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男所帯2。

 息子は、もの凄くがさつ者です。
 もちろん、親としてそれでいいなどとは思っていませんが、何度言っても、靴さえ揃えられません。
 お恥ずかしい限りです。

 さい君が母国に帰省中で、息子との男所帯が続く我が家で、先週の水曜日に、こういうことがありました。
 
 僕が帰宅すると、がさつな息子は、脱ぎっぱなしの制服を床に放置してゲームなんぞに熱心にいそしんでいます。
 「やれやれ・・・。」
 心が殺伐とする風景じゃないですか。
 父親は、制服をハンガーに掛けようと、床から拾い上げました。
 自身が見るに堪えない、ということもあります。しかし、もっというとハンガーに掛けろ、と何度命令してもその場凌ぎで全然効果がない息子に、自覚を持たせるために、僕は敢えて彼の目の前で、制服を拾いあげたんです。
 父親にやらせて恥ずかしいと思わんのか!?

 「パパ!」

 早速、反応がありました。
 おお、さしもの息子も恐縮したな。

 「ちょっと!分離させないでよ!」

 その言には、あろうまいことか、怒気さえ含まれています。

 君はいったい、なにを言ってるんだね。

 だいたい、普通は、フジがやるからいいよ、だろう。百歩譲って、ありがとうパパ、じゃないのか。それに何のことだ、俺は制服をハンガーに掛けようとしてるだけで、その行動には『分離』とか『独立』とか、そういう政治的なメッセージなんぞは、込められてないぞ・・・。
 事実と息子の言い分はこうです。

 さすが、わが息子、彼はただ単に制服を脱いで床に放置する、などという凡庸な男ではなかったのであります。すなわち、この中学生は、下着、ワイシャツ、カーディガン、を一気に、それらのボタンをひとつも外すことなしに、脱ぎ捨てていたわけです。
 有り様は、『脱皮』です。
 僕は、下着は洗濯機へ、ワイシャツはクリーニング行きかな、カーディガンはハンガーに・・、とその脱皮した抜け殻を彼の目の前で分けようとしました。当然です。それを見た彼がその父を『分離派』と見做し、強く非難した、ということなんです。
 でも、なんでいけないんだろう?
 理解に苦しむ僕がさらに会話を重ねると、新たに驚愕の、といいますか、残念な事実が判明しました。
 なんと息子は、下校時に上述の『脱皮行為』を行うだけではなく、朝登校するとき(いつも僕が出社するときには、彼はまだ布団の中です。)、その抜け殻をなんとそのまんま、すっぽりと、-まるで『レイヤードTシャツ』であるかのように-、一気に装着していたのです。
 唖然とする僕に息子はさらに怒りをぶつけます。
 「パパ、昨日も『分離』したでしょ?」
 「へ?」
 「そのせいで、フジは今朝学校に行くのが遅れたんだからね!」
 
 中学二年生の発言とは思えません。
 うまく言えないけど、そうですね、道徳観というか、価値観というか、ううん、とにかく『なにかがずれている』ような感じがして、親としてはいろいろと、不安です。
 こいつの頭の中はどうなっているんだろう。
 さらに、そういえば、と僕は思いつきました。

 「おい、洗濯するとき、フジの下着の数が少ないように思ったんだけど、まさか一週間変えていない、なんてことは無いだろうな?」
 「ううん。」
 うむ、よろしい、『衛生観念』は人並みなんだな。
 「一週間じゃなくて、三週間くらい。」
 「!!」
 
 男所帯の悩みは深いです。

 それとついでながら、『男所帯ならではの父子の濃密な時間』を過ごす中で発覚した『フジの好きなお笑い芸人はね』、
 「サンドウイッチマンと、アンジャッシュと、マツコ・デラックスと、具志堅用高。」
 なんだそうです。
なんか・・・、ずれてませんかね?
 ===終わり===

 
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男所帯。

 これは、ひょっとしたら、根本的に大きな見当違いをしていたのかもしれない、と僕は思いました。

 ちょっと訳があって、さい君が急遽その南半球の土地に里帰りしたので(すわっ、今度こそ激しい家庭争議の果ての『実家に帰らせていただきます』だな、と思う向きがあるかもしれませんが、違います。今回もちょっとしたことからです。)、我が家は、暫時僕と息子の男所帯になっています。
 いざ、妻、或いは母が家庭にいなくなると(それも急に)、普段この男たち二人が如何に彼女に頼っているのか、を痛感させられます。なるほど、さい君がよく、
 「わたしは、あなたたちの女中さんじゃあ、ないんだからね!」
 と言っているのも、さもありなんといったところです。
 
 一昨日もこんなことがありました。

 「フジ、ただいまあ!」
 「んんむ、パパおかえり。」
 会社から帰宅すると、先に下校してソファでポテトチップスを食べつつテレビのアニメを見ながら父親を一瞥もせずに、淡々と、しかし、即返礼してくれた息子を確認し、僕は早速風呂場に向かいました。
 「うん??」
 服を脱ぎ捨てて風呂場に降り立った中年男子を、ある強烈な違和感が迎えます。
 「臭っ!」
 なんだ、ここに充満している異臭は??
 と、床のタイルに、息子の-しかも、よりによって黒い生地の-パンツが脱ぎ捨ててあります。
 「!!」
 そして、その下着ほぼ全面に、黒い生地に見事に映えた、黄色い下痢便がべっとりついているじゃありませんか!
 なるほど臭いわけです。
 「おい!フジ!!」
 僕は、風呂場の扉をあけると、リビングにいる中学二年男子生徒に、この暴挙の経緯と真意を糾そうと、彼を呼びつけます。しかし、聞こえてか、聞こえずか、なんの応答もありません。
 「おい、ちょっと!!フジ、こら!」 
 ・・・・無反応です。
 さい君はいないし、ということは・・・・俺にこれを洗えっていうのかよ。
 父親は全裸でリビングに行くわけにもいかず、といってこの事態に-下痢便と一緒に入浴するという光景にも、その悪臭にも-堪えられずに、義務感からではなく、危機管理の側面から、その大量の男子中学生の汚物を洗い流し、よくすすいでから絞り、風呂場に干しました。

 「おい、なんだ、あのパンツは?」
 風呂からあがると、僕は早速詰問します。
 「へ?」
 「へ、じゃない。すごい量じゃないか、学校でしちゃったのか?」
 「もう、うるさいなあ」
 うるさい???
 「あのね、学校で牛乳を飲みすぎて、うんちしたくなって急いで帰ってきたんだけど、家のトイレの前で、出ちゃったの!わかった?」
 平然と、-まるで、そうですね、明日の天気を聞かれたかのように-、かつ面倒臭げに言い放ちます。

 これは、ひょっとしたら、根本的に大きな見当違いをしていたのかもしれない、と僕は思いました。

 つまり、この男は存外『たいへんな大物』なのではないか、ということです。
 これといって取り柄もなく、いつもポテトチップスを頬張りながらアニメを見て爆笑している我が子を見て、彼の将来を思い暗澹たる気持ちになっていましたが、はて見当違いであったか??と思ったわけです。
 だって、なんなんとするところ中学二年生にもなって、下着に着けた大量の下痢便に平然としてられますかね。恥ずかしいし、親にも怒られそうです。だから、僕なら大いに動揺して、そもそも親が留守なのをいいことに、自分で下着を洗い、証拠隠滅を図ります。それをこの子は、汚物にまみれたままの下着を風呂場に豪快に放擲し、そのうえ、ルーティンワークを、-ポテトチップスのり塩味を食べながらのアニメ視聴といういつも作業をー、粛々とこなし、帰宅した父親にも何も報告せず、普通に応対したわけです。
 存外、器の大きな男なのかも・・・・。

 んん?でもちょっと待てよ。

 僕は、この事件の経緯と同じくらいに最前から気になっていた、ある疑問を彼に投げかけました。
 「それで、あれは『パパ洗っといて』って意味なのか?」
 僕が様々な圧力に屈して洗ってしまったことは、まだ彼には、自供していません。
 「違うよ。あとで自分で洗おうと思ったんだよ!」
 そうか。でも、そういうことはポテトチップスのり塩味を食べる前にしたほうがいいんじゃないか?と思い、黙りこむ父親に、彼は追い打ちをかけました。
 すなわち、テレビを見ながらこう続けたのです。

 「まあ、パパが洗ってくれても別にいいんだけどね。」
 『洗ってくれても別にいい』?????

 ますます大物感漂う発言です。
 
 なお、くだんのパンツは、そのあと、再度洗濯機で洗われ干されているところであります。
 もちろん、洗濯機を回すのも、干すのも、僕がやりました。
 男所帯もなかなかたいへんです。

===終わり===



 
 
 

カプセルホテル

 先日、さい君が、ひとりでカプセルホテルに泊まってきました。

 ええと、なんでさい君がカプセルホテルなんかに泊まったのか、という理由はここでは関係ないことなので記しませんが(別に夫婦喧嘩の結果『実家に帰らせてもらいます!!』のかわりにプチ家出をなした、とか、そういうネガティブな理由からではありません。そういえば、彼女は外国人なので、簡単に『実家に帰らせてもらいます!』っていうのができないのは、ちょっと気の毒ではあります。なにしろ彼女の実家は南半球なので、気軽に帰るというわけにはいかないです。別の角度から言えば、実際喧嘩が原因で、さい君が飛行機に乗って南半球の実家まで帰ったりするような事態になったら、それは我が家にとっては、かなり重篤な事態、ということになります。・・・・閑話休題。)、ちょっとしたことからです。
 とにかくも、家から電車で1時間程度のところに、一泊しました。もちろん、さい君にとっては初めての経験です。
 僕は、彼女に頼まれて、いろいろとインターネットで検索した結果、当該のカプセルホテルを予約したんですけど、探す過程で、なかなか新鮮な感覚を得ました。それというのも、筆者も実はかなり以前に一回のみ利用したことがあるだけで、そのわずかな経験と自身が勝手に抱いているイメージと現実の隔離、に勝手に驚いた、と言ってしまえばそれまでですが、カプセルホテル業界もなかなか競争が激しいようで、ただ安くて気軽にとまれるというだけではなく、皆さんいろいろと差別化を図られているようだと分かったからです。例えば、『飛行機のファーストクラスをイメージした』という狭さを逆手にとった豪奢感が溢れるものだの、外国人観光客を強く意識したものだの、女性専用フロアのあるものだの、 多様化しています。僕は、さい君の要望を伺って、その中で、 女性専用フロアがあるカプセルホテルを予約しました。
 宿泊翌日、帰宅したさい君に、どうであったか?と、早速カプセルホテルの感想を聞きました。

 「隣からものすごく大きなおならがきこえた。」

 そういうことじゃくて!
 従業員が英語べらべらだった、とか、アメネティが充実していた、とか、十分熟睡できた、とか、普通ホテルについてと言えば、その類でしょう?だいたい、『隣の客のおならの音が大きかった。』というのは、ホテルの感想じゃないです。
 なんだこの女は、と思いながら、しかし、唐突とはいえ妙に雄弁な事実の報告に、僕は笑ってしまいました。

 どうなんでしょう?
 その女性(当然女性専用フロアなので、隣人も女性のはずです。)は、隣には聞こえないと踏んで、自分の家にいるような感覚で渾身の一発を放ったのか(ええと、一般に女性がご自宅でお一人のときに、音の制御から完全に自分を解き放っておならをされるのか?という点については、僕はあまり知悉していません。実際、どうなんだろう?)、それとも、聞こえたって構いやしない、旅の恥はかき捨てだ、と大放屁をつかまつったのか、或いは、その方も外国の方で(さい君は、観光地の近くに泊りました。)、そういう状況でおならを聞かれることにはあまり関知しない文化や価値観の持ち主だったのか、と僕はいろいろと思いを巡らしました。

 ところで、この一件から、実はかくいう筆者も一度だけのカプセルホテルの宿泊の時、似たような経験をしたことを思い出しました。

 いやあ、飲んだ、酔った、どれどれ、おお、なんだ結構快適じゃないか、さあ、寝よう寝ようと僕はカプセルの中で横になります。と、横を見ると壁に、5センチx10センチくらいの小さい嵌め込み画面があり『よい子は見てはいかん』映像が見られるじゃありませんか。早速『心身ともに本気で』鑑賞を始めたら、突然、僕のカプセルのカーテンが開きました。なにごとならん、と振り向くとそこには、さっきまで一緒に呑んでいて、今は、僕のカプセルのすぐ下いるはずの田淵くんがおりました(彼は下の部屋から梯子で登ってきたんです。) 。
 そして、あられもない姿、かつ、人様には見せられない体勢をしている筆者にむかい、
 「もっと音量下げなさいよ!!」
 (本当にこう言ったんです。田淵くんは会社の後輩なんですけど、一緒に過ごした時間が長すぎて、たまに斯様な年上に対してとは思えない口の利き方をします。) と叱りつけました。そして、それだけ言い放つと、カーテンをしめて梯子を降りて行きました・・・。
あまりと言えば、あまりのことながら、一瞬呆気に取られた後、僕は恥ずかしく思ったり、おこったりする以前に、いやあ、そうかそうか聞こえておったのか、これは失敬、と一人カーテンの閉じられたカプセル空間の中で、だはははは!と呵々大笑しました。

 というわけで、老婆心ながら申し上げますが、これからカプセルホテルに泊まる予定があって、且つそういうのを隣人に聞かれたらちょっと恥ずかしいわ、という方は、おならと、『よい子は見てはいかん』番組、の音量にはくれぐれもご留意下さい。
===終わり===

光陰矢の如し。

 Time flies like an arrow.
 光陰矢の如し。
 むすこにいんもうがはえました。

 先日、部屋でくつろいでいたら、唐突にトイレから、息子の咆哮が聞こえてきました。

 「パパっ!!たいへんだああ!」
 「え?」
 「すぐ来て!早く!!」

 僕は、息子ももう中学生だし、トイレからほかならぬ男親を呼び立てるとは、なにごとならん、もしや・・・と、咄嗟に『いろいろな思いや覚悟』を胸に、シリアスに立ち上がりました。
 「早く、早くこっち来て!」
 「どうしたっ!?」
 僕がトイレに向かいながら緊迫しつつ叫ぶように尋ねると、息子は我慢しかねたか、僕の到達を待たずに報告しました。

 「かつおぶしがうんちにそのままでてる!!」

 申し訳ないが、僕にだっていろいろあります。
 それは息子から見たら、いつもいつも、所在無げにごろごろしているだけの、こぎちゃない中年かもしれないけど、父親にだって考えなきゃいけないこととか、対処しなければいけない公私にわたる問題とか、あるんです。あんたも、そのうちわかると思います。すまんことですが、いかな息子とはいえ、ご自分の排泄物の上で、ほかほかと煽られて、ふらふらとニョロニョロの如しに踊る、鰹節につきあってる暇はないです。

 阿呆らしい。

 僕は踵を返すと、息子の大発見を拝見することなく、部屋に戻りました。
 もっと他に興味が喚起させられることないのか、この男は、全く。
  最前の覚悟と比べて、結果のあまりのしょうもなさに気が抜けると同時に、彼はまだ勘違いしているな、と僕は鬱々となりました。
 なんとなれば、僕は息子の『友達』じゃないんです。憚りながら、その経験浅からぬ父親です。それなのに、彼が自分の収穫物に驚いて、咄嗟に他ならぬ母親ではなく、僕を呼びつけたのは、『踊る鰹節発見』をパパなら自分と同じ感動を持って迎えてくれるはず、と思いこんでいる、と推測されたからです。
 ありゃまあ、こいつまだ子供だなあ。

 ところがです。
 それは、僕にとって全く、意外なきっかけからでした。

 ある日、のどかな家族の会話中のこと、
 「あのさうちの子は、もう、いんもうがはえてる、ってしってる?」
 と、さいくんがなんの脈略もなく、大暴露を為しました。
 「・・・え?」
 本当なの?とか、もう長く一緒に入浴もしていないはずなのに、何故さいくんは知ってるんだ?とか、そういうのは、普通は、なんか前振りがあってからでは・・・と複数の理由から僕は呆然としました。
 すると、さいくんは、さらなる暴挙に出ました。
 「ほら」
 と軽く言うと、その時、ちょうど僕とさいくんの間に仰向けに寝転がって携帯ゲーム機で遊ぶことに熱中していた、息子のズボンと下着を一気に、強引にずり下ろしました。
 息子の股間が露わになり、さいくんが指さします。

 本当だ!!

 数えられるくらいの僅かな本数の、数ミリの毛達が、背の低いニョロニョロの如しにさわさわと、しかし確かにあるではないですか!
 「おおおお!」
 「ね?」
 おい、あんたなんてことをするんだ、というさいくんの行為への驚きも、息子の股間の、その雄弁な事実が追いやってしまい、かくて我が家では父親と母親が、ゲームをする我が子の股間に左右から顔を近づけて『息子の陰毛発見』、-なにしろ、まだ黒々としているわけでないので、近くに行かないと見えないんです。-、という異様な光景が展開されました。
 息子は、その時、
 「やめてよー」
 と、-しかしあからさまに緊張感に欠ける口調で-、『息子の陰毛発見』を拒んでいましたが、仕掛中のゲームの方が大事と見えて、両手はゲーム機を握ったまま、視線もゲーム機に向けたまま、でむなしく腰をくねらせるだけでした。
 僕は、驚きと共に、再び、なんだこいつは、下半身をのぞかれることより、今やっているゲームの状況を維持することのほうが大事だっていうのか、と呆れました。
 ふうむ、ともかくも、知らぬ間に我が子も確実に『思春期』という時期にさしかかってきたんだなあ、これは、あっという間に心も大人になってしまい、踊る鰹節に驚くような言動も早晩なくなっていくに違いないです。
 父親としては深い感慨に浸ります。

 ・・あれ、そういえば、今日は、さっきから息子の姿をみかけないぞ?
 「あ、おとうさん?うん、いま、いないよ。」
 ちょうど、僕の父から電話があり、孫を探しているようで、さいくんが片言の日本語で対応しています。
 そうか、あいつ、家にいないのか。
 「うん、でかけた、こーえんいったよ・・ううん、ちがう、ひとり。・・かえるの、たべものさがすって。」
 その股間に陰毛をしたためもって、蛙の餌探しに公園へっ、て・・なんかやっぱり幼稚です。。
 こういうメンタルとフィジカルのアンバランスな同居こそが思春期っていうものなのかしらん。

 いずれにせよ、時間は静かに、しかし確実に息子を大人にしていくんですね。

 Time flies like an arrow.  
 光陰矢の如し。
 むすこの陰もうニョロニョロの如し。

 筆者が色々なところに、しらがをしたためているのも宜なるかな、ってところです。


===終わり===

 
 
 
 

沼津。

 筆者は、その言動において極めて平凡な人間で(少し残念な告白です。)、人生の道程もまことに凡庸で、かつ、後ろ向きな意味で、先もだいたい見えちゃってます(著しく残念です。)。
 しかし、そういう僕をしても、『ふうん、生きているといろんなことがあるんだなあ』と思わしめることが、あります。そして、そういうことは、たいてい唐突に出現します。

 先日も、こういうことがありました。僕はキッチンにいるさい君に背中を向けて、リビングの机に座り、パソコンをいじってました。息子は、キッチンに、はす向かいになるような形で、リビングのソファでテレビを観ておりました。
筆者の人生によくありがちな光景です。想像してください。とてもこの状況から何か突飛なことが現れる、とは思えません。
 しかし、突然、ほんとうに突然です。それは現れました。
 「ええと・・・」
 キッチンのほうから、さい君の独り言なのか、誰かに話しかけているのか定かではない発言が聞こえてきました。僕も、息子も、ほとんどそれには反応しません。
 「ええと・・・」
 何か思いだそうとしてるみたいです。
 「ええと・・あれ・・・・」
 うう、最近、このパソコン立ち上がるまでに時間がかかりすぎるな、修理に出したほうがいいかな・・・。

 「そう、チンコジル」

 「!」
 「!」

 僕と息子ははじかれたように、キッチンの方を振り向きました。そこには、冷蔵庫のドアを開けながら、その発言とは程遠い柔和な表情で、夫と、息子に惜しげもなく微笑みを振りまくさい君の姿が・・・・。
 驚愕です。
 だって、『奥さんや母親に、チンコジルって言われること』って、『大抵の人の人生においては想定外』ですよね?僕も、息子もその例に漏れなかったからです。

 さて、ここで、僕は正直に告白しなければなりません。
 実は、さい君のこの言葉を聞いた刹那、咄嗟に僕の頭に浮かんだのは、
 「チ ンコジル」
 でもなく、
 「チン コジル」
 でもなく、紛うことなく、
 「チンコ ジル」
 だったということを。
 ばっちいですが、瞬間的にそういう言葉が浮かんだんです(年明けからすみません。でも本当なんです。)。

 これは、一体どういうことなんだろう。

 筆者の人生は、いつ、どこで、どう転んで『真っ昼間、家族団欒中に、自分の配偶者からチンコジルとニコニコしながらいわれる』というマイルストーンを経過するコースに入りこんだんだろうか・・・、不思議だ。
僕みたいな退屈な人間でも生きていると、本当に思いもかけないことに出会うんだな。チンコジル、チンコジル、ちんこじる・・・・・。
 いろんなものが錯綜し、結果、無言で呆然とする父親をよそに、息子が言いました。
 「ママはさ『ちんすこう』って言いたいんじゃないの?」
 なるほど、彼のほうが冷静です!
 さい君は日本生活がすでに十年以上経過しているとはいえ、いまだに日本語が不自由で、『今度なまずに行くんだよね?』と言ったりします(正解は、もちろん沼津です。沼津市関係者の皆さん、ごめんなさい。故意ではないです。)。

 ああ、そういうことか、ちんすこうね、よく聞く言い間違いで『ちんすこう』を『ちんこすう』(どこで区切るかは各々のご判断にお任せします。)っていうのも聞いたことがあるからな、と僕は息子の対応に感心して、黙ってさい君の対応を待ちます。
 「違う、違う、ジルよ、ジル!』
 と飽くまで『ジル』に拘泥する、さい君です。
 ふうむ、どうも、『チンコ ジル』と区切った僕の瞬間認知は間違っていなかったようで、『ジル』は確かに『汁』みたいです。じゃあ、その前の三文字は??
  
 ・・・・・その後も家族みんなで暫し議論を重ねた結果、さい君が言いたかったのは、『ちゃんこじる』だった、ということがようやく判明しました。
ううむ確かに、比べて見ると『殆ど正解』です。小さい『や』を飛ばしただけなので、外人の立場からしたら許容して欲しいところでしょうけど ・・・。
 なあんだ、そうか、ちゃんこじるか、でも『ちゃんこ』ならよく聞くけど、『ちゃんこじる』ってあんまり聞きなれない組み合わせの日本語だな、どこで覚えてきたんだろう?(ちゃんこ汁と、あと、そうだな、相撲関係者の皆さん、ごめんなさい。例によって他意はないです。)
 まあ、年が明けてるのに日本人を捕まえて、
 『ヨイオトシオ』
 なんて言うくらいの人だから、まだこれくらいの間違いはあるか・・・。
 
 あ、それから、『ちんすこう』関係者の方、ごめんなさい、他意はありません、いや、本当に。
 あと、『ちんこすう』方面(??)の皆さん、これまた別に他意はないです。

===終わり===

大人であること。2

 僕は、このブログの中では意識してプライバシーを露出することは避けているんですけど(ええ、これで?って思われるかもしれませんが、実は、そうなんです。『書けないこと』或いは、『書きたくないこと』が結構な量であります。本当です。そっちの部分のほうが他人様には興をそそられるかもしれないですが、そこは別問題ですから。)、今回の出来事を説明するために、述べておかねならないことがあります。

 それは、僕が、『大人で、かつ、こきちゃない中年男性であること』です。
 なんだ、そんなことか、と思われるむきもあるかもしれませんが、今日は僕が、こきちゃない中年男性である、という事実そのものではなくて、そのことに基づいたある出来事について、の話です。

 実は、先日電車の中で、痴漢と間違えられました。

 ええ!
 そうですよね、『ええ!』ですよね。
 正確にいうと、ちょっと違うかもしれないけど、でも、振り返ると、あれは『彼女は程度の差はあれど、僕を痴漢扱いした』んじゃないだろうか、と思われるんです。

 その日、確か帰宅途中の電車だったと思います。車内は比較的空いてました。
 僕は、地下鉄の座席のドア横に席を得て、体の左側を仕切りにもたせて寝ておりました。なんでもない状況ですよね。と、途中で、いきなり、夢心地ながら、右太股にごくごく軽い違和感を感じました。
 うん?
 目を空けて、なんだろう、と確認する間もなく、僕の右太股は、今度は激しく『バシン!』と叩かれました。
 え?
 一体何がおこったんだろう、と呆然としながら右隣を見ると、そこには30代と思しき女性が座っていて、僕を睨めつけています。
 はあ・・・・?

