髭剃り機

 「パパ、髭剃り貸して。」
 脈略もなく、息子がそう言いました。
 「うん、いいよ。」
 なんとなく返事をしておいて、あれ?と僕は思いました。だって、息子は思春期にさしかかったとはいえ、まだ体毛は薄く、僕の知る限りでは、髭を剃るような習慣は依然無かったはず、だったからです。
 おや、うちの子も、そういう時期に差し掛かったか。
 「フジのちんげ剃るからさ。さわさわして気持ち悪い。」
 え?ちんげ?何を言ってるんだ、この男は?
 一瞬僕は、彼が何を言っているのか判断出来ず、思考停止してしまいました。その無言の対応を了解と判断したか、息子は、僕の電気髭剃り機を握り、洗面所に籠ります。
 あれ?これって『普段顔に当てている俺の電気髭剃り機が、息子とはいえ別の男性の秘部にあてがわれている』ってことだよな?なんとも言えない違和感があるなあ。
 僕のもやもやした気持ちをよそに、洗面所では、ウィーン、ウィーンとそれが稼働する音が聞こえてきます。なんだこいつ、陰毛なんて放っておけばいいのに。

 息子は暫く髭剃り機と格闘した末、作業を終えました。しかし、結果には大いに不満だったと見え、僕の横に寝そべった彼は、
 「パパ、駄目だ、ちくちくして痛い。ちくしょお、そらないほうがよかった!」
 と残念がっています。
 変な男だな、そもそも俺が彼の年齢の頃に、陰毛がさわさわして気持ち悪いから剃ってしまえ、なんて考えはこれっぽっちも思い浮かんだことは無かったぞ。息子は、依然僕の横で仰向けに寝そべって、天井を眺めながら、
 「ねえ、パパ、ちんげって何のためにあるんだろう・・・」
 と、せんないことを呟いています。
 知らないよ、そんなこと、この子はやることも、考えることも、ちょっとおかしいんじゃないか、と僕は、返答もせずに、ほったらかしにしてました。
 すると、息子は、大きな溜息をついた後、予想外の警句を吐きました。

 「ああ・・。ちんげが無かったころの方が幸せだったなあ。」

 人生における幸福感を陰毛の有無に求める、とか異常ともいえる発想です。
 いったいどこをどうを間違えて、こんな子に育ててしまったんだろう。
 それとも、やっと愚息も、その基準はともかくとして、人生における幸せとはなにか、という深遠な命題を考え始める精神年齢に達したんだ、と喜ぶべきなんですかね・・・。

 尚、そんな彼は、先日『我孫子』を、がそんしと読んでました。

=== 終わり ===
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フォロースルー

 ひょんな拍子に、僕は、ある野球選手のことを思い出していました。

 以前、巨人に呂明賜(ルー・ミンスー)という台湾から来た右打ちの野手がいました。
 『凄い』選手でした。ちょっと他に形容する言葉が見当たりません。記録は平凡なものでしたが(今改めて調べたみたら、日本での通算本塁打は18本です。)、おそらくこの選手を覚えてる方の記憶の鮮明度はかなり高いものだと思います。
 呂選手は出場してから、毎日のようにホームランを放ち、日本中の野球ファンを驚愕させました。そして、着目すべきは、その豪快なスイングで、特にその大きな『フォロースル―』は、それまでの野球選手にはなかったスケールでした。まるで刃物を鋭く払って風を起こし、その風で打球を上昇気流に乗せているかのような豪放なフォロースル―だったのです。
 呂選手は、数年で日本を去り、残した記録も上記のように特別なものではありませんが、その雄姿は今だに脳裏に焼き付いています。

