました。そもそも論として―この言葉、サラリーマンのひとがよく使いますよね。僕、なんとなく好きなんです―、

①帰宅してすぐ、さい君が突進してくる、
②ブツ、をみせて「これ、なに!!?」と声高に言う、

という状況は、反射的に家庭外でなしてはいかん、とされている『コトにおよんだ』証拠をみせつけられる、というふうに考えてしまうのが、我々『オット属』の人情ですよね。僕も例外にもれず、それはそれは、どきんとしました。
 いや、『コトにおよんだ』、自覚・事実があるか、どうか、ということとは別なんです。ほんとに。これは、世の「オット属」には、あまねく理解を得られると思いますし、世の『オクサマ属』には是非理解していただいて、仮にそういう嫌疑にかかわる証拠をつきつけたときに『オット属』が周章狼狽しても、それをもって決定打とはしないでくださいね。お願いします。
 僕は、あまりのできごとに、どきんとした次に、その『もの』を凝視しました。なにしろ眼前にありますから。見ると、淡い地色に前方後円墳みたいなかわいい形のクッキーから、白いクリームがとろりとおいしそうに流れ出ている断面図写真が中央にあって、その周りにはかわいい小さな犬の絵が縦になったり、横になったり配置されてます。ちょっと見ると、多角形でもあるし、『コアラのマーチ』っていうお菓子の外装に似てます。僕は、『コアラのマーチ』はほとんど食しませんが、以前、『おつきあいしましょう!』『ええ、ぜひ!』といって、手をつないだだけで、まだコトにもおよんでいないのに2、3週間後に突然態度が豹変し、電話での会話で、
 「最近なんかあったの?」
 「別に。何にも。」
 「・・・。なんかあったでしょ。」
 「・・・。んー、わたしにとってはいい知らせだけど、
  慧ちゃんにとっては悪いしらせかなあ。」
 「・・・・・・へ?」 
 「私ねえ、結婚するのお。」
って言われた、野村ゆうこさんが『コアラのマーチ』が大好物であられたので、その外装には他人よりも造詣が深いんです。それで、一瞬で『これは「コアラの・」ではないな」と看破しました。そして、やおら眺めると、大きな字で『カルシウムたっぷり!!』とあります。ふうん、これは子ども用のお菓子かな・・・と思いながら、外装を反転させていくと、裏側に小さな小さな文字で、しかし、はっきりと、『ドッグフード』とありました。
 ほほう、最近は犬のえさ業界も(そういう呼び方で正しいのかどうかわかりませんけど)、外装だの栄養だの、それなりに競争がはげしい証だなあ・・・・・、ん?? まてよ、うちは犬なんか飼ってないのに、なんでこんなものがうちに・・・、おや、しかも開封されて中身の小袋が、すくなくとも1,2袋は消費されている状態ではないですか?
 「これは、ドッグフード、犬のえさである。
  しかしなにゆえに?」
 僕が、ようやく靴を脱ぎながら言うと、さい君は西原恵理子さんの漫画みたいに、がっくーん!!と、それこそ心身ともに、きれ~~いにへこみました。
 ええと、重要なことを述べるのを忘れておりましたが、「そもそも論として」、さい君は、外国籍で、あまり日本語ができません。自分の母国語と英語と中国語ができますが、中国語は耳からおぼえているので、そのころは漢字はほとんどだめで、ひらがなが八割くらい読めて、ようやくカタカナをおぼえはじめたところでした。
 そうなんです。さい君は、そのドッグフードをベビーフードだと思って、おいしそうな『トロリの断面図写真』に惹かれ、当時2,3歳だった息子のためにと―しかも、覚えたてのひらがなカタカナで解読できた『カルシウムたっぷり!!』は乳離れした子どもにはたいへん魅力的なアイキャッチではないですか!!―購入したわけです。
 そして、中の小袋が減っている、ということは・・・・・・・・。そう、さい君は、覚えたての日本語が役にたった、という達成感と、息子のために『カルシウム」を『たっぷり!!』確保したという母性の発露、の両方の満足と共に、予定どおり、息子に与えたんだそうです。
 それで、息子の反応は、というと・・・、ばりばりたべて、『もういっちょう!』と(もちろん、まだしゃべられないのでそういう勢いで)食べおわるはじからせがみ、瞬く間に一つ目の小袋をたいらげた、とのことです。食欲旺盛な我が子と、それをいろいろな満足感とともに見つめる母親・・・、これをほほえましい光景と叙述せずしてなんと例えればいいでしょう。
 そして、場面は二袋目開封にうつり、息子は再びばりばりと食べ始めましたが、次の瞬間、このほほえましい光景は突如幕をとじてしまうことになります。
 すなわち、さい君は、あまりにもうまそうに『もういっちょう!』という勢いでむさぼる我が子を見て、そんなにうまいものなのかと、自分もひとつお相伴にあずかった・・・・。
 「で、どうだった?」
 「もんのすご~~~~~く、
  まずかった!!!」

 さい君は、その『異常なまずさ』に衝撃をうけ、直観的に『ベビーフード』を息子からとりあげ、もしや、と思いつつ日本人の帰宅を待つ、という場面でそのほほましい光景は突如幕を閉じたわけです。そして、自分の語学力が役に立ったという達成感、息子に栄養をあたえたという充足感、が大きかっただけに、事実が『我が子に犬のえさをわざわざ購入して食べさしてしまった』ということと判明しただけに、落胆も大きかった、ということであります。
 僕は、悪いとは思いつつ、息子の嗜好への驚きも手伝って、母親としての失格感に打ちのめされているさい君を横にして、大笑いしてしまいました。さい君によれば近くのいつも行くスーパーマーケットで買ったそうですが、置いてある場所からして、類推できるであろう、と聞いたら、曰く、そもそも論として(さい君がそういう日本語をつかったわけではないです)、
 「それからがして、けしからん。」
そうで、なんでも『ヒトの食べ物に連なって、陳列されていた』んだそうです。

 僕は、この話しが、あんまりおもしろいのでいろんな人に話してます。たいていみんな笑いながら、でも『おい緑、おまえが喜んでどうする!』と言いますね。
 けれでも、世の中には、うえにはうえがいて、ある日本語が流暢で日本の会社で働いている若い中国人女性にこの話をしたら、真剣な顔をして、
 「私も、猫の餌を食べましたね。日本にきたばっかし
  のとき、街頭でサンプルを配っていて、お菓子だと
  思って寮に持って帰って、中国人の友人みんなでわ
  けて食べましたね。変な味でした。」
って言われました。

 ちなみに、漏れうかがった話によると、犬や猫は、人間よりずっと化学調味料や保存料に弱いので、生き物の体内に入れるぶんには、巷間にあふれているヒト用の食べものよりは、実はずっと安全で、かつ生産するときも、工場の方々が味見されるそうです。
 僕は、食べてみませんでしたけど、今思うと、味見くらいしてみればよかったかな、と思ったりしてます。
 それと、犬のえさ業界の方は、そもそも論として犬のえさ、ということがよくわかるように印字してください。
 ========おわり=========
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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