 どうやら、こういうことだったようです。
 
 僕は、自分で気がつかないうちに、リラックスするあまり、寝ながら足を広げて、それで、僕の右側の太股が右側に座っていた女性の太股に密着していて、それを不快に思った彼女は、彼女の左手を二人の太股の間にこじ入れて、『ここをあなたはさっきから密着させているのよ!』という具合に『線引き』をするように『ずりずり』と掌を-足の付け根あたりから、膝くらいまでです。-ずらし(ここで、寝ている僕が、軽い違和感を感じたわけです。)、さらにダメ押しで、『くっつくんじゃないわよ!てええい!』と僕の足にご打擲を-激しいチョップですね-『バチン』と喰らわした、ということだったんです。

 唖然としました。

 彼女の(僕より先に座っていたのか、僕のあとに座ったのか、それすら知りませんでした。そんなこと『痴漢ではない通常の乗客』にはどうでもいいことですよね。)態度は、今思うと-今、思うと、です。その時は、あまりことに判断能力が働きませんでした。-『うしろめたい欲望を持って、寝たふりをしながら太股をすりすりと密着させてきた奴』に対するそれ、じゃないですか。
 なんだって彼女がそういう行動に及んだのか、その瞬間は全く理解できなかったんです。
 たまたま密着した隣人にチョップなんか喰らわせないと思うんです、普通は。
 『ずりずり、てえい!バチン!』ですから。
 これは、ドラマなんかで見る『典型的な痴漢扱い』と程度の差こそあれ、立派に僕を痴漢扱いしてますよね。

 幸い(だから、僕が『幸い』とか言う次元のことかな?)その件は、おおごとになりませんでした。
 でも、本稿を書くにあたって、いやあ、ひでえ目に遭ったな、世の中には変わったひともいるもんだ、ふうむ、あれは痴漢扱いからきたチョップだったんだな、と振り返りながら、その時、僕がとった行動をつらつら考えると、ちょっと背筋が寒くなりました。
 なんとなれば、唖然としながらも、彼女の『無言の主張』を『これは、故意ではないにしろ、太股が密着していることに対する強い懸念』とそれに伴う『やや常軌は逸してるものの外交的な、武力を伴った強い抗議である』と、それなりに解読した僕は、なんだこの女は、と思いつつも、面倒だな、と
 「・・・すみません。」
 と言って反射的に謝ってしまったんです。
 ただし、それは『痴漢として謝った』のではなくて、『故意じゃないながらも、足を密着させてしまっていたようで、どうも』と、(あたり前です、僕、痴漢じゃないので)、『やや常軌を逸していると思われる強い抗議』に気押されて、『半ば条件反射的に呼応』した、だけだったんですけどね。
 そして、なんなんだ、と思いつつも、必要以上に太股同士の距離を離し、再び寝入ってしまったんです。
 つまり、その時は、うわ!痴漢扱いされた!!という感覚は薄くて、『ほう、このひとは隣席の人との体の接触に神経質な人なんだな、だからってチョップすることはないけどさ、ああ、災難だ。』という程度でした。

 でも、この構図って、危なっかしいです。
 なぜなら、単純に、

 『太股すりすり、やめて!』 → てえい!チョップ!→ 『はあ、ごめんなさい』

 って、これは今思うと、もし、彼女の行動が『痴漢扱い』だったら(そして、どうも痴漢扱い、の可能性は否定できかねますよね。)、なんだか僕が『痴漢として全面的に然も間髪入れずに非を認めてる』みたいに見えるじゃないですか。
 以前、冤罪で痴漢扱いされて人生を台無しにされた、と主張する人の話を読んだことがあるんですけど、確か『指摘されて咄嗟に謝ったことで、逆に痴漢行為を認めたとみなされてしまった』とあったと思います。

 う~~ぶるぶるる、あぶないあぶない。

 さらに、僕は、思うんです。
 『痴漢扱い』だったのか『単なる強い抗議だったのか』否かに限らず、太股が密着しても、これがひょっとして女性同士だったら、彼女はチョップなんかしなかったんじゃないか、と。
 女性同士だって、太股くらいくっつくじゃないですか?けれども、『女性が女性に打擲にまで及ぶ』っていう光景はなかなか想像しづらいです。
 いや、待て待て、仮に男性でも、これが『清潔感あふれる、若者』でも冤罪は免れていたのでは????
 つまり、僕が『脂ぎったこきちゃない中年男性』だったから、そういうバイアスのかかった見方をされたに違いなんです、きっと。
 
 大人でいること、もなかなか切ないです。

 というわけで、大人が地下鉄の中での隣席の乗客と太股を密着させても(だから、そんなことをした覚えはないんですけどね。そういう技巧を操る本物の痴漢て、いるのかしらん?)、ブログに書くことがひとつ増えるくらい、でいいことはありません。
 みなさんも、特に、体の大きな、こきちゃない中年男性の読者の方、気をつけましょう。
 ふんっ、失敬な!

===終わり===

 
 
 
 

大人であること。1

 先日、不覚にも、息子の発言を聞いて大笑いしてしまいました。

 息子がお世話になっていた小学校では、一年生が入学してくると、最上級生である六年生が指名されて入学のときに学校でのお兄さん役をやります。
 息子が入学式のときも、担当の六年生が教室までやってきて、息子の手を引いて連れていってくれたことを記憶しています。
 「パパ、こないださ、フジが一年生の子とペアになってさ・・」
 ほう、いつのまにかわが子もそういう年齢になったか、早いものだなあ。
 僕は多少の感慨をもちつつ、息子の言うことを聞いていました。
 「うん。」
 「それでね、その子にね、」
 「ふむ。」
 「俺さ、外国語しゃべれるんだぜ、ほら!ってね、しゃべってみせたの。」
 何度も書いてますが、彼の母親は外国人で日本語があまりうまくないので、息子と僕のさい君との会話は、ほとんどさい君の母国語です。
 「へえ。一年生驚いただろ?」
 「それがさ、全然なんだよね。」
 「へえ、なんで?」
 「『そんなの、ろくねんせいなんだから、あたりまえじゃん』だって!」
 !!!
 「ハハハ、そうか『ろくねんせいだからあたりまえ』か、ガハハハハ!」
 「おかしい子だよね、パパ、ハハハハ!」
 「いや、まったくおかしい、ハハハ!」
 僕は、心ひそかに、いや、息子よ、俺が虚をつかれて笑ってしまったのは、その一年生の子がおかしい、のではなくて、あんたとは違う次元で感情移入して笑っているしまっているのであるぞよ、と思いつつも二人でしばし笑い合いました。

 僕は大人です。かつ、大人として年齢を重ねている最中であります。
 そして、このことは、いろんな人がいろんな場面で言われているので、おそらく多くの方が実感されていることだと思うんですけど、僕は、大人になってみて、自分が子供の頃抱いていた、あるいは実際にそうだったかもしれない、大人達との程度の差に頻繁に愕然とします。
 ええ?子供のときの、だいがくせいって知能の塊に感じたけど、大学生になった俺って、この程度?中学のときの、柔道部の顧問の先生と同じ年齢になったのに、この未熟さはどういうこと?はあ?高校のときの、担任の先生ってひょっとして当時まだ40代なの、めちゃくちゃ分別があったじゃん?うお、俺が新入社員のときの、田中さんって、当時入社5年目かよ、俺の5年目はこんな若輩者ぶりなのに、田中さんは課長くらいの貫録があったな・・・・。
 というように、年齢を重ねるたびに、かつて自分の周りにいた人たちの、『大人ぶりの正しさ』と、わが身を比べて驚愕するわけです。
 『大人ぶりの正しさ』というのは、僕が子供のころ、あるいは、若かった頃に抱いていた、『大人とはこうあるべき』或いは、『大人とはこういうふうに見えた』という姿です。

 ええと、そうですね、個人的かつ卑近な例でいうと、大人は些細なことで感情的にならない、パンツは汚さない、電車でお年寄りが前に立っても寝たふりはしない、高校球児は子供に見える、自慢しない、マスターベーションはしない、やることは概ね正しい、ガンはつけない、陰口は言わない・聞かない、人によって接する態度は変えない、諺は全部知ってる、弱音は吐かない、白人に遭遇してしまっても狼狽えない、休みは土日だけで充分、人に言えない秘密は無い、ランチは普通盛り、夢や目標からちゃんと逆算して毎日を生きている、セックスの技巧はバラエティ豊かだ、他人の嫌がることはしない、漫画には興味がない、自分の評判は全然気にならない、拾った一万円は交番へ、投票所で刹那的に候補者を選ばない、くさやがうまい、酒盗もうまい、終身雇用年功序列、就職や結婚を勢いで決めない、北の湖の現役時代が若者に思える、『同期の江島の昇進は運がよかっただけだ』などとは思わない・言わない・・・・・・・まだいっぱいあります。

 逆にいうと、僕は上述のことと全く逆であるわけでして、いちいち驚愕するわけです。
 「ええ、俺が抱いていたXX歳はこんなんじゃないはず!俺の周りには『進撃の巨人』17巻の発行日をチェックしているうような大人なんかいなかったぞ。」
 ってね。

 一年生のお子さんからしたら、六年生っていうのはものすごく大人に見えるんでしょうね、きっと。それで『ろくねんせいなんだから、がいこくごがしゃべられるくらいでいばるんじゃないよ、そんなのあたりまえじゃん!』って彼は思ったんでしょう。
 僕は、日頃自分が思っていること、つまり、『自分が接してきた大人にくらべて、自分はあまりに未熟だ』、あるいは『おう、そうか、あのとき、本田先生もひょっとしたら、職員室の中で、そりがあわない先生がいたりしたのかもしれないな』という感覚を、思わず、その一年生の発言に重ねてしまい、
 「いや、ある意味、ごもっとも。でもぼくちゃんもいまにわかるよ。」
 と瞬間的に思って笑ってしまったわけです。
 別に『変な子だなあ』と思ったわけじゃないです。
 「おかしいよねえ!」
 いや、だから、パパは『大人』だから、そういう単純なことで笑っているのでなくて・・・・、ま、いいか、そのうち息子もわかるでしょう。
 === 終わり ===

 

常連。

 僕は、そのお店に行くことをとても楽しみにしていました。
 
 本ブログの読者で、彼とは明らかに面識のない複数名から、
 「山案山子はどうしてる?」
 と、お問い合わせをいただいたことがあります。
 これは、大袈裟に言うと、このブログの中で、山案山子くん(仮名)そのひとの人格が生き生きと躍動している、ということであり、筆者としては嬉しい限りです。もっとも、僕は、彼の言動や、彼といたときに起きたことの顛末を、事実として並べ立ててるだけ、なんですけどね。
 と、いうわけで、今回も山案山子くんに絡むお話です。
 山案山子くん、ありがとう。

 それは、僕が南半球の某国に駐在しているとき、ある年末、久しぶりに日本に一時帰国したときのことです。
 僕が、海外から、今度日本に帰るから、呑みに行こう、と連絡すると、そこは、なりは大きくても(山案山子くんは確か、185センチに迫ろうという、わがラグビー部の大型FBです。)心根優しい彼のこと、素直に喜んでくれました。
 「じゃあ、あの店に、12月28日に行こう、その日は忘年会で、俺も呼ばれているからさ。」
 友あり遠方より来る、楽しからずや、友人とは嬉しいものであります。山案山子は早速に僕との吞み会を設定してくれました。
 そこは、ある駅のすぐそばの路地に位置した、開店してからまだ日の浅い小料理屋で、清潔な白木のカウンター席に、テーブル席が二席、座敷が二席という、若い無口なご夫婦が彼らだけで切り盛りしているお店で、小さい構えながらも料理のおいしいお店でした。僕は、それまでも何回か山案山子と一緒に行ったことがあります。
 なんでも、
 「その忘年会は常連客限定だからさ、きっといつもとは違う特別な料理がでるよ。」
 との山案山子の言でした。
 これは、したり。いまどき、もちろん、僕が駐在していたところでも日本食にはありつけますが、やはりそこは海外、しかも南半球、品種の多さや味のレベルには自ずと限界があります。
 久しぶりに母国に帰り、気の置けない友人と味は保証された小料理屋での、しかも特別な料理、これはいいです。自他共に認める、飲兵衛の山案山子ならではの供応です。
 僕は、日本に帰国する前から、その日をとても楽しみにしていました。

 さて、当日、僕と山案山子はいそいそと連れだって出かけました。
 「いらっしゃい。」
 若大将の笑顔もこころなしかいつもより、豊かです。
 僕らの期待は、いやがうえにも高まります。
 見回すと、まだ客はおらず、僕らが最初の来店者のようです。二人は、カウンターに座り、まずはビールを注文し早々と乾杯しました。
 「今日はさ、『常連だけの忘年会』だから、メニューからのオーダーじゃないと思うんだよね。」
 と、山案山子は、にこにこします。
 おお、なるほど、なるほど、そういうことなら、つまみを注文するのも無粋だな、と僕は納得し、しばし期待感を肴に、山案山子とビールを酌み交わします。
 と、他の常連さんが、三々五々やってきました。
 やあ、来たな。
 みなさん、いつもより高揚感があります。
 「大将!これ買ってきたから!」
 その常連さんの手には、天麩羅と思しきお惣菜がありました。ほほう、これは粋ですね、僕ら若輩者はこういう配慮はなかったです。高価なものではなく、そこらへんで売っているお惣菜と思しきものですが、常連としてのせめてもの心遣い、ということでしょう。
 「いらっしゃい!」
 次々にやってきます。今度は『回転寿司のそれ』とわかるお持ち帰り品が手にあります。みなさん、わきまえておられるのだな・・・。
 
 そうこうするうちに、広からぬ店内は、『常連』でいっぱいになり、そのお惣菜や寿司もみなさんに供されて宴らしくなってきました。
 しかし・・・・・。
 なんか、おかしいなあ。
 そうなんです、待てど暮らせど、一品の料理も店側からは出てきません。そのうち、僕の心で小さくともり始めた懐疑に、油を注ぐようなことが起き始めました。
 なんと、いつもは黙々とカウンターの中で料理を拵えている大将が、前掛けを外し、カウンターから出てきて酒を飲み始めたんです。
 大きな声で、陽気に、しかも、いやに饒舌です。
 ん、こんなにしゃべる人だったのか。??あれれ、あんた、仕事しなくていいの?客と一緒になって酒なんか飲んでたら料理どころじゃないんじゃ・・・・。
 僕と山案山子は、だあれも拾ってくれない期待感と食欲をもて余しつつ、半ば呆然とその光景に見とれていました。
 「おい、これって、どういう・・・・」
 「うう・・・・」
 山案山子は苦渋の表情で、考えあぐねています。
 常連客と大将の、お惣菜と回転寿司をつまみにした宴は、僕らふたりの肩すかし感をよそに、ますます喧騒を増します。
 『いつもとは違う特別な料理』は・・・。

 そのうち、山案山子が、申し訳なさそうに、小声で言い出しました。
 彼は何かに気づいたようです。
 「あのさ、これはさ、俺の勘違いだったみたいなんだけど・・」
 「だけど?」
 「『常連だけの忘年会』っていう意味はさ・・」
 「意味は?」
 山案山子は、さらに声を潜めていいました。
 「つまりさ、その、『常連客を特別にもてなす』んじゃなくて・・・」
 「なくて?」
 「『常連客が大将を特別にもてなす』っていう会みたいだったんだよね、どうも。」
 だよねどうも、じゃないです。
 なるほど、来る客、来る客が手に手につまみを持ってきていたことや、大将が働くそぶりも見せずに、酒を食らって笑っていることも、そういう風に考えれば得心します。だた、僕ら二人の『常連とその友人』のみは、この会の趣旨やシステムを理解せずに、あさっての期待感をいだき、勝手ににやにやしていただけ、ということのようでした。

 さようか・・・・。
 つい何十時間前まで、南半球にいた僕は、期待が大きかっただけに落胆もかなりのものでした。
 しかし、まあ、そういうこともあろう、かなりがっかりしたけど、ここは山案山子を責めたてたら『特別な料理』が出てくる、のならともかく、そういうことではないみたいだから、彼を責めてもしょうがない。
 それが男同士の友情というものだ、うん。
 しかし、限られた日本滞在時間を、スーパーのお惣菜と、お持ち帰りの回転寿司(スーパー関係者の方、回転寿司関係者の方、誤解しないでください、個人的には両方とも好きです。ただ、その時の僕は『日本でしか味わえない非日常感への期待感』でいっぱいだったんです。)と共に過ごすわけにはいかないな、と僕は思いました。
 「おい、」
 「ん?」 
 僕は小声で言いました。
 「山案山子、出るぞ。」
 「え?」
 「そら、そうだろ、俺はこんなことのために帰国したんじゃないぞ。限られた久しぶりの日本での時間を、お惣菜と回転寿司に使うわけには行かないから、河岸を変える。出るぞ!」(繰り返しますが、お惣菜関係者と、廉価なお寿司屋さん関係者のみなさん、ごめんなさい。)
 ところが、その提言に対する山案山子の反応は予期しないものでした。
 即ち、彼は一応申し訳なさそうな表情ではあったものの、こう言い張ったのです。

 「いや、こんなに短い滞在で出ていくと、俺の常連客としての面子が潰れるから、ここは我慢してくれ。」

 ・・・・・・。
 とどのつまり、僕は、望まぬ境遇に居続けることになりました。その後のことは覚えていません。覚えていないくらいだから、ろくでもない時間を過ごしたんだと思います。

 と、いうわけで、今回は『筆者の親友、山案山子は、いざとなると友情より自分の酒呑みとしての面子を重んじる男である』という、お話でした。
 もちろん、今回も山案山子(仮名)には無断で書きました。


===終わり===

ご無体な。

 「ちょっと!これは大事なことなの。絶対に怒らないから、本当のことを言って!」

 その日は休日で、さい君は朝から電車で数駅の繁華街に出かけておりました。
 僕と、息子は家でくつろいでいました。
 と、そこへさい君から、僕の携帯電話に突然電話があり、いきなり冒頭のようなことを言われたわけです。
 「へ?なにそれ?」
 「いい?これはとっても大切なことだから、それに、怒らないから、本当のことを答えて!」
 だから、どうしたんだよ。
 「はあ。」
 「ケイタ、あんたね、最近、携帯でアダルトサイト見た?」
 「え?」
 「見たの、見てないの!?」
 さい君はいやに真剣で、かつ高圧的な態度です。困ったなあ、まだ日の高いさなかになんでそんなことに対応しなきゃいけないんだろう。
 「なんで?」
 「YESかNOか聞いてるのよ!見たの!?」
 「だから、なんで?」
 実は、見たんであります。
 「あのね、そういう閲覧履歴があるの、それもここ最近!」
 え、でも・・
 「で、でもさ、それってユウの携帯電話の履歴でしょ?」
 夫は、まだ最悪の事態を回避しようと試みます。うちには、僕、さい君、息子用、と三台の携帯電話があります。このことのあった当時、まだ12歳だった息子には携帯電話をもたせよう、という意図はそもそも僕ら夫婦にはなかったんですけど、たまたま、携帯電話端末の三台目を無料で入手する機会があって、息子がひとりで遠出するときに、迷子にならないように、とその携帯電話をもたせてから、『なし崩し的に』息子が三台目を使用しています。 
 でも、そういうものにからっきし弱いながら、僕の理解では、それぞれの端末からアクセスした履歴は、ほかの端末からは見られないんじゃ?
 「そう、私の!でもね、履歴はわたしが見られることになってるの!」
 「え、なんで?だって違う端末だから、・・」
 「それは今、どうでもいいの!とにかく見られるのよ!」
 ますますシリアス、かつ威圧的にさい君は続けます。
 「それでね、ここ最近にうちの誰かが、そういうサイトを見た形跡があるの、ケイタじゃなかったら、フジしかいない、だから大事なことだって言ってるのよ!」
 それ、本当かな、違う端末なのに。でも、なるほど、12歳の少年がアダルトサイトにアクセスしたかどうか、という問題は家庭的には確かに看過できない問題ではあります。
 けれども・・・・
 「見たの、見ないの?」
 「・・・・・・」
 「怒らないから!」
 これはやはり、本当のことを言ったほうがいいなあ、
 「みた・・・」
 タッチーなことなので、ちょっと離れたところでひとり遊びをしている息子に聞こえないように、声を潜めて、真剣に、かつ端的に白状します。
 「いつ?」 
 僕は観念して、そして、さい君の怒らないから、という趣旨に頼んで、洗い浚い正直に答えることにしました。
 「二週間・・くらい・・前。」
 「ふうん。」
 なにやらさい君は考え込んでいます。
 ここは真相解明のために『どういうサイトを閲覧したか』も白状したほうがいいのかな。はて、『人妻・巨乳』というワードで検索したことも言うべきかしらん。
 僕が生来の小心者ぶりを如何なく発揮し逡巡していると、さい君は、
 「そう、わかった。」
 と言うなり、電話を切ってしまいました。

 数時間後、僕は、緊張した面持ちで、-いろんな意味においてです。-帰宅したさい君を出迎えました。
 さい君は僕を、息子から離れた部屋に連れ出します。
 「いい?」
 「うん。」
 「これ、ケイタが見たサイト?」
 なるほど、どういう仕組みなんでしょうか、さい君の携帯の画面には、それらしいタイトルが履歴として並んでいます。
 僕とさい君は、ふたり黙って真剣に、その履歴を追っていきました。
 
 『おっぱい・・』
 『おっぱい・・』
 ん?おっぱい??なんだか、いやにけれん味のないストレートな検索の仕方だな・・・・。
 続きます。
 『おっぱい・・』
 『おっぱい・・』
 『おっぱいポロリ』
 ポ・・・?
 『おっぱい・・』
 『おっぱい・・』
 『ラッスンゴレライ』
 ?? ラッス・・・・
 『おっぱい・・』
 『おっぱい・・』
 『進撃の巨人』
 !!!
 『おっぱい・・・』
 『おっぱい・・・』
 ははあん、これは俺の履歴じゃないなあ、あいつだ。
 なにしろこっちは『進撃の巨人』じゃなくて『人妻で巨乳』だからな。
 配偶者としての虚脱感にも似た安心感と、父親としての一丁前な責任感、が僕の心に同時に押し寄せてきて、奇妙な心持になりました。
 なんだ、ゲロする必要なんてなかったじゃないか・・・。
 さて、どうやってさい君に、これは旦那の仕業ではなく、息子の所業である、と説明しよう。
 と僕が、八割型自己保身のために考え迷っていると、どうも、自分のことを言っているらしい、とうすうす感づいていた息子がふたりのもとにやってきて、簡単に自白しました。
 曰く、
 「ママが男の子は女性の裸や、おっぱいに興味を持ち始める時期がある、と言ってたから、そういうものかと思って、検索してみたけど、別にどうも思わなかった。反省してるし、恥ずかしいからこの話題はもうやめて!」
 ということでした。
 僕は一応、だめじゃないか、とは言いましたが、その実内心は、ま、いまどき、男の子ならいつかは通る道だな、とも思ったわけであります。
 
 ・・・・ところで、僕にとっては、肝心の『絶対に怒らないから!』というさい君の口約束ですが、これがまるで履行されずに、
 「あなたは、妻帯者でありながら、私に隠れてなんでアダルトサイトなんか見るんだ!」
 と激しく叱責され、挙句、暫く口を聞いてくれませんでした。
 『見た』と言うだけでこういう仕打ちだから、『人妻・巨乳』で検索した、なんて委細が露見したらたいへんなことになっていたところです。
 ご無体な。
 世のご主人様方も気をつけましょう。

===終わり===

 

 

企業の経済活動

 「いや、それが振り込まれるのが来週だから、ちょっと待ってほしい。」

 先日、図らずも『企業の原始的な経済活動』を身近で見聞する機会を得ました。

 さい君が、地元の外国人援助団体の依頼により、ある催しで模擬店を出しました。
 『お国の特徴的な食べものを』という趣旨だったので、さい君は、①えびせん南半球風、②クッキー南半球風、③緑色のシフォンケーキ南半球風、を何日かかけて調理して用意しました。
 当日は、息子が販売助手として連れて行かれたそうです。その際、さい君は、息子に、手伝ってくれたらお小遣いをあげる、という甘言を弄して彼を助手とすることに成功したようですが、行く前に、僕が、ふと気になって、息子にはいくらあげるつもりか、と尋ねたらさらりと、
 「利益の20%。」
 と応えました。
 なんだそら、親子間の約束としては、ちとドライすぎないか?だいたい、利益が少なかったらどうするんだろう、『1,000円あげるから』くらいでいいんじゃ?
 でも、さい君は、
 「いや、そういうことを学ぶことも、彼には大事だから。」
 と言って平然としています。
 さすが、恐るべし、中国系南半球人です。
 これは、企業同士の経済活動に敷衍すると、いわば『販売代理店と諾成による(それはそうです、まさか、さしものさい君も、息子と契約書を交わしたりはしてませんから。)成功報酬契約の締結』をした、ということですね。
 ちょっと僕にはこういう発想は浮かばないです。

 さて、当日、あなうれしや、息子の奮闘もあってか、さい君の三種類の商品は、催し物が終了する前に完売したそうです。ありがたいことです。売上げは、総計6千なにがし円になったそうです。
 これは企業活動でいえば、損益計算書に売上げが計上されて、かつ、貸借対照表の借方の『在庫』が綺麗にゼロになっている、ということですね、結構なことです。
 一連の販売を終了したさい君は、帰宅すると、息子にあげる『成功報酬』の計算を始めました。
 すごい、言葉だけじゃなくて、この人本当に利益の20%をあげるつもりなんだな、と改めて感心しながら、しかし、僕は、黙って、彼女の上下する電卓を叩く指を観察しつつ、同時にさい君が、ぶつぶつとつぶやく『計算根拠』に耳を傾けていました。
 「ええと、クッキーの材料は、卵と小麦粉と・・・それからえびせんの材料は・・・それと、袋代とリボン代と・・・」
 ずいぶん細かく計算してるなあ、そんなのだいたいでいいんじゃないの・・・。
 暫く後、さい君は、『利益は2,600いくら円』という数字を導き出し、ひいては『フジの取り分は520円』と結論づけました。
 ここで、僕が興味深かったのは、彼女の利益の計算の仕方です。つまり、彼女は、たいへん細かく計算したとは言え、息子に与える利益の根源を、損益計算書上で言えば、売上高から売上原価をひいた、『売上総利益』をもとにしたんですね。これは息子にとっては幸いだったといえるでしょう。だって、さい君が、さらにその2,600円から、『販売管理費』、-まあ、そんなものは無いに等しいですが、引こうと思ったら、今回の販売活動にかかった『交通費』とか、主たる売り子であったさい君の『当日の人件費』とか、まあ、ひねくりだすことは可能なわけです。-を引いた『営業利益』だの、さらにその下の『経常利益』だの『純利益』だのをもとに息子の『手数料』を計算しなかった、わけですから。
 この520円という金額が果たして一日の労働への対価として妥当だったかどうか、はともかく、販売代理店である息子は、雇用主である母親からの『あんたの取り分は、520円』という通告を素直に喜んでおりました。

 さて、その数日後のことです。
 息子が友人に大真面目な顔で、
 「シュンケイ?いや、それがさ、まだなんだよ。え?いや、それが振り込まれるのが来週だから、ちょっとまってほしい。」
 と電話していました。
 なんだなんだ?とさい君に聞いて見ると、さしものさい君が、笑いを堪えながら教えてくれた話を要約してみるとこういうことだったようです。
 息子は、今回の520円を頼って、友人のしゅんけい君とカードを買いに行く約束をしたんですね。ところが、件の模擬店での販売は『クーポン制』で、実際に現金が支援団体から、さい君の手に渡る方法は『後日振込み』だったんです。それで、息子からの『手数料の催促』にさい君は、そのまま、
 「ちょっと待って。あれは振込みだから、来週。」
 とこれまたドライに返答していたもの、だったんです。
 息子は、早くカードを買いに行こうよ、とせかすしゅんけい君に対して、母親の文言を律儀にそのまんま説明していたんです。
 ははあ、なるほど、と思いながら、これはこれで僕には興味深かったです。
 この状態は、企業の財務活動で言えば、さい君の損益計算書では、売上げも利益の計上も終わっているけれど、貸借対照表上の借方に『売掛金』が出現して、未入金の状態です。その『売掛金未入金』を理由にさい君が息子に支払いをしていなかった、ということです。そこで、企業の財務活動を表す、貸借対照表表・損益計算書以外のもうひとつの重要な指標、すなわち『キャッシュフロー』上の事情を、つまり『資金繰り』について、代理店である息子が支払い活動を督促する『しゅんけい君』に理解を求めていた、わけです。
 『いや、売上げはうちも、契約主も確かに立っているんだけど、今、手元流動性が低くて・・・』ってね。
 ただ、ここで、息子は、『本契単体のキャッシュフローはともかくとして、あなたのところは資産はもっと大きんだから、520円の支払い手数料くらい払える手元流動性はあるんじゃんないの?当該売掛金があなたのところに入金になるまで待たなきゃいけないの?』と、さい君をつつくことまで頭が回らず、さい君のキャッシュフローが自分に対して520円を支払えるようになるのも、また来週の入金を待たなければいけない、と錯誤したわけです。
 さすがにそれは可愛そうだ、いくらなんでもそれくらいのキャッシュ捻出はなんとかなろう、ということで、無事さい君から息子に520円が支払われました。

 ちなみに、このブログを書くにあたって、息子に、
 「おい、あの520円で、ちゃんとしゅんけいとカード買ったか?」
 と聞いたら、
 「うん、一緒にカード買いに行ったよ、200円使った。320円残ったけど、その中からママに100円貸したから、今220円ある。ママから100円はまだ戻ってないんだよね。」
 と予想外に詳細な説明がありました。
 息子は、彼の貸借対照表の借方に母親への『貸付金』を計上していた模様です。ここで、借りたほう、つまりさい君が、その貸借対照表の貸方に『借入金』を認識・計上していなかったら(なんだって息子のなけなしのキャッシュから母親が100円借りないといけないのかしらん?)ちょっと問題なので、さい君に確認したら、
 「うん、確かに100円借りてる。」
 と、これまた平然と言っておりました。
 お互い『健全な仕訳』がなされているようで何よりです。

===終わり===

スパゲティミートボール。

 愚息は11歳なんですけど、心配になるくらい精神的な成長が遅いです。

 まだ、毎晩僕と母親と好んで川の字になって寝てるし、言うことも、だいじょうぶかなあ、と思わせることがしばしばです。『スパゲテイの好みについて』という、大人にとってはほぼどうでもいい議題での議論をもち掛けてくるのはいいとして、『スパゲティミートボール』って言うんです、なんですかね?不審に思って詰問したら、
 「ほら、あれだよ、よくあるじゃん。」
 「・・・?」
 「いちばん、ふつうのやつ!」
 「・・・ミートソースか?」
 「そう、それだ、それ。」
 だそうです。とほほ。11歳にもなって『ミートソース』と『ミートボール』を間違えますかね?