 いやあ、あのフォロースル―は凄かったよなあ、と僕は、画像を頭の中で反芻しました。
 そこで、ふと、思ったのです。
 「あれ、そういえば、フォロースル―って『事後のこと』だよな。」
 一般にフォロースルーの時点では、もう球は飛んでいってしまっています(あたりまえです。)。もちろん、スイングにおいて、フォロースルーが大事なのは議論を待ちません。野球ではよくバットスウィングにおいて、『後ろを小さく、前を大きく』、即ち始動から最短距離でインパクトへ移行し、最後は大きく振り切れ、と指導されるように(好きなだけで、僕は野球理論には詳しくありません。間違えていたらすみません。)、実は、フォロースルーというのはたいへん重要な役目を負っています。野球はもちろん、ゴルフ、テニス、サッカーなどの他の球技のみならず、格闘技の技においてさえ、インパクトにとって肝要なこと、とされています。
 しかし、改めて考えると、『フォロースルー』とは、時系列的には実はインパクトという主目的が完全に終わったあとのことなのです。つまり、時間を遡及して大事にされている事象、と言えます。
 「その意味においては、フォロースルーは『事後だけどプロセスのひとつ』なわけだ。」
 と僕は、やっぱり呂選手の豪快な一撃は、あのまるで気を放つようなフォロースルーが生み出したとも言えるな、と阿呆のように感心しました。
 と、その一方、おや?と僕は思いました。
 『目的が終わったあとのプロセスが大事』というのは、なんだか僕にとっては、示唆に富んだ話のような気がしたのです。
 なぜって、僕に限って言えば、普段の生活全般ににおいて、初動→インパクトまでは考えるのに、『フォロースルー』を意識したことはなかったからです。
 呂選手のフォロースルーは間違いなく、その結果を生み出すプロセスとして秀でているものであり、いわゆる『フォロースルーのためのフォロースルー』ではありません。つまり、インパクトの後に、わざわざ格好を整える為にバットを振り回しているのではなければ、ただの惰性でもなく、初動→インパクト→フォロースルー、という『インパクトの完成度を高める為の一連のプロセス』の不可欠な終結部分なのです。
 「ふむ、きっと何でも初動とインパクトだけを考えて行動しているのでは不十分なんだな。」
 ここに至って、呂選手のスイングの記憶から、日常でのフォロースルーの重要性が、僕の思考の中に演繹されたのです。

 と、言うわけで、これからは、日常においても、人生においてもフォロースルーを意識して、初動もインパクトもすることを僕は決心しました。
 我ながら良いことに気がついた、ようし、俺も明日からルー・ミンスーのような豪快なフォロースルーを以ってして、じんせいという名のスタジアムにアーチを架けるのだ!

 ・・と、ここまで書いて、あれ?と思ったんですけど、そもそも、僕の仕事や人生における『インパクト』って何だったっけ?捉えるボールの所在もわからないで、初動もフォロースルーもあったものじゃないです。ううむ、社内書類の『てにをは』を間違えないで課長に提出することが、僕のインパクトの瞬間だったりするのかしらん?だとしたら、その場合の『フォロースルー』って?なんかしょうも無い、ような・・。
 まずは、『自分にとってのあるべきインパクトの瞬間』を把握しないと話しにならんではないですか。