 そんな息子が、先日、学校でのことを話題に僕に話しかけてきました。僕は、携帯電話でネットサーフィンしながらいい加減に付き合います。
 「パパ今日さあ、学校でじしょのひきかたを勉強するじゅぎょうがあってさ、」
 「ふむ。」
 なるほど、そういうことを習っても遅くは無い年齢です。
 「それでね、」
 「うん。」
 「実際にやってみるときに」
 「うう。」
 僕は適当に生返事を打ちます。
 「フジはね、『おなら』って調べることにしたんだけど、」
 こいつ、本当にだいじょうぶかなあ・・・。
 なんだか、情景が目に浮かびます。

 かとう先生「・・・というのが辞書の引きかたです。では、みんな、やってみましょう。」
 生徒A「どういう言葉をひくんですか?」
 かとう先生「なんでも、自分の好きなことばでいいです。」
 なあんて会話があって、喜び勇んで『おなら』を探そうと辞書と格闘するわが子・・・・。ああ、情けない。
 話は横にそれますが、こういう『超無価値的なくだらなさに満ちた行動』にでるのは、大抵男の子ですよね、なんでだろう。女の子ってまずこんなことしないですよねえ。やっぱり男って幼いです。

 それで、どうしたんだよ、まったく。
 「それでさ、『おなら』をさがしんたんだけど・・」
 「うん。」
 そもそも、調べなくてもおならの意味くらい知ってるだろ。
 「そしたらさ、」
 「うう。」
 「パパおなにーってなに?」
 「    」
 「『おなら』を探したら『オナニー』ってできちゃったんだよね。」
 「    」
 まだ日の高いさなかから、息子は母親と父親を前に大声で『オナニー』連発です。

 僕は、このとき、あることを学習しました。
 すなわち、『人間というのは、本当に虚を衝かれたとき、完璧な無表情になる』ということです。知りませんでした。
 僕は、昼下がりに愚息のまったくくだらない『おならネタ』につきあっていたはずなのに、急転直下、『性教育の現場』での父親としての実力を試されることになったのです。
 『おなら』から『オナニー』へ・・・・・。
 これを『虚をつかれた』と言わずして、何を『虚をつかれた』と言おうか、というくらい真に僕にとっては予想外の展開でした。しかし、その結果、幸か不幸か、父親の頭はまったくの虚空となり、その表情は完璧な無表情となったのであります。その有り様は、よく言う『固まってしまった』というのとも違い、本当にポジテイブな反応も、ネガテイブな反応も、寸分も見せない『無表情』そのもの、でありました。
 かえって動揺を子供に見せることにならず、幸いでした。
 僕は、無表情をいいことに、次の段階として、あたかもネットサーフィンに夢中になっていて質問が邪魔臭いんである、といわんばかりに、眉間に皺を寄せて、
 「うん?なんだって?」
 と、その実、脳天に突き刺さった質問を聞こえなかった振りなどしてみました。
 「おなにーってなに?」
 またしても、連呼する息子です。
 「うん?ああ、それはさ、自分で自分の象さんをいじって喜ぶことだな、うん。」
 うひゃあ、これで切り抜けられるかな・・・。
 「へえ、そう。」
 「う、うん、そうそう。」
 息子は暫し考え込みました。どうも、僕の返答を彼の11年間の見聞で計ろうとしていると見受けられます・・・。
 「じゃあ、へんたい、ってこと?」
 「えっ?」
 いや、へ、変態というわけでは・・・。
 「う、う、へんたいというわけじゃないかな・・・」
 「じゃあ、えすえむ?」
 えす・・、あれ、こいつスパゲティミートソースも知らないくせに、なんで『SM』を自家薬籠中の物にしてるんだね?
 「いや、そういうわけじゃ・・・」
 ちょっと父親劣勢でしたが、携帯をいじるのに忙しい、というふりが功を奏したか、そのうち、うやむやなまま息子のほうで、ひきさがってくれました。
 くわばら、くわばら。

 後で、手元にあった辞書(三省堂国語辞典第六版)を息子に隠れて引いてみたら(逆ですよね、なんだって、いい大人の僕が息子に隠れて『オナニー』って辞書で調べなきゃいけないんですかね?)、なるほど『オナニー』は『おなら』と同じページの同じ段、それも四つだけ隣でした。
 辞書編纂者も少しは配慮してくれないかな・・・。無理か。

 ちなみに『オナニー』の語源は、聖書の中の登場人物『オナン』ですね。
 有名な話です。
 本当です。

==== 終わり ===

リスクマネジメント。

 食事中の方は読まないでください。

 大学生の頃のことです。
 僕と山案山子は、だい繁華街の、おお通りに面した、ある居酒屋のカウンター席で、酒を酌み交わしておりました。その居酒屋は、今でもはっきり覚えていますが、さる大規模なチェーン店のひとつでした(いろいろな意味で屋号を記す勇気がありません。その理由は以降を読んでいただければわかると思います。)。
 その日、ビールの大ジョッキを口切りとし、僕らは、いつものようにとりとめの無い話題で飲み交わしました。
 最初に、しかし、あとでなんとなくそういえば、と思ったくらいなので、そんなに激しく思ったわけではないですが、ビールを一口を含んだとき、『あれ、あんまりうまくないな・・・。まあ、こういうこともある。最近飲酒が続いたから、胃腸が疲弊しているんだ、きっと。ビールの味って結構体調で左右されるからな。』という感覚が、軽く僕の頭を掠めました。
 なんか微かに『妙な風味』がしたんです。
 構わずいつものように噛み合わない会話も、呑み食いも、進めます。 
 以前にも書いたけど、人のことは言えませんが山案山子という男はあまり他人の話を聞かずに、ずんずん自分の話を進めます。
 「こないだ、K大学のGっていうサークルと試合したんだけど、」
 「ああ、あそこね、あそこは伝統も実力もある有名なサークルだ。」
 (けど、その話は先週聞いたばっかりだぞ。)
 「それが、全然たいしたことなくてさ、なんとか県代表とかが何人かいるって聞いたんだけど、どこにいるんだよって・・・・」
 「そら、山案山子は体育会なんだから、勝ってあたりまえだろ。」
 (だから、ラグビーサークルの人間を前にしてサークルを馬鹿にするなっちゅうの。適当に相槌しとこ。・・・揚げ出し豆腐、頼もうかな。)
 ・・・と、およそ価値ゼロの話をしていたときです。
 僕は、どうも美味くないな、と思いつつも、酒豪山案山子に遅れること数分、最初の大ジョッキを飲み干しました。そして、なんとはなしにジョッキの底に沈殿している泡の残滓にぼうっと目を遣りました。
 「俺さ、その試合さロックで出たんだけどさ、」
 「ふん。」
 (それも聞いたぞ、敵のパックが甘かったんだろ。)
 「ラインアウトのパックが無茶苦茶甘くてさ、」
 「?」
 僕の視線の先、白い泡に一点の小さな黒点が・・・。
 「甘いから敵ボールなんか割り放題でさ、」
 「!」
  あ、これは??まさか・・・。
 「まったく、これで強豪サークルかよって・・」
 俺、このビールを飲み干したっってこと?
 「それでバックスもさあ・・・」
 「おい、これ」
 「ぜ~んぜ~ん、大したことなくてさ、」
 「おい、山案山子、ちょっと、これ」
 「ていうかさ、なんとか県代表とかがバックスにもいるとか聞いてたんだけどさ、」
 「これ、これってさ」
 「そんな奴、どこに・・、へ?」
 さしもの山案山子も、僕が会話を強引に泡の中に黒点のあるジョッキを彼の眼前に突き出すことで遮ると、しゃべるのをやめます。
 二人して暫し、無言で泡の中の黒点を見つめます。
 僕が言いました。
 「・・・小さいけど・」
 「うん、小さいけど・・」
 と、山案山子。
 「これって・・」
 「あれだよな・・」
 「うん、やっぱりそうかな?」
 「うん、あれだろう・・・飲んじゃったの?」
 「うん飲んじゃった・・」
 そこには、小さいけれど誰がどう見ても紛う事なき『あるもの』が、その形態を毀損することなく保たれて沈殿しておりました。
 ふうむ、『微かに妙な風味』がしたのはこの出汁が出ていたからなのだな。どうせ現れるのなら口をつける前に出てきてくれたらよかったのに。
 とにかく、店員さんを呼ぼう。
 あまりの事態にやや動揺しながら呼びかけると、ひとりの男性店員さんが元気よくやってきました。
 「はい!」
 「あの・・・」
 「あ、おかわりですね!」
 店員さんは空のジョッキを虚空に持つ僕を見て、合点承知とばかりに、最前の元気のまま言いました。いや、そう断言されたら、それもそうだ、という気がしないわけでもないけど、もっと重要なことが・・。
 「いや、あの・・これ」
 「え?」
 「ここに・・・」
 僕が指差すと、ようやく店員さんは事態を、-ゴキブリが混入したビールを客に飲ませてしまった、という飲食店にあるまじき事実を、-把握したようです。なにしろ、繰り返しますが『小さいけれど誰が見ても紛う事なきゴキブリの死体』なのですから(この稿を書くにあたり改めて記憶と照らし合わせて調べてみましたが、どうも『クロゴキブリの幼生』のようでした。)。
 ところが、その後の店員さんの直後の対応は、全く僕らが予期しないものでした。
 店員さんはゴキブリを一瞬無言で認知したあと、その元気はまったく失わないまま変わらぬテンションで、やや笑みさえ浮かべて、こう言い放ったのです。
 「あ、虫ですねっ!」
 まるで、公園でバーベキューをしているときに、端の草むらに飛ぶバッタを見たひとのように。
 え?虫?むし??
 いや、それは虫であることには変わりは無いんだけど、虫は虫でもゴキブリですけど。それに、虫ならいいんですかね?なんか、素直に認めているのか、あるいは他ならぬ『ゴキブリ』が混入したこと、については認めていないのか、わかんないじゃないですか。
 「すみません、でしたああっ!」
 予想だにしなかった店員さんの対応(といっても僕には経験がなかったことですので、-あまり経験がある人もいないかとは思います。-、店員さんがどういう反応を示すのか、ということに具体的な構図があったわけではないですけど。とにかく、あまりのことにただただ驚いていました。)にさらに虚を突かれて唖然とする僕の手から、店員さんは奪うように件のジョッキを持ち去ると、すぐに新しいビールの入ったジョッキを『注文されたビール大ジョッキのおかわり』として持ってきました。
 その直後のことについてはちょっと具体的な記憶が薄いんですけど、・・・・こういう結末でいいの?とふわふわした気持ちで、-なんだってこっちが動揺しなければいけないんですかね。-、僕らは、およそ低いテンションで呑み食いを続けたように思います。
 それから、数分後、いきなり、
 「これは店からのサービスでええす!」
 と一杯のビール大ジョッキが持ってこられました・・・。
 結局、僕と山案山子は、その対応と、ビール大ジョッキ一杯を(僕の記憶によると、サービスしてくれたのは、僕にだけ、です。山案山子には無かったと思います。)無料にしてもらうこと、を容認する形で、その店を後にしたように思います。

 そして、僕は後から思ったんですけど、この店員さんは、ある意味瞬間的に高度な交渉術を発揮して被害を最小限に食い止めることに成功したんだと思います。
 昨今のサラリーマンの好きな言葉でいうと『リスクマネジメント』ですかね。
 つまり、彼はジョッキを見た瞬間『事実を認めないことはできない、これはゴキブリだ、飲食店としては最悪の事態である』と認識したはずです。しかし、そこであえて、爽やかに大きな声で『あ、虫ですねっ!』と強引に、事実誤認とは言い難いものの生物学的に大きな母集合の名称を叫ぶことで『なんか混入しているのは認めるが、誰もまだその虫の正確な名称は言及していないですよね!まあ言えば、虫ですよね!』と非は素直に認めつつも、事実認定をうやむやにすることで同時に『でも、たいしたことではない!』というコンセンサスを場に力づくで醸造し、さらに相手に反論の機会を与えることなく素早くジョッキという『動かぬ証拠』を回収することで議論の蒸し返しを回避、加えて、無料ジョッキ一杯のサービスという具体的経済的賠償額を先手を打って一方的に提案すること、で『事件』自体に強引に幕を引いた、わけです。
 考えてみたら、僕らは、それがゴキブリかどうか、を『議論するつもり』はなかったし(そんなわけないです。誰が見てもゴキブリなんだから。)、ましてや、事実認定としてそれをまさか『虫呼ばわり』されるなんて想像もしてませんでした。そして、ただただ、あまりのことに、経済的な面も含めて店側になにか賠償をしてもらうべきか、という具体的なアイデアなど思いもつかなかったので、そういうことを『交渉するつもり』もまた、無かったわけです。
 それで、あれよあれよという間に、結果としてビール大ジョッキという店側にとっては最小限の損失、-今思えば、このケースの最大のリスクは『ゴキブリ入りビール』が然るべき当局に露見しての営業停止、ですよね。-、で懐柔されちゃたんですね。
 うまいよなあ。
 何がうまいって、一言目の『あ、虫ですねっ!』という強引極まりない断言だと思います。まるで『いやあ、まいったなあ、たまにあるんすよね、こういうこと居酒屋では、ねえ?お客さん!isn`t it?』というような表現が行間に滲む、他人事のような口調でしたから。でも、僕がいうのも何だけど、これは対応の第一歩としては、リスクもあります。だって、たまたま僕らのような小心者相手でよかったけれど、よくいる『サービス業に異常に厳しい人』が相手だったら『あ、虫ですねっ!』の一言目から客の心をして火を噴かせる可能性がありますから。『虫だとおお、これはゴキブリじゃないか!ええ、いい加減なこと言うな!don't you!?』ってね。

 尚、ゴキブリ入りのビールを飲まれたことにない方のために、その『妙な風味』を具体的に描写すると、
 『しじみの味噌汁』
みたいな味です。
 だから、そういう味のビールに遭遇されたら、ちょっと疑ってみて泡の中身なんぞを凝視されることをお勧め致します。

===終わり===

糖尿病。

 糖尿病になりました。

 と、言っても昨日や今日のことではなくて、発病したのはもう一年前くらい前ですかね。推測ですが、僕の場合は、生活習慣に遺伝も手伝ってのことだと思います。
 あれれ、暫くしたら別の理由から今控えている暴飲暴食生活を再開しようと思ってたのに、ちょっと残念だなあ、なんて思ってます。いやいや、暴飲暴食どころか、『インポテンツ』とか『足切断』とかになるのかしらん。
 う~~ん。

 ところで、この病気について、結果として今僕がどういう治療を受けているか、というと、実は何も受けていません。ええ、どういうこと?と訝しく思われる向きもあるでしょうが、インシュリンの注射などはしていないし、投薬もないです。
 行われているのは、ただ、食事に注意して、適度に運動をして痩せなさい、という指導と、それ以外は、健常な方より高い頻度で血液検査と尿検査(だいたい三ヶ月毎です。)をしてその結果を経過観察する、ということだけ、です。
 なんでその程度ですんでいるのか、というと、僕の病状が、病名で言うところの『境界型糖尿病』だからなのです。
 ・・・お分かりになりますか?え?よくわからない?そうですよね、なんだか曖昧模糊とした名前です。
 いったい病気なのか、病気じゃないのか、判然としません。
 実は、この病名の意味するところは『血液検査と尿検査の数値が正常値は超えているが、治療を施すほどのものではない。』っていうこと、だそうなんです。
 それでも、まだよくわかんないです。
 僕も言われたときはなんだかもやもやしたし、おそらくは自分が糖尿病であることを認めたくない気持ちも手伝って、そういう説明ではわからん、はっきりしたまい、と医師に食い下がりました。
 それに対し、そのお医者さんは、決然と、
 「境界型と呼ばれるだけで、あなたは、はっきりとした糖尿病です。そして、糖尿病は一度発病したら治りません。」
 と僕の淡い期待と、深い疑問、を木っ端微塵にするような明確な言い方をしてくださいました。
 『治りません。』・・・じゃあ、なんで境界型だなんで名乗るんだ、と、僕はそれでもしつこくも、診断の後、いろいろと調べてみました。
 すると、例えばインターネット上にある情報は定義がさまざまで、大方が『境界型といってもれっきとした糖尿病』というものではあったものの、中には『放っておくと糖尿病になる』という、解釈によれば、まだ病気とはいえないと思われるような表現もありました。どうも国の定める検査方法や基準が昨今変更になったこと、などもこの病名を世の中に産出した一因となっているようです。
 ややこしい。
 なんだそら、病気か病気じゃないのか、お役人が決めるって、ちょっとおかしくないか?
 僕は、さらに調べました。それから、かなりいろいろと読んだ後、肚にすっぽりとはまり全てを氷解させてくれる、ある表現に遭遇しました。
 曰く、
 『【境界型糖尿病】という言い方が存在するが、これは病理の判断としては患者に誤解を与えるのでよろしくない。【境界型】であろうが、そうでなかろうが糖尿病は糖尿病である。別の表現に置き換えてみればよろしい。例えば【境界型妊娠】といわれたらピンとくるか、否か?【妊娠しているか、していないかの境界線である】など医学的にあり得ない、それと同じである。従って【境界型糖尿病】も糖尿病である。』・・・・。
 おお、なるほど!確かにその通りです。『境界型妊娠』なんて理解でき難いです。目から鱗とはまさにこのこと、ほう、俺はやはり糖尿病を発病しているのであったか、とすとんと頓悟しました。
 ちなみに、実は僕はその後の検査で数値が正常値に戻るときもありますが、お医者さんに言わせると、そういうのは『治った』とは言わない、なぜって糖尿病は治らないことになっているから、だそうです。
 ・・・この辺りの隔靴掻痒感が『境界型』を標榜する病気の面目躍如といったところであります。

 ところで、つれづれとこの僕を暫時悩ませた『境界型』という表現について考えていたんですけど、この言葉はいろんな場面で使えそうです。
 結構便利かもしれません。
 この『微妙さはそれはそれで留保しつつ妙に権威もある表現』が多方面で市民権を得たら、実態は曖昧なことをいやに堂々と主張できるようになりやしませんかね。
  例えば、そうだな、出会った相手とその日のうちに、勢いだけで抜き差しならない関係になったりして(例えばです。例えば。)、
 「みどりさん、こないだのこと、どういうおつもりなの?」
 「いや、僕はええと『境界型恋愛』のつもりだったので。」
 「あら『境界型恋愛』だったの、そう、じゃあしょうがないわ。」
 ってするりと収まったりしてね。
 さらに、すでに曖昧さ方面においては権威と言ってもいい世界に冠たる日本資本主義社会でも使用頻度は高そうです。今でさえ、言語明瞭意味不明瞭な会話が横行しているのに、それに拍車がかかるわけです。
 「おい、みどり、今日の6時に会議をするぞ。」
 「いや、ちょっと都合が・・・」
 「なんでだ。おまえ、山々物産さんと2時の約束で外出で、その後は予定が無いはずじゃないか。会社には5時には戻られるだろ?」
 「いや、その山々物産さんの後は『境界型直帰』の予定ですので。」
 「おうそうか、境界型直帰か、じゃあ会議は明日にしよう。」
 とか、納得してもらえちゃうわけです。
 実はしょうがなくないです。要は外出をいいことにひょっとすると勤務時間内にも関わらずいなくなるぞ、ということですから。
 それで、今度はその翌日の会議で、
 「おい、みどり、お前の意見はどうだ。」
 「はい、私は、課長の意見に、総論賛成、各論反対、そして・・・」
 「うむ、そして?」
 「・・・そして、最終的には『境界型保留』です。」
 などどもっともらしい修辞を隠れ蓑に、徹頭徹尾、判断を逃げます。
 加えて、核心に触れてほしくないことに、屋上屋を重ねて、箔をつけて表現するのにも使われるんであります。
 「おい、みどり、おまえ、売り上げが芳しくないようだけど、今期の予算は達成できるのか。」
 「はい、断言はできませんが『境界型達成見込み』です!」
 「うむ、そうか。」
 なんて、それだけでもはっきりしない『見込み』という言葉をさらに『境界型』と修飾して、挙句肝心なことは言及しないで詰問をかわしちゃいます。
 待てよ、良いことばかりじゃないかもしれないな。
 「おい、このクレームはなんだ!部長からいきなり怒られたぞ。ホウレンソウはどうしたっ!」
 「え・・それは、もう課長にお話したじゃないですか。あの、先週残業中にお時間をいただいて、ほら、この資料を見せながら・・・」
 「うん?おう・・そういえば、そうだな、でもあれは、俺としては『キョウカイガタホウコク』としか受け止めてないから。」
 「・・・・。」
 なあんて、逃げられちゃったりしてね。

 ところで、最後に肝心なことですが、足切断だのインポテンツだのの心配もさることながら、かく言う僕自身の会社での有様が、よく考えるといつどこへ追いやられるのかわからない、『境界型会社員』といえますので、本当は上述のようなあらぬ妄想を逞しくしている場合ではないです。

===終わり===

ショッピングモール

 事情は覚えていませんが、とにかくその時、僕とさい君はふたりで、ショッピングモールのベンチである程度の時間を過ごさねばなりませんでした。

 このブログでも何回も書いてきましたが、さい君の話はとても長いです。御自分でも自覚はあるそうです。どういうふうに長いのか、というと、だいたい大別して二種類に分かれます。

 ①『何を言いたいのか』が全然伝わらず、話が延々と続く。
 ②『言いたいこと』は話の当初から伝わっているけど、付随したどうでもいい天麩羅のころものような話が延々と続く。

 どちらにせよ、『延々と続く』んですけど、割合からいうと①タイプが8割、②タイプが2割ですかね。

 ショッピングモールのベンチに座って、ふたりで時間を過ごさねばならなくなったその時も、さい君と会話をするうちに、いつもの陥穽にはまり、上述で言えばタイプ①の、何を言いたいのかわからない長い、長い話に付き合うことになりました。
 ああ、また始まった、結論は何なんだろう、早く終わんないかなあ、と思いながら、僕は半分聞いている振りをしつつ、極めていい加減に相槌を打っておりました。
 さい君の話は、ぐるぐる回るばかりで、止め処なく続きます。

 話の途中で、ふと、さい君がトイレに立ちました。
 「いやあ、これで小休止できるぞ。」
 トイレは、僕らの座っているベンチのすぐ近く、視線の方向にありました。距離にして10メートルに満たないくらいです。僕は、まっすぐに歩いて行きトイレの入り口に消えて行くさい君のうしろ姿を見るともなしに見ながら、すでにかなり長くしゃべっているのに、未だに言いたいことがさっぱり分からないさい君の話から暫時、-飽くまで暫時ですが-、解放されたことを内心喜びました。
 数分後、用を足し終えたさい君がトイレから姿を現し、再び横に戻ってきました。あたりまえですね。
 はあ、試合再開か・・・・と僕はひそかに身構えました。もっとも、真剣に聞く気持ちはあんまりないです。
 と、さい君が言葉に詰まりました。おや、珍しい・・・と思っていたら、出し抜けにこう問いかけます。

 「ええと・・・、で?どこまで話した?」

 さい君はトイレに立ったことで、話の尻尾を失念してしまったようなんです。
 僕は、僕で多少狼狽しました。なぜって、あまり集中して聞いていなかったので、斯様な突然の口頭試問に全く対応できなかったからです。いや、まずい、聞くふりをしていたことがばれてしまう・・・・、あたふた、あたふた。
 しかし、さい君は幸いにも、僕にはあまり期待していなかったようで、虚空を見つめながら、どこまで話したかを自分で思い出そうとしているようです。
 懸命に話の末尾を思い出そうとする妻と、一緒に思い出すふりをしながらただただ妻が自分で思い出してくれることを心中願う夫、による沈黙がしばらく続きました。

 その時です。無言のままのさい君が表情を変えずに、いきなり立ち上がりました。
 「?」
 どこに行くんだろう・・?
 このときのさい君の行動を見た僕は、実際この女は頭がどうかしたのか、と思いました。
 さい君は、訝しがる僕をよそに、立ち上がると迷いもない様子でまっすぐに歩き出します。そして、そのまま、たった今行ったばかりのトイレに消えていきました。
 はあ、またトイレ??
 と僕が心の中で呟いたのと、ほぼ時を違わずして、トイレからさい君がまた現れました。つまり、さい君は『トイレにほんの一瞬入っただけ』ですぐさま踵を返したわけです。あれれ、と思う間もなくさい君はそのまま表情を変えずに再びこちらのほうにまっすぐに歩いてきて、澱みない動作で、しかし無言のまま僕の隣に座りました。
 やや、奇怪な・・・。
 呆然とする僕に構わず、さい君は、まるで何事もなかったかのような口調で、僕の顔を見つめながら、再びこう言いました。
 「ええと、で?どこまで話した?」
 えっ!なんだそら?
 そうです。さい君は、一連のこの無言での不可解な行動を全く同じ台詞で括弧閉じしちゃったんです。これじゃあ夫は戸惑うじゃないですか。
 だって、

 『どこまで話した?』 → 不可解な行動 → 『どこまで話した?』

 ってことになるので、この『一連の不可解な行動』の意義が不明な上に、ふたりの時間とやりとりの狭間に強引に葬られてしまい、そうですね、まるで『なかったことにされた』みたいです。
 「どこまで話したっけ?」
 さい君は唖然とする僕に頓着せず、問いかけ続けます。
 僕は僕で、この伴侶の不可解な行動を、とても無かったことにすることができず、
 「あの、あのさ、いまなんでトイレに行ったの?」
 と問いただして見ました。
 これに対するさい君の返答は要約すると、
 「トイレに行く前に考えていたことをトイレに行ったことで忘れたので、その行動を時間的に逆行して体験すれば、その時に考えていたことが行動や光景と共に巻き戻されて、考えが途切れたところまで繋がるかもしれない、と思ったから。」
 なんだそうです。

 なんだ、そういうことか、ああ、びっくりした。
 そういうことなら、言われてみたら自分もやらないでもないですが、会話の途中で何の前触れもなしに配偶者の前から姿を消してトイレに入って出てきてみる、まで大掛かりにはやらないので、ちょっとびっくりしました。

 ちなみに、この『行動逆行覚醒法』(そんな名前はないと思います。今僕が名づけました。)が効を奏して、その時、さい君が『どこまで話したか』を思い出したかどうか、については全然覚えていません。まあ、せっかくトイレに行きなおしたのに、僕にどこまで話したか訊ねたくらいだから、たぶん奏功しなかったんでしょう。

=== 終わり ===

IOC会長。

 息子のいつもの宿題のひとつに『音読』があります。
 週ごとに先生から配付されるプリントを親の前で毎日音読して、毎回親のサインをもらってくることになっています。そのメンバーの国籍からして言を待たず、我が家の場合、これを息子に聞かされる、いや、聞いてあげるのは、日本語を十分に理解しないさい君ではなく、僕の担当になります。そして、我が子のがさつな性格からして、これまた言を待たず、毎日読むことなどせず、大抵木曜日か金曜日の晩に、それまでサボった月曜からのものを『一気に4、5日分を親の前で音読する』ことになります。
 困ったもんです。

 先日も、寝そべっていたら(肥満体で動くのが億劫なので、家ではだいたい寝そべってます。)息子の急襲に遭いました。
 「パパ、おんどく!」
 「また、溜めてたやつか?うん、わかった、わかった、読みたまい。」
 こいつには、どうやったら、先生の指示通り毎日ちゃんと読むような丁寧さを身につけさせることができるんだろう、といつもながら親として暗澹たる気持ちなど抱きながら、付き合います。
 「いくよパパ、とうすとのやきあがりよくわがへやのくうきよう、」
 「え?なんだって?」
 「もう、ちゃんと聞いてよ!!とうすとのやきあがりよくわがへやのくうきよう・・」
 息子はかまわず、強引に読み進めます。けれども、何を言っているのか全然わかんないじゃないですか。
 こいつ、また与えられた文章を理解せずに、いい加減に読んでるな、全く、いつになったら物事を几帳面にこなそうという自覚ができるんだろう、と依然と寝そべったまま、父は改めてアンタンたる気分を感じながら言いました。
 「おい、フジ、おまえ、またちゃんと読んでないだろ?」
 「ちゃんと読んでるよ!」
 息子は決然と反論しました。
 え、でも『とうすとのやきあがりよくわがへやのくうきよう』ってなんですかね?おかしいです。
 「ちょっと、見せろ。」
 僕は身を起こすと彼の手元を乱暴に覗きこみました。そこにはこうありました。
 『トーストの焼きあがりよく我が部屋の』
 ふむ・・・。
 『空気ようよう夏になりゆく』
 ほう。
 息子の『音読そのもの』は別に間違っていなかったんですね。ただ、彼が抑揚もつけず、一気呵成に読んだことと、まさか短歌で来られるとはと、こちら側に心の準備がなかったこと、からうまく父子の間で通じなかったものと見えます。
 「ははは、おい、これは『短歌』だな。」
 「そうだよ。なんで?」
 息子は一応、短歌ということは理解していたようです。だったら、合成音声みたく棒読みするんじゃないよ。
 「つぎね、さむいねとはなしかければさいむねと・・」
 ふむ。
 「こたえるひとのいるあたたかさ」
 あれ?この短歌なんか聞いたことがあるような・・・
 「このあじがいいねときみがいったからしちがつむいかはさらだきねんび」
 おお、この短歌たちは、あの『サラダ記念日』からの抜粋であったのか!道理でなんか聞き覚えがあると思いました。
 「おお、フジ、これは有名な本だぞ。『サラダ記念日』っつってな、昔、めちゃくちゃ売れた本なのだ。パパは出版された頃を覚えておるぞ。」

 ちなみにこの稿を書くにあたって、改めて調べて見たら『サラダ記念日』は1987年の出版でした。随分前なんですね。息子の担任の先生は若い方で、もちろん出版されて暫くたってからこの本の存在を知られたんでしょう。現在に至っても教材に取り上げられるなんて、さすがベストセラーです。

 「へえ、そう。パパ知ってるの・・、あ、ほんとだ、ここに『サラダ記念日』ってかいてある。じゃあさ、このタワラマンチってゆうひとは、まだいきてるの?」
 「いや、生きてるなんてもんじゃないよ、まだ50歳くらいじゃないか。それと『タワラマンチ』じゃなくて、『たわらまち』さんである。」
 「ふううん。ちょっと、かわった短歌を作るひとだね、タワラマンチって。」
 「そう!そうなんだよね、発表されたときも、それで話題になったんだよね。あと、『タワラマンチ』じゃなくて『たわらまち』さんなんだけどね。」
 僕は、短歌への造詣はゼロに等しいですが、久しぶりに耳にした俵万智さんの短歌の色褪せない斬新さに感心してしまいました。それだけではなく、なけなしの記憶中枢が鋭く刺激されたようです。
 「ええとな、パパが覚えているので、こういうのがあったぞ、ええと・・ちょっと待てよ、今ネットで・・、おお、これだこれ、『まちちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校』ってな。珍しいだろ?」
 「ハシモトコーコーって何?」 
 「うん、この人はさ、神奈川県立橋本高校ってところで先生をしていたんだよね。目新しいだろ、結びを『神奈川県立橋本高校』で終わる短歌って。」
 「うん、珍しいねえ、すごいねえ、タワラマンチ。」
 「うん、今でも珍しく感じるよな。それとさ『タワラマンチ』じゃなくて『たわらまち』だけどさ。」
 息子は、誤った認識を徹底したまま音読を終えてしまい、翌日平然と学校に行ってしまいました。
 かあいそうに、何の罪もない俵万智さんは『サラダ記念日』出版から幾星霜、一介の小学生に『タワラマンチ』として記憶されることになってしまったのでありました。
 そもそも、作者の名前が『タワラマンチ』さんだったら、推測せんか、
 『マンチちゃんを先生と呼ぶ子ら』
 がいるハシモトコーコー、となりはしますまいか。(神奈川県立橋本高校の関係者の皆さん、ごめんなさい。他意はないです。)
 全く、この男は大丈夫かなあ。

 ・・・・と、このブログを結ぼうと思っていたんですが、はっとあることが頭をよぎりました。

 まさかとは思いますが、愚息は短歌に区切りをつけずに棒読みしたように、誤読しただけではなく、たわらまんちさん、否、たわらまちさんの名前も変なところで区切ってしまってないかな、という疑問です。
 「あいつ、『タワラ・マンチ』さんではなく『タワラマン・チ』さんだと思っているじゃ・・・。」
 可能性は低いですが、彼ならあり得ます。
 僕は、不安にかられながら『タワラマチ、タワラマンチ、タワラマン・チ・・・』と、なんとなくそれらを口の中で転がしました。
 「うん?なんか聞いたことがある名前だな・・・・、なんか似たような人がいたような・・・」
 誰だろう・・・・?
 「タワラマンチ・・・・、おう、『サラマンチ会長』だ!」
 そう、以前 IOCの会長だったはず。歴代のIOC会長の中でも露出の高い会長だったので、御存じの方も多いと思います。
 そもそも、サラマンチさんは何人だったんだろう、と僕はインターネットでサラマンチ会長のことを調べてみました。
 「ほう、サラマンチさん、スペイン人か、まさかフジはタワラマンチさんを外人だと思ってないだろうな、いや、いくらなんでもそれはないか、漢字で書いてあったからな、ははは・・、ほう、もともとはスポーツジャーナリストなのか・・、お、もうお亡くなりになっている、ふむ、1980年から2001年にかけてIOC会長か、すごい長期政権だな、どうりで記憶に残るわけだ、ふうむ、ええと、フルネームは、まさか、ナントカ・カントカ・サラマン・チ、なあんてことはないよな、はは、あるわけないか、ええと、フルネームはと・・・」
 瞬間、僕は驚愕しました。

 「『ファン・アントニオ・サマランチ』 ・・・???え?え、えええ!」
 
 ・・・・そうです。僕は、おそらくは彼の在任中から今に至るまで、その名前を間違えて記憶していたんです。
 『サラマンチ』ではなく、『サマランチ』じゃないですか!!
 
 ・・・・あながち、愚息の『タワラマンチ』さん、を心配している場合ではないかもしれません。

=== 終わり ===

お勤め。

 ただただ、筆者が面倒臭がっているゆえに、その出典を示せないのは申し訳ありませんが、随分と前ある文章に出会って深く納得したことがあります。
 その文章とは、
 「人には誰しも、見た目の年齢と実年齢がぴったりはまる瞬間がある。」
 という趣旨のものでした。

 その文章によると、例えば『2歳顔』の人は、実年齢2歳のときに『誰が見ても2歳』と見られて、それ以後の人生では、実年齢より若く見られ続ける、のだそうです。なぜなら、『2歳という年齢にぴったりはまる顔』だからです。逆に、例えば『63歳顔』の人は、実年齢63歳までは老けて見られるんだけれど、63歳のときに『両者がぴったりはまる』ので、64歳からの人生では若くみられる、ということですね。もちろん、言うまでもないことですが、『2歳顔』と『63歳顔』との間に優劣や善悪がある、とかいうことではありません。両者が『ぴったりはまる』年齢は、ひとそれぞれであり、人によって結構な『時間差』がある、ということです。
 なんだって、僕がその言い分に大きく頷いたかというと、他でもない僕の実体験が説得力のある実例になったからです。
 おお、そうか、俺は『だいたいウン十ウン歳顔』だったんだ!と上述の文章を読んで、ハタと膝を打ったのであります。

 あれは、確か、高校一年生の時のことです。
 僕は、ある平日の午後、学校から帰宅して散髪に行きました。
 何度か行ったことはあるけれど、顔馴染みにはほど遠い、といった主客の距離感の店です。
 鏡の前に座って希望の髪形について床屋さんと僕との間でビジネスライクな会話が終わったあと、床屋さんが、おそらく場をもたせようとしたのだと思いますが、-つまり『当たり障りのない世間話で客の機嫌をとろうとした』わけです。-、こう言い放ちました。

 「お客さん、今日はお勤めはどうされたんですか?」

 おつとめ?????

 散髪屋さんには、当時の僕が悪意も伴わずに『お勤め人年齢』に見えた、ということです。
 これは、すごいことです。
 なぜって、繰り返しますけど僕はそのとき、15,6歳です。そして高校生だから平日の午後などという時間帯に散髪屋に行かれたわけです。さらに、僕は極普通の高校生らしい髪型をお願いしたまでで、別に『パンチパーマ』とか『健太郎カット』みたようなものをお願いしたわけではありません。
 加えて、もっと深く考察すると、散髪屋さんは『自信を持って』僕を実年齢の倍くらいに捉えた、ということになります。なぜなら、もとより僕の機嫌をとろうとした発言であるうえに、そんな時間に髪を切りに来店しているにも関わらず、高校生は愚か『大学生にすら見えなかった』ということだからです。つまり『この客は、少なく見積もっても22、23歳ですらない』という確信が彼にはあった、ということと推測されます。
 そう考えていくと、おおよそ30歳くらいに見えた、と思われちゃうわけなんですね。
 重ねて驚くべきことです。実年齢の倍くらいの年齢に見えた、ということですから。
 
 長じて、大学を出て、就職し『本物のお勤め人』になりまだ日浅かりし、僕が20代半ばであったある夏の日のことです。
 その日、僕は、2,3度目の顔合わせになる、ある取引先の方々、部長の肩書きの方を含む複数人、僕、僕の先輩、と会社で商談をしていました。
 途中、その商談での我社側の主たる発言者である先輩が、席を外しました。
 「・・・・・・。」
 メインスピーカーを暫時失った席では、ほんの少しの間ですが、よくある『営業マンが蛇蝎の如く嫌う気まずい沈黙』が漂います。
 これは、いかんな、どうしたものかな、と思っていたら、そこは経験の差でしょうか、取り引先の部長さんが話題を振ってくれて重苦しい沈黙から逃れることができました。
 「御社は夏休みはいつですか?」
 うまいですねえ。簡単なことなんですけど、こういうことで咄嗟に重たい空気を払拭する、というのが若い頃はなかなかできないものです。
 さすが年の功です。
 「ああ、うちは、特に会社としては決まってないんです。夏の間にみんなばらばらにとります。御社はいつですか?」
 僕は、部長さんの会話にありがたくしがみついたうえに、実は全く興味なんてない相手の会社の夏休みの予定への質問の形ですぐさま言を返し、この会話の嚆矢を放ってくれた部長さんに、いぢましくも尻拭いまでさせようとしました。
 果たして、部長さんは、
 「ええと、うちはですね・・・」
 と返してくれます。
 「うちは、お盆を挟んで一週間休みです。みどりさんも、」
 『ただの時間潰しの会話』のはずが、これに続いた部長さんの発言で、このときのことは僕の記憶に長く留まることとなったのであります。
 即ち、部長さんは『全身全霊世間話の語勢』でこう言いました。
 
 「みどりさんも、お子さんが大きいから夏休みはたいへんでしょう?」

 ・・・。僕は当時20代半ば、子供はおろか、結婚すらしていませんでした。
 それなのに!!
 これも、先の床屋さんと同じく、かなり自信をもった発言の筈です。なぜって、20代半ば独身の人間で『お子さんが大きいからたいへんでしょう?と言われたらとても喜ばしい。』という人間は普通いないし、そもそもが『商談中の雑談』なわけですから、そういう状況で『ううん、この人は若く見えるけど、ひょっとしたらお子さんでもいるかも・・・、よし!ここはひとつ、かまをかけてやれ!』なんてリスクをとる必要もないからです。
 しかも、『ご家族は?』とかいう疑問文で、もなく、『お子さん、もう大きいんでしょ?』という付加疑問文、でもなく、『お子さんが大きいから』という断定形、で言われちゃったんですね。
 即ち、その時の僕は『子供が大きいと自信をもって断定しても失礼のない年齢顔』をしていた、ということです。ついでに言うと、年齢が相応でも、妻子持ち、とは限らないわけですから、その当時の僕は『妙な生活苦労臭』をも醸し出していた、ということになります。
 これは『確実性の高い高年齢顔』である、ということを示唆しています。ひょっとしたら、その部長さんは『この男は自分と同年代だろう』と確信していた、のかもしれません。
 僕も若かったので、相手に恥を欠かせないように適当に対応すればいいものを、その時は条件反射的に、
 「こども?僕、まだ独身ですよ!」
 と真っ向から否定し、先輩の中座によるその場の重い空気を取り繕う、というのが一番の目的として互いに積み上げてきた会話を台無しにしてしまい、さらに場の空気を隘路へと追い詰める、という愚挙を果たしました。

 ところが、最近は年とともに基礎代謝力が落ちて、醜く太ってきているにも関わらず、実年齢より数歳若く見られることが多くなりました。
 僕は、その、村上春樹さんのエッセイにあった、いや、違うな、中島らもさんのエッセイだったかな(すみません、先述したように探すことすらしない怠惰ゆえに、きちんと出典を言及できません。)、でいう『はまる年』を知らないうちに、通過していたようなんです。
 それが僕の場合は、今から思うと、上記の『お子さん大きいからたいへんでしょう発言』のかなり後、だったように思います。

 尚、この話は、あまりにも感心したので、あちこちでいろんな人に話したところ、その結果、少なからぬ人達に納得されただけではなく、中には『複数段階はまる年齢がある人』もいることが判明しています。
 つまり『若い頃は18歳顔だったので、少年時代は老けてみられて18歳以後は若く見られた、でもいつのまにか40歳顔になって、30代は再び老けてみられて、40歳以降は・・』なんて複雑に『はまった』という変種ですね。
 興味のある方は、御自分や周りの人で例証してみてください。もちろん、その時の出典は本ブログではなくて『村上春樹さんだったか、中島らもさんだったか、或いはひょっとしたら他の人だったかのエッセイに書いてあった話しらしいんだけど・・・・』でお願いします。

=== 終わり ===

ベンツ当たりました。

 つい10日ほど前、近くで夏祭りがありました。
 毎年行われています。

 その夏祭りに、まず11歳の息子がでかけました。母親にお小遣いを千円もらって、駅で夕方の6時前に待ち合わせをして、友人数人と連れ立って出かけたようです。
 当日は平日で僕は出勤していましたが、さい君が、9時から打ち上げられる花火を見たい、というので、一旦帰宅して軽装に着替え、息子を追って、花火の時間近くに二人で行くことにしました。
 
 家に着いたら、さい君にいきなり言われました。
 「フジがなんだかすごく興奮して電話してきたんだけど・・・・」
 息子は、祭り会場から、迷子防止に持たされた携帯電話で母親に電話してきたようです。
 「ほう、何があったの?」
 「いや、それがよくわからないんだけど、とにかく早く来てって言ってるの。なんでも・・」
 「ふん。」
 「屋台のくじ引きをやってね、大当たりを出して、二個しかない景品を当てたんだって。」
 へえ、ああいうものにも当たりはあるのか。だいたい、俺の息子は、祭りの屋台のくじ引きで妙な期待をして貴重な小遣いを使うような男であったか、ううむ、まだ幼いと言おうか、小さいくせに山っ気がある、と言おうか・・・。

 -全く余談ながら、くじ引き店の露天商が詐欺で逮捕された事件がありました。賞金の高額ゲーム機を子供のために当てようとしたあるお父さんが、なんと一回200円~250円のくじを一万円分もひいて全部外れてしまい、その足で警察に通報、これを受けた警察がこの露天商のくじ340個を調べたところ、全部『外れ』で、追及された露天商が賞品はダミーでくじに当たりはない、と自白したため詐欺の疑いで逮捕されちゃったそうです。このお父さんのやや常軌を逸した執念とか、それを受けて実際に捜索しちゃう警察権力とか、ああいうものはもそも全部外れ『かもしれない』という前提は決して市民権を得てなかったのか?、とか、いろんな意味で驚きます。2013年に実際に大阪であった事件です。余談でした。-

 「それでね、なんかね『ママくるまをあてた!』って言ってるの。」
 「クルマ?」
 「そう。」
 「なんだ、そら。プラモデルかなんかか?」
 「いや、それがね、違うんだって。何しろ、二個しかない景品のうちのひとつで『フジのからだと同じくらいの大きさのくるま』なんだって。」
 「え?」
 同じくらいの大きさって、一メートル数十センチある、ってこと???
 「それでね、当てたクルマを見張ってなくちゃいけないから、どこにも行けないんだって。」
 そら、本当に小学生の体くらいあるような車と一緒なら祭り会場内をうろうろはできないだろうけど・・・・。
 僕は、いろんな意味で戸惑いました。
 まず、そもそも上述の事件ではないですが、ああいうものは全部外れかどうか、はともかくとしても、掲げてある高額景品があたるなんてことがあるのか?、それに仮に当たったとして息子のからだ大の大きさ、って何だ?とガリガリ君ですら今までで一度しか当たったことのない父親は不審に思ったわけです。
 「まあ、とにかく、行ってみよう。そもそも、花火を見に行く予定だったわけだし。」
 と、僕と、さい君は祭り会場になっている駅前のある大学のグランドに向かいました。 
 
 行ってみると、結構な人出です。

 祭りでは、中央に櫓が組まれていて、屋台がたくさん出ていて、近隣の子供たちのダンスグループの演技や、太鼓や、ロックバンドの演奏があって、メインとして打ち上げ花火が行われます。
 格別に特筆すべきものがある祭りではありません。いえ、別に貶しているわけでないです。
 むしろ心が和みます。
 なぜなら、この年になった僕が夏祭りというものに好ましい郷愁を感じるのは、そういう謂わば『期待以上でも以下でもないありきたりな行事達によって醸しだされる非日常性』に負うところが大きい、と思うからです。

 人波をかき分けて、ようやく息子の影を認めました。
 花火鑑賞の場所取り用に地面に敷いたビニールシートの上に、なるほど景品と思われる包装されていないむき出しの大きな箱を置いて、息子はその箱にへばりついています。
 ただし、彼の身丈くらい、というのはやっぱり大袈裟で、だいたい60センチくらい、ちょうど息子の半身くらいの大きさですね。
 ふうむ、ほんとだ、話ほどじゃないけど結構な大きさの景品が当たってる。
 「パパ!クルマあたった!クルマ!」
 息子は、まだ自分の口から報告をしていない父親の姿を人混みの中に見つけると、喧騒をつんざいて喚くように言いました。
 「すげえなあ、よく当たったな?」
 「うん!二個しかなかったんだよ、二個!」
 「うん。」
 「見て!」
 息子は誇らしげに透明なフィルムになっている箱の窓部分を僕のほうに向けながら、言いました。
 「ベンツだよ、ベンツ!!」
 ほう、確かにベンツです。箱の窓からメタリックシルバーのベンツの車体が見えます。リモコンカーのようです。
 「ね?ベンツ!」
 息子は、目を大きく見開いて、にこにこしました。
 「本当だ、ベンツだな。」
 僕も、なんだか嬉しくなって、にこにこしました。
 「見張っててね!フジ、ともだちとほかの屋台に行くから、ね?ね?花火が始まったら戻ってくるから、ね?ね?」
 「わかった、わかった、行って来い、見ててやるから。」
 いかなベンツといえども、リモコンの自動車で、-言ってみれば『おもちゃ』ですから-、手放しに喜ぶような年齢かいな、と少々不安に思いながらも、息子の指示に従うことにしました。
 
 暫くのち、花火が終わりました。
 祭りはまだ続きますが、さい君の目的である花火も終わっちゃったし、息子のお友人達も帰るみたいだし、そろそろ我々も帰ろう、ということになり、ビニールシートを畳んでゴミを捨てて、帰宅の途につくことにしました。
 「パパ、重たいからベンツ持って。」
 息子は景品を抱えて歩くのが困難と見えて、僕に再び指示しました。ふむ、重さはそうでもないですが、さすがに半身の大きさがあると、彼が抱えると人間の姿が殆ど隠れて、景品が歩いているようです。これで人混みの中を歩くのは不安と見えます。
 僕は、景品を持ってやりました。
 「落とさないでね。」
 わかってます、わかってます。僕は自分の体で押しつぶしてしまわないように、フィルム窓の部分を外側に向けて、丁寧に景品を胸に抱え、さい君と息子の一歩後を出口に向かって歩き始めました。
 ちょうど花火が終えたのを境に、多くの人が祭りを後にし始めています。一気に狭い出口に向かった大勢の人の流れは、出口で暫時大渋滞を引き起こしました。
 いやあ、大混雑だな、みんな非日常に飢えてるわけか、それにしても、普段こんだけの人がこの小さな街のどこに・・・・・、と僕が心の中で呟いていると、どこからか
 「すんげえ人だな、東大立目じゅうの人が全員出てきているんじゃないの?」
 という大きな話し声が聞こえてきます。やあ、わが意を得たり、二の句を告げてくれたな、と僕は声の出どころである前方へ軽く目を遣りました。
 その時です。
 「ん??」
 なんだろ・・・・・。
 違和感が・・・。はて?
 僕は視線の角度を少し、前後左右にずらしてみました。
 「ははん。なるほど。」
 僕の二、三メートル斜め前にいる、お母さんに手を引かれた小学校低学年と思しき男の子が、振り返って、じーーっと、僕のほうを見つめています。僕の違和感は、この視線を感じてのものだったのです。
 「さては、景品が羨ましいんだな。うん、これくらいの男の子にはそうだろうなあ。」
 と、僕は、若干微笑ましく思いつつ、男の子のそのけれんみのない視線にさらされながら歩を進めました。
 男の子は、僕から視線をそらさず、見つめ続けます。
 「よっぽど羨ましいんだろうなあ。それにしても長いこと見てるな。」
 すると、男の子がお母さんをつついて、僕のほうを指差しながら、見て見てあれ、と彼女に話しかけました。

 ん??なんだなんだ?