 ・・とにかく、呂明賜は凄いバッターでした。

=== 終わり ===

譲れないクラスメート

 嬉し恥ずかし高校時代、同じクラスのテニス部の佐野君と二人でとりとめのない話しをしていたときのことです。

 「そういえばさ・・・」
 佐野君は、眉間に皺を寄せ、少し声をひそめて、唐突にある話題を振ってきました。その様は、まるで『極秘に驚きの人事情報を入手したサラリーマン』のようでした。
 僕は、そのシリアスな雰囲気に素直に惹きこまれ、一方佐野君はやや、もったいをつけながら続けます。
 「三好さんがさ、他のクラスの女子と話したらしいんだけど。」
 三好さんというのは、やはりテニス部で愛嬌たっぷりの、クラスメートの女子です。
 「うん。」
 確かに、嬉し恥ずかし男子高校生にとっては、なんだか重要と思われる情報の匂いがぷんぷんとします。
 「そのはなしっつうのが、『もし、お互いのクラスの男子生徒をトレードするとしたら』っていう話しでさ、」
 おー、かぐわしい!ちょっと三好さん生意気なんじゃ・・、と思わないでもないです。でも紛うことなく重要な話です。
 佐野君は、真剣な表情を崩さすに続けます。
 「そこで、トレードにあたって、そもそも絶対出せない男子がいる、って三好さんが条件をだしたらしいんだよね。」
 なるほど、プロ野球でいえば、FAでの移籍球団への人的補償にあたって、その対象外とする『プロテクト選手リスト』というわけです。
 なにかい、クラスの『オーナー』ってわけかい、三好さんあんたちょっと勘違いも甚だしいぞ。けれども、聞かずにはおれません。
 「五人ほど譲れないってわけよ、三好さんによると。」
 おおー。
 「なるほど、それでその五人って誰?」
 当然佐野君は今からその詳細情報を漏洩しようとしてるに決まっているのに、僕は間抜けにも質問を発します。
 「一人めはさ、」
 「うん。」
 「おおたけしんじ、でしょ。」
 「ふむ。」
 順当だな、と僕は思いました。
 実は、僕と佐野君と三好さんのクラスには、女子に人気がある、と客観的にも認めざるを得ない男子生徒が四人いました。それは、サッカー部のおおたけしんじ、クールで眉目秀麗な秀才、続いてこれまたサッカー部のまさと、音楽も得意な大人びてすらっとした男、バスケットボール部キャプテンでちょっと日本人離れした雰囲気のある熱い男寺島、そして、卒業式の日になんと近隣の女子高の生徒が花束を持ってやってきたという嘘のような逸話を持つ岩崎剣、の四人です。
 ちょっと多すぎるんじゃないの、と思われるかもしれませんが、学年でも屈指の人気ある男子四人が僕らのクラスに集中していた、と言っても過言ではなかったのです。だから、『三好オーナーのプロテクトリスト』に、まずそのうちの一人である、おおたけしんじが入ってきたのは、まずもって妥当でした。
 「それで、二人目が、寺島で・・」
 うんうん。
 「それから、まさとでしょ。」
 「うん。」
 そうだよね。
 「あとの二人のうち、ひとりは、岩崎剣。」
 そらそうだろうな。
 「そして、残りの一人が・・・・」
 佐野君はそこで、一息つくと、先ほどから作っていた眉間の皺をますます深くして、あたりには誰もいないのに大仰に左右を見渡します。
 ごくり。
 ドキドキです。
 「最後のひとりが・・」
 「うう。」
 「どうも、それがさあ・・」
 佐野君は明らかに困惑したような表情になりました。
 ほほう、意外な人物だった、ということか。その表情を自分なりに読んで、僕はますます前のめりになります。或いは五人目は、一般的なデータに反し、三好さんの嗜好を強く反映した人なのか。と、いうことは、この第五の男子生徒こそが『三好さんの本命』である可能性も・・・。
 好奇心と期待がいっぱいで待ちきれません。
 佐野君は哲学者のような表情を作り、小さく低い声で、髪の毛を右手でゆっくりと掻き上げながら、おもむろに言いました。

 「さのくんって言ったらしいんだよなあ。」

 じまんばなしですかいっ!

 なんてことはないです。僕は、思春期にありがちな有り余る自意識過剰、-そんな実力もないくせに、ドラフト会議で指名されるのではないか、というような壮大な錯覚―、を利用されて、挙句佐野の野郎の自慢話を一言一句すら聞き逃さず最後まで耳を傾けた完璧な観客となった、わけです。
 何が『言ったらしいんだよなあ』だ、です。

 いま振り返っても忌々しい!!

===終わり===

外国語での表現

 何度も言いますけど、僕は家では外国語生活者です。

 これから書く話は、『僕の記憶が間違えていなければ』という留保付きですが、本当に目撃した話です。
 いや、そんなに身構えるような話でもないです。
 あまりにも古い話だし、瞬間的な出来事だったので、ニュースソースが僕の記憶だけだ、ということです。

 その朝、-とにかくずいぶん前です。ー、僕はひとり漫然とテレビを見ていました。画面では、いわゆるワイドショーが放送されていて、司会者と何人かの文化人が、幾つかの話題について意見を述べ合っていました。何度かトピックの変遷があリ、話題が野球のことになります。日本の野球殿堂について、です。詳細は覚えていませんが、発表されたばかりの野球殿堂メンバー選出内容について、賛否両論があるよね、というような話でした。この元審判が今回選出されるのなら、なぜあの元選手はまだなのか、という類の議論だったと思います。内容は、しかし、野球好きを自認する僕にさえやや退屈なものでした。例によって例の如く、各人が妥当な意見を散漫に述べ、結論など見るわけもなく、波風も立たずに進行して行きます。そして、司会者が次の話題に移行しようとした、その時のことです。ゲストのひとりデーブ・スペクタ―さんが、『如何にも話題を結ぶような真顔』と、短い一言で『朝の平和なワイドショーという空気』を一掃したのです。
 「でんどーはこけしだけにしてほしいですね。」