 お母さんは、一瞬僕を一瞥して、そのまま前を向き歩いています。それは、確かに大きな景品だけど、長く見つめた挙句、母親に報告までするまでのことかな・・・?
 まあ、いいや。

 と、次の瞬間です。
 んん?
 僕は、男の子から視線を戻し、久しぶりに自分の周りを見渡しました。
 「あ・・・。」
 男の子が母親をつついてまで見せたかった理由を一瞬にして頓悟しました。さい君と息子の姿がないじゃないですか。僕はいつのまにか、彼らからはぐれていたんです。
 そうです。
 男の子は何も羨望から僕を見ていたのではなく、その奇異な光景に視線を外せなかったんです。
 だって、そこにいるのは『剥き出しの景品を愛おしそうに抱えてひとりで祭りから帰宅するTシャツに短パン、サンダル履きの壮年男性』だったからです。
 男の子の目には、

 「ベンツ、当たりました!」

 という吹き出しが、この壮年男性の横に見えたことでしょう。彼はきっと、
 「ねえ、ママ、見て見て、おじさんがくじ引きで当てた玩具の車をひとりで持って帰ってるよ。」
 と母親に言ったに違いありません。
 『息子の代わり』に持ってるだけなのに・・。

 かくして、狭い我が家ではこの数日のあいだ、50センチ弱の(箱から出したら息子の最初の話からさらにサイズダウン致しました。)夏祭りで当たった『Mercedes-Benz SLS 1/10 scale』が、ヴィンヴィンとモーター音もたけだけしく走り回ることとなったのでありました。

===終わり===



 
 

 

3億円当たりました。

 最近、世間にはいろいろな『怪しい話』が溢れていますけど、僕に言わせると、その殆どが『いかにも』という代物で、そんな話に引っかかる脇の甘い人がいるのは不思議だな、というのが正直な感想です。

 ところで、僕のさい君は、わりと疑り深い性格です。よく言うと、慎重な、ということです。
 例えば、外食しても会計の際に、レシートを熟読して、注文内容と一致しているかどうか、を『本当かな』とチェックするのが常です。
 時として、スーパーマーケットの伝票なども熱心にチェックしています。
 しかし、さい君がこういうことをするのには、一応彼女なりの根拠があって、さい君の国では、レジの打ち間違いや、もっとひどいのになると、レストランなどで『意図的に』頼んでもいないものをレジで打ち込んで『ボッタクル』というケースがあるから、です。
 「おい、だいじょうぶだよ、ここは日本だから、そういうことはないんである。」
 と、僕は半ばさい君の大仰な猜疑心を鼻で笑いつつ、諌めておりました。
 ところが、どうして、どうして、僕も彼女のそういう習慣に付き合うようになって、へえ、と感心したんですけど、結構レジの打ち間違いってあるんですよね。
 スーパーマーケットでは、セール品を通常の価格で打ち込んだミスが何度かありました。『ガリガリ君 セール品47円』のはずなのに『ガリガリ君 64円』と通常価格で打ち込まれてたりするんです。その都度さい君は、誤りを指摘して、-そこはさすがに世界に冠たる日本のサービス業なので-、それで、お詫びとともに、(金額の多寡に関係なく)丁寧な対応で返金してくれます。
 それと、これも実際にあったことなんですけど、さい君と二人で家の近所の居酒屋で簡単な晩御飯代わりの食事をしたときのことです。
 帰宅後いつものようにさい君はレジ伝票をチェックしていて、何としたことか『タバコ二点』と明細の冒頭に印字されているのを発見しました。
 「ほら、日本でも、ボッタクリあるじゃない!?」
 さい君は大戦果発表の如く、叫びました。
 確かに、僕もさい君もタバコは吸いません。嫌いです。なのに、そんなことを間違って『お通し二点』みたいに、きっちりと人数分打ち間違えますかね??
 しかも、-僕は数百円くらい、放っておいてもいいや、と思ったんですけど、さい君はそういうのは金額の問題ではなくて、抗議しないと気持ちがすまないみたいなんです。-、僕がさい君の指示で、恐る恐る(忙しいのにそんな数百円ごときで何だ!どこに証拠があるんだ!って店側に機嫌を悪くされたら嫌だな、と思ったりしたので。)その居酒屋に電話をかけて、じつは、先ほど食事をした者です、そういう習慣がないので、タバコをお願いするなんてあり得ないんですけど、本当です、かくかくしかじか・・・・と低姿勢で説明したら、なんと電話に出た店員はまるで予期していかのように、
 「あ、入り口近くにおられたお二人ですね!確かに、おタバコを吸われていませんでしたね、申し訳ございません、当方のミスでございます!!」
 と、一気に澱みなく謝罪しました。
 このときは、さすがの僕も『なんだこの慣れ切った爽やかな対応は、なんだかかえって怪しいぞ。日本はたいてい公正かつ明朗会計だと思っていたけど、これは俺の思い込みで、さい君の言うとおり、日本でも疑ってかかったほうがいいのかも。これは日本も商習慣上のモラルが崩れてきているのかな?』と、思わざるを得ませんでした・・・・・。

 ところで、もう数年前のこと、『そういうもの』がまだ一般には知られていなかった頃のことです。
 休日だったと思います。
 僕は確かテレビを見ていました。さい君は僕の傍らで黙ってパソコンに向かっていました。
 と突如、さい君が大声をあげたんです。

 「あた、あた、あたった!」
 「は?」
 「当たった、当たった!」
 「何が?」
 「300万ドル!!」
 「?」
 「300万ドル、当たったのよ!」
 「・・・・」
 
 尋常でない興奮ぶりです。300万ドルといえば『だいたいさんおくえん』です。僕は、いったいさい君の言わんとしていることが何なのか、一瞬理解できませんでした。
 『当たった』って、そもそも彼女が応募していた何かが当たったっていうこと?
 それで、その賞金が3億円ということ?

 「何言ってるの?」
 「300万ドル!!!」
 「だから、なんだよ、それ?」
 「これこれ!」

 さい君は、たいそうエキサイトしながら、パソコンの画面を指差しています。
 「どれどれ・・・・」
 そもそも『当たったという事実』よりも、『賞金3億円という現実離れした金額』が、逆に僕を冷静にさせていました。
 そんなこと、起こりうるはずがないじゃんか。
  見ると、そこに、彼女宛の英文の長いメールが表示されています。これがもし、僕宛のメールだったら、苦手な英文だから、たぶん、読むことすらしなかったでしょう。しかし、さい君は英語が達者なので(このときの、さい君の心情を代弁するとしたら『幸運なことに』ですが)精読できてしまった、と見えます。
 僕が時間をかけてやっとのこと解読したそのメールの内容をかいつまんで言うと下記のようなことが書いてありました。

 *我々は、ITベンチャー企業、XX社であります。
 *このたび、サイバースペース内に溢れている超巨大情報から、無作為に抽出した対象にあなた(さい君ですね。)が抽出されました。
 *おめでとうございます。当選です。
 *300万ドルあげちゃいます。
 *我々は、信頼できる企業です。A社、B社、C社、D社・・・との合弁会社も持っております。
 *ついては、300万ドルをあなたに送金するために・・・・
 *本当です。

 とあり、『A社、B社、C社、D社・・・』のところには、日本のものも含め世界に名だたる有名企業名が羅列されていました。
 本当かな?
 「なんだこれ?ユウはなんか、ここの懸賞にでも応募したの?」
 「そんなことしてない、けど、300万ドルよ!」
 「じゃあ、おかしいんじゃないの?」
 「いや、サイバースペース内の巨大データから無作為に抽出した、ってあるでしょ、それなら私のアドレスがピックアップされる可能性あるでしょ?ああ、300万ドル!!
 「いや、あのさ、そんな金額が簡単に当たるわけないじゃない?」
 「当たったのよ!300万ドル!!」

 僕には、全然実感がありません。しかし、さい君は手放しで喜んでいて、いまにも自家用ジェット機でも購入しそうな勢いです。僕は、普段はあんなに疑り深くて、慎重なさい君が、なんで、300万ドルになると無防備に信じてしまうのか、全然理解できませんでした。

 「あのさ、こんな話、眉唾じゃない?」
 「なんで?」
 「だって、金額がでかすぎるじゃない?」
 「金額がでかいと、なんでおかしいのよ。」
 「え??いや、だって、300万ドルだよ?」
 「そう!300万ドルよ!ケイタ!!」
 「・・・・・・。」

 どうも会話に齟齬があります。
 このままでは、こんなのあり得ないよと、さい君を説得することができそうもありません。
 そこで、僕は、メール文にある、ある日本の超有名企業の一社に実際に電話をして、メールを送ってきた会社と本当に合弁事業をしているのか尋ねてみることにしました。
 すると、代表電話から回してもらった男性の社員の方が、
 「私が担当というわけではないんですが・・・・」
 と言いつつ、しかし、非常に丁寧に、しかも明確に教えてくれました。
 曰く、

  *そういう会社と、わが社は合弁などしていない。
  *それは最近新たに現れた『フィッシング詐欺』というものと思われる。
  *手口は当選を餌に銀行口座など個人情報を取得するもの。
  *詐欺なので、相手にしてはいけない。
  *本当です。

 ということでした。確かに、合弁もしていなければ、メール送付者が詐欺犯罪者であれば『担当というわけではない』ですよね。でも、とても親切に教えてくれました。
 ううむ、日本人のモラルはまだ崩れていないじゃないか、僕は、感心しつつ、お礼を言って、電話を切ると、さい君に、メールの文言は嘘っぱちで、しかも、これは新手の詐欺で『フィッシング詐欺』というもの(この当時はまだそういう言葉が世間に広まっておらず、僕もさい君もそのとき初めて耳にしました。)であり、相手にするととんでもないことになるそうだ、と説明し、ようやくさい君も納得してくれました。

 しかし『ガリガリ君17円のレジ打ち間違い』には冷静沈着なさい君が、なんでまた『見知らぬ人からの3億円あげちゃうという一通のメール』は盲信しちゃうんですかね。
 僕は期せずして、こうやって人は『一体誰が引っ掛かるんだろう、といういかにも怪しい話』に簡単にのってしまうのだ、という例を、思いもよらぬ身内に見てしまうことになったのであります。
 くわばら、くわばら。

 尚、『フィッシング詐欺』の『フィッシング』のスペルは『phising』であり、『fishingではない』そうです。これもその某大企業の方が教えてくれました。
 本当です。

===終わり===


 
 

キャラメル王子祖父江。

 僕は、阪神ファンなので、テレビを見られないような環境では、インターネットの情報で試合状況をチェックしては一喜一憂しております。

 ところで、こういう世の中なので、インターネットの野球の試合状況を知らせてくれるサイトも複数あります。
 僕もいつかのサイトを試していましたが、いつのまにかなんとはなく、ひとつのサイト、-yahooの「Sports navi」というサイトです。-、を見るようになり、その画面に慣れてしまい、今ではたいていこのサイトを見ています。
 実は、このサイトには、細かいことですが、ある特徴があります。
 それは、「選手紹介に腐心している」という点です。
 いや、正確にいうと「腐心している」ではなくて「腐心していることがなんとなく行間からわかってしまう」という点です。
 なんだ、たいしたことじゃないじゃないか、と思われるでしょうが、まあ、聞きましょう。
 
 このSprots naviの選手情報が細かいのは、たぶん、「ただ試合情報を伝えるだけではなくて、なんとかして短い情報の挿入で他のサイトとの差別化を図ろうとした」結果だと思われます。
 野球に興味の無い方から見ると、どうでもいいようなことだし、かといって僕のような野球好きから見ても、その選手情報の細かさに食指が動く、というわけでもなく、むしろ「かなり苦労されてますなあ、ご同輩」と興味以前に宮仕えとして同情を誘われてしまう、というもののほうが多いです。

 基本的に、このサイトは、まず先発選手は普通に紹介し、交代があったときに細かい情報を入れてきます。
 例えば、こんな感じです。
 
 「ピッチャー交代『プロ中のプロ』岩瀬」
  
 ・・・岩瀬投手(中日)なんか、今更紹介されるまでもない大投手ですが、普通に紹介するのでは気がすまないようです。まあ、確かに『プロ中のプロ』と言ってもおかしくない選手ではあります。

 「ピッチャー福原に変わり『韓国の至宝』呉昇恒」

 これも、『ふむ、その通り。』と首肯する紹介の仕方です。
 
 「エネルギッシュタイガー新井良太」
 「経験豊富な日高」
 
 これも、わからんでもないです。「新井良太選手がエネルギッシュタイガーだった」というのは、実は阪神ファンの僕としても初耳ではありますが、まあ元気のいい選手なので、一応、わかります。
 しかし、下記のようなものになると、ちょっと分かりづらいです。

 「ピッチャーキャラメル王子 祖父江」
 「ピッチャー八木に代わってチリガミ王子 七條」

 ・・・・これ判りますか? 
 「キャラメル王子 祖父江」は、祖父江投手(中日)のご実家が製菓業を経営していて、オリジナルのキャラメルなどを製造販売している、というところからきています。
 知らない?そうですよね、普通知らないです。
 そして、知らない人にはどうでもいいし、知っているからといってそれを殊更に喜ぶ、というほどの情報ではないです。
 つまり、その苦労の割には、祖父江投手をキャラメル王子と紹介すること、でサイトの閲覧者が増える、とは思えません。ほう、そういう役にたたない情報を、うんうん唸って絞り出したんだな、と思うとサラリーマンとしては憐憫の情を禁じえません。
 ちなみに「チリガミ王子 七條」というのは、七條投手(ヤクルト)の下の名前が「ゆうき」というので、ハンカチ王子ことあの、斎藤祐樹投手(日本ハム)と「下の名前は同じ」だけど「別にハンカチではないからチリガミだ」ということ、らしいです・・・・。

 それから、特にこのサイトの選手紹介担当者が苦戦されていると見られるのは「俊足を武器としている選手が代走で出た場合の紹介」です。
 ちょっと挙げてみましょう。

 「快速で魅せる俊介」
 「鋼の足鉄平」
 「勝利を呼ぶ韋駄天三輪」
 「優れたスピードで魅せる緒方」
 「さっそうと駆ける城所」

 ・・・・試行錯誤の後が窺えます。「快速で魅せる」と「優れたスピードで魅せる」なんて入れ替えても問題ないです。
 さらに見ていくと、「そもそも紹介としてどうなんだろう?」というようなものもあります。

 「打席のよろず屋森本」
  ・・・・森本選手(DeNA)が器用だ、ということを強調したいんですね、でも、なんか商店街のおっさんみたいです。・・・。
 「ドラ1の意地を魅せる二神」
  ・・・・二神投手(阪神)がドラフト一位で指名されて入団しながらまだ頭角を現していない、頑張れ、ということなんでしょうけど、そういう選手はなにも二神選手だけではないんだけどなあ。
 「ミット音が鳴り響くカーペンター」
  ・・・・これは、カーペンター投手(ヤクルト)の投げる球に球威があるらしいぞ、ということのようですが、ちょっと主観的になっていないでしょうかね?
 「器用なドミニカン エルナンデス」
  ドミニカン、は今更いらないから、要は『器用』ってことです。
 「控えめな豪腕 西村」
  『豪腕』だけではいかん、という使命感に溢れていますが、ちょっと意味不明です。
 「フォーク・マネジメント 大塚」
  かなり意味不明です。
 
 しかし、ここまではまだおとなしいほうです。
 なぜなら「かろうじてその選手がもっている特徴を紹介しようとしている」からです。そうではなくて、もっと激しくおいでなさっている、明らかに首をかしげるもの、もあります。

 「バッター『栄光の使者』福留」

 いいですねえ、なんのことなのか、皆目判りません。
 僕は、阪神ファンだし、それに福留選手(阪神)が首位打者を二回も取り、メジャーでも活躍した選手ということは当然知っていますが、彼がいつ『栄光の使者』になったのかは全然知りませんでした。そもそも『栄光の使者』って野球の技術面においてはどこが優っているのかわかんないし、いったい誰から誰に派遣された『使者』なんでしょうか?そして、最も不可解なのは、それこそ今更紹介の必要などないくらいの福留選手をこういう意味不明なキャッチフレーズで紹介していること、それ自体です。
 最早、もともと「閲覧者を増やすためにキャッチフレーズをつけること」だったという手段が目的化してしまい、何かしらキャッチコピーをつけることで満足している、としか思えません。
 しかし、これをも凌駕するすごいものがありました。そのキャッチコピーの前には「栄光の使者福留」も、まだ野球、というか、スポーツにかろうじて関わっているから凡庸にすら思えます。
 即ち下記です。

 「ロマンチックリリーフ ロマン」

 洒落です。
 洒落としかいいようがありません。野球とは全然関係ないです。
 なんでしょう、ロマンチックリリーフって・・・・?

 僕が、不思議に思うのは、ここまで苦労してそれぞれの選手にキャッチコピーをつけておられるのに、中には『ピッチャー安藤』という具合に『素で紹介されている』選手もいることです。有名だから今更紹介の必要はないでしょ、ということなのかな、とも思うんですけど、それなら『プロ中のプロ岩瀬』も『栄光の使者福留』も不要です。
 だって、選手によっては「勝利まっしぐら坂」(キャットフードの宣伝みたいです。本人はどう思ってるんですかね。だいたい、まっしぐらか、そうじゃないか、と言えば、ほぼ全部の選手が「勝利まっしぐら」じゃないでしょうか?)と「万能フィールダー坂」と、攻撃で交代して出場するときと、守りで交代して出場するとき、の二通りのコピーをつけてもらっている選手もいるので、それに比べるとやはり、素で紹介される選手がいるのは解せません。
 知力が尽きちゃったんでしょうかね。

 ところで、僕が、これらのコピーにいちいち個人的に感心したり、同情したり、いちゃもんをつけたりしている中で、「書けばいいってもんじゃないだろ!」と個人的に「反射的大絶賛」をしてしまったのが下記です。

 「バッターカーペンターに代わり、バットを短く持つ田中」
 
 なんだよそれ!! 
 バットを短く持つのなら、関本とか上本とか、そんな選手何人もいますっ!
 素晴らしい投げやり感です。
 これなら田中選手のためにも、野球ファンのためにも、キャッチコピーなしのほうがましじゃないか、と思わせる「脱力感」が行間に満ち満ちています。労働者として共感すること甚だしいです。
 ひょっとして、この適当さを他人は見逃すかもしれませんが、ところが、僕はそうはいきません。
 これは、「選手の技巧の紹介」でもなければ「渾名の紹介」でもなく、ましてや「ロマンチックリリーフ」のような「洒落」ですらありません。
 「見た目そのまんま」です。書けばいいってもんじゃないです。
 晴れ晴れとすらします!!

 ちなみに、野球ファンでない方のため、と、田中選手(ヤクルト)の名誉のため、に記しておきまずが、田中浩康選手は、尽誠学園-早稲田大学という野球のエリートコースを歩み、2014年7月20日現在、通算安打941本、ゴールデングラブ賞にベストナインも受賞したことのある、「バットを短く持つだけの選手」ではなく、立派な実績のある「ひとかどの選手」です。

 これからも細かく注目していくので、Sports naviの担当者さん、是非、頑張って・・・だけじゃなく、おざなりな命名もお願いします。

 以上、
 「打倒HbA1c・モモンガア王子・好きな食べ物は最後に食べる緑慧太」
 のブログでした。

===終わり===

渋い。

 僕の伴侶が外人である、と知った人によく聞かれる質問があります。
 それは、
 「あんたは家では一体何語をしゃべっておるのか?」
 というものです。
 結論からいうと、僕とさい君の会話は99%さい君の母国語です。そして、さい君と息子の会話は、そうだな、90%さい君の母国語、10%日本語、ですかね。ついでに言うと、僕と息子の会話は、だいたい80%日本語、20%さい君の母国語です。
 ほう、では、あんたのさい君の母国語レベルはどれくらいなのかね?というと、まあ『NATIVE』には程遠い、けど会話には困らない、という感じです。
 そんな曖昧な言い方ではよくわからん、と思われるのはごもっともなので、もっと客観的で、具体的な表現を借りましょう。僕が持っている、さい君の母国の政府公認の言語技能検定試験の等級の基準には、こうあります。

 『新聞記事、文献を読んで翻訳でき、平易な業務文書を書いたり、簡単な通訳ができる。職場や社会生活に必要な言語を理解し、使用できる。』
 
 本人としては、その試験の難易度に比べてやや評価が辛い、実はもっとできると思うぞ、と感じないこともないですが、たぶん、当たらずといえども遠からず、これくらいのレベルでしょう。
 じゃあ、上述のレベルの外国語での夫婦間のコミュニケーションには支障はないのか、と聞かれると、これは、なんとも言えないです。
 と言うのは、先に述べたように僕はNATIVE SPEKEARではないので、当然限界があります。一方、さい君の日本語は、というと、まことに心許ないレベルです。
 -ただし、これは、さい君曰く、殆ど僕の責任だそうです。『あんたが、家で全然日本語を話してくれないから、私の日本語が一向に上達しないではないか』といつも言っています。前にも書きましたけど、さい君は、その流暢さの順番でいうと、さい君の母国語、英語、中国語、日本語、を喋ります。一方僕の言語の順番は、順位でいうと、一番日本語、二番さい君の母国語、三番無し、四番無し、五番無し、六番英語、以上、というところです。だから、結婚前から僕らふたりの間の会話は、英語ではなく、さい君の母国語で今に至るわけです。英語では疲れちゃいます。そして、これは、僕にしてみれば、日本語で話しても理解してもらえないし、妙な日本語で話しかけられるのも困るので、仕事で疲れて帰宅した後に『できるだけ快適な環境を選択した結果』なんですね。だって、外でも上司や取引先とのコミュニケーションに気を使い、家でも会話に頭を使う、ってことになったら気を休めるときがないです。だから、僕は、朝、家を出るときと、帰宅して家のドアを開けるときに、頭の中の言語のスイッチをそれぞれ、出勤時『日本語』に、帰宅時『さい君の母国語』に、パチリと切り替える、という感じです。-
 まあ、いまのところは結婚生活を継続できているので、結果としていいや、ってところです。ただ、お互い、無意識のうちに、NATIVE同士のカップルに比べて、なにかしら『取捨選択している』ことはあると思います。
 例えば、さい君は『これは難しい単語だから、だんなに話しても分からないな』と、僕の言語レベルを理解したうえで、使わない言葉があるだろうし、僕は僕で、『今日こんなことがあって、こう思ったけど、これは、ちょっとさい君の言語で表現するのは困難だから、言うのはやめちゃお。』なんてことを頭の中でやっている、と思います。

 「ほう、そうか、家では日本語を使わないのか、それで困ることはないのか?」

 という、質問もしょっちゅう受けます。これも返答に困りますね。
 なぜなら、この質問の根底に潜在しているのは『日本人同士の夫婦に比べたら・・・』という前提なんでしょうけど、僕は日本人と結婚したことがないので、実際には比較のしようがないから、です。まあ、夫婦のコミュニケーションって、こんなところかな、という感じで、いまは良し、としています。だって、夫婦に限らず、日本語を使う人同士でも、
 「だめだ、この人とはどう努力してもコミュニケーションは取れない!」
 ていうことは数多あるじゃないですか?ええと、例えば、そうだなあ、僕と佐川担当課長とか、ですね。

 ただ、どうしても通じない、ということは稀にあります。先日もこんなことがありました。
 さい君の職場で『女子会』があったんだそうです(最近、家でじっとしているのが嫌だ、といって、さい君は近所の町工場でパートを始めています。事務職ではないので、さい君の日本語レベルでもなんとかなっているみたいです。)。
 それで、さい君はみなさんと二次会でカラオケボックスに行きました。そして、帰宅したさい君が開口一番こう言ったんです。
 「ねえ、ケイタ『シブイ!』ってどういう意味?」
 え?
 「なんだよ、急に・・。それはだな、味覚の一種で、なんというか苦いと言うか・・・」
 と僕が限られた語彙の中でさい君の国の言葉で説明しようとしたら、すかさず、さい君に遮られました。
 「味覚?違う、違う!」
 は?なんかおかしいな。
 「どういう時に使われたのかね?」
 「あのね、カラオケに行ったの・・」
 「ふむ。」
 「それでね、せっかく行ったのに、みんな恥ずかしがって、誰も最初に歌いたがらないから・・・」
 「うん。」
 「行きたい、って言ったくせにめんどうなひとたちだなあ、と思って・・」
 「ほう。」
 「私が最初に曲を入力したら・・・」
 「したら?」
 「その曲を見たおばさん達全員が『シブイ!』って声を揃えていったの。なんて意味?」
 おう、そっちの『渋い』かあ・・。これは難易度が高いぞ。
 僕は、いろいろ苦労して『決して派手ではないけど、でも、ネガティブな意味でもなくて、価値がある、みたような・・・』と長々と説明してみましたが、さい君はうまく理解できません。『日本語』/『さい君の母国語』、の辞書を引いてみましたが、辞書にも『味覚』ではなくて、『困った顔』でもなくて、『けち』の意味でもなくて、『味わい深い』ほうの意味は適切なのが載っていません。
 しかも、どうも、この言葉には、他の言語への翻訳も困っているらしく、インターネットでいろいろ調べていたら、なんと、
 『"shibui" はオックスフォード英語辞典の中に収録されている日本語のうち、唯一の形容詞』という事実にあたりました。英語界でも、『渋い』にあたる単語はないようなんですね。

 結局、僕は今に至るまで、この単語に関しては、さい君を釈然とさせることができていませんが、そこは大らかなもんで、
 「まあ、たぶん、わたしの国にはない言葉ね。」
 といって、通過してしまいました。

 ところで、そういえば、この人はあまり日本語の歌は歌えないはず、と僕はふと思い、
 「何をリクエストしたの?」
 と聞くと、さい君は平然と即答しました。

 「テレサテン。」

 渋っっ!!!

===終わり===

暴力脱獄。

 今回は映画に絡むお話なので、粗筋を知りたくない方はご注意ください。

 『暴力脱獄』(原題『Cool Hand Luke』)というポール・ニューマン主演の古い映画があります。
 今回このブログを書くにあたって調べてみたら、1967年製作のものでした。
 僕は、この映画をたまたまテレビ放送で見ました。まだ中学生か、或いは高校生だったような気がします。
 筆者は、ブログを書くために再度映画を観直したりするような律儀な性格でもないので、記憶の範囲と今回調べた範囲でざっと、粗筋を書くと、ポール・ニューマン演じる主人公が微罪で服役します。そこには、邪悪で専横的な刑務所長が彼を待っていたのですが、主人公はまるで憑かれたように何度も脱獄を繰り返す、という話です(だったと思います。)。
 『何度も脱獄を繰り返す』ということは、別の言い方をすると、ポール・ニューマンは、つまり毎度捕まっちゃうわけです。それで、その度に所長から懲罰を食らうんですけど、何回目かの脱獄の失敗後に所長から、
 「これからは俺の忠実な下僕になると誓え。誓ったら許してやる。」
 とかなんとかいわれて、罰を与えられますが、僕は子供心にそのシーンに、たまらんなあ、これはきついなあ、と心底感情移入してしまい、その後この映画を見る機会はなかったにもかかわらず、この場面は未だに僕の記憶から離れません。

 以下、僕の記憶の範囲です。

 所長が、脱獄から捕まえたポール・ニューマンに服従を強要します。
 「これから俺の言うことを忠実に聞け。」
 しかし、主人公はこれを拒否します。
 すると、所長は命じます。
 「罰だ。『いい』というまで刑務所の庭に穴を掘れ。」
 所長は、部下に監視を任せ、一旦その場を去ります。ポール・ニューマンは黙々と穴を掘ります。
 そして、とうに主人公が隠れるくらい深く穴を掘ったころに、所長が現れて言います。
 「俺に服従するか?」
 主人公は従いません。
 「ほう、ところで、おまえ何をしてるんだ?」
 「命令で刑務所の庭に穴を掘っています。」
 「穴だと?こんなところに穴があったら邪魔だろう。埋めろ。」
 ポール・ニューマンは今度は、山盛りの土をスコップで掬い、穴を埋め始めます。
 そして、ほぼ穴が塞がった頃、また所長がやって来て服従を求めます。主人公は頑迷に拒否します。すると、またしても所長は言います。
 「おい、何をしている。」
 すでに、疲労困憊しているポール・ニューマンは、息も絶え絶えに、しかし、淡々と返答します。
 「所長の命令で、穴を埋めています。」
 「そんなこと誰が言った?俺は穴を掘れと言ったはずだ。穴を掘れ。」
 こうして、再び主人公は穴を掘り始め・・・・・・、という作業を他の受刑者が黙って見守る中、炎天下から日が暮れて真っ暗になるまで、延々と繰り返します。 
 僕は、その場面に、
 「うわあ、こんな仕打ちをされたら、ちょっと耐えられんなあ。苦しいだろうなあ。」
 と思わず、気持ちが入りました。
 未だに、このシーンを思い出すと、なんだかブルーな気分になるくらいです。

 僕は、そのとき、なんでこのシーンが、つまり、例えば痛みを伴う拷問シーンでもないのに、未成年であった僕の心に焼きついて離れないのだろう、と考えてみました。
 そして、僕が辿りついた結論を簡単に述べると、何故、この穴掘りの繰り返しがしんどいのか、という理由は、下記の二点です。

 ①『終わり』が見えない。
   -『服従する』というまでやらされるわけですから、服従するつもりのない主人公には、この作業の終わりが見えないわけです。そして、ゴールが不確かなことは精神的にとてもつらいことです。

 ②やっていることに『意義』がない。
   -命じられて穴を掘ったにも関わらず、『邪魔だ。埋めろ。』と一言でそれまでの労苦を否定され、穴を埋め、再度掘る、という作業は『なにも生み出さない』んですね。ただ、単に単純労働である、というだけではなく、『生産性がゼロである』と知らしめられながらやる力仕事、これもきついです。

 自分の背丈くらいの深さにひとりで手作業で、穴を掘って、埋めて、また掘る、というのはもちろん、肉体的にもかなりしんどいですが、実はこの『拷問』の本当の恐ろしさは、上述の二点のように人を精神的に追い詰める、というところにあったわけです。
 
 今回、僕は、この二点でも、特に②の『やっていることに意義がない』ということのつらさに着目したいと思います。

 例えば、肉体的につらい負荷でも、その対象が運動部の選手で『このことによって、俺はよりうまくなる』と思えば我慢できますよね。
 同じ『50メートルダッシュを20本』でも、そのことに『意義』を見出だすか否かによって、この作業が『納得してする実のある練習』にも、『精神的な拷問』にもなり得るわけです。もしこの内容を、運動選手でもなんでもない一介の中年サラリーマンに、突如目的も意義もなくただ強要したりすれば、それはまさに肉体的のみならず、精神的にも『拷問』以外の何物でもありません。
 僕は、中学のときは柔道部で、高校ではラグビー部だったので(どちらも戦績のほうはぱっとしませんでしたが。)、ポール・ニューマンの作業を自分の部活動での練習になぞらえてみて『やってもやっても何の得にもならない単純できつい練習』を想像して『うわ、これは、たまらん、勘弁してほしい。』と思ったわけです。
 ポール・ニューマンのやらされた穴堀り、穴埋めは、社会的に無意味だっただけではなく、まさに彼個人にとっても何の意義も見出せない作業だったんです。

 そして、『やっていることに意義を見出せないから辛い』ということは、逆に言えば『意義さえ見出されれば人は多少のことにも耐え得る』となります。
 もっといえば、それは、意識的な、あるいはときには無意識な、錯覚でもいいわけです。例えば『今やってることは単純作業でつらいけど、将来のために身につけておかねばならないことだ』と自分の精神を『うまく騙す』ことができれば、耐え忍ぶことができる、というように、です。
 そして、こういうことは案外日常にも転がっていて、人は、結構『目の前の肉体的苦痛』を『意義あるものと定義すること』によって、精神的負担を軽減しながら日々を生きているんではないでしょうか?
 我が家の日常においてもそのことは例外ではなく、例えばさい君の毎日のように繰り出される長い長い長い、内容の薄い話を、『うむ、これは外国語のヒヤリングの勉強と思おう』と夫が捉えて無理矢理『意義を見出す』ことによって、今のところ家内安全が保たれております。

 でも、思うんです。
 あれ?俺が会社という所で全然ぱっとしないのは、そもそも能力がない、だけではなくて、ひょっとして若くして『暴力脱獄』のワンシーンから先述のような教訓を学んだおかげで、『膨大な時間と肉体を会社に捧げているけれど、その目的である営利追求はたいへん有意義なことであり、そのためのいろいろな犠牲にはそれぞれ意味があるのだ』という『日々の労働を能動的にこなすための大前提』について、『営利追求が有意義だなんて、実はまったくのまやかしなんだよ~~~~ん』と、早くからうすうす気付いてしまったから、なのではなかろうか、と。
 すなわち、そうですね、いわば『経営理念や予算達成という壮大なドグマによる従業員の錯覚の誘引』というからくりを知ってしまい、その結果どうも最近(最近といっても、もう、かれこれこのウン十数年になりますけど。)『どうせ、錯覚ですからね。』と『自分のやっていることにいまひとつ価値を感じない』ために毎日の眼前の仕事に身が入らなくなってしまったからではないか、と・・・。
 うむむむ、我ながら失敬な社員ではあります。

 尚、映画では、ポール・ニューマンはこの穴掘りの責め苦に耐えかねて、とうとう所長の命令を受け入れ、その後、忠実な下僕となり、その代償として、それまであった受刑者仲間からの尊敬を一気に失います。
 しかし、それは実は所長を欺き油断させるためのかりそめの姿であり、ある日、野外作業中に野糞をするふりをして性懲りもなく脱走します。
 
 ・・・おっと、忘れるところでした。
 『営利追求という大義や会社の経営理念』に疑念をもたず、それによって日々の労働に意義を感じ、遮二無二働いておられる、あるべき姿の健全な会社員の皆さん、は、このブログは読まなかったことにしてください。
 そうしないと、今日からだし抜けに、『拷問のような日々』が始まってしまう可能性があり得ますので。

=== 終わり ===


 

習い事。

 今回はあまり綺麗なお話ではないので(我ながら、そういう話が本当に多いな。)、お食事中にお読みになるのは避けてください。
 ただし、『読み終わったら、あることをしたくなる話』です。

 『果たせている』とは言い切れないので自戒も込めて言いますけど、親が持つ子供への大きな責務のひとつは『子供に多様な機会を与えてあげること』だと思います。

 11歳になる我が愚息にも、いろいろとやらせてきました。
 でも、どうも長続きしないんです。それはまあ、小さいうちはいろんな経験をするのが重要だから、途中でやめちゃうことが必ずしも悪いこと、とは限りませんが、あまりにも淡白すぎるんじゃないかな、と父親としては多少心配です。

 まず、サッカーです。
 彼が幼稚園の頃、放課後にやっているサッカーチームに放り込んでみたんですけど、グラウンドに出て試合中にいきなり手でボールを触ったりした挙句、つまるところ『サッカーの何たるか』も理解することもせず、一日で辞めました。

 その次は、野球です。
 これは小学校低学年のときに彼の所属する小学校の野球チームに入れようととわざわざ休日に早起きして連れて行きました。大人の皆さんが親切に指導してくれたんですけど、これも興味がないようで、一日で辞めちゃいました。

 それから、これはさい君の方針でそろばん塾に通わせました。
 これは、一日とは言わず続いたんですけど、後述するある理由を強硬に息子が主張して、それに親が折れて、数ヶ月で退塾しました。
 そういうわけで、息子が継続しているのは断続的に入退会を繰り返している水泳と、学習塾(これも3つ目ですけど)のみです。
 

 さて、そろばん塾の退会ですが、その理由は、

 「そろばんのせんせいの口がくさくて、耐えられないから、どうしても、どうしても、やめさせてくれ。」

 というものでした。
 本当です。(応凰塾の先生、ごめんなさい。)

 通い始めた当初は、帰宅するたびに、
 「おう、フジ、どうだった、そろばんは?」
 と聞くと、そのたびに、
 「せんせいの口がくさかった。」
 と言っていて、なんだこいつは、もっと建設的な、そろばんそのものに対する感想とかないのか、しょうがない奴だなあ、と聞き流していましたが、彼のその主張は一回で終わるどころか、毎回通うたびに繰り返され、しかも、切実になっていきました。
 「きょうも、すごくくさかった。」
 などと繰り返し、ついには、
 「だめ、フジ、どうしてもたえられないから、お願いだから、そろばんをやめさせてほしい。」
 と、たいそう悲哀に満ちた表情で『懇願』するまでになりました。
 『そろばんを習うこと』そのものには嫌悪感などは感じていない様子で『本当に先生の口臭にまいっている』ようなんです。
 最初はあまり真剣に相手にしなかった僕とさい君も、あまりに息子が真剣に、それこそ全身全霊を込めて祈るように頼むので、最後にはとうとう折れて『せんせいの、口がくさいから。』という理由のみ、をもって、そろばん塾は退会することになりました。
 こんなことあり得るのか、意外に繊細な奴だなあ、そんなことで生活の仕方をいちいち変えていたら、将来大人になって社会に出たとき苦労するぞ、ま、しょうがないか、ということでこの件は一区切りつきました(応凰塾の先生、本当にごめんなさい。でも息子がそう言って譲らないんです。)。

 ところで、先日のことです。
 会社から帰宅した僕が、着替えて手洗いうがいを終えて、何気なく息子の近くに言ったら、突然彼が顔を顰めて言いました。
 「パパ、くちがくさい!」
 え??
 「ほんとか?どれくらい、臭い?」
 「アンビリーバボーに、臭い!」
 「!!?」

 ええ、なんだそら、本当かよ、こっちこそ、信じられないぞ。

 「臭いって、どんなにおいなんだよ。」

 ううん、口臭がする人って、自覚がない、というけど、俺もそうなのかな・・・・、でも俺に限って・・・、それにだいたいこいつは、他人の口臭に敏感すぎるんだろ、だから、そろばんも辞めたんだな。
 俺の『口臭』もたいしたことはないはず・・・。
 と、懐疑的に思いつつ投げた父親の質問に対して、息子が真剣な顔で返した答えは予想を遥かに超えたレトリックを伴っていました。
 即ち、息子は、真剣な表情でこう言ったのです。

 「あのね、ザリガニを飼っているすいそう、みたいなにおい。」

 ・・・・ザ、ザリガニを飼っているすいそお????
 
 筆者の名誉のために申し上げておきますが、僕はそれなりに歯のケアはしています。
 夜、歯を磨くときは、まず普通の歯ブラシで磨き、次に、電動歯ブラシで磨いて、さらに、最後にモンダミンで口をゆすいでいます。
 さらにもっというと、会社の歯科定期検診では『虫歯も歯茎の沈潜もなく歯周病でもない』と診断されています。
 それなのに・・・・。
 『ザリガニを飼育している水槽みたいな口臭』
 って・・・・(確かに息子は近くの川で自分で捕まえてきたザリガニを飼育してるんですけどね。)。
 これが本当なら、僕の所属する部署は『ザリガニの水槽みたいな臭いのする課』ということになります。
 皆さん、たいへんな思いをして日常を過ごしていることに、それこそ息子が『おねがいだから、やめさせてくれ』と懇願したそろばん塾のような環境にいるけど、みんな社会人だから我慢している、ということに、なってしまいます。

 どうなんでしょう。
 これが事実なら応凰塾の先生に謝罪している場合じゃないです。
 ここは、思い切って、隣に座っている課員に、
 「あの・・・ザリガニがいる水槽みたいな臭い、します?」
 って、聞いたほうがいいんですかね。
 
 ・・・・どうですか、『歯を磨きたくなった』でしょ?
 僕もそうなので、現在16時40分で、別に食事のあとでもないですが、今から歯磨きに行ってきます。

=== 終わり ===



 

春の心はのどけからまし。

 昨今、何が心をかき乱すといって『唐突な理不尽さ』に勝るものも、そうはありません。

 もちろん、生きていると頻繁に理不尽なことに出会います。
 特に『会社偏に毎日と書いて、りふじんと読む』と巷間言われるくらい、-いえ、実は、僕が今そう言っただけですけどね-、資本主義社会における営利追求団体には納得しないことが溢れております。
 しかし、その類の理不尽さには悲しいかな、ケーススタディを経て、だんだん免疫を持つようになり『お、またかよ・・・うん、いやいや、まあ、こういうこともあるよな。なんつたって会社なんだからしょうがないや。』なんて、幸か不幸か達観できるようになったりするわけです。
 ところが『唐突な理不尽さ』というのは、そういうわけにはいきません。

 つい、先日のことです。
 僕は朝起きて、ぼうっとした頭の中で『随分暖かくなったな、もう桜も終わりか・・・』と考えつつ『ふうむ、世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし、か・・』う~~ん、我ながら風流、と古い短歌などを脳裏に浮かべ、いつものようにひとりで、たらたらと朝食をとっておりました。
 と、珍しく、そう、非常に珍しく、南半球から来たさい君が起きてきて、僕の正面にどかっと座りました。
 以前にも書いたことがあるんですけど、さい君は僕が会社に行くときは、99%布団の中にいます。そのさい君が、朝食中の僕に正対したのであります。
 『ほう、これは珍しい・・』と一瞬思いましたが、僕は引き続き『ふむ、世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし・・・』と心の中で呟き、穏やかに、もそもそと、朝食を続けました。
 さい君は、僕の世話をするでもなく、じっと僕を見つめています。なんで僕の前に座ったのか判然としません。
 と、一瞥ののち、この外人は口を開きました。
 「あのね、夢を見たの。」
 ほう・・・。
 「それはね、どういう夢かというとね・・・。」
 あれ、ちょっとだけ嫌な予感が・・・。いま、会社に行く前なんですけど・・・。

 これも以前にも書いたと思うんですけど、彼女はとても、とても、とても、話が長いんです(自分でも『私は吝嗇で、かつ、話が長い』と認めています。)。
 ううむ、これは・・・と思いましたが、まあいいや、朝から頑張る必要もなかろう、さい君の母国語を頭の中で日本語に変換するのはやめればよいだけだ、と僕は早い段階で判断し、一応聞くような素振りは見せつつも『世の中に絶えて桜のなかりせば春の心ものどけからまし』と、朝食を続けます。
 さい君は、-いつものことですが-、息もつかずに一気呵成に大量の言葉を僕に浴びせはじめました。
 「・・・それでね、ふたりで、逃げるわけ、そしたらね・・」
 話の都合上、彼女の夢の粗筋だけを、かいつまんで書くと、僕とさい君が、包丁を持った一人の暴漢に追いかけられて、二人して逃げる、という夢だそうです(こう書くと、なんだかシンプルな夢のようですが、本当は枝葉末節がゴマンとあって、全部書くとたいへんなことになっちゃいます。)。
 僕はというと先述のように、さい君の言葉を逐語訳するスイッチを、はなからオフにして『世の中に絶えて桜のなかりせば・・・』と詠いながら、適当に相槌を打っていました。
 さい君は、そういう僕の心中を知ってか知らずか、かまわず話をずんずん進めます。
 まあ、続けたいなら、続ければよろしい。

 「・・それでね、私が『こっちに逃げよう!』と言ったら、ケイタがね『いや、こっちだ!こっち!』って言うから、ケイタのいう方向に逃げたわけ・・・・」
 ・・よのなかにたえて・・・、
 「そしたら、ケイタのいう方向は悉く行き止まりで・・・」
 ・・なかりせば・・・、
 「ケイタの指示は全然なってないのよ!」
 ・・はるの・・・、
 「なんで私の言うことを聞かないの?」
 ・・のどけ・・・え?
 いやいや、それはあんたの夢の中のことであって、今、俺に言われても・・・、
 「あなたは、いつも、そう!」
 はあ?
 「先週もそう!バーベキューの火おこしのときに、私が着火剤を待ってからにしなさい、と言うのに、ケイタは炭をバーナーで炙り続けて、結局着火剤が到着するまえにバーナーの燃料が切れたじゃないの!さっきも、そうよ!私のいうことを聞かないからうまくいかないのよ!」
 !から、からましいいっ!!??

 それとこれと、一緒に怒られるの??そんな、ご無体な!

 僕は、春ののどけからましな朝食時に唐突に現れた『理不尽さ』にうまく対処できず、大いに困惑してしまいました。

 さい君が、数ヶ月ぶりに僕が会社に行く前に布団から出てきた目的は『さっき言うことを聞かなかった夫を叱咤するため』だったんです。

 僕は、そろそろ会社にいく時間になってしまったことと、何よりさい君の母国語で『理不尽な!』というのは何て言えばいいのか、出てこなかったので(『あんた、ちょっと論理的ではないぞ』とか意訳しようと思えばできたかもしれませんが、そのときの心持ちは『理不尽な!』という言葉を直訳すること以外を僕の言語中枢に許してくれませんでした。)、つまるところ、さい君の理解し難い怒りに唖然としつつも家をあとにするとになったのであります。

 おいおい、なんで、そうなるんだ?という疑問は未だにありますが、藪蛇になるのを恐れて、それから今に至るまで、さい君とはこの件については話し合っていません。
 
 『唐突な理不尽さ』ここに極まれり、と言えましょう。
 ああ、びっくりした。

=== 終わり ===

目標。

 寝そべっていたら、息子(11歳)が風呂上りに全裸で飛び込んで来て言いました。

 「ねえ、パパ!」
 「うん?」
 「お風呂のあと、すぐちんこを触っても、手を洗わなくていいのは手がきれいだから?
 それとも、ちんこがきれいだからなの?
 どっち?!!」

 はあん?
 この男は、他に思いつくことがないのか。

 それは、小学生だから、『核兵器の抑止力か、核廃絶か、のジレンマ』という命題について悩め、とは言いません。でも、新聞を読んで時事問題について、ええと、そうだな、例えば『少子高齢化って何が問題なの?』なんていう質問をし始めても、決しておかしくはない年齢だと思うんです。それなのに・・・。
 『ちんこか、手か、のジレンマ』なんてどうでもよろしい。
 どうも、まだ思考回路のピントが合ってないですね。
 そもそも、一体どういうはずみに、そんな何の役にも立たない面妖な疑問を思いつくんでしょう。しかも、その問題は、服も着ないで父親の元に馳せ散じて解決しなければならない、即ち、あたかも、焦眉の急でもあるかのような疑問でしょうか?

 父親としては、かなり心許ないです。

 先日も、こんなことがありました。
 いつものように、仕事から帰宅したら、さい君から息子を塾に迎えにいくように命令されました。僕は、おとなしくその指示に従い、塾へと赴きました。
 到着すると、-そこは慣れたもんで、すでに勝手知ったる間柄です。-、
 「こんばんは。」
 と、中にずかずかと入り、自習室にいる、しかし、勉強をしているのか、遊んでいるのか判然としない息子に、
 「おい、フジ、帰るぞ。」
 と声をかけました。
 愚息は、僕に言われるまでもなく、父親の姿を見ると帰り支度を始めました。
 息子が用意している間、しばしの無聊にまかせて、僕は何の気なしに塾の中を見渡しています。と、ある掲示物に眼が留まりました。
 そこには、小さな短冊状の紙がたくさん貼られています。どうやら、生徒さんたち各自の『目標』が記されているようです。
 どれどれ・・・。

 『ケアレスミスをなくす!』 
 ほう、大人びたことを言う子もいるんだな。
 『XX中学に絶対合格!』
 おお、頼もしい。
 『偏差値70!』
 お、具体的ですなあ。

 それぞれが、決意を語っていて、なかなか興味深いです。
 いろいろあります。
 『これが本当に小学生の字なのか』と瞠目させらるような綺麗な字で書かれたものもあります(そういうのは、この年齢では大抵、女の子によるものですね。)。
 かと思えば、塾の掲示板なのに、
 『サッカーを頑張る!』
 なんていうのもあって、これはこれで子供らしくて微笑ましいです。斯様なものも混ざっているというのは、それはそれで児童の集団としては健全だし、一方でこの塾の先生方に包容力がある証し、ともいえます。

 ・・・ところで、俺の息子のはどこに???
 見当たらんぞ。
 「パパ、フジのをさがしてるの?」
 いつの間にか、帰り支度を終え自転車用のヘルメットを被った息子が隣に立ち、僕の顔を見上げながら聞きました。
 「うん、フジは書いてないのか?」
 「ちがうよ、ちゃんとかいたよ!ほらひだりの、いちばんうえ。」
 おう、そうか、そうか、と、彼の指差すほうに視線をむけると、果たして、いつもの乱暴な字を見つけました。
 ええと・・・?

 『世界で、100番に入る。』

 うん????

 この時の、僕の父親としての、もやもや感を表現するのはなかなか難しいです。
 すなわち、読んだ瞬間、感心するでもなく、微笑ましく思うでもなく、頼もしくもなく、かといって、落胆するでもなく・・・、とにかく、『なんだかしっくりこない』というのが偽らざる心境でした。
 なんで、こんなもやもやした気持ちになるんだろう・・・・。
 僕は、自分の中に反射的に湧き上がった心持ちを自分でうまく受け止められずに、再度、息子の決意表明を反芻してみました。

 『世界で、』
 ふん、世界で?・・・。
 『100番に入る。』
 んんん?ひゃくばん??

 どうも、しっくりきません。
 「おい。」
 「なに?」
 「これ、なんだよ?」
 我ながら愚問だな、と思いつつ、しかし、僕の曖昧模糊とした胸中は、そういう言葉を僕の舌をして選択させざるを得ませんでした。
 「なにって、フジのもくひょうじゃん。」
 と、果たして息子は明快に答えました。
 「いや、それはわかるんだけどさ・・・」
 「うん。」
 「世界で100番、てなんだ?」
 「だってさ、」
 「うん、」
 「せかい、でさ、」
 「うん。」
 「いちばん、とかは、むりでしょ?」
 「え・・・?」
 「でもさ、せかいでひゃくばんて、すごくない?」
 「・・・・。」

 そうなんです。ようやく分かりました。
 息子のこの目標が僕にフラストレーションを感じさせたのは、『前半の言葉と後半の言葉が呼応していない』こと、によるものだったんですね。

 前半の『世界で』は、広大で、ロマンがあり、抽象的、幼く、そして、傲岸不遜、です。
 一方、後半の『100番以内に入る。』は、卑近で、下手に現実との摺り合わせまでされていて、いやに具体的で、そして、変なところで少しだけ謙虚、です。
 
 他の生徒さんの目標を見ても、『世界で』なんて広大な分母を相手にしている子はいません。その代わり『100番以内に入る』なんて、妙に現実感を強調しているものもないです。
 なんだなんだ、そもそも、『世界で100番』などということは、現実には判明しようがないじゃないか・・・。それに、よく考えたら、『到底無理』だし・・・。
 どうせなら『一番なんてなれないから』とか言わないで、
 『世界で一番になる!』
 と徹底して大きく表明してくれれば、それはそれで『うむ、男の子はこうでなくては!』と思わせてくれたでしょう。
 或いは、
 『全国模試で、名前が載るようになる!』
 と、精神的に成熟した目標を立ててくれれば『おう、我が子ながら逞しい』と感じたと思うんです。
 親としては困惑しなかったはずです。
 
 『世界で、100番に入る。』

 ・・・・こいつ、大丈夫かなあ。相変わらず、ピントが合ってないみたいだ。
 本当に、先行きが心配です。

 尚、冒頭の、
 「お風呂のあと、すぐちんこを触っても、手を洗わなくてていいのは手がきれいだから?それとも、ちんこがきれいだからなの?どっち?」
 という彼の疑問に対しては、そんなの知らないよ、どっちでもいいだろ、と思いながらも、親としての威厳も保たねばなるまいと、
 「は?・・・まあ、それは、なんだ、そうだな・・・ちんこがきれいだからじゃないか。」
 と、ーいい加減にですがー、返事してやったら、息子は
 「ふうん!そうか、ちんこのほうかきれいだからなのか!」
 と、答えたこっちが一瞬怯むくらいに、痛く得心し、全裸のまま僕のもとから去って行きました。不安です。

 ところで、手を洗わなくてもいいのは、
 「ちんこがきれいだから。」
 で良かったのでしょうか・?そうじゃなくて、手がきれいだから、が正解かな・・・。いや、
 「ちんこと手と、両方がきれいだから。」
 と言うべきでしたかね。
 んん・・・?、ちょっと待てよ・・、うむ、これは、したり!つい息子のペースにはまって『二者択一のジレンマ』だとばかり思い込んで回答してしまいましたが、
 「風呂上りだろうが物が物だから、どのみち、触ったら手を洗え。」
 と、言うべきだったのではないですか!・・・・・これはもしかしたら、ピントが合っていなかったのは『親子ともども』だったのかもしれません。
『いずれにせよ、ばっちい。』ですものね。
 う~~ん、しくじったかしらん・・・。

=== 終わり ===

 
 

仕事ごっこ。3

 僕は、ついには『感動』という言葉を辞書でひいてみるにまで至りました。

 いや、わかっています。筆者はちゃんとわかっているんです。
 このブログの前回、前々回が、さして好評でなかったこと、それらが一部の方、中でも特に女性読者をネガティブなスタンスに追いやってしまっていること、はちゃんと自覚しているつもりでした。従って、よもや続きを脱稿するなどとは僕自身も考えていなかったのです。
 しかし、前回分を脱稿後、さらに情報交換をしたり、例によって業務中にいろいろ調べて見た結果、それらの情報とそれらによって喚起された僕自身の感情の隆起がどうしても、前回、前々回の続きを書かないことを許してくれませんでした。
 もちろん、悩みました。斯様な品の無い内容を三回も続けるのはどうかと・・・。悩みぬいた挙句『そもそも一体、俺は何のためにブログを書いているんだろう?』という質朴にして、抜本的な疑問にまで突き当たり『それは、自分が日々感動したことを誰かと共有したい、ということではないだろうか?』という思いに至り、ついには『感動とは何ぞや?』と思いを馳せ、つまるところこのブログを書くにあたり、辞書で『感動』という言葉をひくにまで至りました。
 三省堂国語辞典にはこうあります。
 『感動・・・ものごとに感じて起こる、精神の興奮。深く感じ入ること。』
 『精神の興奮』!!!
 本当にそう記されているんです。
 幸か不幸か、『泡洗体のその後』を知ってしまった、今の僕の心のありようを表すのにこれほど端的にしてぴったりな言葉はありません。
 なるほど、俺は読者の皆さんと『精神の興奮』を共有したいわけだ・・・・。そういうことなら、これは、お蔵入りにさせるわけにはいきません。

 ・・・・・と、いうわけで『仕事ごっこ。3』です。
 世の『良識ある紳士淑女』の皆さん、特に品の無さにうんざりしている女性読者の方は、今回もご辛抱ください。

 前回分を記したあと、いろいろ探った僕は、さらにオプショナルな世界に入りこんでいってしまったのです。

 まず『密着』です。
 これにもいろいろあり、なんと、
 『水着で密着コース』
 という施術がありました。嗚呼、水着です、水着!しかも、例によって『当店は風俗店ではありません。』とあるじゃないですか。嗚呼、『水着で密着』なのにです!
 ちなみに、僕が調べたお店では『通常の水着か、スクール水着か選択可』とのことです。

 それだけではありません。
 『VIP姉妹コース』
 などというのを標榜している店もあり、これは一体、なにがいいのかわかりませんが、説明によると、
 『二人のセラピストによるマッサージです。王様になった気分を味わえます。』
 なんだそうです。嗚呼、王様です、王様!しかし、この店ももちろん『当店は風俗店ではありません。』だそうです。王様なのに、です!
 精神の興奮を感じざるを得ないじゃないですか。

 それから、例の『泡洗体』ですが、これにも進化系がありました。それは、
 『立ち泡洗体』 
 という派生コースです。
 たちあわせんたい・・・・・。
 どっちがどうなのかわかりませんが、この『施術』への力の入れ方を見ると、どうも通常のただの『泡洗体』より、『立ち泡洗体』のほうが、『何かがよりベターなコース』のようです。

 また、前回の僕の推測、つまりこれらの店では実際には『別方面のサービス』を行っているけれども、保健所の手前、風俗店ではないことをホームページでは装っているだけであり、そこは行間を読んで来店してくださいね、ということに違いない、という洞察、を揺るがすような情報にも出会いました。
 これにも驚き、かつ『精神の興奮』を感じました。
 すなわち、いくつかの書き込みやブログには、こうあったのです。

 『泡洗体というのは、沖縄が発祥で・・・』
 ほう、沖縄なのか・・・・。
 『最近、本土に上陸し、東京、大阪などのメンズエステ界で流行している・・・』
 なるほど、最近なわけね。
 『が、風俗店ではないので、妙な期待をして行かないように。そういうサービスはないですよ。』
 ええ!!!????