 完全に油断していました。
 油断していいたのは、おそらく僕だけではなく、出演者も、他の視聴者もそうだと思います。
 あー、なんてくだらないんだ。
 しかし、人は、あまりに唐突に虚をつかれると笑ってしまうものと見え、僕は気がつくと爆笑していました。
 元来が、『くだらないもの好き』の僕は、その後何度もこのシーンを脳内で反芻して、にたにたと思い出し笑いを繰り返してきたので、このことは、未だに僕の記憶に残っています。僕もいい加減、しょうもない男です。
 けれども、です。最近、この発言に対する僕のスタンスに変化が見られるようになってきました。
 何度も言いますけど、僕は家では外国語生活者です。ちょっといろいろ事情があって(大した事情ではないです。)、さい君とは、もう何年間も99%彼女の母国語で会話しています。日常の意思疎通こそ、なんとか『こなして』いますが、そこはやはり外国語、なかなか難しいし、うん?なんだか通じてないなあ、と思われることも少なからずあります。そういう日々の中で、ある時、いつものように、上述のデーブ・スペクターさんの発言を反芻して思い出し笑いをしたとき、あれ?と思ったのです。そうなんです。当たり前ですけど、日本語は彼にとって外国語なのです。僕は、その時はからずも初めて自分の現在と彼の大昔のワイドショーでの発言を比較し、高慢ちきにも深く感心してしまいました。つまり、彼は外国語で、『単なる駄洒落ではなく、万人にくだらない!と思わせようと韜晦とウィットを持って発言して見事成功』したんですね。翻って僕の語学力で、さい君の国の人を相手に、こんなことが果たしてできるだろうか?いや、できないぞ。これは、事前に用意していたとしても、一般教養語彙も含めてかなりの語学知識、習慣風俗認識がないとできないことじゃないですか!
 それ以来、この『でんどー発言』は、僕の認知の中では、『思いだし笑いのネタ』だけではなく(いまだに、くだらないなあ、とにやにやはしてます)、『デーブ・スペクタ―さんの卓越した語学レベルを再確認する話』という二面性をもつようになりました。
 僕は、現在もさい君の母国語の勉強を意識して継続していますが、今や彼のこの秀逸なレトリックは、自分の語学レベル向上のひとつのメルクマールですらあります。
 目指せデンドー・スペクター、いや、デーブ・スペクターさん、であります。

 ところで、そのワイドショー番組の終了間際、司会の美里美寿々さんが、
 「尚、本日番組中で不適切な発言がありましたことをお詫び致します。」
と謝罪していました。
 ・・あれって『不適切』な『グッズ』だったんですか?こういう日本語での形容でいいのかな・・。
 いやあ、言葉は難しいです。

=== 終わり ===


花は枯れる

 改めて、女性というのはまことに賢い生き物です。

恥ずかしながら、最近あることがきっかけで(その詳細については今回は書きませんが)わかったことがあります。
 それは、『他人同志の愛情は、そもそも枯渇してしまうものだ』ということです。
 なんだそら、面白くもなんともない、そんなこと、だいずは今まで知らなかったのか、と言われると、まさにその通りで二の句も告げられません。どういうことかと申しますと、要は『愛情にはメンテナンスが絶対不可欠だ』と漸く気がついた、という次第です。ええと、ふん、永遠の愛情なんかあり得ないのだ、と虚無的に構えようというものではなくて、どうもほうっておいてはいけないらしいと頓悟した、ということですね。
 ある人に言わせると、その有様は、
「咲いてる花も常に水をあげないと枯れてしまうのだ。」
という言葉になります。