 だって、今までの情報を纏めてみて、各々の店の力の入れどころを分析して、そうですね、僕がもし『泡洗体メンズエステ』の経営者になれと言われたら(もちろん、そんなことは誰にも言われてませんが。)、当然、これらの市場に対する訴求店の『いいところ取りのコース』を考案すると、思うんです。
 つまり、こうですね(ええと、マーケティングというのは、自分自身をその対象から完全に外した純客観的なもの、というのはあり得ないと思いますし、あったとしてもそういうのは、往々にして的を射ていないことがあるので、ちょっと、-ちょっとだけです-、筆者の主観や嗜好が反映されているかもしれませんが、ご了承ください。)。

 『巨乳バスト92センチ(Dカップ)のみほちゃんと、同じく巨乳93センチ(Eカップ)のローズちゃんが【VIP姉妹コース】で【スクール水着】を着て、代わる代わる【密着】してくれたうえに【立ち泡洗体】をしてくれて、王様になった気分を味わうことができる。』

 というコースですね。
 豪華です。
 名付けろと言われたら(もちろん、誰にも言われておりません。)、題して、

 『超VIP水着巨乳姉妹密着立ち泡洗体王様気分、精神の興奮、当店は風俗店、ではありません、コース』

 です。
 うむ。
 我ながら、何のことやらわからなくなるくらい、豪華なネーミングではないですか!

 しかし、どうなんでしょう?
 もし、筆者がこういう類の店を経営しろ、と言われたら(しつこいですが、そんなことは言われてません。)、僕が思うに、この種の店というのは『固定客』や『リピーター』がとても重要だと思うんですよね。
 巨乳水着姉妹に密着され立ち泡洗体をされて王様気分になって、安からぬお金を払った(実際、万単位のお金って今どき、特にサラリーマンにはかなりのインパクトを伴う出資です。)挙句、『別方面のサービス』は無しなのに、つまり、何と言いましょうか、そうですね、まるで毎度毎度、
『悦楽のすんどめ』
 みたいな状態で放置されて、それでも繰り返して足繁く通ってくれる客って・・・いるのかしらん??
 けれども、さらに、いろいろ見てみると『泡洗体メンズエステ』を名乗っているところでも、堂々と『風俗店』であることを標榜している店にも幾つか当たりました。
 やはり、水着密着だの、姉妹だの、立ち泡洗体だの(しかし、我ながらすごい文言が飛び交うブログだ。)を提供します、と言っている先述のところは『すんどめ店』なのかなあ。
 しかして、重ねて思うんです。そこまでのサービスが付帯してきているのに『妙な期待をして行かないように』では、なかなか経営が成り立たないのではないでしょうか、と。

 う~~~む、謎はさらに深まります。

 と、いうわけで、謎は謎として、次回は『立ち泡洗体』の『立ち』とは『いったい何が立っているのか?』について、精神の興奮を伴う考察です。
 ・・・・・なんてことは決してしませんので、どうかご安心ください。
 いや、まったく面目ございません。

===終わり===


 
 
 
 

 

仕事ごっこ。2

 『巨乳みほちゃん(24歳)入店しました、の謎。』に関しては前回で一段落するつもりだったんですけど、脱稿した後、まつしまみこさんや、こじまくんと会話を重ねたり、いろいろ調べたりするうちに(ええと、別に、まつしまみこさんや、こじまくんが、その方面のエキスパートである、ということではありません。たまたま、ご反応いただいたので、彼らと雑談的に一般論として会話をした、ということであります。)、僕の推測に深みが増してきてしまったので、今回は前回の続きです。

 いや、反省してます。
 『夜郎自大』とはまさに僕のことです。猛省しております。

 まつしまみこさんや、こじまくんと会話をするうちに、少し気になって僕は軽い気持ちで『泡洗体』とインプットしてネットで検索してみました。
 『だいたいがそんな面妖な言葉、日本語として存在するのかよ。』という傲岸不遜な気持ちと共に。
 すると、どうでしょう、驚くなかれ『泡洗体』は、50万件(!!)もヒットしたのです。50万件です、50万件!中には『泡泡洗体』なんてご丁寧にも『泡』を連発したサイトもあります。
 これは『ほうほうせんたい』と読むんでしょうか、それとも『あわほうせんたい』かな、いや『あわあわせんたい』と読んだほうが、なんだか語感的によりサービスの内容に想像を逞しくさせるものがあるかな?いろんな意味で(その、情景的に全身是『あわあわ』だとか、心理的に未体験な快感に『あわあわ』するとか、経済的に会計のとき驚いて『あわあわ』するとか、まあ、いろいろです。)『あわあわ』してしまいそうだし・・・。
 その多くは『エステ店』のウエブサイトでした。どうも『エステ界』では、ごく普通の言葉のようなんです。
 僕は自身の浅学を大いに恥じました。恥じると共に、さらに興味が喚起され、その『泡洗体』で検索されてきた、『エステ店』のサイトをいくつかクリックしてみました。
 そして、仰天しました。
 なぜなら、そのいくつかの『エステ店』は『サジタリウス』の『巨乳みほちゃん(24歳)入店しました。』という文言を遥かに凌駕する扇情的な内容だったからです。
 すなわち、ある店のサイトでは『セラピスト紹介』とあり(飽くまで『エステ』なので『マッサージ嬢』などではなく『セラピスト』なわけです。)、まことにセクシーな衣装、官能的なポーズ、で若い女性達が紹介されているだけではなく、各人のスリーサイズが記され、さらに、念の入ったことに、全員バストの記述の後にはカップサイズまで記されてるじゃないですか!
 『えみ159㎝ W89(D)W57H87』
 というように。そして、これまた奇怪なことに、申し合わせたようにそれらいくつかの店のサイトには、『当店では性風俗的なサービスは一切行っていません。』と、はっきりと、しかし、意識して留意しなければ見逃してしまうほど、その他の情報に埋没するように小さく書き込まれています。

 ふーむ、これは一体どういうことなんだろう?

 僕が不思議に思っていた『サジタリウス現象』はどうやら、エステ界では当たり前のもののようです。もっと探ってみましょう。
 おお、さらに過激なエステ店のサイトに到達してしまったではないですか!
 その『エステ店』は例によって『性風俗的なサービスはしていません。』と断ってあるんですが、『店内施術写真』とあるページに(そこは有り様は『エステ店』なので『サービス内容』ではなく『施術内容』なんですね、これにも妙に感心しちゃいました。)、いろいろな『施術』が写真入りで紹介されているんですけど(『施術』しているのは、妖艶な衣装のままの若い女性ですが、施術されている人も、何故か女性です。この辺りも『性風俗的なサービスは行っていません。』という主張を敷衍しているように見受けられます。でもWEBの内容を見ると、とても女性客が来店するような場所には見えませんけどね。まあ、来店する、しない、はともかく、猛々しい毛むくじゃらの男性に『施術』している写真を見せられるよりはいいです。)、ある『施術写真』を見た僕は、瞠目しました。
 そこには、『アカスリ・泡洗体』(出ましたね。)などと共に、『密着マッサージ』とあり、仰向けで下着だけになっている客に見立てた女性に、肌も露な『セラピスト』が横たわってやや斜めに構えながら、そのたわわな(にしか見えません。)胸を客の背中に押し付け、全身を重ねて、まさにその体を『密着』させている写真があるではないですか!

 密着マッサージ!!!

 写真の説明には、『・・お客様に寄り添うように密着しながらマッサージいたします。セラピストの甘い香を感じながら至福のひとときを・・・・日常生活では体験できないシチュエーションが心を元気にさせてくれます。』とあります。『密着マッサージ』の写真は他にも2枚アップされていて、そのうちの一枚は、なんと『セラピスト』がうつ伏せの客に仰向けに重なり(つまり、背中同士を合わせているわけです。)、器用にも、と言いましょうか、ご苦労にも、と言いましょうか、右手で客の左下腿をご自分の体の右側に引き上げ、その体勢で、ーつまり天井を向いたままの状態で、ー彼女は客の足の裏をマッサージしています!
 確かに、まがう事なき『日常生活では体験できないシチュエーション』です。なるほど、『密着』しているのは間違いありません。でも何だってそんな無理矢理な態勢での『密着』をしなければならないんでしょうか。
 僕は、思わず、きょろきょろとあたりを見回してしまいました。なぜって、僕は例によって、そういう方面にアクセスできないはずの会社のパソコンで、

 『まつしまみこさんやこじまくんと会話』→『泡洗体』を検索→『某エステ店のサイトへ』→『密着に到達』

してしまった、からなので『施術・密着マッサージ』の写真に見入っているところを上司や同僚に(僕は部下はいません。)見られたのではないか、と危惧したわけです。

 みっちゃく・・・・・・・・。

 これと比べたらサジタリウスの『巨乳みほちゃん(24歳)・・・』など可愛いもんです。
 どういうことなんだろう、これは・・・?僕の疑問はさらに深まります。
 そこで、僕は、
 「ううむ、これは、やはり、東大立目立の『サジタリウス』も『密着』店も、かなりの高い可能性で『別の方面屋さん』に違いない。」
 という仮定をもとに、いろいろと調べ始めました。

 その調査(『調査』という言葉を使う程のことでもないような気がしますが、他に言葉が見当たらないので。)の過程で、ある似たような事象について興味深い解釈に当たったので、備忘を兼ねて、ここで記しておきたいと思います。
 それは、僕が『実際のサービス内容と建前』の好例として『ソープランドと売春防止法』について、まず調べてみたからです(『好例』なのかな?)。
 なぜそんなことをしたのかというと、以前、ちらりと『ソープランド個室内で行われている行為は、実は客と女性との偶然の自由恋愛によるもの、と看做されているから売春にはあたらないので検挙されない』と聞いたことがあったからです。
 本当ならすごい発想だよな、と以前から僕は思っていました。まさに大人の法解釈です。
 ソープランドで働く女性は、一日に何回も、それもわずかな時間のうちに客と恋愛に落ち、それで恋愛に落ちると漏れなく毎回『抜き差しならぬ関係』までいっちゃうんであります。僕は、それが本当なら、と、その法解釈の常識からの超越ぶりには敬意を払いつつも、この構図を解明できれば、それが『密着はするが性風俗的サービスをしないと主張するエステ店』にも同系統の思考方法として敷衍できるのでは?と睨んだんです。

 まずソープランドの方に関して、結論から述べましょう。
 『自由恋愛だから見逃されている』というのは通説としてはかなり流布してはいるものの、どうも僕の調査から導き出された結果としては、誤解と見受けられます。
 やっぱりあれは『売春』のようなんです。
 それはそうですよね。毎回何度も恋愛しては、その都度ことに及ぶなんて、やってらんないです。

 枝葉末節を省いて簡潔にいうと、売春は大きく『管理売春』と『単純売春』の二種類に定義されます。法律上の定義では両方共『売春』です。けれども日本の『売春防止法』という法律(一般に『売春禁止法』などといわれることがありますが、そういう法律はありません。売春防止法が正しい法律名です。)は、売春そのものを禁止しているのではなく、『売春を助長する行為を禁止している』んですね。
 つまり、『管理売春』とは身柄を拘束し売春を強制すること(人身売買のように)、で『単純売春』とは拘束を受けずに自らの意志で客と交渉し売春すること、らしいです。そして『管理売春』は明らかに売春を助長する行為なので、これを違法とし、罰則もあるんですけど、『単純売春』は売春は売春なんだけれども刑事罰の対象とはならない、のだそうです。
 ソープランドの浴室内で行われているプレイは『単純売春』だから、罰則は無い、ということになります。つまり、ソープランドの施設側(経営者側ですね。)は『浴室の準備と、入浴を補助する女性従業員の手配はしますが、あとはお好きなように、いやいやそこは皆まで言わさないでくださいよ。うちは管理売春をしているわけではないので。』ということのようです。それゆえ、ソープランドの料金が、多くは『入浴料』(施設側、つまり運営者側に払うお金)と『サービス料』(女性従業員のサービスに払うお金、つまり、単純売春への対価を含む。)との二本立てになっており、それを支えていたのが上述のような法解釈だったわけです。
 だから、ソープランドに行って、入浴料のみ払って、文字通り入浴だけをして帰って来ても構わないんですね。
 世の女性は本ブログを機会に、男性が『ソープランドに行った』からと言って、『いやいや、ちょっと高い銭湯に入ってきたんである』とその人が頑迷に主張したとしても、あながち否定はできない、ということを理解しましょう。

 脱線が長くなりました。
 ここで、本題の『サジタリウス・泡洗体』問題に戻ります。
果たして、この問題も今のところ僕が到達した結論からいうと、上述の『ソープランドと売春防止法の関係』に近いものがあるようです。
 すなわち、下記のような関係が導き出されました。

 *風俗店(いわゆるファッションヘルス)
  -管轄法律は、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)
  -公安委員会への届出が必要
  -営業は午前1時まで

 *エステ店
  -保健所からの営業許可が必要
  -営業は24時間でも可

 つまり、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)と公安員委員会によって縛られたくない、けど『実態は別の方面屋さん』として集客したい、と考えた場合、『エステ店』として『保健所の許可を取り』、『時に巨乳のセラピスト』が、『24時間営業』していまして『背中と背中との密着』も含めていろいろな『施術』をするけれども、店としては対保健所の手前、『性風俗的なサービスは一切しておりません!』となるわけです。
 それで例えば『甘い香りの密着マッサージ』の結果『お客さんとセラピスト』の間で、感情が高まり『思わず』あれよあれよといううちに、いろんなプレイにお互い合意のもとで及んでしまい、『そういうことをしてくれたセラピストに好意としていくばくかのチップを渡す』ことには『エステ店』であるところの店側は一切関知しませんよ、ということらしい、というのが、僕が今のところ辿り着いている結論です。

 だから、サジタリウスも午前三時までの営業だったので、サジタリウスは『ファッションヘルス』ではなく、保健所の許可を受けた『エステ店』であるけれども、しかし店内では『実際には客と巨乳ゆみちゃんとの間の交渉によっては別の方面のサービスは行われていると判断してあげる』のが、『*当店は風俗店ではありません』というサジタリウスのメッセージの『行間を読んで頂戴ね。』という意を汲んであげる正しい理解、というべきでしょう。
 だって、肌も露な妖艶な女性に『あわあわ』されたうえに『日常生活では体験できないようなシチュエーション』で『密着』までされて、かつ『甘い香りを楽しみながら心を元気に』された挙句、それでもって『はい、おしまいっ!!』って解放されてもなあ、というのが、サイトを見て期待を胸に来店した客の人情というものではないでしょうか?
 ちなみに、『エステ 密着 泡洗体』で検索したら、65,300件もヒットしました。

 ま、本当のところは、
(ソープランドと違い、料金体系もよくわかりませんし。だって、それならWEBにある料金-つまりこれがソープランドでいうところの『入浴料』なら-それ以外に料金がかかりますよ、ってことじゃないですか。あるいは、もっと穿った見方をすると、『妖艶なコスチューム』だの、ーいや、それらしい雰囲気のサイトに誘導されている時点で、そのことはもう始まっているのかもー、だの『密着』だの『泡泡洗体』だの、で散々客を発情させておいて『何をおっしゃいますやら、サイトでもお断りしておりますように、当店ではそのようなサービスはしてはいけないんです。いえいえ、いえいえ、できません!』とサイトの文言と、ここという時の女性、がタッグを組み、欲情におさまりのつかなくなった客の足元を見て、オプショナルな料金であるところの『別方面のサービス料金』を吊り上げよう、という巧妙なマーケティング戦略かもしれません。もしくは、もっとシンプルに、そこはサイトにある値段が『全部込み込みです』なのかな?)
来店してみないとわかりませんけどね。

 でもここまで僕ごときが『解明』できるのであれば、当局(この場合は公安委員会と保健所かな?)だって本気になればわかりそうなものだけどな。

 以前、ビートたけしさんだったと思うんですけど、
 「憲法第九条と自衛隊との関係って、言ってみりゃあ、売春防止法とソープランドみたいなもんだ。」
 とテレビで言われているのを見て、
 「ううむ、至言だ。」
 と感心した覚えがありますが、『風適法とサジタリウスや密着との関係』も、そういうことなんでしょうか?
 おっと、肝心の『泡洗体』ですが、要は体を泡だらけにして、あるいは泡泡だらけにして『全身くまなく』(そう、『くまなく』ですぞ。)汚れを落として『すっきり』できる『施術』のようです。

 それから、これも今回勉強したことなんですけど『ファッションヘルス』というのは和製英語だそうです。外国人に言ってもたぶん通じません。
 注意しましょう。

===終わり===

仕事ごっこ。

 他人様からの伝聞なので出典を明示できませんが、ある説によると日本のサラリーマンの『仕事』の何割かは『仕事』ではなくて『仕事ごっこ』なのだそうです。
 全くもって言い得て妙です。僕はこの主張には無条件で賛同しちゃいますね。
 なんでまたそんな言い訳じみたことを言い出したのかと言うと、これからする話も他ならぬ仕事中に遭遇したことだから、です。

 僕が、若い頃全然縁がなくて、しかも間違っても俺に限って将来もそうはならないだろうと思っていたことなのに、実際なっちゃったこと、といえば、花粉症と、国際結婚と、肩懲りと、窓際で給料泥棒と、-ええと、他にもあると思うんですけど、とりあえず、今日のところはその辺にしときます-、ですね。
 そのうちの、肩凝りに関してですが、いやあ、つらいですねえ、肩凝り!びっくりしました。
働き出してからもしばらくはそんなものには無縁だったので、実際になってみてそのつらさに激しくうちのめされました。僕の『肩凝り』は厳密に言うと、肩の上の方からうなじにかけての筋肉が、体の内側から鉄の棒でも貫通されたみたいにガチンガチンになっちゃうんです。
 そういうわけで、ちょっと前のある日、仕事中に、自宅の近くにマッサージ屋さんでもないかしらん、と思いながら、インターネットで『東大立目 マッサージ』とインプットし、検索してみたときのことです。
 ええと、断っておきますが、僕はその時、本当に家の近くの『マッサージ屋と称するマッサージ屋さん』を僕の肩凝りの為に探していたんであって、最寄駅の東大立目駅近辺に『マッサージ屋と称する別の方面のサービスをオプショナルなプレイとして提供するマッサージ屋さん』がないかしらん、と物色していたわけではありません。
 なぜって、僕の会社のパソコンは、ちゃんと『マッサージ屋と称する別の方面のサービスをオプショナルなプレイとして提供するマッサージ屋さん』(以下、『別の方面屋さん』と略します。)のサイトには、-『別の方面屋さん』だけではなく、ギャンブルとか、SNSとか、ツイッターとか、チャットとか、動画、それに、アダルトな画像などにも繋がりません。ことごとくブロックされます。でも、あれというのは、どういう仕組みなんですかね。ごまんとある全世界のネット上の情報の海に対して、パソコンに一体どういった海図を持たせてアクセスできないようにするのか、僕にはちょっと理解不能です。-、アクセスできないようになっているから、鼻からそんなことは意図していなかったわけです。
 僕の知っている範囲では、近所にある『マッサージ屋と称するマッサージ屋さん』は確か駅前に一軒あるだけで、そこには行ってみたことがありますが、どうもしっくりこなかったので、一度で行くのをやめてしまいました。
 そういう経緯があったので、さして期待もせず、なんとなく(もちろん、業務時間中にです。)探していたら、

『アロママッサージ サジタリウス』(仮名)

というのに出くわしました。

 「ほう、こんなのあったっけ?」
 そう思いつつクリックすると、画面はその店のかなり明るい基調の色使いのホームページに変わりました。
 「ふむ、会社のパソコンから入れたということは俺の探しておる『マッサージ屋と称するマッサージ屋さん』ということだな・・。どれどれ・・・」
 と進んでいくと、『ホーム』とあるところに『アロママッサージ 60分 10,900円、90分・・・・』と書かれています。
 「アロママッサージ・・・・」
 僕は、体にいろいろと塗りたくられるマッサージはあまり好きではないので、『アロママッサージってどうなんだろう・・・よく知らんがなんか塗られそうだな・・・』と今ひとつそのメッセージに啓発されずに、ぼうっと画面に視線を泳がせて、読むでもなく、その『ホーム画面』にある字面を下の方へ、脱力しながらスクロールしていきました。
 と、次の瞬間、僕の脳は鋭く覚醒し、その虹彩は大きく見開きました。

 ええ、筆者の人格に関わることなので、ここで、繰り返しておきますが、僕は『仕事をするふりをして、業務時間中に会社のパソコンで別の方面屋さんを検索していた』のではありません。『自宅近辺の普通のマッサージ屋を探してみていた』んです(どのみち業務時間中なので、普通のマッサージならよろしいのか?という疑問は大いに説得力がありますが、ここでは、そのことは横に置いておきます。)。

 そのページの下の方に小さく、『新着情報』とあったんです。それはいいんです、それは。サジタリウスからのお客様向けメッセージの更新ということで、よくあるホームページの使い方ですから。
 しかし、その下にさらに小さく、簡潔に、平然と、こうあったんです。

『巨乳みほちゃん(24歳)入店しました。』

 え!
 きょにゅうみほちゃんにゅうてんしました???
 あれ、俺って、今、図らずも会社の高度なシステムをかいくぐり、別の方面屋さんのホームページへのアクセスに成功してしまった、ということ??
 いやあ、照れるなあ、俺にそんな高等なIT技術があったとは。
 それに好みの女性の、こと容姿に関しては常日頃から『男子としての保守本流であること』を標榜している僕ですから、巨乳について敢えて言及するならばこれを拒んじゃうことはポリシーに反するしなあ、うむむ。
 僕は、混乱してしまいました。
 しかし、戸惑いよりも好奇心、いや『サジタリウスの正体は何のか?』という真実を知りたい、という保守本流としての知的探究心(なんだ、それ。)が勝り、さらにそのページの奥へ入ってみることにしました。
 すると、『スタッフ』というアイコンがあるじゃないですか。業務中にも関わらず、真実追求の探究心に燃える筆者は、当然、そこをクリックしてみました。
 画面がアップされ、愕然としました。
 そこには、『12:00~翌3:00』と書かれた営業時間の下に『スタッフ紹介』として、セーラー服だの、下着だの、胸の谷間を大きく見せた服だの、を着た女性9人が、その名前と年齢、-『さき(21歳)』とか、『ゆみ(24歳)』とか、『ルル(22歳)新人』(『新人』の部分は赤字です。)という具合に。-と共に艶かしいポーズをとって写っているではありませんか。
 しかも、顔には全員モザイクがかかっています!
 保守本流の男は、ここに至って頓悟しました。
 これは、あれだな、サジタリウスは明らかに『別の方面屋さん』だな、と。
 だって、そうじゃないですか、きょにゅうの入店を新着情報としてアップし、スタッフの紹介と言って顔にモザイクをかけたセーラー服だの下着姿だのの女性の写真を載せるってことを『マッサージ屋と称するマッサージ屋さん』は決してしないですよね。
 しかも営業時間は朝3時まで、です。

 僕は、でもなんでこのサイトには会社のパソコンから入ることができたのかしらん?と思いつつ、更なる好奇心、いや、飽くなき探究心から今度は『システム』とあるアイコンをクリックして見ました。するとそこには、
 『基本コース。指圧コース、かくかくしかじか円、アロマオイルコース、かくかくしかじか円』
 『アロマリンパコース・・・・・人気NO.1!120分指圧+オイルマッサージ+蒸しタオルマッサージ+リンパマッサージ+顔+足マッサージ 14,900円 ご予約時に「インターネットを見た」を合言葉でサービス・特典がつきます!電話予約大歓迎! 』
 と、赤色だの朱色だのの字で大々的に各種コースの『料金システム』の詳細が書かれていました。
 ふうむ、どうもいろいろオプションがある『別の方面屋さん』なのだな、と僕はひとしきり感心致しました。

 しかし、しかしです。次の瞬間、その『システム』画面を惰性で下まで追っていった僕が我が目を疑った、非常に小さいコメントを発見したのです。
 このコメントを信じ難いのは僕だけはないでしょう。
 即ち、『電話予約大歓迎!』から数行の空行をおいて、小さく小さく、そうですね、値段の表示の字の四分の一くらいの小さな字で、しかも地味に黒字で、そこにはこうあったのです。

『* 当店は風俗店ではありません』

 ええ!そんなっ!
 なんて明快な宣言、でも、それは無いです!!
 じゃあ『巨乳みほちゃん(24歳)』の訴求点は?モザイクをいれて下着だのセーラー服だのを着た『スタッフ』の皆さんの立場は?

 ・・・・解せません。

 僕は、この画面を見ながら(お気づきかと思いますが、僕は、その熱心さのあまり、サジタリウスの画面でかなりの間『仕事ごっこ』をしていたので、たぶん、僕の後ろを通過した何人かの同僚には画面を見られてしまったと思います。南無三。)この『* 当店は風俗店ではありません』の意味を理解できずに悶々としてしまいました。
 だって、そうじゃないですか?
 他の画面やコメントはどう見ても『別の方面屋さん』を思わせるような作りになっているのに、なんでここで、小さく小さく『ではありません』と主張する必要があるんでしょう。しかも、ホームページの表ではなく、『システム』の画面にまで入っていって、コースの種類を熟読した人にしか目に付かない場所で、です。
 そう、まるで『いやいや、ほんの参考までの情報なもんで、気付かないで読み飛ばしてくれたら幸いです。』っていう感じに、です。

 以下、僕が試みた推測です。

 *『別の方面マッサージ屋さん』としての許可を取得していないが実態は『別の方面マッサージ屋さん』であるため建前上『ではありません』と記した。
  -しかし、これはあまりにお粗末ですよね、僕が摘発する側だったら、すぐに、怪しい、とみなすと思います。

 *実際に『別の方面屋さん』ではない。
  -でも、そうだとしたら『巨乳みほちゃん(24歳)入店しました。』とかモザイクでのスタッフ紹介とかはいらないです。むしろ、『別方面のサービス』を求める来店客との間にトラブルが頻発する、と思うんです。

 *『別の方面屋さん』として許可も取っているし、『別方面のサービス』も実際に提供するが、なんらかの理由で、表向きは『ではありません』ということにしている。
 -これはあり得るような気がしないでもないです。実際、お互いどういう仕組みかわからないですが(この一行のコメントのおかげでのみ、とは思えませんが。)、『別の方面屋さん』にはアクセスできないはずの、僕の会社のパソコンからもアクセスに成功しているわけですから。それで『魚心あらば、水心ありよのう、皆まで言わせなさんな・・』といった感じで別の方面屋さんの常連だの、その道の玄人には、たとえ一見さんでもちゃあんと呼吸が通じあってたりするわけです。しかし、そうは言ってもやはり、『ホームページの建て付けは全身是別の方面屋さん』なのに、小さいとはいえ、しっかりと『ではありません』と断ったりすると、矢鱈と冗長な会社定款みたいに『本業は何なのか?』がぼやけてしまって、客を獲得するメリットよりも徒らに別の方面を期待した素人さんをして困惑せしめ、『なあんだ、じゃ、行くのやめた。』となって、売り上げを失うデメリットのほうが大きい、ように思うので、これもあまり感心できる策とは思えません。

 どうもわかりません。未だに謎です。
 この謎を解明するには行ってみるしかありませんが、僕としては保守本流ながら、既婚者ということもあるし、財政的にも逼迫しているので、ちと、二の足を踏んでしまいます。
 『しからば俺がサジタリウスに行って結果をリポートしてやろう』という暇とお金のある奇特な方がおられましたら、僕宛にご一報ください。お店の正式名称とWEBをお教えします。
 ええと、費用は自己負担でお願いします。
 先述の如く『120分指圧+オイルマッサージ+蒸しタオルマッサージ+リンパマッサージ+顔+足マッサージ 14,900円』が『人気NO.1』だそうです。
 WEBにはこのブログを書くにあたり、改めてアクセスして中身を確認したら、新着情報『巨乳みほちゃん(24歳)入店しました。』はさすがに無くなっていました。が、依然として『* 当店は風俗店ではありません』は健在でした。
 加えて、『特別キャンペーン 10,000円以上のコースご利用で泡洗体付き』だそうです。
 僕のミスタイプではありません。『泡洗体』って書いてあるんです、なんて読むんですかね。

 これもわかんないです。
 行かれた方は、是非『泡洗体』も体験してきて、正しい読み方と共にそのプレイ(プレイなのか?)の内容のご報告もお願い致します。

 うむむむ『ではありません。』なのに、
『巨乳みほちゃん入店しました。』
・・・。

 どうも、やっぱり謎です。

===終わり===

エルメスのバーキン。

 一般に市場が概念を評価し、その『概念の象徴』を冠した物品の相対的に突出したとも言える高い対価を許容する、という行動の背景にはその『概念の象徴としての意匠』への嗜好があるのではなく、そこには『概念の象徴』が含有する出自、物語、歴史、品質、さらにはそれらに裏付けられた威信、等への評価がある、と推測されます。
 
 ・・・『今回は、出だしから何を言いたいのかさっぱりわからん』と思われた方、ごもっともです。
 冒頭の文章は、簡単に言ってしまえば下記のようなことになるのを、『外来語を使わずに経済現象として表現』しようと思った結果で(それも明らかな失敗作で)、而して斯様な回りくどい意味不明な文章になってしまったわけです。
 すなわち、
 『高額ブランド品購入という消費活動は別にそのロゴ・商標自体が格好良いから、ではなくて、そのロゴ・商標の持つストーリーに納得して法外なお金を払うということ、らしい。』
 ってことですね。

 つまり、例えば同じ大きさの無名の鞄を優に数百個以上も買えそうな値段を出してまで『エルメスのバーキン』を購入される人は、別に『馬車と馬のマーク』という商標や『それと見てバーキンとわかる意匠・デザイン』が『素敵だから買うのだ』ということではないですよね。そうではなくて、

 *『エルメスはもともとは200年近く前のフランスの馬具屋が出自』であり、
 *そのため『長きにわたってその腕前・高品質が立証されている』わけで、
 *さらに『バーキンは鞄としては目玉が飛び出るほど高くそれなりの経済力の象徴である』という、

『馬車と馬のマーク及びバーキンさんという女優さん由来の鞄のビジュアルが内包・暗示するストーリー』を評価しているわけです。

 『ロゴ・意匠にストーリーありき。』

 です。
 言うまでもありませんが、我が家には、エルメスのバーキンなんてものはありません。

 では、なんで、僕がこんなことを言い出したのかというと、最近ひょんなことから『ロゴや意匠の持つ意味』について考えさせられる出来事に遭遇したからです。

 ある寒い日、いつものように仕事から帰宅し、入浴もすませてさっぱりし、さあ、あとは晩御飯食べて寝るだけだ、と寛いでいたら、毎年冬になると明らかに生命活動が三割は低下する赤道付近南半球出身のさい君が、
 「子供の塾がもう少しで終わるから迎えにいってくれる?」
 と言いました。
 さい君のこの物言いを言葉に起こすと何やら懇願調にすら見えますが、事実はこういうときのさい君の口調は実に高圧的、かつ断定的で、ほぼ命令に近いため、僕には選択の余地は殆どございません。
 やれやれ、せっかく入浴もすませたのに、またぞろ着替えて寒い中外出か・・・、だいたい、あいつもそろそろ11歳になろうかという男の子なのに、さして遠くもない距離をなんでひとりで帰宅できないんだ・・・・。
 と、心の中を不平不満で満たしながら、それでも結果はおとなしく自転車に跨ると塾に向かいました。

 着くと、すでに学習を終えた息子がジャケットは着ていないものの、自転車用のヘルメットを被って待っています。
 「おい、フジ、帰るぞ!」
 と僕は息子に呼びかけました。
 その時です。
 「うん?」
 僕は、息子が見たこともない服を着ているのに気がつきました。それは、ジャケットの中にきている丸首長袖の服で-つまり屋内では、彼はその服で活動しています。-身頃は空色、襟と袖口は紺色に彩られているトレーナー様の服でした。
 はて、こいつこんな服もってたかしらん?そう思いながら、ようく見るとその左胸に、

 『閩中』

 という漢字二文字が、縦に並んで、その二文字が円いっぱいになるように-上の半円は『閩』の文字、下の半円は『中』の文字でそれぞれ半円を描いています。-ぐにゃりとデフォルメされて描かれています。

 「ん??・・・びん・・ちゅう・・びんちゅう??」

 なんだこれ?『びんちゅう』ってなんだ?
 息子はまだ小学校五年生だけど、どっかの中学校名の略称かな??でも『閩中』って、中学校の名前にしてもちょっとへんてこな名前じゃないか???少なくともこの辺りにも、俺の知る範囲にもそんな名前の中学校なんてないぞ。
 訝しがる父親には全く関せず、彼は帰り支度を始め、その拍子に一瞬息子が背中を僕に見せました。すると、そのトレーナーの背中には、半円を描くように、やや大きめなアルファベットのロゴが入っていました。
 そこにはこうありました。

 『HOI PING』

 「??・・ほ・・い・・ぴ・・ん・・。ほいぴん???」

 『ホイピン』ってなんですかね?どういう意味だろう??
 さらに詳しく観察してみると、そのトレーナーは息子の体にはかなり大きくて、本来なら肩の端にあるべき袖付けの縫い目が、彼の上腕の半ばあたりにあって、袖の下のほうは手首の辺りでかなり生地が余ってだぶついてます。 

 「ははん、これはひょっとすると・・。」
 しばらく観察した後、僕はこの息子の『ホイピンブランドのトレーナーの持つストーリー』についてある仮説を立てました。
 そして、帰宅するとすぐにさい君を捕まえてその仮説を立証すべく、
 「あのさ、フジが着ている『ホイピン』のトレーナーなんだけど・・・あれってさ、ひょっとしたらココの・・」
 とそこまで言いかけると、さい君は、息子に背を向けて口に人差し指をあて、鋭い目配せをすると、
 「しっ!そう、その通り!だけど、本人はなんにも言わずに着てるから黙っておいて!」
 と小声で、しかし強い口調で言いました。

 『ココ』というのは、さい君の姉の長男、つまり愚息の従兄弟の愛称です。
 我が子より二つ年上で香港人です。

 ちょっと話がややこしくなりますが、省略できないので説明しますと、実はさい君の姉も我が家と同様、国際結婚をしており、出身地である南半球から香港に嫁いでいます。毎年夏にさい君が帰省するとき、必ず香港に立ち寄って何泊かしてから帰省するので、息子はココとその妹と仲良く遊んでいます。(ちなみに、うちの息子と彼ら二人との共通言語は、さい君の母国語ですが、この兄妹は両親の国籍と香港という地域の持つ政治的立場のおかげで英語、広東語、北京語、さい君の母国語、の4ヶ国語をしゃべります。すごいですねえ。)
 そのとき、ココのお古の服をもらってくるわけです。

 果たして、僕の仮定どおり、『ホイピンブランド』の服は『ココの中学校の体操着のお古』であり、息子はその大きめの体操着を外出着として着させられており、『閩中』とはおそらくココの通っている中学校の名前の広東語での略称で、『HOI PING』というのは、その英文名、と推測されました。
 
 男の子というのは、一般に女の子に比べて精神面での成長が遅いといわれていますし、服装などに興味を示さなかったり、或いは示し始める年齢がずっと高いか、下手をすると生涯興味を持たなかったりしますが(以前、女の子のお子さんがいる方と話していたら『女の子はもう小学校に入る頃には嗜好が出てきてお仕着せの服では満足しなくなる、靴なんか、ミュールを履きたがる。』って言っていて、我が息子との違いに驚愕しました。)、そういう部分はこういうとき、即ち、母親が倹約のために息子の従兄弟のお古の体操着を彼の普段着として活用する際、にはしごく便利です。

 我が家の少年は『だぶだぶのホイピン』を着させられて学校や塾に行かせられることが、
 『どっか外国の親戚の体操着のお古を着てますよ。』
 という『ロゴの持つストーリー』を世の中に顕示して回っているかもしれない、ということに全く関知せず、唯々諾々と母親のいうままに、このブランドを着まわしていた、というわけです。
 おそらくは『ホイピン』がココのお古である、ことには息子も気付いているでしょうが、そういうものを着させられているということのある種の特異性(すなわち『親がけちである。』という事実を服で以って雄弁に語って歩いているという可能性があること。)には考えが及ばす、恥じらいなど感じていないようだから彼の前では黙っていろ、というのが、さい君の僕に対する、
 「しっ!そう、その通り!だけど、本人はなんにもいわずに着てるから黙っておいて!」
 という囁きと鋭い目配せであったわけです。

 さらに驚いたことには、息子のワードロープにおける『ホイピン』ブランドのコレクションは一点ではななかったのです。
 僕の観察によって判明し、彼が外出着として着させられている現在までに確認できたホイピンブランドコレクションは、先述の長袖のトレーナーの他に、

 *長袖のポロシャツ
   (袖全体・襟が紺、身頃が空色です。左胸に小さく『HP』とあります。おそらく『ホイピン』の略称ですね。背中には大きく『HPCCPS』とあります。これはなんのことやらわかりません。しかし『ホイピン』から派生したロゴであろう、というなんらかのストーリーは感じられます。)

 *濃紺のVネックのセーター
   (左胸に大きく白色で『HP』とあり、『ホイピン』のアイデンテイテイが大きく前面に押し出されていいるアイテムです。)

 *ジャージーの長ズボン
   (灰色の身頃に両足の外側に10センチ巾くらいの大きなラインが赤で入っています。丈が長すぎて裾部分が顕著にだぶだぶです。特にロゴはありません。)

 *ジャージーの半ズボン
   (濃紺の身頃、両足に空色のラインです。トレーナー、ポロシャツと同じ色系統ですが、メイン色と挿し色が逆転しています。これは、実際に体育の授業で着用させられているようです。これもロゴ無しです。)

 とあることが判明し、息子が何かひとつ『ホイピン』を着用し、その隠れたストーリーを人前に示している日の割合はかなり高いことが判明致しました。
 先日せがまれて電車で一時間半先の大きな展示会場であったホビーフェアに一緒に行った際も、彼はごく自然にホイピンのジャージー長ズボンに身を包んでおりました。
 『ホイピン』恐るべし。
 バーキンなくとも、ホイピンあり、です。

 さらに僕が、熱心に『ホイピン』と、それをTPOに構わず無頓着に着まわす(或いは着せ替えさせられている)息子の姿に関心をもって観察するあまり、たまに、さい君との会話の中で、
 「今日は、ホイピンはどこに行った?」
 と『ホイピン』を息子の代名詞として使っていたら、
 「いい加減にしなさい!」
 とさい君に怒られました。
 これはさい君の言はもっともです。

 しかし、僕が息子のことを『ホイピン』と呼ぶにまで至ったのは『ホイピン』というロゴに僕が、
 『遠く香港にいるココのお古の中学校のだぶだぶの体操着を節約のために外出着として母親に着させられていて、それに文句ひとつ言わずに素直に従っている息子の有り様。』
 という『ストーリー』に痛く興味をもったからであり、これはこれで、僕にとっては、
 「ふうむ『ロゴにストーリーありき』だよなあ。」
 と思わせた、立派な『ブランドのストーリー』でありました(『バーキン』は高価ですが『ホイピン』は安価、いえ、只なので、その経済的プレステージはむしろマイナスですけど。)。

 今後ココから譲り受ける『ホイピン』ブランドの次回コレクションでは、どんなアイテムが現れるのか、今から楽しみです。
 まあ、いつまで当の息子が色気つかずに『ホイピン』のへヴイユーザーでいてくれるのか、という問題はありますけど、そちらのほうは一向に成長する様子が見受けらず、着るものには全く頓着していないので、当分は大丈夫そうです。

===終わり===

 



 

 

幸せの黄色いハンカチ。

 僕は、その鬼気迫る表情にすっかり惹きつけられてしまいました。

 僕が、今まで見聞した『最もビールを美味そうに飲む人』のひとりは、映画『幸せの黄色いハンカチ』の主人公です。
 
 (ここから先は、この映画をまだ見ていない方にできるだけ配慮して書きますが、それでも内容には触れないわけにはいかないので、『これこれ、まだその映画見てないんだけど・・』という方はご注意ください。)

 この映画を見たのは、確か中学生のときだったと思います。
 僕の兄のみどりしょうごろうが、
 「おい、今日テレビで『幸せの黄色いハンカチ』をやるぞ!ぜったあい、見ろ!」
 と半ば強制的に推薦したためです。
 なんでも彼の通う学校で、この映画の上演会があって、しょうごろうは痛く感動したそうです。

 その映画の中の、僕の記憶の範囲によると、冒頭部分で、高倉健演じる主人公が刑務所から出所し、その足で、とある大衆食堂に入ります。
 そして、壁のメニューを無表情に一瞥すると、低くくぐもった声で、こう注文をします。
 「醤油ラーメンと、カツ丼下さい。」
 表情を変えないまま、しかし主食を二つも頼むところに、囚われの身であった背景が強く表現されています。
 それから、主人公は、料理の到着を待たずに、また、ぼぞぼそと追加で店員に頼みます。
 「ビールください。」
 「はい。」
 如何にも大衆食堂らしく、瓶ビールと素っ気無いガラスコップが無造作に主人公の前におかれます。主人公は、これまた淡々と、ビールをコップに注ぎ、一気にぐいっ、と飲み干します。
 すると、いままでの無表情が一転、高倉健の表情がにわかに、しかし、豊かに歪みます。
 主人公は、食道を伝って一気に押し寄せてくる『数年ぶりのビールの味』と『数年ぶりの自由の実感』を、己が五臓六腑では受け止めきれないのだ、と言わんばかりに、顔をくしゃくしゃにし、やや下顎を突き出して、声にならない小さな、しかし、力強いため息と共に、喜びとも悶絶とも取れるなんともいえない、万感胸に迫る、という表情を見せるのです。
 
 僕は、その鬼気迫る表情にすっかり惹きつけられてしまいました。
 「うわあ、うまそうだなあ。」
 いまだにそのシーンは頭に焼き付いています。
 もっとも、その時、僕はまだ中学生だったので、もちろんビールの美味しさなど知る由もなく、もっと正確に表現しようとするのであれば、
 『眼に焼きついた高倉健が色褪せないうちに大人になり、ビールの美味しさを知るとともに、そのシーンの説得力を都度追認してきた。』
 ということと思われます。

 後年大人になって、ラグビーをしたあとに、会社にはいって仕事を放り投げて(それも頻繁に、ですが)隣の部の田淵くんと平日の夜中に、三宅奈美さんと念願かなってデートしたときに、山案山子の恋愛相談にのりながら(正確にいうと相談にのるふりをしながら)、遠く日本を思いながら南半球のひとり暮らしのアパートの部屋で、三宅奈美さんに突然別れを切り出された居酒屋で・・・・、色んな状況でビールを飲みながら、ああ、あのときの主人公の表情は、そういうことだったのか、と美味いビール、苦いビール、無味乾燥なビール・・・を味わいながら無意識のうちにあのシーンが僕の心の中でなんども上書きされてきたわけです。

 ことほどさように、そのときの高倉健の表情はなんともいえないものでした。

 ところで、肝心の映画全体に関してですが、僕の『幸せの黄色いハンカチ』を見ての主な感想は、
 『これっぽっちも感動しなかった。』
 です。
 「ええ、それはないでしょ!?」
 と思われた方も多いかと思います。

 いや、その通り、この映画のどこにもケチをつけるつもりはありません。それに、僕みたいな輩に評価してもらいたくはないでしょうけど『いい映画』だと思います。
 でも『まるで、心を動かされなかった』んです。
 なぜ?

 それはですね、この映画を強烈に推薦した、みどりしょうごろうの所業に負う所が大きいんです。
 彼は、この映画にあまりに感銘を受けたあまり、弟に見ることを薦めただけではなく、放送中、ずっと僕の傍らにいて口角泡を飛ばしながら、いちいち『ここという場面』を先回りして説明したのです。

 「いいかけいた、ここでだな、高倉健が・・」
 ほう、なるほど。
 「このあと!このあとところが、武田鉄矢と桃井かおりは・・」
 まあ、確かにその通りなんだけど・・。
 「な?実は!倍賞千恵子はだな・・・」
 ちょっと黙っててくれないかなあ・・・。

 まさに微に入り細に穿っての解説です。
 そして、それは結局ラストシーンまで続いてしまったのです。
 ほぼ、全てのシーンを先回りして述べられてしまった僕に、兄は、映画の放送が終わるにあたって、自慢げにかつ声高に、

 「なっ?なっ?すんげえ感動するだろっ!??」

 と止めをさしました。

 いや、『全然・・・。』なんですけど。

 というわけで、僕が『幸せの黄色いハンカチ』から学んだことは、-これはこの映画の関係者の方が意図したことではないかもしれませんが、それでも僕は、痛切に、かつ、真剣に心を揺さぶられたんです。-、

『状況がビールの味を決めるのだ!』

 ということです。
 前にも書きましたが、ある事情からもう何年も禁酒を余儀なくされている僕ですが、念願かなって飲酒を再開できたときにも、きっとあのシーンが想起されると思います。
 今から楽しみです。

===終わり===




 

ファミリーレストラン。

 僕は、なんでそんなことになったのか理解ができずに一瞬、きょとん、としてしまいました。

 2,3ヶ月前のことです。
 その日、確かある祭日だったと思います。
 僕は息子と二人で近所のファミリーレストランで食事をしておりました。
 といっても、僕はドリンクバーを注文しただけで、さい君の不在を守る一環で息子の食事につきあった、というのが実態です。僕は息子が彼の好物のイカリングとパンケーキを頬張りながらする、他愛のない発言に適当に付き合っていました。
 途中、かかってきたのか、息子がかけたのかは記憶にありませんが、彼の日本人の方の祖父(僕の父、みどりかずまさですね。)と彼が携帯電話で会話を始めます。
 どうやら、息子はなにか買ってもらいたいものがあるらしく、かずまさにおねだりを(しかし、かなり高圧的な態度で、です。そこは、孫可愛さに、孫のほうが無意識につけこんで横暴に振舞う、というのはどこの家族でもよくみられる光景でしょう。)しています。
 そして、買いに行くための予定の掏り合わせをかずまさとしているようです。

 顔の半分ほどもある携帯電話を(さすがにまだ10歳ですので)、しかし慣れた手つきで扱いつつ、午後の陽をレストランの窓越しに背中に受けながら息子は目の前のパンケーキには暫時手をつけずに熱心にかずまさと大きな声で議論しています。
 
 「え?じゃあさあ、じじは、いつだったらいいの?」
 「え??その日はフジはともだちとザリガニをとりにいくからだめなの。」

 どうも両者の日程の摺り合わせは難航してしているようであるな、思いつつも、僕は助け船を出すでもなく、むしろ息子の相手から暫時解放されたのをいいことに、ただ漫然と彼の発言に耳を傾けていました。
 「だから、だめだって!え?だからあ、じじはいつならいいの??え?・・・『今週の日曜日』???」
 息子は彼なりにかなり苛立ってきています。
 そして、やおら、
 「ふ~~~、」
 と大きくため息をつくと、小さい子に噛んで含めて言い聞かすように、しかし決然と言いました。

 「あのねえ、じじ。いい?じじはさ、さっきから『今週の日曜日』っていうけどね、いい?じじ、いっしゅうかんていうのはね、にちようびが、はまじまりなんだよ!だからさ、『今週の日曜日』っていうのはもうおわってるんだよ、わかる?」
 
 そのときです。僕の耳にさして大きい声でもない隣のテーブルの中年夫婦と思われるお客さんの、会話の断片が突然飛び込んできました。
 「確かに、そうだ。あはは。」
 「そうよねえ、正しいはよね。うふふ。」

 僕は、なんでそんなことになったのか理解ができずに一瞬、きょとん、としてしまいました。
 つまり、僕が全く関心も注意も払っていなかった隣のテーブルのお客さんの会話が、それもさして大きな声でもない会話の、しかも断片が、なんで唐突に僕の耳にすんなりと入ってきたのか判然とせず、困惑してしまったのです。
 僕が、はて?と、隣の席のほうに視線を遣ると、中年夫婦は、僕の息子のほうを見て笑っています。
 
 ん???
 ・・・・・ほう、そうか・・。

 数秒の時間を経て、僕は得心しました。

 世の中には『正論』というものがあります。
 しかし、その一方で正論に従うだけでは、得てしてことはうまく運びません。
 なぜなら『正論』が正論であるがゆえに、逆に習慣として立場を確立しているアンチテーゼというものもあるからです。
 息子は、まだ義務教育の真っ只中にいるわけなので、いわば、正論を100%学ぶこと、が彼のお仕事なわけです。これはこれで、まっとうな生業です。だって正論も学ばないのに、正論とは相反する習慣だけいきなり学んだら混乱しちゃうじゃないですか。
 一方で、齢70を過ぎ、未だに長きに亘ってサラリーマンとして働いているかずまさは(ありがたいことです。)、いわば正論に対するアンチテーゼの権化みたいなものです。サラリーマン生活が長いから、土曜日と日曜日は平日に働いたご褒美としての『週末の連休』として捉えているわけです。
 日曜日は、本来『週の初めである』にもかかわらず、です。
 そして、そういう宮仕えの権化達の間では、例えば、
 「おい、たまには飲みに行こう。」
 「おお、いいね、でも平日はちょっと。最近忙殺されていて。」
 「そうか、なら週末でもいいぞ。今週の日曜日はどうだ?」
 という会話に対して、
 「おい、おまえなあ、何をいってるんだ、一週間は日曜日から始まるから今週の日曜日はもう終わってるぞ。わかるか?」
 なあんていう『正論』を主張する人はまずいないです。
 そこは忖度して『今度の日曜日のことを言ってるんだな?』となるので、
 「おお、今度の日曜日ならあいてる、いいぞ、是非行こう。」
 となるわけです、たいていの場合は。
 世の中『正論』だけでないほうが潤滑にいくこと、が少なからずある、ということですね。

 僕は息子の発言を心身共に頬杖をつきながら聞いていて、彼の祖父に対する『説教』を耳にし、父親の感覚も理解するも、内心苦笑いしつつも、
 「確かに!そら、そうだ。」
 と息子の吐いた『正論』に心の中で賛同していわけです。
 その声無き呟きと、それを心の中で僕が呟くタイミングが、声優が絵に声をかぶせるように、隣のお客さんが声にだした時とぴったり重なったんでね。
 その『共振』のせいで、耳をそばだてもいない隣の会話がするりと僕の耳に飛び込んできたわけです。
 ふむ、ふむ。
 隣のお客さんも、実はなんとはなしに、声を張り上げる息子と祖父の会話に耳を傾けていて、息子が真剣に吐いた『正論』におもわず、膝を叩いて、
 「確かに!それは正論!お孫さんよ、あんたが正しい!」
 となったわけです。

 息子と彼の祖父の日程は交渉の末、うまく調整がつきました。

 一方で、今回は『資本主義に揉まれとうの昔に自分を見失い、最早何が正論で何がアンチテーゼなのかも判然とせず、因習だの建前だの長いものだの上司の価値観だの、に散々まみれている父親』にとっては、

 『正しいことを頑迷に主張することは、時にたった一言で野次馬までをも頓悟させる説得力がある。』

ということを改めて息子から教わった日となったのであります。

===終わり===



 
プロフィール

緑 慧太

Author:緑 慧太
好きな言葉:『終身雇用』
座右の銘 :『負けるが勝ち』

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