 そんなの当たり前じゃないか? そうなんですけどね、まあ聞いてください。
 
一般に男性、それも日本人男性は特に、その伴侶に対する愛情表現が下手、しない、あるいは時間と共に頻度が激減する、と言われています。
 曰く、照れくさい、曰く、面倒臭い、曰く、そんなこといまさら口にしなくてもわかるだろう…。これには、僕もニッポン男児として多いに共感するものであります。そんな歯が浮くようなことを、しかも頻繁に言ってられるか、夫婦なら以心伝心であろう、ってね。
 しかし、実はそういう愛情表現という行為は、基本的に放っておくと枯れる原理にあるものに水や滋養を与える行為なのです。つまり、愛情表現という水遣りを怠ると花は枯れてしまい、そして枯れてから慌てて水をあげても、もう花は咲かない(らしい)のです。しかも、水遣りだけに、『毎日のように頻繁に』しなければいけないのだそうです。
 なんて面倒臭いんでしょう!!
 ・・・・と、そこで、ふと考えます。
 女性というのは誠に賢いです。
 彼女達は、愛情は基本的に継続しないものだ、という万物創造以来の原理を本能的に知っていて、だから、なるほど飽きもせず愛情表現を求めてくるわけです。いやいや、そんな面倒なことを、いまさら私とあんたの間でやる必要なんかなかろう、皆まで言わせるんでない、というようなそういう行為への怠慢は、実は、ああ咲いた咲いた、と満足してしまって花に水を遣らないことに等しいぞ、と訴えているのです。
 さらに、その水遣りの頻度が高くなければいけない、ということの警告として、やれ誕生日だ、結婚記念日だ、出会った日だ、付き合い始めた日だ、天気がいい、便秘が解消しただの、と『うっかり水がなくならないようにリマインド日を設定している』んですね、頭いいです。男はまぬけなので、そういうリマンドの意義が全然わからないから、平気ですっぽかすこととなります。
 ただ、僕の観察によると、男性はその『愛情は枯れるもの』という認識においては、彼女達の想像を遥かに超えて馬鹿なので、そもそもそういう大前提からして男性には説明してあげねばならないのだ、ということにまで女性は考えが及ばないみたいです。
だから、その前提の説明を端折って、愛情表現や、記念日のお祝いを求めてしまう、と見られます。智慧のレベルとして女性のほうが圧倒的に上がゆえのボタンのかけ違いです。
 そして、この法則は実は、『友情』においても同じようです。
 去る者日々に疎し、僕の場合に限って言えば、頻繁に連絡を取り合ったり、会ったりしないと(つまり友情という花を咲かせ続けるためのメンテナンスをするということを何年もしていないと)、友人から忘れられてしまいます。
 じゃあ、今の僕は、どうなのか、と申しますと、例えばさい君には、それはそれは頻繁に、彼女の要望もあって(いや、強要かな)、『愛してるよ』だの『結婚してくれてありがとう』だの、毎日のように連発しています。
 ええ!大丈夫か聞いているほうが鳥肌が立つぞ!と思われるかもしれませんが、そこは、実は僕にとってはなんでもないんです。どういうことかというと、試しに外国語で『結婚してくれてありがとう』って口にしてもらえばお分かりになると思います。即ち、『外国語に訳す』という過程が冷却装置になってくれるおかげで、恥ずかしくもなんともないんですよね。そうなんです、我が家の公用語はさい君の母国語なので、僕は外国語で愛情表現を乱発していることになり、羞恥心を感じる余裕がありません。とらえようによっては、心がこもっていないと言えなくもないです。
 ・・・幸運です。

 ところで、理詰めな方(特に男性に多いですけど)は、これこれ、そうやって愛情だの友情だの、のメンテナンスに貴重な人生の一部を割いて、その先には、いったいどういうフルーツがあるというんだね、と問われるかもしれません。
 そういう疑問はごもっとも、僕も若い頃なら少なからぬ時間を要する行為に意義を求めたところです。しかし、大人の暫定的な答えとしては『そういう探究は斯様なブログをしたためるという行為の目的を追い求めるに等しいんである』です。
 すなわち、

「うん、ま、野暮は抜きにして、『やる』のがいいじゃない?」

ってところですかね。

===終わり===


プロフィール

                   香川だいズ

Author:  香川だいズ
好きな言葉:終身雇用 年功序列
座右の銘 :負けるが勝ち

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